2016/07/24 - 2016/07/24
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hiro3さん
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先週は、前祭の山鉾巡行と神幸祭(おむかえ)を楽しみました。
今日は、後祭の山鉾巡行と還幸祭(おかえり)です。
前祭よりは空いているかな?などと考えていましたが、やはり多い!
後祭が出来て過去最高の10万人!前祭の19万人に比べれば少ないとはいえ、すごい人です。
後祭のルートは御池通から河原町通、そして四条通と逆ルートになります。
そして、花傘巡行もあります。こちらは、後祭の行事が喪失した時に興されたのがはじまりです。
それから、神事の中心となる還幸祭(おかえり)です。御旅所の三基の神輿が八坂神社に還幸。御神霊を神輿より本殿にお遷しし、祭典を行ないます。
先週に続いて祇園祭を追いかけました。
山鉾巡行と還幸祭を分けて紹介しています。よろしくお願いします。
還幸祭 http://4travel.jp/travelogue/11152482
祇園祭 2016年
鉾建て http://4travel.jp/travelogue/11148394
宵山 http://4travel.jp/travelogue/11150449
前祭の山鉾巡行 http://4travel.jp/travelogue/11150636
神幸祭 http://4travel.jp/travelogue/11150785
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 私鉄
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今日は四条河原町にスタンバりました。9時30分ごろです。
山鉾巡行は9時30ごろに烏丸御池をスタートし、くじ改めがあり、10時40分ごろにこちらにやってくる予定です。まだ1時間以上あります。
でも大丈夫(吉高由里子さん風に・・・笑)、花傘巡行が10時に八坂神社をスタートします。
花傘巡行が通過して、山鉾巡行がやってくる予定です。 -
信号機を回転される準備をされています。
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10時10分ごろ、花傘巡行の先頭がやってきました。
山鉾巡行は以前、7月17日(前祭 山鉾20基)、7月24日(後祭 山9基)の2回にわかれていました。昭和41年(1966)、後祭が17日に合流し、後祭の行事が喪失したために興されたのが、花傘巡行のはじまりです。 -
開智童心太鼓(開智小学校)とあります。
そのあとを子供神輿が続きます。
子供神輿を先導して、力強い太鼓の音がみんなを元気づけて引っ張っていきます。
太鼓のばちを持つ手は、マメができたのかテーピングされている子供たちがたくさん!
練習頑張ったんだろうね。 -
子供神輿がやってきました。開智地区の子供神輿です。
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車輪がついていますが、差し回しや差し上げも本格的にします。
こちらも開智の法被を着ておられます。 -
清水八坂
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教業子供みこし
洛中小学校が中心となった神輿
祇園祭発祥の地といわれる神泉苑が主催されているようです。 -
金獅子がやってきました。
パクッとかぶられています。
その年は無病息災で暮らせるといわれています。 -
神饌行列
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四条河原町を抜けて、寺町通を上がっていきます。
むかしは、山鉾巡行が寺町通を進んでいた時もあるとか。
電線も今のように横断するものはなかったのと違い、邪魔になる電線があったそうです。それを切って、通過後またつなげるという、大胆な作業をされていたようです。 -
祇園太鼓です。
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花傘が続きます。
大きく口を開けているは銀獅子です。 -
馬長
手を振っている子供もいました。余裕? -
八坂神社婦人会
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久世六斎保存会
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花傘娘
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織商鉾
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先斗町
毎年、2つの花街が参加されるそうです。
宮川町、祇園甲部、先斗町、祇園東で今年は、先斗町、祇園東のようです。
先斗町は、歌舞伎踊 -
祇園東の花傘です。
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祇園東
こちらは小町踊です。
午後から舞殿で披露されるそうです。 -
花傘
赤い橋にとまっているのはサギさんかな?
鷺踊の先頭を歩いています。 -
鷺踊
時々、羽を広げます。 -
万灯踊
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鷺踊
羽を広げて行進です。 -
山鉾巡行が迫っています。
10時40分の通過予定通りに来ました。 -
一番山は、橋弁慶山です。後祭の籤取らずは、「橋弁慶山」と「南観音山」です。
橋弁慶山は、牛若丸と弁慶が五条大橋の上で戦う姿をあらわしており、数ある義経の物語の中で謡曲「橋弁慶」を題材としています。
弁慶は鎧姿に大長刀を斜めにかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っている。橋は黒漆塗で特に牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えています。 -
辻回しは、以外にもあっさりと向きを変えます。
車輪で進んできて、ここで持ち上げて回します。 -
竹が敷かれています。
次は大きい山です。 -
北観音山です。
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辻回しの様子です。
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もともと舁山(かきやま)であったものを後に曳山(ひきやま)に改め、その名残りとして真木には松の木が立てられています。
見送の横から観音懺法(かんのんさんぽう)の主旨にちなんで大きな柳の枝をさし出しています。
巡行後、この柳が分け与えられます。厄除けのお守りとして授与されます。 -
浄妙山
平家物語の宇治川の合戦から取材、治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師がその頭上を飛び越え、「悪しゅう候、御免あれ」と前に進み出て先陣をとってしまったという。
黒漆塗の橋桁にも数本の矢がささっています。 -
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役行者山
山の御神体(人形)として役行者と一言主神と葛城神の三体を安置し、この組み合わせは役行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に、橋をかけたという伝承を想起させる。 -
辻回しの様子です。
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えっ!
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一回では終わりません。
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今日は特別に多く回っています(笑)
拍手喝さいです。
すごく盛り上がりました。 -
黒主山
謡曲「志賀」にちなみ大伴黒主が桜の花をあおぎながめている姿をあらわす。御神体(人形)は寛政元年(1789)5月辻又七郎狛元澄作の銘を持つ。山に飾る桜の造花は粽と同様に戸口に挿すと悪事が入ってこないといわれている。 -
交差点進入に先だって、世話人たちが八坂神社の方をみて横一列に並ばれ、一礼されました。
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辻回し
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辻回し
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こちらの辻回しも一回では終わりませんでした。
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南観音山
東海道五十三次や指南の語源となった大乗仏教経典の一つ華厳経の説話において,善財童子(ぜんざいどうじ)が順に教えられた53人の聖者を訪ねて南へ南へと菩薩道修行をした話に取材する。 -
辻回し
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辻回し
水をかけ、「エンヤラヤー」の掛け声と共に見事に向きを変えます。
掛け声である「エンヤラヤー」は、古代ヘブライ語の「エアニ・アハレ・ヤー(我はヤーベを賛美する)」であるという説もあります。 -
鈴鹿山
鈴鹿権現をまつる。伊勢国鈴鹿山で道ゆく人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫尊)を、金の烏帽子をかぶり手に大長刀を持つ女人の姿であらわしている。 -
鈴鹿山
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鯉山
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鯉山
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鯉山
山の上に大きな鯉が跳躍しており、龍門の滝をのぼる鯉の奔放な勇姿をあらわしている。前面に朱塗鳥居をたて山の奥には朱塗の小祠を安置し素盞鳴尊を祀る。その脇から下がる白麻緒は滝に見立てられ、欄縁その他の金具はすべて波濤文様に統一されている。 -
鯉山
大きな鯉がいます。コイキングじゃないよ! -
鯉山
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鯉山
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鯉山
鯉山を飾るタペストリーは「B.B」という文字が発見されたことで ブラバン・ブリュッセル(現在のベルギー)で製作されたことが明らかにり、 ベルギー王室美術歴史博物館により、その図柄はギリシアの詩人ホメロスの叙事詩 「イーリアス」の中の「トロイア戦争物語」の一場面だと調査報告がされています。 1575年から1620年の期間に作られた5枚シリーズの1枚であることもわかっています。 -
最後に登場です。
大船鉾です。後祭の鬮とらずとして殿をつとめ、前祭の船鉾が出陣船鉾と称されるのに対して凱旋船鉾といわれていた。500年余りの歴史を持ち、江戸時代の再三の大火に被災するもそのつど復興を繰り返してきたが、幕末の元治元年(1864)におこった「蛤御門の変」にて屋形・木組・車輪等を失い、それ以来巡行参加することはなかった。長い年月を経て平成9年にお囃子の復興、そして焼失を免れた神功皇后の御神像や舳に飾る大金幣、また織物・刺繍の高度な技術を駆使して製作された大舵や水引・前懸・後懸等をお飾りしての「居祭」の再開で復活への機運が盛り上がり平成24年から唐櫃巡行を、そして平成26年四条町の皆様の熱意と多くの方々のご協力のおかげで150年ぶりに巡行参加することが出来た。 -
今年復元された龍頭です!
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大船鉾が復元されて、前祭と後祭が復活しました。
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イチオシ
力強く船首をつかむ龍頭です。
船鉾の鷁と共に 『龍頭鷁首』対をなすことができました。
大金幣が今まで展示されていましたが、龍頭が復元されたので、毎年代わる代わる展示されるのでしょうか? -
辻回し
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船鉾は「ノアの方舟」なんでしょうか?
祇園祭を追いかけていると、ユダヤとの関係がヒットします。
とても興味深い考察です。一度調べてくださいね。 -
大船鉾が四条通に入っていくと花傘巡行が待機していました。
寺町通から御池通に行き、河原町通を下ってきました。
もう一度、花傘巡行を観ます。 -
子供神輿
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銀獅子さんです。(八坂神社青年会)
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子供神輿さんも差し上げや差し回しを披露されます。
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神饌行列
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神饌行列
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祇園太鼓
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金獅子さん
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祇園太鼓
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児武者
暑いでしょうね〜 -
馬長
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久世六斎花傘
六斎とは六斎日(八・十四・十五・二十三・二十九・晦)に念仏した事から起こり能楽、歌舞伎等の影響を受け今日に至っている。
楽器は笛、三種の太鼓、鉦を使用します。 -
花傘娘
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織商鉾
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イチオシ
織商鉾
例年「京都ミスきもの」の4名が、上古・奈良・平安時代の衣装を着て織商鉾に乗ります。 -
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先斗町
歌舞伎踊り 出雲の阿国が慶長八年(1603)京都の鴨川河原で演じた踊りは、京都の町衆によって支持され従来の白拍手幸若、曲舞に狂言の伝統が深く入り込みここに近世的な演芸が確立されるに至った。出雲の阿国は出雲大社の巫女で社殿修理の為諸国を勧進したと云われています。
この姿は墨塗りの笠をかぶり紅の胸紐小露の附いた白の千早に緋の切り袴、腰には金銅の瑶珞を吊し頭には数珠と鉦をかけ手に撞木扇等を持っています。 -
祇園東
小町踊 京の町々に小さい女の子等が集まって美しく粧をこらして乳母に守られながら京の町を踊り歩いたのが始まりました。 -
鷺踊
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イチオシ
鷺踊
鷺踊は傘鉾に付属した踊で、傘鉾の周囲を踊りながら巡行していたもので、近世になって傘鉾の中断にともない踊も中断されるに至った。
寛政年間に八坂神社より津和野藩に伝習されていた鷺踊をもとにして復興され、子供達に振付けされたのがこの鷺踊です。 -
八坂神社に帰っていきます。
そのあと、舞殿にて踊りが披露されます。 -
四条河原町の交差点には、救護車や救急車が待機していました。
気分がすぐれなくて、運ばれる方がいました。
長く待っていると暑さでやられてしまいます。 -
京都タカシマヤには、こんなものが展示されていました。
しばし、クールダウンします。 -
きーやんの駒形提灯
さてそろそろ、お腹が減ったので食事にします。
この後、食事して、還幸祭(おかえり)を観にいきます。
還幸祭と旅行記を別にしました。よろしければ、お付き合いください。
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