2015/05/27 - 2015/05/27
10位(同エリア77件中)
junemayさん
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- Q&A回答0件
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
アレッツォの町の大聖堂前から旅行記の続きです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大聖堂のファサード前の階段を下りると・・・
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正面には、大聖堂付属の教区博物館があります。アレッツォにはまだまだ見たい教会があるので、今回はその前を素通りし、
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大聖堂の左側廊にある「慰めの聖母礼拝堂」の裏に向かいます。ここにミュージアムショップと観光案内所、そして城壁外に出られる道があるんです。
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それが、こちらのエスカレーター。だ〜れも乗っていないのに、動き続けているのは勿体ない・・・
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左右に描かれた壁画を見ながらなので、退屈はしません。
これってどこかで見たことがある絵だなあ。どこだっけ? と思いながら下にずんずん下りていくうちに、はたっと思い当たったのは、聖フランチェスコ教会のピエロ・デッラ・フランチェスカの絵。 -
ほらほらやっぱり。ピエロが描いた東ローマ帝国皇帝ヘラクリウス対ペルシア王のホスロー2世の戦いの場面が、大きな壁画になっていました。
あまり良い出来ではないけれども、同じシーンの写真を拡大してみましたよ。楽し〜い(^^♪!! -
エスカレーターで3階分下りて行きながら、ずっと右向きっぱなしでした。
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上の写真の場面も見ぃ〜つけたぁ!
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エスカレーターを下りると、こちらの小さな城門ポルタ・ストゥッフィにたどり着きます。アレッツォにいくつか残っている城門の中でも小さいものの一つ。この城門から市営の駐車場に歩いて行くことができるそうで、観光客の利便のために最近整備されたもののようです。
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狭い道の多い旧市街への車の乗り入れをできるだけ減らそうとするコムーネの努力には頭が下がりますが、駐車場には数台の車しか停まっていないみたい・・・利用する人どのくらいいるのか、他人事ながら心配になりました。
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町を囲む城壁の起源はエトルリア時代まで遡ります。続いてローマ人。その後町の中心は774年にカール大帝により滅ぼされるまでロンバルド人によって支配されました。大聖堂が建っている辺りの丘を中心にした町はその後拡大を続け、それと共に城壁も何度も拡張されています。
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1317年建造のポルタ・ストゥッフィは16世紀にメディチ家が新たな城砦を築いたときに一旦閉鎖されますが、前述したように、観光客受け入れ及び車の乗り入れ制限のために最近になって町の新しい玄関として再オープンしました。
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再び大聖堂前に戻りました。ドゥオモ広場に立つ彫像は、メディチ家のフェルディナンド1世。16世紀終わりごろ、彫刻家ピエトロ・フランカヴィッラにより制作されました。正に、アレッツォを征服したフィレンツェのシンボル的な存在ですね。
フェルディナンド1世の父コジモ1世の時代にはアレッツォの町は彼に引っ掻き回され、町の重要な建物が壊されたりしましたが、フェルディナンド1世が継いだ後は、政治的にも経済的にも比較的平和で静かな日々が続きました。
フェルディナンド1世はわずか14歳で枢機卿になりましたが、のちにトスカーナ大公になると、見事な政治的手腕を発揮し、積極的な内政、外交に着手。なかでもマラリアによる伝染病を撲滅するために多くの湿地帯を埋め立て、肥沃な土地へと改良を行ったことで、一般市民からも大変尊敬されていたそうです。
最初この彫像を見たときは、いや〜。(征服者の像が)よく倒されないで残っていたなあ と思いましたが、彫像を建てられるにふさわしい人物だったんですね。 -
大聖堂から目と鼻の先には、パラッツォ・デル・コムーネ(市庁舎)の建物と塔があります。大変古そうな建物だなと一目見て感じましたが、1333年に建造されたプリオーリ宮(パラッツォ・デイ・プリオーリ)がその前身です。その先に見える塔は1337年に完成しました。
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勿論数え切れないほど何度も修復されています。16世紀末にはほとんど再建に近いほど手が加えられていますし、最後の大改修(1930年)時には、建物の内外の手直しが行われ、特にファサードと塔のてっぺんに見られる狭間胸壁が増築されました。
司教区博物館との間のリカーソリ通り(写真の建物の右端)沿いには、オリジナルの14世紀の壁が残っていて、前の旅行記で紹介したプレトリオ宮同様、古い石の紋章が沢山飾られていたそうですが、写真撮っていません。 -
市庁舎と名前が変わっても、この建物は常にアレッツォの最高行政機関であり続け、いまだに中世の執政長官の館時代の面影を残し続けているんですね。半世紀を超える市役所、町役場の建物を探すことが出来ないどこかの国の国民としては、羨ましい限りです。
横についている時計は15世紀に取り付けられたものです。 -
一部分は一般に開放されているそうですから、早速中に入ってみましょう。
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扉を入って、すぐ左側のニッチェの中にあったのは、アレッツォのキメラ像。1553年にポルタ・サン・ロレンティーノ(聖ロレンティーノ門)傍で発見されたエトルリア時代の芸術品の中で最も素晴らしいとされている青銅製の像です。メディチ家のコジモ1世のお気に入りで、勿論彼はフィレンツェに持ち帰り、本物は現在フィレンツェ考古学博物館に置かれています。
この像には、「原寸通りのコピーで、ジュリオ・ガルガーニ氏からの寄贈」と書かれていました。 -
廊下を進むと、16世紀に作られたロッジアのある中庭に出ます。1階のホール内部には、聖母子と聖ドナートを描いたサルヴィ・カステルッチのフレスコ画(1640年)、2階以上の部屋にも様々な石像、フレスコ、絵画(ジョルジョ・ヴァザーリの絵画も2枚!)があり、自由に見学が出来たそうです。事前の調査不足のため、見ることが叶いませんでした。残念!
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現在は窓ガラスが填められていますが、元々ロッジアは2階建てだったんですね。可能な限り、オリジナルの雰囲気を壊さないよう、苦心の跡が見受けられます。
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市庁舎前にあったネオゴシックの建物は、アレッツォ県庁。この1階のホールにも壁一面にアレッツォ歴代の有名人たちがフレスコで描かれていて、見学もできたそうなのですが、お役所だと思うと中に入る勇気がありませんでした・・・
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再度今は教区博物館になっている、元司教館パラッツォ・ヴェスコヴィーレの前に戻って、リカーソリ通りに面した窓を見上げると、面白いことに気が付きましたよ。
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だまし絵の窓です。一つだけじゃあありません。
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ほら! あそこにも! 全部で3か所発見しました。
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シンメトリーの配置にこだわったのでしょうか? 確かに窓がないとこの面はちょっと間が抜けたように感じるかもしれません。そうだとすると窓枠はいつ作られたのでしょうね?
司教館は1256年、当時の司教ウベルティーニの要請により建てられ、後の時代にこれまた何度も修復を行っています。だまし絵は修復の一部だったのかな??? -
リカーソリ通りを進んでいくと、右側にはアレッツォに来てから3軒目のアルベルゴッティ家の屋敷がありました。ファサードの部分は幅30mほどですが、奥行きが長く、背後には広大な庭園があります。
1799年にアルベルゴッティ家のアレッシオにより、同家の3番目の邸宅として建てられたネオクラシカル様式の「都市型住居」で、1800年代には両シチリア王国の王女マリア・カロリーナや神聖ローマ皇帝フランツ1世らがこの家に滞在しています。 -
リカーソリ通りはこの彫像にぶつかって、道が左に折れます。アレッツォは彫像の多い町ですね。今朝から何番目の彫像かしら?
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進行方向左側にあったこちらの建物は聖セバスティアーノと聖ファビアーノに捧げられた元教会。現在は国立博物館(MUNACS)の分館になっているようですが、この日は閉まっていました。
1591年に修道会カマルドーリ会がバルトロメオ・アンナマーティの設計により建造した教会で、簡素ながらキュートな鐘楼がアクセントになっています。 -
ファサードのニッチェにある状態の悪いフレスコには、聖セバスティアーノの姿を認めることが出来ました。右にいるのは、聖ファビアーノ。200年代のローマ教皇で、聖セバスティアーノとほぼ同時代に生きた殉教者です。二人とも記念日が同じ1月20日というのは偶然かしら?
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サン・セバスティアーノ元教会の前にあったこちらの彫像は、トスカーナ大公フェルディナンド3世です。大聖堂の前にあったフランチェスコ1世の時代(在位1574年 〜1587年)から150年後、メディチ家の血流は断絶。フェルディナンド3世の時代(1769年〜1824年)にはハプスブルグ家が代わってこの地を治め、ハプスブルグ-トスカーナ家と呼ばれていました。
父は神聖ローマ皇帝レオポルド2世で、母はスペイン王カルロス3世の娘。フェルディナンド3世もまた人々に愛された大公で、ナポレオンに国を追われた時代を除き、トスカーナのために心血を注ぎました。
ラファエッロの絵画の1枚に、「大公の聖母」と呼ばれる作品がありますが、これはフェルディナンドがこの絵をこよなく愛したことからついた名前だそうです。
画像はこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Raphael_-_Madonna_dell_Granduca.jpg -
フェルディナンド3世の彫像があった広場を右折してやってきたのは聖ドメニコ教会。こちらも駅前の観光案内所のお兄さんが、「チマブエの十字架は必見だよ!」と勧めてくれたスポットの一つです。
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一見するとロマネスクに見えますが、トスカーナ風のゴシック様式だそうです。鐘楼はロマネスク風ですね。
とても簡素なファサードです。と言うより未完成のままかもしれませんね。
トスカーナの名家ウベルターニ家とタルラティ家が資金を提供し、1275年から建造を開始しました。設計者はニッコロ・ピサーノで、14世紀に入ってから完成しています。 -
なんて嬉しいこと! 扉は開いていました。イタリアは北上するにしたがって、教会のお昼休みは短くなる傾向にあります。レッチェなんて17時になっても開かずにやきもきさせられましたっけ。
状態のあまり良くないルーネットのフレスコには、聖母子の両側に聖フランチェスコと聖ドメニコが描かれていました。ロレンティーノ・ダンドレア(1430年〜1506年)の作品だそうです。 -
よほど焦っていたのか、いつもならまずカウンターファサードから主祭壇に向けた写真を撮るのですが、ここではただの1枚も撮っていません。速攻で礼拝堂周りを始めたようです。ウーララ!
で、こちらは、フリーのサイトからお借りした写真です。単廊式で、フレスコを生かすために、全ての装飾を剥ぎ取りましたと言わんばかりのむき出しの壁、天井は木製のトラス構造、十字架以外に何も見当たらない主祭壇とその両側の小さな礼拝堂という、とても地味な雰囲気でした。
そうそう、窓枠のアーチの内側が黒と白のブロックで構成されていたのが特徴と言えば特徴かもしれません。 -
まずは、カウンターファサードの両壁に並ぶフレスコに釘付け・・・
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こちらはスピネッロ・アレティーノ作。描かれているのは十二使徒のうちの聖フィリポ(ピリポ)とアルファイの子ヤコブ。サンティアゴ・デ・コンポステーラでお馴染みの聖ヤコブ(大ヤコブ)と区別するために小ヤコブとも呼ばれています。
この二人はローマのサンティ・アポストリ教会(十二使徒の教会)で同じ場所に聖遺物が置かれていることから、二人ペアで登場することが多いそうです。そう言えば、サンティ・アポストリ教会は昼休みのために私が追い出された教会でした・・・関係ないか・・・ -
周りの4つの場面は彼らの生涯からの物語ですが、あまり知られていない使徒達なので、エピソードについては見ても良く分かりませんでした。
上の2枚はアレキサンドリアの聖カタリナの物語から有名な場面が描かれています。左は聖カタリナのキリストとの神秘の結婚、右はローマ皇帝がカタリナが皇帝との結婚を拒んだため、彼女を車輪に括り付けて殺そうとしたが、車輪がひとりでに壊れてしまった場面です。1395年〜1400年にかけての作品です。 -
カウンターファサードに向かって左側のフレスコは、スピネッロの息子パッリの「磔」。ひゃあ〜 キリストのつけている腰布が透明ですよ!!
左側にいるのは聖母と(顔が失われていますが)聖ニコラです。右側には聖ヨハネと聖ドメニコです。父親譲りの才能を受け継いだパッリは、フィレンツェでロレンツォ・ギベルティの弟子となり、アレッツォに帰還後はこの地で最も重要な画家の一人となりました。残念なことに彼の作品の多くは現存していません。パッリは1387年生まれなので、15世紀に入ってからの作品と思われます。
しかし、大胆な色遣いと筆遣いが見事ですねえ。 -
上の2枚は、聖ニコラの生涯の物語から、有名なシーンが2枚描かれています。左側は三人の娘のためにひそかに持参金を投げ込んだ、いわゆるサンタクロースの起源となったお話。右側は冤罪の三人の善良な市民のために、処刑人から剣を奪っている場面です。
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主祭壇に向かって右側の壁は、右端以外は状態の悪いフレスコが続きます。殆どのフレスコは14世紀から15世紀にかけて描かれたものだそうです。
1914年〜22年にかけて行われた大規模改修で、これらのフレスコは息を吹き返しました。カウンターファサードのフレスコの状態が良いのは、すっぽりと壁で覆われていたからなんですって! -
こちらはドラゴマンニ家の礼拝堂です。黒い柱が印象的な幕屋は1368年、フィレンツェの職人ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコにより作られたものです。ドラゴマンニ家だから紋章がドラゴンである! かどうかは定かではありませんが、先が尖った幕屋上部に彩色されたドラゴン?のペアがとても目を惹きます。
フレスコは、「博士たちと議論するキリスト」少年キリスト(中央の赤い服)が神殿で博士たちと議論を戦わせている場面が描かれていました。フレスコはルカ・ディ・トーメの作品です。 -
先が尖ったアーチの下に立つ聖人達。中央の美しい女性は、車輪を持っているからアレキサンドリアの聖カタリナとわかります。このフレスコがある場所も、ドラゴマンニ家の礼拝堂の一部だそうです。
プラデッラの3場面は想像不可! -
この大理石のモニュメントは、フレスコの一部を削って後の時代に作られたもののようです。こうなってしまうと、モニュメントを撤去しても、もうフレスコは元には戻らない・・・これ以上どうにもならないもどかしさを感じてしまうのは私だけでしょうか?
中央に白い尖塔がたくさんついた聖堂と両脇の天使達の美しさが際立っています。このフレスコもスピネッロ・アレティーノだそうですよ。 -
13世紀末の作と言われる葬送モニュメントです。フレスコの祭壇画は、ゴシック期の画家ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーラ派による聖母子と聖人達です。
石棺の主は、ヴォルテッラの司教ラニエリ・デッリ・ウベルタニ。この教会のパトロンの一人ですね。パトロンになる人は、まず自分の墓を確保するというのが定石。両側にドメニコ会の修道士が寄り添っています。ガーノ・ディ・ファツィオの作品で、トスカーナで初の寝姿の彫像だそうですよ。 -
イチオシ
またまた見つけてしまいました。スピネッロ・アレティーノの「受胎告知」です。制作年がわかりませんが、彼は1346年生まれで、1410年に亡くなっていますので、14世紀後半でしょうか? 調べたらスピネッロの息子パッリの作品だとしている学者もいました。まあ、いずれにせよスピネッロ親子の作品であることは間違いないみたいです。
聖母より大天使ガブリエルの美しさにぞっこんです。ちょうど窓からの光線が天使に当たっていて、白く輝いて見えました。「受胎告知」コレクションにまた1枚作品が加わりました(何の意味もありませんが テヘヘ・・・)。 -
小さな礼拝堂の後陣には、聖母子の石像が置かれていました。作者不詳ですが、1339年ごろからアレッツォの町にあった10の城門に飾られていた石像の一つだそうです。元々司教タルターニが依頼した石像であったため、こちらに移されたという話です。経年劣化も深刻な状態だったようです。
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長い間日に晒されて黒ずんでいますが、聖母は柔和な母の顔を見せてくれていました。
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床に墓を作れるのも、教会への寄付次第ということでしょうか?
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イチオシ
ジョットの親方と言われるゴシック期のフィレンツェを代表するチマブエ( 1240年〜1302年)の十字架が吊るされている主祭壇にやって参りました。実はチマブエについては名前以外は何も知りません。彼の代表作である壮厳の聖母(マエスタ)はウフィッツィ美術館が所蔵しているそうですが、昨年は1時間の駆け足だったため、見た記憶もございません。と言うわけで、初チマブエとのご対面です。
トスカーナの教会でよく見かけるタイプの十字架で、キリストの手の先には、共にうなだれている聖母と聖ヨハネの姿があります。十字架の上の丸い部分(トンド)に描かれたキリストは別の画家によるものと判明しました。 -
チマブエがこの十字架を制作したのは1260年〜65年にかけてのことと言われています。ということは、まだ教会は建築前あるいは建築中ということになりますね。この十字架はずっと教会にあって、1917年に初めて修復を行ったそうです。教会にはチマブエの作だという文書も記録もありませんでしたが、1907年に高名な美術史家のアドルフォ・ヴェントゥーリにより、初めてチマブエの作品であることが確認されました。
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特徴的なのはなんといっても胸に刻まれた筋肉でしょうか? キリストの肉体は苦痛のあまり左に折れ曲がって、彼の苦悩が見ている者に直に伝わってくるようです。まだまだビザンチン時代の特徴は残しつつも、リアリズムを大胆かつ知性的に取り入れた最初の画家の一人だったのでしょうね。
美術史をもっと古い時代から順番に見ていく必要があるなと強く感じました。なかなか時間が取れないのが現実ですが・・・ -
ボケた1枚ですが、フレスコとチマブエ以外で際立っていたのが主祭壇脇聖ヨハネの礼拝堂にあった三連祭壇画。ジョヴァンニ・ダーニョロ・バルドゥッチョの作品で、中央は大天使サン・ミケーレ、左側にはこの教会が捧げている聖ドメニコ、右側には聖パオロの姿がありました。
前の前の旅行記の聖フランチェスコ教会でも同じことを書いていますが、バルドゥッチョは1370年アレッツオ生まれの画家で、スピネッロ・アレティーノの弟子の一人でした。 -
主祭壇に向かって左側の壁にはジョヴァンニ・ダーニョーロ・バルドゥッチョのフレスコが並んでいました。こちらは「磔像」です。キリストの足元に熱心な寄進者の姿が見えます。
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続いて「受胎告知」。少々痛みが目立っていて、マリアの顔がはっきりしていないのが残念!
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その隣にも同じようなアーチ型の祭壇画が続いていますが、こちらもバルドゥッチョの作品とのことです。こんな細切れになってしまった作品を本人が見たら絶句しそうですね。聖母子の両脇の聖人も調べればどなただかわかりそうですが、深追いしないことにしましょう。
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アンジェロ・ディ・ロレンティーノ作とされる「玉座の聖母子」。1501年頃の作です。彼は15世紀末のアレッツォ生まれで、父親は、教会入口のルーネットのフレスコを描いたロレンティーノ・ダンドレアでした。
余談ですが、中世の時代のイタリア人は、貴族以外は苗字を持たず、ヴィンチ村から来たレオナルド(レオナルド・ダ・ヴィンチ)という呼び方をしたり、誰々の息子という言い方をしたりしたようです。上記の場合、父親はアンドレアの息子のロレンティーノ。息子はロレンティーノの息子のアンジェロ。スピネッロ・アレティーノの息子もスピネッロの息子のパッリ(パッリ・ディ・スピネッロ)という名になっていました。調べたわけではないので、詳細は分かりません。間違っていたら堪忍どすえ。 -
これが最後のフレスコです。アーチ型の祭壇画左側中程に複数の射手達の姿がありました。フレスコの中に射手を見ることはまれなので、もしこれがどなたかの殉教場面だとしたら、とても珍しい構図ということになります。
その下の二人の兵士のコスチュームも、極めてリアルに描かれていて、興味深く拝見。 -
最後にバラ窓のステンドグラスで、聖ドメニコ教会とお別れです。しっかりと抱き合っているお二人は、聖フランチェスコと聖ドメニコでした。
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聖ドメニコ教会横のバスティオーネ通りを進んでいくと、道は城壁にぶつかって左に折れていきます。小さな城門は、ポルティエルラ・ディ・ポッツォーロPortierla di Pozzolo。後で地図を見たら、先ほど訪れたポルタ・ストゥッフィから城壁沿いに歩けば、すぐにここにたどり着くことができたようです。
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途中見つけた可愛い表札は、アレッツォの市立保育園のものでした。
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そのまま、城壁沿いの道を歩くこと5分。現れたのは町の北西の角に当たるポルタ・サン・クレメンテ(聖クレメンテ門)です。メディチ家による城壁拡張工事の際に作られた4つの門のうち、一番北側の門で、16世紀の建造です。
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車道の横には、城壁をくり抜いて作った歩行者用のアーチがありました。
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城壁の外から見た聖クレメンテ門です。門の名前は近くにあった教会から名づけられたようですが、今ではもう存在していません。交通量の増加による道路の拡張に伴い、門は1833年には改修されました。城壁と比べてみると、石が新しいのが見て取れますね。
写真には写っていないのですが、写真のすぐ左側には1540年〜47年にかけて作られた外側に出張った胸壁があり、アレッツォの軍事拠点の一つになっていたそうです。 -
次に訪れたのは、ジョルジョ・ヴァザーリの家。中は博物館になっています。この門の左手にもう一つ扉があり、ブザーを押すと、中から人が開けてくれます。とても簡素なマニエリスム風の佇まいですが、彼の実家は裕福な商人だったそうです。
中に入り、受付を済ませ、これからいざ見学という時に、中から別の女性が走り出て来て何やら慌てた様子で受付嬢と話し出しました。そして、時間が未定だったテレビ局からの取材がこれから始まるので、申し訳ないが、1時間半後にまた来てほしい と言われてしまいました。まあ、仕方がない。ヴァザーリさんとはご縁がなかったようです。
解説板によると、ヴァザーリはこの家の設計、内装、家具に至るまですべて自分で手掛けたそうです。ヴァザーリの子孫は1687年、この家を慈善団体フラテルニータ・デイ・ライチ(グランデ広場にあった、あの美しい建物を所有する団体です!)に寄贈。1911年にそれをトスカーナ州が購入して、ヴァザーリと彼に関係するミケランジェロ、教皇ピオ5世、メディチ家コジモ1世他同年代の多くの芸術家たちの記録や文書の保管所兼博物館に作り替えたのです。 -
ヴァザーリは画家、建築家であると同時に美術史家でもあるので、ここに来る方は彼の絵や建物だけでなく、有名な「芸術家列伝」を読んだことのある、ヴァザーリについての造詣が深い方が多いのでしょうね。私なんぞの来るところではなかったのかもしれません。出直すといたしましょう。
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ヴァザーリの家の前の通り9月20日通りをなおも進んでいくと、遠くにクーポラと鐘楼が見えました。サンティッシマ・アヌンツィアータ教会です。
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途中にあった元教会 聖ロレンティーノと聖ペルジェンティーノ教会です。1363年創建の教会で、現在ある建物は1702年の再建。中央扉上にあるフリーズに美しいレリーフを見ることが出来ました。
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上の写真の教会のお宝パッリ・スピネッロ作の「天使と慈悲の聖母」は、現在こちらの国立中世・近代美術館に所蔵されています。上の教会からほんの2、30m離れた場所にある美術館です。ここも観光案内所のお兄さんお勧めの場所の一つだったのですが、この時点では大聖堂も見ていなかったし、今日は教会巡りをメインにするという目的があったので、後で時間があったら戻ってこようと場所だけ確認。
結局時間を作ることが出来ませんでした。 -
ぼろい祠だけれど、よく見たら、大聖堂にあった「慰めの聖母」じゃあないですか! 色が少し異なるけれど、大地震を止めてくれた、ありがたい聖母ですよ!
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まずは、先ほど見えたサンティッシマ・アヌンツィアータ教会に急ぎます。教会付属の建物のルーネットにあった「受胎告知」のレリーフです。
天使も聖母も跪いているのは珍しい! 背景の赤色だけまだ少し残っていますが、元々は沢山の色が使われていたのでしょうね。 -
続いてファサードの右の壁龕に現れた「受胎告知」。サンティッシマ・アヌンツィアータ教会です。ズバリ、受胎告知に捧げられた教会ですね。
1370年ごろのスピネッロ・アレティーノの作品です。聖ドメニコ教会にあった彼(あるいは息子パッリ)の「受胎告知」と構図、背景が似ていなくもありません。
教会が創建されたのが15世紀末と書いてあったので、このフレスコは、それより100年以上前に制作されたものということになります。14世紀に建てられた祈祷所の上に建てられたという話ですから、その祈祷所のファサードにあったフレスコなのでしょう。 -
サンティッシマ・アヌンツィアータ教会(またの名を「涙の聖母」教会とも言います)は、1490年にバルトロメオ・デッラ・ガッタの設計で建てられました。教会はその後1591年までかかって、アントニオ・ダ・サンガッロ(ヴェッキオ)が完成させました。
ここに教会が建てられた理由は、これまた奇跡が関係しています。前にピエヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の項で少し触れたのですが、聖クリストフォロと言う病院にあった聖母像が突然若い男性の前で涙を流したという「奇跡」が起こったためです。詳細は後程。
ファサードは、右側のフレスコ部分のある部分の建物を抱えるようにして建っていて、装飾は未完成のままです。 -
ファサード全景を写そうと、前の公園から撮ってみたのですが、木が邪魔してうまく写りませんでした。元々あった右側部分とうまく調和が取れた建物であるというところを写したかったのですが、トホホに終わりました。
中央窓の部分はルネッサンス様式のようですね。 -
内部は三廊式。白と灰色のみの穏やかな空間です。柱廊はアントニオ・ダ・サンガッロ(ヴェッキオ)の設計によるものです。
早速礼拝堂巡りです。 -
「アッシジの聖フランチェスコの幻視」はコルトーナ出身のピエトロ・ベッレッティーニ(ピエトロ・ダ・コルトーナ)の1641年の作品です。
ローマの教会や美術館で彼の作品を沢山見たことを思い出しました。バロック建築家としても有名な彼は生涯のそのほとんどをローマでの活動に充てています。 -
地球の〇き方にも載っていない、こんな小さな教会で、ピエトロ・ダ・コルトーナの作品に触れることが出来るなんて、街歩きの冥利に尽きます!
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こちらは、珍しいテラコッタ製の礼拝堂です。ルネサンス期のフィレンツェの画家兼彫刻家アンドレア・デル・ヴェッロッキオの弟子であるアーニョロ・ディ・ポロの1526年の作品です。
聖母子の左右には聖フランチェスコと聖ロッコがいますね。 -
どんな意味があるのかわかりませんが、オリーヴの葉っぱが描かれたフレスコ。中央のカギのかかる扉にもオリーヴの葉がデザインされていますよ。
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主祭壇にやって参りました。
中央にある白い服を身にまとった聖母が「涙の聖母」マドンナ・デッレ・ラクリメです。1385年生まれのその名の通りフィレンツェ生まれのミケーレ・ダ・フィレンツェによる1430年頃の作品です。その聖母は聖クリストフォロという病院(巡礼者の救護所を兼ねていた)に飾られていました。
1490年2月に、ルルドに巡礼に行って帰ってきたばかりの若い旅人が祈りを捧げていたところ、この聖母が急に涙を流し始めたのだそうです。この奇跡がきっかけとなり、この教会が建てられたというわけです。
主祭壇は1600年頃に、ベルナルド・ブオンタレンティによって製作されました。 -
イチオシ
「えっ 何かの見間違いじゃあないの?」 なんて誰も言わないで、教会まで建ててしまうんですから「奇跡」の力は恐るべしです。
テラコッタに彩色されたこの像の聖母は、まだあどけなささえ感じられる若い女性に見えますね。 -
マリアと天使の位置が定番ではないこちらの「受胎告知」は、1625年、マッテオ・ロッセッリの作品です。大胆な構図が新鮮に映りました。対峙する二人の姿よりこちらの絵の方が「神のお告げ」を受けているという気にさせられます。
この絵は二度修復されていて、絵の前に、その修復の歴史に関する説明書きがありました。 -
一風変わった構造だなと思ったのは、こちらの聖人達を描いた祭壇画がある礼拝堂です。中央にニッチェがあって、聖母子の胸像がはめ込まれています。絵画はP.カステルッチの1690年の作品だそうです。
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所々剥げてしまっていて状態はあまり良くないのですが、教会のお宝の一つジョルジョ・ヴァザーリの「十字架降下」です。1529年といいますから、ヴァザーリの25歳頃の作品になります。彼はマニエリスム期の画家と呼ばれていますが、年代的にはちょうどルネサンスからバロックへの移行期に当たります。
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マニエリスムでは誇張的な模倣や曲がりくねったり、引き伸ばされたりする人体表現が良く使われていて、この絵に置いても、人物の筋肉の描き方などにその特徴を見ることが出来ます。
左端手前の背中を向けている兵士を見ると、その意味が良く分かりますね。
ヴァザーリは生涯に2度、「十字架降下」を描いています。もう1枚はフィレンツェの東50kmほどの山間にあるカマルドーリ会修道院にある作品で、そちらは1540年頃の作品です。2枚を見比べてみると、結構面白いですよ。 -
なぜか身廊と側廊を仕切るアーチの右半分にのみ描かれていたフレスコは、ペルジーノの弟子ニッコロ・ソッギ(1471年〜1551年)の「オッタヴィアーノとシビュラ」です。1527年。
オッタヴィアーノってアウグストゥスのことかしら? 彼の隣にいる巫女シビュラが指さしているのは聖母子の幻視でしょうか? このフレスコに関しては資料が見当たらず、クエスチョン・マークがいっぱいです。 -
聖フランチェスコ教会、大聖堂のバラ窓で御馴染となったギョーム・ド・マルチラのステンドグラスを、ここでも見ることが出来ました。聖母を中心に下にいるのは12人の使徒達です。珍しく、ただ突っ立っているだけでない、動きのある生き生きとした使徒たちが描かれていました。
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蛇足ながら、この教会は慈善団体サンティッシマ・アヌンツィアータ会が母体となっているのですが、大変懐が豊かな団体なのだそうです。あまり観光客も訪れないような小さな教会ですが、パンフレットはある、解説は充実していると、受け入れ態勢ばっちりでした。アレッツオに来てから5つ目の教会ですが、1つとして外れなし。すべて充実した内容で、生きた美術館となっていました。
長くなりましたので、この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その69 アレッツォ4で!
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この旅行記へのコメント (4)
-
- マリアンヌさん 2016/07/29 12:40:21
- アレッツォ散策
- こんにちわ〜♪
エスカレーター出来たんですね。
最初、あれ〜あったかな?と驚きました。
いつものようにアレッツォの街を隈なく散策されて、一緒に楽しませていただいています。
聖ドメニコ教会もフレスコ画が素晴らしいですね。
そしてサンティッシマ・アヌンツィアータ教会、素敵ですね。
行ってみたかったんですが、時間がなくて行けなかった教会です。
アレッツォはエトルスキの街だし、骨董市も定期的にかなり大規模に開催されるので、いつかゆっくり再訪してみたいです。
一度だけ旅程と骨董市が重なったのですが、初めて一緒にイタリアを旅した友達の支度が思いのほかすご〜くかかって(朝起きて朝食まで3時間くらい)私の好きな骨董市散策時間が少なくなり涙ものだった思い出があります。
では、また。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/07/29 22:15:24
- RE: アレッツォ散策
- こんばんは マリアンヌさん
とうとう梅雨が明けて暑くなってきましたね。
マリアンヌさんの旅行記を読みながら、いつか行きたい場所をピックアップしています。ヴェネツィアからトリエステの海岸伝い、モザイクが沢山残っていて、魅力的ですね。交通の不便な場所にも随分と行ってらっしゃるので感心しました。公共交通機関で行けない場所は縁がないと思っていましたが、考え直さないといけないかしら!
アレッツォは見どころ満載の場所、聖フランチェスコやドゥオモが終わり、貧相な内容になってしまったのではと心配していました。性格的に断捨離が出来ないらしく、いつまでたっても整理のつかない引き出しのような旅行記になりつつあります。自己満足のみで続けていって、良いのかななどと考えたりします。
骨董市のことは知りませんでしたが、雰囲気の良い骨董品を扱うお店が何軒もあったのは覚えています。掘り出し物は見つかりましたか? マリアンヌさんの雰囲気にぴったりの、あの表紙のお人形さんは、どこかの骨董市で求められたものなのかなとふと思ったりしました。
またのおいでをお待ちしております。
junemay
> こんにちわ〜♪
>
> エスカレーター出来たんですね。
> 最初、あれ〜あったかな?と驚きました。
>
> いつものようにアレッツォの街を隈なく散策されて、一緒に楽しませていただいています。
> 聖ドメニコ教会もフレスコ画が素晴らしいですね。
>
> そしてサンティッシマ・アヌンツィアータ教会、素敵ですね。
> 行ってみたかったんですが、時間がなくて行けなかった教会です。
>
> アレッツォはエトルスキの街だし、骨董市も定期的にかなり大規模に開催されるので、いつかゆっくり再訪してみたいです。
> 一度だけ旅程と骨董市が重なったのですが、初めて一緒にイタリアを旅した友達の支度が思いのほかすご〜くかかって(朝起きて朝食まで3時間くらい)私の好きな骨董市散策時間が少なくなり涙ものだった思い出があります。
>
> では、また。
> マリアンヌ
- マリアンヌさん からの返信 2016/07/30 07:30:22
- RE: RE: アレッツォ散策
- junemayさん、いつもお返事ありがとうございます。
アクレイアやグラードは、バスでしか行けませんが、是非いらして下さい。
イタリアのバスは、私的には割と時間どおり来ます。
(田舎が多いから本数が少ないからか?)
トリエステの駅の隣のバスの切符売り場で先に乗車券を購入して行きました。
グラードからミラマーレ城は、景色も良くて楽しかったです。
それからドゥオモだけでなく、小さな教会も教えていただけると私のようなものには、楽しみであり嬉しいです。
行ってみたいところは、たくさんあり全部行けるわけではないし、現時点では短期旅行しかできないので、つい端折った街歩きしかできないのが心残りなので。いつも一度行ったことのがある街でも新鮮な気持ちで拝見しています。
骨董市は、そこに日程を合わせるわけにはなかなかいかないので、出会うと喜びです。トリエステ方面へ出かけた時は、チヴィダーレとラストのヴェネツィアで骨董市に出会え、ラッキーでした。
想い出に小物を買いました。
プロフのジュモー人形は、マリアンヌと名付けてるのですが、日本で購入しました。人間同様?可愛い子は、高くてもサッと売れるもので手に入れるまで大変でした(笑)
では、また。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/07/30 22:44:44
- RE: RE: RE: アレッツォ散策
- マリアンヌさん こんばんは
心強いお返事をありがとうございます。
学生時代以来ドイツに行ったことがなく、今度はドイツかな?と思っていたのですが、テロの心配がいつもあって、二の足を踏んでいます。まだ具体的にいつという段階ではないのですが、お教えいただいたアクレイアやグラード、そしてツアーの早足で駆け抜けたクロアチアに足を伸ばしてみたいと思っています。自由時間が30分とか1時間だと、私の場合欲求不満になってしまいますので。
昨年のイタリアは後残すところ10日なので、何とかマイペースで仕上げるつもりでおります。これからも応援よろしくお願いいたします。
ジュモー人形 下手すると1回の旅行より高いものなんですね。物にはあまり興味のない私ですが、骨董市やガラクタ市を歩いて回るのは大好きです。マリアンヌさんの分身のような存在のお人形、とてもインパクトがあります。
いろいろ教えて下さってありがとうございました。
junemay
> junemayさん、いつもお返事ありがとうございます。
>
> アクレイアやグラードは、バスでしか行けませんが、是非いらして下さい。
> イタリアのバスは、私的には割と時間どおり来ます。
> (田舎が多いから本数が少ないからか?)
> トリエステの駅の隣のバスの切符売り場で先に乗車券を購入して行きました。
> グラードからミラマーレ城は、景色も良くて楽しかったです。
>
> それからドゥオモだけでなく、小さな教会も教えていただけると私のようなものには、楽しみであり嬉しいです。
> 行ってみたいところは、たくさんあり全部行けるわけではないし、現時点では短期旅行しかできないので、つい端折った街歩きしかできないのが心残りなので。いつも一度行ったことのがある街でも新鮮な気持ちで拝見しています。
>
> 骨董市は、そこに日程を合わせるわけにはなかなかいかないので、出会うと喜びです。トリエステ方面へ出かけた時は、チヴィダーレとラストのヴェネツィアで骨董市に出会え、ラッキーでした。
> 想い出に小物を買いました。
>
> プロフのジュモー人形は、マリアンヌと名付けてるのですが、日本で購入しました。人間同様?可愛い子は、高くてもサッと売れるもので手に入れるまで大変でした(笑)
>
> では、また。
> マリアンヌ
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