2015/05/27 - 2015/05/27
24位(同エリア77件中)
junemayさん
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- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 192,970アクセス
- フォロワー41人
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会を出て、右方向に向かいます。まずは、目の前に現れた古い塔を見上げます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1305年に建てられたビガッツァの塔の隣には、最上階の窓の周りにフレスコが描かれている宮殿、パラッツォ・カマイアーニ・アルベルゴッティ。ゲルフ派(教皇派)だったアレッツォの貴族カマイアーニ家、サッソーニ家、アルベルゴッティ家の屋敷が後に一つに合わさって、そう呼ばれるようになりました。
アレッツォは、13世紀ごろからゲルフ派とギベリン派(皇帝派)が2大勢力となって、お互い激しく対立します。ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会はギベリン派の牙城だったので、ほとんど向かい合わせの場所で争っていたことになりますね。やがてギベリン派が断然優位に立ちますが、今度はギベリン派内に内部分裂が起こります。中世の時代のアレッツォは、こうして一時期を除き、権力争いに明け暮れた結果、14世紀にフィレンツェに併合され、自治都市としての自由も失うことになります。 -
上の写真で見えるのは、建物の14世紀に建てられた部分。
宮殿は現在国立の資料館になっているそうなので、ちょっと寄ってみましょう。この入口から中に入ると・・・ -
中庭とロッジアがありました。ここは16世紀に改修されたところだそうです。アーチの形がゴシック様式ですね。フレスコが残っていましたが、暗いのであまりよく見えませんでした。
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中庭から建物の2階へと続く階段のところまで来ると、アーチの下の素晴らしい装飾が目を惹きました。
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階段の踊り場の壁にあったフレスコです。下の部分には樹木と女神たち? 中央の丸い部分に描かれていたものは残っていませんでした。その上には、果実をつけた樹木と枝からなる長いフリーズが壁を一周していました。
流石に階段を上っていくのは憚られたので、ここから引き返します。 -
コルソ・イタリア通りからアルベルゴッティ通りを曲がると、今度は建物の庇の下にこんなフレスコが! 階段を上り下りする人が濡れないよう取り付けられた庇がこんなにおしゃれだとは!
こちらはイタリアで一世を風靡したアールヌーヴォーの画家でありデザイナー、陶芸家、装飾家であるガリレオ・キーニ(1873年〜1956年)の描いた寓意像だそうです。 -
とても素晴らしかったので、3枚ともお見せします。1904年にわずか4日間でこの三枚を完成させたそうです。
プット達が行進する左側の1枚は、20世紀初頭のアレッツォの産業を表しているのだそうです。この当時はまだ農業が主な産業の一つでした。たわわに実った果物や野菜が見えますね。 -
中央の1枚です。
真ん中のメダリオンに描かれているのは、まず上にある黒い馬=アレッツォの紋章。その下=カドゥケウスと呼ばれるギリシャ神話のヘルメスが平和の象徴として持っていた杖です。杖には翼があって、その下には2匹の蛇が巻き付いています。ここではそれに追加して、果物がたくさん詰まったホーン(つの)も描かれていますね。カドゥケウスの杖は所有者を守ると言い伝えられているので、屋敷の守り神的存在でしょうね。
左の方のプットは司教杖を持っています。右の壺はどういう意味かな? 神の子羊もいますよ。宗教的な意味もありそうです。 -
向かって右側は女の子のプットが多いなあ。最初の1枚同様、果物で作ったリースを牛の助けを借りて行進中です。中央の女の子は大きなトレイに山盛りの果物を見せていますよ。アレッツォは果物の産地なのかなあ・・・
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これはパラッツォ・カマイアーニ・アルベルゴッティとアルベルゴッティ通りを挟んだ対面の屋敷(こちらもアルベルゴッティ宮殿の一部らしいです)の中央扉のルーネット部分にあった「馬に乗った騎士像」です。右側には天使の姿があります。馬は左にいる動物に驚いている様子。
「聖ゲオルギオスと黄金伝説(聖ジョージのドラゴン退治)」でしょうか? -
右側には、アレッツォの生んだ一番の有名人ジョルジョ・ヴァザーリの設計によるパラッツォ・デッラ・ロッジェ 回廊の宮殿が現れましたよ。
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こちらがジョルジョ・ヴァザーリのレリーフです。その下には「ジョルジョ・ヴァザーリへ 国家への愛情と誇りを込めて 1911年」という碑文がありました。
無数の落書きは許せませんね。 -
フィレンツェに併合された後のアレッツォは抑圧された時期に入ります。反乱と鎮圧が繰り返され、またペストの流行で町は寂れていきました。この先にある現在のグランデ広場の高い側のあった市庁舎(パラッツォ・トッレ・ロッサ)と町の民兵司令官の館(パラッツォ・デル・ポポロ)は1593年にフィレンツェのコジモ1世の命令で破壊されていました。回廊の宮殿はぽっかりと空いた広場の北側を覆い隠すように、1572年からヴァザーリの指揮の元、工事に取り掛かります。
ヴァザーリは翌々年の1574年に亡くなりましたが、引き継いだアルフォンソ・パリジが1595年に完成させました。 -
回廊の一番端にあった町の守護聖人聖ドナートのフレスコ。設置されたのは1985年だそうなので、フレスコは最近の作と思われます。
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回廊を進むとじゃ〜ん! 中世の佇まいのままのグランデ広場に出ます。グランデといってもちっとも大きくありません。私にはシエナのカンポ広場の半分くらいの広さに思えました。イタリア一美しいと形容する人もいますが、個人的にはシエナには負けているかなと思います。緩やかにカーブしているところは似ていますね。形はちょっといびつな台形をしています。
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こちらの方向は、グランデ広場の南東側で、13世紀から18世紀の建物を見ることが出来ます。左側のトスカーナ風の塔のある屋敷はパラッツォ・ラポッリで13世紀の建物。ファサード中央に木製のバルコニーがあるのが特徴です。塔は18世紀に一時隣の屋敷の高さまで低くされましたが。20世紀になって、元の高さに戻しています。
右側はパラッツォ・コファニ−ブリッツォラーリ。こちらは14世紀の建造で二つの建物が合体したもの。隣の塔は13世紀のファッジョラーナの塔です。上層階は15世紀に建て増しされたそうです。 -
そしてこちらは北西側です。ヴァザーリの回廊宮殿と通り1本隔てた角にあるこちらの時計台のあるのはパラッツォ・デッラ・フラテルニータ・デイ・ライチ 長いなあ〜 慈善団体の建物です。救世軍と似たような団体かと思われます。
建物はゴシックとルネッサンス様式の混合で、1375年から1460年にかけて建てられました。 -
下層部分は14世紀のゴシック様式。中央扉とその両側の窓のある部分です。フィレンツェからやってきたバルディーノ・チーノとニッコロ・ディ・フランチェスコの作品。美しいレリーフのあるエンタブラチュア、ティンパヌム、両側の窓の両側に並ぶらせん模様の付け柱。ただただ美しい・・・・
中央扉上のルーネットのフレスコは、1395年にアレッツォの有名な画家の一人スピネッロ・アレティーノが描きました。 -
あまり良い写真ではありませんが、左端にレリーフの一部が見えます。中は博物館になっていました。
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上層部分は、1433年〜1460年にかけて、これまたフィレンツェ出身のベルナルド・ロッセッリーノによる設計により工事が続けられました。
中央のニッチェには「慈悲の聖母」マドンナ・デッラ・ミゼルコルディア、左側には聖ドナート、右側には福者に列せられた教皇グレゴリウス10世の彫像が並びます。教皇は1276年、アレッツォで病死しています。これらの像は、ジュリアーノ・ダ・セッティニャーノによる作品です。「慈悲の聖母」は救世軍のような組織にはまさにぴったり! ウンブリア各地で目にした、悪い病気が流行する時代によく描かれたと言われている聖母像です。
その上の小さな柱の並ぶ回廊がいかにもルネサンス様式ですね。こちらはジュリアーノとその兄弟アルゴッツォの作品です。ベリッシモ! -
もう一度美しい全体像をご覧ください。
そうそう、忘れていました。背後から顔を出している時計塔の時計はとてもユニーク。何本かのロープとそれに吊るされた石の重りで動く仕掛けだそうです。今でももちろん現役。建物の中の博物館に入場すれば、その仕組みを見学できますよ。
肉眼でははっきりと見えませんでしたが、外側の時計の短針には太陽のマーク。内側の月暦には月のマークがついているみたい。1552年時計職人のフェリーチェ・ダ・フォッサートの作です。 -
フラテルニータ・デイ・ライチの左隣にあるのは、パラッツォ・トリブナーレ。フランチェスコ・チェロッティの設計で建てられた元裁判所の建物です。こちらは18世紀の建造だそう。半円形をしている建物正面前の階段も同じく18世紀後半に作られました。なんて優雅な階段なんでしょう!
その先には、一つ前の旅行記で紹介した、ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の半円形の後陣が見えています。 -
元裁判所前のテラスに沿って進むと・・・
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こんな風にその姿を現します。完璧なシルエットですね。
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広場にはあと三つ気になるものがありました。
こちらは15世紀の屋根付きの井戸です。毎年6月に開催されるアレッツォ名物「サラセン人の馬上槍試合(Giostra del Saracino)」はこの井戸が出発点です。軍事訓練の一環として誕生したこの中世の騎士達による槍試合は、1535年に始まったそうです。 -
二つ目はこちら。丸い石柱の上に丸いポールがついています。何か謂れのあるものだと思ったのですが、調べても出てこない・・・
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三つめはピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会後陣前にあるこちらの噴水です。16世紀半ばに用水路が整備され、いくつかの製粉所(傾斜のある場所で用水路に水車を並べ、水力で石臼を回すローマ人由来の伝統技術です!)を経由してこの広場まで公共水道が伸びたことを記念して作られました。
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かなりの傾斜のある広場なので、見下ろす時よりも見上げた方が余計に狭さを感じてしまいます。
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最後にヴァザーリの回廊の宮殿です。この回廊のあるおかげで、広場は大変引き締まった印象に変わったそうです。回廊がなかった時のことを考えると、ヴァザーリの美的センスに感嘆せざるを得ません。
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グランデ広場の周りにはレストラン、お土産物屋さん、アンティークや陶芸を売るお店がひしめいていました。
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こちらはテラコッタを売るお店。日時計のようなものが沢山並べられていますね。右下の黄色のパネルは何でしょう? 東西南北が描かれているようですね。ボロボロなんですけれど・・・
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これらを見ていると、どうやってテラコッタに彩色し、釉をかけて焼くのかが少しわかったような気になります。
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再び、ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の後陣そばを通って、今度はドゥオモ方面に向かいます。
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ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリアとパラッツォ・カマイアーニ・アルベルゴッティを通り過ぎると、程なくこちらのパラッツォ・プレトリオに到着です。14世紀に建造され、16世紀に再建、1933年から34年にかけて全面的に改修工事がなされました。
ビックリさせられるのは、ファサードの壁のあちこちにあるおびただしい数の石の紋章です。 -
1434年以降、この町を治めたフィレンツェのポデスタ(執政長官)、軍将校らの紋章だそうです。
こちらも元々はロドメーリ家、サッソーリ家、アルベルゴッティ家の屋敷が合わさった建物の一部だそうで、15世紀半ば以降は法務官事務所として裁判所、刑務所として使われていました。
刑を言い渡されても、そのあと移動する必要がないんですから便利でしたよ! と解説には書いてありました!? 1959年以降、この建物はアレッツォの公共図書館となっています。 -
建物の前の坂道をえっちら上っていくと、大聖堂(ドゥオモ)のかわいらしい鐘楼が見えて来ます。
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坂の途中の公園では、静かに草を食んでいる動物たちの姿が・・・ヤギかなあ・・・
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やっと丘のてっぺんに到着です。道の向こうにアレッツォ市庁舎の塔がちらっと顔を覗かせています。
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そしてこちらが大聖堂です。丘の最高地点に建っていますので、どの方角からアレッツォに近づいても目にすることが出来る建物です。エトルリア時代にはアクロポリスがあった場所で、御多分に漏れず、その跡にできた原始キリスト教会の上に建っています。
1276年、この町で死去した教皇グレゴリウス10世が遺した遺産を元手として大聖堂の建設が始まりました。教皇派と皇帝派の争いに巻き込まれ、工事はたびたび中断、完成したのは1511年と200年以上かかっています。 -
大聖堂の最初の鐘楼は建物の一部として建てられていたため、ベルの強い振動が後陣のステンドグラス(写真の左側に見えています)に伝わり、窓を震わせ、長年危険視されてきました。そのため、建物から離して新しい鐘楼を構築することを決断。
こうして六角形の鐘楼が1858年にルイジ・メルカンティのデザインにより再建されました。先端部分の尖塔は1937年にジュゼッペ・カステッルッチの設計で追加されたものです。 -
大聖堂を取り囲むようにしてある広いプラト公園の先まで行き、城壁から外の町を眺めます。今日も時折にわか雨が降る天気ですが、幸い視界が開けて、かなり遠くの山まではっきりと見渡すことが出来ました。
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城砦伝いに下に降りていく遊歩道がありました。ここに来て初めて、アレッツォが城壁に囲まれた町なんだと実感した次第です。
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城壁側から見た大聖堂です。後でわかりますが、右側手前の建物は、18世紀末にある奇跡がきっかけとなって建てられた大きな礼拝堂です。
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現在時刻は午後1時半。大聖堂はお昼休みに入っています。中は後で入るとして、ファサードだけでも見ていきましょう。
ずっと未完のままだった古いファサードに替わり、新しいファサードが作られたのは20世紀に入った1901年から14年にかけてのこと。ダンテ・ヴィヴィアーニが設計し、ネオ・ゴシック様式で作られました。装飾や彫刻を手掛けたのはヴィヴィアーニ他ジュゼッペ・カッシオーリ、エンリコ・クワットリーニらで、中央扉上の5体の彫像が特徴的です。中央には救世主キリスト像、左側には聖ドナート、右側には聖ピエトロの姿がありました。 -
こちらは向かって左側の扉。20世紀の建造のためか、ルーネットに描かれたレリーフについての解説が見当たりません・・・
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向かって右側の扉です。こちらのルーネットにも滑ってひっくり返っているように見える聖人の姿が描かれているのですが、物語を探すことが出来ませんでした。残念です。
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ファサード全体です。バラ窓は古くからあったようですが、ファサード部分に関しては作り直されたようですね。
ファサードをよ〜く見ると、使われている石(砂岩だそう)下の方は大きくて角が揃っているのに対し、上の方の石は崩れたり、小さかったりしています。石の継ぎ目を見ていくと、1901年以前のファサードとの境目がわかるかもしれませんね。
このファサードの右側壁にある扉に14世紀のロマネスク・ゴシック様式のレリーフのあるルーネットがあったとのこと。ファサードに向かって左側の公園を抜けてきたので、どうやら見逃してしまったようです。
実際には大聖堂には後刻入場したので順番は異なりますが、ここでは続けてこのまま内部を紹介させていただきますね。 -
中に入りました。大聖堂は聖ドナートと聖ピエトロに捧げられています。三廊式で、奥に見える後陣のステンドグラスは15世紀のものです。前述した鐘楼の鐘の振動が伝わり、ブルブルと揺れたという、あのステンドグラスです。
すぐにゴシック様式特有の高い、フレスコで覆われた天井が目に入りました。身廊はクロスヴォールト5つ分の長さがあり、翼廊はなく、長方形に外から見えた大きな正方形の礼拝堂がくっついたような形をしていました。 -
カウンターファサードから右側廊へと向かいます。のっけからどなたのお墓だかわかりませんが、胸像の背後の赤い色に魅せられます。良いなあ。この雰囲気!
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1276年にフランスから帰国の途中、アレッツォで亡くなった教皇グレゴリウス10世の墓です。彼が遺した莫大な遺産の一部はこの大聖堂を建てるために使われました。
グレゴリウス10世は名門ヴィスコンティ家出身。自身が教皇に選出される際に3年の月日がかかったコンクラーヴェを見直し、枢機卿達が教皇が選出できるまで外に出るのを許されないという現行の制度に改めた人だそうです。
レリーフの美しい墓ですね。石棺部分の5つのアーモンド形の中には中央に神の子羊、左右に四人の福音記者達が並んでいます。尖塔部分には、教皇自身の胸像が見えます。 -
数少ないですが、フレスコも残されていました。
ここにはアーチの中にフレスコの断片が見えました。無秩序に右側に新しい祭壇が作られ、アーチが不完全な状態となっています。「玉座の聖母子と聖人達」を描いたのは、14世紀前半に活躍したフィレンツェ出身の画家ブォナミーコ・ブッファルマッコです。彼は元祖夜型人間で、夜明けとともに眠りについたんですって! -
こちらの礼拝堂には、中央に聖母子。その周りに聖クリストフォロと聖ヤコブの生涯からの6つの場面のフレスコが描かれていました。聖クリストフォロはローマ皇帝デキウスの時代の殉教者です。こちらのフレスコの作者はわかっていませんが、制作は14世紀後半だそう。
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左端のフレスコに注目! 全身に発疹が出ている聖人は聖ロッコかな?
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右身廊端にあったサクラメント礼拝堂の背後の壁には、18世紀から19世紀にかけての画家ジュゼッペ・セルヴォリーニのフレスコで、左「キリストの磔」、右「この人を見よ」が描かれています。
聖体の祭壇はバロック様式ですね。 -
中央のステンドグラスには、上段に救世主、下段に聖ドナートの姿がありました。解説がありませんでしたが、ステファノ・ボプロニーニの作と思われます。
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続いてステンドグラス登場です。大聖堂のヴォールト天井のフレスコと、身廊内(主に右側廊)にある7枚のステンドグラスの作者は、フランス人画家でガラス職人のギョーム・ド・マルチラ。
覚えていらっしゃいますか? 聖フランチェスコ教会のバラ窓のステンドグラスを作ったアーチストです。忘れた方は一つ前の旅行記の表紙写真をご覧くださいね。彼は、ローマで教皇ユリウス2世とレオ10世の時代にヴァティカンやサンタ・マリア・デル・ポポロ教会などで活躍。1519年にアレッツォにやって来て、大聖堂と聖フランチェスコ教会で仕事をし、1529年アレッツォで亡くなりました。
中でも一番有名なこちらのステンドグラス「キリストの洗礼」は1519年の作品です。 -
こちらは、同じくマルチラの「聖マタイの召命」マタイはイエスの召命に応えて弟子となったとされています。カラヴァッジョの絵でも有名ですね。1519年〜21年。
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「キリストと姦婦」、このエピソードは「ヨハネによる福音書」の第8章に描かれているそうです。大罪だった女性の姦通について、イスラエルの律法学者がキリストに尋ねた時の場面が描かれています。
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一部分がちょん切れてしまいましたが、4枚目「ラザロの復活」。左側下に生き返ったラザロの姿が見えています。このステンドグラスを正面から撮れる場所はないようで、苦労しました。
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ファサード正面の中央にあったバラ窓のステンドグラスもマルチラの作品。聖フランシスコ教会のそれほど有名ではないですが、こちらの「ペンテコステ(三位一体)」も人物像がマルチラ独特のタッチで生き生きと描かれていました。
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マルチラと言えばステンドグラスのイメージが強いのですが、こちらは、彼がサルヴィ・カステルッチと共に描いたヴォールトのフレスコです。写真何枚も撮ったのですが、どれ一つボケていないものはなく、満足なものはありませんでしたのでご容赦ください。このクロスヴォールトが5枚続く身廊は壮観でした。
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聖域辺りからカウンターファサード方面を撮った1枚です。
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教会に入ると必ず探してしまう説教壇。大聖堂の説教壇も、色とりどりの中央が膨らんだ(エンタシス? 法隆寺などで見られる建築方法です)列柱で支えらえた格調高いものでした。マルケ州の職人が15世紀後半に制作したものだそうです。
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反対側にももう一つありました。なんて美しいシルエットなんでしょう!
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聖域に入ると、またしてもこの後陣に立ち並ぶステンドグラスに圧倒されます。マルチラの作品にはきちんと解説があるのに、こちらのステファノ・ボプロニーニが作った一番目立つ場所にあるステンドグラスには、何の説明もありません。
中央の2枚は聖母被昇天の場面のようです。左右の4枚にはずらりと並んだ聖人達。圧巻ですね。 -
そして、主祭壇にあるのは、大聖堂が捧げている聖人の一人聖ドナートの石棺です。
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手前が1298年の作と言われる大聖堂の主祭壇。柱に支えられた尖ったアーチの連続模様がその三方に彫られています。そして後方に、トスカーナの職人達の手による純白の大理石製の、聖ドナートの墓が置かれています。こちらは1362年の制作です。聖ドナートはアレッツォの司教だった人で、363年に殉教しています。
ここに置かれているのは彼の肉体部分のみで、頭の部分はアレッツォの教区教会の聖遺物箱に収められているんですって! また、ヴェネッツィアのムラーノ島にある聖マリアと聖ドナート教会にも彼の聖遺物の一部が収められているとか・・・
1384年には、フランス人の傭兵隊長がアレッツォを襲い、聖人の頭を盗んでアペニン山脈を越え、エミリア・ロマーナ州のフォルリの町までそれを運んだそうです。フォルリの町の執政官はアレッツォに頭が返還されるまで、大切に扱ったということですが・・・どうも、肉体をいくつもの部分に切断してしまうその神経は理解しかねます。 -
聖ドナートの墓表側中央をズームしてみます。中央部分聖母子のレリーフを制作したのはジョヴァンニとベットのフランチェスコ兄弟です。
透かし彫りが多用されていて、レース編みのように見える部分がありますね。隙間から太陽の光が差し込んで、実際は写真よりずっと素晴らしかったです。 -
墓はご覧のように12本の列柱によって支えられています。先頭部分はゴシック様式の尖塔や聖人像になっていて、この部分に関してはシエナ、フィレンツェ、アレッツォのアーチストが共同で作り上げています。
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反対側には、聖ドナートの生涯からの場面がレリーフとなっていました。恐ろしく手が込んでいます。362年に亡くなった方の生涯って殆ど伝説の世界でしょうね。
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最後の面はこちらです。どの方向から見ても、完璧な美しさを誇っていました。
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背後から石棺の内部が覗けるようになっていました。頭なしの肉体がここで眠っています! 当方としては、肉体が自分の首を探しているんじゃないかと気が気ではありません。
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尚も大聖堂内を歩きます。高い場所から見下ろしているお方は聖ドナートでしょうか? 可愛い・・・って失礼?
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主祭壇の左隣にあったのは聖シルヴェストロの礼拝堂です。ここにも、ジュゼッペ・セルヴォリーニのフレスコが祭壇後ろに描かれています。左側は5世紀の聖人でローマ教皇のレオ1世。右側も同じく5世紀の教皇で聖人ヨハネス1世です。
中央のステンドグラスはギョーム・ド・マルチラの最初の仕事とされていて、聖スルヴェストロと聖ルチアが描かれています。ウィキメディアにはステファノ・ボプロニーニの作と書かれていましたが、多分間違いでしょう。 -
聖シルベストロに捧げられた礼拝堂ですが、置かれている棺は、大聖堂に入って最初の方にあった、アレッツォで亡くなった教皇グレゴリウス10世だそうです。彼の「肉体」は一体どちらにあるんでしょうね。まさか! また、頭と肉体がバラバラ・・・てことはありませんよね。
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聖シルヴェストロの礼拝堂のヴォールトには、マルチラによるフレスコ チャリティの寓意像が描かれていました。やっと綺麗に撮れたと自分では思っています。本当にど下手(泣)・・・
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こちらのモニュメントは、1327年までアレッツォの領主だったタルラティ家のグイド・タルラティの慰霊碑です。二人のドナテッロ派のシエナ人彫刻家アーニョロ・ディ・ベントゥーラとアゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニによって、1334年に完成しました。当時としては大変スケールの大きな墓だったに違いありません。
尖塔のついたアーチのある祠部分とその下の16枚のレリーフが彫られている部分の二つに大きく分かれています。設計はあの、ジョットではないかと言われています。 -
16枚のレリーフは、グイド・タルラティの生涯からの場面だそうです。聖人気取りと言ったら失礼かしら?
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グイド・タルラティの墓の隣、聖具室に通じる扉すぐ脇に美しいフレスコがありました。
傍に寄ってみると、下に詳しい説明書きが目につきました。なんと! ピエロ・デッラ・フランチェスカ作の「マグダラのマリア」でした。教会の説明によると1459年頃の作品とされています。彼は、1452年〜1458年、そして1459年〜1466年まで聖フランチェスコ教会の「聖十字架の伝説」に関わっていましたので、その前半の制作を終えた後に描かれたものとみられます。 -
イチオシ
マグダラのマリアの長い髪は無造作に両肩にかかっています。まるで、1本ずつ描いたかのように少ない髪の毛が両肩中に広がっているのを見て驚きました! 彼女の左手は死せるキリストの体に塗る軟膏を入れた壺を持っています。
彼女のすぐ後ろには、装飾のあるアーチがあって、その先にはヤシの木が描かれているそうですが、肉眼ではよく見えませんでした。
オルヴィエートで見たシニョレッリのマッダレーナのイメージとは差がありすぎて、頭の中が混乱してきました。 -
身廊左側にある大きな正方形をした礼拝堂は、1796年2月にアレッツォで起こった奇跡の跡に作られた「慰めの聖母」に捧げる礼拝堂cappella della madonna del conforto です。数日間というものこの地方を断続的に襲い、これは神様が与えた罰なのだと人々を震え上がらせていた地震の最中に、アレッツォのとある酒蔵に飾ってあった古く煤けたマリア像が突然火を灯したように光り、次の瞬間に地震の揺れが収まったのだそうです。聖母がアレッツォの人々を慰めてくれた・・・噂はあっという間に広がって、ドゥオモにその年から1817年までかかって、この礼拝堂がジュゼッペ・ロッソの設計により新設されるのです。
なるほど。こういう奇跡もあるんですね・・・ 中央には大きな格子天井のドームが見えています。 -
ネオゴシックにネオクラシックの要素を持つ礼拝堂は、それ自体で小さな教会ほどの面積があります。多色大理石の中央祭壇は1823年に完成しました。燭台を持つ二人の天使の間にある幕屋の中には、奇跡を生んだ「慰めの聖母」像が飾られています。祭壇全体が光っていて、まるでその奇跡の時を再現し続けているように見えます。
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こちらが、1796年2月15日、酒蔵の中に置かれ、煤けていた顔を一瞬で白く変化させて、地震を止めたという「慰めの聖母」像です。聖母の下には「聖マリアは私たちのために祈ります(Sancta Maria, ora pro nobi)」という碑文が書かれていました。
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イチオシ
この礼拝堂には、アンドレア・デッラ・ロッビアと彼の工房の作品が数点壁を飾っています。さながらロッビアの小さな美術館と言う人もいますが、美術館ではあまり意味がないんです、生の教会で見られるから喜びもひとしお。
こちらは「三位一体」1485年〜86年。キリストの足元で祈りを捧げているのは、聖ドナートと聖ベルナルディーノ。1811年まで慈悲の三位一体教会にあったもので、数あるロッビアの作品の中でも傑作の一つと言われています。
プラデッラの部分には、少々不気味な白頭巾をかぶった信者達が祈祷中です。 -
南翼廊にある「聖母被昇天」はロッビアの工房の作と言われています。1480年頃の作品。1817年にこちらの礼拝堂に持ち込まれたものです。天使たちがアーモンドの形に聖母を囲んでいます。
パネルの下には、アルベルゴッティ家出身の司教アゴスティーノの墓がありました。石棺のレリーフには、1814年、彼が教皇ピウス7世から、中央祭壇の「慰めの聖母」像にかぶせる小さな金の王冠を受け取っている場面が描かれています。2枚上の写真をもう一度見て下さいね。 -
イチオシ
アンドレア・デッラ・ロッビア本人の作品で、「聖バルトロメオ、聖ベルナルディーノ、天使達といる聖母子」。1485年〜86年にかけての作品です。
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こちらの「玉座の聖母子」はアンドレアが息子たちと一緒に仕上げた1枚。元々は聖フランチェスコ教会にありました。一緒にいる聖人は聖ドナート、マグダラのマリア、聖アポロニア、そして聖ベルナルディーノです。多彩色の1枚で、イタリアンらしい陽気な「天の父なる神」が祝福を送っています。1493年〜95年。
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教会は元々聖ドナートと聖ピエトロにに捧げられていましたが、1796年以降、彼らは追いやられ、人々の関心はこの礼拝堂に一気に集まることになりました。広い礼拝堂内には、数多くの絵画も飾ってありましたが、いかんせん、これ以上近づくことが出来なかったのが残念!
遠くて見えにくいですが、絵は「ホロフェルネスの頭を掲げるユディト」。ピエトロ・ベンヴィヌッティの1804年の作品。 -
反対側の壁面には、「ダヴィデを鎮めるアビガイル」。アビガイルは旧約聖書に出てくる女性で、のちにダヴィデの妻になります。こちらは、ルイージ・サバテッリの1806年の作品。
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祝福のポーズを送っているこの彫像は、1796年の奇跡が起きたときのアレッツォの司教 ニッコロ・マルカッチで、彼の墓も礼拝堂内にありました。1799年、彼の急死を受け、司教の座についたのが、前述のアゴスティーノ・アルベルゴッティです。
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慰めの聖母礼拝堂まだまだ続きます。この教会は、ステンドグラスの美しさでも有名なのですが、この礼拝堂のステンドグラスは新しいもののせいか、あまり注目されていないようです。作者も不明。あくまでも私好みということでご覧ください。
天使シリーズ第1弾 Causa Nostra Latitia コーザ・ノーストラ・ラティティアはローマ帝国時代の殉教者の名前だそうですが、どう見ても天使ですね。 -
第2弾。Virgo Potens 女性の天使像が描かれていますが、文字通り訳せば「力の強い処女」と言う意味になります。
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第3弾。こちらはお馴染みの聖ミケーレですね。相変わらずルシファーを踏んづけています。
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幼子を抱いた聖ヨセフ。いつも影の薄い人なので、こうやって堂々と「息子」を抱いている姿は珍しいです。
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イチオシ
最後に、美しいヴォールトをご覧ください。フレスコはルイージ・アデモッロとルイージ・カターニにより1799年〜1802年にかけて描かれました。テーマは新旧聖書からの場面だそうです。セピアの色遣いがとても印象的です。
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オルガンの下にあったこちらの「玉座の聖母子」は1270年ごろの制作と、中世に作られた彫像特有の顔だちをしている貴重な木像です。作者はアレッツォの職人ということしかわかっていません。
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この像は、1539年に取り壊された聖アルティンーノ教会から持ち込まれたもので、周りの壁には、聖母、聖アンナ、聖ヨアキムなどのフレスコの断片が残っていました。制作は14世紀で、地元の画家によるものです。
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ピエトロ・ベンヴェヌッティによる「聖ドナートの殉教」は1794年の作品。
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またしても「首」を抱えている集団発見! どなた様でしょう?・・・お体は何処へ?・・・
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最後に六角形をした洗礼堂に入りました。手前にある洗礼盤のレリーフはドナテッロ派の工房によるもので、「キリストの洗礼」は親方自身の手によるものです。
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盛り沢山の充実した内容で、あまり期待していなかっただけに発見の喜びの連続に大満足のドゥオモ 大聖堂でした。後で調べたら、他にもジョルジョ・ヴァザーリが制作した聖歌隊席、大聖堂建設当時の面影を残すチュッチォ・タルラティ礼拝堂などがあったのですが、見逃したようです。
聖フランチェスコ教会ばかりが脚光を浴びるのは不公平と言うもの。アレッツォにお出かけの際はお忘れなく!
長くなりましたので、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その68 アレッツォ3で。
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリアンヌさん 2016/07/22 13:08:30
- ドゥーモ☆
- Ciao! junemayさん
アレッツォは、何度か訪れているのにjunemayさんの丁寧な解説で新たな発見がいっぱいです。(いつもですけど)
特にドゥーモ!内部はこんなに素晴らしかったっけ?
っていうか解説してもらって初めてその素晴らしさを実感っていう感じでしょうか。私などは、一目散にピエロ・デッラ・フランチェスカに行って終わりだったかも?
ステンドグラスもたくさんあって、絵柄も素晴らしいですね!
そしてA.ロッピアの作品、これほどあったのね〜なんて情けないです。
フィレンツェの捨て子養育美術館にもあった工房ですよね?
続き楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/07/22 23:39:48
- RE: ドゥーモ☆
- こんばんは マリアンヌさん
いつもコメントありがとうございます。そのうち、マリアンヌさんのコメントがないと、不安神経症になるかもしれませんよ(笑)。大変感謝しています。
アレッツォはフィレンツェやシエナの影で地味だけれど、一種独特のものがあって良い町ですね。イタリアはそれぞれの町が元々一つの国だったところが多いので、皆自己主張できる何かを持っているところが凄いなと思います。まだまだ表面さらっとしか味わっていない私ですが、あまりの奥深さに唖然とさせられます。神髄に触れるなんてことは不可能なのでしょうね?
私が知ることのできたほんのさわりの部分を一緒に楽しんでいただけましたら、それだけで本望です。美しい〜とか素晴らしい〜としか表現できない、文才のない分を写真で と思うのですが、こちらも才能ないようで、せめて細かく撮ろうと沢山写真載せちゃって、隙間を埋めるのに苦労している毎日です。
junemay
> Ciao! junemayさん
>
> アレッツォは、何度か訪れているのにjunemayさんの丁寧な解説で新たな発見がいっぱいです。(いつもですけど)
>
> 特にドゥーモ!内部はこんなに素晴らしかったっけ?
> っていうか解説してもらって初めてその素晴らしさを実感っていう感じでしょうか。私などは、一目散にピエロ・デッラ・フランチェスカに行って終わりだったかも?
>
> ステンドグラスもたくさんあって、絵柄も素晴らしいですね!
> そしてA.ロッピアの作品、これほどあったのね〜なんて情けないです。
> フィレンツェの捨て子養育美術館にもあった工房ですよね?
>
> 続き楽しみにしています。
> マリアンヌ
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