2015/05/27 - 2015/05/27
18位(同エリア77件中)
junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
オルヴィエート滞在最終日は、オルヴィエートをもう少し深く見るか、予定通りアレッツォに行くか散々迷った挙句、やっぱり列車に乗ってしまいました。昨年、ヴェネツィアからフィレンツェまで列車で移動の際に会って、フィレンツェのことをいろいろと教えてくれた建築家のフランチェスコの生まれ故郷。かのジョルジョ・ヴァザーリの故郷でもあります。ほとんど平地のない、坂ばかりの町の、相変わらずの教会巡りの1日です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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アレッツォはローマからフィレンツェに行く鉄道の幹線沿いにあります。フォリーニョからオルヴィエートに移動してきた日を含めて、私はオルヴィエート〜コルトーナ間を都合3回も通ったことになります。
こちらの駅はトスカーナ州シエナ県に属するキャンチアーノ テルメという町の駅。ここもエトルリア時代からの歴史の古い場所で、健康をつかさどる神を祀った神殿がありました。ローマ帝国時代にはここの温泉の効能が広く知られるところとなり、多くのローマ人の別荘が作られたそうです。 -
さあ、アレッツォに着きましたよ。ここはもうトスカーナ州です。
アレッツォの歴史は非常に古く、エトルリア時代には人口が1万から2万に達するその首都の一つでした。14世紀にフィレンツェに併合されるまでは自治都市で、併合後は、フィレンツェ、シエナに次ぐ、ルネサンス文化の中心地となりました。
観光案内所が10:30にならないと開かないので、カフェで一服した後駅前の公園で開くのを待っているところです。
銅像はアレッツォ生まれのグイド・モナコ。現在利用されている楽譜の記号や規則の原型を考案した11世紀の音楽家です。アレッツォの大聖堂で聖歌隊の指導をしながら、音楽教育に関わる多くの書を残しました。 -
観光案内所のとても感じの良いお兄さんから詳細な地図とお勧めの場所を教えてもらい、駅前のグイド・モナコ通りを上っていきます。アレッツォはいびつな六角形の城壁に囲まれた町ですが、駅前の周辺には城壁が残っていません。もうすでに旧市街に入っています。すぐに上り坂・・・
こちらは、郵便局です。最上階の両端の窓の上にある天使達の装飾がとても可愛いかったのだけれど、アップで撮った写真は皆ボケていました(泣)。 -
進行方向向かって右側にあったランプシェードのお店も素敵でしたよ。
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駅から坂を上って10分ほどで、ファサードに装飾が一切ないサン・フランチェスコ教会に到着です。フィレンツェのメディチ家の菩提寺サン・ロレンツォ教会を思い出します。
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サン・フランチェスコ教会はアッシジの聖フランチェスコに捧げられた教会です。最初の教会は城壁の外にありましたが、防衛上の理由で取り壊され、城壁内に移った現在の建物は1290年ごろから工事が始まりました。
14世紀にモンナ・テッサという信者の一人の女性がファサードの建設にと300リラ遺したお金で、ファサードの土台部分の一部に壁を厚くした痕跡が認められますが、それ以外にファサードを装飾しようとした記録は残っていません。シンプル・イズ・ビューティフルです。
早速中に入ります。 -
内部は一廊式で、こちらも極めてシンプル。何もないので、ただっ広い印象があります。所々にフレスコ画が残る壁といくつかの小さな礼拝堂があるだけの空間です。
この教会の目玉は、1452年〜66年にかけて、ピエロ・デッラ・フランチェスカによって描かれた後陣の「聖十字架の伝説」のフレスコ画ですが、その前にじっくり壁のフレスコを見ていくことにしましょう。 -
早速、カウンターファサードから右回り(どうも癖らしいです。本当は時計回りが正しいみたい・・・)に見ていきます。
中央扉を入ってすぐ右側の、カウンターファサードにあった聖母子の姿を描いたものです。このフレスコ、母子がてんでバラバラな方向を見ているのが面白い。アレッツォ生まれのドメニコ・ペコーリ(1480年〜1527年)の作です。彼は、システィーナ礼拝堂のフレスコを手掛けたバルトロメオ・デッラ・ガッタの弟子と言われています。 -
主祭壇に向かって右側の壁に入って最初のカルボナーティ礼拝堂です。赤い大理石の柱が目を惹きます。最上段の顔しか残っていない聖母を描いたのは、ピエロ・デッラ・フランチェスカにも協力したロレンティーノ・ダンドレア。15世紀の作です。
下の二段にはピエロ・デッラ・フランチェスカの工房によって、シエナの聖ベルナルディーノがアレッツォを訪れた際のエピソードが描かれています。
右側横に描かれている磔像は、フランチェスカの生まれ故郷サンセポルクロという町の美術館にあるフランチェスカの描いた多翼祭壇画のコピーです。 -
礼拝堂と礼拝堂の間に描かれたこちらの美しいフレスコには、屋外にいる聖母子と聖人達(左にいるのは聖ベルナルディーノ、そして洗礼者聖ヨハネ。顔がわかりませんが、右には聖アントニオと聖フランチェスコ)の姿がありました。どこの景色だか、これじゃあ良く分かりませんが、丘陵地帯が背景になっていますね。フィレンツェ生まれのニッコロ・ソッギの作品。15〜16世紀。ソッギはペルジーノの弟子の一人でした。
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こちらも礼拝堂の間に描かれたフレスコの1枚ですが、解説によるとここはかつてはカテナッチ礼拝堂だったところでした。
「ローマの城門を護る聖人騎士達」(上)と「聖フランチェスコと聖ヨハネがいる磔場面」(下)を描いたのはアントニオ・ディ・アンギアリで、若きフランチェスカも彼のアシスタントを務めたそうです。1430年代の作品。 -
現在の祭壇は1909年に作られたもので、ここも元々は別の礼拝堂の一部でした。壁のフレスコとは無関係に祭壇が設けられたようです。中央の多色彩色の「苦しむキリスト像」は14世紀に作られた木製で、1980年頃まで聖具室にあったもの。
ちらっと見えるフレスコは、上の写真のアントニオ・ディ・アンギアリの作品の続きだそうですが、小さすぎてわからないですね。 -
こちらの祭壇も、隣の祭壇と同じく1909年に設置された後期ゴシック様式風のもので、ペディメントには、天使に支えられた花のリースの中に全能者キリスト像が浮かんでいます。右側部分に天使の姿がないのはなぜかしら?
背後のフレスコは、アレッツォが生んだ偉大な画家スピネッロ・アレティーノの息子パッリの作(15世紀前半)で「、玉座の聖母子と4人の聖人達」。聖人の顔は1人を除いて消えてしまっています。他にも描いてあるけれど、ほとんど見えませんね。
手前のブロンズ製の「無原罪の御宿り」像はマリオ・モスキの1962年という新しい作品です。 -
次なる祭壇は、アレッツォ出身の福者ベネデット・シニガルディに捧げられていました。ベネデットはアレッツォの名門貴族シニガルディ家の出身で、聖フランチェスコの直接の弟子の一人。アレッツォに開かれたフランチェスコ修道会に入り、布教に尽くした人物で、サラセン人への布教のため、アジアまで出かけていったこともありました。1282年にアレッツォで亡くなっています。
ローマ帝国時代独特の装飾が施されている棺は彼の墓です。彼の肉体は石膏型で固められているそうです。 -
シニガルディ家の礼拝堂の横には、比較的良好なフレスコ群が残されていました。スピネッロ・アレティーノかまたはアンドレア・ディ・ネリオの作品だと言われています。ネリオはアルティーノの師で、アレッツォ出身者で最も優れた芸術家の一人だそうです。
でも世間的にはスピネッロ・アレティーノの作と断言している方が多いようですよ。 -
右側のフレスコは、上から「キリストの洗礼」、「聖カタリナの神秘の結婚」、下に行って、「大天使ミケーレ」、「聖フランチェスコがスティグマ(聖痕)を受けた場面」です。
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左側のフレスコは上から「聖母と聖フランチェスコがダマスカスの牢にいる洗礼者聖ヨハネを見舞う場面」。
洗礼者ヨハネは当時のパレスティナ領主ヘロデ・アンティパスが異母兄弟の妻ヘロディアと結婚したことを律法に反するものと非難したため捕らえられ、牢に入れられていました。
ヘロデの誕生日の宴席で踊りを見せたヘロディアの連れ子の娘(後のサロメ)に、ヘロデは大層喜び、何でも望みのものをやると約束しました。ヨハネを憎んでいた娘が洗礼者ヨハネの首が欲しいと言ったため、ヘロデは引くに引けず、ヨハネの首をはねさせたのです。「マタイによる福音書14:1-21」 -
イチオシ
その下に描かれているのが、身廊で最も有名な「受胎告知」です。このフレスコはゴッツァーリ家のために描かれたもので、中央の花瓶の右隣に薄くなったその紋章が見えます。
不完全ですが、遠近法が使われていますね。大天使ガブリエルの羽の描き方は、のちのレオナルド・ダヴィンチに影響を与えたのでは? と思われる(単なる私の思い込みですが・・・)程お見事! 1350年〜90年頃。 -
受胎告知に続く壁もスピネッロ・アレティーノのフレスコが続きますが、痛みが激しすぎるのでコメントは省略。左端にちらっと見える幼子キリストを抱いているのは、登塔者シメオンです(ルカによる福音書)。
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ここで、入ってきた方向を振り返りました。主祭壇付近からみたカウンターファサード方面です。本当にただっ広く感じますねえ。
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イチオシ
中央のバラ窓のステンドグラスです。赤いつばのある帽子をかぶった教会博士達?が見えますね。
1210年、聖フランチェスコが、自ら宣教しながら、各地で得た仲間12人とともに「小さき兄弟団」としてローマに向かい、教皇イノケンティウス3世から活動の許可を求めた時の場面だそうです。
1519年ごろのフランス人画家ギョーム・ド・マルチラの作品です。ブラボー! -
右側の壁突き当りの礼拝堂は工事中で入れなかったので、いよいよ主祭壇に近づきます。
主祭壇に吊るされているトスカーナ州でよく見られる十字架は、教会側の説明では、城外に作られた最初の教会から持ち込まれたものと書かれていました。13世紀の作品で、おそらくはフランチェスコ教会の親方(マエストロ)ではないかと言われています。 -
十字架のキリストの足元には、跪く聖フランチェスコの姿が見えます。教会の設置した解説板には、この十字架には聖フランチェスコの熱烈なる神への忠誠心が込められており、その精神を受け継いだ修道僧たちによって聖十字架の話が後陣の壁に描かれることになったということを常に念頭に置いてほしいと書かれていました。
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ここから後陣を眺める分には入場料は不要だそうですが、せっかくなので入場しましょう。
入る前に全体像をみておきます。後陣の脇からアーチの上、そしてヴォールトにもフレスコがびっしりと描かれています。
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天井画、そして脇のアーチ、アーチの上部等はピエロ・デッラ・フランチェスカの作品ではなく、スピネッロ・アレティーノの弟子で、フィレンツェ出身の画家兼彫刻家ロレンツォ・ディ・ビッチの作品だそうです。
こちらはアーチの上部に描かれた、キリスト、聖母、使徒達が集う最後の審判。制作年は書かれていませんでしたが、ロレンツォは1373年生まれ、フランチェスコ教会の後陣の装飾を依頼されたのが1447年のこと。彼は5年後の1452年にフィレンツェで亡くなっています。ピエロ・デッラ・フランチェスカがちょうど入れ替わりに仕事を始めた計算になりますね。
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ヴォールトには4人の福音記者達が見えました。
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アーチの左側柱に描かれていた「キリストの復活」。これらもロレンツォ・ディ・ビッチの作品です。
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聖十字架の伝説というのは、キリストがゴルゴダの丘で処刑された時の十字架のことで、この断片は最も尊い聖遺物として扱われています。13世紀にヤコポ・ダ・ヴァラジネによって書かれた「黄金伝説」の中に収められている話で、奇想天外、奇跡に次ぐ奇跡が連続していて、読み物としては大変良くできているそうです。
ピエロ・デッラ・フランチェスカは、この聖十字架の伝説の中から全部で10の場面を後陣の三方の壁一杯に描きました。それでは、ストーリーの展開順に見ていきましょう。 -
今までいろいろな教会で見てきた左壁→右壁という順番と異なり、物語はいきなり、後陣右側の壁の一番上の列から始まります。
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1.アダムの死
画面の右側に座り込んでいる老人がエデンの園を追われたアダムです。アダムが年老いて亡くなると、その息子のセツらは、アダムがエデンの園から持ち帰ったリンゴの木の枝を墓に植えました。十字架がリンゴの木製だったとは初耳です。
やがてその木は成長し、ソロモン王の目に留まり、彼はその木を切り倒して、エルサレムの川に橋を架けました。 -
高いところにある絵で見にくいので、詳細は教会にあった説明用写真で確認して下さいね。
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2.シバの女王
ソロモン王の知恵の噂を聞きつけたシバの女王がエルサレムを訪れる途中、この木の橋に差し掛かると胸騒ぎを覚えます。彼女には、将来救世主がこの木の十字架に架けられることを予見したのです。
青い服を着ているのがシバの女王。彼女は跪いて祈りを捧げます。 -
シバの女王はソロモン王と会見し、木は将来イスラエルの救い主が吊るされる木であり、木をこのままにしておくとイスラエルに災いを起こる(王国がバラバラになる)と助言をしている場面です。
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3.聖なる木の運搬
シバの女王の助言を聞き入れたソロモン王は、その木を橋から外して、池の中の地中深く埋めます。
しかし、後にその木は浮かび上がって、ローマ人たちに発見され、なぜかシバの女王の予見通り、キリストの磔の十字架となるのです。 -
4.コンスタンティヌスへのお告げ
それから長い年月が経ち、312年のこと、コンスタンティヌスはマクセンティウスとの決戦ミルヴィオ橋の戦いの前夜、十字架の夢を見ます。そして現れた天使から、「あなたの戦陣の盾にその十字架の印をつけなさい」というお告げを受けます。 -
5.コンスタンティヌス対マクセンティウスの戦い
翌朝、十字架を掲げたコンスタンティヌスが大勝利を収めたのは言うまでもありません。こうしてマクセンティウスを破ったコンスタンティヌスはローマ皇帝の座につくのです。 -
ちょっとわかりにくいかなあ・・・ということで、説明用写真を追加しますね。
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中央やや右よりに、小さな十字架を突き出しているのがコンスタンティヌスです。少々小さすぎるような気もしますねえ。
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6.ユダヤ人への拷問
コンスタンティヌス帝の母ヘレナは326年に聖地エルサレムに出かけ、キリストが磔になった十字架の在りかを知っている唯一のユダヤ人の男性を見つけます。
彼が白状しなかったために、画面では彼への拷問が行われています。その結果、十字架が隠されている場所をついに突き止めます。 -
7.ヘレナによる聖十字架の発見(上のフレスコ)
ついにゴルゴダの丘近くから聖十字架が発見されます。 -
説明用写真はこちら。
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画面の左側では、聖十字架の発掘シーンが展開されています。黒い服を着ている女性がヘレナでしょうか?
遠くに町が見えています。フランチェスカはエルサレムのつもりで描いたのでしょうが、教会の説明にはアレッツォの町だと書かれていました。 -
そして、右側では、その十字架を死者の上に掲げ、見事に蘇生するのを見守っている場面です。聖十字架の正当性がここに証明されたというわけです。なかなかよく考えられているストーリー・・・といったら怒られるかしら?
ウィキペディアによると、この時、3つの十字架と聖釘などの聖遺物が一緒に発見されたそうです。そして、そのうちの1つの十字架に触れた女性の病気が治ったので、これがキリストが架けられた十字架だと判明した とあります。ヘレナは聖十字架の一部をエルサレムに残し、他の一部と聖釘をコンスタンティノープルに持ち帰りました。 -
8.東ローマ帝国皇帝ヘラクリウス対ペルシア王のホスロー2世の戦い
右側の壁下段に展開される壮大な戦闘シーンは、ヘレナが聖十字架を発見してから更に300年以上経った628年の出来事。
614年にホスロー2世がエルサレムを攻撃し、その際聖十字架を奪い去りました。一度コンスタンティノープルに持ち帰った聖十字架は、エルサレムに戻されていたのです。皇帝ヘラクリウスは自らササン朝ペルシャの首都に侵攻して勝利を収め、キリスト教には改宗しないと言ったホスロー2世を殺害し、見事聖十字架を奪い返すのです。 -
こちらも説明用写真を載せておきます。
ここで見ることのできる戦いはすべて、キリスト教徒の勝利の戦いです。最初はローマ人同士ですが、次はイスラム教徒に対する勝利。キリスト教の優位性をアピールしています。 -
絵の詳細です。劣勢のペルシャ軍。この頃の防具類はまだまだお粗末なものだったんですね。
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9.皇帝ヘラクリウスのエルサレム入り
聖十字架を掲げて聖地入りを果たす皇帝ヘラクリウスです。普通ならここで、めでたしめでたしなんですが、エルサレムに戻った聖十字架はその後キリスト教徒たちの手で隠されたり、分割されたりして、1187年には失われたとあります。
世界中に聖十字架の一部の木片を保有しているとする教会は相当数に上り、優に十字架10本分に相当するそうです。そのうち9本分はただの「木」ということになりますね。
それにしても、聖十字架の物語自体は登場人物も変化に富んでいて、大スペクタクルの冒険活劇。フランチェスカの捉えどころもよく、大いに楽しむことが出来ました。 -
説明用写真。下から見上げるのとでは、随分雰囲気が変わります。
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10.受胎告知
こちらは、聖十字架の物語とは直接関係ないので、どこに入れるか迷ったのですが、最後にしました。地球の〇き方では4番になっていましたので、それが歴史的に見ると正解なのかもしれません。 -
ピエロ・デッラ・フランチェスカの描く絵の構図の採り方の巧みさ、描かれる人物像の上品さ、気高さなどがよくわかる作品だと思います。
派手派手しいところがなく、強い自己主張もなく、それでも見ているうちに彼独特の世界へ自然と引き込まれていく感じ。この絵と聖十字架の関わりを再認識することが出来ました。
今日は、観光客の数も少なく、じっくりと見れたのは大変ラッキーでした。混雑している季節には入場制限、予約が必要ということもあるらしいですよ。 -
後陣のヴォールト。これは前述したとおり、フランチェスカの前任者ロレンツォ・ディ・ビッチの作品です。平凡と言えば平凡・・・
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後陣の窓のアーチ内側に描かれていた4人の女性(天使?)を描いたのもロレンツォだそうです。これは清楚で美しいですね。
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フランチェスカの描いた「ユダヤ人への拷問」の上に描かれているのは預言者イサイア。こちらはフランチェスカの弟子のジョヴァンニ・ディ・ピアモンテの作品。彼の作品は、このほかにも天使像や聖アンブロジウス、聖アウグスティヌスなど、後陣内に沢山見つかって特定されています。
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聖十字架の物語に酔いしれた後は、再び教会内を巡ります。
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先ほど素通りした工事中だった主祭壇右側のガスコーニ礼拝堂。ここにもスピネッロ・アレティーノ作のフレスコが沢山覗いていますよ。残念!
ガスコーニ一族はフィレンツェとアレッツォでは名の知れた貴族でした。 -
右側の壁一番上に書かれていたフレスコだけよく見えたので紹介しましょう。
スピネッロ・アレティーノ作の「神と忠実なるしもべの天使達」と呼ばれている1枚です。どうやら、このフレスコの下では、神に忠実な天使ミケーレと反抗的なルシファーらのグループとの戦いが繰り広げられているようです。 -
これがどこにあったのか、覚えていないのですが、主祭壇近くだったことは確か。ハンガリーの聖エルジェーベト(エリザベッタ)だそうです。彼女の足元にも寄進者が跪いていますね。
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こちらの美しい「受胎告知」は、ロレンツォ・ディ・ビッチの孫に当たるネーリ・ディ・ビッチの作品。ネーリの受胎告知はフィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されているのが有名ですが、この作品も煌びやかですね。親子三代にわたり、ディ・ビッチ家はルネサンス期を代表する画家一家となりました。
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オルガンのあるパーニョ・ディ・マッフェオ礼拝堂にあった祭壇は、フランチェスコ・ロゼッリの葬送モニュメントです。まだほんの少し色がついているのが確認できますが、元々はテラコッタ製の多色彩色の祭壇で、ミケーレ・ダ・フィレンツェが彩色を担当しました。棺部分の表面のトンドには、一族の法学者たちの肖像が彫られています。
テラコッタ製の彫刻はルネッサンス初期に始まりましたが、ドナテッロなどにも影響を与えたとして最近再評価され始めて来ています。こういう形式の祭壇はとても珍しく、私自身は初めて見たような気がします。 -
この後のフレスコは、スピネッロ・アレティーノ以外の作者は殆どわかりません。
すべての教会の壁のフレスコは、19世紀後半に漆喰を剥した際に現れたものです。画像のみお楽しみ下さい。
オルガンのある壁の手前の柱にいらした男性。何を抱えているのか気になります。 -
主祭壇に向かって左側にあったいくつかの礼拝堂の一つ。両手を広げているのは、この教会が捧げているアッシジの聖フランチェスコです。
-
これは不思議な絵です。手前の二人の修道僧のうち、左側は、手の聖痕から聖フランチェスコのように思えます。右側の人は口から王冠のようなものを吐き出しているように見えます。その上にいる赤い服を着た男性、何かを夢中で探している最中のようですね。皆が壺を持って、聖母子に近づいて行く様子が描かれています。
聖フランチェスコに関わるエピソードの一つでしょうか? -
黄色の衣をつけた聖ピエトロが描かれた柱から入った右側に小さなニッチェが見えますが、そばにあった解説(イタリア語のみ!)から、この柱と中のフレスコはスピネッロ・アレティーノとその弟子の作品とわかりました。どうやら、最近復元されたもののようです。
しかし・・・ -
本当に美しく復元されていました。ニッチェ中央にはキリスト、左に聖母、右に福音記者聖ヨハネが描かれています。
これ、本当にスピネッロかしら? -
イタリア語を苦心して訳したら、左の横壁には、アッシジの聖フランチェスコが小さき兄弟会の会則を持って立っている と書かれていました。聖フランチェスコにしては女性的で可愛過ぎるような気がしませんか?
本当にスピネッロ??? -
右横壁には大天使ミケーレ、彼の羽の色がここでは赤みを帯びていて、これまた女性的に描かれているように思いました。
本当にスピネッロ???(しつこいなあ・・・) -
19世紀にフィレンツェのガラス工房で作られたステンドグラス・・・
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2点目です。
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パドヴァの聖アントニオに捧げる礼拝堂には、ピエロ・デッラ・フランチェスカの後継者であるロレンティーノ・ダンドレアのフレスコ画壁一杯に描かれていました。1480年ごろの作品です。
上部には「マリア、エリザベスの家を訪問」の場面。両脇には聖ベルナルディーノと聖セバスティアーノが立っています。中段、下段には中央に聖アントニオ、そしてその周りには彼の「聖人伝説」から4つの奇跡の物語を見ることが出来ました。 -
聖アントニオはフランシスコ会では、聖フランチェスコに次いで人気の高い聖人で、いつもキリストの幼子を抱いている姿で現れます。1231年体調を崩し、田舎で静養中だった彼の前に、幼子キリストが現れるようになりました。そして幼子を抱きかかえ、愛しんだのだそうです。彼の病状は悪化の一途をたどり、その年、パドヴァに帰るる途中、36歳の若さで亡くなりました。幼子は彼の死を予見していたのでしょうか?
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身廊左側壁中央天井近くの壁にあったフレスコ。
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左壁中央付近にあった横長のフレスコは、聖霊降臨祭(ペンテコステ)という祭事を象徴するもので、アレッツォのサント・スピリト祈祷所の壁から剥され、こちらに持ち込まれたものだそうです。1880年になって、この作品はスピネッロ・アレティーノが描いたものだということが判明しました。
聖霊降臨祭は、キリストの復活、昇天後に祈りを捧げていた120人の信者達の上に神からの聖霊が降ってきたという新約聖書のエピソードを記念する祭事です。 -
ステンドグラスの中間には消えかかったフレスコが! かつてここに礼拝堂があったことを物語っています。
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こちらとこの下の写真の聖人は、二人ともアッシジの聖フランチェスコだそうです。全然似ていません。何枚か前の可愛い写真! と比べて見て下さい。
右手の上に乗っかっている赤いものは何でしょうか? その下に碑文があるので、読めたらわかるのかしら? -
これは間違いなく、私のイメージにある聖フランチェスコです。可愛いフランチェスコとは大違いですね。15世紀初頭の作品だそうです。スピネッロ・アレティーノ流 と書かれていましたが、本人の作とは断定していませんでした。
どう考えても、同じ人が描いたものとは思えないなあ(まだ言っている)・・・ -
こちらの祭壇は20世紀になってから錬鉄で作られた「戦争記念碑」だそうです。ウンベルト・タヴァンティのデザインにより1926年に完成しました。
祭壇画のフレスコ「十字架降下」はジュゼッペ・カシオーリの作品。石の祭壇は1922年製です。 -
上の祭壇傍には、スピネッロ・アレティーノのフレスコの断片が残っていました。左側は聖フランチェスコが聖痕を受ける場面、右は聖フランチェスコが1210年に教皇から会則の承認を受けた場面だそうです。
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最後のフレスコは、ジョヴァンニ・ダニョーロ・バルドゥッチョの「最後の晩餐」です。彼はスピネッロの弟子と言われていて、スピネッロのフレスコがあるところ、彼の作品も見ることが出来ます。確か、スピネッロの息子パッリと同じくらいの1370年代に生まれています。
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いつものように名残惜しく、主祭壇を振り返ってみます。朝一番からお腹いっぱいになる食事を味わったようです。聖フランチェスコ教会大満足です・・・
アレッツォに来て正解だったと思いました。 -
サン・フランチェスコ教会を出た所にあった美術展の看板。18世紀の銀食器とサロンの展示 「お茶、コーヒー、そしてチョコレート」ですって! こんな催し物開催中だったんですね。サン・フランチェスコ教会も教会としての機能はもはやなく、博物館に変身しているようです。
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サン・フランチェスコ広場にあるこちらの石像は、ヴィットーリオ・フォッソンブローニ。アレッツォ出身者の銅像2つ目です。1754年生まれの政治家、数学者、経済学者、技術者だそうです。
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中世の町らしく額縁屋さんがありました。フレーム…でもいいですけれど・・・
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ディスプレーが面白いアンティークショップ マッシモ・ペルリーニ。
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コルソ・イタリア通まで来ると、遠くにピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の鐘楼が見えたので、迷わずそちらに進みます。
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本当にアップダウンの激しい町です。殆ど平らな所がないみたい・・・
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コルソ・イタリア通りの先には、右にピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア、そして左にはビガッツァの塔、そして歴史ある宮殿カマイアーニ・アルベルゴッティが続きます。
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ご覧ください。こんな傾斜地に建っているピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会です。
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狭い前の通りから撮ると、これが精一杯!
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少し道を上って正面左側からも1枚撮ってみました。地球の〇き方には、「アレッツォで一番美しい教会」と書かれていましたが、正直、美しいというよりは、度肝を抜かれた教会でした。一目見て、ピサ様式のロマネスクだということがわかります。ピサ、ルッカのドゥオモを懐かしく思い出してしまいました。
教会はアレッツォが自治都市だった時代の1008年には存在していた記録が残っています。アレッツォは皇帝派(ギベリン党)が優位を占める町で、この教会は教皇から送られてくる司教に対する反対派の牙城でした。12世紀には再建され、13世紀にはファサード、後陣の改修が行われ、内部はゴシック様式で作り替えられています。 -
ファサード全体を写すことが困難なので、細切れで行きます。ファサードの下層部分には全部で5つのアーチがあり、こちらは、左から1番目と2番目。
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右側の3つのアーチです。中央扉のアーチヴォールトには、面白い彫刻が見られましたよ。
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素朴な彫像というよりはフィギュア(人形ですねえ)が全部で12体。1年の月毎に行われる季節の行事や慣習を表しているようです。
1月から順番に並べられませんでしたが、ご覧ください。
2段目の一番右が1月のヤヌス。2つの顔を持つ神で、物事の始めと終わりを司ります。その左横の2月は植物を剪定中。3月は管楽器を吹いています。
その上は左から10月で麦の種まき、だんだん寒くなって11月は野菜の収穫ですね。カブを引っこ抜いているところかな? 右上の12月は豚をこれから調理するところ? これ結構お気に入りです。 -
反対側に移って、2段目右側は4月。花の季節を迎え、彼女は手に満開の花の枝を持っています。5月は騎士です。何故騎士かなあ? 6月は小麦の収穫。
そして上段に移って左から7月。トウモロコシの除草中。8月には樽を用意して、9月には熟したイチジクの実をもいでいますよ。説明されないと、何の場面だかわからないけれど、楽しいですねえ。
ロマネスク時代の彫刻家ベネデット・アンテラーミの工房による作品です。作風から見て、12から13世紀頃の作だと思われます。 -
人形に気を取られて、ルーネットの聖母を撮るのを忘れるところでした。聖母を中心に天使達と祈りを捧げるレリーフがありましたが、網があるので見にくいですねえ。
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ファサード下層部分一番右側の扉上のルーネットです。「キリストの洗礼」ですね。こちらも人物が皆四頭身で純朴な印象。ルーネットの下の草木模様のフリーズは綺麗ですねえ・・・
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次にロッジアに参りましょう。ずらりと3層に並んだ、並んだ、柱が全部で何本?
よく見ると、1つ、いや1本として同じ柱はありません。そう言えば、ルッカのドゥオモの柱もそうだったような記憶。上の層に行くほど柱が短くなっていて、柱の間隔も小さくなっているのわかりますか? 鳥除けの網がかかっているから、わかりにくいかしら? -
長さも太さも模様もまちまち。土台で調節しているみたいです。私が注目したのはこちら! 一番上の列の真ん中あたり。
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イチオシ
これです。これ! どう見ても彫像??? 一体どこから持ってきたんでしょうね?
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変化にとんだ柱が楽しくって、首が痛くなるまで見上げていました。
1330年に建てられた2連窓が並ぶ鐘楼はロマネスク様式です。 -
教会の前にあった小さな噴水です。
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目玉の飛び出した、頬っぺたの膨らんだ、とてもハンサムとは言えない子が一生懸命水を吐き出していました。ご苦労様です。
では、教会の中に入りましょう。 -
ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会は3廊式。壁などに装飾が少なく質素ですが、サン・フランチェスコ教会を見た後なので立派に見えます。
主祭壇にあるのは、シエナ出身のピエトロ・ロレンツェッティによる多翼祭壇画(1320年)ですが、ここからだととても小さく見えます。 -
列柱の柱頭はアガンサスの葉の実のデザインが多かったですが、中にはこんな柱頭もありましたよ。多分修復工事の際に付け加えられたものと思われます。
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先ほど中央扉のヴォールトの人形じゃなくて彫像を作ったベネデット・アンテラーミ作だと言われている「聖誕」です。
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そしてこちらは、同じくアンテラ−ミの「東方三博士の礼拝」です。共に13世紀の初め頃の作。
アンテラーミは1150年から1230年頃の建築家兼彫刻家で、彼についての詳細は分かっていませんが、現フランスのサン・トロフィー・ド・アルルで見習いを始めたと言われていて、プロヴァンス地方の作風があります。1178年、彼はパルマで仕事をしていて、パルマ大聖堂には彼の傑作と言われる「十字架降下」のレリーフがあります。 -
思わずぎょっとしてしまったキリスト像。最近のものでしょうが、大胆な配色ですね。祈りが通じて願いが叶った人が捧げた「ハート」が沢山見えますね。
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こちらは、六角形の洗礼盤。各面に洗礼者聖ヨハネの物語がレリーフになったパネルが貼られています。ジョヴァンニ・ダゴスティーノによる1332年〜33年にかけての作品。
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柱の装飾は最近のもので、この地方の貴族の幟でしょうか?
主祭壇にはその先にある階段を上っていきます。 -
中央の階段を下りるとクリプトがありました。ここも綺麗に修復工事がなされています。解説がないので、いつ頃なのかがわかりません。
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薄暗いクリプトの中央にあったのは、ガラス張りのケースに入ったこの町の2人目の守護聖人聖ドナートの胸像です。チヴィタの旧大聖堂もこの人に捧げられていましたね。362年に殉教したアレッツォの司教です。
銀メッキの上に半透明の七宝と宝石で装飾されている、この素晴らしい作品は、1346年に地元の2人の金細工の職人パオロ・ギセッリ、ピエトロ・ヴァンニ(2人ともギベリン党だったそう!)によって作られました。 -
聖人の顔は若く、珍しく髭がなく、細面で、頭は宝石や七宝がはめ込まれた司教冠で覆われています。この胸像が入っているガラスの厚さが半端じゃありません。ガラスに手を触れた途端に警報装置が始動しそうです。
私の目に留まったのは、左手前にある人の顔のついた柱頭です。このところ、柱頭への関心が日増しに高くなってきているような気がします。こちらの方が好みです。触れても多分非常ベルは鳴りません。 -
クリプトの全景です。今よく見たら、他にも人の顔をついた柱頭がありましたね。もっと注意すれば良かった・・・
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クリプトにあった多分最近の彫像です。ポーズが変わっていますね。左足が浮き上がっています。
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聖家族とマリアの母アンナ、そして洗礼者聖ヨハネ。珍しく幼子キリストは金髪です。
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入った時とは別の階段で、クリプトから主祭壇へ。
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がら〜んとした主祭壇にやって参りました。多翼祭壇画がぽつんと置かれているだけの祭壇も珍しいと思います。
こちらが、ピエトロ・ロレンツェッティ作の多翼祭壇画です。1320年の作品。ロレンツェッティは当時のアレッツォの司教グイド・タルラーティに依頼され、この祭壇画のために12枚の場面を描きました。
中央の聖母は豪華な金の絹紋織の衣服に身を包んでいます。聖人は左から聖ドナート、福音記者聖ヨハネ、洗礼者聖ヨハネ、聖マッテオです。
第二層にも聖人がぎっしり。中央部分には「受胎告知」が描かれています。今日いくつ目めの受胎告知でしょう? 第三層には四人の女性聖人、そして最上部には聖母被昇天です。アルマンドラ(アーモンド)の形で表されていますね。 -
主祭壇左側の柱には、この教会では数少ないフレスコが残されていました。聖フランチェスコと聖ドメニコで、画家はアンドレア・ディ・ネリオ。1350年ごろの作品だそうです。
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最後は主祭壇に向かって左側にあったサクラメント礼拝堂です。壁面がフレスコで覆われていましたが、まったく説明なしでした。バロック装飾が施されているので、後の時代に建て増しされた部分かもしれません。
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バロック装飾の煌びやかな祭壇には、彩色されたテラコッタの聖母子像がありました。地球の〇き方によると、これはミケーレ・ダ・フィレンツェ(先ほど訪問した聖フランチェスコ教会にも彼の作品がありましたね)作の聖母子像だそうなのですが、調べても現地のガイドブックには出て来ません。
サンティッシマ・アヌンツィアータという別の教会にあるマドンナ・デッレ・ラクリメと混同しているということはないかしら? なんでも、ミケーレ・ダ・フィレンツェが制作したその聖母は聖クリストフォロという病院にあった1490年2月に、彼女に祈りを捧げていた人の前で、急に涙を流し始めたのだそうです。この奇跡がきっかけになって建てられたのが件の教会サンティッシマ・アヌンツィアータです。 -
でも折角やってきたので、その聖母子像にズーム・イン!
ガラス張りの礼拝堂には直接入ることが出来ませんでした。この聖母子像が誰の作なのか、どなたかご存知ならお教えくださいね。 -
最後に、後刻訪れたグランデ広場からのピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の素晴らしい後陣(外側)をお見せしましょう。ピサやルッカの大聖堂を思い起こす、この半円蓋のフォルムに大感激です。
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この後陣の柱も下のブラインドアーチを入れると三層になっていて、上に行くほど高さが低く、間隔が短くなっていきます。
もう少し近寄って、よくよく見ると、また発見しちゃいましたよ。変な柱。 -
1本だけ曲がった柱が使われています。一種の魔除けかしら? しかも柱頭のデザインが角が取れちゃっているけれど牛ですよ! 楽しいですねえ。
長くなってきたので、この辺で。続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その67 アレッツォ2 で!
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この旅行記へのコメント (6)
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- menchiさん 2016/07/16 21:33:11
- 大変詳しくて、素晴らしいです!
- junemayさん、何て詳しく、しっかりと写真に収められて、お礼を言いたいくらいです。
アレッツォには、行ったことないですが、自分で行くより、しっかり見れたと感じます。
私は、何処かスッポ抜けるので。
アンテーラミさん、パルマの、あの素朴な彫刻物の作者ですね。
何だか印象深い作家です。
ピンクの洗礼堂にはかなり感動しました。
また、お邪魔しますね。
menchi
- junemayさん からの返信 2016/07/17 17:48:50
- RE: 大変詳しくて、素晴らしいです!
- menchiさん こんにちは
スッポ抜けてばかりいる私には過分のコメント、どうもありがとうございました。パルマには行ったことがないので、menchiさんの旅行記で楽しませていただきました。可愛い!ドゥオモですねえ〜 アンテーラミの雰囲気にぴったり。ぜひ次回はパルマを目的地の一つに入れたいと思いました。
時々、menchiさんのサイトにお邪魔して、少しずつ読ませていただこうと思っております。
1年以上旅から経過して、ようやく聖フランチェスコ教会の頭の整理ができた次第です。牛のように反芻を繰り返さないと、消化しきれないですね。
またのご訪問楽しみにしております。
junemay
> junemayさん、何て詳しく、しっかりと写真に収められて、お礼を言いたいくらいです。
> アレッツォには、行ったことないですが、自分で行くより、しっかり見れたと感じます。
> 私は、何処かスッポ抜けるので。
>
> アンテーラミさん、パルマの、あの素朴な彫刻物の作者ですね。
> 何だか印象深い作家です。
> ピンクの洗礼堂にはかなり感動しました。
>
> また、お邪魔しますね。
>
> menchi
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- とし坊さん 2016/07/16 18:56:59
- すごい
- バラ窓のステンドグラスいいですね
お気に入です
写真素晴らしいですね 説明もよくわかって、行った気になりますね
次々の旅行記楽しみにしております(´・_・`)
- junemayさん からの返信 2016/07/17 17:34:47
- RE: すごい
- とし坊さま こんにちは
聖十字架の説明を読んでいただき、ありがとうございます。いろいろな角度からたくさん写真を撮ったので、順番に並べるのにとても時間がかかってしまいました。私自身、ようやく少し消化できたような気分です。
いつもコメントをいただき、うれしく思っております。次回もマルチラのステンドグラスが登場しますのでお楽しみに。
ありがとうございました。
junemay
> バラ窓のステンドグラスいいですね
>
> お気に入です
>
> 写真素晴らしいですね 説明もよくわかって、行った気になりますね
>
> 次々の旅行記楽しみにしております(´・_・`)
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- マリアンヌさん 2016/07/16 08:53:17
- 聖十字架伝説
- こんにちわ〜
今度はアレッツォですね。
聖十字架伝説、ピエロ・デッラ・フランチェスカの神秘的なタッチで素敵なフレスコですよね。
私は、ツアーとフリーで2度見ているのですが、撮影禁止でした。
junemayさんの写真と解説で感動をあらたにしました。
彼の生誕地サン・セポルクロにもいつか行ってみたいなぁ。
教会内も私などはサラッと眺めて終わりにしてしまうので、こんな感じだったんだと楽しませていただきました♪
今年の旅の下調べにjunemayさんの以前の旅もおじゃましています。
小旅行なんで移動のチェックが大変です。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/07/16 17:08:26
- RE: 聖十字架伝説
- マリアンヌさん こんにちは
梅雨空ですが、暑くないので助かりますね。
そうですか。前は撮影禁止だったんですね。でも8ユーロも取るので撮影させてくれないと、入る気しませんね。
フレスコの断片は興味深いのですが、教会の装飾としてはどうなのかなといつも思ってしまいます。教会が時代とともに変わっていくのも仕方のないことなので、古いものだけが良いという考えだと、バロックやネオクラシックを否定することにつながるのかなと考えてみたりします。
あちこちでテロのニュース。人が大勢行く場所には怖くて行けなくなりそうですね。
いつもありがとうございます。マリアンヌさんの言葉を励みにまた頑張りますね。ではまた。
> こんにちわ〜
>
> 今度はアレッツォですね。
> 聖十字架伝説、ピエロ・デッラ・フランチェスカの神秘的なタッチで素敵なフレスコですよね。
> 私は、ツアーとフリーで2度見ているのですが、撮影禁止でした。
> junemayさんの写真と解説で感動をあらたにしました。
>
> 彼の生誕地サン・セポルクロにもいつか行ってみたいなぁ。
>
> 教会内も私などはサラッと眺めて終わりにしてしまうので、こんな感じだったんだと楽しませていただきました♪
>
> 今年の旅の下調べにjunemayさんの以前の旅もおじゃましています。
> 小旅行なんで移動のチェックが大変です。
>
> マリアンヌ
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