2016/04/27 - 2016/05/06
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みつこみつこさん
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同僚で旅行友のYさんと2度目の旅行を決行しました。
行く先はドイツ。
ノイシュバンシュタイン城とロマンチック街道へ行きたいYさん、あまりドイツに興味のない私。
まあ、前回と同じく、旅程組立係=Yさん。
いろいろチケット、ホテル手配係=私。
若い頃、就活でツアーコンダクターになろうかと悩んだほどのYさんが、今回の旅程も組み立てました。
またもや盛りだくさんの内容で、私もついつい興味津々。
その旅程とは
1日目ミュンヘン着
2日目ミュンヘン観光からホーエンシュバンガウへ移動
3日目ノイシュバンシュタイン城やヴィース教会観光
4日目ロマンチック街道をローテンブルクまで移動
5日目ロマンチック街道経由フランクフルトヘ
6日目フランクフルト観光、リューデスハイムからザンクトゴアールまでライン川下り、ケルンへ
7日目ケルン観光パリへ移動
8日目パリ観光
9,10日目パリ発 帰着
この旅行記は8日目のパリ ルーブル美術館 絵画鑑賞編です。
水曜なのでルーブル美術館が夜間開館しています。二人で行く予定でしたが、Yさんがお疲れでキャンセル。一人で向かいます。
25年くらい前にNHKで「フィレンツェ ルネッサンス」を見てから、少しづつルネサンス、バロックの絵画が好きになりました。
子の手が離れ始めた10年近く前から、海外に出かけるようになりました。
テレビや本で見ていた絵画を実際に見ることが至福の時間です。
ですのでこの絵画鑑賞編は自己満足の記録編です。
いろいろな文献を参考に自分の感想なども書き連ねていこうと思っております。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ルーブル美術館へは、メトロ7番で19時ごろ到着しました。
この時間からだからなのか、ピラミッドから入場する人はほぼゼロでした。 -
ルーブル美術館のチケットです。自動券売機には日本語モードもあるので簡単に購入できます。
閉館が21時半で2時間ちょっとしかないのに2千円弱の入館料は高いです。
レイト料金があればいいなと思いました。 -
まずは館内地図をインフォメーションで手に入れます。
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2014年には3階のジョルジュ・ラトゥールの部屋は閉鎖していました。今回はリベンジです。しかし館内マップのその箇所は灰色に塗られたまま…。不安を抱えながら、エレベーターGに乗り3階へ行きます。
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エレベーターを降りると「ルイ14世」の大きな肖像画にある部屋の横に出ました。
シュリー翼 ルイ14世の画家たち 展示室34
天井画 -
同じ部屋の全体です。3階で降りたつもりが、どうも2階で降りてしまったようです。
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イアサント・リゴー(1659-1743)「ルイ14世」です。
豪華な公式肖像画に、ポーズをとるルイ14世は、当時63歳でした。当初、彼の孫スペイン王フェリペ5世のために制作されましたが、太陽王朝廷で絶賛されたためフランスに残すことにしました。ペルピニャン出身のリゴーはヨーロッパ全土の貴族階級に贔屓を受け、豊かでたくましい作風の肖像画を主体に多くの作品を残しています。 -
ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)「レイモンド婦人の肖像画」
ダヴィッドはルイ15世治世下で生まれ、シャルル10世治世下で没しました。フランス革命とナポレオン帝政も体験し、多くの混乱したエピソードに積極的に関わったことから、ダヴィッドは政治色の濃い芸術家の原型のように思われています。 -
ところで、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋が見つかりません。自力で探すのを諦め、職員さんに聞きました。
職員「その部屋は閉鎖しています。」
私 「2年前も閉鎖していました。いつまで閉鎖しているの?」
職員「わかりません。」
私 「なぜですか?」
「とにかく、わたしにはわかりません。」を繰り返す若い女性の職員。
不安的中です。その上、「いかさま師」まで見つかりません。
私は「大工のヨセフ」(日本に来ていたのですよね、日曜美術館で見た記憶があります。)と「悔悛するマグダラのマリア」が見たかったのです。
ルーブルに来た大きな目的のひとつが敗れ去りました(だいぶおおげさです)。
うなだれている場合ではありません。時間がありません。次に行きます!
「大工のヨセフ」はルーブル美術館公式ページよりお借りしました。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)「The Death of Dido]
Didoはアエネアスに捨てられたと絶望し死んだカルタゴの女王です。
ルーベンスは53歳で16歳のエレーヌ・フールマンと再婚しました。
この作品は若い愛妻との幸福な時期(1635-1638)に描かれています。 -
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)「ラ・ソラーナ女侯爵、カルピオ伯爵夫人」
不治の病に冒されたことを知ったソラーナ女侯爵は、一人娘に自分の画像を残すために、ゴヤに肖像画制作を依頼しました。立ち姿で若い女性の深刻な表情を独自の奥深さで再現しました。 -
フランソワ=ユベールドルーエ(1727-1775)「Madame Drouaisの肖像」
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「サモトラケのニケ」(紀元前190ごろ)
右側の翼は復元品でしたね。
ニケとはギリシャ語で勝利の意味です。
衣服が激しくたなびき、嵐の風に逆らって凛!と立っている感じがいいです -
アポロンのギャラリー
建物自体宮殿であるルーブル美術館の中でも、まるでベルサイユ宮殿のような絢爛豪華さです。 -
ボッティチェリ(1445-1510)「Un jeune homme presente pari Venus? aux sept Arts liberaux自由学芸たちに引き合わされる青年」
これはフィレンツェ郊外のレンミ荘のロッジア(開廊)を飾っていたフレスコ画の一部で、1873年に漆喰の下から発見されました。
この寓意画はレンミ荘の元の所有者であったトルナブォーニ家のロレンツィ・トルナブォーニとジョバンナ・ディ・アルビッツィの結婚を祝して描かれたものと考えられています。
若い青年(ロレンツォ)は「文法」に案内されて寓意人物に引き合わされます。手前から音楽、占星学、幾何学、知恵、算術、弁証法、修辞です。 -
この女性は、占星学。
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ここからはグランドギャラリーに展示されている作品です。
2時間弱しかないので、ここだけをじっくり鑑賞します。 -
Bernardino Luini (ベルナルディーノ・ルイーニ, 1480年/1482年頃 - 1532年)剥離フレスコ画 「祝福を与えるキリスト」
ベルナルディーノ・ルイーニ は、イタリアの画家です。レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けています。
しかし1521年、彼はローマへ旅行し、そこではラファエロ・サンティの影響を受けました。 -
ベルナルディーノ・ルイーニ 剥離フレスコ画(イエスの誕生と牧人へのお告げ)
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ベルナルディーノ・ルイーニ 剥離フレスコ画(三王礼拝)
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Guido di Pietro dit FRA ANGELICO(1417-1455)「カルヴァリ山(キリストの磔刑)」。
カルヴァリとは、ゴルゴタの丘、カルワリオの丘とも呼ばれています。イエス・キリストが十字架に磔にされました。
フラアンジェリコの作品はフェレンツェのサンマルコ寺院で堪能しましたが、描くことが信仰だったかのように多く作品を制作しています。 -
GIOTTO DI BONDONEジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337頃)「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
フランチェスコ修道士会創設者の生涯を表す挿話4つが描かれています。フランチェスコが聖痕を授かり、プレデルラでは教皇イノケンティウス3世が修道会士会の定款を承諾しました。
量感や空間の奥行きなどフィレンツェルネサンスの始まりがこのジョットだと思います。 -
ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337頃)「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
鳥に福音を説いている聖フランチェスコ。
教皇インノケンティウス3世は夢をみました。[キリスト教会の中心をなすラテラーノ聖堂が崩壊しそうなとき、ひとりの貧しい男が聖堂を肩で支えている]教皇はこの男がフランチェスコであると知り、彼の団体を教団と認可しました。
フランチェスコらの提出した「清貧、貞潔、服従」を旨とする会則を承認しました。
木に止まっていたたくさんの鳥に「我が姉妹、鳥たちよ。」と突然説教を始めました。すると鳥は静かに頭を垂れて聞き入ったというエピソードの場面です。 -
GIOTTO DI BONDONEジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337頃)とアトリエ「描かれた十字架」
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Cenni di Pepe,dieCIMABUE(1272-1302)「(6人の天使に囲まれた)荘厳の聖母(マイエスタ)」
チマブーエはフィレンツェ人画家です。ビザンチン様式の硬直性を嫌ったそうです。その反動が現れています。
衣紋の扱いや立体感の表現が独創的です。額の縁はキリスト、天使、預言者、聖人表す26のメダルで装飾されています。 -
フラアンジェリコ「聖母戴冠」
フラアンジェリコはフィエーゾレのサン・ドメニコ修道会の修道会士ですので、この祭壇画は、もともとはその聖堂に献上されていました。 -
Filippo LIPPI(1406-1469)「天使と聖フェルディアーノと聖アウグスティヌスに囲まれた聖母子」
フィレンツェのサント・スピリト聖堂のために描かれた祭壇画です。フィリッポ・リッピの前期(35歳ごろ)の代表作です。狭い室内を遠近法的に処理して人物群を賑やかに配置しています。これは上記のフラ・アンジェリコの「聖母戴冠」などから学んだと考えられています。幼子キリストや天使たちは好きなほうを向いていろんな表情をしています。聖母マリアもふうつのお母さんという印象があります。
フラ・アンジェリコは神への信仰、祈りを絵にした清貧な印象がありますが、フラ・フィリッポ・リッピは破戒僧で自由人。対照的ですね。でもメディチ家がそんなリッピの理解者で、それでルネサンスがフィレンツェで花開くのですね。 -
Paolo de Dono,dit UCCHELLO 「サン・ロマーノの戦い」
「サン・ロマーノの戦い」は、シエナ軍がフィレンツェ軍に挑んだ1432年の戦いを記念するものでレオナルド・バルトリーニ・サリンベーニがフィレンツェの自分の宮殿に飾るために注文したそうです。 -
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ボッティチェリ 「聖母子と少年聖ヨハネ(バラ園の聖母)」
若い頃の作品です。師匠のフィリッポ・リッピの影響が強く見られます。
バラの生垣は聖母マリアの純潔を象徴しています。
正面を向く少年ヨハネはボッティチェリ固有の甘く繊細鋭敏な人物表現がなされているとのことですが、わたしはこの絵は、バラの生垣と聖母子だけで完結していると思います。綺麗な三角形だし。絵の雰囲気、バランスをヨハネ像が崩してませんか?っとボッティチェリファンの皆様すみませんでした。 -
Andorea MANTEGNA(1431-1506)「La Vierge de la Victoire勝利の聖母」
マントヴァ候フランチェスコ・ゴンザーガが1495年の対仏戦争の勝利を記念して制作させたものです。
果物や花、葉、鳥など過剰な装飾は北イタリア特有だそうです。
聖母の足元に跪き、横向きに合唱しているのが勝利を感謝するマントヴァ候です。 -
Cosme TURA(1430-1495)「ピエタ」
この「ピエタ」はフェラーラのロヴエレッラ家のために描かれた典礼用作品の上部円形パネルです。 -
ANTONELLO DA MESSINA(1457-1479) 「Le Christ a la colonne」
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上
Giovanni BELLINI(ジョヴァンニ・ベッリーニ1459-1516)「Virgin and Child with Saint John the Baptist, Saint Mary Magdalene(?), Saint George, Saint Peter, and a Donor(聖母子と洗礼者ヨハネ、マグダラのマリア、聖ゲオルグ、聖ペーター)」
下
ジョヴァンニ・ベッリーニと工房 「Crucifixion(磔刑)」
ヴェネツィア派を確立した画家として15世紀に活躍したジョヴァンニ・ベッリーニは、宗教的な作品を多く手掛けており、祭壇画も多く描いています。また、 ピエタは生涯をかけて取り組んでいます。 -
Ambrojio da Fossano,dit BERUGON-GNONE(ベルゴニョーネ1453-1523)「聖母子の祭壇画」
聖アゴスト 聖ピエールとともに。
聖母マリアの綺麗な青のケープとは対照的にキリストには色がないです。 -
キリストの髪形がかわいいです。サザエさんみたい。
赤ちゃんが母に向かう姿は、100パーセントの信頼、帰属感を感じられます。 -
LEONARUD DE VINCHIレオナルド ダ ヴィンチのアトリエ「洗礼者ヨハネ」
筋肉隆々が不自然なのでしょう。
本家の「ヨハネ」は、どこかへ出張中です。残念です。 -
ベルナルディーノ・ルイーニ 「洗礼者聖ヨハネの首とサロメ」
ヘロデ王が宴を催したある夜、継娘サロメが来て見事な舞を舞った。機嫌の良くなった王は彼女に言う。「なんで欲しいものを求めるが良い。国の半分でも良いぞ。」
サロメは母に問うた。母ヘロデアは洗礼者ヨハネから受けた侮辱を忘れられず、た「ヨハネの首を」と娘の問い掛けに答える。王は軽はずみを悔いたが約束を果たしました。
ここからサロメは悪女、妖婦の代名詞のように考えられるようになりました。不条理です。
ダ・ヴィンチ工房の「洗礼者ヨハネ」そばに展示されていました。
そういえばなんとなく両ヨハネは似ているような・・・ -
LEONARUD DE VINCHIレオナルド ダ ヴィンチ(1452-1519)「聖アンナと聖母子」
ダ・ヴィンチの死まで傍らにあったこの作品は未完成で絵の具の下に素描が見えるそうです。とにかく不自然な体勢です。でも中世の題材に聖母が聖アンナの懐にすわる、というのがあるそうです。
聖アンナの無理に上げているような口角、能面のような聖母、少々私には違和感があります。 -
しかしキリストはスフマートで輪郭が柔らかくなっていて可愛らしい。
キリストは、自身が将来遭遇する受難の象徴である生贄の子羊をしっかりと手でつかみ、聖母マリアは、それをたしなめようとしています。 -
レオナルド ダ ヴィンチ 「ミラノの貴婦人の肖像」
モデルの女性はミラノ公爵ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人だったとされるルクレツィア・クリベリといわれています。
ルクレツィアというとルクレツィア・ボルジアが有名ですが、彼女はローマ教皇の娘でありあのチェーザレの妹です。この絵のモデルとは別人です。
ミラノ公爵はレオナルドの初期のパトロンとして有名です。 -
レオナルド ダ ヴィンチ 「岩窟の聖母」
跪いた聖母マリアは、幼いヨハネに庇護の手を載せています。
険しい岸壁の奇怪な背景と対比をなす優しさが感じられます。
頭部の金輪などがなくて依頼主に渡ることありませんでした。 -
聖母マリアうつむいた表情が清純な感じです。
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右には天使に支えられた幼子イエスのふっくらした手が、心和む恵みのしぐさを見せています。
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ベルナルディーノ ルイーニ「Le Sommeil de l'Enfant Jesus」
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幼子キリストの中で、口元、目元の品の良さでは一番だなと思う作品です。
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Andorea di Bartolo,dit SOLARIO(1465-1524)
上「受胎告知」
下「キリスト磔刑」 -
Giulio Pippi,dit Giulio ROMANO(ジュリオ・ロマーノ1492-9?-1546)「la Circoncision(割礼)」
ジュリオ・ロマーノはルネサンス中期の建築家・画家です。
ローマのカンピドリオの近くで生まれ育ったジュリオ・ロマーノは、ユリウス二世の在位末期、ラファエロのもとで修行を始め、1513年にはラファエロの工房内において最も重要な人物となりました。
幻想的、官能的なマニエリスム芸術を展開しました。(ウィキ)
教会の中でしょうか、何本も立つ柱のうねうねがローマ、サンピエトロ大聖堂のバルダッキーノの円柱のようです。
割礼されてますね、赤ちゃん。痛いでしょうが、将来、安心です。
母子の頭上に光輪が見えます。キリストの割礼だったのですね。 -
ラファエロ「悪魔をうちのめす大天使ミカエル」
この作品は、おそらくウルビーノ公グイドバルド・ダ・モンテフェルトロのために1503-1505年頃に、この作品と常に組み合わせられる「ドラゴンに立ち向かう聖ゲオルギウス」と同時に描かれたと思われます。(ルーブル) -
この悪魔はミカエルの双子のルシファーなのでしょうか?
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ラファエロとジュリオ・ロマーノ「聖マルガリタ」
ヤコブス・デ・ウォラギネの書いた『黄金伝説』の記述によれば、マルガリタはアンティオキア(現在のトルコ共和国・アンタルヤ近郊にあった町)生まれで、父はアエデシウスという異教の祭司でした。彼女はキリスト教の信仰を持ったため、父からうとまれ、養母と共に羊飼いをしながら暮らすことになりました。オリブリウスという名の地方高官からキリスト教信仰の放棄とひきかえに結婚を申し込まれましたが、彼女がこれを拒んだことから捕らえられ、拷問を受けました。そこで多くの奇跡が起こりました。
たとえばドラゴンの姿をした悪魔に飲み込まれたとき、彼女が持っていた十字架によってドラゴンの体内が傷つき、無事に出てくることができました。 -
この「苦難を乗り越えて胎内から出てきた」という伝説により、民衆信仰では妊婦・出産の守護聖人として信仰されています。(ウィキ)
このドラゴンの口から、今出てきました!
という感じです。 -
ラファエロ「眠る幼子キリストと聖母と幼子聖ヨハネ(冠のマドンナ)」
下絵はラファエロ、しかし実際に描いたのは弟子のジャン・フランチェスコ・ペンニと考えられています。
眠るキリストは「死」=受難を、白いベールは屍衣を暗喩しています。
背景は左手にローマ マクセンティウス帝のバジリカの廃墟が、右手には青く霞んだローマの街並みが見えます。(nhk) -
ラファエロ「友人のいる自画像」
後方がラファエロです。彼は37歳の短命でした。彼の最晩年の作品です。 -
ラファエロを見返すこの友人は、当時のラファエロの愛弟子で、工房の中心人物のジュリオ・ロマーノといわれています。
ジュリオ・ロマーノ、ラファエロを愛していますね。 -
Antonio Allegri,dit CORREGE(コレッジョ1489-1534)「眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス(アンティオペの眠り)」
酒神バッコスの従者である森の精サテュロス(に扮したユピテルともされる)が、深い森の中で眠る美の女神ヴィーナスとキューピッドを覗き見る場面を描いたもので、対画である『キューピッドの教育』と共にマントヴァ公フェデリーコ・ゴンザーガがコレッジョに依頼した最初の作品でもあります。美の女神ヴィーナスは全く警戒心を感じない極めて無垢で甘美な表情を浮かべ・・・(サルヴァスタイル)
官能の一言に尽きます。 -
ラファエロ「著述家であり外交官であるバルダッサーレ・カスティリオーネ(1478-1529年)の肖像」
カスティリオーネは、自身の持つ申し分のない宮廷人の身なりのイメージにぴったりと一致した見事な気品と慎み深さが備わった衣服を着て描かれています。髪をぴったりと押さえつけたターバンを被り、その上には、縁に切り込みが入れられメダルで飾られたたベレー帽をのせています。また、身を包んでいる暗い色のたっぷりとした胴衣は、胸当てと袖の上部に灰色のリスの毛皮が黒いリボンで留め付けられ、開いた胸元からは膨らんだ白いシャツが見えています。この冬の装いから、肖像画は1514-1515年の冬の間、それも、ウルビーノ公によって教皇レオ10世の下での駐在大使として任命されたカスティリオーネがローマに滞在していた折に描かれたものとわかります。(ルーブル)
この作品を購入するためにルーブルは寄付を集めたと記憶しています。
私の職場の机にはこの絵葉書が飾られています。 -
Jacopo Carrucci、dit IL PONTORMO(ポントルモ1494-1556)「聖アンナと聖母子と4人の聖人」
レオナルドの名高い作品と同様、聖母マリアが母アンナの膝に乗り、幼子キリストを抱えているという〈アンナ・ゼルプドリット〉の形式です
その3人を中心に左に聖セバスティアヌスと聖ペテロ、右に聖フィリッポと聖ベネディクトが侍立しています。
中央下部にはメダイヨンが置かれ、そこには1343年7月26日アテネ公を追放を記念してフィレンツェ政府が近郊ヴェルザイアの聖アンナ尼僧院まで毎年この日に行う祝典行列の場面が描き入れられています。(nhk) -
Giovanni Battista di Jacopo,dit ROSSO FIORENNTINO(ロッソ・フィオレンティーノ1495-1540)[ピエタ」
ロッソ・フィオレンティーノがフランス国王フランソワ1世の招きにより1530年から過ごしたフォンテーヌブロー時代の代表作です。
ピエタ=死せるキリストを哀悼の場面ですが、土気色に染まった亡骸は≪死≫そのものであり、神性なる聖体としての表現を大きく逸脱しています。またその体躯はマニエリスム様式特有の引き伸ばされた人体構図が用いられ、印象的な光彩表現が重なることによって、暗く沈んだ背景の中で際立って存在感を示しています。他にも聖母マリアに見られる大げさな身振りやアリマタヤのヨセフ、マグダラのマリアの衣服の鮮烈で明瞭な色彩描写など画家の類稀な独創性と、独自の様式が随所に示されています。(サルヴァスタイル) -
ミケランジェロ・メリージ、通称カラヴァッジォ(カラヴァッジォ)「聖母の死」
1601-1605/1606年
制作時、カラヴァッジォはローマですでに15年ほど活動していました。この作品は、サンタ・マリア・デッラ・スカーラ・イン・トラステヴェレ教会の中にあるヴァティカンの法学者の家族礼拝堂を飾るために注文されたものでしたが、その場所にふさわしくないと判断した聖職者によって受け取りを拒否されました。宗教的な題材なのに 聖なる描写が全くありません。とても写実的で露骨な光景なので、当時の一般の人々に激しい反響を引き起こしました。
カラヴァッジォは、慣習にこだわらず、人々の真の姿とその感情を表現することに専心しています。(ルーブルHP) -
聖母マリアは赤い衣服を着ただけの姿で寝床に横たわっている。傾(かし)いだままの頭、だらりと伸びた左腕、腫れ上がって広げられた脚が、聖母の亡骸を生々しく写実的に描写しています。
前景で独り離れた所にいる女性は、マグダラのマリアと思われます。
カラヴァッジォは聖母の聖性を強調する表現を全くしておりません。 -
カラヴァッジョ「女占い師」
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ローマ、カピトリーノ絵画館の女占い師の手の爪は黒く汚れていました。
ルーブルの女占い師の手はキレイです。お顔もふっくらしています。
ほかにもちがっているところがいろいろあっておもしろいです。 -
カラバッジョ「小姓を連れたアロフ・ド・ヴィニャクール」
アロフ・ド・ウィニャクールは、マルタ騎士団の騎士団総長です。
カラヴァッジョの暮らしは「二週間を絵画制作に費やすと、その後1か月か2か月のあいだ召使を引きつれて剣を腰に下げながら町を練り歩いた。舞踏会場や居酒屋を渡り歩いて喧嘩や口論に明け暮れる日々を送っていたため、カラヴァッジョとうまく付き合うことのできる友人はほとんどいなかった」とされています。1606年には乱闘で若者を殺して懸賞金をかけられたため、ローマを逃げ出しています。
マルタに逃げてきたこの作家をアロフ・ド・ウィニャクールは騎士団の公式画家とするため騎士団に迎え入れました。 -
AnnibalCARRACHE(1560-1609)「ピエタ」
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グィド・レーニ「ネッソスに略奪されるディアネイラ」
ヘラクレスの物語
この見事な神話画の主題は、オウィディウスの『変身物語』から引用されています。ケンタウロスのネッソスがヘラクレスに彼の妻デイアネイラを川の向こう岸に渡そうと申し出る。こうして川の流れの中に遠ざかったネッソスは、若い妻を掠奪しようとする。罠に気付いたヘラクレスは、直ちに矢を放ってネッソスに傷を負わせます。
レーニはここで掠奪の場面を強調しています。背景右側の向こう岸に残ったヘラクレスは、画面の極僅かな場所を占めているに過ぎません。全ての注意はケンタウロスの逞しい体つきの緊迫感へと集中しています。勝ち誇った顔つきに見られる大胆さは、デイアネイラの恐怖との対照的です。 -
左「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」
ヘラクレスの物語から引用された場面を描いた4つの連作です。1617年にグイド・レーニに注文され、1621年に完成した。この連作はフェルディナンド・ゴンザーガ公がマントヴァ近郊に建立させたヴィッラ・ファヴォリータの部屋のひとつを飾っていたと考えられます。連作は、英雄ヘラクレスの力と勇気という寓意によって、ロンバルディア地方の高名な一族の権勢を称揚するためのものでした。 -
同じく左「ヘラクレスとアキレス」
右は失念しました。 -
グィド・レーニ 「聖母子と幼子洗礼者ヨハネ」
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グィド・レーニ 「ヘレネの誘拐」
神話≪パリスの審判≫にも登場する女神達の審判者でありトロイア王の息子パリスが、人間の中で最も美しいとされたスパルタ王妃ヘレネを、スパルタ王が不在時に強奪しトロイアへ連れ帰った神話≪ヘレネの誘拐≫を描いたものです。 -
美しい金髪の天使、うっとりします。
今にも何か悪ふざけしそうです。 -
REMBRANDT van Rijn(レンブラント1606-1669)「Maerten Soolmansの肖像」
この肖像画はレンブラントの肖像画の中でも全身を描いた貴重な作品です。
1877年にフランスのギュスターヴ・ロスチャイルド男爵が購入し、以来フランスで保管されてましたが、一般に公開されたのは、1956年、オランダ国立美術館と同国ロッテルダムにあるボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館が共同開催した展覧会の1回のみでした。
所有者は曾孫にあたるエリック・ロスチャイルド男爵でしたが、2015年9月30日にフランス文化省が発表した公式声明によると、この2点はフランスとオランダが共同購入することで両国が合意しました。 -
Bartolome Esteban MURILLO(ムリーリョ1618-1682)「蚤をとる少年」
2014年11月、この作品は館外に出ていました。
うれしい。この絵をぜひ見たかったのです。 -
強烈な光に包まれて、このぼろをまとった汚い裸足の男の子からは貧困のみじめさがひしひしと伝わってきます。
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眉間にしわを寄せて、蚤をにらんでいます。
ただただ、庶民、貧困 日常の風景ですが、心ひかれます。 -
ムリーリョ「Inigo Melchor Fernandez de Verascoの肖像画」
2014年にはムリーリョの作品はほとんど無かったと記憶していますが、このたびはたくさんのムリーリョの作品を見ることができました。 -
ムリーリョ「聖家族」
この《聖家族》は聖母と幼子イエス、聖エリザベツと洗礼者ヨハネを、聖霊の鳩と父なる神の下でひとつにまとめ上げています。幼い洗礼者ヨハネが自らの従兄弟に差し出している葦の十字架は、成長したイエスに降りかかる受難を喚起しています。この作品はムリーリョの成熟期に属しており、ラファエッロの作品から影響を受けた見事な穏やかさへ向けた様式への発展を示しています。
家族、受難、三位一体
聖母マリアは膝上に立つ幼いイエスを抱き、優しい眼差しを注ぎながら洗礼者ヨハネと彼の母親である聖エリザベツからの礼拝を見せています。幼い洗礼者ヨハネが差し出した葦の十字架をイエスは片手で掴んでいます。この十字架と同様に前景に描かれた小羊は、キリストが被る受難を告げています。幼子イエスの頭上には聖霊の鳩がいます。さらにその上のぽっかりと口を開けた厚雲の中からは、小天使に囲まれた父なる神が地上にいる家族たちに向かって両腕を広げています。これら三位一体の喚起は、同時にこの聖家族像に厳粛さをもたらしています。イエスとその従兄弟の出会いという主題は、とりわけラファエッロ(「美しき女庭師」)といったルネッサンスの芸術家たちの関心を引き寄せました。この場面は洗礼者ヨハネはキリストの洗礼以前にキリストと出会っていないとする聖書の中には登場していないものの、フランシスコ会の文献『擬ボナヴェントゥーラの瞑想』には典拠されています。この著作によると、聖家族はエジプトへの逃避の後聖エリザベツのもとを訪れています。こうして二人の従兄弟は一緒に遊び、その際洗礼者ヨハネはすでにイエスに対して多大な敬意を示していたとそうです。(ルーブルHP) -
ムリーリョ「無原罪の御宿り」
聖母となるマリアもアンナの胎内にsexなしで受胎されました。
ムリーリョは「無原罪の御宿り」を数十点描いています。 -
ムリーリョ「聖母マリアの誕生」
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ムリーリョ「Frere Junipero etle pauvre(貧困)」
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ムリーリョ「La cuisine de anges(天使の台所)」
どういう場面かまったくわかりませんが、中央の台で二人の天使が、争ってます。 -
ゴヤ「サンタクルス侯爵夫人」(Mariana Waldstein, neuvieme marquise de Santa Cruz.)
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ゴヤ「Don Evaristo Perez de castroの肖像画」
ドゥノン翼グランドギャラリーの西奥、スペインの画家の展示室
もちろんムリーリョはスペイン人。ゴヤ、そしてエルグレコ、ベラスケス・・・
スペインの画家も興味深いです。 -
Sir Henry RAEBURN(ヘンリー レイバーン1756-1823)「花をもつ少女」
ドゥノン翼最西端、イギリス人画家の展示室まで来ました。
ジョシュア・レノルズ「マスター・ヘア」1788年は、やはり見当たりません。
超人気でどこの美術館からも引っ張りだこなのかも知れません。
でもこの作品も、「マスターヘアー(フランシス・ジョージ・ヘアの肖像画)」に劣らず可愛く素敵です。 -
ドゥノン翼西はじから外を眺めます。
リシュリュー翼の西端からチュイルリー公園方向が見渡せます。
少し陽が落ちてきました。明るいですが、夜9時ごろです。
Uターンします。 -
スペインの展示室に戻りました。
3作すべてゴヤの作品です
中央「フェルディナン・ギュマルデの肖像画」
フェルディナン・ギュマルデは元立憲議会議員で医者そして1798-1800はマドリッドのフランス共和国大使でした。
彼の息子がルーブルに寄贈しました。息子はドラクロワの友人だったそうです。
左「Woman with a Fan」
右「青い服の子供」
「青い服の子供」のモデルのルイス=マリア・デ・シストゥエは、スペイン王家に近い貴族の子息で、その後のスペイン独立戦争で活躍した人物です。この作品はモデルの一族によって継承された後、アメリカの実業家ジョン・D・ロックフェラーJr.のコレクションとなり、その後ファッションデザイナーのイヴ・サン=ローランとピエール・ベルジェが愛蔵しました。そしてサン=ローランの死後、2009年にベルジェによってルーヴル美術館に寄贈されました。 -
Jusepe de RIBERA(ホセ・デ・リベイラ1591-1652)「エヴァンゲリスト聖ジョン」
エヴァンゲリストとは福音を説く人、使徒、伝道者、宣教師、といった意味でですが、ある特定のものに惚れ込み、その良さを吹聴する人のこともこう呼びます。 もちろん、かの「エヴァンゲリオン」と語源は同じです。(グーグル)
「エビ足の少年」はいませんでした。 -
スペイン画家の展示室と言いましたが、ムリーリョルームです。
ムリーリョだらけ。堪能しました。 -
Domenikos THEOTOKOPOULOS, known as EL GRECO(エル・グレコ1541-161)「キリストの磔刑と二人の寄進者」
スペインにおける彼の初期の作品です。のびてねじれています。
後期マニエリズムです。下から見上げるとちょうどいい具合です。 -
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Giovanni Paolo PANINI(1691-1765)「古代ローマ景観図のギャラリー」
ポンペイとヘルクラーネウムの遺跡の発見から、イタリアを筆頭にヨーロッパ全土で考古学ブームがおこりました。
パンニーニがローマのモニュメントの大部分を描写しました。ラオコーンが見えます。 -
パニーニ「Gallery of Views of Modern Rome(現代ローマの風景画ギャラリー)」
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Gaspare TRAVERSI(ガスパーレ・トラヴェルシ1722 ?-1770)「Posing for a Portrait(ポーズの時間)」
ポーズをとる若い女性の控えめな態度は、画家を取り囲む人々の身振りと極めて対照的です。画家を誉めそやしているようです。
トラヴェルシはナポリ出身です。彼は人々の日常生活=喧嘩、トランプ遊びの中にある心理洞察に取り組んでいます。 -
グィド レーニ「The Union of Drawing and Color(デッサンとカラーの結合)」
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グィド レーニ「The Purification of the Virgin」
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Antonio Carracci(アントニオ・カラッチ1583-1618)「Le Déluge(洪水)」
旧約聖書『創世記』による物語 大洪水
神は、地上に増えた人々の堕落(墜落)を見て、「これを洪水で滅ぼす」と神と共に歩んだ正しい人であったノア(当時500〜600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じました。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくしました。水は150日の間、地上で勢いを失いませんでした。
カラッチはノアの方舟ではなく実際に洪水でなくなっていく人々を描きました。 -
グイド・レーニ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」
少年ダヴィデがペリして人の巨漢戦士ゴリアテと戦い石を相手の眉間に投げて倒し、その首をはねます。 -
レーニは羽飾りのついた帽子をかぶる美少年風のダヴィデを描き、投石器を片手にゴリアテの組みを眺めています。ゴリアテが男前です。カラバッジョ風です。
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グランドギャラリー中央あたりの窓から
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Attributed to Francesco MAZZOLA, known as PARMIGIANINO(パルミジャニーノ1503-1540)「Portrait of a Young
アトリビュートはこんな時どう訳すのでしょうか。
パルミジャニーノに起因する でしょうか。 -
パルミジャニーノに関係しているのは間違いないでしょうが、胴体が引き伸ばされたあの「聖母子像」(ウィフィツィ)と作風が一致しません。
しかし官能的というか蠱惑的であるところは共通と感じます。 -
バッティスタ・ドッシまたはバッティスタ・デ・ルテリ(Battista Dossi aka Battista de Luteri, 1490年頃 - 1548年頃)「聖ヒエロニムス」
お兄さんはドッソ・ドッシです。ふたりしてフェラーラの宮廷に仕えました。
聖ヒエロニムスが描かれているときは、ライオンと髑髏がアトリビュートとして描かれます。
ある時、修道院にやってきた傷ついたライオンの棘を抜いてやると、ライオンがそのまま棲みついたというエピソードから来ています。
髑髏の由来は不明です。 -
AntonioAllegri,dit CORREGE(コレッジョ1489-1534)「Mystic Marriage of Saint Catherine with Saint Sebastian」
聖カタリナの神秘の結婚 ともにいるのは聖セバスチャンだそうですが、洗礼者ヨハネです。変と思って調べました。
その背景(左奥)では聖セバスティアヌスが、その身に矢を受ける有名な場面≪聖セバスティアヌスの殉教≫が描かれていました(サルバスタイル)。
また、幼子イエスと聖カタリナの婚姻を、静かに見つめる聖母マリア。暖かな光に包まれることによって輝きを放つ聖母の聖性と母性の表現は、コレッジョ作品の大きな見所のひとつです(同) -
Andrea d'Agnolo di francesco,dit ANDREA DEL SARTO(アンドレア・デル・サルト1489-1530)「charite(慈愛)」
ピエロ・デ・コジモの弟子、アンドレア・ダニョロは父の職業、仕立て屋に由来する”デル・サルト”と呼ばれました。
ほとんどフィレンツェで過ごしましたがフランソワ1世に招かれ1年弱フランスで過ごし、レオナルドの「聖アンナと聖母子」に似たピラミッド型作品を描きました。
しかし聖アンナのひざに乗る聖母子のあの不自然さはありません。 -
アンドレア・デル・サルト「聖母子と聖エリザベーツと幼子洗礼者ヨハネ」
彼の画風はレオナルド・ダ・ヴィンチに倣うスフマート(ぼかし技法)や安定的でリズミカルな構図を基礎とした16世紀初頭の古典主義への傾倒が認められ、マニエリスム独自の特徴として陰鬱な表情表現以外はあまり見られません。
しかし彼の弟子であったポントルモや、ロッソ・フィオレンティーノなどマニエリスムの創始的な画家たちに少なくない影響を与え、結果として、ルネサンスとマニエリスムの橋渡し的な存在となったといえます。(サルバスタイル) -
アンドレア・デル・サルト「聖母子と聖エリザベーツと幼子洗礼者ヨハネと天使たち」
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ラファエロ{聖ゲオルギウスと龍」
「悪魔をうちのめす聖ミカエル」と同じく小さな作品です。 -
ラファエッロ・サンツィオ、通称ラファエッロ(ウルビーノ、1483年−ローマ、1520年)「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」 1507-1508年
聖母と幼子イエスが幼い洗礼者聖ヨハネに伴われてゆったりした風景の中に描かれており、前景は聖母の人間性の象徴であるスミレやキリストの受難の象徴であるオダマキの花を含む克明に描写された花々が散りばめられています。当初は《農民の聖母》として王室コレクションの記録に記されていたこの絵画は、1720年頃に、芸術愛好家のピエール・ジャン・マリエットの『手引書』の中で《女庭師》という名が付けられ、その直後に複数の版画作品の銘の中で《美しき女庭師》と書かれるようになりました。
1505-1506年の「ベルヴェデーレの聖母」(ウィーン)と「鶸(ひわ)の聖母」(フィレンツェ)の後、ラファエッロのフィレンツェ滞在の終わりに当たる1507-1508年に制作された「美しき女庭師」は、風景の前景でピラミッド型の動的な構図の中に描かれた、聖ヨハネと聖母子というモチーフに関するラファエロの研究を締めくくるものとされます。 -
キリストと洗礼者ヨハネです。
ラファエロの描くおさな子はほんとに愛くるしい。
もえー
は、こんな時に使えば良いのでしょうか? -
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Domenico GHIRLANDAIO(ギルランダイオ1449-1494)「老人と孫の肖像」
老人の上着からは裏地の毛皮がのぞいています。この富裕な老人と孫の 目と目を合わせた親密な情の深さを感じる作品です。病によって容貌が歪められています。それを写実的に描いているけれど、モデルは生きておらず、死に顔のデッサンから肖像画をおこしています。 -
ギルランダイオとそのアトリエ「聖母子と幼子洗礼者ヨハネと3人の天使」
ギルランダイオは通称です。 髪につける穴飾りを意味します。父親が金銀細工職人で花飾りを作っていたことから、こう呼ばれるようになったそうです。
この作品の額の四隅にあしらわれた花飾りや、まるで聖母の花飾りのように配された白ユリが、ギルランダイオ=花飾りと呼応しているようです。 -
BARTOLOMEO DI GIOVANNI (1458-1501)「テティスの葬列」
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ギルランダイオ「聖母マリアの聖エリザベツ訪問」
ロレンツォ・トルナブォーニの注文でフィレンツェのサンタマリア・マッダレーナディパッツィ聖堂の同家の礼拝堂のために描かれた祭壇画です。
中央は年老いて身ごもったエリザベツ(洗礼者ヨハネの母)を訪れる聖母マリアの場面、凱旋門状の建物のアーチの向こうには。ローマの古代建築(パンテオンやコンスタンティヌスの凱旋門)などを含んだ創造的な風景が展開します。
左の女性は使徒小ヤコボの母マリア、右は使徒大ヤコボとヨハネの母マリア・サロメが表されています。
母親たちだけが描かれているのは面白いです。 -
ギルランダイオ 「聖母子」
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最後は「モナリザ」です。
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ガラスで保護されていて光が反射してしっかり鑑賞できないです。
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彼女の微笑み、口角が上がりすぎかしら・・・
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どの方向から見ても視線が合うような気がします。
この角度からは可憐な少女に見えます。 -
ピラミッドを下から見上げました。ライトアップでキラキラしています。
閉館の時間です。見ることができなかった作品もたくさんありますが、
ムリーリョ、グイド・レーニはいっぱい見れました。
グイド・レーニは美男子でありながら生涯独身で、女嫌いや無類の賭博好きという変わった性格であったとも伝えられ、「孤独な隠者」とも呼ばれたそうです。
女嫌いで生涯独身。レオナルド ミケランジェロ ボッティチェリ そしてレーニか・・・ -
2014年11月はクロークにコートを預けました。
2016年5月、ルーブルに大きなロッカー室ができていました。ロッカーは大小あわせて1000個はあったと思います。4桁の暗証番号を押し施錠、また暗証番号を押し開錠。無料です。初めにコインを入れるんだったかな?失念しました。
鑑賞をするには出来るだけ軽装がいいです。それに、館内は暑いので(私は特にそう感じます。)是非ロッカーを利用されるといいと思いますよ。 -
21:30
夜の帳が下り始めました。 -
ピラミッドとカルーゼル門の間のロータリーです。ウロウロとホテル近くに停まる路線のバスのバス停を探しました。疲れていると判断力が鈍ります。気力も無くって。バス停を探すのを諦め、メトロで帰りました。
翌日このそばをバスで通りました。バス停が、近くにありました。事前に調べていたのに。あと50m歩けばそのバス停だったのになー。
エッフェル塔が素敵です。 -
メトロを出てラファイエット通りをトボトボと東へホテルへと歩きます。
セントビンセントデポール教会が左手(北側)に見えました。ライトアップされてキレイです。時刻は22:40を指しています。 -
ホテルに到着しました。ドアをノックして、ドンドンドンッと何回もドアをノックして、先にホテルに帰って、疲れて深い眠りについているYさんを起こして部屋に入れてもらいました。
明日は帰国です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- さくらとすみれ(名前を変更しました)さん 2017/05/03 13:19:01
- おさち安藤とんぴりぴんです。
- 返信ありがとうございました。
バックパッカー40日間で、飛行機、お土産含めて、現地ツアー代金、食費、各ホテル代金すべて込みで75万ほどでした。
ホテルは全て安い宿、ですが、汚くはありません。安くて、豪華(トイレにテレビ)も
プラハではあり、、、
女子のドミトリーは1泊しました。
食費は1日10数ユーロと貧しいものでした。が、見たい場所に行きたい時間に行き、天気やニュースを見てはその日の行動を決めて、きままに過ごし、オペラ鑑賞、一流の吹奏楽鑑賞、コインランドリー探して洗濯、わりと地域密着型で過ごしていました。
ただ現地のより安いツアーを探して予約や、列車、バス、電車、各ホテルまでもいつも自力ですので、自分の身を自力で守らなくてはならない、リスクはありましたが、プラハでも、船の食事をし、荘厳な風景を見たり、食事はほぼ、モールかアジアンフードで済ませ、たまに美味しい食事、旅費を削減したので、その分破格な安さでした。
ツアーで、良いのだと1週間で、1人50万とかしたりもしますね?
生きて帰国したから言えますが、こんな旅もありかと個人的には思います。
毎日緊張感と発見の連続で刺激的でした。
長々と、長文乱文失礼致しました。
パリも素敵ですね!私もパリは街歩きと、ルーブル美術館、オルセー美術館、エッフェル塔等や、南仏、ニース、エズ、アビニョンへと行きました。
また、お邪魔いたします。
騒がしくてすみません。
旅話する人がいないので、、、つい。
- みつこみつこさん からの返信 2017/05/21 22:16:59
- RE: おさち安藤とんぴりぴん様。
- 返信、ありがとうございます。
75万円、うわー高い!と思いました。
でもよく考えると75万円では買えない豊かな経験、刺激、たまりませんね。
私もやってみたい!
わたしは、来年、スペインに行ってみようと思います。
2週間くらい。予算は20万円くらいです。
今、下調べ中ですが、いろいろ調べたり、予約したり、この面倒なことがまた楽しくもあります。まだまだ出発は先なのに、もう旅は始まっていますよね。
おさち安藤とんぴりぴん様の旅行記を拝見しました。必死で頑張って楽しんでらっしゃる感じが伝わってきます。できれば写真も拝見したいです。
ではまた、お元気で。
お互い、楽しい旅行をしましょうね。
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