2016/06/02 - 2016/06/02
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たびたびさん
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岩国といえば、錦帯橋。日本三名橋や日本三大奇橋にも数えられて、その知名度は抜群。全長193.3mの木造5連のアーチは、岩国藩3代当主吉川広嘉が中国の西湖に架かる橋をヒントに作らせたものですが、長く伸びた桁のない木造のしなやかなアーチ部に対して、橋脚に相当するのはこれ以上なくがっちりした何だか城の石垣のような塊り。優美な姿と濁流を屁とも思わない頑強さを併せ持っていて、一度見ると忘れることができない。その強烈なインパクトがこの橋の最大の魅力だと思います。
そして、それに加えて、錦川の美しさと一帯の箱庭のような街並み。特に、春の桜の季節とか最高。前回来た時はちょうど桜の時期で、花吹雪の中の錦帯橋はえもいわれぬ美しさだったのですが、今回も花ショウブがちらほら咲いていて、またまた目を楽しませてくれました
ということで、錦帯橋の周辺は町全体が完全に観光地化されていて、のどかそのものなのですが、やっぱり歴史を考えた時に思い起こされるのは、藩祖、吉川広家と幕末の長州征伐でしょう。
吉川広家は、毛利元春の次男。関ヶ原の戦い際には、家康の本陣を見下ろす南宮山に陣取っていたのですが、家康に毛利の本領安堵を条件に戦闘に加わらず、また、後方に陣取る毛利本隊の毛利秀元、安国寺恵瓊、長宗我部盛親の軍を抑える働きをします。父、吉川元春は、毛利元就の次男であり、兄の毛利隆元、弟の小早川隆景とともに三本の矢の一人として毛利を支えた人物ですから、なんとしてでも毛利家を潰してはならないという強い思いがあったものと思いますが、毛利輝元は大阪城に詰めていたとはいえ西軍の大将ですからさすがに本領安堵は守られず、毛利家は周防・長門の二か国に削られることになってしまいます。広家の行動はスタンドプレーだったこともあり、二か国でも存続したと考えるか、南宮山から打って出ていれば、そもそも西軍の勝機もあったと考えるか等々、毛利家の家中での評価はけっこう微妙だったとも想像されます。毛利本家は、江戸時代のほとんどを通じて、岩国は藩として認めない一方、徳川幕府は藩としての処遇をしていたとかも、なかなか際どいものがありますね。余談ですが、関ヶ原で毛利本家を率いていた毛利秀元は輝元の養子で跡を継ぐ予定だったのですが、輝元に実子、秀就ができるとこれを辞退。秀元は秀就の家来と言う立場となるのですが、そこがぎくしゃくすると広家が重きを成したり。やっぱり、存在感のある人物だったことは確かなようです。
一方で幕末の長州征伐。一次長州征伐は、攘夷の決行に対し、列強四国からその報復を受けるという下関戦争を戦っていたこともあり、禁門の変の責任を取らされる形で三家老が切腹し、幕府に屈した長州藩でしたが、二次の長州征伐では高杉晋作の正義派が主導権を握り、幕府軍を見事に撃退します。幕府軍は、「芸州口」「周防大島口」「石州口」「小倉口」の4方面から攻め込みますが、岩国藩が受け持ったのは、正面とも言うべき「芸州口」。そして、幕府四天王の彦根藩23万石の井伊家、高田藩15万石の榊原家の軍勢をこてんぱんに打ち破ります。その後、幕府軍も近代化した紀州藩が出てくるとこう着状態になりますが、いずれにしても長州征伐の目論見は完全にくじかれるわけです。それにしても、岩国藩が諸隊の支援を受け最新兵器を使っていり、幕府軍も厭戦気分があったとはいえ、ちょっと出来過ぎ。これだけの力がどこに備わっていたのかちょっと不思議な気持ちにもなってきますが、関ヶ原の雪辱を晴らしたいという気持ちも少なからずあったと考えれば、ちょっと納得感もあるかもしれません。
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岩国駅に到着して。
この観光案内所は岩国駅の構内ではなくて、出てすぐのバス乗り場。切符売り場と一緒になって窓口がありました。錦帯橋はここからバスで行くんですが、その錦帯橋の情報はここで予めゲットするのがいいでしょう。 -
詳しい街歩きの地図ももらえるし、岩国寿しのお勧めのお店も教えてもらいました。もう何度も来ている錦帯橋ですが、まだまだ見ていないところはいっぱいあったんですね。なるほどー
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まあ、急ぐこともないので、岩国駅の周辺をぶらぶら。
桜庵 三木屋は、岩国市内では知られた老舗和菓子屋さん。 -
名物のどらやきをいただきました。たまごがたくさん入っているんでしょうか。生地の黄色の色が濃くて、かなり柔らかめ。餡子の甘さを優しく包むちょっと個性派のどら焼きでした。
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岩国駅の周辺で一番大きな商業施設はこのフジグランです。愛媛に本社を持つスーパーなんですが、広島や山口にも積極的に進出しています。岩国駅から錦帯橋に向かうバスは、このフジグランの前のバス停も通るので、このままここから錦帯橋に向かいます。
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錦帯橋へのバスのコースはいろいろあるのですが、どっちにしても最終的に錦帯橋に行けるバスはかなり頻繁。時間は20分くらい。片道料金は300円です。
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錦帯橋に到着して、まずは手前のエリアから回ります。
この椎尾八幡宮の始まりは、寛永3年(1626年)。 -
岩国二代藩主、吉川広正により建立されました。
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本殿は長い石段を登った先です。
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つまり、錦帯橋や錦川を見下ろす高台にあるのですが、むしろ、本殿に上がる途中の辺りから見る市街地の方がいい眺めのように思います。
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これが本殿ですね。
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しっかりした姿です。
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椎尾八幡宮を降りて。
錦帯橋に向かうバスの中から、元祖岩国寿司の宿と書いた提灯が見えて気になったので、さっそく行ってみました。門を入って玄関から声を掛けると、「うちは予約してもらわないとダメなんです」との答え。なるほどそうだったんですか。しかし、予約をするほど分かっている人がどれだけいるのか疑問ですが、やっぱりそんなに需要があるわけでもないし、そこは難しいところです。 -
久しぶりの錦帯橋ですね。
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今日は天気もいいし、錦帯橋はやっぱりこうでないといけません。
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イチオシ
河原に降りて、下から眺めます。岩国城が山の上に小さく見えているんですが、分かりますかあ。
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流れは穏やかですが、この川が何度も橋を流してしまっていたんですね。この頑丈な橋脚もちゃんと必要性があって生まれたものと言うわけです。
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イチオシ
真裏からの眺め。こういうのを空に架かったようと言うんでしょうね。
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手前に戻って。
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これは、錦帯橋のそばの錦川に面した場所にある岩国市観光協会。
なんか寂しげな感じでしたが、二階の事務所を訪ねると、おいでませ山口観光キャンペーンの「おいでませパスポート」をくれました。これを示すとお店で特典が受けられるということだったんですが、そこまでの買い物はしなかったので、利用価値についてはよくわからない結果となりました。
ただ、対象エリアは山口全県下。山口県はけっこうがんばってます。 -
さて、早めの昼食は。
錦帯橋のたもとにある平清です。 -
岩国寿しをいただきましたが、二階の店内からは目の前に錦帯橋を一望できる大きな窓。最初にこれが目に飛び込んできて、うわーっと思ってしましました。
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イチオシ
お寿司の方は、もう少し彩りが鮮やかだったらなあという感じ。パンフレットほどの鮮やかさはありません。
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では、ここから錦帯橋を渡ります。
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木の橋なので歩くのが気持ちいんですが、
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イチオシ
しかし、それもここまで。
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登りになるとなんか歩きにくい。歩幅が合わなくて独特の微妙な歩きにくさがあるんですよね。まあ、ゆっくり歩くには問題ないんですが。。
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一方の錦川は川原も広いし、なにより水の美しさがすばらしい。
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桜の季節だとピンクの桜の花と青い清流の組み合わせが最高です。
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この日はもう初夏の日和でしたが、さらさら流れる水のきらめきがとても涼しげでした。
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下って、上って。
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もう一つ越えて、対岸です。
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イチオシ
これは錦帯橋を振り返った眺め。
この槍倒し松は、橋のたもとに生えた老松で、その松越しに錦帯橋を眺めるのがいいアングルになっています。
ちなみに、「槍倒し」というのは松の姿のことを表しているのですが、岩国藩の位置づけも関係しています。毛利本家では岩国藩は萩毛利藩の一部であり、藩ではなく岩国領であるとしていたことから、岩国を通過する大名は槍を倒すという礼を尽くさなかった。これに対し異を唱える岩国では、槍を立てたままで通行できないよう邪魔をするために植えたという説もあるようです。 -
槍倒しの松の隣りには、巌流ゆかりの柳というのもあります。
さほどの大きなもない柳の木ですが、佐々木小次郎が錦川の河畔で風に揺れるこの柳の枝を切り、水辺を素早く飛び交う燕を切り落とす秘剣燕返しを編み出したというもの。
吉川英治が「宮本武蔵」でそのように記しているもので、もちろんフィクションですが、岩国と佐々木小次郎の関係に思いをはせるにはかっこうの材料になっているように思います。 -
吉川広嘉公銅像は、錦帯橋を渡って街並みに入ったところ。傍らには種類の豊富さがウリのソフトクリーム屋さん、むさしのお店もあって、ちょっと一服したくなる辺り。公園風の芝生の中に立っているので、すぐにそれとわかります。
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ところで、吉川広嘉は、岩国領の第3代領主。関ヶ原の戦いで毛利家の軍勢が戦いに巻き込まれるのを阻止した吉川広家の孫でもあります。そして、再三にわたり大水で橋が流失していた錦川に錦帯橋を造った人物です。裃の姿は少し堅いような気もしますが、広嘉の人脈の広さがあってこその錦帯橋実現だったようです。
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そのまま先に進みますが、この季節は新緑がきれいですねえ。
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イチオシ
これは香川家長屋門。吉川広嘉公銅像の脇を抜けてすぐです。
岩国藩の家老香川氏の表門で、江戸時代中期のもの。それにしては、白い漆喰壁とか美しくて、そんなに古さを感じない。よく手入れをされてきたのではないかと思います。いずれにしても、この一角はどこもかしこも美しくて、観光地岩国の面目躍如の景色の一つだと思います。 -
さらに進んで、
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吉香神社の裏手の方。お堀の水の潤いもあるのですが、
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イチオシ
これに加えて噴水の公園。けっこうな規模があって、子供連れで来たら楽しげなエリアです。
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錦帯橋の周辺には、江戸時代の建物が多く残りますが、中流の武家屋敷がまるまる一軒残っているのはこの目加田家住宅だけ。
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塀囲いの中に入るとおとなしい外観の母屋と縁側の先にはよく手入れされた路地庭があって、今でも住めそうな感じです。
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なお、屋根瓦が変わっていて、両袖瓦と平瓦の二種類の瓦を組み合わせた二平葺きというのだそうですが、これはよく見ないと分かりません。
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岩国城ロープウェイは、錦帯橋と岩国城のセット券があって、それを利用しました。
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ロープウェイ自体はさほどの規模ではありませんが、
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イチオシ
上るにしたがって、眼下に錦帯橋や錦川、岩国の市街が広がってきて、その美しさはなかなかのもの。とっても楽しいロープウェイです。
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岩国城ロープウェイを上がって山頂駅を出ると、ちょっとした空地のような場所があって、それがおもしろパーク。その中心に白い灯台のような建造物があって、これは何だろうと思ったら、からくり時計だそう。毎時間3回、時間になると錦帯橋の鵜飼をテーマにしたカラクリが見られるそうです。
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錦帯橋周辺からよく見える岩国城ですが、現在の天守閣は昭和になって復興されたもの。
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かつての岩国城は、江戸初期に関ヶ原の戦いで敗れた毛利家とともに吉川広家が米子から岩国3万国に移封され、その際に築いたとされますが、幕府の一国一城令によりすぐに破却されています。幻の城と言ってもいいかもしれません。
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城の中は展示室になっていて、刀の類が豊富。
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そして、錦帯橋に錦川周辺の市街地から、瀬戸内海まで見渡せる景色が見どころでしょう。
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錦川が蛇行して瀬戸内海に注いでいて、
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その蛇行した川の内側に市街地が広がっています。一方で、錦帯橋の手前のエリアは、ここからでも緑が多いことがよく分かります。
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さっき来た道が天守閣の眼下に見えています。ここから見ても、周囲は新緑の盛りですね。
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かつての城跡はこの石垣が残るだけ。
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林道を通って、ロープーウェイの駅まで戻ります。
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ここから、中心部をさくっとまわります。
藤岡市助博士像は、岩国ロープーウェイの入口の向かい、岩国美術館の正面に建っています。少し空を見上げるような背広の男性像。この藤岡市助は、幕末に生まれ。実業家として、日本で初めて白熱電球の実用化に取り組んだ「日本のエジソン」。最近、ちょっと東芝の経営はおかしくなってますが、東芝の創業者の一人でもあるよう。広く寄付を集めて造られたようです。 -
すぐ向かいは白蛇横山観覧所。
白蛇なんて見たってしょうがないと思ってこれまで見たことはなかったんですが、それでもと思って見てみると。。 -
想像していたよりずっと大きいし、よく動きますねえ。青大将の突然変異だと思いますが、木の枝にとぐろをまいたりしている姿はそんなに気味悪くもない。米蔵に住みついて、米を食べるネズミを追い払ってくれただとか。それを感謝する言い伝えとかまあまあ分からないでもないかなあと思います。
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白山比咩神社は、岩国城のある城山のふもと。
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白山は石川県の白山。この神社も石川県の白山神社の分霊を移したもののようです。本殿は明治31年に再建されたもののようですが、中門の歴史を経た渋い姿にまず触れるので全体として落ち着いた印象が残るように思います。
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錦川水神社は、白山比神社の入口脇。山門の先に小さな祠が見えるだけの簡単な造りですが、門の前に二つの石柱が建っていて、それが少し重々しさをだしてるでしょう。
ちなみに、当社は白山比神社の境内社という位置づけで、祭神は弥都波能売神(みづはのめのかみ)。カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から生まれたという神様です。 -
そこから吉香神社のエリアに向かいます。
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イチオシ
お堀と錦雲閣の眺め。岩国でもこの辺りは一番美しい一角でしょう。
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錦雲閣の正面に出てきて。旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂のよう。
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内部に入ると、外観のイメージと違って、がらんとしていて、ほったらかしになっているような姿ですね。
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これも同じ敷地内の田中穂積の碑。
軍人のような格好の銅像ですが、岩国出身の軍人であり、作曲家でもあった人物だそう。石碑は代表曲の「美しき天然」歌詞が書かれたものです。曲はワルツ。西洋の文化に負けまいとする当時の気風の中で作られたものではないかと思います。 -
吉香神社の正面が見えてきました。
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この神社は、吉香公園の中心部。
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お堀に囲まれたエリアにあって、本殿から拝殿、神門まで含めた檜皮葺の美しい屋根がまぶしいです。
この神社は、旧岩国藩主吉川家の先祖を祀るもの。1728年 (享保13年) に造営された古いもののようですが、傷みもほとんどないように思います。 -
褒忠社は、吉香神社の入口を過ごして少し奥。吉香神社の末社というのですが、もともとは、初代藩主吉川広家が紅葉谷にあった竜門寺境内に節臣廟を建て吉川家の死節の臣をまつる回向所だったものを、後に、神社に改めたのだそうです。
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ただ、今でもそんなに神社という感じはしないかもしれません。
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また奥の方に進んで。
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ここは街歩きの地図にも、ただ日本庭園とあるだけ。吉香公園の北端に当たります。
城山のふもとの地形を生かして、紅葉が周囲を覆うように生えていたり、せせらぎの先にはちょっとした滝もあったりと日本庭園の体裁は整っているのですが、逆にそれ以上のものでもないような。城山登山道に向かう人がここで元気を付けるということでしょう。 -
国木田独歩は、千葉県銚子市の生まれですが、裁判所の書記官であった父の仕事の関係でこの岩国にも住んだことがあり、明治11?16年の小学校時代は市内にある錦見小学校に通っています。
この文学碑は日本庭園の片隅にあって、それを記念するもの。「欺かざるの記」の一節「岩国の時代を回顧すれば」が刻まれています。 -
吉香公園内には、吉香花菖蒲園と城山花菖蒲園の二つの菖蒲園があります。
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こちらの城山花菖は規模は小さいのですが、木製の遊歩道が整備されているので、
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気軽に散策しながら菖蒲を間近で見られる利点があるように思います。
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宇野千代顕彰碑も吉香公園の中ですが、ちょっと目立たない場所にあって分かりにくいかもしれません。
碑文は 「 幸福は幸福を呼ぶ」という言葉。宇野千代の人生訓で、「幸福は自分の心にも反射するが、また、多くの人々の心にも反射する」と述べています。そういう人になりたいという強い思いのようなものも感じる言葉だと思います。 -
吉香公園は、本来、岩国藩主吉川氏が居住していたエリア。岩国城はなかったので、この邸宅が城のようなものだったと思いますが、旧吉川邸厩門はその遺構の一つ。いかにもがっちりした門で馬屋を備えます。
ちなみに、門の奥は平地。ここに建っていたであろう吉川邸は、今では岡山県の後楽園に移築されたということです。 -
代わりに建っているのは旧吉川家岩国事務所。吉川邸厩門を入って、平地の奥の方に建つ日本建築です。
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事務所、倉庫、便所の三棟が山口県指定文化財となっています。吉川家は明治維新後は東京で暮らしますが、明治22年、吉川元光の代に本宅の裏にこの建物を建てたのだそうです。
内部の見学はできませんが、敷地は自由に出入りできるので問題はありません。 -
岩国徴古館は、昭和20年に完成したという建物。石造りのシンプルな構造で、当時の頻繁な空襲とかも頭に置いていたのかもしれません。
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幕末の長州戦争の展示解説では岩国藩と幕府軍の戦いの経過にも触れていましたが、確かに、安芸口から攻め込んできたのは幕府の主力軍。岩国藩だけではありませんが、今になっては圧倒的なにの優位があった幕府軍に対してよくこれを撃退したものだと思わざるを得ない。士気の違いとか、もう少し、その辺りに突っ込んだ解説があるとさらによかったかなあと思います。
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続いては、吉川史料館です。
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こちらは、岩国藩吉川家に伝わる絵画や書などの家宝を展示する博物館。
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岩国藩は藩となったのは幕末であり、江戸期は家老格の扱いだったようですが、美しい展示品の内容はまさに大名の持ち物と言った風格を感じるもの。
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関ヶ原の戦いの対応は批判されたようですが、とにもかくにも毛利家は存続。宗家のために働いたという矜持は失われていなかったように感じました。
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同じ敷地内にある昌明館は、7代藩主吉川経倫の隠居所として建てられたもの。これに付随する長屋二棟と門が残っています。門は吉川史料館の入口でもあり、長屋は史料館とは別の展示室として利用されています。史料館の展示も素晴らしいのですが、この遺構と組み合わさることで、いっそう趣が出るように思いました。保存の状態もいいので美しいです。
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イチオシ
吉香公園内の吉香花菖蒲園と城山花菖蒲園では、ちょうど菖蒲祭りが行われていました。
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といっても、何かイベントがあるわけでもなく、
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咲いている菖蒲を自由に鑑賞するだけのもの。
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特に、お堀一面を使った吉香花菖蒲園は、これだけの広さがありながら、花がまんべんなく咲いていて、なにか技術の高さもあるのではないかと思います。
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佐々木小次郎と岩国にどういう関係があるのかははっきりしないのですが、吉川英治原作の「宮本武蔵」の中では岩国出身となっているようです。
この像はお堀の花菖蒲園をバックにして建つもの。「燕返し」を秘めた長尺の太刀を持つ活き活きとした姿です。 -
吉川経家公忌魂碑は、吉香公園の外れ。どちらかというと住宅地の中にありました。子孫の屋敷がここにあったということのようです。
吉川経家は、秀吉の鳥取城攻めの際、鳥取城の大将として抵抗した人物。しかし、秀吉率いる2万の軍に囲まれる兵糧攻めによって、城は落城。開城、切腹となります。秀吉と毛利の戦いでも、よく知られた戦いの一つかと思いますが、その遺構が岩国にあるとはちょっと感慨深いものがありますね。
なお、碑の礎石に鳥取城の石12個が使用されています。 -
むさしは、日本一の種類の多さというソフトクリームの専門店。
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店中にあれやこれやのソフトクリームのメニューが書かれていて、なんでも200種類以上だとか。まあ、普通に抹茶のソフトをいただきました。なお、近くに休憩所があるので、そこですわって食べれます。
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岩国石人形資料館は、錦川に面した道路沿い。お土産物屋さん風の建物です。
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ちなみに、石人形は錦川の石にニンギョウトビケラという昆虫が小石や砂を集めて巣作ったもの。これが人の形をしているので石人形と呼ばれ、お守り等になっているのだそうです。
そう見れば見えなくもないし、どこにでもあるといえばどこにでもあるような石。ただ、丁寧に展示されてはいます。 -
吉川家墓所は、錦帯橋からすると少し山手の方に入った場所。
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一角には、岩国藩主吉川家代々の当主の墓が並んでいます。。
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大きな石の宝篋印塔などの構えは、大名の墓所に相応しいもの。
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ただ、区画が入り組んで迷路のような感じなので、順番に回ろうとすると迷ってしまうかもしれません
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永興寺は、鎌倉時代末期、1309年に大内弘之が創建した臨済宗の寺。その後、吉川広家が当地に移転したということです。
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山門から参道のモミジの並木と薬師堂前の枯山水の庭が見どころ。敷地はもう少し奥があるのですが、
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言ってみれば、この入口入ってすぐの景色が整っているだけで、奥の方は殺風景。入口で期待が高まった分、ちょっと残念な気持ちになってしまうかもしれません。
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洞泉寺は曹洞宗の寺で、その寺域に岩国藩主吉川氏の墓所があるのですが、
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その間に永興寺を挟むような位置関係になるので、洞泉寺は洞泉寺。吉川氏の墓所は吉川氏の墓所として、その入口を入ることになります。
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寺は、吉川氏に伴って、安芸国から周防国に移ってきたよう。吉川家墓所には、吉川広家から、6代の吉川経永を除く12代吉川経幹までの当主の墓。壮観です。
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紅葉谷公園という名前は知りませんでしたが、吉川家墓所から、永興寺、洞泉寺、おはんの碑と緩やかな坂を上っていく通り沿いに、いい感じの紅葉の林が広がっていて、それが紅葉谷公園であるということに気が付きました。
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苔も美しいし、林を抜ける風の通りもちょうどいいあんばいだと思います。
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おはんの碑は、洞泉寺の並びにあるもう一つ山側の空地の中。
岩国出身の女流作家、宇野千代を記念し、その代表作である「おはん」の一節を刻んだもの。吉永小百合主演で映画化もされたようですが、なかなかそこまで知っている人は少ないかも。舞台は当然岩国なんですが、しかし、もう少し人目に付くところに置けなかったかというような寂しい場所です。 -
錦帯橋から岩国駅まで帰るのは、橋の駅からのバスになります。経由はいくつかあるようですが、岩国駅まで行くバスは何本もあって、時間を気にしなくてもOK。待ち時間はそんなにかかりません。片道料金は300円です。
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橋の駅で、バスの待ち時間が少しあったので、建物の二階にある展望市場の方にも寄ってみました。思ったよりも広さがなくて、ひと気もない。その分、なんか店員さんにじっと見られているような感じもして、落ち着きませんでした。
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古田秋栄堂は、橋の駅の並びにある老舗のお菓子屋さんなんですが、店舗は本当に売り場だけといった感じでかなり地味ですね。
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煎餅とういろうが看板商品で、ういろうの方をお土産にしました。小豆がしっかりしていて、ちょっと羊羹のような雰囲気もある。細いスティック型なので、それともマッチしているように思います。
以上で、錦帯橋の旅は終了です。お疲れ様でした。
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