2016/05/28 - 2016/05/28
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たびたびさん
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水海道は、「みつかいどう」と読むのですが、普通、読めないですよね。そして、ここは常総市。常総というのは、常陸国と下総国のこと。特定の地域を指す言葉でもないので、これでは何のことかわからない。平成の合併とかでできた市なんでしょうが、こういうわけのわからないネーミングはあんまり感心しないんですよね。一方で、ネットの情報では、水海道付近は詳しい観光地図があったので、それではこの空白地帯を埋めてみましょうか。茨城県は認知度が全国最下位でもあるし、その辺の興味も含めて、こちらを散策してみることにしました。
さて、水海道は、坂上田村麻呂がこの地で馬に水を飲ませた水飼戸(ミツカヘト)が語源だそうで、しっかりした由来があるじゃないですか。こんないい名前があるのに、常総市ってしてしまったら、地元のせっかくの歴史をぶち壊したのと同じことなんですけどね。
ほか、紹介されていた見どころは、水海道が鬼怒川水運の重要な拠点で、河岸を中心に大いに賑わっていた頃のなごり。その後は、明治期に入ってからの鉄道の敷設によって、急速に衰えてしまい、今では守谷の辺りに賑わいの中心は移ってしまいました。正直言えば、その時代に見捨てられたような感じもなくはない街並みです。
そこから、今度は下妻に移動。こちらは、結城氏の重臣だった多賀谷氏の支配地。しかし、関ヶ原の従軍を拒んだため、領地6万石は没収。幕府領となって、結城秀康の弟が10万石で入封したりしますが、それも一時。最後は下妻藩という1万石の弱小藩が明治を迎えます。ここも徐々に尻すぼみになった街。歩くと不自然なほど広い範囲に寺が分散してあったりするので、それもわずかな名残りのような気がしました。
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関東鉄道常総線は、取手駅から下館駅までを結ぶ線。今回は、守谷駅から利用して、水海道駅に到着です。
ちなみに、運賃は350円。その後、水海道から下妻まで乗りましたが、これも運賃は740円。田園風景の中をのんびりコトコト進むいかにもローカルな路線なんですが、運賃は意外に高くて、地元の人は大変だなあという感じです。 -
水海道駅から散策を開始して、始めに向かったのが二水会館。
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イチオシ
旧水海道町役場だそうで、大正初期の建物。いわゆる擬洋風建築の一つですね。設計は大工棟梁上高金四郎という地元の人。今の感覚で言えば大きさもさほどでもないし、どうってことはないですが、わが町水海道の自慢の建物であったことは想像に難くないと思います。なお、内部の見学はできません。
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水海道は、江戸時代の末期、利根川と鬼怒川の水運によって一気に発展した街。国道沿いにあるこの水海道入口の碑もその往時を偲ぶものの一つです。植え込みの中に「月読尊」と書かれた碑。天保4年(1833年)に建てられたもののようです。
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続いてやってきたのは、水海道天神社。てっきり、田舎の神社かと思ったら、これがけっこう立派な神社。
現在の本殿は永禄9年(1566年)に、再建されたもの。木鼻・蟇股・斗組・虹梁などに安土桃山期の特色を示すというのですが、境内もきれいに整備されていて、凛とした雰囲気です。 -
天神社の隣りにきぬふれあい公園の入口がありました。
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下草なんかも生えていて、あんまりきちんとした感じは受けませんでしたが、桜の季節には賑わうようです。一方で、鬼怒川の河川敷とか、水海道周辺は気持ちの良い場所は他にもたくさんあるので、ここでは公園の希少価値はあまりないようにも思います。
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亀岡町の道標というのは、水海道の国道沿いに残る、かつての道案内。
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ただ、「十九夜供養」と書かれていて、今の感覚で言えば道案内ではなくて、何かの供養塔みたいです。
昔の旅は危険もいっぱい。旅と供養はそんなにかけ離れていたものではなかったかもしれません。 -
報国寺の始まりは鎌倉時代の弘安4年(1281年)。
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元々は真言宗だったようですが、現在は浄土宗です。
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境内は広くてすっきりした印象で、本堂の他には鐘楼が建っているくらい。
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改めて、本堂の入口の龍の彫り物とかを拝見しましたが、やっぱりそれくらいかなあと思います。
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少し鬼怒川の方に移動して、堤防の下にあるのが水神宮。この神社は、水運の担い手であった鬼怒川筋の河岸講中が船の通行の無事を祈って造ったもの。安永9年(1780年)に建てられた石の祠の壁には水海道をはじめ、宗道(千代川村)・山川(結城市)の川岸連の名を見ることができるようです。
水海道は、利根川、鬼怒川の水運で栄えた街。小さな祠のような建物ですが、これも往時の隆盛を偲ぶ遺構の一つだと思います。 -
堤防に出ると鬼怒川の悠々とした流れです。
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この辺りは川の深さはあまりないようで、砂地ですね。何が釣れるのか分かりませんが、釣り人がちらほら。
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イチオシ
天気もいいし、これは水遊びをしている人ですね。のどかな光景です。
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堤防の傍らにあるのは、水海道河岸跡。小さな石の杭です。
蔦に埋もれるようにあって、これではなかなか見つけにくいでしょう。ちなみに、河岸というのは、荷物の上げ下ろしをした場所という意味です。 -
市街の方に戻ってきて。
これはかつての冨山倉庫跡。傍らに当時の様子を紹介する説明板があって、ちょっと頑張ってる感のある建物です。説明によれば、冨山倉庫は、明治4年に鍵屋河岸が3棟を建て、呉服・米穀・醤油・酒・茶等、多くの荷物を取り扱っていたということです。 -
イチオシ
同じ筋にある五木宗レンガ蔵です。今の感覚で言うとさほどの規模はないのですが、道路端に建つ金をかけた風のレンガの蔵は珍しいかも。蔵とそれを囲む塀ですが、かつて隆盛を誇った水海道の名残りをとどめる遺構としては、代表格にあげられるもののようです。
ちなみに、五木田家は、代々「宗右衛門」を名乗り、「五木宗」と称していたのだとか。醤油の醸造販売や廻漕業などで繁栄していた商家です。 -
豊水橋は、水海道を流れる鬼怒川にかかる薄い緑の橋。しかし、これは三代目の橋で、昭和40年に開通しています。
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大正15年と明治23年の橋の橋台が下流に残っていて、これも水海道の歴史を語る遺構。
公園のような一角には「遊泳会」の碑もあって、活気のあった昔の情景が想像されるようでした。 -
そのまま先に進んで、これは旧製糸工場レンガ塀。五木宗レンガ蔵から、豊水橋を過ぎてまっすぐ行った突き当りです。
かつては、ここに製糸工場が建っていたようで、その遺構であるレンガ塀が残っています。今では個人の住宅のようで少し事情を聞きたかったのですが、近所の人は「製糸工場?何もわかりません」という答え。今では遠い昔のことになっているようです。 -
鬼怒川に注ぐ川もいくつかありますが、それでも橋はなかなか立派。
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鬼怒川の方を見ると水門までついています。こうした景色にも、水運で栄えた片鱗がちょこっと感じられるように思います。
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ここまで来ると、もう水海道の市街外れ。公園のような場所に茨城百景の碑というのもありました。
碑には、「水海道近郊名所巡り」として、豊水橋、八間堀の桜、弘経寺、報恩寺、累の墓、元三大師、一言主神社、大生郷天満宮などが、昭和25年に指定を受けたことが記されています。ただ、この碑自体の存在がもうかなり風化されているような気もして、ちょっと寂しいものとなっています。 -
近くにあるのは、水災記念碑。昭和13年に旧水海道町を襲った洪水の記録を伝える石碑。水海道は鬼怒川の水運で栄えたのですが、一方ではこうした水害もなくはなかったんですね。題字は郷土の大政治家・風見章の筆によるもの。少し高台になった囲いの中には、治水に尽力した幕吏、市村宗四郎を祀る石祠も残ります。
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さて、市街中心部に戻ってきて。
この八幡神社は、水海道の鎮守。始まりは戦国時代。水海道城主の田村弾正が守護神としてお祀りしたのですが、宇佐神宮からの直接分祀であるのが珍しいところ。 -
参道がコンクリートで固められて、ちょっと味気ない感じもあったのですが、その分清掃が行き届いていて、花壇なんかも添えられていました。
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イチオシ
日頃から大事にされている神社のように感じます。
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八幡神社から大楽寺へ。
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ここは浄土宗の寺。山門から少し高台の境内に入るとシャチホコの本堂が正面に見えました。
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参道脇など至る所に緑があって、滝もある日本庭園風のような一角もあったり、ちょっと潤いを感じるお寺だと思います。
ほか、境内には小林蔵六・玉潤の供養碑、不二講の行者として有名な鈴木頂行の碑など水海道で活躍した人々の顕彰碑や供養碑もありました。 -
大楽寺からすぐの交差点角に建つお菓子の店 石塚です。
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イチオシ
店内に入るとたくさんの種類のクレープ。そして、このクレープが卵の芳醇な香りとクリームのまろやかな甘さが溶け合って、これはいただいてみるしかないでしょう。
するとこれがめちゃめちゃうまい。皮もそれ自体がしっとりしたうまさがあるし、クリームの香りの高さもピカイチです。イマイチぼんやりしたスポットばかりだったのですが、このうまさでいっぺんに目が覚めた感じですよ~
御夫婦が仲良く作業をしている雰囲気にもなんだか心が和みました。 -
イチオシ
元気になったところで散策を再開。市街中心部のメインストリートっぽい場所にやってきました。
江戸屋薬舗は、一階に煉瓦の壁も加えた堂々たる外観。大きな看板もそのまま残っています。説明板があって、元禄13年五代将軍徳川綱吉時代に藤屋伊右衛門が創業、以降名前はそれを世襲した。当初は、薬草・穀類の回船問屋で江戸表へ主に米穀類を送り、帰り船で薬草・染料類を積んできたということです。 -
イチオシ
旧報徳銀行水海道支店は、後の関東つくば銀行から常総市が譲り受けて保存している建物。大正12年に建てられたものです。銀行は大正13年に、合併して東明銀行となり、最終的に関東つくば銀行へ。
茶色の煉瓦は今でも堅牢さを誇示していて、かつての賑わいが想像されました。 -
諏訪神社も同じ通り沿い。
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ここは、なんといっても神社の入口に立つケヤキが見どころ。
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イチオシ
元禄年間には社があったとされるのですが、この木も樹齢350年から400年。胸高幹周は6.3mもあって、すばらしい勢いを感じます。
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二十一世紀の夢見台は、歩道の傍らにちょっと捨て置かれたようなモニュメントなんですが、よく見ると旧水海道市の沿革が詳しく紹介されていました。
坂上田村麻呂が東征の際、この地で馬に水飼いをしたことから、水飼戸(みずかえと)が水海道となったということです。なるほどというお話です。 -
かまやばしというのは釜屋橋という橋だったようですが、地図を頼りに探してもまったくそんな気配がない。ところが信号の交差点の横断歩道の手前に少し出っ張った石があって、その側面に「かまやばし」と彫られていました。
江戸時代から市街地の排水をしていた釜屋堀にかかっていた橋で、釜屋という大店の横を流れていたことの名前の由来だそうです。 -
北川質店も水海道の往時をしのぶ建物の一つ。蔵造りの建物に玄関を広く取っただけのようなシンプルな構造です。傍らに説明板があって、近江の国、野洲郡出身の北川市治郎が明治前期に創業。屋号を釜市とし、明治前期・大正・昭和初期までは肥料・米・建材等を商う老舗であったということです。
これらの歴史的な遺構は、一つ一つはなんとか見れなくはないのですが、ぽつぽつ離れているので、いずれにしても面にはなっていません。水海道が観光地である感じがしないのも仕方ないかもしれません。 -
さて、ここからはショッピングの時間です。
本橋煎餅はやっているのかやっていないのか、ちょっと微妙だなあと思って覗いて見たら、やっていました。 -
作業場のような土間があって、ここで手焼きせんべいを作っている時もあるんじゃないかと思いますが、この日はそれはなくて、商品が置いてあるだけでした。
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イチオシ
しかし、この堅焼き塩せんべいと銘打った煎餅どうですか。存在感のある堂々正統派の煎餅です。
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荒井味噌は、水海道の老舗味噌屋さん。
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この日も常連さんがいつものお味噌を買いに来ていました。
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私は米の味噌を量り売りで500g買いました。生の味噌は醗酵が進むので、冷蔵庫に保管して使います。もろきゅうにしてもうまいよと言われたので、また試してみたいと思います。
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水海道の市街には煎餅屋さんがいくつかありますが、その他にある和菓子のお店なら小島菓子店でしょう。
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市街中心部の路地に店を構えて古びた感じなんですが、ここの柏餅いいですね。餡子のすきっとした甘さにちょっとしびれました。
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水海道の名物、煎餅屋さんをもう一軒。ここは桜井煎餅です。
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さて、煎餅はちょっと大きめのこれも堂々たる姿。甘さはほとんどないので、米と醤油の素朴な飾らない味わい。噛むとなんかきめが細かいような。食べやすい煎餅です。
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水海道にも乾麺のお店があって、たぶん店構えから言えば、この土井製麺店が一番の老舗でしょう。
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そうめんや平たいうどんなんかもありましたが、スタンダードなタイプをお土産にしました。
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しかし、このうどん、家に帰って食べてみると全然コシがなくて、コンビニのうどんみたいな仕上がり。うーん、これが水海道の好みなんでしょうか。私としては、ちょっと期待はずれ。残念なうどんです。
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伊勢屋という名前はあちこちで見かけるような気がしますが、水海道の市街地にもありました。
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あまり期待していなかったのですが。かんぴょう巻と稲荷寿司が素晴らしい。見るからに艶々ピカピカの照りがあって、これは優れもの。年季を積んだ老舗の味とはこういうものを言うのだと思います。とってもいいですよ~
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昼飯は、パンフレットにも出ていた魚芳にします。
基本はお寿司屋さんなんですが、うなぎもうまいということでうなぎの方にしてみました。 -
結果はまあ普通でしょう。私はあちこちでいいのを食べているので、期待値が上がりすぎているきらいはあるんですが、いかんせんたれにまだ落ち着きがないような気がします。ご飯はかなり水分が多いかな。私はその方が好きなので問題ないのですが、ちょっと違和感を持つ人はいるかもしれません。
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水海道は、これで終了。予定はしていなかったのですが、せっかくなので下妻の方も回ってみることにしましょう。
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イチオシ
再び、常総線に乗って出発。
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下妻駅に到着しました。
観光案内所もないので駅の人に周辺の地図がないかと尋ねたのですが、まったくない。もうちょっと何とかならないものかと思いつつ、 -
街の中心部の方に向かいます。
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途中に案内板があって、ふむふむ。街はこんな風になっているんですね。
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まず訪ねたのは光明寺。真宗大谷派の寺で、親鸞の弟子の明空が創建したという名刹です。
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山門からは、塀の先に本堂から望楼などのそれらしい伽藍が見えて、威風堂々の雰囲気が漂います。
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境内には、親鸞お手植え菩提樹や明空お手植えの柊。美しい緑も豊富です。
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下妻駅から市街中心部に向かって行くメインストリート沿いにある大きな構えの和菓子屋さんは、国府田屋菓子舗。
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季節の商品、柏餅をいただきました。まあ普通と言えば普通なんですが、餡子はちょっと甘さが強い方でしょう。女将さんが気さくで、ちょっと気持ちが和みました。
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さらに先に進んで。。
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翁屋の看板商品は、きぬの夕月。立派な店構えの店頭にお取り寄せナンバーワンという宣伝が目立っています。
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ここもちょっと寄ってみましょう。
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きぬの夕月は最中ですね。
皮がもう少ししっかりしてもいいような気もしますが、確かに餡子のすっきりした甘さはなかなかいいと思います。 -
多分昔の街並みの名残りだと思いますが、林翁寺は下妻市街の枡形の道に面した寺。曹洞宗の寺のようですが、境内はコンクリート敷きで、本堂もまだ新しい感じですね。境内で草取りをしているのはお寺の方だったでしょうか。ざっと見回しても特になし。むしろ、寺がこの場所に建っているのが何か意味があるような気がしました。
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下妻不動尊は、その隣り。奥まった空地のような荒れた一角なんですが、赤い屋根の大きな堂宇がそびえていて、どうかすると一種異様な雰囲気のあるお寺です。
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軒下には鳩の糞よけでしょう。網も張ってあったり。何かいわれが書いてあってもよさそうなのに、それもない。その分、異様さが増しているようにも思います。
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今度はちょっと移動して。
金林寺の見どころは、本堂前のお堂に安置してある下妻市指定文化財の「木造仏涅槃像」。 -
ガラス窓の向こうに金箔を貼った像が横たわっていました。
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鎌倉時代に作られたものだということですが、整った顔立ちが印象的だと思いました。
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圓福寺もその並び。
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下妻の砂沼に接してある真言宗豊山派の寺です。
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絹本著色愛染明王像が下妻市の指定文化財。ただ、拝観を申し込むと、普段はしまっているので拝観はできないとのことでした。境内には四国八十八か所の本尊の石仏がきちんと並んでいて面白い。これが見どころになっています。
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またしばらく歩いて、今度は光岸寺。こちらは、浄土宗の寺です。
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通りから細長い参道を入って行くと、簡単な山門が出迎えてくれます。その先は、緑の濃い境内。これでもかというような紅葉の緑が美しい。その先の本堂も前に石灯籠が二つ並んで、悪くない構えだと思います。
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その先にあるのが下妻神社。始まりは、文明年間(室町時代)。下妻城主、多賀谷家植が「牛頭天皇」を勧請して建立したとのこと。
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境内にある大ケヤキは、推定樹齢500年以上。
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境内をうっそうとした雰囲気にする大木で、遠くからでもこんもりと神社を覆っています。
以上が下妻の神社仏閣を回りましたが、1万石の弱小藩にしては大寺が多いし、広い範囲に点在していてちょっと分不相応。6万石あったという多賀谷氏の時代の面影がこんなところに残っているような気がします。 -
さて、昼飯は。。
恵比寿屋は、雰囲気からしても老舗風のうどん屋さん。きつねうどんをいただきました。 -
うーん、なんというか。このうどんまったくコシがないというかキレがなくて、延びてしまったような感じ。これが下妻ではスタンダードなんですか。キツネの方はしっかりした甘辛でおいしかったので、余計そう感じたような。
実は、水海道の土井製麺のうどんもこんな感じ。この辺りのうどんはちょっと私には合いません。 -
砂沼は、下妻のシンボルのような場所。市街中心部から少しあるので、どうしようか迷ったのですが、やっぱり下妻に来たなら見て行ってくださいということで訪ねました。
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想像していたより、はるかに大きな沼。沼に架かる橋が見どころらしいのですが、遠くてとても行けそうになくて、これは断念しました。
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さっきのうどんが外れだったので。。
四季春秋 華は、ネットによれば下妻では一番人気のそば屋さん。 -
自宅を利用したようなお店で、奥に通された畳の間でいただきます。
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常陸そばを使っているというそばは、更科そばのように涼やかな味わい。お客さんによっては、もっと香りの濃い田舎蕎麦のようなそばにならないかといわれるんですが、これがうちの味でやってますと笑いながらおっしゃっていました。いやいや、私としてはこれがベスト。評判通りのうまさを堪能しました。これで、気持ちもやっと収まりましたね。
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では、元気の出たところで、寺社をもう少し回りましょう。
普門寺は、市街中心部に近い天台宗の寺。石柱が日本立っただけの山門から奥に進むと、少しひなびた本堂が見えます。ちょっと芝生を張ったり、枝垂れ桜が植えてあったり、ちょっと微妙ですが、それなりに手を入れてあるところが感じられます。ただ、見所は特にないような気はします。 -
その並びにあるのが五所神社。ちょっとした地元の神社なんですが、地元の商店街が主催する秋祭りがあるようです。
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なるほどちょうど良さげな境内です。
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本殿が覆いに覆われていましたが、それなりにしっかりした建物。意外に見応えがあると思います。
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今度は駅の反対側。下妻市役所の方に回って。
観音寺は、真言宗豊山派の寺。 -
寄棟造りのがっちりした本堂の前に見事なしだれ桜があって、これはなんとも迫力がありますねえ。
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花の時期ではなかったのですが、青々とした葉がびっしり茂って樹勢の強さも感じます。入口が分かりにくいですが、下妻に来たらちょっと寄ってみてもいいお寺でしょう。
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で、先ほどからちょいちょい触れている多賀谷氏の居城の本丸跡ですが、下妻市役所の向かい側にあります。
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周囲を含めて、きれいな公園として整備されていました。この城は平地にあるので、城というより館跡といった感じです。
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結城氏の重臣で勢力を誇りましたが、関ヶ原の戦いで参陣しなかったことで領地は没収され、追放にあう。
家康は後北条氏が滅んだ後、関東に入るのですが、それは1590年。関ヶ原の戦いは1600年なので、10年後。10年で関東の経営を安定化させた手腕は見事でしたが、うまくいかなかった例も少しはあったということでしょう。ちなみに、多賀谷氏は、常陸国の佐竹氏55万石の一族。会津の上杉氏120万石と連携して、家康に圧力をかける立場でもありました。 -
新福寺は、時宗の寺。
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国道から少し入ったところに、ちょっと近代的な本堂が建っていました。境内には蓮の鉢も並んでいて、よく手が入っている。小さな子供連れの家族が本堂の階段のところで遊んでいましたが、そんな気分になるのもうなずけます。
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多宝院は、下妻市役所から歩いて15分くらい。曹洞宗の寺で、下妻城主、多賀谷氏の菩提寺です。
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多賀谷氏は、重経が最後の当主。その重経に養子として迎えられたのは、宣家といって佐竹氏から。多賀谷氏が改易されると、佐竹氏の下に戻り、佐竹義宣の秋田久保田藩の移封に随行しました。ただ、今でも多賀谷氏の墓地はこちらにあります。一方、重経には実子もいて、そちらは結城秀康に従い越前に。有力家臣となって、越前丸岡・三国で3万2千石を領したということですので、そんなに悲惨なことにはなっていないようにも思います。
国道からそれらしい長い参道に、境内には幹だけのような奇妙な大木が立っていて、ちょっと異様な雰囲気もありました。
さて、これで水海道と下妻の旅はおしまい。おつかれさまでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねんきん老人さん 2016/12/02 09:51:11
- 驚異的な体力に舌を巻きます。
- たびたびさん、お早うございます。
読み応えのある旅行記でした。
説明も感想もなく、ただ自分の撮った写真をべたに並べただけの旅行記が多い中で、たびたびさんは一枚一枚に丁寧な解説とご自分の思いを付しておられるので、読む側にしてみると、行ったことのない土地の様子が手に取るように分かります。
また、凡俗が見逃してしまうような町の配置についても深い洞察をお持ちで、街歩きの神髄を見たような気がします。
常総という無味乾燥な地名についてのご意見にも、我が意を得たりの思いです。
私の住む千葉県にも、大貫町と佐貫町が合併して「大佐和」となった町があります。まるで銀行の合併で双方の顔を立てた新銀行名ができているのと同じです。
あれもこれも、いちいち頷きながら読み進みましたが、一日でこれだけの寺社、歴史的建造物、道標、水運の名残、さらには個人商店などを見て歩かれたその体力には舌を巻きました。その上うなぎ、そば、うどん、煎餅、甘味類等々、ひょっとして胃袋を二つお持ちなのではないかと思うほどの食べ歩き・・・私には絶対まねできないことです。
幸か不幸か、私は何を食べても同じで、食事はただ空腹を満たすためだけの作業ですから、たびたびさんのようにそれぞれの味に思いを致すということがありません。
ですから、たびたびさんの一日の行動から、「食べる」という部分を全部省けば、なんとか真似できるのではないかと思い、もう一度読み返してみました。
結論は×でした。とてもこれだけの所を回る体力はありませんし、ましてやたびたびさんのように、その場所々々でその故事来歴を丁寧に確認するだけの気力もありません。
せめてもの救いは、人様の書かれた旅行記で臨場感を味わうくらいの好奇心をかろうじて保持していることです。
これからも貴重な旅行記を楽しませていただきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ねんきん老人
- たびたびさん からの返信 2016/12/02 10:32:10
- RE: 驚異的な体力に舌を巻きます。
- 丁寧にコメントいただきありがとうございます。
だいたいこんなスタイルで各地を回っています。なんでもないような場所でも思わぬ歴史を秘めていたりする。そんな発見を楽しみにして、もう何年たったかなあという感じです。
水海道、下妻は、はっきり言えば観光地とは程遠い街なんでしょうが、それでもこうしてレポートすると反応していただける人が少なくない。これからもぼちぼち発信していく励みにしたいと思います。
たびたび
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