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古代の日本のピラミツドには大別すると二種あるのではないかと思う。一つは奈良時代、朝鮮半島から伝来した壇層塔状仏塔である土塔、もう一つは2万年以上前に築造された、山の山頂部を加工した(東北地方等には森全体を加工したものもあり)祭祀設備で神社様式の源流とされる「日本ピラミッド」。<br /><br />前者は群馬や大阪、岡山、長崎県対馬等にあるが、奈良市高畑町にある土塔「頭塔(ずとう)」は、古記録「東大寺要録」の中の「実忠二十九ヶ条」に記述がある。その規模は、基部から天辺までの高さ約12m、底辺32mで、2050立方メートルの土を盛り、表面を石積みで固め、七段の段状ピラミッド型にしている。更に地下に二段ほど埋没しているとも言われている。<br /><br />奈良県で一番、いや、日本で一番美しい仏像は奈良市の興福寺の「天平の美少年」こと、阿修羅像であることは万人が認めることと思うが、奈良で「二番目」となると各種意見があり、一様ではない。<br /><br />当方は興福寺南方の奈良町にある元興寺極楽坊の鎌倉時代後期の作、木造玉眼如意輪観音像を挙げる。寺のホームページに掲載されている写真は撮影の向きが悪く、秀作には見えないが、像の真正面に立って間近に見ると、体のラインは女性っぽく、しとやかさを感じる。<br />他にも寺には多種の仏像が安置されているが、ネットで仏像写真を公開している者があまりいないことから、現在は写真撮影が禁止されているのかも知れない。<br /><br />探訪は近鉄奈良駅から奈良町へ入り、元興寺、時の資料館、頭塔(当時は修復工事中で見学はできなかった)と回り、新薬師寺から南に折れ、山手の白毫寺に参拝後、北に引き返し、奈良公園内浅茅ヶ原から北西に進み、興福寺境内を通って帰ったと思う。<br /><br />奈良町は東大寺及び興福寺の門前町と、元興寺を中心として発展してきた町とで構成されており、近世から明治にかけては奈良の商工業の中心になり、現在でも商家等の旧家が残っている。が、当時は建物等には興味がなかったので、写真は撮っていない。<br /><br />極楽坊の南東、十輪院や室町時代の今西家書院、福智院の写真も撮っていないので、寄らなかったのかも知れない。過去に参拝・見学したかどうかは記憶にないが、写真のない新薬師寺は、寺の売店で十二神将のフィギュアやキーホルダーを購入したので、参拝したことは間違いない。<br /><br />十輪院には現在、フォークシンガー・河島英五の墓があるという。’80年代後期、「時代おくれ」は私のカラオケの十八番だった。しかし’90年、仕事で英五のバックミュージシャンの友人の一人と出会って以降、ファンをやめた。そのバックミュージシャンは自作の曲を英五に盗作され、恨んでいたという。<br /><br />時の資料館は元興寺極楽坊の南西、奈良町資料館の西方にある私設施設で、世界各地の珍しい時計や暦を展示している。当方は日時計、万年カレンダー、自分の星座の各キーホルダーを購入した。現在はキーホルダーよりストラップが主流だろう。<br /><br />高円山の麓に建つ高円山白毫寺(びゃくごうじ)は、天智天皇の第七皇子・志貴皇子の離宮を前身とする。住宅街からはやや離れた山際の高台にあることから、静かで、山寺の雰囲気が漂っている。<br /> 平安時代末に製作された像高136cmの寄木造漆箔の本尊、阿弥陀如来坐像、閻魔王像等、見るべき仏像が多い。<br /><br />PS:「日本ピラミッド」の旅行記もいずれ投稿予定。

奈良時代のピラミッドと奈良で二番目に美しいと思う仏像

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1994/02/27 - 1994/02/27

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マローズ

マローズさん

古代の日本のピラミツドには大別すると二種あるのではないかと思う。一つは奈良時代、朝鮮半島から伝来した壇層塔状仏塔である土塔、もう一つは2万年以上前に築造された、山の山頂部を加工した(東北地方等には森全体を加工したものもあり)祭祀設備で神社様式の源流とされる「日本ピラミッド」。

前者は群馬や大阪、岡山、長崎県対馬等にあるが、奈良市高畑町にある土塔「頭塔(ずとう)」は、古記録「東大寺要録」の中の「実忠二十九ヶ条」に記述がある。その規模は、基部から天辺までの高さ約12m、底辺32mで、2050立方メートルの土を盛り、表面を石積みで固め、七段の段状ピラミッド型にしている。更に地下に二段ほど埋没しているとも言われている。

奈良県で一番、いや、日本で一番美しい仏像は奈良市の興福寺の「天平の美少年」こと、阿修羅像であることは万人が認めることと思うが、奈良で「二番目」となると各種意見があり、一様ではない。

当方は興福寺南方の奈良町にある元興寺極楽坊の鎌倉時代後期の作、木造玉眼如意輪観音像を挙げる。寺のホームページに掲載されている写真は撮影の向きが悪く、秀作には見えないが、像の真正面に立って間近に見ると、体のラインは女性っぽく、しとやかさを感じる。
他にも寺には多種の仏像が安置されているが、ネットで仏像写真を公開している者があまりいないことから、現在は写真撮影が禁止されているのかも知れない。

探訪は近鉄奈良駅から奈良町へ入り、元興寺、時の資料館、頭塔(当時は修復工事中で見学はできなかった)と回り、新薬師寺から南に折れ、山手の白毫寺に参拝後、北に引き返し、奈良公園内浅茅ヶ原から北西に進み、興福寺境内を通って帰ったと思う。

奈良町は東大寺及び興福寺の門前町と、元興寺を中心として発展してきた町とで構成されており、近世から明治にかけては奈良の商工業の中心になり、現在でも商家等の旧家が残っている。が、当時は建物等には興味がなかったので、写真は撮っていない。

極楽坊の南東、十輪院や室町時代の今西家書院、福智院の写真も撮っていないので、寄らなかったのかも知れない。過去に参拝・見学したかどうかは記憶にないが、写真のない新薬師寺は、寺の売店で十二神将のフィギュアやキーホルダーを購入したので、参拝したことは間違いない。

十輪院には現在、フォークシンガー・河島英五の墓があるという。’80年代後期、「時代おくれ」は私のカラオケの十八番だった。しかし’90年、仕事で英五のバックミュージシャンの友人の一人と出会って以降、ファンをやめた。そのバックミュージシャンは自作の曲を英五に盗作され、恨んでいたという。

時の資料館は元興寺極楽坊の南西、奈良町資料館の西方にある私設施設で、世界各地の珍しい時計や暦を展示している。当方は日時計、万年カレンダー、自分の星座の各キーホルダーを購入した。現在はキーホルダーよりストラップが主流だろう。

高円山の麓に建つ高円山白毫寺(びゃくごうじ)は、天智天皇の第七皇子・志貴皇子の離宮を前身とする。住宅街からはやや離れた山際の高台にあることから、静かで、山寺の雰囲気が漂っている。
平安時代末に製作された像高136cmの寄木造漆箔の本尊、阿弥陀如来坐像、閻魔王像等、見るべき仏像が多い。

PS:「日本ピラミッド」の旅行記もいずれ投稿予定。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ショッピング
3.5
交通
4.0
交通手段
私鉄
  • 奈良市を代表する景観の一つ、猿沢池とその周辺景色。右奥に写る十三重石塔は采女塚で傍らに衣掛柳、付近の道路を隔てた地には采女神社がある。<br />文武天皇に仕えていた采女がある月夜、帝から寵愛がなくなったことに嘆き、猿沢池に投身して自殺した。その投身する際、衣を脱いで掛けていた柳が衣掛柳。<br /> そのことを知った帝は投身した池畔に行き、そこで采女を不憫に思い、歌を詠んだ。「猿沢の池もつらしなわぎもこが 玉藻かづかば水ぞひなまし」<br /> そして帝は采女塚と采女神社を建立し、供養した。

    奈良市を代表する景観の一つ、猿沢池とその周辺景色。右奥に写る十三重石塔は采女塚で傍らに衣掛柳、付近の道路を隔てた地には采女神社がある。
    文武天皇に仕えていた采女がある月夜、帝から寵愛がなくなったことに嘆き、猿沢池に投身して自殺した。その投身する際、衣を脱いで掛けていた柳が衣掛柳。
    そのことを知った帝は投身した池畔に行き、そこで采女を不憫に思い、歌を詠んだ。「猿沢の池もつらしなわぎもこが 玉藻かづかば水ぞひなまし」
    そして帝は采女塚と采女神社を建立し、供養した。

    猿沢池 名所・史跡

  • 寛元2年(1244)再建の本堂。

    寛元2年(1244)再建の本堂。

    ならまち 名所・史跡

  • 極楽坊の閻魔王を始めとした、地獄の裁判を司る十王像。

    極楽坊の閻魔王を始めとした、地獄の裁判を司る十王像。

    元興寺 寺・神社・教会

  • 収蔵庫内の阿弥陀如来像

    収蔵庫内の阿弥陀如来像

  • 奈良で二番目に美しいと思う仏像、如意輪観音像(鎌倉時代末期)。

    奈良で二番目に美しいと思う仏像、如意輪観音像(鎌倉時代末期)。

  • 境内の蛙石

    境内の蛙石

    元興寺 蛙石供養 寺・神社・教会

  • 千塔塚(左)と地蔵群

    千塔塚(左)と地蔵群

  • 頭塔入口。頭塔の傍らには五輪塔が立ち並んでいるが、これは興福寺賢聖院の僧侶関係のもので、かつてここには頭塔寺があった。<br />見学時は今、近所のホテルの受付で鍵を借りるようになっている模様。

    頭塔入口。頭塔の傍らには五輪塔が立ち並んでいるが、これは興福寺賢聖院の僧侶関係のもので、かつてここには頭塔寺があった。
    見学時は今、近所のホテルの受付で鍵を借りるようになっている模様。

    頭塔 名所・史跡

  • 頭塔の各面に合計44の仏龕が設けられ、石仏がを安置されていたが、現在、十三基の石仏が残っている。

    頭塔の各面に合計44の仏龕が設けられ、石仏がを安置されていたが、現在、十三基の石仏が残っている。

  • 修復中の頭塔。神護景雲元年(767)、良弁僧正の命により、実忠和尚が造立した。

    修復中の頭塔。神護景雲元年(767)、良弁僧正の命により、実忠和尚が造立した。

    頭塔 名所・史跡

  • 昭和前期の頭塔

    昭和前期の頭塔

  • 白毫寺参道

    白毫寺参道

    白毫寺 寺・神社・教会

  • 阿弥陀如来坐像と室町時代の観音菩薩坐像

    阿弥陀如来坐像と室町時代の観音菩薩坐像

  • 白毫寺の鎌倉時代の閻魔王像

    白毫寺の鎌倉時代の閻魔王像

  • 白毫寺境内から見た生駒山系

    白毫寺境内から見た生駒山系

  • 鷺池に浮かぶ、建て替えられてまだ年月が経っていない浮見堂。旧浮見堂については&#39;90年時の旅行記で触れた。

    鷺池に浮かぶ、建て替えられてまだ年月が経っていない浮見堂。旧浮見堂については'90年時の旅行記で触れた。

    浮見堂 名所・史跡

  • 奈良公園浅茅ヶ原にある円窓亭(まるまどてい)。これは元、鎌倉時代に建設された春日大社の経庫だった。明治27年、現在地に移築され、収蔵されていた経本等は廃棄され、納涼小屋として使用されていた。移築後、四方に円い窓があることから現在の名称が付けられた。<br />

    奈良公園浅茅ヶ原にある円窓亭(まるまどてい)。これは元、鎌倉時代に建設された春日大社の経庫だった。明治27年、現在地に移築され、収蔵されていた経本等は廃棄され、納涼小屋として使用されていた。移築後、四方に円い窓があることから現在の名称が付けられた。

    丸窓亭 (円窓亭) 名所・史跡

  • 浅茅ヶ原の鹿。シカは「神鹿」でもあった。

    浅茅ヶ原の鹿。シカは「神鹿」でもあった。

  • 興福寺五重塔

    興福寺五重塔

    興福寺五重塔 寺・神社・教会

  • 天平の美少年(観光チラシより)

    天平の美少年(観光チラシより)

    興福寺 寺・神社・教会

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