2016/05/14 - 2016/05/14
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たびたびさん
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今回の旅は、当麻寺の練供養がメインなんですが、練供養は夕方から。それではということで、その前に以前から気になっていた近鉄南大阪線の沿線、古市の古墳めぐりをしてみることにしました。
ところで、近鉄南大阪線は、大阪阿部野橋駅から橿原神宮前駅までを結ぶ鉄道路線。大阪からだと奈良の観光のメッカである橿原、飛鳥、吉野方面へはこの路線を利用することになるので、それなりになじみがある線ではあるのですが、一方で、途中の藤井寺や羽曳野の古市はどうしても素通りエリア。この辺りが観光スポットであるという発信はちょっと弱いような気もします。
古墳といえば、山の辺の道に奈良市近郊の歴史の道、堺の百舌鳥古墳群も回ったことがあるので、その楽しさは体験済。現実の世界と神話や伝説の世界が交錯するような不思議な高揚感が湧いてくるのが面白いんですよね。
今回もそんなことを期待をしつつ。古市でレンタサイクルを借りて、それでは出発です。
<参考>
今回、回った天皇陵は、年代順に並べると以下の通り。
第14代 仲衷天皇陵
第15代 応神天皇陵
第19代 允恭天皇陵
第21代 雄略天皇陵
第22代 清寧天皇陵
第24代 仁賢天皇陵
第27代 安閑天皇陵
仲衷天皇は熊襲征伐を前にして崩御した悲劇の天皇ですが、三韓征伐を行った妻の神功皇后と合わせてとても謎めいていて、この頃は、想像の世界ではないかとも言われる時代に過ぎません。
一説によれば、実在がはっきりするのは在位270~312年の応神天皇から。ここから25代まで四世代に渡って天皇が目まぐるしく変わりますが、一番有名なのは、応神天皇の次の第16代仁徳天皇でしょう。陵も大きいのですが、河内平野の大規模土木事業を行ったり、人家のかまどから煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除したりと人間臭い逸話も残っています。
しかし、この系統は実質途絶え、第26代継体天皇が応神天皇の子孫として四世代を越えたところで現れ、越前国から天皇となる。安閑天皇はそこから始まった系統で、在位は531~536年。
古墳時代は、3世紀後半から4世紀初めが前期、4世紀末から中期、6世紀初めから7世紀の半ばが後期とされていて、今回訪ねた古墳群は前期と中期にあたります。古墳はしっかり残っていて、朝鮮半島への進出もした国力が充実した時代だったはずなのですが、はっきりしたことは分かっていない空白の時代です。その分、想像力がかきたてられる時代なんですね。
安閑天皇の同じ世代には継体天皇の嫡子であり、第29代の欽明天皇。ここで仏教が伝来します。そして、次の世代は推古天皇、その次の世代には聖徳太子と言った具合です。ということで、今日のコースは少し待つと一気に古代のロマンが開けるいわば黎明期を巡ったことになるのではないかと思います。
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東京を朝出発して、まずは阿倍野のハルカスです。
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ここから近鉄南大阪線で、目指すは古市駅。
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古市駅に到着。これまで、ここは何度も通ってはいましたが、降りるのは今回が初めてです。
この古市駅東広場観光案内所は、古市駅からすぐ。
小さなプレハブ小屋ですが、スタッフは二人。古市の古墳巡りの情報が豊富にそろっているんですが、逆に、いろんな地図があって、どれが一番分かりやすいか迷うくらいでした。 -
まずは、すぐ近くの白鳥神社へ。
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古墳みたいな小高い丘の上にありました。
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日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命を祀るとありまして、白鳥という名前はたぶん日本武尊の関係ですね。
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拝殿に楠正成の絵馬が掛けてあって、関西では楠正成は地元の大ヒーロー。やっぱり大阪だなあという感じです。
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レンタサイクルを借りるのは、この古市駅前駐輪場。
ちなみに、この辺りだと、他には藤井寺、土師ノ里にもレンタサイクルがあるようですが、コースを考えた時に、ここが一番便利かなあと思った次第。 -
電動の自転車もありましたが、結果としてはまあギリギリ普通の自転車でOK。藤井寺の方の古墳も頑張って回れたし、この選択は正解だったでしょう。
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自転車に乗って、まずは近場です。
西琳寺は、門前に説明板があって、以下の通り。
「飛鳥時代(7世紀前半)に創建された河内有数の寺院。寺伝では百済から渡来した王仁の子孫である西文氏が、欽明天皇の頃(6世紀中頃)に建てた寺とされている。・・」 -
イチオシ
欽明天皇の頃であれば、仏教伝来が552年ですし、日本の仏教の源流に関わる歴史。
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境内にはかつての大伽藍の時代の礎石が保存されていたり、日本最初の大伽藍だったとかけっこう想像が広がるお寺でしょう。
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真蓮寺は、始まりはよくわかりませんが、これも門前に説明板があって。
「平安時代の末期ごろには真言宗の寺で「蓮華台寺」と称していたが、鎌倉時代の初期に見真大師の来訪とその時の教化によって浄土真宗に改宗されたものである。・・」
明治になって、古市郡の役所がここに置かれたとも。 -
境内には小さな木戸から入れるのですがインターホンでお断りはした方が無難でしょう。ただ、境内はそこまでではないですが、ちょっと荒れた感じは否めません。
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古市の市街を走る竹内街道は、堺市から二上山の南麓を抜けて、葛城市に至る街道。日本最古の「官道」である推古天皇時代の官道と大部分が重なっているそうです。
古市駅前からすぐの場所を通っていますが、この辺りには多くの古墳群が残っているし、古代の権力者には身近な地域であったことがうかがわれます。 -
長圓寺は、その竹内街道沿い。浄土宗知恩院派の寺。
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平安初期の十一面観音立像が重要文化財ということで、拝観させてもらいました。コンクリート造りのお堂を開けてもらって、
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現れたのは小さな厨子に入った真っ黒な仏様。目口鼻が顔の真ん中に集まって、これは赤ちゃんの様な顔。手が赤ちゃんというのはよくあるのですが、なるほどねえ。いろんな仏像があるものです。
写真も撮らせてもらいましたが、仏像って写真と実物は全然違います。kの赤ちゃん顔は実物を見ないとなかなか分からないと思います。 -
で、例によってスイーツチェックは、
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かつら屋の看板商品、河内もなか。
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河内名産のぶどうをモチーフにした形だけではなく、
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イチオシ
白手芒餡に干しブドウが入っているという、ちょっと衝撃的なもなか。それがまた、かなりうまい。甘さが強烈なところに、干しブドウが少し息抜きになっていて、そこがなかなか憎いですねえ。これは間違いなく銘菓でしょう。
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さて、ここからが古市古墳巡りですが、まずは安閑陵古墳です。前方後円墳の大きさは長さ122m、後円部の直径78m、前方部の幅100mという立派なもの。周囲にはお堀も巡ります。
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ところで、こうした大きな古墳は、正面がどこにあるのかを探すのが一苦労。国道沿いにあったのですが、道を聞いた地元のおばちゃんが「安閑さんはねえ」とか親しげに話すのを聞いて、ちょっと面白いなあと思いました。
この安閑さんというは、第27代天皇安閑天皇。継体天皇の次、66歳で即位した天皇です。 -
近くにあるのはアオゾラベーカリー。ちょっと外観がおとなしめなので、店の前を通り過ぎても気が付きませんでした。
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一方で、店内は商品の陳列とかかわいらしくて、雰囲気はけっこうあります。
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いただいたのは焼きカレーパン。コクのあるルーが薄手のさっぱりしたパンによく合います。素直にうまい。田舎かと思っていると、こうしたレベルの高い店がひょっこりある。今日一日に期待が持てそうな気持になってきましたよ~
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古市周辺の古墳群の中では、この白鳥陵古墳も規模の大きい方の古墳です。
長さ200m、後円部直径106m、前方部幅165mの前方後円墳。特に周囲のお堀の幅が十分にあって、静かな眺め。 -
名前の白鳥は、さっきの白鳥神社と同じで日本武尊にちなむもの。日本武尊は、遠征の帰り、伊勢で亡くなり白鳥となってここ古市に飛来したと伝えられます。ここも正面がどこにあるのかわかりにくい。
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諦めかけた時にやっと見つけましたが、
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確かに「日本武尊 白鳥陵」と書かれていました。ふー。ちょっと、てこずりました。
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白鳥古墳から、今度は清寧天皇陵古墳へ。
長さ115m、後円部直径63m、前方部幅128mの前方後円墳。周囲のお堀もしっかりあります。正面がすぐに見つかって、それはそれでよかったのですが、正面は住宅地に囲まれていて全景がよく分からない。規模感をイマイチ感じることができなかったのがちょっと残念です。
ちなみに、清寧天皇は、第22代天皇。雄略天皇の後を受けています。 -
そこから、峰塚公園に回ります。この公園の中にも峯ヶ塚古墳という古墳があるんですよね。
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公園自体が小高い山になっているのですが、遊具の備えられた芝生公園や運動公園のような場所もあるし、よく整備されています。
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イチオシ
ちょっとした山ですが、その緑の潤いがあって、家族連れには人気のような公園です。
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そして、これが峯ヶ塚古墳。
長さ96m、前方部の幅74.4m、後円部の直径56mの前方後円墳で、この辺りでは中規模といった感じ。堀もちょっと不完全です。そういう意味で眺めはイマイチなので、古墳としてはあまり注目されていないかもしれません。
なお、允恭天皇皇子の木梨軽皇子の墓との伝承もあるようですが、よくわかりません。副葬品が多く出ていて、国の史跡ともなっています。 -
フラワーは、峰塚公園のそばで見つけました。店舗は大きくてパン屋さんにしては大型の建物。
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イートインのスペースがけっこう広いです。ただ、私は先を急ぐのでテイクアウト。
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抹茶のムシパンが目について、見た目だけで選んだのですが、このムシパンのふっくら加減って最高ですねえ。なにか技術というのが感じられるムシパンで、ちょっと感心しました。
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少しエネルギー補給して、仁賢天皇陵古墳です。
ここは、長さ122m、前方部107m、後円部径65mの大型古墳。周囲はのんびりした畑なので、全景がよく確認できます。 -
ちなみに、仁賢天皇は、第24代天皇。第17代履中天皇の孫ですが、間にたくさん天皇がいるのは兄弟とかへの譲位があったため。ちょっと不安定な時代だったのかなと思います。
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イチオシ
野中寺は、聖徳太子建立48寺院の一つ。
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太子の命を受けた蘇我馬子が開いたと伝わる古刹。
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朱塗りの仁王門を入った境内にはかつての大伽藍の礎石が残っていて、それなりに飛鳥時代のロマンを感じることができると思います。この辺りでは、メジャーな観光スポットです。
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こちらは、ヒチンジョ池西古墳石棺。本堂の脇に保存されています。
ここから1キロくらい離れた場所にあった古墳で発見されたものだそうで、7世紀から8世紀初めの頃のものだとか。ここに移したのは恒久的な保護のためということです。 -
野中寺の裏手の墓地に回って、お染久松の墓へ。
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ちなみに、お染久松というのは大坂の油屋の娘お染が丁稚の久松と心中した事件の人物。道ならぬ恋の果てに心中するしかないというところまで追いつめられる。今だと想像もできないようなことですが、それが共感を生んだ時代。浄瑠璃や歌舞伎で人気を博したようです。
今だとゲスとベッキーみたいな感じでしょうか。他人の色恋沙汰に関心を持つのは今も昔もあまり変わらないかも知れませんね。 -
野々上八幡は、野中寺と隣接する野中寺の鎮守社。
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野中寺に比べると、こちらの方は大木がうっそうと生い茂って、緑が濃いのでかなり涼しく感じます。ベンチがあって、こっちで休んでいる人がいましたが、確かに休むにはちょうどいい場所かもしれません。
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ここから、またまた住宅地を抜けていきます。
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イチオシ
この古墓は仲哀天皇、第14代天皇のもの。ヤマトタケルの第二子で、妻は神功皇后。宣託に反して熊襲征伐を行い亡くなりますが、その後、神功皇后が三韓征伐に成功するといった伝説も。ちょっと感慨深い天皇です。
なお、この古墳は5世紀後半のもので、長さは242m。古市古墳群でも最も大きいものの一つです。住宅地の中にあるのですが、周囲は公園のようにきれいに整備されていて、水をたたえたお堀とか眺めの良さはピカイチです。
仲哀天皇は実在が疑われる天皇ではあるのですが、それはそれとしてけっこう悲劇性もある天皇。この美しさには何か救われるような気持になりました。 -
イチオシ
これが正面ですが、さっきの眺めのほうがずっといいでしょう。
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辛國神社は、藤井寺の駅からも比較的近い市街地。物部氏の祖を祀ったことが始まりという古い神社です。
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ただ、圧巻は参道のさわやかな緑。
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イチオシ
鳥居をくぐってから本殿までの長い参道は気持ちいいことこの上ない。
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「大阪みどりの百選」にも選ばれているようです。
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市街では、藤井寺。ただ、今回はスルーです。
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藤井寺の駅を降りてすぐのアーケード商店街が藤井寺駅前北商店街。この商店街の先にさっきの藤井寺があるので、本来であれば門前商店街の性格も持っているのかもしれませんが、そこまでの賑わいはないような。食堂も少しあって、まあまあ使えます。
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ただ、先を急ぐので。
戎屋生菓子店に寄ります。 -
この商店街のお菓子屋さんはたぶんここくらい。それも簡素な店構えです。
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栗饅頭をいただきましたが白餡の中に甘栗の片が入っている。ちょっと工夫をした饅頭に、にやり。こういうの、けっこううれしいです。
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先に進んで。
町家ゆめいろミュージアムは、藤井寺駅から津堂城山古墳に向かう途中。大きな町家を利用した施設です。 -
道を聞こうと寄りましたが、中は服やカバンを置いたショップ。座敷に上がって、ゆっくり品定めしている人もいて、街の潤いにもなっているよう。商品を見るだけでも全然平気な感じです。
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長野の善光寺と同じ名前ですが、藤井寺にも善光寺があります。
そして、長野の善光寺と関係する言い伝えがあって。それは、信州に持ち帰る一光三尊仏をまつらせてほしいと所望されてしまう。しかし、一体しかないので、それは不可能。ところが、三日三晩にわたり念仏したところその一光三尊仏が二体になり、その一体をこちらに祀ったのだということです。 -
イチオシ
善光寺の一光三尊仏の複製は全国に何体かありますので、こうした話も根も葉もないということではないような。山門は雰囲気がありますが、市街なので境内はちょっと狭いです。
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小山産土神社は、小山地区の氏神として創建されたもの。
真偽のほどはわかりませんが、それまで「辛国神社」を岡村と共有の氏神としていたところ、いさかいが絶えないので、豊臣秀吉が裁定して小山地区独自の氏神を造らせたのだとか。秀吉人気の高い大阪らしい言い伝えだと思います。 -
境内はきれいで、人の出入りも活発。市街だしちょっと寄ってみるにも便利な場所ではあります。
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さて、やっと市街を抜けて。
これが津堂城山古墳。長さ208m、前方部の幅117m、後円部の径128mの前方後円墳です。
住宅地の中にあって、二重の周濠が囲みますが、今は水のない空濠となっていて大量の草を刈った跡がありました。 -
墳墓への立ち入りも可能で、一部が神社になっていたり、公園のように整備されている。なかなか自由度の高い古墳です。
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史跡城山古墳ガイダンス棟 まほらしろやまは、津堂城山古墳の傍らにある小さな施設。
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古市古墳群は世界遺産登録を目指しているようですが、その象徴となるような感じです。
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この衝立型埴輪は見事ですが、展示品は限定的。セルフサービスの冷茶があって、休憩がてらのどを潤しました。
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イチオシ
続いては、雄略陵古墳。島泉丸山古墳とも言うようです。
古市古墳群の中では珍しい円墳。ただ、正面から見ると前方後円墳なのか円墳なのかはよくわからないのですが、それだけ大きいということかと思います。ちなみに、直径は76mで、円墳としては最大です。
ところで、雄略天皇は、19代允恭天皇の第5皇子。允恭天皇の第二皇子である第20代安康天皇の後を継いだ天皇。ヤマト王権の勢力がいよいよ拡大強化された時代とされています。 -
允恭天皇陵古墳は、長さ230m、前方部の幅160m、後円部の径140mの前方後円墳。巨大ですが、濠が空濠となっているのがちょっと惜しいです。
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ただ、正面に向かう参道のようなアクセス道がちょっといいかも。
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ちなみに、允恭天皇は第19代天皇。仁徳天皇の第四皇子です。
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鍋塚古墳は、近鉄土師の里駅のすぐ隣り。
一辺50m、高さ7mのこじんまりした方墳です。全体の形が整っているし芝生におおわれて美しいので、目立ちます。頂上まで上れる石段も付いていましたが、多分入ってはいけないと思います。 -
仲姫命陵古墳は、長さ290m、前方部の幅193m、後円部の径170mの大型の前方後円墳。古市古墳群では応神天皇陵古墳に次ぐ大きさであり、近くにある鍋塚古墳は陪塚のようです。
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住宅地が迫っていて、全景がよく見えない。
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正面がどこかもなかなかわからず、諦めかけた時に、古室山古墳の側にあるのを発見しました。大きいと本当に疲れます。
ちなみに、仲姫命は、「なかつひめのみこと」。第15代応神天皇の皇后です。 -
古室山古墳は、長さ150m、前方部の幅100m、後円部の径96mの前方後円墳。しかし、周囲に濠はないし、通りからだらだらと草原が中央部の山につながって、形がはっきりしない。
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周辺には住居が勝手に建っていたりもするし、管理が緩いです。宮内庁の管理地でもないようです。
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赤面山古墳は古市古墳群の一つなんですが、他の巨大な古墳と違って、極めて小規模なもの。西名阪自動車道の高架下に土砂を積んだような感じですが、一辺が15mの方墳なのだとか。説明板等もないので、注意深く探さないと気が付かないと思います。
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大鳥塚古墳は、赤面山古墳から応神天皇陵古墳に抜ける途中。長さ110m、前方部の幅50m、後円部の径72.6mのそれなりに大きな前方後円墳なのですが、濠がないのでただの小高い山のような感じ。説明板が建っていてやっとそれと分かりました。
副葬品として銅鏡、鉄剣等がでているようです。 -
イチオシ
応神天皇陵古墳は、古市古墳群最大の前方後円墳。長さ425m、前方部の幅300m、後円部の径250m。これだけ大きいと全景がわからないことが多いのですが、ここは参道からの視界もいいので全体が格段に大きいことがよく実感できます。
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ちなみに、応神天皇は、第15代天皇。父は先帝仲哀天皇で、母は神功皇后ですが、実在が認められる最初の天皇との位置づけもあるようです。
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誉田丸山古墳は、応神天皇陵古墳の拝所に向かう参道の左手。径50m、高さ7mの円墳なんですが、応神天皇陵古墳があまりにも大きいし、それと分かっていないと見過ごすかもしれません。
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金銅装馬具類が出土して、国宝となっているようです。
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青木松風庵は、警察署の前の大通り。ちょこっとで寄ってみます。駅からも遠いし、あまりいい場所のようには思えませんでしたが、お店は近代的でとってもきれいです。
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どら焼きをいただきまして、ちょっと元気が出ました。
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もう終盤です。。
野中古墳は、墓山古墳の北側にあってその陪塚とも言われている古墳。住宅地の中にあってこじんまりとした方墳です。始めは分からなくて通りから眺めていましたが、ちゃんと入口があって説明板も建っています。
大量の須恵器、土師器が出土したということです。 -
墓山古墳は、長さ225m、前方部の幅153m、後円部の径135mの前方後円墳。周囲に濠もあって、応神天皇陵の陪塚のようですが、それでも古市古墳群では5番目の大きさです。
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名前とは関係ないと思いますが、墓地を抜けた先にありました。ただ、そこから拝所はどこかよくわからない。これはさすがに諦めました。
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浄元寺山古墳は、古市の観光案内所でもらった古墳マップには載っていなかったのですが、墓山古墳の隣りにあって、説明板が建っていました。
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墓山古墳と関係の深い古墳らしく、一辺の長さ67mの方墳。周囲に濠があったようですが、今は埋められているということでした。
以上で古墳めぐりは終了。 -
イズミヤが見えてきて、古市の駅ももう近い。ちょっとほっとした気持ちになりました。
古墳めぐりはだいぶ走ったような気もしますが、予定していた時間には間に合ったので、これならOK。この流れで当麻寺に向かいます。
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この旅行記へのコメント (3)
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- ジバゴさん 2016/11/10 15:20:46
- 古市古墳群・当麻寺練供養から、御所まち・葛城山・葛城の道の旅(一日目前半)?夕方の練供養までの時間を使って、古市の古墳めぐり。住宅地の中に点在する古墳を地図を頼りに探し歩きます?
- 勉強になります。
天皇陵には京都水尾にある清和天皇陵だけしかありません。 わが氏族のトップということでその興味で行ってきました。
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- わんぱく大将さん 2016/11/04 10:05:52
- どら焼き
- たびたびさん
道中のお菓子が気になってきました。 蒸しパン?やったかな、その隣のあんパン風もおいしそうだったですね。 最初のほしぶどうのはパスかな。ほしぶどうが食べれないので。
栗饅頭もおいしそう。 どら焼きは、そう、私も”どらやき”っていわないんですよ。
”みかさ”です。 商品名でしょうかね。それか、関西はそういうのか?
大将
- たびたびさん からの返信 2016/11/07 14:58:06
- RE: どら焼き
- みかさは、奈良県の三笠山に形が似ているんで関西ではそう呼ぶみたいですね。ただ、どら焼きはドラえもんで定着したのかも。子供だとお菓子の名前なんてどうでもいいですからね。
どっちにしても、大事なのは餡子。餡子の味がお店の命なんですが、和菓子の修業は最近は弟子入りではなくて、お菓子学校で学んだ人が大半で、それなりにいい味を出す技術は格段に上がっているように思います。一方で、同じ作業を繰り返しているようでいてもだんだんと味が向上した積み重ねのうまさを感じるお店もたまにあって、そういう店に出会わないかといつも気にして歩いています。
たびたび
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