2016/04/14 - 2016/04/18
209位(同エリア732件中)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
≪2016.April≫あみんちゅ歴史に触れる旅 with no plan,沖縄本島その参之四~3日目後半:伊原・米須・糸洲・伊敷編~
毎年4月は恒例の1week&mulch island travelパターン。しか~しいきなりやっちゃった・・・。In のPeachは便を間違えて取り直し、帰りの石垣outに至っては入金し忘れて記録が消されてしまった・・・。自分の楽しみに対する不始末を人のせいにはしたくはないが、ややこしい輩が今職場におり、旅行前日に必ず厄介なことを起こす。結果期間短縮行き先変更を余儀なくされた・・・。こんなのがいることだけで不愉快な日々を送っているため、その息抜きの沖縄旅行であるもののそこでダメ出し食らうとは・・・。という経緯からNo Plan沖縄本島の旅が始まります。さあどんな弥次喜多道中が待っていたのでしょうか?中日3日目は訪れた場所が多いため、前半後半に分けました。糸満市真栄平集落を出発してひめゆり平和祈念資料館へと向かうところから後半の旅は始まります。
【平成28年4月16日土曜日】
ペンション喫茶南の楽園 12:38 (0.0km:113.8km:0.0km/h)
糸洲の壕 12:44(1.5km:115.3km:15.0km/h)
13:15
糸洲農事集会所 13:17 (0.3km:115.6km:10.0km/h)
13:33 (糸満市字糸洲86-1)
ファミリーマート糸満米須店 13:41 (3.2km:118.8km:24.7km/h)
13:55
忠霊之塔 13:58 (286m:徒歩:5.8km/h)
14:02
ファミリーマート糸満米須店 14:05 (286m:徒歩:5.8km)
14:17
山雨の塔 14:25 (2.5km:121.3km:19.3km/h)
14:43
南北之塔 15:18 (8.8km:132.1km:15.2km)
15:33
白梅之塔 15:38 (3.0km:135.1km:37.5km/h)
16:15
山形の塔 16:17 (0.2km:135.3km:6.7km/h)
16:29
【ここまで前半】
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【ここから後半】
ひめゆりの塔 16:39 (4.5km:139.8km:28.2km/h)
18:05
糸洲第二外科壕跡 18:10 (3.0km:142.8km:37.5km/h)
18:27
轟の壕 18:30 (1.5km:144.3km:30.0km/h)
18:43
あしびなー沖縄 18:58 (7.1km:151.4km:27.4km/h)
【夕食】 20:27
ローソン豊見城宜保店 20:32 (1.2km:152.6km:15.0km/h)
20:45
マックスバリュー豊見城店 20:52 (2.0km:154.6km:18.2km/h)
21:20
ペンション喫茶南の楽園 21:37 (10.4km:165.0km:37.2km/h)
【ナイトドライブ出発】 23:23
ペンション喫茶南の楽園 23:46 (4.3km:169.3km:11.4km/h)//
白梅之塔がある国吉集落から沖縄県道7号線糸満市米須を経由し、ひめゆり会館でいごの駐車場へと車を停めます。ひめゆりの塔の隣に位置するひめゆり平和祈念資料館。沖縄戦に於ける沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・教職員からなるひめゆり学徒看護隊の行動や活動、そして犠牲者までの記録をわかりやすく展示されています。以前は学徒の生存者の方々が〝語り部〟をされており、生の体験談を聞くことができましたが、現在では高齢化でビデオ放映に変更されています。生の声をお聞きした時は、その重みに心が押し潰されそうになった記憶があります。勿論生の声の重みはあるのですが、逆にその重みゆえ敬遠される方も多かったと聞きます。その点では多くの方に体験して頂けるようになったのではと勝手に思ってしまいました。
入館は17:00迄と書いてあり、開館は17:30迄とWeb上には書いてありましたが、実際には17:25迄とのこと。この事務的な対応には良い気はしないものの、それは学徒の方々には罪はありません。ひめゆりの塔は観光地化されてしまって興味が持てないという意見をよく耳にしますが、あくまでこれは現在ひめゆり平和祈念館や周辺のお土産物屋の運営の仕方であり、史実とは全く関係がありません。それを十把一絡げに悪く言う意見そのものに疑問を感じます。観光地として沖縄南部随一の知名度を誇っているからゆえ敬遠することは、考え方によっては史実を直視しないもしくはしようとしないことに繋がるのではないか、そう危惧します。過去を振り返ることなく未来を語ることはできないことは不変の事実であることに変わりはありません。
資料館を時間目一杯見学した後、ひめゆりの塔、伊原第三外科壕・陸軍病院第三外科職員之碑・沖縄戦殉職医療人之碑などを見て回り、梯梧之塔・ずゐせん之塔・ひむかいの塔・鎮魂 久留米久士海上挺身隊15柱霊位慰霊碑に参った後車へと戻り、もう一度糸洲第二外科壕跡へと向かってみます。糸洲農事集会所まで行き、周辺を見渡すとなんとなくそれらしい森を見つけ歩いて向かいます。
小さな森に立ち入るとすぐに見える小さな碑、文字は光の加減もあり読み取れなかったものの、その隣には〝ぬちどぅたから〟の碑。そして半分程が埋まっている壕の入口。間違いなく第二外科壕跡でした。ひめゆり学徒看護隊もいたこの壕は、なんらかの理由で入口が埋められており、その半分は道路を作るために掘り返され、壕内から出土した遺品の多くは埋められてしまったようです。壕の入口の高さから推測するに、すぐ脇の道路の建設には必然的に壕を削らねばならなかったことはわかります。確かに戦跡を保存して後世に伝えなければならない義務はあれど、それによって地域の活性化に水を差すようなことも強制はできないように思います。伊原第一外科壕同様人がほとんど訪れない場所に一人佇みながら手を合わせ、壕で亡くなられた方のご冥福を祈るべく手を合わせるしかできなかった私でした。
そして時間的にも今日の最後の訪問地だろう場所が〝轟の壕〟でした。たまたま開いたブログにYahoo!ナビのリンクが貼られていたのでそれに従ったところ、あれっ?っという場所だったことに気付きます。バイパスから少し入ったところの階段を上って行くとあるのですが、後から考えると〝なぜわからなかったのかわからない〟というのが本音でした。とりあえず路肩に車を停めて階段を歩いて行き、見慣れた風景の壕の入口を確認します。
階段を登ると大きく口を上に向けて開いている轟の壕、沖縄戦終戦間近の昭和20(1945)6月7日頃最後の沖縄県官選知事島田叡氏が沖縄県警本部長荒井退造氏以下県職員幹部を連れて避難して来られ、6月15日に県庁の活動停止と解散命令を出されました。このことから沖縄県庁最後の地とも呼ばれています。その後6月下旬には島田知事と荒井本部長は摩文仁の第32軍司令部壕へと移動され、現在島守之塔隣の壕を出たのを最後に行方不明となりました。
ここで何があったか?ということは残念ながら確固たる記録が残っていないためここでは述べることができません。米軍の執拗な攻撃に遭い、多くの避難民の方々の犠牲は出たものの、アイスバーグ作戦の終結にあたり、多くの避難民の方々の命が救われた場所でもあります。
この轟の壕は、一目見るだけでも規模の大きさがわかるくらいのものでした。平和学習にも利用されることも多く、他の壕やガマと比較しても階段や手すりなどが備わっており、その利用頻度が高いことも伺えます。手すりを伝って行ける場所迄といってもかなり奥まで入ることはできるものの、やはり個人の責任に於いて行うことができる範囲はたかが知れています。時間も時間なので外の光が見える範囲に留めましたが、それでもこの轟の壕の大きさには圧倒されました。あまり良い案とは思いませんが、次回改めて訪れたときに平和学習とかち合うことがあれば、恩恵に被れないかな~なんて考えてしまいました。とにかく今日のところは場所を確認しただけでも収穫があったので、一番手前の拝所で手を合わせ亡くなられた方々の冥福を祈りつつ今日の行程を終えることにしました。
昼からのスタートながら行くべきところは行けたので、夕食を食べに行こうと思います。向かった先は〝あしびなー沖縄〟。行こう行こうと思っていて行けなかった場所でしたがやっと来ることができました。なにがいいかな~なんて探しますが、さすが土曜日どこもかしこも混雑しています。そしてふと目に入ったお店が〝びっくりドンキー〟。なんで~?って言われそうですが、なんとなくその気になってしまったので入ることにしました。300gパインディッシュとマンゴードリンク、グルメでないひとりは大満足でした(笑)♪
お腹も膨れたので外に出ると・・・おやおや雨が降ってきました。結構冷たい雨だったので帰り道を急ぎたいところですが、そこはいつもの呑気な性格。ローソンに寄って一服した後、ペットボトルのお茶を購入するためマックスバリューに寄り道します。そしてやっと宿へと向かい、21:30過ぎに無事到着。本来ならさっさとシャワーを浴びて寝るだけなのですが、昼スタートなのでまだ元気です。ということで糸満ナイトビューイングへと旅立ちます。ちなみにペンション喫茶南の楽園がある糸満市小波蔵は電照菊の栽培が特に盛んなところです。そのため通りに出るといきなりあの〝幻想的な景色〟に出会えます。でもせっかくなので車を走らせ、しばらく車窓に流れる〝電照菊の栽培〟の様子を楽しみながらドライブして、日が変わる前にやっと戻ってきました。あいも変わらずマイペースで迷惑な輩でした。
やっとシャワーを浴びて部屋に戻るとさすがに眠気が・・・。という訳で今日も平和に1日が過ぎて行きますzzz。そして旅4日目の朝に繋がります。
【本日の明細】
ペンション喫茶南の楽園…4,500円(ポイント利用後:2,500円)
ひめゆり平和祈念資料館…310円
夕食…1,536円(パインディッシュ:1,180円・マンゴードリンク:356円)
小計…6,346円(割引き後:4,346円)
累計:34,716円(割引後:27,416円)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 Peach ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ひめゆりの塔へと到着しました。
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いわまくらの碑。
いはまくら かたくもあらむ やすらかに
ねむれとぞいのる まなびのともは
沖縄県立第一高等女学校・沖縄師範学校女子部で教鞭をとり、昭和20(1945)年ひめゆり学徒隊の引率教師となった琉球大学名誉教授の仲宗根政善(なかそね せいぜん)氏の歌碑です。
初代のものは初代ひめゆり之塔前にあります。 -
赤心之塔。
ひめゆり平和祈念資料館手前にある小さな石碑ですが、沖縄戦末期にこの地伊原第三外科壕に避難していて犠牲となった民間人の家族のご遺族が建立されたものです。謂れがはっきりしている民間人建立の慰霊碑のひとつとして紹介します。 -
相思樹(ソウシジュ)植樹の碑。
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園内のソウシジュ(相思樹)の木。ひめゆり同窓会の手で植えられたものだそうですが、沖縄陸軍病院南風原壕にもありました。
学校敷地内に植えられていたこのソウシジュはひめゆり学徒とは深い縁があるようです。 -
ひめゆり平和祈念資料館へとやってきました。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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ひめゆり平和祈念資料館玄関。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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ひめゆり平和祈念資料館、一般入場券310円也。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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ひめゆり平和祈念資料館パンフレット、外面。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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ひめゆり平和祈念資料館パンフレット、内面。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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なんとなく…。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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何枚かの…。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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写真を撮って…。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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撮影禁止なのを思い出しました…。
いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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ひめゆり平和祈念資料館出入口付近にはたくさんの千羽鶴が吊り下げられています。
ただ社交辞令で奉納するだけではなく千羽鶴を折った時の気持ちを永遠に持ち続けて欲しいと思います。いつも考えさせられる場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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ひめゆり平和祈念資料館出口です。
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ひめゆり平和祈念資料館出口を出たところにヤマユリが咲いていました…。
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ひめゆり之塔、裏側。
納骨堂があることはあまり知られていないようです…。 -
ひめゆりの いさおたたふる 石ふみに
すがる小草を あわれとぞ見る
北白川祥子
皇族で戦後皇籍離脱され女官長に就任された北白川宮永久王妃ですね。 -
女神の像。
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ひめゆりの石像。
カワイイとは思いませんが、この素朴な顔が好きです。ただそれが悲しさを誘ってしまうのですが…。 -
ひめゆりの いしぶみふかく ぬかずけば
たいらぎをこいのむ おとめらのこえす
井伊文子氏の歌碑。琉球王朝尚王家の血筋を引く彼女は、近江彦根藩主井伊直弼の孫にあたる井伊直愛氏に嫁がれました。
琉球と 近江の国の 深きつながり
(たかティム・駄作失礼) -
ひめゆり慰霊塔。
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沖縄陸軍病院第三外科壕跡の碑と病院壕跡、そして慰霊碑。
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特に夕方は多くの花に囲まれています。
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伊原第三外科壕跡。
研究目的以外は立ち入り禁止です。 -
いはまくら かたくもあらむ やすらかに
ねむれとぞいのる まなびのともは
昭和21(1946)年4月15日 真和志村民一同
沖縄県立第一高等女学校・沖縄師範学校女子部で教鞭をとり、昭和20(1945)年ひめゆり学徒隊の引率教師となった琉球大学名誉教授の仲宗根政善(なかそね せいぜん)氏の歌碑です。 -
初代ひめゆり之塔。
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初代犠牲者記銘板。
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初代犠牲者記銘板。
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陸軍病院第三外科職員之碑。
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沖縄戦殉職医療人之碑。
沖縄戦殉職醫療人之碑 名所・史跡
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どうやら供えられた花はリユースされるようです…。
見たくはありませんでしたが噂は事実だった…。 -
ひめゆりの塔の記
昭和20年3月24日、島尻郡玉城村港川方面へ米軍の艦砲射撃が始まった。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校職員生徒297名は、軍命によって看護要員として、ただちに南風原陸軍病院の勤務についた。戦闘がはげしくなるにつれて、前線から運ばれる負傷兵の数は激増し、病院の壕はたちまち超満員となり、南風原村一日橋、玉城村糸数にも分室が設けられた。看護婦、生徒たちは、夜昼となく力のかぎりをつくして負傷兵の看護をつづけた。
日本軍の首里撤退もせまった5月26日の夜、南風原陸軍病院は重傷患者は壕に残し、歩ける患者だけをつれて、手を引き肩をかし、砲弾をくぐり、包帯をちぎって道しるべとしてここ摩文仁村に移動した。南に下がって後は病院は本部・第一外科・糸数分室・第二外科・第三外科に分かれて業務をつづけた。第三外科は現在のひめゆりの塔の壕にあった。
6月18日、いよいよ米軍がま近にせまり、看護隊は陸軍病院から解散を命ぜられた。翌19日、第三外科の壕は敵襲を受けガス弾を投げ込まれて地獄絵図と化し、奇跡的に生き残った5名をのぞき職員生徒40名は岩に枕を並べた。軍医・兵・看護婦・炊事婦等29名、民間人6名も運命をともにした。
その他の壕にいた職員生徒たちは壕脱出後弾雨の中をさまよい沖縄最南端の断崖に追い詰められて多く消息をたった。南風原陸軍病院に勤務した看護要員の全生徒の3分の2が、こうして最期をとげたのである。
戦争がすんで、二人の娘の行方をたずねていた金城和信夫妻によって第三外科壕がさがしあてられた。真和志村民の協力により、昭和21年4月7日最初のひめゆりの塔が建ち、次第に整備された。ここに沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員16名、生徒 208名の戦没者を合祀して白百合のかおりをほこったみ霊の心をうけ、平和の原点とする。乙女らは涙と血とを流してえた体験を地下に埋めたくないと平和へのさけびを岩肌に刻みながらついに永遠に黙した。 -
沖縄高等師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の歴史と校歌。
?沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校ひめゆり同窓会?建立と書かれていました。 -
ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館案内図。
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鎮魂 久留米久士海上挺身隊15柱霊位の碑。
久留米第一陸軍予備士官学校より第10船舶教育隊に転属し、散華された船舶特攻の8名、陸戦の7名計15名の戦没者を祀っています。 -
久留米第一陸軍予備士官学校第11期生有志の建立と書かれていました。
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海上挺身隊戦没者記銘板。
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【碑文】
学徒出陣霊位に捧ぐ
祖国の命運をかけアジア民族開放の大東亜戦争は昭和十九年半ばには戦局暗雲立ち込め本土決戦の起死回生策としての船舶特攻隊員として選ばれし十五柱の汝命等、久留米第一陸軍予備士官学校より第一〇船舶教育隊に転属、江田島の幸之浦基地にて猛訓昭和二十七年沖縄戦激化するや沖縄海上二十六、二十七戦隊員として奮戦、嘉手納沖や中城湾にて敵艦に体当たり自爆されしは八柱、米須、首里、真栄里、湊川の陸戦にて七柱散華され給う。痛恨の極みなれど、汝命等は大和益良夫の道を全うされたと申し上ぐべきか。英霊諸兄の魂魄とその勲は永久に御遺族は勿論の事私達同期並びにその子孫の胸中に焼き続けて止まない。
汝命等安らかにお眠りください。
平成十年五月十二日
花田 維忠 -
米須(西)交差点から米須霊域へと入ります。
米須霊域とは、米須(西)交差点より東京之塔(平和創造の森公園入口)までを指すようです。 -
ひむかいの塔。
ひむかいの塔 名所・史跡
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宮崎県ご出身の戦没者が祀られています。
ひむかいの塔 名所・史跡
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宮崎と言えば…埴輪でしたっけ?
ひむかいの塔 名所・史跡
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でもはにわ園ってありましたね。
ひむかいの塔 名所・史跡
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ひむかいの塔に手を合わせます。
ひむかいの塔 名所・史跡
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ひむかいの塔の隣にはずゐせんの塔があります。
ずゐせん学徒隊をご存知でしょうか? by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんずゐせんの塔 名所・史跡
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ずゐせんの塔 碑文
ずゐせんの塔は、第二次世界大戦沖縄戦で戦死した沖縄県立首里高等女学校看護隊並びに職員同窓会員の御霊を祭ってある。
昭和20年 1月25日から軍医の講習を受け、引き続き合宿訓練に入った後、 3月27日野戦病院で卒業式を挙行、直ちに第62師団、石部隊野戦病院に配属され最前線の浦添から首里摩文仁へと負傷兵を看護しつつ、泥濘の中を弾雨に叩かれ、奮闘したが惜しくも散華したのである。ずゐせん学徒隊をご存知でしょうか? by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんずゐせんの塔 名所・史跡
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沖縄県立首里高等女学校の生徒によって構成された?ずゐせん(瑞泉)学徒看護隊?の戦没者慰霊塔です。
中ほどの石板に戦没者芳名が刻まれています。ずゐせん学徒隊をご存知でしょうか? by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんずゐせんの塔 名所・史跡
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沖縄県立首里高等女学校教職員戦没者芳名が刻まれていました。
ずゐせん学徒隊をご存知でしょうか? by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんずゐせんの塔 名所・史跡
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沖縄県立首里高等女学校同窓会戦没者芳名が刻まれています。
ずゐせん学徒隊をご存知でしょうか? by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんずゐせんの塔 名所・史跡
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この道この岩肌も
乙女らが弾にたたかれ
踏み惑ひしところ
夕照ずゐせん学徒隊をご存知でしょうか? by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんずゐせんの塔 名所・史跡
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歌碑は瑞泉同窓会の建立です。
ずゐせん学徒隊をご存知でしょうか? by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんずゐせんの塔 名所・史跡
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沖縄戦によってなくなってしまった『沖縄県立首里高等女学校』の校章です。
最後に手を合わせます。ずゐせん学徒隊をご存知でしょうか? by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんずゐせんの塔 名所・史跡
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そして車の置いてあるひめゆり観光センターでいご駐車場の奥にある梯梧之塔へとやってきます。
梯梧之塔 名所・史跡
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梯梧之塔は3月に訪れていますが再訪です。
梯梧之塔 名所・史跡
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梯梧之塔の正面には梯梧学徒看護隊を構成した昭和高等女学校の職員生徒の戦没者の名前が刻まれています。
梯梧之塔 名所・史跡
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梯梧の塔に捧ぐ(歌碑)
いたましく 二八に散りし 乙女等の
血潮に咲ける 紅の花
藤岡 豊子
ゆさぶりて 碑をゆさぶりて 思い切り
きけどもきけぬ 声をききたし
一人来て 抱きしめて見ぬ わが友よ
名刻まれし 濡れし碑文(いしぶみ)
同期生 瑞慶覧 道子(旧我喜屋)
いずれも故人ですが同級生の詩が詠まれているものも珍しいかと思います。またもう一人、梯梧学徒看護隊が所属した第62師団野戦病院だったということから、師団長御令室の詩も刻まれています。色々と意見はあるかも知れませんが追悼という意味には変わりはないと思います。梯梧之塔 名所・史跡
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山梨県出身の八巻太一氏によって開校した私立沖縄昭和高等女学校。那覇市崇元寺町に建てられた学校には梯梧並木があったそうです。しかし昭和20(1945)年5月に空襲で焼失。戦後再建への取り組みがなされるものの当時の情勢がそれを許さず廃校となりました。
昭和25(1950)年8月1日に梯梧之塔は八巻校長をはじめとした学校関係者の手によって旧校舎後に建立されましたが、昭和46(1971)年6月23日に梯梧学徒隊所縁のこの地に移設され、現在に至っています。梯梧之塔 名所・史跡
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沖縄戦によってこちらも廃校になってしまった私立昭和高等女学校の校章です。
梯梧之塔 名所・史跡
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こちらにも千羽鶴が供えてあります。
梯梧之塔 名所・史跡
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梯梧の塔説明碑文
梯梧の塔は、昭和46年6月23日、旧校舎跡より、ゆかりの地に移転。母校の校歌「梯梧の花の緋の誠」にちなんで、「梯梧の塔」として建立された。
昭和20年1月25日より約1月間の看護教育を受け、3月6日、17名(4年生)は、第62師団野戦病院(石5325)へ学徒看護隊として、ナゲーラの壕へ配属された。
4月1日、地上戦が始まるや、日を逐うて前線からの負傷兵が激増、壕の中は、まるで生き地獄、昼夜の別なく看護は続いた。4月29日学友の中から最初の戦死者が出る。
ナゲーラの壕は満杯で収容できず、9名は第二分院の識名の壕へ移動した。壕の中で休息中、飛んで来た破片で学友2名が戦死。戦況の悪化で5月末、武富、米須、伊原へと後退。米軍は物量にものを言わせて猛攻撃は止むことなく、伊原の地で6名戦死。病院としての機能を果たす事ができず、6月19日、隊に解散命令が出た。
無念にも学業半ばにして、戦禍の中で犠牲になった、同窓生57名と、職員3名、計60柱が合祀されている。
勝利を信じ若くして御霊となった学友の永遠に眠る南部終焉の地に建立、恒久平和を願いつつご冥福を祈っている。梯梧之塔 名所・史跡
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先程行きそびれた糸洲第二外科壕跡入口の碑を見つけました。
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正面からだとやはりわかりませんでした。ふりかえるとなんとなく気になった?森?にありました。
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しかし?陸軍病院第二外科壕?の文字はほとんど見えません。
糸洲第二外科壕跡 名所・史跡
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ぬちどぅたからの碑がありました。
糸洲第二外科壕跡 名所・史跡
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これが糸洲第二外科壕跡です。
糸洲第二外科壕跡 名所・史跡
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土砂が流入し、入口にブロックが置いてあり中へは入れなくなっています。
糸洲第二外科壕跡 名所・史跡
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カメラを中に入れて様子を撮ってみました、その①。
糸洲第二外科壕跡 名所・史跡
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カメラを中に入れて様子を撮ってみました、その②。
糸洲第二外科壕跡 名所・史跡
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カメラを中に入れて様子を撮ってみました、その③。
そして手を合わせ最後の目的地を探します。糸洲第二外科壕跡 名所・史跡
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この場所が轟壕への那覇方面からの交差点です。
ここに気付かなかったとは…。 -
そしてこの階段が轟壕への入口です。
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階段を登って…。
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坂を下ります…。
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通路はしっかり作られていますが…。
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大きく開口している轟壕へは…。
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結構急な階段が続き…。
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時期によっては入壕者の靴についていた泥が階段にへばりついていることがあり大変滑りやすくなっていることがあるので注意が必要です。
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階段を降り切りました。
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祭壇があります。
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こちらにも…。
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なにかの蓋でしょうか?
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千羽鶴が吊るされています。
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結構大きなものであることがわかります…。
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逆方向へまた階段がありました…。
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その階段の先には…。
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お地蔵様が供えられていました。
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キレイな湧水です。それを組み上げるためのホースが奥へと続いています…。
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そろそろ日が暮れてきたので戻ります。
ちなみにもやもやっと写っているものは、ハレーションを起こしているためなのでおかしくはありません。 -
開口口から手を合わせ、機会を改めてくることにします。
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そして夕食♪
なぜかグルメでない旅人は?びっくりドンキー?に惹かれました(笑)。 -
入った時は空いていました。
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マンゴードリンク♪
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300gパインディッシュ。
やはり南国と言えばこれかな(笑)。 -
合計1,536円也♪
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ちなみに沖縄アウトレットモールあしびなーの営業時間は20:00まででした(泣)。
閉店時間に注意が必要です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄アウトレットモールあしびなー アウトレット
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ローソンで一服♪
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マックスバリューで飲み物を購入。
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一度ペンション喫茶南の楽園へと戻ってから…。
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糸満の風物詩?電照菊?の幻想的な風景を眺めに行きます♪
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やはり…。
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幻想的…。
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ってかデジカメの方がキレイに撮れないし(泣)…。
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やっぱりiPhoneの方がキレイに撮れます…。
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これがiPhone6sの写真。
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これがデジカメ…。
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え?こんな標識あったっけ??
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後で聞くと昨年5月に作られたとのことでした。でも知らなかった…。
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