2016/04/07 - 2016/04/07
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belleduneさん
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昼食後は、烏丸丸太町の有栖川宮旧邸へ行きました。有栖川宮家は、大正12年、熨子(やすこ)親王妃の薨去によって、三百年の系譜が絶えることとなりました。旧邸は、京都御所建礼門の前に建てられていましたが、京都裁判所の仮庁舎等として、使用された後、民有地だった現在の地を買い上げて、旧京都地方裁判所・所長宿舎の一部として移築し、2007年まで使用されていました。2008年に平安女学院大学がこの施設を取得し、保存しています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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烏丸通りに面したこの門は、銅板と真鍮板で葺いた豪壮な平唐門で、三井一族の総長・三井高保氏が1912年に表門として新築しました。その後、裁判所が購入し、1952年に京都地方裁判所・所長官舎表門として、この場所に移築しました。この年の中秋の名月に、歌人吉井勇が李白の詩から字を取り、「青天門」と名付けました。この門は、左右の塀と共に、大正期の門建築として貴重なものです。
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門は、檜の一枚板ということです。
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庭園は、「植治」の十一代目小川治兵衛によって「平成の植治の庭」として作庭されました。青天門の両側の桜と楓の丘に、嘗ては石橋であった景石が据えられています。そこに座って、ゆっくり眺めるのが、良いのでしょうが、この土砂降りでは...
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玄関に廻ると、門の両側に桜と楓が見えます。
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もう満開を過ぎていましたが、この雨にもよく耐えています。2本の大きな枝垂れ桜は、1本の木のような枝振りを見せていて、塀を越え、烏丸通りに大きく張り出しています。この枝垂れ桜は、1952年3月に堂本印象画伯の発案で、醍醐三宝院内にあった実生の桜(みしょう)を当時門跡岡田戒玉の快諾を得て、分譲移植されたものだそうです。太閤秀吉が醍醐の宴をした当時の桜の「孫に当たる木」であると言われています。
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玄関です。書院造りの邸は、中庭を囲む「玄関棟」「住居棟」「客間棟」の3つから
なっています。 -
玄関を上がって、左手に進むと、「床の間」と「付書院」を備えた2畳の「上段の間」のある12畳半の座敷があります。
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お庭の向こうの下立売通り沿いにあるのが、平安女学院です。写真を撮っていないのですが、このお庭左手に長屋門があります。築年は不明だそうですが、長屋門形式としては、最上級の構えで、築地塀と共に、所長官舎邸の外観を構成する重要な要素となっているとのことです。
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このお庭は、平安女学院が取得してから、座敷に座った位置からお庭がよく見えるようにと30cmほど土を入れて、上げてあるそうです。
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床の間の隣にある「能舞台」と呼ばれる15畳の板張りの間です。
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矢筈張りの板の間
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十二畳半の座敷の寸莎欄間
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鞘の間
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私は座布団ではなくて、椅子に座ってお庭を見ていますが、座るともう少し目線が下になります。
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床の間横には龍の透かし彫りがありました。
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一向に止む気配のない雨
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中庭へ進むと、紅白の枝垂れ桃が綺麗に咲いていました。
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土砂降りですが、今日は付いています。
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桃の傍に、秋の七草・フジバカマが青々と葉が繁っていました。(キク科ヒドリバナ属の多年草)
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制服の変遷
私も中・高と6年間女子だけの学校だったので、セーラー服を来ていました。懐かしいです。夏は白で可愛らしいものでした。 -
旧邸を後にして、通りの向かいにある平安女学院大学の校舎には学校の意匠が施されてありました。
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