2016/02/17 - 2016/06/28
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belleduneさん
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今年3回目の旭川ですが、2月に行けなかった常磐公園内の道立美術館へ行って来ました。夕方だったので、外観だけでしたが、雪にない季節に来ると印象が全く異なりますね。夕暮れの上川神社頓宮辺りを歩いてから、駅前に戻って、2月に飲みたかった大雪地ビール館で、3種のビールを飲み比べ、計4杯。ちょっと飲み過ぎました。駅から近いホテルへ歩いていると、ちょっと気になる飲屋さんを発見。また雪の季節に寄ってみようと思います。
ここから、2月の旅行記です。
JR旭川駅の北側を歩いてきました。昼間はバスの間隔が空いているため、歩いた方が早いと思い、春光園までバスで行き、井上靖文学紀念館を見た後、歩き始めましたが、やはり駅迄は距離がありました。この日は曇り一時晴、後雪、おまけに風がかなり強かったので、向い風の時は、目差し帽が必需品のようです。自衛隊第七師団の外周が一番距離がありましたが、北鎮記念館の前にある護国神社は雪で真っ白で、とても趣がありました。勿論、除雪のおじさん以外誰も居ませんでした。此処でお参りを済ませた頃から少し太陽が顔を出したのですが、常盤公園に着いた頃にはまた雪が降る始めました。上川神社頓宮辺りも、雪景色で風情のある景色を見ることができました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
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雪のある旭橋もなかなか良いものですが、風が強くて、寒かったです。歩いている人も疎らでした。国道40号(昭和通り)にある橋で、さっき訪れた北鎮記念館にも写真がありました。大日本帝国陸軍第七師団司令部に通じる橋として、重要な道路でした。札幌の豊平橋、釧路の弊舞橋と共に、北海道三大名橋と言われていますが、この旭橋だけが架橋当時からそのままの姿を留めています。
旭橋 名所・史跡
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橋の形式は、ブレースト・リブ・バランスド・カンチレバー・タイドアーチ橋と言う長ーい名前です。橋長は、224,82m。支間長は、一番長いところで、39,476m。幅員は、18,3m。着工は昭和4年(1929)で、竣工が昭和7年(1932)です。施工は、汽車製造(現在の川崎重工業)でした。
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明治25年(1892)に現在の旭橋のところに幅1間(1,8m)、長さ50間(90m)の土橋が架設され、2年後に北海道庁が高欄付きの「鷹栖橋」という木橋を架設しましたが、明治31年の出水で流されました。初代の旭橋は、明治37年(1904)に北海道庁技師山岡三郎の設計によって、「鋼橋」が架けられました。全長約104m、幅5,5mで、それ以外の部分は木造でした。この時、字面も語調も良い「旭橋」にしてはということで、それ以降「旭橋」と命名されました。大正時代後期に木製部分の老朽化が進み、架け替えられることになりました。
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昭和2年(1927)に北海道大学工学部部長・吉町太郎一に設計指導を依頼し、旭川のシンボルになる橋ということで、内務省と協議の結果、この長ーい名前の形式となりました。中央径間を大きく取り、そこに生じる下向きの力を両側径間に張り出した片持ち梁(カンチレバー)を支持する上向きの力として利用することで、バランスを取り、且つ中央径間では、桁をアーチのタイとして、張力を負担させ、下路式アーチを構成して、支点を生じる水平力を大幅に減らすことで、橋脚や基礎の構造を簡素化しているということです。
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この橋が完成する3年前に、竣工した旧豊平橋が3連のブレースト・リブ・バランスト・タイドアーチ橋でしたが、この旭橋は、中央径間のアーチを3倍大きく飛ばして、左右の径間をアーチではなくて、カンチレバーとしたことによって、より大規模であるにも拘らず、優美な形状となっているそうです。
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昭和41年に、照明をランタン型から水銀灯へと変わりました。また、昭和58年には飾塔、照明灯復元記念点灯式が行われました。
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径間が異なっているのが分かります。夕暮れ以降に来ると、照明灯が点いて、一層美しいものになるのでしょう。兎に角、今は寒すぎる!
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先程見て来た北鎮記念館の写真ですが、当時の旭橋正面には、軍人勅論綱領を書いた旭日章が掲げられ、通行する人は立ち止って、お辞儀又は敬礼をし、市電車内では、車掌が通過時に「気をつけ!」と号令を掛けたそうです。戦時中には、多くの兵士が旭日章の下を通って、満州、ノモンハン、中国大陸、アリューシャンへと出征して行ったという。軍都旭川を象徴する橋でしたが、終戦と共に、旭日章は撤去されました。
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渡り切ったところで、少し全景を撮ろうと思ったのですが、雪が深くて、この辺で我慢します。
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旭川市内に泊まっていたら、夜また来るのですが...
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初夏の常盤公園です。
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ここで、早朝のラジオ体操をするんですね。
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常盤公園にある旭川市文学資料館・常磐館です。
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旧青少年科学館でしたが、移転したため、常磐館と改称しました。
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常盤公園は真っ白で、薄らと太陽が見えています。窓越しに、こんな景色を見ながら温かい飲み物を飲んで、ぼっとしていたいです。でも、私が立っているところは、資料館の吹きさらしのピロティーなので、寒い!でも、こんなに素晴らしい景色を見られたのは、嬉しいです。
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6月末の千鳥池ですが、今いるところは、文学資料館の対岸です。
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こちらは公会堂かと思われます。
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そして、旭川中央図書館。
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銀杏の木が、立て掛けられた帚のように突っ立っています。
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この頃、晴れ間が広がって来て、細い枝の雪が溶けて、キラキラ光っていました。
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このカメラではちょっと映っていないかもしれませんね。
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6月末だと木々も緑。
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ドロノキです。
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岩村通俊(1840〜1915)の銅像
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池も凍っています。
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初夏の千鳥池の噴水
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向こうに見える橋を渡って、上川神社頓宮へお参りします。明日の天気をお祈りしましょう。
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やっと着きました。
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初夏の上川神社頓宮
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どっちかと言えば、雪景色が好きです。
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ここも誰も居ませんね。
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この後、常盤公園にある道立旭川美術館へ行こうと思ったのですが、歩き疲れて、明日のために脚力温存ということで、駅へ向かいました。
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道立美術館に来ました。
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北海道開拓記念碑 「風雪の群像」 本郷新 昭和45年8月
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美術館前にある「行列」People Line 三木俊治 1989
第20回中原悌二郎賞優秀賞 -
面白い作品でした。
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駅から真っ直ぐ延びる道は、平和通買物公園と名付けられていますが、それと交差する道の一つがこの7条緑通です。
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緑一杯の平和通買物公園
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冬は閉館している俳人・西川徹郎文学館。住居と一緒のようですね。日本俳壇の代表作家の1人です。
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日本初の恒久歩行者天国である平和通を歩いて、マルカツへやってきました。大正7年(1918)に松村勝治郎が松村呉服店を創業したのが始まりです。大正13年に現在地に移転し、昭和11年(1936)に丸勝松村百貨店を設立しました。札幌から進出して来た丸い今井旭川店と共に、旭川の2大百貨店として競争してきました。その後、繊維卸小売業の東栄の傘下に入り、経営権が移り、昭和46年にマルカツデパートと改称されました。
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その後、東栄の経営悪化に伴い、またメインバンクの北海道拓殖銀行の破綻を受け、平成13年(2001)に百貨店としての営業を終了し、全館テナントビルとして「マルカツ」の名称はそのままで、営業再開をしました。
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昼食を食べていなかったので、駅前の西武デパートB館8階にあるお蕎麦屋さんで、旭川地元の蕎麦粉を使った掻き揚げを注文しました。3時頃だったので、店内には私一人でしたが、ゆっくりして行ってくださいと蕎麦湯や蕎麦茶を出してくださいました。眼下に見えるのが、平和通買物公園です。駅前にはビジネスホテルが沢山あります。人口22万の大都市ですからね。
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こちら側はJR旭川駅前にあるイオンモールです。
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やっと大雪地ビール館に到着。平日ですが、混んでいたので、少し待ちました。
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この3種を飲み比べました。混んでいたので、なかなかお料理が来ず、1日の疲れを、ぐいっと喉の渇きと共に潤しました。3杯飲んだところで、やっと注文した料理が来たので、4杯目を注文した次第です。
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9時頃の駅前ですが、平日なので人通りは少なかったですね。
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ホテル近くでちょっと気になる飲み屋を発見しました。
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また今度。おやすみなさい。
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