2016/04/02 - 2016/04/26
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サンフランさん
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花見には飽き足らず京都の中世、平安期の庭を探訪
2016年4月2日
今年も桜がそろそろ満開です。昨年と違うコースを散策しよう。鴨川から冷泉通りの桜並木へ。午後は洛南を勧修寺から大石神社などを歩く。勧修寺の平安期の庭園を鑑賞した。
4月6日
好転に恵まれ、鴨川を歩く。
4月9日
知る人ぞ知る京都の桜の名所、佐野藤右衛門邸から平安期の代表的は庭園とされる大沢池を再び訪れた。大覚寺には秋の紅葉の時期に来たことがあるが、この時期はどんなものだろうか? 大沢の池は平安期の庭園跡。桜もさることながら平安の庭を探った。
桂離宮、修学院離宮、曼殊院などの江戸時代初期の宮廷庭園から時代をさかのぼること数百年、その間禅宗に伝わった神仙思想にともなう枯山水の石庭などをみて、京都で最も古い(たぶんに本で最も古い)苑地にたどり着いた。1200年の歳月は荒廃、あるいは変遷が見られたが、この春の花々に飾られた庭園の歴史を探ることができた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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4月2日
朝10時、早々と三条の鴨川の河原にやってきました。川端通りから三条大橋の方向です。 -
鴨川の堤防沿いにソメイヨシノが植えられています。
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満開とは行かず残念。七分咲きといったところでしょうか?
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鴨川から冷泉通りの桜並木へ
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疎水に沿って植えられた桜並木です。
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ミニ発電所 -
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冷泉通りから仁王門通りへ
疎水にかかる朱色の橋は平安神宮への参道です。 -
疎水に遊覧のボート。この遊覧船は6時間待ち!
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ここからは六勝寺桜並木
ソメイヨシノが白い桜に変わる。 -
南禅寺前からインクラインへ
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この辺の桜は密度といい絶妙です。たぶん京都で一番美しい。
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インクラインから発電用の水路にも大勢の花見客が!
地下鉄蹴上駅から小野駅へ -
小野駅下車、勧修寺へ
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参道には見事な桜
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こちらの勧修寺には平安期の庭園が維持されています。
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由緒
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宸殿は江戸時代のもので、「1997年1月に明正天皇の御殿を下賜された御所の建物」(立て札)
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こちらは水戸黄門からご寄進された灯篭
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桜は満開です。
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そのさきに氷室池があります。この平石は平安期のものであろうか?
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桜が水もに映す
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弁天堂と桜
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これから先は残念なことにだいぶ荒れている。何か建物の跡らしき石。左は通行禁止
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通行禁止の橋はこの土橋
橋げたの石積みは古いものであろうか? -
池を半周すると絵になる光景
中島のむこうに弁天堂と桜 -
弁天堂と桜を眺めて、再びあれた庭に戻る。水が枯れている。この石橋はかなり分厚い! 遠州好みの後世のものではないであろうか?
造られた当初はもっと奥に広い庭園だったらしい。徳川家康が伏見城築城で資材の搬送用に道を作り、狭められたとのこと。 -
観音様が並んでいる。
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池の周囲を3/4 周
もうひとつの中島は鳥の棲家らしい。 -
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中島のむこうに借景の山が
この借景がこの庭園の特徴らしい。 -
弁天堂ももちろん平安期のものではない再建とされている。桜はソメイヨシノは江戸時代にいまの東京で交配されたもので、桜は比較的早く大きくなる、せいぜい100年ぐらいの寿命だそうで、最近植えたものと思われる。もちろん平安期にはなかった。
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蓮の花が咲く時期はこのような光景が見られるのであろう?
絵葉書より -
平安時代にあったのは、ま違いなくこの池
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青さぎが飛来
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この中島の周囲には石が並べられている。明らかに人口のもの!
この中島にある石碑はなんなんだろう? 禅の庭の島とは違うようだ。 -
最後にさざれ石を見て
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北へ
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大石神社へ歩くこと約30分
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昨年2回ほど来ているこの神社
殺風景な参道であったと思いきや見事な桜のトンネル! -
社殿前の右は枝垂桜
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左はソメイヨシノ
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大石神社から大石道を山科駅方面へ西野山を歩くこと約30分
清水焼の郷 -
清水焼の工業団地です。 -
窯元の郷はひっそりとしている。
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碍子の会社になっている窯元も
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窯元が並んでいます。
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山科駅近く、ここは阿弥陀寺
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渋谷街道を駅へ
元慶寺にも桜 -
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こちらは元三条どおり
格式がありそうな民家 -
小野から山科駅まで参観時間も含めて約3時間の歩きでした。朝10時から鴨川も歩き、今日は良く歩いた。
ビールでほめてあげよう。 -
4月6日
今日は天気がいい! -
花粉症もあるけれどまだまだ花見かな?
鴨川の九条から七条にかけてソメイヨシノが植えられています。約50本?
まさしく満開です。 -
ちょっと外れて、すい仁の銭座場跡
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平清盛が亡くなった屋敷がこの辺にあったらしい
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東海道線などをくぐって、桜並木が続く。満開です。
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七条大橋を渡ります。
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「しちじょう」通りへでてきました。
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東大路に回って、妙法院の中にしだれ桜が!
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五条坂に
陶器店がまだ並んでいます。覗く観光客も多いです。 -
六波羅寺へ
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由緒
951年の創建! フムフム -
往時の姿はもちろんない、朱に塗られたご本堂
平安期以前の建物もすべて応仁の乱で失われています。 -
六波羅寺から進むと幽霊子育て飴の店
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建仁寺まではすぐだった。
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勅使門は鎌倉時代の建立!
ということは応仁の乱でも焼かなかった建物! -
勅旨門をはいったあたりの池の辺りに何本かの桜
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庫裏の前には大勢の観光客! どうやら特別の展示があるようだ。
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花見小路方向の門を出る。 見事な桜!
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祇園歌舞練場にも桜!
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花見小路はこの混雑!
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お茶屋さんはひっそりしています。観光の方は関係あらへん。 芸妓・舞妓はんは7名の木札!
笑門の門飾りはやはりお茶屋さん独特のものだろうか? -
ようやく雑踏を逃れて八坂神社前に出れました。
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円山公園へ
夜の宴会の場所取りしてはる。
まあーはんなりしてくだはれ! -
桜の前で中国からの観光客が未年撮影!
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名店の「いもぼう」?
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露店も出てはる。
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これはこれは大型の女子の着物姿!
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円山公園は外人ばかりで、鴨川に出てきました。
下流方向に見えるのは団栗橋 -
四条河原町駅前の木屋町にも桜
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新京極にも
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今日は「スタンド」でいっぱいと行きます。
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4月9日
昨日の雨で花は散ってしまった? 民家の軒先にはまだまだお花がいっぱい。 -
軒先に苔の箱庭
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4月9日
JR 太秦駅下車
駅前の桜並木は、もうすでに葉桜に -
丸太町通りから千代の古道(山越道)に入る。
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一条通りを左へ
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佐野藤右衛門邸にやってきました。ここの桜は、ソメイヨシノではないはず。
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しだれの八重桜が
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さらに庭に入り込むと各種の八重桜が!
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外国人観光客もここを知っている!
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撫子
昨年、大阪の造幣局で見たさくらの中にあったろうか? -
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個人の家の庭なのですが、春には無?で一般開放されています。
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八重の枝垂桜は満開
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佐野藤右衛門邸をでて西へ3分、広沢の池に到着。
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広沢池にもソメイヨシノが植えられている。まだあまり散ってはいないようだ。
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広沢の池前の桜並木を西へ
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大沢の池から流れる小川であろう。桜の花びの花いかだが!
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広沢池から歩くこと、約30分、大覚寺に到着
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ここは元来、嵯峨院離宮庭園
大沢池の周囲に桜が植えられている。 -
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農水省の事業として整備されている。水源としての整備事業?
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今回は前回と逆周りに、遠く大覚寺を見て、桜をめでる。
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池に山陰が映る。
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嵯峨院は嵯峨天皇の離宮であって、ここは北嵯峨の景勝地であった。814年嵯峨天皇は離宮に行幸になっているので、嵯峨院離宮庭園は造営されていたものと見られる。」(中根金作、京都の庭と風土)
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この時期には舟も
平安の時代にも舟遊びをされたのであろうか? -
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大沢の池を半周
「嵯峨院庭園は中国の洞庭湖になぞらえて造られている」(立て札)平安の庭園にはどうやら石灯籠は置かれていない。これは自然の立地を利用して造園した大掛かりな庭園である。庭園というよりも超上流階級の公園といった性格とも思える。
遠く京都の西山が借景である。嵯峨院御殿からの眺望は借景を含んだものであったろう。 -
平安時代の鑓水の説明
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「名古曾の滝は朝日山からの谷川を利用していたとみられる。」(中根金作、京都の庭と風土)
いまは、隣家が接していて川などがない。 -
これが滝組?
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この石に刻まれた説明板には、「大きく蛇行しながら池まで鑓水が続いていた。」 その後の石組みなども発掘調査が行われたとありますが、 -
どこだか判らない。
嵯峨離宮の御殿もこの前にあったはずですが、うかがい知ることはできない。 -
ここには滝組前の鑓水の発掘状況が示されている。
「鎌倉時代、後宇多上皇が大覚寺を復興された際に名古曾の滝や鑓水の一部が改修されて景石や小さな中島が設けられて御所に一部となっていた。やがて、これらの鑓水も埋まり、滝の石組みがわずかに姿を留めるのみとなりました。整備以前、滝の南にはいつの時代にか掘られた小さな池があり、水をたたえていました。当時の流れの名残であったでしょうか。」 -
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このあたりには、州浜があったと書かれている。桂離宮や仙洞御所に見られるような丸石を敷き詰めたものであろうか? 池の中にそれらしき小石が見える。大沢池は貯水池となってから水位が上がってしまったらしい。桜の花びらの散るあたりには嘗ては、見事な小石の州浜が在ったのであろう。
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こちらが中島(菊島)
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この楓の並木は秋には見事な紅葉となる。
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こちらも中島ですが、橋を渡ると地続きのような半島
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ここはいけばな発祥の地!
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再び州浜の辺りを見る。
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この大木は、樹齢何年か? 庭園の変遷を見つめているであろう?
木の下に見える社は、立て札にある「弘法大師が離宮の鎮守とした五社明神」と思われる。 -
奥まったところにあるお堂の周囲にもソメイヨシノの桜
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庭を一周して大覚寺の伽藍にちかずく
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右手の五大堂の月見台には大勢の人々
茶席が設けられていた。 -
嵯峨院が大覚寺となったのは876年、弘法大師の時代である。もちろん真言宗。真言宗大覚寺派の本山である。「代々、明治時代初頭まで天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を努めた格式の高い寺院である」(大覚寺パンフレット)
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御影堂
「御影堂は大正年間に御所から移築されたもの。中には弘法大師像、嵯峨天皇像、鎌倉時代、大覚寺を復興された後宇多上皇像がある」(立て看板) -
安井堂には後水尾天皇の像、上皇となられる以前にこちらにおられたのであろうか? 嵯峨院庭園を見て、庭園に関する造詣を深め、円通寺の幡枝離宮を建て、さらには修学院離宮の造営にいたったとすれば、十分に説得力がある。
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「五大堂は現在の建物は江戸時代に再建されたもので大覚寺の本堂です。」(立て看板)
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門跡寺院らしい御門は勅使門
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宸殿
「宸殿は江戸時代の初め(1673-81)に後水尾上皇よりその皇后東福門院和子様が使用していた女御所の宸殿を賜ったもので、前面の庭は白川砂が敷かれて大海を表しています」(立て看板) -
左近の梅
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右近の橘
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大覚寺をでて、小路を歩く
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大覚寺総門あと
きょうはこれまで、JR嵯峨嵐山駅へ -
4月16日、快晴の午後、堀川通りを下ります。
右手に紫式部の墓所 -
やってきたのは、上京区の本法寺
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いきなり大きな伽藍!
堂宇は江戸時代後期とのこと。 -
由緒
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巴の庭
本阿弥光悦の作
庭園の詳細は、別途「枯山水庭園」のブログに編集します。 -
書院は徳川家からの寄進、文政11年に再建されたもの。廊下の杉との絵は法橋勧山の筆による」(立て札)
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この絵がそれらしい。
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すばらしい金金具の釘隠し
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この垣根は独特のものらしい。
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本法寺の前には、小川通りをはさんで東側に、表千家の今日庵
静かなたたずまいで、見学は許されない。 -
すぐ隣が裏千家の不審庵
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小川通りから寺の内通りに伝統のありそうな俵屋吉冨
場所柄のお茶菓子であろう? -
門の隙間からわずかに中を覗き見るのみ
露地などを拝見はできない。 -
百々橋跡
この辺は応仁の乱の戦場であったらしい。 -
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宝鏡寺門跡
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参観謝絶です。塀越しに桜が咲いているのが見える。
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堀川通りに出て、薄雲御所の跡、慈愛院
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同じく参観謝絶です。
春の紅葉が! -
堀川通りを渡り、寺の内通りを少し行ったところにある妙蓮寺は、こちらも日蓮宗の寺院
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こちらも光悦のかかわりがある!
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ソメイヨシノは全く花びらがなくなった頃なのに、未だに花をつけている桜?
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見事な八重桜
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こちらは本堂玄関前の枝垂桜
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妙蓮寺にも石庭があるが、またの機会とする。
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堀川通りは中央に並木、片側3〜4車線!
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堀川通りを京都駅に向かう
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二条城に近く堀川沿いにも未だ八重桜が!
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4月26日
つつじが満開にいになってきた。
初夏の陽気に誘われて、日本最古の? 京都で一番古い名庭である。神泉苑に出かけてみた。 -
御池通りにあるこの史跡には神社のような鳥居がある。でも真言宗東寺の末寺になっている。お寺に鳥居!
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京都の史跡にに必ず建っているう由緒を書いた木札も古さを示すかのように、このように古ぼけている。読みづらい。
「桓武天皇が平安京の造営にあたり、大内裏の沼沢を開いて設けられた苑地で常に清泉が湧き出すことから神泉苑と名図けられた名づけられた。その境域は南北四町、東西二町という広大なもので、苑内には大池と中島のほか、乾臨閣(かんりんかく)や釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が舟遊、観花、賊詩、弓射、相撲などの行事や遊宴を行ったとされている。824年春の日旱(ひでり)にこの池畔で東寺の空海が善女龍王を祀って祈雨の法を修して霊験があったと伝えられ、以後当苑では名僧が競って祈雨の修法を行うようになった。また、863年には初めて当苑で御霊会が執行されるなど、宗教霊場として利用されるようになった。現在は東寺真言宗に属して毎年五月一日から四日間の神泉苑祭には、壬生狂言の流れを汲む神泉苑狂言が行われる」(京都市立て看板) -
その神泉苑祭が近い! -
狂言堂が正面に
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右手には弁天堂
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さらに奥には社がある。社の前の石塔は漢文で書かれている。平安期のものであろうか?
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この辺からの池は手前につつじが咲き、趣がある。
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善女龍王の碑が狂言堂の前にある。
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橋から狂言堂の奥を見ると、どうやらあそこが善女龍王を祀っている社
「大内裏の南東、二条から三条にいたる広さ」であったとされるが、いまはこの放生池が残るのみ。「東寺の空海と西寺の守敏(しゅびん)の雨乞いの呪法くらべで、空海が天竺の善女竜王を招請して祈ったところ豪雨となった。それ以降この池には龍女が棲む。」(小松和彦、京都魔界案内) -
この赤い橋は平成になってからの建造!
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鯉塚と亀塚は真新しい石碑
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この奥には料理店が!
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東寺の寺務所
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左手には、貴族が舟遊びに使ったであろう船が!
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つつじも1000年前のものではない。平安の時代を偲べるものは少ない。
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メモ書きのような説明が!
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「平安遷都794年に中国、漢の禁苑の制にならって神泉苑が営まれた。後世、荒廃していた1602年、江戸時代になって徳川家康が二条城を営するにあたって神泉苑の地を選んだ。二条城の敷地は広く神泉苑の地域の多くが割かれた」(中根金作、京都の庭と風土)
御池通りにでると二条城が目の前に、このへんも平安の頃は苑地であったのであろう? -
元禄時代創業の漬物や
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八坂神社の末社
三条通りの商店街にあるこの社は神泉苑の南端にあたる」とある。祇園祭の発祥はこの神泉苑の御霊会ということになっています。 -
その由緒が書かれている。いまはまた旅所になっている!
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このあたりには平安宮跡の遺跡がほかにもあるようだ!
朱雀門跡 -
千本御池通り、京都市の図書館前にある平安宮造酒司跡
「造酒司は宮内省所属の官司で、天皇や中宮に出す供御などに用いられる酒、酢などを醸造していた。..........平安宮跡ではこれまで多くの発掘調査がなされているが建物跡が出た例は少なく、本倉庫跡のように平安創建期の建物の遺構が出たのは特筆すべきことである」(京都市立て看板)
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