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大分M君宅の朝、雪は止んでいたものの空はまだどんより思い雲が垂れていた。<br /><br />念のため湯布院に状況を確認して見たが、湯布院は昨夜更に降った雪で、全く身動きが取れないとの事。<br /><br />湯布院周辺の山岳地帯は何れも同じ状況だろうと云う。<br /><br />そこで思い切って予定ルートを変更することにし、当初予定していなかった周防灘沿岸を日豊線で直接小倉に向かうことにした。<br /><br />このルートは源範頼が苦難の末本州から周防灘を渡り、北に進んで小倉に至り、平家の最期の拠点・姫島の背後に陣を敷き、平家の九州逃亡の道を絶った道。<br /><br />日豊線が別府湾に沿って逆S字型にカーブした先に杵築駅がある。<br /><br /><br />6,九州横断の4本の道 目次に戻る<br />http://4travel.jp/travelogue/11108963<br /><br />杵築は元は大友氏の庇護の許にあった木付氏の領地であり、城も木付城と云った。<br /><br />秀吉の勘気に触れた大友氏が秀吉に滅ぼされた際木付氏も滅亡。<br /><br />その後城の主は何人も変わる。<br /><br />江戸時代に幕府発行の朱印状に間違って”杵築”と記されたことが切っ掛けで、地名が”杵築”となり、城も”杵築城”と呼ばれるようになる。<br /><br /><br />杵築城が建つ台山(だいやま)からの坂に沿って上部には武家屋敷、下部は町人町が広がっており、歩いて散策するのは大変だが、目にする坂に張り付く様な昔ながらの町並みは楽しい。<br /><br />豊後の国周遊旅情?江戸の香り漂う城下街杵築その1城と武家屋敷<br />http://4travel.jp/travelogue/10556612<br /><br />豊後の国周遊旅情④江戸の香り漂う城下街杵築その2民家と坂の街<br />http://4travel.jp/travelogue/1055661<br /><br />杵築から北は国東半島。<br /><br />この辺りは昔からの国東半島の頂上、双子山の山頂から裾野を広げたように広がる、人里離れた山岳信仰聖地であったらしい。<br /><br />現在も”御仏の里”と呼ばれるこの一帯は、小さいながら美しい御堂と石仏が彼方此方で散見され、昔ながらの美しい山里を偲ばせる。<br /><br />2008年この旅でもお世話になった大分のM君ご夫妻の案内で、この辺りを周遊。<br /><br />その中でも芭蕉に見てほしいの景観の極め付きは、大きな岩に浮彫された 熊野磨崖仏で、その姿は野趣あふれる不動明王像と柔和な大日如来像。<br /><br />不動明王のお顔を拝むには可成りの坂を登らねばならないが、芭蕉の足なら驚くに当らない。<br /><br />九州横断・温故知新の旅:国東半島<br />http://4travel.jp/travelogue/10215273<br /><br />国東半島の南東に宇佐神宮は建つ。<br /><br />日本の神社数で一番と云う八幡宮の大本山。<br /><br />宇佐神宮境内に神仏習合の頃建てられ、今も遺る弥勒寺跡がある。<br /><br />その弥勒寺の御仏のお姿が 熊野磨崖仏の不動明王だと云う。<br /><br />日本の神を覗く旅路・第2部記紀にお出ましにならない神々<br />01八幡神社の総元締め宇佐神宮その1上宮<br />http://4travel.jp/travelogue/10923169<br /><br />日本の神を覗く旅路・第2部記紀にお出ましにならない神々<br />02八幡神社の総元締め宇佐神宮その1下宮と呉橋<br />http://4travel.jp/travelogue/10923180<br /><br />JR日豊線は宇佐から小倉まで周防灘の海岸線を走る。<br /><br />当初のルートを変更し、源範頼が平家を追って陸上から迫った道を辿って小倉、更に下関に足を伸ばすことにした。

6-4周防灘沿岸ルート(今回の旅ルート・杵築→国東半島→宇佐→小倉)

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2016/01/25 - 2016/01/25

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WT信

WT信さん

大分M君宅の朝、雪は止んでいたものの空はまだどんより思い雲が垂れていた。

念のため湯布院に状況を確認して見たが、湯布院は昨夜更に降った雪で、全く身動きが取れないとの事。

湯布院周辺の山岳地帯は何れも同じ状況だろうと云う。

そこで思い切って予定ルートを変更することにし、当初予定していなかった周防灘沿岸を日豊線で直接小倉に向かうことにした。

このルートは源範頼が苦難の末本州から周防灘を渡り、北に進んで小倉に至り、平家の最期の拠点・姫島の背後に陣を敷き、平家の九州逃亡の道を絶った道。

日豊線が別府湾に沿って逆S字型にカーブした先に杵築駅がある。


6,九州横断の4本の道 目次に戻る
http://4travel.jp/travelogue/11108963

杵築は元は大友氏の庇護の許にあった木付氏の領地であり、城も木付城と云った。

秀吉の勘気に触れた大友氏が秀吉に滅ぼされた際木付氏も滅亡。

その後城の主は何人も変わる。

江戸時代に幕府発行の朱印状に間違って”杵築”と記されたことが切っ掛けで、地名が”杵築”となり、城も”杵築城”と呼ばれるようになる。


杵築城が建つ台山(だいやま)からの坂に沿って上部には武家屋敷、下部は町人町が広がっており、歩いて散策するのは大変だが、目にする坂に張り付く様な昔ながらの町並みは楽しい。

豊後の国周遊旅情?江戸の香り漂う城下街杵築その1城と武家屋敷
http://4travel.jp/travelogue/10556612

豊後の国周遊旅情④江戸の香り漂う城下街杵築その2民家と坂の街
http://4travel.jp/travelogue/1055661

杵築から北は国東半島。

この辺りは昔からの国東半島の頂上、双子山の山頂から裾野を広げたように広がる、人里離れた山岳信仰聖地であったらしい。

現在も”御仏の里”と呼ばれるこの一帯は、小さいながら美しい御堂と石仏が彼方此方で散見され、昔ながらの美しい山里を偲ばせる。

2008年この旅でもお世話になった大分のM君ご夫妻の案内で、この辺りを周遊。

その中でも芭蕉に見てほしいの景観の極め付きは、大きな岩に浮彫された 熊野磨崖仏で、その姿は野趣あふれる不動明王像と柔和な大日如来像。

不動明王のお顔を拝むには可成りの坂を登らねばならないが、芭蕉の足なら驚くに当らない。

九州横断・温故知新の旅:国東半島
http://4travel.jp/travelogue/10215273

国東半島の南東に宇佐神宮は建つ。

日本の神社数で一番と云う八幡宮の大本山。

宇佐神宮境内に神仏習合の頃建てられ、今も遺る弥勒寺跡がある。

その弥勒寺の御仏のお姿が 熊野磨崖仏の不動明王だと云う。

日本の神を覗く旅路・第2部記紀にお出ましにならない神々
01八幡神社の総元締め宇佐神宮その1上宮
http://4travel.jp/travelogue/10923169

日本の神を覗く旅路・第2部記紀にお出ましにならない神々
02八幡神社の総元締め宇佐神宮その1下宮と呉橋
http://4travel.jp/travelogue/10923180

JR日豊線は宇佐から小倉まで周防灘の海岸線を走る。

当初のルートを変更し、源範頼が平家を追って陸上から迫った道を辿って小倉、更に下関に足を伸ばすことにした。

同行者
一人旅
交通手段
JR特急
旅行の手配内容
個別手配

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