2016/01/16 - 2016/01/16
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2016年の初旅、地中海に浮かぶ小さな国、マルタに行ってきました。
周りでは「え?それどこだっけ?」「マルタ?知らない」なんていう人もいましたが、歴史ある街にきれいな海、グルメなど、閑散期ながらも楽しんできました。
この旅行記は旅行3日目の午前中、ヴァレッタ観光(というか、ほとんど聖ヨハネ大聖堂と騎士団の宮殿)の様子です。
<旅程>
1日目 KIX 23:35 <EX-0317> エミレーツ航空でドバイへ (機中泊)
2日目 ドバイ 5:45
ドバイ 7:50 <EX-0107> キプロス・ラルナカ経由
マルタ 13:25
3日目 ヴァレッタ、ブルーグロット、ハジャーイム観光
4日目 ゴゾ島観光
5日目 イムディーナ、ラバト観光
6日目 マルタ 14:55 <EK-0108> ラルナカ経由
7日目 ドバイ 1:25
ドバイ 3:00 <EX-0316> KIX 16:50
宿泊はコリンシアホテル セントジョージズベイに4連泊。
http://www.corinthia.com/hotels/malta/malta_stgeorgesbay/
観光&昼食付き、夕食フリー、5日目自由行動のツアー旅行です。
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旅行3日目。
マルタ共和国の首都、世界遺産の街でもあるヴァレッタにやってきました。
観光バスだとホテルから15分程度ですが、路線バスだと50分程度かかるそうです。
その代わり、海沿いを走るので景色を楽しむことができます。 -
この日は朝から雨で、おまけに風もけっこうきつく。
折り畳み傘がひっくり返りそうになるし、写真は撮りにくいしでガイドさんの話も聞いておらず、この時はどこに来たのかさっぱりわかっていませんでした。 -
このツアーは主要な観光がついていたので、事前予習を何もしておらず、自由行動の日の予定も何も決めず来てしまっていたのです。
大きな船がとまっていますね。 -
エレベーターがありますね。
船乗り場にアクセスするときに使うみたいです。 -
公園の展望台みたいなところにやってきました。
実は旅行記をつくるまで知らなかったのですが、ここはヴァレッタ観光の3大メインの一つ、アッパーバラッカガーデンです。 -
展望デッキからは天然の良港グランドハーバーと対岸の町スリーシティーズが一望できます。
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お昼12時に大砲が放たれるんだって。
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どんより雨降りでかなり残念だけど、一応パノラマ写真を。
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この時は対岸の景色がスリーシティーズだとはつゆ知らず、なんかかっこいい景色だな〜と思って見てました。(全然話を聞いてない人)
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展望デッキの手前はこんな感じ。
なんだか中世っぽい? -
雨が残念すぎてちょろっと歩き回って散策終了。
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ガーデンの入口。
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マルタの建物はマルタ・ストーンと呼ばれる石灰石でできています。
統一感があってきれいです。
石灰石が蜂蜜色っていわれるのはイギリスのコッツウォルズと同じですね。 -
ヴァレッタは小さな町なので、歩いて観光します。
この建物は何だっけ・・・?
→首相官邸みたいです。 -
・・・。
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町中は緑のモールで飾り付けされてたけど、何の飾りだったか忘れてしまいました。
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ショーウィンドウをパチリ。
これはフィルグリーという、繊細な銀細工です。
ここには写ってないけど、マルタ十字をモチーフにしたデザインが多かったです。 -
赤いドアをパチリ。
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この細い道から出てくると・・・
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聖ヨハネ大聖堂(絶賛修復中)
1577年、騎士団の守護聖人洗礼者ヨハネを称えるために建てられた大聖堂です。 -
なんだかシンプルというか、質素な外観ですよね。
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ところがどっこい、一歩足を踏みれて天井を見上げるとこんなにキラキラ☆
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え〜!なになに〜?
めちゃくちゃ豪華なんですけど〜!(驚) -
マルタ十字かわいい〜♪
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外観とのギャップがすごいです。
ほどよい広さの大聖堂に豪華絢爛がつまっている! -
丸窓の横の人物画は影がつけてあって、3Dアートのようになっています。
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天井を見上げて感心することしきり。
色合いとテイストがpacorin好み♪ -
聖堂の側面には騎士団を構成する8つのグループのそれぞれの礼拝堂があります。
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その礼拝堂もそれぞれに豪華です。
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彫刻もすごい。
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大理石で作られた大聖堂の床は騎士達の墓標となっていて、ラテン語で墓碑銘や絵が描かれています。
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おしゃれだわ〜
ちなみに、床を傷つけるようなヒールの靴や肌を露出した服装は不可ですからご注意を。 -
正面は主祭壇です。
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側面はそれぞれの礼拝堂。
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ここからはひたすら内部の写真を撮りまくっているのでさらっと御覧ください。
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主祭壇です。
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ラッパを吹いてる彫刻、長すぎちゃって柱が切り取られています。
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ここからは撮影禁止、イタリアの巨匠カラヴァッジョの傑作「聖ヨハネの斬首」と「聖ヒエロニムス」を鑑賞しました。
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「聖ヨハネの斬首」(ネットから拝借)
この絵はカラヴァッジョが唯一、血糊でサインを残した作品だそうです。
サロメが「早くヨハネの首をお盆に乗せて〜」って駆け寄ってるちょっとショッキングなシーン。 -
再び撮影可能エリアです。
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さっきのラッパ、角度を変えるとこんな感じ。(笑)
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いや〜見応えがありました。
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それではさようなら~
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外に出ると雨降りだったことを思い出した(/ω\)
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お次は騎士団長の宮殿へ。
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歴代の騎士団長の宮殿として使用されていたこの建物は、現在は大統領府として使用されていて、いくつかの部屋が見学できるようになっています。
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大理石の廊下に並ぶ中世の甲冑はすべて本物だそう。
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天井も素敵。
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こんなの着て戦えるのかな?
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ちなみに見学しているのは2階部分。
1階部分は兵器庫になっているんだそう。(今回は2階のみ見学) -
1975年〜1988年のマルタの国章。
お船がかわいらしいです。 -
現在の国章は下のデザインです。
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こちらは動きやすそうなデザイン。
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ヴァレッタは聖ヨハネ騎士団の団長、ジャン・バリゾ・ド・ラ・ヴァレットの名前から付けられました。
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聖ヨハネ騎士団は、もともと疲れた巡礼者の受け入れや、病人の看護を行っていた慈善団体です。
1113年に当時の法王パスカリス2世により宗教団体として認可され、巡礼者が無事にエルサレムまで旅ができるよう、活動するようになりました。 -
12世紀半ば頃から、貴族階級の次男以下の子息のカトリック信者を集め、騎士団の団長をグランドマスター(騎士団長)と呼ぶようになり、団体のあり方が徐々に変化していきました。
医療奉仕目的で設立された騎士団が、主要戦力の一つとして十字軍の戦争に駆り出されるようになったのです。 -
1291年、十字軍最後の砦アッコンが陥落してしまい、騎士団はキプロス島へ避難、その後ロードス島を攻略し、組織を改良、海戦ではトップクラスの軍事力を誇るようになりました。
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一方、自分の領土の目と鼻の先であるロードスで拡大するキリスト京勢力が目障りになったのがオスマン・トルコ。
彼らはロードス島に大軍を送り込んで島を包囲、半年にわたる戦いの後、騎士団は降伏してロードス島を手放し、本拠地を失ったまま7年ほど各地を転々とします。 -
放浪していた騎士団に、神聖ローマ帝国のカール5世より年間一羽の鷹と引き換えにマルタとトリポリが与えられ、1530年に騎士団はマルタへやってきました。
当初彼らは現在のスリーシティーズを拠点として要塞の建築を開始しました。 -
しかし、1547年と1551年の2度にわたり、オスマン・トルコの攻撃を受け、ひどい損害を受けます。
また、騎士団もマルタの海賊と協力してトルコ船を襲う海賊行為を繰り返し、オスマン・トルコと聖ヨハネ騎士団の関係は悪化の一途をたどっていきました。 -
そしてついに、1565年5月18日、オスマン・トルコの大軍がマルタに押し寄せてきて、歴史に残る大戦グレートシージ(大包囲戦)の幕が開きます。
ここ、最高審議の間には大包囲戦の様子が天井近くの壁に描かれています。 -
総勢約4万8千人のオスマン・トルコ軍に対し、迎え撃つマルタ側は約9千人。
兵を率いるのは頭脳明晰で勇敢な騎士団長のラ・ヴァレット。
オスマン・トルコ軍は船を停泊させる拠点にするため、現在のヴァレッタの先端聖エルモの要塞への攻撃を開始、36日にも及ぶ攻防の末、要塞は陥落しました。 -
ラ・ヴァレットは要塞陥落後もオスマン・トルコの降伏条件を受け入れることなく、戦い続け、9月8日にオスマン・トルコ軍が撤退、騎士団率いるマルタが勝利しました。
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騎士団とマルタはイスラム勢力からカトリック教徒(ヨーロッパ)を守りぬいたと称賛され、カトリックの国から莫大な寄贈を受け取ることになります。
それによって団長の名前を取った完全計画要塞都市ヴァレッタが建設されることになりました。 -
大包囲戦の後、新たな攻撃に備えて要塞都市ヴァレッタを完成させるものの、その後オスマン・トルコ軍が島にやってくることはなく、マルタに平和が訪れました。
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後の騎士団長は富と権力にまかせて贅沢していたようです。
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お洋服にマルタ十字のデザインは欠かせないのね。
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変な顔!?
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ここを見学したときはあまり歴史をわかっていなかったけど、後日イムディーナで映像ショーを見て流れを理解することができました。
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1階の兵器庫は見なかったけど、2階部分だけでも見応えのある騎士団長の宮殿でした。
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宮殿見学後はカフェ コルディナでお土産のチョコレートなどを購入。
http://www.caffecordina.com/ -
1837年創業の歴史あるカフェで、店内は沢山のお客さんでにぎわっていました。
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お土産用のチョコレートは空港でも売っていましたが、こちらのお店の方が50セントユーロぐらい安かったと思います。
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ランチはLucianoという街中のレストランにて。
メインのお肉料理は薄切り肉でイカミンチのようなものを包んだ不思議なお料理でした。 -
レストランの横の通り。
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ロイヤル・オペラハウス跡
第二次世界大戦の空爆で破壊されたロイヤル・オペラハウスの跡地です。
ムッソリーニが宣戦布告をした1940年6月10日の翌日、イタリアの爆撃機はヴァレッタとその港を攻撃しました。
最も過酷であった継続的な爆撃は1942年に記録され、「マルタの包囲」として知られています。 -
ヴァレッタに入る門。
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門の両側にはこんな塔が立っています。
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ヴァレッタのバスターミナルにあるロータリー。
噴水が目印です。
左端に写っている路線バスはヴァレッタから各方面に出ています。
アップする順番がめちゃくちゃになりましたが、これでマルタ旅行記はおしまいです。
旅の流れ的には「2016年初旅 マルタの風に吹かれて III 猫おじさん遭遇編」
http://4travel.jp/travelogue/11113967 に続きます。
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旅行記グループ マルタの風に吹かれて
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