2016/02/08 - 2016/02/08
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ドクターキムルさん
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皇居のお堀端を一周していると、東京メトロ東西線竹橋駅大手町側の出入り口が工事中(〜2月17日)である。工事柵の上に銅像の顔が覗いている。誰の像なのか、ヘルメットを被っている工事現場の案内係りの人に聞くと名前は知らないという。流暢な日本語ではあるが、知らないというのは可笑しいので、「外国人?」と聞くと、国名を告げ、「日本語が読めないので。」という。「神武天皇?」と尋ねると、「奈良時代の人で、元は京都にあったものをここに移したのだそうだ。」と答える。神話にある神武天皇なら縄文時代くらいまでも遡る。
帰ってから調べると、大手濠緑地内に建立されているのは和気清麻呂銅像だと分かった。台座をいれると高さは約4mあるそうだ。この像は昭和15年(1940年)の紀元2600年記念事業として、楠正成像(皇居外苑)と共に文武の二忠臣を象徴して建立されたものだという。
和気清麻呂(天平5年(733年)〜延暦18年(799年))は奈良朝期末から平安時代初期の貴族である。天平神護元年(765年)に右兵衛尉となった。神護景雲3年(769年)、宇佐の神官を兼ねていた大宰府の主神(かんつかさ)・中臣習宜阿曾麻呂(なかとみのすげのあそまろ)が宇佐八幡神の神託として、弓削道鏡(文武天皇4年(700年)?〜宝亀3年(772年))を皇位に就かせれば天下太平になる、と称徳天皇へ奏上する。称徳天皇は側近の尼僧・和気広虫(法均尼)を召そうとしたが、虚弱な法均では長旅は堪えられぬため、弟の清麻呂を召し、姉に代わって宇佐八幡の神託を確認するよう命じた。清麻呂が勅使として八幡宮に参宮し、「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」という大神の神託を朝廷に持ち帰り、称徳天皇へ報告した。世に言う宇佐八幡宮神託事件である。翌神護景雲4年(770年)、称徳天皇は崩御し、道鏡は失脚して造下野薬師寺別当を命ぜられて下向し、赴任地の下野国で没した。なお、「下野する」の語源はなかったが、こうして道鏡が奈良の都から下野へ落ちて行く様が当てはまるであろうか?
その後、清麻呂は光仁・桓武天皇に信任を得て、平安遷都を推進、造都に活躍した。
生誕地(岡山県)の和気神社や神護寺の境内にあった護王神社(明治19年(1886年)に京都御所蛤御門前に遷座した。)に祭られ、生前は従三位・民部卿であったが、明治31年(1898年)には贈正三位から贈正一位に位階が進められた。
(表紙写真は和気清麻呂像)
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