2015/05/18 - 2015/05/18
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
今日の訪問先は、私がとても楽しみにしていたマテーラ。自然の洞窟に人が手を加えた洞窟住居のある町として、世界にここだけしかない風景を楽しむことが出来ます。岩好きの人間にはたまりません!
バーリの町には、トレン・イタリアの他にいくつかの私鉄の線がありますが、その一つがバーリのあるプーリア州とバジリカタ州を結ぶアップロ・ルカーネ線。
バーリ・マテーラ間76kmを1時間半で結んでいます。始発駅はトレン・イタリアのバーリの駅と接続しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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運賃は4.9ユーロ。駅の1階にある出札所で購入しました。
アップロ・ルカーネ線の駅と列車は、イタリアにしては上出来。駅もピッカピカ。珍しく自動改札も完備です。 -
車体には落書きの一つもありません。これは途中ですれ違った列車。
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車内もご覧の通り。イタリアらしいモダンなデザインで青と緑で統一されています。単線のため、時間がかかることが玉に瑕かな・・・
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1時間15分ほどでプーリア州でバーリに次ぐ都市アルタムーラ(と言っても人口7万人!)に到着。ここからアップロ・ルカーネ線は二つに分かれます。
アルタムーラといえばパンが美味しいことで有名です。寄りたかったけれど、パンを買うだけに降りると、次のアップロ・ルカーネ線を2時間待つ羽目になります。 -
列車に揺られて1時間半。なんの変哲もないマテーラ・チェントラーレ駅に到着しました。マテーラ周辺、線路は地下を走っています。
帰りに気が付いたのですが、列車が発車する20分前にならないと、駅の出札口は開きません。駅についたものの閑散としていて、駅員の姿も見えないため、私は次の列車の発車時刻を周囲にいた人達に訊きまくってしまいました。 -
駅近くにあった観光案内所は全くの役立たずでした。カウンターの女性の話では、観光客が大勢訪れるため、マテーラの地図は残っていないというのです。
代わりにどう? と言って差し出されたのは、バジリカタ州の他の観光地のパンフレット。使えねえ〜! 今回マテーラ以外は行く予定ないんだけれど・・・
気を取り直して出発。町の通りには、サッシSASSI→ の方向指示版が要所要所にあるので、迷うことはありません。サッシとは、洞窟住居(複数形)のことです。 -
歩くこと10分足らずで、サッシへの入り口に当たるヴィットリオ・ヴェネト広場に到着しました。少なくともここまでは、マテーラはごく普通の町に見えます。
このマテーラ市の中心である広場には二つの噴水がありますが、写真右に見えるのがそのうちの一つ。急に雨模様となったため、人の姿がありませんが、迷子になりやすいマテーラ見学では欠かせない待ち合わせ場所となっているようで、午後再びここを訪れた時には大勢の観光客でごった返していました。 -
で、私の目はこちらの地味なお店の看板に釘付け! eredi martino・・・
4トラベルの、どなたかの旅行記で、この建物を見たような記憶・・・そうそう、アルタムーラのパンを逃したからにはここのパンは逃すな! だったかな?のパン屋さんではありませんか!
うひゃ〜 パンには目がない私はさっそくお店の中に入ります。 -
また色が赤っぽくなってしまいましたが、これです。これ! 左側にある少々ごっついパンが、この地方独特のパンで、写真だとわかりませんが、両手でないと抱えきれない位の大きさがあります。
午後には確実に売り切れてしまうというので、どうしようかと迷いましたが、二分の一サイズ(これ以上小さくはしてくれません。)をお買い上げ。2週間は持つからね とお店の方が説明してくれましたが、本当! 表面は堅そうですが、中はもっちもち。独特の風味があって、病みつきになってしまいました。(写真はお店の許可を得て写しました) -
目が卑しいので、見るものすべてがおいしそうに見えて、次々と買いあさった結果、まだ町を歩く前だというのに、私のリュックはかさばるパンでパンパンの状態に! (座布団もらえます? 無理か・・・)
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プーリア州の食事は私にとても合っていたようで、この後訪れた場所を含めて総合的に考えても、パンはプーリア州のものが一番だったように思います。
ケースの一番下に並んでいるのは、チチェルキエと呼ばれるお豆。イタリア人はこの豆をくたくた煮込んだスープが大好きです。パンとスープ。食事の基本ですね。 -
広場の奥に建っているオレンジ色の館は、受胎告知の館palazzo dell'Annunziata。18世紀に建てられたドメニコ会の修道院だった館で、現在は州立図書館、メディア本部などが置かれています。
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さあ、ここから階段を下りて行って、いよいよ洞窟都市に突入です。
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サッシへの入り口はほかに何か所かありましたが、私が下りて行ったのは、こちらのカフェ ヴィットリオ・ヴェネト前の階段です。
階段の途中に、サッシの地図が貼ってありました。駅前の観光案内所で、関係ないバジリカタ州のパンフだけもらって、肝心のマテーラの地図のない私にとっては、サッシの町のところどころにあったこの地図にずいぶん助けられました。 -
階段の途中にも祠・・・
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はやる気持ちを抑えながら、階段を下りていきます。マテーラの大理石の階段は大変滑りやすいのでご注意下さい。特に雨の降り始めにはツルツルになります。
そう、さっきも降ったけれど、またちょっと雲行き怪しいのです。 -
ルンルン♪・・・
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2001年に南イタリアを訪れた際には、ツアーにマテーラがなくて、アルベルベッロしか入っていなくてがっかり・・・確かにその頃はあまり世界遺産なんて騒がれなかった時代だったかもしれません。
この景色が見たかったんだよ・・・階段はまだ終わっていませんが、暫し佇んで景色を楽しみます。 -
夢うつつの私に、またしても悲劇が襲います。
がーん! なんじゃ あのドゥオモは! ローマ以来、どこに行っても修復現場とはおさらばできないのでありました。風景が台無し!! -
こういう具合に、あちこちから階段が出会う場所には、さりげなく、水飲み場と灰皿が置かれていました。
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グラヴィナ川が削った凝灰岩の谷に人々が住み始めたのは旧石器時代の紀元前7世紀といわれています。8、9世紀頃からは修道僧やオスマン帝国から逃げてきた人々が洞窟を掘って住居にしていましたが、その後は小作農の住処となり、20世紀になって人口が増えてからは、衛生状態が劣悪化していきます。
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1953年から68年にかけて、州政府はサッシの住人を強制的に郊外の近代的な住宅に転居させ、その結果サッシは廃墟となっていきました。
しかし、その後この地域にある多くの岩窟教会や様々な文化遺産が見直され始め(サッシの景色は、2000年前のエルサレムの町にも似ているといわれています)、1993年には世界遺産に登録されたのを皮切りに、多くの人々がまた坂を下りてきました。今ではホテル、レストラン、教会のほか、個人の住居も増加傾向にあるそうです。 -
グラヴィナ川が削った凝灰岩(火山性ではないそう)は、人の手で容易に掘り進めることが出来るそうです。
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世界中探しても、ここにしかない風景。ようやく一番下まで下りてきました。
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階段にたくさんの植木鉢が置かれているところを見ると、この家にも住民が戻っているんですね。
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綺麗に改装された建物もありました。
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谷底の道を歩きます。観光客の数はあまり多くありません。町を独占した気分です。
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わあ〜 工事中のドゥオモがまた見えてしまいました。
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なんて静かな世界なんでしょう!
カメラの調子が悪いので、サブのカメラを取り出し、写し始めています。色合いが異なりますね。 -
360度どちらを向いても絵になる風景ばかりです。
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住居なのか廃墟なのか、窓ガラスの有無で判断できるかな?
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道はくねくねと、上ったり下りたり・・・
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地図なんて、全く役に立たない場所だということを、いまさらながら気が付きました。うろつき歩くのに、これほど適した場所もありません。メインストリートを覗いては車も来ないしね。
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口コミで評判の良いローカルフードのレストラン オステリア・ピコ。流石にこの時間(午前10時50分)にはまだ閉まっていました。
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ピコの先にはレストラン ラ・タルパ。急に車の姿が見え始めました。車は階段上り下りできないから、どこかに車道もあるんですね。
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マテーラには土の地面がないので、多くの家の前にはたくさんの植木鉢が置かれていました。
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どれ一つとして同じ形の建物のない、サッシのメインストリートの一つ フィオレンティーニ通りです。
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下りてきた方とは逆の斜面です。こちら側の階段を上っていくと、ドゥオモの前に出ます。ドゥオモより北側のこの辺りの地区を、バリサーノ地区と読んでいます。
私はもう少し、フィオレンティーニ通りを進みます。 -
おっ! マテーラをミニチュアで再現した人の工房発見! 以前テレビで見た覚えがあります。
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マテーラの石職人エウスタッキオ・リッツィ氏が、12平米に35トンのマテーラの凝灰岩を用いて、3年がかりで作り上げたミニチュアの町です。
入場は無料ですが、皆様の「お気持ち」は、ジオラマの前面に置いてある壺の中にどうぞ。 -
土産物店を兼ねた工房では、リッツィ氏の息子さんが丁寧に案内をしてくださいました。リッツィ氏は数々の賞を受賞しましたが、一番嬉しいのは、あなた! 訪ねてくださったあなたから褒められることです! ってお上手なこと。
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右側の通りがフィオレンティーニ通り。その奥のイタリア国旗が立っているところが、工房の所在地です。国旗の下に、「我々はここにいます」と書かれています。
ちゃ〜んと電気も引いてありますね。にぎやかな声が聞こえてきそうな楽しいミニチュア世界でした。 -
奥のほうは、リッツィ氏の工房になっていました。石細工は大好きですが、持って帰るわけにはいかないので、見るだけです。
壁面に見えるスラブ、本当は欲しかったんですけれどね。 -
工房の隣にあったサッシで、ドゥオモ以外に最初に目にした教会です。
扉は堅く閉ざされていました。 -
リッツィ氏の工房の向かい側には、・・・
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同じくリッツィ氏が手掛けた、洞窟住居カサ・グロッタがありました。リッツィ(息子)氏がやたらとここを見るよう勧めるので、訪問しましたが、どうやら同じ家族で作った洞窟住居のようです。まんまと乗せられましたわ。
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サッシにはこのほかにも、数か所で洞窟住居と書かれた看板を見たので、観光ガイドに載っている住居はこちらではない可能性が高いです。でも、まあ、せっかくなので寄らしてもらいましょう。
入口の赤ん坊を抱いたおばあちゃんと、・・・ -
屋根の上の雄鶏が目印です。
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内部は、小作農がたくさん住んでいた時代(多分20世紀初頭か?)のサッシの生活を再現したものでした。こちらもエウスタッキオ・リッツィ氏とその息子が作ったものであることを、入場してから知りました。(入場料2ユーロ)
テーマはC'era una volta・・・昔々あるところに・・・といった訳がぴったりかな? -
仕事をするお父さん、パンをこねるお母さん等人形も、すべてリッツィファミリーの制作だそうですよ。
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家畜と同居していたので、余計衛生状態が悪化していていったんでしょうね。といってもイタリア中、いや世界中、中世の時代は家畜は家族の一員でしたよね。
よく見ると、ロバだけでなく、鶏もいますよ。 -
納屋の一部を利用したようなベッド。雑多な品物に囲まれています。
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台所には、タイルで外側を覆ったかまどと、たくさんの調理器具が並んでいました。今でも立派に使えそう・・・
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突っ立っている黒づくめのご婦人、腰に手を当てて、ちょっと怖いなあ・・・
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こちらは、若夫婦の部屋かしら?
右奥では、トイレで頑張っているお父さん?・・・ -
ベッドの上には、宗教画が飾られていました。
人形たちの表情の無さが少々不気味でしたが、展示そのものは割合楽しめましたよ。 -
外に出て、フィオレンティーニ通りをもう少し進みましょう。
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マテーラのナゾーネ君(水飲み場)は、水が流れっぱなしではありませんでした。デザインもなかなかです。
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Le Botteghe というレストラン前の光景。外側の壁には手を加えず、鎧戸や扉や窓だけを新しくしているのが見て取れます。
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さあ ここからアッドツィオ通りを上っていきます。
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坂を上るにつれ,有人比率が増えていくような気がします。こちらは堂々たる建物ですね。
サン・ピエトロ・バリサーノ この地域の語源となった教会の鐘楼が背後に見えています。 -
遠くにサン・アゴスティーノ修道院が見えてきました。
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反対側も絶景! ドゥオモ前のクレーンさえなけりゃ、完璧でした。
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この辺り、レストランと土産物屋に困ることはありません。もう10軒近くのレストランを見たような気がします。洞窟住居を体験できる小さなレジデンシアと呼ばれる、民宿の様なホテルもたくさん目にしました。
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先ほどの鐘楼のある小さな広場に到着。この岩にめり込んだような教会が、サン・ピエトロ・バリサーノ教会です。ファサードはやや形の変わったローズ窓が特徴的。ファサード、鐘楼ともに18世紀の建造です。
教会前に止まっている車は、サッシの観光ツアー用の車だそうですよ。流石イタリア!デザインがとてもキマッテいますね。 -
サン・ピエトロ・バリサーノは、内部で見つかった鐘から、創建は1000年代と言われています。三廊式の教会で、初期の洞窟教会の一つです。
内部では、教会を建築した、というか掘削していったかを物語る岩についたノミの跡を随所で見ることが出来ます。奥に向かっていくほどやや幅が広くなっていき、15〜16世紀にかけては盛んに拡張工事が行われ、側廊には礼拝堂が設けられました。
20世紀初頭、サッシのコミュニティが変貌するにつれ、何らかの理由で教会は見捨てられました。サッシ建築特有の過剰な湿度が原因と書かれていましたが、それなら最初からわかっていたはずですよね。、結果として盗掘、破壊行為が頻発したそうですが、主祭壇や後陣部分(おそらく15,6世紀)の辺りは割合良好に保たれていました。 -
サッシ内の洞窟教会は、すべて撮影禁止のため、写真を御見せできません。今となっては私も映像部分はあまり記憶にないなあ・・・(泣)
こちらは、入口左側にあった聖母子と聖ドナトゥス主教のフレスコ画です。 -
教会は墓地を持たないサッシの住民のための墓地ともなっていたようで、地下からはおびただしい骨が見つかっています。その数7000体以上と言われています。教会を捨てた理由は、その腐敗臭が原因だったのではと、私は内心思っているんですがね・・・
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サン・ピエトロ・バリサーノからサン・アゴスティーノ修道院にかけての素晴らしい眺望を今一度お楽しみください。
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下を覗きこむと、この谷を作ったグラヴィーナ川が、今は細々と流れています。なるほど・・・こういうことだったんだ。色々下調べで書物を読んだのですが、どうしても地形については想像が及ばなかったのですが、来て、見て、ようやく合点が行きました。現在サッシの最も東の外れの渓谷側にいます。写真中央に白く光っている道路が、崖の上の外周道路になります。
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ドゥオモのある場所は、チヴィタと呼ばれている小高い丘になっていて、その反対側にカヴェオーゾ地区があるので、今見えているのは全てバリサーノ地区。そのすぐ脇に崖があって、川を挟んだ対岸はなんにもない原野ということは、このとき初めてきちんと認識できたような気がしました。
見ると聞くでは大違いですねぇ。 -
それでは、扉が開いているようなので、サン・アゴスティーニ修道院にもちょっと寄らせてもらおうっと!
歴史は16世紀へと遡ります。1592年に最初に建てられた教会は、修道僧たちが建てたもので、感謝の聖母に捧げられていましたが、1734年の地震で崩壊。その後アウグスティヌス会が複合施設の一つとしてここに協会を建設しました。献堂は1750年。しかしながら修道院はいつの時代か廃止されてしまったようです。なあんだ。名前だけ修道院を使っているんですね。
ファサードの中央に残る聖アウグスティヌスの像は、昔の面影を伝えているのかしら? -
内部は三廊式。内装はとてもシンプルで、基調は白と灰色。バーリの教会よりはずっとモダンな雰囲気ですが、好感が持てます。
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主祭壇の後方高いところに、1770のパイプを持つというオルガンが設置されていたのにはびっくり!。オルガンは通常、祭壇に向かって、左右の翼廊やカウンターファサードに置かれる場合が多いのですが、ここでは後陣のカーヴした部分をほとんどそれが占めています。
オルガン手前の木製の手すりが目を惹きました。デザインはここでも花綱ですね。祭壇周りは、バロック様式でまとめられています。 -
いくつかサイド・チャペルを紹介すると
こちらは、右側最初の礼拝堂。祭壇が二つ置かれていますが、丸いほうは石灰岩で作った地元民、奥の大理石のほうはナポリの職人によって作られたものです。このドラムのような祭壇がえらく気に入って、じっと見つめてしまいました。
祭壇画は、パオラの聖フランシス、聖パスカル・バイロン、聖レオナルドが下段、中段には聖アンナと聖ヨセフ、そして上段には天使が支える聖母子が描かれていました。 -
左側2番目の礼拝堂。祭壇には、1595年の奇跡 と書かれた、やや素人っぽい聖母子像のフレスコ。王冠だけがやけに立派です。幼子は手を挙げて、祝福のポーズを取っています。
こちらがこの教会が創建当時に捧げたサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ「感謝の聖母」だそうです。幕屋等は絵に合わせて後から作られたことがよくわかりますね。 -
解説がないので、書くことがあまりありませんが、この教会の壁に、古いフレスコが残っていました。岩窟教会より現代に近い17世紀ころの作品と思われますが、内部を写すことのできた唯一の教会なので、どうぞご覧ください。
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ここは礼拝堂となっていて、祭壇が設けられていました。
手前にあるのは聖水盤。祭壇画は三位一体ですね。 -
地下のクリプトみたいな雰囲気です。
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壁に注目。ノミの跡が生々しく残されています。やはり、教会は作ったというよりも、柱を残して削ったというのが正解かな?
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祭壇にはごくごく薄いフレスコの名残しか見られませんでしたが、両脇の聖人シルベストロとバルバラは綺麗に残っていました。
カメラをそのまま右にずらすと・・・ -
う〜ん。こちらは状態悪し。修道院が廃止になった割には残っていると感謝しなければならないかもしれません。
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おびただしいノミの跡! 掘った人達の息遣いが聞こえてきそうです。
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さーて、そろそろバリサーノ地区から移動しましょう。あの外周道路沿いを歩いていこうかな・・・
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目の前に広がるこの迷路の町。いくら見ていても飽きることを知りません。
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ユネスコの世界遺産登録記念のタイルのプレートです。1993年に登録されました。
下段のタイルには、左からフランス語、イタリア語、英語の順番で、登録の経緯が書かれています。 -
イチオシ
写真中央付近に20名くらいの団体さんが階段を下りて来るのが見えますが、その部分だけ、他とは異なった色合いなのが面白い! あとは一面、赤茶色の世界です。
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お次は、こんな雰囲気の道を進みます。こうやって見て歩いていると、どこまでが洞窟住居なのか、わかりにくいですね。崖に沿って、5層ほどからなる洞窟住居が続いているようです。
この辺りの景色を見ると、自然と一体化というよりは、自然を上手に利用した人工物という域に達しています。 -
渓谷の反対側の景色です。
この景色を見ると、思い出すのがトルコのカッパドキア近郊のウフララ渓谷。自然に人の手が入り始めたという段階で終わっています。
渓谷を挟んだ両側の景色は極めて対照的です。 -
先ほど訪ねたアゴスティーノ修道院がもうはるか後方にありました。
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前方は、寂寥感ある景色に変わりつつあります。こんな渓谷が何kmも続いているんでしょうね。前述したように、マテーラが2000年前の景色を残している、そしてそれが、当時のエルサレムの景色によく似ていた というのも、あながち誇張ではないのを実感しました。
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岩窟教会ツアーのチケットには入っていなかった教会の前に、こんな写真が残されていました。教会の入り口はなんの変哲もない建物ですが、奥には古い教会が眠っています。
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メル・ギブソンが監督した「パッション」(キリストの受難 2004年の作品)は、マテーラで撮影されたそうです。「建物、岩場、周辺地域のどれをとっても、マテーラは我々がイメージする2000年前のエルサレムを彷彿させるところがあった」とギブソンは語っています。
こちらの岩窟教会では、「最後の晩餐」のシーンが撮影されたと書いてありました。 -
作られた年代は異なりますが、柱や、入口のアーチ型などは、カッパドキアの岩窟教会と共通点がたくさんあります。
下のフレスコ画は、左からサン・ニコラ、サンタ・バルバラ、サン・パンタレオーネの3人。サンタ・バルバラは実在した証拠がないとの理由で、現在聖人暦から外されていますが、南イタリアでは人気の高かった聖人のようです。彼女は、人々を病気から守ったり、鉱山や火を扱うなど危険な場所で働く人々を護る守護聖人です。 -
渓谷沿いの道をやや歩いて、こちらの看板にぶち当たりました。チヴィタ、ドゥオモは・・・
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この坂の上のようです。上ったり下りたり、何度も繰り返していますが、今回のは傾斜がきつそう!
意を決して参りますか・・・ -
ほぉ〜
洞窟住居が簡単に想像できそうな建物に初めて出会いました。ここは打ち捨てられたままのようです。 -
玄関の扉を除けば、明り取りはこんな小さな窓一つしかありません。
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上の方には、もっとひどい状態のものがいくつも見ることが出来ました。最近のごみが散乱しているところを見ると、ホームレスの住処になっている?
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思わず上を見上げます。ドゥオモまであと、30m位かしら?
乾燥したところでも生えるピンクの草花が建物にアクセントを与えていますね。ローマの赤いひなげしを思い出してしまいました。
ローマよりずっと南なのに、今日のマテーラはやや肌寒い気候。時折雨がぱらつきますが、幸い大降りには至っていません。 -
道の途中で見つけたこちらは何でしょう?
煤けているので、石のオーヴンでしょうか? 今でも現役で使われているみたいです。 -
だいぶ上ってきましたよ。No.15、16、17は住居表示もついているので、皆人が住んでいるようです。洞窟住居に普通の住居部分をドッキングしたみたいですね。
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絶景かな絶景かな!
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この辺りまで上ってくると、洞窟住居は城壁の一部となった感があります。刻々と変わる町の雰囲気を思いっきり楽しんでいます。
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もし、サッシの家を手に入れられたら、こんな風にできないかな等、妄想を膨らませながら、なおも階段を上ります。
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ここまでくると、見慣れたイタリアの町ですね。
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住居表示のタイル。緑の縁にカメリアでしょうか?。赤が新鮮。
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ムセオ・ディオチェサーノ 教区博物館がありました。バジリカタ州に全部で8つある教区博物館の一つで、イラストにあるエンコルピオンと呼ばれる11世紀製造の十字架が有名です。
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チヴィタのメイン・ストリートリスカット通りの表示は、何枚ものタイルを組み合わせた手の込んだ豪華版でした。
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見せたくなかったけれど、まさか、ドゥオモに入場もできないとは思っていなかったので、何のために、急な階段を上ってきたのかと、思わず腰が抜けてしまいました。ショックゥ〜!!
200段以上階段を上ったご褒美はないのかしら?
仕方ない。メイン扉の両脇の細かい装飾だけでも見て行きましょう。 -
内装も外装も同時に行われている様子。
これが悲しい現実でした。 -
ドゥオモ広場の表示タイルも素敵! 何とかしてここまで上って来た甲斐を見出そうとしています!
-
腰が抜けてしまったので、この辺で一旦終了して、マテーラ後編に続きます。
坂を上ったご褒美はドゥオモ広場から見る景色でした。逆から見ると。初めて目にするような風景ですね。これがマテーラのマジックかしら?
続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その46 マテーラ(2)で!
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