2015/05/17 - 2015/05/17
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
翌日5月17日、ナポリに別れを告げて、更に列車で南に下ります。ローマからの特急列車はナポリを経由しないので、昨日訪れたカゼルタまで普通列車で行き乗り替え。カゼルタからバーリはフレッチャアルジェントで約3時間半の旅です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イタリアで良く見かけた自動販売機。買っている人より、マシンを叩いて釣銭がないか探しているロマ風の女性をよく見かけた気がします(笑)!
飲み物にサンドイッチ、スナックなど、とりあえず必要なものは揃っています。 -
空港には教会やモスクがあるのをよく見ますが、駅に礼拝所があるのはさすがカトリックの国と感心しました。乗車前にお祈りをする人がいらっしゃるのでしょうか?
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機関車の車庫なのか、スクラップ置き場なのかよくわからず・・・
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フレッチャアルジェントの車内は快適。荷物を置くスペースも十分にありました。
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備え付けの雑誌には、ミラノ万博の宣伝が満載でした。車での渋滞を避け、トレンイタリアでEXPOに行こうというのがキャッチフレーズです。確かにイタリアに来てからというもの、5分以上の遅延にはまだ出会っていません。優秀!
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お昼過ぎに南イタリアの玄関口、アドリア海に面したプーリア州バーリに到着。ナポリ同様ここもあまり治安面では良くない噂がありましたが、旅の拠点にするにはもってこいの場所なので外せませんでした。
でも日曜日のせいか、町は静まり返っていてひっそり。駅前は治安が悪いようには見えませんでしたよ。駅から歩いて5分ほどのホテル・シティ(これがホテルの名前です)に落ち着きます。 -
簡素だけれど、私の様に、静かにゆっくり寝れることを優先する人には十分なホテルです。駅近、wifi有、そして騒音のないことが最低条件ですが、全てクリアしていました。
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今回バスタブ付きのホテルは半分以下かなあ・・・この際熱いお湯が出れば良しとしましょう。
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荷物を置いて、少し休んでから早速街に繰り出します。バーリを拠点にあちこちに出かけるつもりなので、この町を見る機会は今日を逃すとないのです。
ホテルのあるロッシ通りを海に向かって歩くこと10分で、最初の目的地ノルマン人の城 カステッロ・スヴェヴォが見えてきました。椰子の木が南国風ですが、それを言ったら、イタリアはどこでも南国風かも。 -
カステッロ・スヴェヴォは1132年、ノルマン人の王ルッジェーロ2世により建てられました。ルッジェーロ2世はシチリア伯、後に初代シチリア王となります。
ノルマンという言葉は「北から来た人」という意味で、主にノルウェイ、デンマーク、アイスランドからやってきたヴァイキング王ロロを首領としていた人達を指すようです。 -
城はその後1156年にシチリア王国ノルマン朝の第2代国王グリエルモ1世(上述のルッジェーロ2世の息子)により壊され、1233年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって再建されます。城の名前のスヴェヴォとは現在のドイツの南西部を指す言葉ですから、フリードリヒ2世の出身地から採ったんですね。
海を向いた面以外は、ご覧のような堀が築かれています。スペインのアラゴン風の城壁にノルマン風の塔が特徴かな。伝説によれば、フリードリヒ2世は、ここでアッシジの聖フランチェスコと会ったそうですよ。 -
城はその後も持ち主が次々と変わり、ナポリ王国時代には兵営、監獄として使用されたということです。
中に入るつもりはなかったのですが、ギフトショップの女性に「中もぜひ見ていってね」と声をかけられたので、つられて入場してしまいました。
といっても中はなにもありません。塔や城壁の上に上れるのかと思ったら、それもだめで工事中の網が通せんぼをしています。 -
入り口のアーチを飾るスタッコ装飾が面白いので、もっぱらそればかり見て歩きました。城自体は見学するところは殆どありません。
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柱頭のアカンサスのモテイーフが大変美しいです。
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一つずつ柱頭のデザインが異なる柱が数本あるポルティコです。
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こちらの柱頭は鳥たちとアカンサスの葉。両端の鳥は頭を丸めています。
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圧巻は、戦士たちの頭がずらりと並んだこちらの柱頭でした。こんな柱頭を見るのは初めてです! プーリア州は柱頭の彫刻にこだわりありですね!
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城は現在展示ホールとして使われていて、石膏模型のギャラリーとなっていたので、見学することにしました。これが予想外に良かったんです。
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プーリア州の重要な中世の彫刻の数々が石膏模型化されて展示されていました。この取り組みはイタリア統一50周年記念行事として1911年に州政府が主導で行われました。
建築家アンジェロ・パンタレオ指揮の元、模型はプーリア出身の2人の彫刻家パスクァーレ・ドゥレッティとマリオ・サバテッリによって作られ、同年、ローマでも展示会を行ったのだそうです。 -
過去の貴重な芸術作品も、自然の風雨等による崩壊を免れません。作品を修復するためにも、再生するためにも、こうした地道な努力が欠かせないんですね。
一つ一つの作品に解説がないのが残念ですが、作品はプーリア州の地域ごとに3つの部屋に分かれて展示されていました。高いところにあるものを間近で見られるまたとないチャンスです。 -
オリジナルの作品は主に、12、3世紀の大理石のスラブ、柱頭、手摺、出入り口の装飾と書かれていましたが、こちらは、教会の主祭壇に使われる幕屋のような造りです。下に神の子羊の姿も見えますね。
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こちらの柱頭、オリジナルは多分大理石だったと思われます。羊の頭の両脇にいる動物は何でしょうね?
アカンサスの装飾も美しい・・・ -
最後の晩餐?
手前で魚を手づかみにしているのがユダかなあ・・・ -
人々に撫でられて、すっかりすり減ってしまったライオンの頭(向かって左)。
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そしてこちらは右側です。
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上のライオン達が迎えてくれる教会の入り口の装飾。とても細かいレース編みのような透かし彫りで覆われています。これは、かなりの格式のある教会のものに違いありません。
バリで最も有名な聖ニコラに捧げたサン・ニコラ聖堂のものと聞いたような記憶があるので、後で実際に教会にいって確かめてみようっと! -
この作品はあまりに見事なので、両方向から撮ってみました。
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オトラントというバロックの都レッチェ近くの町の教会にあった柱頭です。
男性が4人と牛と羊が彫られていました。12世紀の作品だそうです。 -
こちらは、ガラティーナと言う、やはりレッチェ県にある町の教会の柱頭。
中央には音楽の神、両脇に火を吐く怪獣がいますよ。15〜16世紀の作品。
こうしていくつか見ただけで、この地方の「こだわり」は、よその地方ではあまり見られない装飾だということが分かりました。 -
ライオン像。前足で抱えているものは何?
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4人の男性が掘られたスラブです。ローマ時代風の衣装を身につけていますね。
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1922年に見つかったユダヤ人の墓で、8世紀から9世紀頃のものだそうです。
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城の変遷がわかる模型も展示されていました。写真失敗作ですがご容赦のほど。
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まだまだ沢山の展示がありましたが、こちらのスラブで最後にしましょう。
アカンサスが渦巻きを巻いていて、お終いが人間の顔になっています。
中央のコンソールの両脇には、番のライオン。右側の雌ライオンの乳房が妙にリアルです。 -
売店の女性の言葉に偽りはなかったです。ローマやナポリでは見られなかった美しい装飾を見ることが出来、大変満足して城を後にしました。
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バーリの旧市街に入って参りました。どことなく、マルタ島の景色に似ています。南イタリアに来たという実感が徐々に湧いてきました。治安に問題ありというのは夜間帯のことかしら?と思うほど、平穏な空気に包まれています。
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近代的な建物にも、壁にバーリの守護聖人サン・ニコラのモザイクが輝いていました。
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人の姿が少しずつ増えてきて、確実に中心部に近づいていってるようです。
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ショーウインドウの中に、「聖誕」が再現されていました。
下にある言葉を訳してみました。適当ですがお許しを!
かつてここにはサン・ジュゼッペの回廊がありました。この作品は16世紀のもので、現在バーリの州立美術館に収蔵されています。2004年。
今はなき回廊を忍んでの展示だったんですね。 -
通りの向こうに、バーリの大聖堂(カテドラ−レ)が姿を現しましたよ。
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旧市街はご多聞に漏れず道が入り組んでいて、なかなか目的地にたどり着けません。どうしたら教会の正面に出れるかなあ・・・
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ふぅ、何とかたどり着きましたよ。バーリの大聖堂。正式名称をカテドラーレ・サン・サビーノと言います。
建てられたのは11世紀の前半。正式名称の中に出てきたサン・サビーノ(スポレートのサビヌス)に捧げられた教会です。サビーノは3世紀の司教で、ディオクレティアヌスの迫害で殉教した方です。
カテドラーレはプーリア州のロマネスク建築の代表とも言われ、前述のシチリア王国ノルマン朝の第2代国王グリエルモ1世によって1156年にバーリの町が焼かれた後、12世紀に司教ライナルドが再建を果たしました。 -
ファサードは3つの部分からなり立っていて、簡素な佇まい。中央のバラ窓の淵に沿って、怪物や想像上の動物達の姿が見えました。
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内部は三廊式。装飾は大変控えめで、唯一目立つのは、柱1本1本の色が違うこと位でしょうか?
実はこの教会、17、18世紀に行われたバロック様式の装飾をすべて剥ぎ取ったのだそうです。オリジナルに近いロマネスク様式を重んじてのことだと思われます。 -
壁にかすかに残るフレスコ画を見つけました。聖母子像ですね。
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身廊にあった説教壇は、11世紀と13世紀の創設期に作られたものの断片を組み合わせて作り直したものです。鷲とそれを支える男性像が興味深いです。鷲の方がずっと偉そう!
奥に見えるスパイラル装飾が施された燭台もシンプルで美しいですね。 -
な〜るほど。鷲の頭で説教壇の見台を支えているんですね。
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説教壇の下部をズームすると、3つに分かれたパーツのうち、左側のものにのみ装飾があることに気が付きます。多分左側以外は装飾が失われたのでしょう。
あくまでもオリジナルにこだわる姿勢を貫いているようです。 -
ローマで見たマルクス・アウレリウスの記念柱のミニチュア版の様な燭台。新しい物の様ですが、デザインが気にいりました。
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主祭壇脇に、先ほどカステッロ・スヴェヴォのギャラリーで見たようなライオン像が左右2体置かれていました。
説明がなければ、ライオンには見えませんね。 -
こちらが左側。ギャラリーのものと似ているような気がしますね。以前は外に置かれていた物を、内部に運んできたという雰囲気でした。
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主祭壇前にあったモザイクの紋章です。この中にもライオンが登場しています。
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左右のライオンに見守られながら階段を上ると、そこが聖域でした。身廊との境のパラペットは13世紀の作だそうです。左側の黄色い法服を着ていらっしゃるのは、サン・サビーノかと思ったら、バーリの守護聖人サン・ニコラでした。
今まで装飾過多とも言える祭壇を見すぎてきたので、逆にこのシンプルな何もない空間が非常に印象に残りました。
私にとって珍しかったのは、後陣が3つあったということです。そういえばヴェネツィアでも、円筒形の建物が3つ重なり合っていたのを見た記憶・・・
ウィキペディアによると、「初期キリスト教建築の聖堂では、後陣の壁面に階段状のシントロノン(、後陣内に設けられる聖職者のための席)を設ける。」、「ビザンティン建築の聖堂では、両側にパストフォリア(北側をプロテシス、南側をディアコニコンと呼ぶ)を設けるため、教会堂東側に3連の後陣があるように見える。これは正教の聖堂の伝統的な平面となったため、正教会の影響を受けた聖堂は、おおむねこのような形状を有する。」とありますから、古い教会の証拠なのでしょう。 -
祭壇に向かって左側の小さな後陣には、フレスコ画の跡が残っていました。13世紀の再建後の作品です。
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翼廊から階段を下に降りていくと・・・
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18世紀に作られたクリプトがありました。何故かここだけはバロックの世界です。上の教会も壁の装飾を剥ぎ取る前はこんな雰囲気だったのでしょうか?
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祭壇に飾られているのは、オデゲトリアのイコンと呼ばれる、聖母子像です。「道を示す人」という意味のギリシャ語が起源だそうです。
祭壇の下には、教会が捧げるサビーノの聖遺物が収められいます。 -
こちらがイコンをアップしたものです。
このタイプの聖母子像のオリジナルとされるのは、コンスタンティノープルの修道院にあったもので、これは後年のコピーとは異なり全身像です。東ローマ皇帝テオドシウス2世の皇后アエリア・エウドキア(410年〜460年)が聖地から持ち帰ったものと伝えられていて、後にロシアへ、そしてイタリアへと伝わっていったとされています。 -
壁に残されたフレスコ第三弾です。ビザンティン風の聖母子がここにもありました。
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素焼きで作られた素朴な「聖誕」。見ているだけでほのぼのとしてきます。
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20歳になる前に殉教した3世紀の聖人 コロンバ・ディ・サンスの像は、解説付きで祀られていました。この像は今は存在しないサン・ヴィンチェンツォの修道院にあったもので、2005年に修復されたものです。解説が面白かったので少しだけ紹介。
スペインサラゴッサの上流階級の出身の彼女は、異教を信じていた家を飛び出して現在のフランス、ヴィエンヌに渡り、その地で洗礼を受け、コロンバという名を与えられました。
皇帝アウレリアヌスが息子と結婚させようとしましたが、彼女が拒絶したため円形競技場の牢に入れられました。ある日守衛が彼女に手を出そうとしましたが、隣の檻の中にいた熊が守衛を威嚇し、彼女は無事でした。アウレリアヌスは彼女と熊を火あぶりにしようと試みましたが、熊は逃げ、雨が火を消してしまったので、仕方なくダゾンの噴水そばで斬首刑に処しました。
その時広場で彼女のために祈りを捧げていた盲人は、視力が回復し、彼女の埋葬の様子をはっきりと目で見ることが出来ました。後年、彼女の墓の前に礼拝堂が、次いでサンスの修道院が建てられました。
どこかでも聞いたことがあるようなお話ですが、サンスの修道院になり替わり、現在はバーリの大聖堂が彼女の供養を続けています。 -
外に出て参りましたよ。大聖堂前にいるこのベビーバギーのそばにいる女性はとんでもない食わせ者です。階段の上にいるまだようやく歩けるようになった彼女の娘を使って、教会に出入りする人々に物乞いをさせていたのです。
こうやって、親から施しを受けるやり方を伝授された子供たちの未来を案じずにはいられません。 -
大聖堂の外に大きくつきだした円筒形の建物は、トゥルッラと呼ばれるかつての洗礼堂。12世紀の建造ですが、17世紀に聖具室に改造されました。
トゥルッラの後方には、ロマネスクとは思えないスリムな鐘楼がそびえていました。 -
こちらは、サン・ニコラ聖堂に行く途中にあったサン・マルコ・デイ・ヴェネツィアーニ教会。ヴェネツィアのサン・マルコ教会と言う意味ですね。
こちらの教会もロマネスク様式で、長い両脇の付柱が特徴的です。よくよく見ると、バラ窓の中にヴェネツィアのシンボル、羽の生えたライオンがいるのがわかります。 -
創建は大聖堂と同じく11世紀初頭。この辺りは海に近く、ヴェネツィア商人や船乗りが故郷を思って歩いた道なのだそうです。
ファサードの左側の壁には、ご覧のような鮮やかな青い背景に描かれた聖人のフレスコが見えました。右側はパドヴァのサン・アントニオ(1820年以来、教会は聖アントニオにも捧げられています)、左側にサン・マルコ。中央は井戸の聖母と髭面のキリストですね。 -
迷路のような旧市街の狭い通りを更に歩いていきます。だいぶ町が活気づいてきましたよ。
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旧市街は教会だらけ。聞いたところによると、一辺が300m足らずの三角形をした旧市街には、なんと12の教会があるそうです。
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大聖堂からゆっくり歩いても10分とかからない場所にあるサン・ニコラ聖堂にやってまいりました。
1156年のシチリア王グリエルモ1世の攻撃を唯一免れたのが、このサン・ニコラ聖堂。バーリの町におけるプーリアロマネスク建築の最も輝かしき産物の一つです。
ここはカトリックの、そして東ヨーロッパからの正教徒の巡礼者にとって重要な意味を持つ終着点です。キリスト教世界においては、サン・ニコラ聖堂は大きな宗教的影響力を持つ聖堂として知られています。 -
サンタクロースでお馴染みのサン・ニコラ(日本語ではミラのニコラオス。イタリア人はバーリのニコラと呼びます)は、3世紀の後半、現在トルコに属している小アジアのミラと言う町の司教だった人です。持参金がないため、嫁に行けない3人の娘のいる家にひそかにお金を投げ入れた話が有名になり、後にサンタクロースのモデルとされました。ニコラに纏わる奇跡の話は他にも沢山伝えられています。
11世紀にトルコがイスラム教徒の支配下になると、アドリア海の好敵手だったヴェネツィアとバーリは互いにニコラの聖遺物を安全な場所=自国に移そうと競い始めました。1087年5月、3槽の船と62名の船乗りという大船団を率いてミラに向かったバーリの人達は、聖人の約半分の骨をバーリに持ち帰ることに成功したのです。一時ビザンティンの首都として輝かしい歴史を有したバーリも、ノルマン人の支配下に置かれ、経済的、そして政治的な影響力を奪われていました。そんな中でのこの快挙! 人々の喜びはひとしおならぬものだったでしょう。
今なら、「墓荒らし」、「略奪」とされる行為ですね。そういえば、ヴェネツィアにあるサン・マルコの聖遺物もアレキサンドリアから確か豚肉の入った籠に入れて運んだと記憶しています。 -
中央の扉の装飾に注目しましょう。一番上に乗っているスフィンクスは、写真はありませんが、最初に行ったお城カステッロ・スヴェヴォのギャラリーで見たような記憶。
レースのような細かい装飾に縁どられた半月形の中にはサン・ニコラのレリーフがありました。 -
そして、その下で柱を支えていたのは、ライオンではなくて・・・これはなんとカバだそうです。
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アップに耐えられるかな?馬を繋ぐために、頭に穴が開いていますね。
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こちらは右側のカバ。ライオン同様擦り減っているのが見て取れます。
聖堂は聖遺物を持ち帰った1087年に建設を開始し、クリプトは1089年に教皇ウルバヌス2世により献堂されました。但し、聖堂全体の正式な献堂式はそれから約100年後の1197年に行われたそうです。 -
それでは中に入りましょう。
身廊の幅が意外と狭いことには驚きました。身廊は3つの大きなアーチで分けられています。アーチを支えるビザンティン様式の影響が見られる柱は花崗岩製。アーチは15世紀に起こった地震の後に建物補強の目的で作られたのだそうです。 -
アーチの間から、金箔張りの八角形の天井画が見えました。木製で、ビトントゥム出身の画家カルロ・ローザが1661年から10年余りかけて描いた絵だそうです。
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左右の側廊の壁は、カテドラーレ同様、むき出しの石灰岩で、装飾はありません。
装飾と呼べるのは、柱頭の装飾位ですね。それが又良い味を出しています。 -
こちらは、どなただったかメモの記録なしです。
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主祭壇に向かって身廊右側にあった説教壇。天井と同じような金メッキが施されているので、多分17世紀頃の作品だと思われます。
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カテドラーレ同様後陣は3つ。中央の祭壇には聖体が納められたチボリウムと呼ばれる器が安置された幕屋がありました。こちらはプーリア州で最も古い物だそうです。
幕屋は4本の前列が赤、後列が紫がかった大理石の柱で支えられています。その上のキャノピーは二重屋根構造で、こちらも美しい柱頭を持つ小さな柱で支えられています。1130年頃の建造と言われています。
背景はがらんと殺風景ですが、それだからこそ、前面の幕屋がとても存在感のあるものとなっているような気がします。 -
前からだと見えない壁の彫像はこちらです。中央は聖母でしょうか?
少々分かり難いですが、中央下に見える白い椅子が、「司教の玉座」と呼ばれているプーリアロマネスクの至宝「エリヤの玉座」です。玉座は2頭のライオンが足となっていて、前面には座面を3人の男性が支えている、少々コミカルな彫刻が彫られています。実は写真ではわかりませんが、この男たち、背後からライオンに噛みつかれているんですって!
玉座の背面には、バーリとカノーザの大司教エリヤに捧げる碑文が彫られているそうです。残念ながら、これ以上近づけませんでした。 -
聖域から見た左翼廊の壁には、フレスコ画が残っていました。
右側に見える銀色の祭壇は1684年に作られた古い祭壇です。人々の寄進で作られたもので本物の銀でできているのだそうですよ。 -
フレスコは12世紀の作品だそうです。左端の人はビザンティン風の赤い法衣をまとっていますね。左側の1枚と中央の磔図はかろうじて残っていますが、右側は残念ながら殆ど判別できません。
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中央のドームの天井です。
横で撮った写真ですが、縦の方が絵の内容がよくわかるので、形がいびつですがご容赦ください。
カルロ・ローザによる聖ニコラの昇天です。1661年〜71年。八角形の周りの絵は、聖人にまつわるエピソードが描かれていました。 -
改めて身廊の天井を見上げます。入口に近い方から八角形、長方形、八角形の絵が並んでいます。最初の八角形は、「ギリシャの聖人Adeodatoのエピソード」、中央は「クジラによって遭難しかかった漁師を助ける聖ニコラ」、最後の八角形は「皇帝コンスタンティヌスの出席の元、三位一体の協議を実証するためにニカイア公会議に出席する聖ニコラ」だそうです。説明聞いてもちんぷんかんぷん・・・
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こちらは右翼廊。ご覧の通り、ポツンとこちらの祭壇が置かれているだけです。絵はバルトロメオ・ヴィヴァリーニ。15世紀のヴェネツィア派の画家です。
聖母子の左側にいるのはサン・ジャコモとサン・ルドヴィコ、右側にはサン・ニコラとサン・ピエトロが描かれていました。 -
ナポリの守護聖人サン・ジェンナーロの血が年に数回液状化するという奇跡について書きましたが、サン・ニコラについても、彼の骨からしみ出してくるマンナという液体?油?の効用がまことしやかに伝わっています。
右翼廊から階段を下りて、サン・ニコラの墓に詣でるとしましょう。 -
クリプトは、この聖堂で一番初めに完成した場所です。前述したようにサン・ニコラの聖遺物がバーリに到着してから2年後の1089年に献堂式が行われています。広さは約31m×約15mで、長方形をしています。
こちらは、クリプトの一番左側の東方教会礼拝堂。一瞬正教会にやってきたかと思ってしまいました。一人の若い女性が熱心に壁のイコンを見つめていました。 -
東方教会礼拝堂隣の祭壇です。
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クリプトは、26本の柱で支えられています。そのうち21本はギリシャ産の大理石、他にヌミディア<現アルジェリア)産大理石や赤っぽいサンゴの柱も見られました。
柱頭がまた見事です。後でじっくり見ることにしましょう。 -
聖人サン・ニコラの墓です。ここでも若い女性が2人お祈りの最中でした。彼女たちの邪魔をしてはならないので、シャッター音をオフにして、写真を数枚撮らせてもらってその場を離れました。
墓と祭壇は、1319年にセルビアの皇帝ウロス2世から寄進された銀製のカバーで覆われていました。 -
サン・ニコラの顔の部分がないイコンが飾られていました。本で見た時は確かに顔があったのですが、現在修復中?
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ここで、懐かしいコズマーティの床に出会いました。所々がかなり擦り減っていることが見て取れます。
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この部屋は、墓とは別の部屋です。聖人へのメッセージとドネーションで溢れていました。
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26本のクリプトの柱頭に刻まれた装飾は、見たところビザンティン様式(新しいものと再利用のもの)とロマネスク様式に分けることが出来るそうです。
ビザンティンの特徴としてはクジャクの装飾が挙げられるのだそう。写真の右側に、長い尾を持つクジャクがいるのがわかりますか? 2羽のクジャクの下には大きなライオンの頭。この中には、サン・ニコラ聖堂を建てるために壊したビザンティン時代の教会の柱頭も含まれているとか。
左側は、グレイハウンド(犬)がウサギを捕えた場面です。 -
こちらは、左からクジャク、ライオン、そしてつつき合っているのは何の鳥でしょうか?
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ライオンと羊の頭?
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こちらは、装飾の厚みが全く異なり、題材も植物の抽象的な図案。様式も年代も違うことがわかりますね。
26本すべて写しておけばよかったと今はちょっと後悔しています。 -
壁に飾られていた現代の銅版画。左側のミラからの航海の場面や聖人の起こした奇跡の場面、中央にはエリヤの椅子と聖人の姿が彫られています。
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聖具室だったかな・・・
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結局ライオンの扉を見つけることができないまま、外に出て来てしまいました。
壁に手作り感満載のスタッコ装飾を発見。いいですね。すっかりこの街の装飾に嵌ってしまいました。 -
広場の向こう側にある教会は確か・・・
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地球の〇き方にも出ていたサン・グレゴリオ教会ですね。教皇グレゴリウス1世に捧げられたビザンティン期創建(10世紀後半)の古い教会です。サン・ニコラ聖堂を建てるために解体されないで残った唯一の教会だそうです。
現在は無人で、サン・ニコラ聖堂の事務所に頼めば鍵を開けてくれるとのことですが、遠慮しておきましょう。円筒形の3つの後陣がある、窓の少ない、がっしりとした建物を見ることが出来ただけでもラッキーでした。 -
サン・ニコラ聖堂のすぐ裏はアドリア海なので、海の方に向かって歩いていきます。
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あった!ありましたよ。ライオンの扉です。アーチ部分のアカンサスの葉の模様が素晴らしdいですね。
イスラム建築の影響を受けたと思えるような繊細な透かし彫りは、先ほど美術感で見たものよりやはり迫力がありました。
どいてくれ! とは言えないので、右側のライオンなしの写真です。 -
もう一つの扉の装飾は殆ど剥がれ落ちてしまっていました。
右側の付柱の先にちょこっとだけライオンの頭が残っていました。 -
そして、こんにちは! アドリア海!
-
ミーハーなので、すぐに紅の豚を歌い出す私です。
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで -
時には昔の話を・・・ですね。
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聖堂の裏側に回って、3つの後陣(アプス)を見てから帰りましょう。
中央の大きな窓にはやはり、装飾で縁どりされていました。ファサードよりこちらの情景に胸が打たれました。 -
ファサード前広場に戻ったら、楽隊の演奏が始まっていました。日曜日夕方のイベントかしら?
テンポの速い、軽快なメロディが、セマイサン・ニコラ広場に響き渡ります。 -
広場の隅にあった偉大なるサン・ニコラの像
グルジア生まれの彫刻家アウトール・ズラブ・ツェレテリの作品です。台座にはロシアからの寄贈のため、イタリア語とロシア語で文字が刻まれていました。2003年。 -
ロシアとの深いつながりを示すものがもう一つ。上の彫像を寄贈した際に寄せられたバーリの市民に向けたメッセージの贈り主はなんと!プーチン大統領!
堅い絆で歴史的に結ばれたイタリアとロシアの友好を記念して、サン・ニコラ像をここに贈ることを喜ばしく思います云々 と書かれていました。 -
おっと飲みかけで失礼! 一休みしています。
散策の途中でアランチーニと珈琲でブレークです。アランチーニはお米のコロッケ。 -
またまた食べかけで失礼!
ローマで食べたのはトマト味でしたが、ここのはチーズがたっぷりと入った濃厚なお味でした。いつもこんなB級グルメばかり載せていますね。 -
休憩の後、洗濯物のたなびく路地裏をもう少し散策します。
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路地裏らしい祠。造花が残念!
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土産物のストールでしょうか?右側の鉄扉には先ほど見たアドリア海沿いのプロムナードにあった電灯の絵が描かれていました。
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路地の奥にもサン・ニコラ。
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ナポリよりずっと明るい雰囲気が気にいりました。
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小学生の工作のような手作り感一杯のストールも店開きです。近くで見ると厚紙にビニールテープで作ってありましたよ。
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安っぽい雰囲気が漂っているけれど・・・
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居心地は良さそうな空間です。
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バーリで見かけた祠は皆このレースのカーテンがついていました。
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この地方の名物パスタ 耳たぶのような形をしたオレキエッテが干してありました。一粒一粒手で作っているのをテレビで見たことはありますが、本物に出会うのは初めて。
硬質の小麦と水、塩だけで作るそうです。 -
どこかで、このオレキエッテ食べてみたいな・・・
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もう少し彷徨います。
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会。18世紀に建てられたカルメル会の教会です。 -
こちらは、土と火 というお店です。扉の縁に残されていた花綱を彩色したのかな?
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カテドラーレまで戻ってきましたよ。鐘楼と円筒形のトゥルッラ(旧洗礼堂)です。
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相変わらず、祠は逃しませんよ。
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裏道を歩いて、こういった風景に出会うときが至福の時です。
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ヴィットリオ・エマニュエーレ2世大通りに出たら、急に立派な建物が増えていました。この大通りが旧市街と新市街を隔てているようです。
道の向こうの建物は、バーリの町で一番古い、1854年に作られたピッチンニ劇場です。 -
劇場の前にはバーリ生まれの作曲家ニッコロ・ピッチンニの銅像がありました。ナポリ生まれのオペラ・ブッファ「ラ・チェッキーナ、または良い娘」で有名だそうですが、オペラのことは全く分かりません。
彼はマリー・アントワネットによりパリに招かれ、フランス王立音楽院の教授を務め、生涯に80以上のオペラを制作しました。 -
南国ムード満点のヴィットリオ・エマニュエーレ2世大通りを更に歩きます。
イタリアは銅像、彫像だらけですが、今度は巨大な馬の像が待ち構えていました。マリオ・チェローリの1985年の作品。中世の騎士を乗せて戦った馬のイメージです。 -
ヴィットリオ・エマニュエーレ2世大通りは、片側が広いプロムナードになっていて、ご覧の通り南国情緒が楽しめる市民の憩いの場でもあります。
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でも私はこっちの方が好きなようで・・・
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再び旧市街の路地を暫しうろつきます。
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旧市街を抜けたところは、遺跡のある広場になっていました。フェッラレーゼ広場です。旧港の向かいの旧市街の南端に位置していて、アウグストゥス・プロムナードを見下ろせる絶好のロケーションとなっています。
2世紀初め頃にローマ人により作られたアッピア街道がこの広場を通っていることが最近の発掘調査で分かったそうです。ローマから始まるアッピア街道の終点は、バーリのさらに南のブリンディシでしたね。 -
この遺跡は17世紀の道路の跡で、残念ながらアッピア街道ではありません。手前のほうは規則正しく石が並べられている道で、馬車のわだちの跡がくっきりと残っています。
奥のほうはその前の時代の道路で、そちらは小さめの石が不規則に並んでいるのが特徴。 -
広場の手前には、由緒ありそうではありますが、ぐるりと工事用の柵に囲まれて入れない建物がどーんと道をふさいでいました。この建物かつて魚市場として使用されていたものですが、現在は修復中のようです。
この建物をぐるりと回っていくと・・・ -
マルガリータ劇場の前に出ます。1912〜14年にかけて建てられた比較的新しい劇場ですが、場所が変わっています。なんと! 海に突き出したふ頭の上なんです。
2015年の12月から1月にかけては、ここで「聖二コラの世界」という新しいタイプの展覧会場に使用され、カトリックのみならず、正教の国々からも観光客が押し寄せたと聞いています。 -
帰り道は道幅の広いカヴール大通りを進みます。
またありましたよ。こちらはペトルッツェッリ劇場です。こちらは、イタリア国内でも4番目の大きさを誇り、トリエステの実業家ペトルッツェッリ氏がバーリの町に劇場を寄贈したいと申し出て1898年から1903年にかけて建設した劇場です。
人口35万ほどしかいないバーリの町に、こんなに素晴らしい劇場がいくつもあるとは! イタリア人の生活に劇場がいかに重要であるかを思い知らされた気がします。
不幸なことに1991年に放火により焼け、その後建物は再建されたのだそうです。元々3200あった座席も、安全面を考慮し、現在は1480席のみとなっています。2009年に工事が完成したので、まだピッカピカですね。 -
そろそろ散策も終着点ですよ。カヴール大通りを西に曲がり、ウンベルト1世広場(写真)を抜けると・・・
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その先にあったのは、バーリ大学の大きな建物です。1925年に設立された全部で12学部を有する総合大学。私が宿泊したホテル・シティは大学のそばにあるので、近くには学生用のカフェやファーストフード店が立ち並び、買い物にも便利でしたよ。
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そろそろホテルに到着です。今日の散策のフィナーレは1924年に建てられたこちらの建物。南イタリアらしい建物で、壁面のレリーフ、バルコニーの装飾がとても見事。
暫し立ち止まって、建物を見上げてうっとり・・・ -
ちなみに、入口はこちらですよ。真っ赤な木の扉の装飾がまた凝っていますねえ。
明日は思い続けて早15年。バーリから私鉄アップロ・ルカーネ線に乗って、マテーラの町を訪ねます。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その46 マテーラ(1)で。
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この旅行記へのコメント (2)
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- duc teruさん 2016/01/30 17:55:31
- ご投票ありがとうございます。
- ただいまローマです、1/11naples inで20日目、もう暫く楽しめます。
折を見てUP します。
duc telru
- junemayさん からの返信 2016/02/02 00:37:10
- RE: ご投票ありがとうございます。
- duc teru さま
旅先からわざわざご投票ありがとうございました。
冬の欧州は雨が多くないですか?
今年はどこも異常気象だそうですので、どうぞ気をつけて旅をお続けくださいね。私の今年の欧州の旅は5月8日から6月10日としました。行先はスペインとポルトガルです。また忙しくなりそうです。
junemay
> ただいまローマです、1/11naples inで20日目、もう暫く楽しめます。
> 折を見てUP します。
> duc telru
>
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