2016/01/05 - 2016/01/05
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belleduneさん
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白金の東大医科学研究所を久し振りに歩いてきました。昔より随分お洒落になった白金プラチナ通り(外苑西通り)へ抜けると便利なので、何度か通ったことがあります。門を入ると直ぐ右手には、関東大震災後の昭和15年(1940)にロックフェラー財団の援助で、旧国立公衆衛生院が建てられましたが、現在は和光市に移転し、建物は修復・改築工事中です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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門を入るとすぐ右手に見えるのが、旧国立公衆衛生院です。2009年に用途廃止になり、閉館しました。今年中には、郷土資料館、在宅緩和ケア支援センター、子育て関連施設、区民協働スペース、防災関連施設という複合施設になる予定らしいです。
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明治25年(1892)に福沢諭吉、森村市左衛門(武具商・陶磁器業の森村財閥六代目)、長輿専斎(医師・医学者・官僚)等の力を借りて、北里柴三郎が所長となり、大日本私立衛生会附属伝染病研究所を設立しました。その後、内務省の所管となり、国立伝染病研究所に変わりました。明治39年にここ白金台に新築されて移りました。設計は、安田講堂の内田祥三でした。その後、大正3年に文部省の管轄になりました。北里柴三郎は、この時点で、此処を去り、私財を投じて「北里研究所」を設立します。
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この時、伝研騒動が起きます。志賀潔(赤痢菌の発見者、医学者・細菌学者)を始め、研究所の職員全員が一斉に辞表を出すというものでした。何だか胸が熱くなるシーンですね。2年後、名称が東京帝国大学附置伝染病研究所になります。
昭和22年、厚生省所管の国立予防衛生研究所が設置されて、本研究所職員の半数が移籍されました。昭和42年に医科学研究所と改組され、研究部18部門、附属施設3施設、病院で発足することになります。 -
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門からまっすぐ進むと、ゴシック様式3階建の1号館(旧病院棟)が見えます。内田祥三は、関東大震災後、耐震・耐火建築研究を基に設計したという。
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右手に行きます。
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かなり痛んでいます。
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こちらの入口には何も掲げられていませんでした。
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ここが抗体 ワクチンセンターです。
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車寄せ
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抗体 ワクチンセンターの外観
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1号館の時計の時間は合っているようです。
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同じ形式ですね。こちらにはステンドグラスがないようです。
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病院の左隣にあるのが、東京大学医科学研究所 知的資産活用研究室 TLOオフィスです。
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補修はされていますが、やはり痛みが目立ちますね。
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