2010/11/08 - 2010/11/21
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motogenさん
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シアヌークビルの町のあっちこっちを、バイクで走り回ってみました。
トコトコと走るものだから、後方から来るバイクや車にすぐに追い越されます。
後からエンジン音が迫ってくると後方確認。
しかし反射的に見るのは右のバックミラー。
道路の脇が写っているだけ。
「あっ、違う。左のミラーを見なくては!!」
後方確認が遅れるのです。
この国は右側通行なんだ、気をつけよう。
しかし見るのはいつも右のバックミラー。
右側通行は難しい、その意味がよく分かりました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
-
この町に来てからというもの、どうもナイーブになっている。
こんなことではいかん。
『GREEN GECKO』の部屋から見た『メリーチェンダ』
今日はここに引越しする。
気分転換となればよいが。 -
11月だというのにかなり暑く、昼間はエアコンがないと汗たらたら。
『メリーチェンダ』は無線ランの電波は強く、テラスまで付いていて、部屋も広い。
ビクトリービーチが活況だった頃は人気一番だったことが納得できた。
1泊13ドルだった。
値上がりしている。 -
一人なら充分な広さ。
机もテレビ台もたいしたことはないが、これで良し。
エアコンのスイッチを入れると、汗がひいた。 -
日当たりも良さそう。
洗濯物もすぐ乾くだろう。 -
テラスに出ると高台の下に海が見えた。
海を見ていると少しリッチな気分になった。
避暑地に来ているかのようだった。 -
島が見えた。
橋が完成すれば車で行ける島だ。
しかし立派な橋を作ってまで、あの島に何があると言うんだろう。 -
通りの様子も見渡せた。
人通りは少なく、ひっそりしている。
斜陽の路地も・・これはこれで良い。 -
海パンをはいただけで荷物は何も持たず、バイクにまたがって坂の下のビーチに出かけた。
海の中で遊んでいる欧米人たちがいた。
なんとしたことか、水牛まで海の中にいる。
危険ではないのか。
水牛がすぐそばに居るというのに、欧米人たちは気づかないようだ。
危機的状況で、目が離せない。
しかし水牛は一向に動こうとはしなかった。
実物大の模型?
何なのだ、これは!! -
ビーチに大きな建物があって、その中に飛行機が飾ってあった。
大きな双発プロペラ機だ。
飛行機博物館なのか?
『エアポート』と書いてある。
『リゾートレストラン』とも書いてある。 -
間近に寄ってコックピット内を覗き込んだり、触ったりしても、誰にもとがめられなかった。
あっちこっちと飛び回ったが、そんなことをしているのは私一人だった。
レストランのメニューを見ると、私にはとんでもない値段が表示されていた。
早々にここを出た。 -
そのレストランが経営しているのか、外にビーチチェアがあってナイスボディの女性たちがくつろいでいた。
長い海岸のここだけが、お金もちビーチの雰囲気を漂わせていた。 -
昔、臨時職員だったアメリカ人が、社員旅行の時にこんなことを言った。
「日本人の旅行はあっちこっちと忙しく駆け巡り、名所をちょっと見れば、ハイ、次の場所へ。
一つの所にじっとして、臭いや風を肌で感じ、その場の雰囲気を楽しむのが旅なのに・・」
そんな欧米人を見習って、悠々と過ごしたいものだ。
とは思うが、なかなかどうしてそれが出来ない。
何もしないでいることは、口で言うほどた易いものではない。
日本人には無理なのか? -
波うち際に行って足をばたばたさせ、それに飽きたらずに腰まで水に浸かり、ごろんと砂浜に寝転んで、濡れた身体を乾かした。
サングラス売りのおばちゃんや、パイナップルやパパイヤやマンゴーの入った籠を頭の上に乗せたあどけない少女が、声をかけて通り過ぎていく。
爪磨きのお姉ちゃんもやって来た。
足裏マッサージはどうかと言うが「ノーマネー」と断る。
実際、金は一銭も持ってきていない。
海に入る仕度で来ているもだから、濡れてはいけない貴重品はみんな部屋の中だ。
※デジカメだけは持ってきてしまったが。 -
陽光が射すと海はきれいな緑色に輝き、太陽が雲間に入ると海は茶色にくすんでしまう。
その変化の大きさがみごとだった。
その海を見つめていたが、やはり退屈で、じっとしているには限界がある。
帰ろうかと思っていた矢先のことだった。
大きな帽子をかぶり、プラスチックの手提げケースを抱えた女性が、私の前にしゃがみこんで話しかけてきた。
英語らしい。
さきほどの爪磨きのお姉ちゃんではない。 -
持っていたケースを開くと、中にはきれいな色をした瓶がぎっしりと詰まっていて、それに合わせた多数の筆が納まっている。
ペンチのようなつめ切りまで入っていた。
爪の手入れに無関心な私は、彼女の誘いには乗らない。
すると女性は私の手や足の爪を触り、長いから切ってあげると言い出した。
迷惑な話ではあるが、不愉快な気持ちではない。
ずっと一人でいるせいか、ほとんど会話が成りたたない相手でも、側で優しく相手をしてくれるだけで嬉しくなる。
「お金、持ってない」
と断っても、フットマッサージもできると言って、私の足も揉み始め、後に回っては背中も揉んでくれる。
「お金、ない」
と何度も言うのだが、いいから、いいからというそぶりをし、いつまでも一緒にいてくれた。
スラリと背の高い女性だった。
色黒でけっして美人とは言えないが、ずっと昔、机を並べて働いた女性にどこか面影が似ていて、懐かしさに心休まるひとときを過ごしたのだった。 -
ゲストハウスに戻ると、目の前のレストランで欧米人が食事をしていた。
チラリと覗くと、美味そうなものを食べている。
物欲しそうな私の目を見て、その欧米人は「グー!」と親指を上げた。
同じものを注文してみた。
フライドフィッシュ+ポテト+トマト+アイスコーヒーのセットだった。
これで2ドルちょっと。
3ドル渡すと3500リエルのお釣りがきた。
「グー!」に嘘はなく、私の口にも合った。
これ以来、朝、昼、晩、何度となくこの店で食事をすることになった。
店を仕切っているのは娘さんで、英語が堪能だった。
欧米人相手だから英語はすぐに上達するのだ。
優しい娘で、私の片言英語にも上手に合わせてくれた。 -
ビーチ巡りをしてみようと思い立った。
シアヌークビルにはたくさんのビーチがある。
地図を片手に再びバイクに乗った。。 -
今いるビクトリービーチを南下して海岸に回り込むと、インディペンデンス・ビーチにたどり着いた。
そんなく簡単に行けたわけではなく、あっちこっちと迷いながらだった。
道路はくねくねと複雑に入り組んでいた。
他のバイクや車には出会わなかった。 -
インディペンデンス・ビーチは新たに開発を始めたビーチだそうだ。
新しいものがあるのかと行ってみると、何もない自然そのままの海岸で、人の姿はほとんどなかった。
これが悪いというわけではない。
静かでいい。
でも何だか期待はずれだった。
開発はこれからなんだろう。 -
遊んでいたのは地元の高校生?
海岸は西から東まで長く長く続いていた。
ごみもなく、波もおだやかで、きれいな海岸だった。 -
-
そのまま東に進んでいくと、ソカ・ビーチが見えてきた。
周りには民家も店もほとんどなく、近くに高級リゾートホテルがあるだけだった。
どうもこのホテルが一人占めにしているビーチらしい。
宿泊している金持ちたちが独占しているビーチ?
一般庶民は東端のはずれで我慢しなさい。
そのように見えるビーチだった。
(少しひがんでいます。) -
小さな突起を東に回り込むと、セレディビティビーチ、オーチティルビーチと続いていく。
華やかな、今盛りのビーチだ。
昨日も行ったが、再び行ってみる。
今日は心に余裕があって、周りのゲストハウスやビアバーの様子を観察してみた。
ネット情報にあったゲストハウスも見つかった。
レストランがたくさんあり、食べるものにも、宿泊するにも苦労しない場所だ。
噂の日本食レストランを探したが、休業中だった。
(食べる気はないのでがっかりはしません。) -
ビーチばかり巡っていたので、次は庶民エリアの市場に行ってみる。
この町はかなり広い。
広いことは広いのだが、全ての場所に住宅や建物が密集しているわけではなく、野原の中に密集地(小さな町)が散らばっていて、その連合体がシアヌークビルといった感じだ。
だから自然がたくさん残っていて、そして移動にはバイクが必需品となる。
市場のある地帯が連合体の中心の位置にあるようだ。 -
市場の様子はタイでもラオスでもカンボジアでも、みんな同じだ。
野菜や魚などの生鮮所品は安いが、お菓子や飲み物や加工品、衣服や日用品はタイより高かった。
これらは輸入品だからだ。
ペットボトルの水も輸入品なのか?
これじゃ貧乏庶民は苦労しそうだ。 -
外資が入っていないのか、コンビニや大型ショッピングセンターなどはどこにもなかった。
建前は社会主義の国。
大資本に翻弄されることはなさそうだが、不便なことは間違いない。
私には、欲しいものがどこで売っているのか分からない。 -
ゆるやかな丘陵の上に町の中心部はあって、その南方と西方を北方を海が取り巻いている。
丘陵は穏やかに波うっていて、道路もそれに合わせてアップダウンしている。
バイクで走っていると、こんな景色がそこらじゅうで見られる。 -
本当に緑豊かな町だ。
水平線が円弧を描き、キラキラ光る海の手前に緑の草原。
ぽつんぽつんと赤や白の屋根。
開発が進めばなくなってしまう景色だが、まだまだこのまま続くだろう。 -
この町は、きれいごとばかりで済ませるものではない。
その名を轟かす陰の部分、貧困街があると言う。
社会から見捨てられた人々が、追いやられているという地域だ。
そこを訪ねようとバイクのハンドルを握り直す。
ゲストハウスを北に走って坂道を下る。
海岸沿いをさらに北に走ると、巨大な船のドックがそびえていて、鉄道も引き込まれている。
大きな港だ。
一見廃墟のように見えるが、労働者の姿やバイクの走るところを見ると、まだ現役で活躍している港なんだろう。 -
その東側に貧民街はある。
大きな石がごろごろしている赤土の路地は、いつも大きな水溜りができている。
そしらぬ素振りでバイクで通過してみる。
粗末なバラックが建ち並んでいる。
家の中で裸同然で寝転んでいる人。
軒先でカード博打に熱を上げてる男たち。
そっと隠し撮り。 -
昼間からお化粧に励む女達。
若作りをしようと頑張るが、その成果は少ない。
取り締まりが強化されて、今は見る影もない。
失礼のないよう、見て見ぬふりをして、怖々と素通りしました。 -
ゲストハウスに戻ると、デジカメに変調が・・・
電源を入れるとレンズが飛び出るが、ガリガリ音がして電源が自動停止。
何をしても直らない。
完全に壊れてしまったようだ。
ショック。
※ 4トラ旅行記は画像中心なので、残念ながらこの旅行記はここで途中終了です。
少し続きの話をさせていただき、終わりにします。 -
(※ここからの画像は前日のものの流用、その他です。)
翌日からは金を持ってビーチに出かけ、昨日の女性を待ってフットマッサージをしてもらった。
名前はチャンティーと名のった。
26歳と見かけよりも若かった。
マッサージはタイでのものとほとんど同じで、オイルを塗って足裏からふくらはぎ中心の指圧だったが、海岸にはリクライニングシートはなく、砂の上に足を投げ出しての姿勢は快適とはいえなかった。
それでも彼女は丁寧にマッサージを続けてくれた。
会話は英語だ。
しかし彼女の発音はうまく聞き取れず、彼女は私の発音が理解できず、中途半端でおかしな会話が繰り返された。
私は誰かと喋っているだけで救われていた。
1時間のマッサージで5ドルだった。 -
そんなことが3日間続いた。
チャンティーとの会話は午前中の一つの楽しみになっていた。
雨は毎日一回は降る。
この日はマッサージを始めようとしたちょうどその時、急に空が暗くなり大粒の雨が落ちてきた。
雷もともなっている。
私とチャンティーは近くの屋根に逃げ込んだ。
屋根だけの物置小屋だ。
ゴザやシート類が積み上げられ、中央には木製の台が重ねられている。
一段高くなったその台に乗って、ここでマッサージが始まった。
フルーツ売りの少女や民芸品売りのおばさんもやってきて、ニコニコしながら見ていた。
どこかにデジカメを売る店がないかとチャンティーに聞くと、一緒に行ってあげるという。
雨のやむのを待ってバイクを走らせた。
ところが走り出したとたん、再び雨が降り始めてしまった。
ぱらぱらだった雨は、すぐに土砂降りの雨に変わる。
雨宿りする場所もない。
雨を突っ切ってやっとのことでゲストハウスに到着し、びしょ濡れになった身体をタオルでふいた。 -
部屋の中のチャンティーは少し緊張気味だった。
こんな所に連れてきてしまって良かっただろうかと、私も戸惑う。
買ったばかりの『指差し会話帳』を取り出して、カンボジア語の勉強をすることにした。
発音が難しかった。
チャンティーの口真似をして発音してみるが、違うと何回も訂正された。
しかしどこが違うのかが分からないのだから、お手上げ状態で、なかなか身につかない。
ならば片言英語だ。
「毎日、何時に、ビーチに、来るの?」。
「7時ごろ来て、夕方の6時ごろまで、ずっといる・・」
「お客は、一日に、何人くらい?」
「2人か、3人・・・でも、なんにもお客がとれない日もあるよ。」
片道1ドル使ってバイタクで通っていると言う。
お客が見つからなきゃ、赤字だ。
ビクトリービーチは年々観光客が減っていて、生活は大変らしい。
「じゃ、オーテュティルビーチで働いたら・・・」
しかし縄張りのようなものがあって、簡単にはできないらしい。
英語の会話力は私をはるかに上回り、圧倒されてしまうが、お客相手に自力で勉強したのだと言う。
すごいものだと思う。
「でも、英語は話せても、書いたり読んだりすることは、全然だめ・・」
そんなことを言うチャンティーだが、何年も英語を勉強したのにろくに会話もできない私は肩身が狭い。
(※この画像はガラケーで撮りました。) -
雨もなんとかあがり、隣のレストランに食事に行った。
私はメニューを見てシーフードスープとミルクコーヒーを頼むが、彼女はメニューを手にとらない。
店の女性となんだかんだと話している。
そうか英語は読めなかったんだ、と気づいた。
彼女の注文したスープは、私のものと似ているがちょっと違っていた。
どうやら自分の好きな具材だけを選び、嫌いなものは退けてもらったようだ。
彼女はモリモリと気持ちよく食べる。
大皿に盛り上がっていたご飯はすべて平らげた。
盛りのスープも一滴も残さず、ペットボトルの水もすべて飲み切ってしまった。
(※画像はレストランだ飼っている子犬。) -
デジカメを探しに案内されたのは市場近くの繁華街だった。
この辺りは一人で何回となく探し回ったけど、どこにもなかったはずだが・・・
入ったのは電気部品を並べている小さな店だった。
昔の秋葉原の裏道にあった解体部品屋のような店だ。
2台のデジカメがガラスケースの中にあった。
『ヤシカ』と『キャノン』
どれも一昔も二昔前のカメラで、値札もその当時の値段だ。
現在の性能が格段に上がったデジカメ価格が半分以下に下がっていることを考えると、とても買う気にはならない。
チャンティーに案内してくれたお礼を言って、ビーチに戻ることにした。
ずいぶん長い時間を私のために割いてしまったなと、申し訳ない気持ちになったが、そのためのチップをあげることはしなかった。
金を目的に親切にしてくれたわけではないだろうと思ったから。 -
一週間も過ぎると、毎日の生活がまんねりしてきて、刺激がなくなってしまった。
ビーチに出かけ、波打ち際で水遊び、バイク、散歩、洗濯、食料調達・・・
それらの繰り返し。
好奇心がからっぽになっていくのがわかる。
穏やかで自然豊かで、海はきれいで、困ることはない。
しかし、何を求めてカンボジアまで来たんだろう。 -
もの足りないのは、地元と人たちとの接点が少ないことだった。
この町は、観光客にとってはリゾート用に出来ている町のようだった。
住民の生活している路地に入り込んで行けば良いのだろうが、なかなかそれができなかった。
これまでの町と、勝手が違っていた。
適する路地が見つからなかった。 -
パタヤに戻ろう。
急に思いつき、衝動的にバスのチケットを買った。
パタヤ行きのチケットはいつも食べる隣のレストランで売っていた。
なぜパタヤ行きだったのか?
プノンペン行きもあったのに。
頭がボーとしていたからだろう。
翌日の早朝、バスに乗ってしまった。 -
バスに乗ってココンまで着くと、ほとんどの客は降りてしまい、残りの人数は半数以下になってしまった。
雨が降り始めていた。
ボーダーの手前でバスは終わりだった。
どうなっているのか?
焦った。
タイ側でバスに乗り換えろと、紙切れを手渡された。
雨の降りしきる中をタイの入国審査場に向かって歩こうとすると、子ども達の荷車が近寄ってきてきた。
子どもの生活費を応援しようと荷物を乗せてやった。
タイの入国審査は簡単だった。
タイ側には群がっている悪徳男達がいなかった。 -
雨の中、雑貨屋の軒下を借りてパタヤ行きのバスを待った。
ところがそのバスがやって来ない。
いつ来るのかの情報もない。
誰に聞いてもわからない。
時々やって来るミニバスはバンコク行きばかりで、それに乗ろうとすると、違うと拒否された。
シアヌークから一緒だった仲間は、とっくに消えてしまっている。
そんな雨の降りしきる中、欧米人の男女が広場の真ん中で遊んでいた。
服はびっしょりなのに平気で立ち話をし、笑っている。
まるでシャワーを楽しんでいるかのようだった。
欧米人とは不思議なものだと感心した。
私の乗るミニバンが来たのはもう夕暮れで、雨の中で4時間以上も待っていたことになる。
見捨てられたかと不安だった私は、涙が出るほど嬉しかった。
乗ったのは私一人だった。
トラートのバスターミナルで降ろされ、そこに止まっていた別のミニバンに移された。
そこにはコチャンからの帰りの人たちが乗っていた。
長い長い苦難の末に、パタヤに到着したのは深夜だった。 -
新境地を求めてのカンボジアだったハズなのに、新境地はいったい何だったのだろう。
シアヌークは単なるリゾート地のようで、私の求めるものとは違っていた。
少しばかり空しさが残った。
シアヌークにとらわれず、ベトナム国境沿いまで足を伸ばせば良かったのだろうか。
何はともあれ、無事に帰国できたことに感謝しよう。
そして挑戦はまたの機会にしよう。
帰国後、しばらくすると、この旅はこれで良かったんだと思えるようになっていました。
(※画像はベトナム人がひっそり住んでいたシアヌークの町の一角。)
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この旅行記へのコメント (2)
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- trat baldさん 2015/12/28 08:00:17
- 普通の日本人には難しい。
- マイノリティの僕はお金が続くならシアヌークビルのビーチor市内で一ヶ月くらいは寝て居たいね(^o^)
今のmotogenさんならドジは踏まないだろうけどバス移動は区切りの場所まで小まめに切符を買う事が結果はベターが多いネ!
- motogenさん からの返信 2015/12/28 09:49:38
- RE: 普通の日本人には難しい。
- そうですね。
ああ、こうなっているのか・・・と、パタヤまでの交通事情、良い経験になりました。
こんな体験の積み重ねが旅の楽しさかも知れないと、今になると思えます。
現地にいると、日本にいれば泊まる場所にも食べることにも、遊ぶにも、何の苦労もしないで過ごせるのに、なぜこんな苦労をわざわざしているのかと、途方に暮れることもあります。
ても楽ばかりしていては、喜びもなし。
苦労の末に楽しさがあると思い直し、平穏な日常生活を中断して、また海外に出かけます。
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