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八王子城は小田原北条氏三代・氏康(うじやす)の三男である氏照(うじてる、1540?~1590)が築城し、それまでの滝山城(たきやまじょう)から天正12~15(1584~1587)頃移転したと思われます。<br /><br />天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城攻略に当たっては氏照は兄氏政(うじまさ)の小田原城に籠城、八王子城には重臣横地監物吉信、狩野主繕一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀ら約4千が籠城、これに対し秀吉派遣の前田利家(まえだ・としいえ)・上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)を総大将とする北国軍の総攻撃を受け僅か半日で落城します。<br /><br />狩野主膳一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らはそれぞれが担務する曲輪にて防戦するも討死に、その他城兵や女子供らが北国軍勢により斬殺されるなか、横地監物吉信は奥多摩の檜原城(ひのはらじょう)に敗走するも追手の北国軍に攻め落とされ檜原城は陥落します。<br />                      <br />一方、小田原城に籠城中の氏照は抗戦を主張するなか五代当主氏直(うじなお)は岳父である徳川家康を介して和議を求めて開城、これにより秀吉より氏直は紀伊高野山に追放、氏照は氏政と共に責任を問われ切腹を命ぜられ城下の田村安斉(小田原北条氏の侍医)宅にて自刃し小田原北条氏は没落します。<br /><br />こうして小田原北条氏の時代が終わり旧領は徳川家康に与えられ、江戸幕府創設後は八王子城跡は幕府直轄領となり禁制地とされます。<br /><br /><br />北条氏照供養塔の脇に立っている説明板には次の通り記載されています。<br /><br />「北条氏照及び家臣墓<br /><br />北条氏照は、早雲の孫、氏康の子で、関東管領上杉家の老臣大石定久に代わって永禄2年(1559)頃、滝山城主となったとされています。氏照は榎本・古河・栗橋など数城を併有したとされ、後北条氏の勢力拡大に大きく寄与した人物でした。武蔵国と甲斐国の境に大規模な山城である八王子城を築いたことでも有名です。天正18年(1590)の小田原攻めでは、豊臣秀吉の武将前田利家・上杉景勝らの軍勢に対する家臣中山勘解由らの防戦もむなしく八王子城は落城しました。兄氏政を助けて小田原城にいた氏照も開城後、兄とともに秀吉から切腹を命じられました。<br /><br />現在ある氏照の供養塔は、勘解由の孫水戸藩家老中山信治が氏照の死後100年忌の追善供養のために建てたものです。両脇には、家臣である勘解由と信治自身の墓もあります。<br />            平成24年3月建設  東京都教育委員会」

武蔵高尾 小田原北条氏政を支え弟氏照が築城した戦国時代最後の大規模山城八王子城跡(根古屋地区)訪問

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2015/12/12 - 2015/12/12

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滝山氏照

滝山氏照さん

八王子城は小田原北条氏三代・氏康(うじやす)の三男である氏照(うじてる、1540?~1590)が築城し、それまでの滝山城(たきやまじょう)から天正12~15(1584~1587)頃移転したと思われます。

天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城攻略に当たっては氏照は兄氏政(うじまさ)の小田原城に籠城、八王子城には重臣横地監物吉信、狩野主繕一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀ら約4千が籠城、これに対し秀吉派遣の前田利家(まえだ・としいえ)・上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)を総大将とする北国軍の総攻撃を受け僅か半日で落城します。

狩野主膳一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らはそれぞれが担務する曲輪にて防戦するも討死に、その他城兵や女子供らが北国軍勢により斬殺されるなか、横地監物吉信は奥多摩の檜原城(ひのはらじょう)に敗走するも追手の北国軍に攻め落とされ檜原城は陥落します。
                      
一方、小田原城に籠城中の氏照は抗戦を主張するなか五代当主氏直(うじなお)は岳父である徳川家康を介して和議を求めて開城、これにより秀吉より氏直は紀伊高野山に追放、氏照は氏政と共に責任を問われ切腹を命ぜられ城下の田村安斉(小田原北条氏の侍医)宅にて自刃し小田原北条氏は没落します。

こうして小田原北条氏の時代が終わり旧領は徳川家康に与えられ、江戸幕府創設後は八王子城跡は幕府直轄領となり禁制地とされます。


北条氏照供養塔の脇に立っている説明板には次の通り記載されています。

「北条氏照及び家臣墓

北条氏照は、早雲の孫、氏康の子で、関東管領上杉家の老臣大石定久に代わって永禄2年(1559)頃、滝山城主となったとされています。氏照は榎本・古河・栗橋など数城を併有したとされ、後北条氏の勢力拡大に大きく寄与した人物でした。武蔵国と甲斐国の境に大規模な山城である八王子城を築いたことでも有名です。天正18年(1590)の小田原攻めでは、豊臣秀吉の武将前田利家・上杉景勝らの軍勢に対する家臣中山勘解由らの防戦もむなしく八王子城は落城しました。兄氏政を助けて小田原城にいた氏照も開城後、兄とともに秀吉から切腹を命じられました。

現在ある氏照の供養塔は、勘解由の孫水戸藩家老中山信治が氏照の死後100年忌の追善供養のために建てたものです。両脇には、家臣である勘解由と信治自身の墓もあります。
            平成24年3月建設  東京都教育委員会」

旅行の満足度
4.5
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
  • 八王子城跡・案内図<br /><br />JR高尾駅北口から「八王子城址行」(西東京バス)はタイミング合わず、止む無く「宝生寺行」に乗り、中央道高架を過ぎた「八王子城址入口」で下車します。<br />(注)「八王子城跡」行バスは土日祝のみの運行でかつ昼間時に1時間に1本となります。予め時刻表チェックする必要があります。<br />

    八王子城跡・案内図

    JR高尾駅北口から「八王子城址行」(西東京バス)はタイミング合わず、止む無く「宝生寺行」に乗り、中央道高架を過ぎた「八王子城址入口」で下車します。
    (注)「八王子城跡」行バスは土日祝のみの運行でかつ昼間時に1時間に1本となります。予め時刻表チェックする必要があります。

  • 宗関寺<br /><br />八王子城址入口で下車し約15分程西進すると右手に氏照の菩提寺である宗関寺(そうかんじ、東京都八王子市元八王子町)が在ります。山号は「朝游山」と称する漕洞宗の寺院です。氏照が切腹後はそれまでの牛頭山神護寺を氏照戒名から引用して「宗関寺」と改称されています。

    宗関寺

    八王子城址入口で下車し約15分程西進すると右手に氏照の菩提寺である宗関寺(そうかんじ、東京都八王子市元八王子町)が在ります。山号は「朝游山」と称する漕洞宗の寺院です。氏照が切腹後はそれまでの牛頭山神護寺を氏照戒名から引用して「宗関寺」と改称されています。

  • 宗関寺・寺門

    宗関寺・寺門

  • 宗関寺・説明板<br /><br />風雨にさらされて字体が消えてしまい判読不能です。

    宗関寺・説明板

    風雨にさらされて字体が消えてしまい判読不能です。

  • 宗関寺・鐘楼堂<br /><br />境内にある梵鐘は北条氏照百回忌法要の際に水戸藩家老中山信治(なかやま・のぶはる)が寄進したものです。尚信治は秀吉が派遣した北国軍(前田利家・上杉景勝ら)が八王子城を攻略した際、松木曲輪にて討ち死にした氏照重臣である中山勘解由家範(なかやま・かげゆ・いえのり)の孫にあたります。

    宗関寺・鐘楼堂

    境内にある梵鐘は北条氏照百回忌法要の際に水戸藩家老中山信治(なかやま・のぶはる)が寄進したものです。尚信治は秀吉が派遣した北国軍(前田利家・上杉景勝ら)が八王子城を攻略した際、松木曲輪にて討ち死にした氏照重臣である中山勘解由家範(なかやま・かげゆ・いえのり)の孫にあたります。

  • 宗関寺・本堂<br /><br />平安時代に華厳菩薩が開いた寺を、氏照が永禄7年(1564)に再興した寺が前身と言われています。氏照によって再建された時の社寺は現在の氏照の墓所がある付近に在しており、その頃のこの場所は重臣である横地監物(よこち・けんもつ)の屋敷であったそうです。

    宗関寺・本堂

    平安時代に華厳菩薩が開いた寺を、氏照が永禄7年(1564)に再興した寺が前身と言われています。氏照によって再建された時の社寺は現在の氏照の墓所がある付近に在しており、その頃のこの場所は重臣である横地監物(よこち・けんもつ)の屋敷であったそうです。

  • 宗関寺・本堂扁額<br /><br />「宗関寺」と読むのでしょうか。

    宗関寺・本堂扁額

    「宗関寺」と読むのでしょうか。

  • 宗関寺・境内<br /><br />

    宗関寺・境内

  • 宗関寺・墓地<br /><br />山腹にある墓地清掃中の女性に中山さんの墓があるのか尋ねると「勘解由さんならありません」との返事でした。

    宗関寺・墓地

    山腹にある墓地清掃中の女性に中山さんの墓があるのか尋ねると「勘解由さんならありません」との返事でした。

  • 国史跡八王子城跡・案内図<br /><br />城跡に向かう途中の路上に配されたマップにはマークされた散策場所が写真を付して説明されています。

    国史跡八王子城跡・案内図

    城跡に向かう途中の路上に配されたマップにはマークされた散策場所が写真を付して説明されています。

  • 八王子城跡管理棟<br /><br />ここから更に西進して約5分歩くと八王子城跡に関し情報提供するガイダンス施設があります。

    八王子城跡管理棟

    ここから更に西進して約5分歩くと八王子城跡に関し情報提供するガイダンス施設があります。

  • 北条氏照墓入口<br /><br />主道路から北に入る小路を約10分進むと氏照及び家臣たちの供養塔があります。

    北条氏照墓入口

    主道路から北に入る小路を約10分進むと氏照及び家臣たちの供養塔があります。

  • 北条氏照墓方向

    北条氏照墓方向

  • 北条氏照墓・案内板

    北条氏照墓・案内板

  • 北条氏照及び家臣の供養塔全景<br /><br />氏照の百回忌を機に水戸藩家老中山信治(なかやま・のぶはる)によって建てられた供養塔です。氏照は小田原城下で兄氏政と共に切腹し、現在小田原駅前商店街の一隅にも墓が残っています。

    北条氏照及び家臣の供養塔全景

    氏照の百回忌を機に水戸藩家老中山信治(なかやま・のぶはる)によって建てられた供養塔です。氏照は小田原城下で兄氏政と共に切腹し、現在小田原駅前商店街の一隅にも墓が残っています。

  • 北条氏照供養塔(近景)<br /><br />墓群中央には氏照の供養塔があり塔には戒名「青雲院殿透缶宗關大居士」が刻されています。

    イチオシ

    北条氏照供養塔(近景)

    墓群中央には氏照の供養塔があり塔には戒名「青雲院殿透缶宗關大居士」が刻されています。

  • 中山信吉墓<br /><br />中央部の石塔には「中山・・・」の文字が認められます。

    中山信吉墓

    中央部の石塔には「中山・・・」の文字が認められます。

  • 北条氏照及び家臣墓説明板

    北条氏照及び家臣墓説明板

  • 北条氏照家臣墓<br /><br />氏照供養塔の背後に在る石塔群は家臣たちの墓とされています。

    北条氏照家臣墓

    氏照供養塔の背後に在る石塔群は家臣たちの墓とされています。

  • 国史跡八王子城跡ガイダンス施設<br /><br />八王子城跡見学者に対して八王子城跡や城主北条氏照に関して情報を提供する施設で、関係資料は勿論当時の鎧兜などの武具や御主殿から発掘された陶器類の他当該城が落城に至るまでのVTR放映があります。

    国史跡八王子城跡ガイダンス施設

    八王子城跡見学者に対して八王子城跡や城主北条氏照に関して情報を提供する施設で、関係資料は勿論当時の鎧兜などの武具や御主殿から発掘された陶器類の他当該城が落城に至るまでのVTR放映があります。

  • ガイダンス施設外観<br /><br />開館時間は午前9:00〜17:00で要望あればボランティアによる案内もあります。

    ガイダンス施設外観

    開館時間は午前9:00〜17:00で要望あればボランティアによる案内もあります。

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