2015/12/12 - 2015/12/12
1042位(同エリア2030件中)
滝山氏照さん
天文15年(1546)河越城の戦いにて関東管領家山内上杉氏及び一族扇谷上杉氏は相模国統一を果たし武蔵南部を手中に収めた小田原北条氏に大敗北を喫し、ここに旧守勢力と新興勢力の立場が逆転、歴代山内上杉氏に家老格として仕え伊豆・武蔵・上野の守護代歴任の大石氏は八王子を中心に五日市・青梅・飯能・所沢・相模原・大和・横浜の一部におよぶ広大な自領安堵を求めるため、上野国に敗退しかつての勢いを失った主家上杉憲政(うえすぎ・のりまさ)から離反し北条氏康との連携を求める事になります。
当主大石定久(おおいし・さだひさ)は娘比佐(ひさ)と縁組させる形で北条氏から6歳の氏康三男藤菊丸(後の氏照)を世継として迎え、大石源三と改姓した後の氏照は永禄2年(1559)には家督を譲られやがて滝山城(たきやまじょう)に入り、譲渡された所領の把握と治政に加え父氏康と共に関東各地を転戦し、里見氏(安房)、簗田氏(関宿城)と戦いそして在地の豪族三田氏(青梅)を滅ぼし北条氏の勢力拡大に貢献します。
永禄11年(1568)甲斐武田信玄が2万の軍隊を以て滝山城を攻撃、同時に別部隊の小山田信茂軍が突如小仏峠を越えて進攻、迎え撃つ横地監物らは小山田軍に対しては廿里(とどり)にて敗退、一方信玄本隊には滝山城三の丸まで攻め取られ落城目前となるなか信玄は軍をまとめて小田原城に向かったため滝山城の落城は免れます。
氏照は信玄に攻撃を受けた滝山城の防御力の脆弱さを痛感し堅固な山城建設の意思をかため、天正5年(1577)甲州路を臨む深沢山(現在の城山)に築城を開始し、天正15年(1587)頃にほぼ完成した新城に入り八王子城と名付け本拠とします。
御主殿跡看板脇に設置された説明看板には次の通り記載されています。
「御主殿跡
御主殿跡は落城後は徳川氏の直轄領、明治以降は国有林であったため、あまり人の手が入らず、落城当時の状態のままで保存され、遺構の状態も良好でした。平成4年(1992)から2年間発掘調査を行ない、城主であった氏照が執務を行なったと考えられる、大規模な礎石建物跡をはじめ、さまざまな遺構が発見されました。調査の結果、氏照の生活の場はここからさらに奥に眠っていると思われます。
また、中国の磁器の破片や国産の陶器、鉄砲弾をはじめとする武器・武具類など遺物が発見されました。中には当時の武人のたしなみであった茶道具や、当時でも極めて珍しかったと思われるベネチア製のレースガラス器の破片も含まれ、氏照の生活ぶりがうかがえます。 八王子教育委員会」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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八王子城跡石標
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八王子城・大手道
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八王子城の概要説明
大手道の途中に八王子城の概要に関して資料説明板が建っています。 -
八王子城の縄張
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古道・御主殿跡方向
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古道・御主殿跡案内
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古道・曳橋・御主殿説明
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古道
城山川に沿った古道を進んで曳橋に向かいますが道路脇に「注意」の縄が張られ工事中の様相を示しています。 -
古道渡り橋
残念ながら曳橋工事中につき古道へは通行不可とのことです。林山林道を進むこととします。 -
御主殿跡・曳橋方面看板
現在は曳橋架け替え工事のため渡ることができません。 -
曳橋
曳橋は八王子城跡特有の表現で一般に使用されている引き橋と同一の意味で、敵が攻撃してきた時に引いて取り外し敵の進攻を阻止することを目的として構築されています。 -
曳橋工事のお知らせ
新しい曳橋かけ替えの為平成28年2月末まで工事を行う旨看板があります。 -
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御主殿の滝
落城時に御主殿にいた北条方の武将や女子らが、滝の上流で自刃して身を投じ、その血は三日三晩赤く染まったと伝えられています。
御主殿の滝 -
御主殿の滝説明
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御主殿登口
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御主殿
林道から坂を登ると御主殿中央の南側に入ります。 -
冠木門方向
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御主殿
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御主殿・会所跡
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御主殿・塀跡
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塀址説明
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御主殿・会所跡
主殿で儀式などを終えた後、宴会などを行った場所と言われています。会所は同時代の他の建物の例を参考に床を再現しています。 -
会所説明
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御主殿・敷石通路
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敷石通路説明
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御主殿・道路状遺構
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道路状遺構説明
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御主殿・舶載磁器集中出土域
舶載磁器とは中国で焼かれた青花や白磁の皿や椀を意味し、このエリアに34000点以上の遺物(主として焼き物の細かい破片)が集中して出土しています。 -
舶載磁器集中出土域説明
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御主殿・会所
西側から会所を通じて虎口方向を捉えます。 -
御主殿・池を中心とする庭園遺構
主殿と会所の建物に囲まれた範囲に池を配した庭園が調査により発見されています。 -
池を中心とする庭園遺構説明
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御主殿・庭園
主殿と会所に囲まれたエリアに大小の礫を配した庭園と思われる遺構があります。 -
庭園説明
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御主殿・掘立建物跡
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掘立建物跡説明
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御主殿
会所に隣接する主殿は城主である中心となる建物で政治に関する行事が行われた場所です。落城後は江戸幕府直轄領であったり国有林であった事情で往時のままの状態で残っていました。 -
御主殿
南東方向から主殿を捉えます。 -
御主殿説明
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御主殿跡説明
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御主殿跡
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曳橋詰
御主殿に繋がる復元石敷き通路に繋がる曳橋は現在工事中につきこれ以上進むことができません。 -
御主殿虎口
虎口は曳橋を渡った位置から御主殿内部まで「コ」文字形に折れ曲がった階段通路となっているのが特徴となっています。 -
御主殿虎口説明板
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イチオシ
御主殿虎口階段
階段は全体で25段、踏面が平均で1m、蹴上が36cmで、約5mの幅を持っており、途中の2ケ所の踊り場とともに全面に石が敷かれているのが特徴と言えます。 -
御主殿虎口
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櫓門跡
虎口の途中に大きな礎石が四つあり、ここには物見や指揮をするための櫓門があったのではないかとして指摘されています。 -
櫓門跡説明
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模擬冠木門
石敷き通路から御主殿の模擬冠木門を捉えます。 -
御主殿入口
当時の門をイメージして冠木門を建ててあります。 -
御主殿入口
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御主殿遺構分布図
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御主殿遺構分布図(拡大図)
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模擬土塁
御主殿入口に繋がる高い模擬土塁が御主殿の一部を形成している姿が確認できます。 -
曲輪跡
林道に沿った上部には切削された曲輪が認められます。 -
曲輪を繋ぐ渡橋
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