2015/11/20 - 2015/11/20
1715位(同エリア8782件中)
エムさん
親子三世代の初ニューヨーク旅行で、これだけは邪魔をされたくないと宣言したのが「メトロポリタン美術館をゆっくり鑑賞する」だった。
NY旅行の目的は美術館巡り・・・ゴッホ、モネをはじめ印象派を中心にリストアップして準備を整えた。
前夜、自作の鑑賞リストをN君に見せて「どの絵が好き?」と聞くと、
「うんーとねぇ〜、これとこれ、これも、みーんな好き。」とモネ、ピサロ、シスレーの絵を指した。
「明日、本物の絵を観るのよ。嬉しい?」「うん!」とまぁ、暗示をかけておいた。
幸運にも幼児が絵に興味を持ったので、メトロポリタン美術館とニューヨーク近代美術館(MoMA)を巡り、モネ・ゴッホなど印象派を中心に終日美術鑑賞dayになった。
※表紙の写真はアンリ・ルニョーの「サロメ」
美しくも怪しげな笑みを浮かべるサロメに吸い寄せられ、見入ってしまった忘れられない一枚です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2015/11/20 9:57 メトロポリタン美術館到着
グーグルで検索すると、最寄りの地下鉄42st.駅でC線に乗り、86st.駅で下車して徒歩14分と出た。
公園の中を歩くと距離が長いのでお勧めできない、という情報を見ていたのでバス通りを歩くことにした。
途中86番のバスが通過したけど、子連れでも15分位で到着し、許容範囲です。
NYシティーパスを提示して館内図をもらい、コートを預けて身軽になった。 -
エジプト美術
エントランスを右に行くとエジプト美術エリアがある。
モダンな空間は、ナイル川をイメージした水面にパピルスが浮かぶ、本物かな?
エジプトの考古学博物館の池にパピルスが茂っていたのを思い出した。
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=13485395 -
ガラス越しに、紅葉したセントラル・パークの景色が美しい。
-
デンドゥール神殿
紀元前15年頃、ローマ皇帝アウグストゥスがヌビアの地に建設した神殿。
アスワンハイダムの建設により、水没の危機があった遺跡を米国が1200万ドルの寄付をして救ったお礼に贈られた神殿。 -
エジプト美術を軽く回り、娘たちと別行動をして1時間後に大ホールで待ち合わせることにした。
中央階段を上がって、ヨーロッパ絵画から鑑賞します。
※中央階段を上がると、ショップの隣にインフォーメーションがあるので、画家の部屋番号が載った詳しいマップをもらうことをお勧めします。 -
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
ラ・トゥールはフランス王ルイ13世の国王付画家の称号を得る著名な画家であったが次第に忘却され、20世紀初頭に再評価された。
【女占い師】1632?1635年頃
ルーヴル美術館の「ダイヤのエースを持ついかさま師」はこちら
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31096522
【悔い改めるマグダラのマリア】1635年頃
ロウソクの火が鏡に映り、二つの炎に温かみが感じられて癒される。
ルーヴル美術館の作品はこちら
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39121976 -
ジャック=ルイ・ダヴィッド
【ソクラテスの死】1787年
ソクラテスが神を否定し、人々を堕落させたと告発され、服毒自殺を命じられた。
弟子プラトンが綴った論文や文献を検証して描き、ダヴィッドの最高傑作と言われる作品。
目頭を押さえながら毒杯を手渡す牢番や、ソクラテスに背を向け瞑想するプラトンが描かれている。
帰国後にこの画像を見た5歳児の感想
「あっ、これ知ってる、僕見たよ。」
娘「そう言えば、じっと見つめてたね。」
私「どこに惹かれたのかしら?うーーん!」 -
エル・グレコ(1541年-1614年)
【トレド風景】1597年頃 (左上)【第5の封印】(右)
【自画像】50歳代の自画像(左下)
宗教画が多いエル・グレコの絵は、どれも細長く描かれるが、自画像まで長い。 -
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer 1632年-1675年)
【眠る女】1657年【信仰の寓意】1671年-74年頃
【若い女の肖像】1665年-67年【リュートを調弦する女】1662-63年
「若い女の肖像」は、我が家に飾ってある「真珠の耳飾りの少女」と同じに見えるというN君。5歳児とは思えない感想に、ただただビックリ!
残念ながら、一番見たい「窓辺で水差しを持つ女」はありませんでした。 -
レンブラント(Rembrandt Harmensz. van Rijn、1606年-1669年)
オランダ絵画黄金期最大の巨匠レンブラントの作品を5点
【バテシバ】1643年
【ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス】1653年
紀元前4世紀ギリシアの哲学者アリストテレスが、最も賞賛した古代の詩人ホメロスの胸像を見つめ手を添える姿を描いた作品。
ホメロスの胸像はレンブラントが所有していたという。
【自画像】1660年
【手袋を握った男の肖像】1648年
【Woman with a Pink】1660年 -
ラファエロの場所が分からなくて、インフォーメーションで尋ねると、部屋番号と画家の名前入りの地図を頂きました。
美術館案内だけでは大雑把すぎて、無駄に歩くと足が痛いので重宝しました。
時間がない時はピンポイントで鑑賞でき、ルーヴル美術館よりコンパクトにまとまって歩きやすいです。 -
ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)1483年-1520年
【玉座の聖母子と5聖人】1504年
フランシスコ会修道院、ペルージャの依頼により制作された初期の作品。
子供のキリストと洗礼者聖ヨハネが洋服を着て描かれているのが特徴的だとか・・・
幼いキリストの姿が身近に感じられて可愛い。
1678年、ローマのコロンナ家が祭壇画を取得。
後に、ニューヨーク資本家J.P.モルガンに買収された。 -
【二人の天使と玉座の聖母子】
フィリッポ・リッピ(1406-1469)
ボッティチェリの師であり、初期ルネサンスのイタリア画家 -
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746年-1828年)
宮廷画家として王室や貴族の肖像画を描いた。
1808年-14年 ナポレオンの支配に抗したスペイン独立戦争に関する絵画も数多く残した。
【ペピート・コスタ・イ・ボネールス】1810年
兵士のようなジャケットのナポレオンファッションで、お澄まし顔が可愛い。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス( Peter Paul Rubens 1577年-1640年)
ルーヴル美術館の「マリー・ド・メディシスの生涯」やフランダースの犬で知られる「キリスト昇架」「キリスト降架」で馴染み深いオランダの画家。
【ルベンスと妻エレーヌ・フールマンに息子ピーター】1635年
ルーベンスの最初の妻イザベラと死別した後、37歳も年の離れた16歳のエレーヌ・フールマンと再婚をした。 -
ディエゴ・ベラスケス
【フアン・デ・パレーハの肖像画】1650年
パレーハはムーア人の奴隷だったが、ベラスケスの助手をしながら技術を身に着け、後に画家となった。
【王女マリア・テレサ】1651-52
1638年にフェリペ4世と最初の王妃イサベルの8番目の子どもとして生まれ、マルガリータの母違いの姉。
1660年、22歳でフランス国王ルイ14世の妃となる。 -
12:07
無料wifiのおかげで、娘たちとの待ち合わせはスムーズ!
だいたい同じ部屋を回っていたのに、一度も出会わなかったのが不思議。
気付かなかっただけかも知れませんが・・・
先ずはランチです。
写真はアール・ヌーヴォー様式のステンド
ルイス・カムフォート・ティファニーの作品
彼はティファニー社創業者の息子で、ガラス工芸家の一人者です。 -
チャールズ・エンゲルハード・コート
黄金のダイアナ像
アメリカン・ウイング・カフェで昼食を済ませた。
Mini sushi(アボカドとカニカマの巻きずし)約1300円
ごく普通のクロワッサン1個 約470円 カットフルーツ 約600円
ミニスシは量が少なく、日本だと400円程度の代物、
MET価格は驚くほど高い! -
エドゥアール・マネ (Edouard Manet 1832-1883)
【スペインの歌手】1860年
1861年のサロンで入選した作品
【剣を持つ少年】1861年
マネの義理の息子、レオンが10歳ぐらいの頃描かれた。
【天使と死せるイエス】1864年/エドゥアール・マネ
キリストは十字架に架けられ右脇腹を刺れたが、マネは左側に傷を描いた。 -
【女とオウム】1866年 エドゥアール・マネ
モデルの女性はどこかで見たことがある顔だと思ったら、
「草上の昼食」「オランピア」で裸婦のモデルをしたヴィクトリーヌ・ムーランでした。
クールベの裸婦画「女とオウム」への返答として描かれ、シルクのガウンをまとった。
「草上の昼食」
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38916574
「オランピア」
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38917831 -
【ボート遊び】1874年/エドゥアール・マネ
1874年の夏、アルジャントゥイユのモネを訪ねた時に描かれ、モデルの女性はモネの最初の妻カミーユといわれている。 -
オルセー美術館で観たドガの踊り子
エドガー・ドガ(1834年-1917年)
【ダンス教室】1874年【バーで練習する踊り子】1877年
オルセーは凄い混雑でしたが、ここは人が少ないのでゆっくり鑑賞できます。 -
【舞台の上のリハーサル】1874年
【ダンス クラス】1870年 -
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)フランスのバルビゾン派の画家
【秋、積みわら】1874年
農民の生活を描き続けたミレーの作品
秋の収穫が終了し、落ち穂拾いが始まり羊が放牧された。
ミレーの後期様式の特徴的な作品です。 -
こちらもミレーの作品
【牛小屋に呼ぶ】1872年【熊手を持つ女】1856-1857
【嵐からの逃避】1846年
嵐の中、薪を抱えて子供の手を引く母親の必至な姿に目を奪われて・・・
見逃してしまいそうな小さい作品です。 -
ピエール・オーギュスト・コット(1837年-1883年)
【春】1873年 【嵐】1880年
部屋の真ん中に展示されて、優しさと美しさに癒されます。 -
【サロメ】1870年 アンリ・ルニョー(1843年-1871年)
サロメは古代パレスチナに実在した女性で、実母ヘロディアはユダヤ総督であるヘロデ王(サロメの父と異母兄弟)と再婚した。
ヘロデ王の誕生日にサロメが華麗な舞を披露し、喜んだヘロデ王は望みの褒美をあげると約束する。サロメは母にそそのかされ「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて頂きたい。」と言った。
ヘロデ王が兄弟の妻だったヘロディアを娶ったことをヨハネに厳しく叱責され、ヘロディアはヨハネを恨んでいた。
大皿に置かれたナイフは、踊りの報酬である洗礼者ヨハネの生首をほのめかし、美しく描かれたサロメの笑みが不気味に思える。
サロメは古くからティツィアーノ、カラヴァッジオなど多くの画家が描いたモチーフですが、ヨハネの首が大皿に描かれてないので目を背けることなく鑑賞できる。
存在感があり、美しすぎて吸い込まれるように見入ってしまったサロメでした。
アンリ・ルニョーは1870年、この絵でセンセーショナルなデビューを果たすが、普仏戦争により28歳の若さで戦死している。 -
パブロ・ピカソ(1881-1973年)
【髪を結う】1906年
【役者】1904?1905年
「青の時代」から「バラ色の時代」へと移行期の作品。
【白い服の女】1923年
「青の時代」「バラ色の時代」「キュビズム」を経て、1918年貴族出身のオルガ・コクローヴァと結婚した頃から新古典主義へと作風が変わった。 -
ベルト・モリゾ(1841年-1895年)
【ソファーに座る若い女性】1879年
優しい色調で描かれ、癒されます。
マネのモデルとして知られる女性画家で、1874年マネの弟ウージェーヌ・マネと結婚、1878年に娘ジュリーを出産した。
モリゾは娘を題材にした絵を描いている。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ (Vincent van Gogh 1853-1890)
【ジャガイモの皮をむく農婦】 1885年2-3月
【暖炉の側の農婦】1885年6月
ゴッホが画家を目指したのは1880年27歳の時、初期の作品は暗い色調で貧しい農村の暮らしを多く描いた。
1885年4月「馬鈴薯を食べる人々」で画家としてデビューを果たした。
1890年7月、自殺するまでの10年間に描いた作品は油彩と素描を合わせて2000点に及ぶが、生前に売れたのは一枚のみであった。
馬鈴薯を食べる人々(アムステルダム/ゴッホ美術館)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%80%85#/media/File:Vincent_Van_Gogh_-_The_Potato_Eaters.png -
【2本の折れたひまわり】ゴッホ/1887年8-9月(パリ時代1886年3月-1888年2月)
1886年3月、突然パリに住む弟テオのアパートを訪ね、一緒に暮らし始めた。
画廊やタンギー爺さんの店でピサロやスーラーと出会い、これまで武骨で暗い絵から、明るい色調の画風に変わった。
1887年ゴーギャンと出会い、この絵を気に入ったゴーギャンは作品の交換を申し出た。 -
【キョウチクトウ】ゴッホ/1888年8月 アルル時代の作品(1888年2月-同年12月)
新芽が出て尽きることなく花が咲くキョウチクトウを、マジョリカ焼の陶器に活けて描いた。
南仏出身のロートレックに太陽が明るく暖かいと聞かされ、1888年2月心機一転を図るべく、冬の暗いパリから南仏プロバンスへ移り住んだ。
麦畑や花が咲き乱れる果樹園を好んで描いている。 -
【靴】ゴッホ/1888年8月
パリ滞在中は、暗い色調で「靴」を描いているが、アルルの黄色い家で描かれた作品は、赤い色調の床に配置され、これまでの『靴』より明るい。 -
【ルーラン夫人と乳児マルセルの肖像】1888年11-12月
ルーラン一家との触れ合いが、心の拠り所になっていたのだと思われる。
じっとしない赤ちゃんを短時間で描いたのでしょうか?
【ジヌー夫人】1889年
アルル地方の正装で椅子に座る女性を1時間で仕上げている。
ジヌー夫人は行きつけのカフェの女主。
【子守唄ルーラン夫人の肖像画】1889年1月
モデルは郵便配達人、ルーランの奥さん。
ゴーギャンとの共同生活が破たんし、悲しみ傷付いた心がルーラン夫人を描くことで癒された。
揺りかごのひもを手に握る小守女は母性の象徴であり、ゴッホは救いを求め何枚も描いた。
【郵便配達夫ジョセフ・ルーランの肖像】1889年4月(MoMAより)
テオの手紙を配達してくれるルーランと親しくなり、ゴッホがアルルを去るまで援助を続けている。
1888年10月23日からゴーギャンと共同生活を始めるが9週間で破綻した。
経済的に困窮していたゴーギャンがアルル行きを決めたのは、テオから月々の手当てのほかに家賃、交通費、画材代を負担するとの提案を受け入れたからだった。
ゴッホを想うテオの兄弟愛に胸を打たれる。 -
【糸杉のある麦畑】1889年6月
【糸杉】1889年 6月後半
ゴッホは1889年5月から1年間、サンレミの精神病院に入院した。
病院の一室をアトリエとして使用する許可を得て、窓から見える景色を描いた。
状態が良い時は外出が許され、ゴッホの散歩道と呼ばれる道に立つ糸杉の木を描いた。
糸杉は墓地に植えられ「死」を連想する木に惹かれた。 -
【オリーブの木】1889年
スーラの点描画法の影響を受けながらも、やはりゴッホらしい。
【オリーブ摘み】1889年9月 -
【歩き始め】1890年1月
ミレーを模して -
【バラ】1890年5月 【アイリス】1890年5月
サン=レミの病院を退院する前日、バラとアイリスを花瓶に活けて描いた。
5月16日 静養のため、ポール・ガシェ医師の勧めでオーヴェル・シュル・オワーズ村へ向かった。
途中、パリのテオ一家を訪ねたゴッホは、初めてテオの妻子と出会った。
揺り籠で眠る4ヶ月の男の子を見入り、兄弟で涙を浮かべていたと、妻ヨハンナが思い出を綴っている。
テオの長男は敬愛する兄と同じフィンセントと名付けられた。
ゴッホは2ヶ月後にピストル自殺をしますが、絵が少しずつ評価されるようになった頃であり、ホントに気の毒で残念です。 -
クロード・モネ (Claude Monet1840-1926)
【サンタドレスのテラス】1867年
初期の代表作の一つで、モネが幼少期を過ごしたサンタドレスの海辺の風景を描いた。
テラスの椅子に座っている人物はモネの父で、その隣に伯母ソフィー・ルカドル。
フェンスに立つ女性はモネの従姉妹のジャンヌで親族と談笑をしている場面。
カミーユとは正式に結婚をしていないが、息子ジャンが誕生して生活費の援助を求めるために訪ねた。
この明るい絵を観て、モネが経済的に困窮しているとは微塵も感じられない。 -
【ラ・グルヌイエール】1869年
1869年の夏、セーヌ河畔の行楽地で友人のルノワールと並んで描き、光が反射する水面と影を表現した作品に仕上げた。
ルノワール(下)の作品と比べると水面にきらめく光が眩しい。 -
【庭のベンチのカミーユ・モネ】1873年
アルジャントゥイユに借りていた家で、ベンチに座る悲しそうなカミーユ。
1873年9月にカミーユの父が亡くなり、花束を手に慰めにやって来た髭の紳士は、モネと親しかったマネ。 -
【アルジャントゥイユの野原】1875年
この年に妻カミーユの病気が判明し、歩いているのは息子のジャンだけ・・・
1873年に描いた「アルジャントゥイユのひなげし」と比べると寂しい。
http://4travel.jp/travelogue/11018231 -
【アルジャントゥイユの庭のカミーユ・モネ 】1876年
モネは病床の妻を木の下に描いていたが、消えそうに影が薄い。 -
【モンソー公園】1876年(上) 1878年(下)
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【ヴェトゥイユの眺め】1880年
1878年、モネのパトロンだったエルネスト・オシュデが事業に失敗して失踪し、困窮状態に陥った。
マネに借金をして滞っていた家賃を払い、アルジャントゥイユの家を引き払い、ヴェトゥイユに移り住んだ。
オシュデの妻アリスとその子供も一緒に共同生活を始めた。
1879年9月、妻カミーユを亡くした悲しみと貧困生活は、モネの人生で一番苦しい時期であったが、モネの才能を信じて励まし続けたのがアリスであった。 -
【ひまわり】1881年 【菊】1882年
花が好きなモネは、ジヴェルニーに広い土地の家を手に入れると、花で一杯の庭園を造って眺めるのが好きだった。
花の絵を描いたのはカミーユが亡くなった後で、1880年から生活のために売れる静物画を集中的に2年間描いた。
ひまわりの絵は7年後に描かれたゴッホの連作があまりにも有名ですが、個人的にはモネのひまわりが好きです。 -
【積みわら、冬の効果】1891年
後年、ジヴェルニーの積みわらを描いた一連の作品 -
【睡蓮の池に架かる橋】1899年
【睡蓮】1919年 -
ポール・ゴーギャン1848年-1903年
【二人のタヒチ女性】1899年
【イア・オラナ・マリア(マリア礼賛)】1891年
一回目のタヒチ滞在期に描いた代表作は、赤い服の女性がマリアで、肩に乗った子供はイエス。
杖はゴーギャンが彫ったもので、蛇が絡まっている。
ゴーギャンは原始的なものに関心を寄せ、想像力を駆使して描くが、ゴッホは写実主義だったため、ことごとく対立した。
個性が強いゴーギャンは点描画のスーラを軽蔑し、ピサロと反目した。
ゴッホに続いて弟のテオが亡くなった後、全てに行き詰ったゴーギャンは、1891年楽園を夢見てタヒチに渡った。 -
ジョルジュ・スーラ(1859年-1891年)
【グランド・ジャットの日曜日】1884年
シカゴ美術館の大作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の習作の一枚。
【サーカスの客寄せ】1887-1888年
スーラは点描表現を用いた斬新な様式を確立した画家で、新印象派と呼ばれた。
1891年ジフテリアにより32歳で亡くなったが、10年間に200点を制作した。
点描画はポール・シニャックが継承し、20世紀の画家に影響を与えた。 -
アンリ・ファンタン=ラトゥール(1836年-1904年)
【花と果物の静物】1866年
【バラとユリの花 】1888年
【アスターとテーブルの上の果物】1868年
【ボウルにバラ】1883年
私の好きな画家で、花の絵に魅せられて「ばらとユリの花」を部屋に飾りました。 -
アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley 1839年-1899年)
【ヴィルヌーヴ ラ ガレンヌの橋】1872年
【ブージヴァルのセーヌ川】1876年
シスレーはイギリス人商人の息子として裕福な家庭に生まれたが、パリ・コミューンにより実家が破産し、経済的困窮に陥る。 -
グスタフ・クリムト(1862-1918)
【セレーナ・レーデラの肖像】1899年
【メーダ・プリマヴェージの肖像】1912年 -
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年-1919年)
【カトゥルスメンデスの子供たち】1888年 -
【シャルパンティエ夫人とその子供たち】1878年
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【横たわる裸婦】1883年
【浴女】1892
【浜辺にて】1883年
【草原にて】1888-1892年 -
【桃と葡萄のある静物】1881年
【桃のある静物】1881年
【花およびウチワサボテン】1885年 -
ジュール・バスティアン ルパージュ
【声を聞くジャンヌダルク】1879年
背後に大天使ミカエル、聖カトリーヌ、聖マルグリットが描かれている。 -
ドミニク・アングル(1780年-1867年)
1797年ダヴィッドのアトリエに入門して新古典主義を学び、ダヴィッドがベルギーへ亡命後、新古典主義の後継者となった。
【ド・ブロイ公爵夫人】1851-1853年
この絵を見つけられず、インフォーメーションで確認すると、1階のWest956か957の部屋に展示されているとのこと、最後にようやく会えました。
透き通った陶器のような白い肌と、美しいシルクの青いドレスに目を奪われ印象深い。 -
ニューヨーク近代美術館(MoMA)は金曜日の4時からフリーになる。
暫くホテルで休んで、夕方からMoMAへ行こうと支度をすると、
「僕、行かない」とN君・・・
一人置いて行けないし、何とかその気にさせて5時頃ホテルを出た。
5時以降は並ばないという口コミ通り、無料のチケットを受け取って5階へ直行した。
ポール・セザンヌ(1839年-1906年)
【水浴する男】1885-1887年 -
アンリ・ルソー(1844-1910)
【眠るジプシー女】1897年
【夢】1910年 -
フィンセント・ファン・ゴッホ
【オリーブの木々、背景にアルピーユ山】1889
【星月夜】1889年
星月夜は凄い人だかりがだったので、しばらく並んで写せた一枚。
サン=レミの精神病院に入院中、鉄格子の窓から見た夜景を描いた。
この絵を送られたテオは、美しさに息を呑みながらも、めまいがするほど極限状態に追い詰められているゴッホを案じた。 -
こちらはクロード・モネのコーナー
【アガパンサス】1914
【睡蓮の池に映る雲】 -
アンリ・マティス(1869年-1954年)
【ダンス】 -
パブロ・ピカソ
【馬を引く裸の少年】1906年
【二人の裸婦】1906年
キュビスム時代の作品
【アヴィニョンの娘たち】1907年
バラ色の時代の後に5人の娼婦を描き、キュビスム技法へと変化した最初の作品。
まるで鏡が割れたような作品
【鏡の前の少女】1932年 -
グスタフ・クリムト(1862-1918年)
【希望?】1907-08年 【アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像?】1912年
【公園】1910年 -
ピエト・モンドリアン(1872-1944)
【コンポジション】
初期の頃は同じオランダ生まれのゴッホに憧れ、写実的な絵を描いていた。
キュビスムの作品に感銘を受け、パリで2年間学ぶ。
父親の危篤の知らせでオランダに帰ったが、第一次世界大戦の勃発により、パリに戻れなくなった。
戦争のさなかに多くの芸術家と知り合い、「新造形主義」が生まれた。
定規で縦横に黒い線を引き、赤、青、黄色の三原色で塗られたコンポジションが完成し、最終的には黒い線だけになった。
1940年モンドリアンはニューヨークに亡命し、その頃から作品が注目されるようになった。 -
サルバドール・ダリ
【記憶の固執】1931年 -
マルク・シャガール(1887年-1985年)ロシア出身のフランス画家
【私と村】1911年
ムンクの絵が見つけられなくて、係員に聞いたのですが、ご存じないようで、諦めてホテルに戻りました。
出掛けるのを嫌がったN君は絵が好きなのか、最後まで頑張りました。
終日美術館巡りは大人でも疲れるのに、お利口さんでした。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- imuさん 2015/12/22 16:37:58
- メトロポリタン美術館
- エムさん、こんにちは!
ニューヨークの旅行記を拝見しました。
たくさんの作品をとても綺麗に編集されていて、まるでパンフレットのようです。
N君、お利口さんに付き合ってくれて良かったですね。
ご存知かもしれませんが・・・
フェルメールの「水差しを持つ女」ですが、日本に来ていますよ。
1/5までは、京都市美術館。
1/14〜3/31 森アーツセンターギャラリー
4/6〜5/8 福島県立美術館
「日経おとなのOFF」という雑誌の付録の「美術展ハンドブック」に載っていました。
メトロポリタン美術館のように、明るくて広々としている所で観るのと、日本の暗い部屋で観るのとでは印象が違うかもしれませんが、良かったら参考にしてください。
imu
- エムさん からの返信 2015/12/22 21:42:36
- RE: メトロポリタン美術館
- imuさん、こんばんは!
ご訪問とコメント、投票までありがとうございました。
> N君、お利口さんに付き合ってくれて良かったですね。
大人でも疲れるのに、よく頑張ってくれたと思います。
途中で絶対に飽きると思ったので意外でした。
> フェルメールの「水差しを持つ女」ですが、日本に来ていますよ。
そうですか!情報をありがとうございます。
海外で美術館巡りをするとよく経験するのですが、モネの「日の出」はパリで観られず、日本でもチャンスを逃しました。
森アーツセンターギャラリーに行ってみようと思います。
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