2015/05/19 - 2015/05/19
1772位(同エリア17023件中)
エムさん
風薫る5月のパリへ個人で旅行しました。
旅の目的は
「初フランスの次男と美術館を巡り、パリの街を歩く」
「フライング・ブルーのマイルを使い切る」
旅行2日目は、朝一番でヴェルサイユ宮殿を見学後、最高気温14度と寒かったので、早めに切り上げてパリに戻りました。
地下鉄9号線トロカデロ駅で途中下車してエッフェル塔を眺め、アレクサンドル3世橋に寄り道をして、オルセー美術館に入場しました。
去年は撮影禁止だったのに、今年はNo flashで撮影可能!
モネの家、オランジュリーの睡蓮の大連作が撮影可能だったので、もしかして大丈夫かと思って係り員に聞くと「OK!」とのこと、ラッキーでした。
表紙の写真はモネの「日傘の女」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
入口は長い列でしたが、ミュージアムパスのおかげで待ち時間なし!
セキュリティーを通り、写真撮影が可能であることを確かめて辺りを見回して、最初に目についた自由の女神 -
【落ち穂拾い】ミレー/1857年
-
子供の頃から本物を見て名画を勉強できるとは、うらやましい。
こんな場面を見かける度に嫉妬する自分・・・ -
【晩鐘】ミレー/1857-1859年
-
-
【退廃期のローマ人たち】トマ・クチュール/1847年
退廃していく古代ローマ人を題材に描き、サロンに出展してメダルを取った代表作。
トマ・クチュールの名声は一気に高まり、エドゥアール・マネやアンリ・ファンタン=ラトゥールはクチュールの教え子です。
堕落しきったローマ人の様子からローマ帝国が滅びたのが理解できます。
右側には二人の男性が描かれ、その批判的な表情から、当時堕落したフランスの現状を表現しています。 -
この絵がいかに大きいか、人物と比較するとよくわかります。
-
イチオシ
去年、撮影禁止にも関わらず、無視して写す中国人が羨ましかった「地獄の門」
人がいなくなるのをしばらく待って写す。
【地獄の門】ロダン
1880年に国から発注され、ダンテの「神曲」に描かれた地獄の苦悩を表現した。 -
【舞踏(ダンス)】ジャン=バティスト・カルポー/1865〜1869年
ナポレオン3世時代を代表する彫刻家で、オペラ・ガルニエを飾るために造られた。
オペラ座にあるのは複製で、こちらがオリジナル -
【オーベック邸の造作と家具】1902-1904年/ヴィクトール・オルタ
アール・ヌーヴォー様式のダイニングルーム -
アール・ヌーヴォーの工芸品
-
【草上の昼食】エドゥアール・マネ/1863年
展示会の作品で非難が殺到し、落選展と呼ばれてマネの名を一躍有名にした問題作であった。当時、人物にぼかしを入れない平塗りで、立体感のない描き方は受け入れられなかった。
ネクタイをしめた男性と裸の女性が一緒に描かれ、素人目にも不自然に思う。 -
【オランピア】マネ/1863年
マネの代表作といわれ、巨匠ティツィアーノ作「ウルヴィーノのヴィーナス」の構図を取り入れた。オランピアは娼婦の通称であり、裸体の女性を描き、肉体を黒一色で縁取っていることも批判された。 -
【笛を吹く少年】マネ/1866年
浮世絵に影響を受けたマネは、地面や遠近法のない背景、平塗りと大胆なタッチで描き上げたが、不評となりサロンで落選した。
教科書で見て、よく分からないのに強く印象に残った絵、
3年通ってようやく会えた。
2014年のオルセー美術館展には行けなかったけど、写真も撮れたし、じっくり鑑賞できたので満足度は高い。 -
【すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ】マネ/1872年
フランスの女流画家モリゾはマネの友人であり、モデルも務めた。
1874年、モリゾはマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚した。 -
【蝶々捕り】ベルト・モリゾ/1874年
モリゾの代表作品の一つで、姉エドマの住むパリ近郊モンクールにてエドマと娘達を描いた。
バルビゾン派のジャン=バティスト・カミーユ・コローに学び、1864年23歳でサロン初入選した。
マネの影響を受け、モネやルノワール、ピサロと交友を重ねながら独自の様式を確立した。 -
【草上の昼食】モネ/ 1866年(初期の代表作)
どうやって写そうかと悩んでしまう大作は、切断されてこの形になった。
モデルはモネを支えた親友と、後に妻となったカミーユ。
若いモネは貧しくて、家賃を滞納したため大家に作品を没収された。
地下室に放置されたこの作品はカビが生えてしまい、モネ自身が切断せざるを得なかったらしい。 -
木漏れ日が射す森でピクニック・・・
のどかで癒される絵に、貧しいながらも幸せな若きモネが想像できます。 -
イチオシ
【庭の女たち】モネ/1866-1867年
実寸大の人物像を風景の中に置くことを実現した目を引く大きな作品。
自信作としてサロンに出展したものの、落選してしまいモネは落胆する。
太陽の光に強く拘って描いた女性の白いドレスが眩しい!
しばらく見つめては別の作品へ行き、また戻って鑑賞を繰り返し・・・
写真を撮り忘れるところでした。 -
【ゴーディベール夫人の肖像画】モネ/1868年
パトロンのゴーディベール氏の夫人を描いた肖像画
この絵が描かれた1868年は明治元年であり、江戸が東京と改められ、積極的に西洋文明が取り入れられた。
モネの描いた絨毯やカーテン、テーブル等から当時のブルジョワの暮らしが想像できる。 -
【リラの木、曇り】モネ/1872-1873年
1871年12月からパリ郊外のアルジャントゥイユに家族と移り住み、6年間で約170点の作品を描いた。 -
イチオシ
【アルジャントゥイユのひなげし】モネ/1873年
モネの妻カミーユと息子ジャンをモデルに描き、幸せな時代だった。
幸福は長続きせず、1875年カミーユは病に侵されていることが判明。
病魔に侵されながらも、1878年第2子ミシェルを出産した。貧困のなか闘病生活を送り、1879年9月5日幼い2児を遺して32歳の若さで亡くなった。 -
【アルジャントゥイユの橋】モネ/1874年
アルジャントゥイユで、川がある美しい風景に魅せられて描いた作品の一つ。 -
【サン・ラザール駅】モネ/1877年
-
【菊 Chrysanthemum】モネ/1878年
病気の妻を抱え、経済的・精神的に苦しい時期であり、1878年から高く売れる静物画を多く描いた。 -
【モントルグイユ街、1878年6月30日の祝日】モネ/1878年
第三共和制となったフランスで、3回目のパリ万博の成功を記念に催された初めて国民の祝日を祝う光景を、上階の建物から描いた。 -
【日傘の女:右向きと左向き】モネ/1886年
妻カミーユの死から7年後に描かれ、モデルは後に再婚するアリスの18歳の娘が務めた。
これ以後、人物画を描かなくなり、後妻のアリスをモデルにしたことは一度もない。
顔はぼんやりと描かれており、腰には思い出の赤いひなげしの花を添え、亡き妻カミーユへの想いが強く感じられる絵・・・
モネの心中を察すると胸が痛みます。 -
【積みわら(夏の終わり、朝の効果)】モネ/1890年
季節や天候などにより、刻々と変わる光を追い続けて30点以上の連作で描いた。 -
【睡蓮の池・緑のハーモニー】モネ/1899年
ジヴェルニーで購入した自宅兼アトリエに睡蓮の池を造り、1899年〜1900年頃にかけて「睡蓮の池」の制作に取り組み始めた。 -
【睡蓮の池・バラ色の調和】モネ/1900年
-
【ジヴェルニーの画家の庭】モネ/1900年
-
【ルーアン大聖堂】モネ/1892年
モネは1892年2月〜4月にルーアンに滞在し、ルーアン大聖堂の連作を手掛けた。
翌年の同じ時期にもルーアンを訪れ、ジヴェルニーに戻ってからはアトリエで制作を続けた。 -
【少女アルフォンジン】ルノワール/1879年
-
【田舎のダンス・都会のダンス】ルノワール/1883年
(写真はガイドブックのコピー)
二人の女性と交際をしていたルノワールは、お洒落な都会のダンス(右)のモデルではなく、太り気味の田舎のダンス(左)のモデル、アリーヌと結婚した。
都会のダンスのモデルは当時17歳の少女だったが、後に画家シュザンヌ・ヴァラドンという名で有名になり、ユトリロの母となった。
今回は、この2枚の作品と「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」が展示されておらず、せっかく撮影可能なのにホントに残念。 -
【授乳する母親】ルノワール/1886年
アリーヌ・シャリゴが息子ピエールに授乳をする場面を描いた。
この後、ルノワールは正式にアリーヌと結婚をします。
ルノワールは洗練された都会のダンスのモデルではなく、モンマルトルでお針子として働いていたアリーヌを妻に選び、生涯添い遂げたのです。
ほのぼのとした絵に癒されます。 -
【台所のテーブル】セザンヌ/1889年
-
【14歳の踊り子】ドガ/1880-1881年(1921-1931年鋳造)
ドガが製作した数多くの彫刻の中で生前に展示を望んだ唯一の作品でした。
オペラ座バレエ学校に在籍していた少女がモデルで、蝋製のオリジナルは、サテンのリボンでポニーテールに結んだ髪型で、本物の服を着せていたが、あまりにもリアルなため人々の激しい反発を呼んだ。
絵画「踊りの花形」は今年も観ることができず、残念です。 -
イチオシ
【床に鉋をかける人びと】カイユボット/1875年
カイユボットはブルジョワ階級に生まれ、法律学校を卒業した後、パリ国立美術学校へ入学した。
モネやルノワール、ピサロ、シスレー、セザンヌなど印象派の作品を買い上げ、友人を支えていた。
3年前に初めてこの作品を観た時、モネやルノワールの世界とは違い過ぎて、逆に印象に残りました。
男たちの働く姿が、上流階級出身のカイユボットには新鮮に映ったのでしょうか?
床を削る音が聞こえるような、とても力強い作品に見入ってしまいました。 -
14:40 この椅子に座ってみたけれど、座り心地はイマイチ!
体系が合ってないのかも? -
15:15 1Fのカフェコーナーで休憩
5Fのカフェ・カンパーナは長い行列だったので1階に下りると、やはりこちらも行列。
30分も並んで、やっと買えたサンドイッチと飲み物。
テイクアウトならすぐに買えるらしいけど、座りたいので辛抱しました。
この後、次男と別れて1時間後に出口で待ち合わせることにした。 -
1時間はあっという間なので、先ずゴッホから
【アルルの女(ジヌー夫人)】ゴッホ/1888年(アルル時代1888年2月〜1889年5月)
1888年2月南フランスのアルルに移り「ひまわり」や「夜のカフェテラス」などの名作を描いた。
ジヌーの夫はカフェを営んでおり、ゴッホは毎日そこで食事をしていた。 -
【ウジェーヌ・ボックの肖像】ゴッホ/1888年8〜9月
ウジェーヌ・ボックはベルギー出身の画家であり詩人。
父はロイヤル・ボック陶磁器社の創業者で、裕福な家庭に生まれ、ウジェーヌは才能のある画家たちを無償で支援した。
生前ゴッホの絵が一枚だけ売れた「赤いブドウ畑」を購入したのは実姉のアンナ・ボックであった。 -
【アルルの寝室】ゴッホ/1889年9月
1888年5月ポール・ゴーギャンと共同生活をするために「黄色い家」を借り、ゴーギャンの部屋を飾るために「ひまわり」の絵を何枚も描いた。
同年10月ゴーギャンと生活を始めたが、個性の強い二人はぶつかり、ゴッホはゴーギャンを脅すほど激しく興奮し「耳切り事件」を機に共同生活は2か月で破綻した。
1889年5月からはアルル近郊のサン・レミの精神病院に入院した。 -
【画家の肖像】ゴッホ/1889年9月
「私にはモデルに払うお金がない。もしそれがあれば人物像を描くことに没頭できるのだが」と手紙に書いている。
レンブラントと同様に自分自身をモデルとして数多く描いている。
耳切り事件以降は切断されていない左側から描いた。
サン・レミ時代からゴッホの特徴「うねり」が現れるようになる。
療養中、発作がない時は作品を描いたが、弟テオは形をねじ曲げて表現する「うねり」に危険を感じていた。
そして、これが最後の自画像となった。 -
【昼寝/午睡/ミレーを見て】ゴッホ/1889-1890年
ミレーの「昼寝」を模写した絵
ゴッホは生涯を通じてミレーを賛美し、ミレーの作品を模写し続けた。 -
【ガシェ医師の庭で】ゴッホ/1890年5月
1890年5月20日精神病院を退院
画家仲間のピサロの紹介で精神科医のポール・ガシェを頼り、終焉の地オーヴェール・シュル・オワーズに着いた。 -
【医師ガシェの肖像】ゴッホ/1890年6月
ゴッホを診察をした精神科医
ゴッホは自殺する1ヶ月前に描き、ガシェ医師に贈った。 -
【コードヴィルの藁葺き屋根の家】ゴッホ/1890年6月
ゴッホは、のどかで小さな村に魅せられ、数多くの風景画を描いていた。
弟テオに「オーヴェールはすごく美しい。古い藁葺き屋根の家がとりわけ美しい。」
と手紙を書いている。 -
【二人の少女】ゴッホ/1890年6月
-
【オーヴェール・シュル・オワーズの教会】ゴッホ/1890年6月
ゴッホはこの絵を描いた数週間後の7月27日に自ら銃を撃ち、2日後の29日37歳で亡くなった。
画家としての活動は、わずか10年と短いものだった。 -
【タヒチの女】ゴーギャン/1891年
1888年、ゴッホに誘われて、南仏アルルでの共同生活を始めるが、2ヶ月で破綻した。
テオからゴッホの死を知らされたゴーギャンは、直ぐに追悼の手紙を出している。
1891年4月、ゴッホと彼の弟テオが亡くなった後、ゴーギャンは楽園を夢見てタヒチに渡る。
ゴッホとゴーギャンの絵が同じ部屋に展示され、とても混雑していた。 -
【バルザック像】ロダン
ゴッホの部屋を出て、最後にミレーの部屋にもう一度行こうと思ったら、バルザック像が展示されいたので写す。 -
【小麦をふるう人】ミレー/1848年
ミレーは田舎に生まれ、控えめな農夫の生活風景を描き続けた。 -
【羊毛を紡ぐオーヴェルニュ地方の山羊飼いの少女】ミレー/1867年頃
-
【春】ミレー/1868-1873年
ミレーは農民の姿を描いた作品が多く、風景画は珍しい。
晩年の作品で、完成から2年後の1875年に60歳で亡くなります。
雨上がりの虹が温かい雰囲気で好きです。 -
16:35 1時半過ぎに入館してオルセー美術館を出ました。
思いがけず写真が撮れたオルセー美術館でしたが、途中休憩をしたので時間が足りませんでした。
パリ滞在中に、次は一人で行きたかったのですが、実現しませんでした。オルセー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
56