2015/09/23 - 2015/10/26
3669位(同エリア8987件中)
アーサーさん
ニューヨークからMs Eurodamに乗船し、10日間の航行でケベックに出て、レンタカーで1週間かけて秋の盛りをトロントに向かい、ナイアガラを見て 飛行機でワシントンに向かい 列車でフィラデルフィアを経由してニューヨークに再度着き ニューヨークを1週間堪能して帰国。
二人合わせて130歳を超える 老夫婦の34日間の旅行記。
既公開 A)出発までの準備編とニューヨーク到着・出航まで。
既公開 B)北米東部クルーズ編。(9月24日〜10月3日)
既公開 C)カナダ東部レンタカーの旅編、(10月3日〜10月10日)
既公開 D)カナダ余禄 トロント・ナイアガラ編 (10月10日〜10月14日)
既公開 E)ワシントンDC・フィラデルフィア編 (10月14日〜10月18日)
本編 F)ニューヨーク編(10月19日〜10月26日
と六分割して作成しました。
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(27)−1
10月19日(月)27日目
7時に起き、9時過ぎホテルを出る。タクシーでフィラデルフィア33Th駅へ向かう。10時39分発のアムトラック88torainニューヨーク行を予約していた。
駅で今回も赤帽に荷物を預け、構内で早い昼食を取る。ハンバーガーショップ(ウエンディーズ)。マックより美味しい。 -
(27)−2
時間が来て 赤帽さんに先導され、一般客より先にプラットフォーム入り、列車を待つ。不慣れな外国人旅行者にとって 案内してくれるだけでも チップ代に相応する。
(下車駅でも 赤帽さんが待っていてくれていて、タクシーに優先案内してくれる話を ネットで読んでいたが、私については それは無かった。実際 困りはしなかったが。) -
(27)−3
列車は到着が10分ほど遅れたが、順調に走り、ニュージャージー州から 遠くにマンハッタンの高層ビル群が見えてくる。線路周辺は 乱雑で未整備のように見受けられた。
列車は地下に潜り、トンネルをゆっくり時間をかけて走り、やはり10分遅れで 12時15分ペンシルバニア駅に着いた。 -
(27)−4
駅でタクシーに乗り換え、ソーホーのホテル「Courtyard New York Manhattan/Soho」に行く。
ホテルは小規模で 部屋も狭かったが スタッフの感じは良かった。
写真はホテル玄関。 -
(27)−5
国連見学(日本語ツアー2:15スタート)を予約していたので タクシーを使って国連本部に行く。途中 少し渋滞。
国連本部の見学者ゲートから入場し、かなりきちんとしたセキュリティチェックを受ける。(30分前集合の案内があったが、確かに見学者が多い場合は そういう事態も起こり得ると思った。) -
(27)−6
私の場合 スムーズに流れて時間が有ったので、地下の売店に行く。、軽く食べてそれから 国連グッズの土産物店や国連郵便局が有ったので覗く。
帰りに 郵便局でパスポートに 国連のスタンプを押してもらう。
(国連は一つの国と同等の扱い。) -
(27)−7
時間が来て 若い日本人職員が案内してくれる。
写真窓の下の「鐘つき堂」は 昔 日本が寄付したのだそうだ。
各所に 同じように各国が寄付したものが展示されていた。
館内には 他に日本語言語以外ののグループの人達もいて 結構多くの見学者達がいた。 -
(27)−8
最初に理事会議場ビルの「安全保障理事会室」を見学。
若い職員は 当たり前だが教科書通りの 優等生型説明。
熱意が有るのか、無いのか分らない。
少なくとも 先日の アメリカ「独立記念館」の説明者のような宣教者風では無かった。 -
(27)−9
壁面の色んなところに 説明用の資料掲示もされているが、絵画の類も多く掲示されていた。
その一つ 世界の色々な人達の絵。着物姿の日本女性が居て、伏し目。 -
(27)−10
テーマ中に 核軍縮のコーナーがあり、広島の原爆投下の惨状を表現するものとして 何かの溶融した残骸が展示されていた。
世界の人に分かって欲しいが これだけでは無理かもしれないとも感じた。 -
(27)−11
そして 別棟の「総会議事場」見学。
それから 地下に降りて 解散。約1時間の見学だった。 -
(27)−12
何かを期待して来た訳では無いが、観光用の見学を終えた気分がした。
国連の旗のもと、現地でご苦労されている方も沢山居るだろうけれど、ゆっくり倒産して行く会社の本社を見た気分がした。やることが一杯あっての言い訳ばかりが上手くなる本社機能。「国連中心の外交」のスローガンは 何もしないと同義語の疑いを持って考えなければいけないと思った。勿論「(意図を持った)なにもしない。」ことも誇るべき外交選択だが。
出口付近に掲示されていた、武力禁止のシンボル。(ちょっと 漫画チック) -
(27)−13
それから 歩いてグランドセントラル駅に行き、(途中、前月に宿泊したウェスティンホテルの前を通り) 窓口で地下鉄の7日券をクレジットで購入しようとした。クレジットはダメで ATMで現金を下してきて購入。それで地下鉄の7号線に乗ったら 逆方向で イーストリバーを超え、「Hunters Point 駅」まで行ってしまう。(失敗)
写真は そのHunters Point 駅を降りたところ。クイーンズエリアの雰囲気は マンハッタンと随分違う。 -
(27)−14
乗り換えて 7号線でタイムズスクエアに戻り、更に1,2,3号線に乗り換えて ダウンタウン方向の「Huston St駅」に行く積りで乗った。ところが電車は通り過して「Chmbers St駅」迄行ってしまう。「普通」と「快速」が地下鉄にあることを忘れていた。今度は「普通」で「Huston St駅」迄 戻る。
ちょっと苦労したが 一週間乗り放題の券のお蔭で気楽。(ミスも旅の内の気分。)
地下鉄の車内は 25年以上前に乗った記憶と較べ 普通に安心して乗れる感じ。 -
(27)−15
「Huston St駅」の周辺を歩き、「サブウエイ」で夕食のサンドウィッチを買い、ホテルに帰る。
駅周辺は小さい店もあり 便利そうな地域。
ホテルはネット接続が 無料。夜はネットを見て過ごす。 -
(28)−1
10月20日(火)28日目
8時半頃 ホテルを出て 地下鉄で50丁目駅へ。
本日は「ビッグバス」でダウンタウン地区とブルックリン地区を巡り、ニューヨークの概観を掴もうと思う。また エンパイアステートビルに登り、上からも眺めようとの計画。 -
(28)−2
ビッグバスの ブロードウエイの乗り場に付き、ワシントンDCで発行して貰ったレシートのようなものを見せ、9時15分頃(ダウンタウンツアー)に参加する。
バスは タイムズスクエアーの渋滞を抜け、5番街を南下する。 -
(28)−3
途中 薄っぺらい特徴があって 映像の記憶の残るビルも見かける。確かに薄っぺらい。 -
(28)−4
ちょっと 風が当たると寒いが、日本語のイヤーガイドで気分は快適。
二階席はほぼ満席。
(バスは中華街を走る。) -
(28)−5
マンハッタン島の南部(ロウアー)でブルックリン行のバスに乗り換える為降車する。10時発のバスは行ってしまった後だったので 付近を1時間弱 散策する。
写真は市庁舎前の公園で。 -
(28)−6
巨大な市庁舎は約200年前に建築されたそうで 今も現役で機能中だとか。 覗いてみたいと思ったが 市庁舎の入り方が分からず、(セキュリティが厳しそう。)入場は諦める。 -
(28)−7
ブルックリン橋が見え、歩いて行く人も見かける。少し歩いてみたい気もあったが バスの時間を考え諦める。 -
(28)−8
11時前にバスは来て、出発する。ブルックリン橋を通ると思っていたら、更に北上して チャイナタウンを通る。
写真は見かけた孔子像。 -
(28)−9
バスはマンハッタンブリッジを渡り、ブルックリンのダンボ地区に入る。 -
(28)−10
ノンストップで ゆっくりバスは走り、凱旋門のような所で ユータンして戻り始める。 -
(28)−11
ブルックリンは 緑も残った住宅街のイメージが強い。
橋付近に戻れば マンハッタンの延長のような高層ビルが多く、開発が進行中だが。 -
(28)−12
再び マンハッタンブリッジを渡る。
(バスの進行方向の左側に乗った為、 ブリッジから 高層ビル群の写真を撮るのには 不適だった。右側に座り 行く時に撮った方が 綺麗に撮れると思う。) -
(28)−13
ブルックリン橋の下を通って、元の乗車地点に戻る。約1時間強の気楽なツアー。
川の向こうに見えるのが ブルックリンエリア。 -
(28)−14
バスを降り、トイレを兼ね、近くの「dunkin donuts」へ入る。
そこで 軽いランチを取る。 -
(28)−15
それから 「ビッグバス」の北行に乗る。途中 ウオール街の雄牛像を見掛け 写真に撮る。 -
(28)−16
バスには元気な黒人のガイドさんが乗車していて 楽しく説明してくれている。私は 無視して日本語オーディオの説明を聞いていたら ちょっと肩をたたかれ 指さす方向に 「自由の女神像」があった。親切な人だった。 -
(28)−17
途中 9・11のメモリアル公園も見かける。 -
(28)−18
新名所らしい「ハイライン」空中庭園も見かける。 -
(28)−19
もう一度 13時過ぎ ブロードウェイで 南行のバスに乗り換え、エンパイア・ステートビルを目指す。 -
(28)−20
エンパイア・ステートビルの玄関から入り、面倒なセキュリティゾーンを抜け、エレベーターも一度乗り換えて 展望台に向かう。(入場にはシティパスを利用) -
(28)−21
展望台に出ると 360度 見晴らしは良い。 -
(28)−22
逆光だが 先ほど 巡っていた 「ロウアー部分」「ブルックリン」も見える。 -
(28)−23
明日行く予定の「アッパー」部分も、ニュージャージー州の側も見えた。 -
(28)−24
ニューヨークの マンハッタン島の上からの概観は理解できた。
(やっぱり 摩天楼と言われただけ 実際見ると 凄い光景。)
鳩?が一羽 目の前でとまっていた。ここは 86階で地上300メータを超えているはずだが。 -
(28)−25
エンパイア・ステートビルの前から 再度南行のビッグバスに乗ろうとして、トラブル。それまで4度運転手に ワシントンDCで発行してくれたレシートの様なものを見せ、問題は無かった。ところが 今回の運転手は乗車はダメだと言う。路上のビッグバスの係り員も加わって「降りろ。」と言う。「コンボ切符」だと言うことは理解しているようだが 期限切れでダメとの主張のようだ。
大人げないし、ほぼ 利用できたこともあって 私は下車した。(私は英語で上手い主張も出来ない。)
アメリカ人の中には 自分の主張が正しいと思ったら お客さんだろうと実力行為も辞さない勢いで 押し通して来ることを経験した。
それで ソーホーの商品店街に行くのは諦めて地下鉄で ホテルに戻った。
地下駅でストリートミュージシャンを見かける。結構上手い人達。 -
(28)−26
ホテル近くのスーパーで夕食を買って帰る。そこそこ美味い。(朝食の食材もいれて 約30ドル。3600円。やっぱり為替レートがおかしい。)
今晩もネットを見て過ごす。 -
(29)−1
10月21日(水)29日目
朝 地下鉄で 昨日と同じ「50丁目駅」に行き、待ち合わせ場所のヒルトンホテルに向かう。9時30分頃 そこで「ハーレム・ゴスペルツアー」の方々とお会いする。ツアーコンダクターの松尾さんの自己紹介が有り、地下鉄で「125丁目駅」まで先導して貰う。
写真は 10時頃のハーレムメインストリート(125St)
(ここで気づくが 私のコンパクトカメラに電池パックが入っていない。充電した時、戻すのをすっかり忘れていた。仕方が無いので スマフォで代替え。) -
(29)−2
松尾さんは ハーレムに10数年 在住だとかで ハーレムをよくご存じ。
通りでも数人の黒人の方から 親しく声を掛けられていた。
松尾さんと一緒の為か ちょっと心配していた「恐怖」は一切ない。普通の街の印象の方がずーっと強い。 -
(29)−3
シャッターアートも むしろ数少ない。
松尾さんの話によると メイン通り以外はそうでもなくて、「薬」の密売が続いているらしいが。 -
(29)−4
Lenox Ave.のところで曲り、ゴスペル会場の教会に向かう。
写真は途中見かけた別の教会。 -
(29)−5
老齢の自分も「ゴスペル」で救われた経験を持つ男性が 何かを語り、それから厳しい指導をしながら 合唱が始まる。そして 教会内が一体化もして 観客席も唱和する人が現われる。
約1時間を超え その音量、迫力は凄い。
多分神への賛歌だろうが、感動の余り 歌いながら 涙ぐむ女性も。
(ARC麻薬中毒リハビリセンター主催) -
(29)−6
合唱が終わって 振り返って見上げると 2階にも観光客らしい人達がいた。
ただ 私の横に座っていた黒人男性は中座して出て行き、帰って来なかった。救いを求めに来て 中座する。それも 現実。 -
(29)−7
黒人解放運動の指導者で暗殺された「マルコムX」の名前の付いた通りや、下院議員として 黒人の地位向上に尽くした「A.C.パウエルJr」の像など、この街には黒人運動の名残が残っていた。
確かに、法的な黒人差別は皆無と言って良いレベルまで達しているだろう。それはアメリカ社会の誇るべきことだけれど、一方で黒人の多くの人が豊かでないのも事実。
表通りの店の看板には 世界的に著名なチェーン店が掲げられているが、一種のアウトレットのようなディスカウント店。購買力が無い為 この街の物価は1割安いそうだ。 -
(29)−8
ランチはデリー形式の「マナズ」でソウルフーズ(黒人伝統食)を食べる。私にはごった煮の感じで違和感は無い。価格はジュースが付いて15.54ドル。ニュヨークでは 確かに安いと思った。 -
(29)−9
地下鉄駅125STに戻り、「クロイスターズ美術館」に行こうと思って、アップタウン方面側のプラットフォームに行った。やって来た電車の行先を確認せずに乗った為、Aラインに乗る必要があったのに BCラインに乗ってしまう。
引き返すBCラインの地下鉄に乗り 時間ロスをしたので 美術館は諦めて そのまま「アメリカ自然史博物館」に行くことにする。
博物館は プラネタリウムショーが面白いと聞いていたが、入口が分からず見学できず。ビッグバーンや、ブラックホールの説明展示もあったが 文系の私には 疲れただけ。写真を撮る気もしないで 引き上げる。
(写真はハーレムの交差点。)ここから 地下鉄に乗った。 -
(29)−10
ガイドの松尾さんから 話を聞いていたので 地下鉄のABCラインから1,2,3号線に乗り換える時 59丁目の「コロンバス・サークル駅」で駅の外に出てみる。
駅に隣接した「タイム・ワーナー・センター 」は世界の最先端各地で見られるモダンなモール街と同じ感じのビル。
(「トイレは日本の方が綺麗で豪華だった。」と妻の弁) -
(29)−11
外の塔の上に コロンブスの像が立っているらしいが 私はよく分からなかった。
地階に「ホールフーズ」を見かけたので 夕食を買いに行く。
大きな店で 楽しく買い物もできたが、チェックアウトの時 ミスをした。
カラー別の列が有り、右側から順番にレジ指定ナンバーの放送がされ、レジに進む。聞き間違えて 間違ったレジに行き 正しいと思われるレジに行ったら係りの人は居なかった。それで レジの空いた隣の係りの人に頼んだ。チェックアウトはやってくれたが、軽蔑の眼差し。結構 ニューヨークは生きていくのが大変。 -
(29)−12
一旦 5時頃ホテルに帰り、夕食を取って 少し眠る。それから 6時半過ぎ ホテルを出て 夜のエンパイアからの光景を見に出かける。
ブラブラして7時半頃到着する。また セキュリティゾーンを通り、最後の入場切符の係りの人から 冷たく このサービス切符は 8時から入場可能の切符ですと告げられ入場できず。(座って待つところもなく、一度ビル外に出て、もう一度最初からやり直し。)
写真はエンパイア・ステートビルの玄関の銘板。(今回の旅行で この前を何度通っただろう?) -
(29)−13
そして 再びセキュリティリティゾーンを通り、係りの人から たぶん「ご協力有難う。」の意味で 「シェシェ。」と言われた。思わず 抗議の「ありがとう。」と言い直した。
冷静に考えれば、私も ドイツ人やフランス人に 英語で「サンキュー」と言っているから 偉そうなことは言えないのは分かっている。また、オランダ人とベルギー人とルクセンブルク人の区別は付かずに、ベネルクス3国とか勝手に言っている。日本人、中国人、韓国人の区別を要求しても 彼らが出来るわけがないのは 自らを省みれば 当然のこと。まして 中国人観光客は圧倒的な数。
展望台に出て 夜景を見る。少し寒い。 -
(29)−14
ニューヨークは光り輝くが 私の疲れは溜まっている。
(振り返れば 東洋人の ヨボヨボの豊かではなさそうな老人の 属性だけを晒して 私は旅を続けている訳だから 疲れもする。) -
(29)−15
それから 夜のタイムズスクエアーも見て、10時前にホテルに帰る。
ニューヨークでも 偶にホームレスの人を見かける。その中に 自分のことを「私はホームレスです。」と断言するサインボードを付けた人も見る。その自己主張が凄いなぁと思う。私には到底出来ない。 -
(30)−1
10月22日(木)30日目
9時過ぎにホテルを出て、1号線でタイムズスクエアーへ行き (途中から快速を使い)、7号線でグランドセントラルへ出て、乗り換えをして4・5・6号線の快速で86丁目駅に到着。(順調)地下鉄の乗り換えも大分慣れてきた。
86丁目駅から高級マンションの連立する街並みを抜け、「セントラルパーク」へ行く。富裕層の感じの人が犬連れで散歩をする姿をよく見かける。犬もお金が掛かっていそう。
写真は「セントラルパーク」 -
(30)−2
それからメトロポリタン美術館へ。
写真は美術館正面玄関。 -
(30)−3
案内所で 日本語のパンフレットを貰い、2階のヨーロッパ絵画へ。 -
(30)−4
約25年前に 一度見たはずだが もう一度新鮮な驚きの連続。
「ゴーギャン」 -
(30)−5
ピカソ。 -
(30)−6
子供達が 寝転がって 模写していた。
アメリカの子供達の幸せを感じる。 -
(30)−7
ドガ。 -
(30)−8
オリエント文化等も 駆け足で見て -
(30)−9
アジア美術の日本を見て -
(30)−10
日本文化が大切に扱われていることに満足をして、 -
(38)−10
当然 中国文化の凄さも確認して -
(38)ー11
12時過ぎ1階へ降りる。更に地下の食堂に行こうとして 地下の職員用のカフェテリアに間違えて入る。慌てて戻ろうとして 出会ったスタッフの方に わざわざ地下を短縮したルートで案内してもらう。美術館の地下を端から端の裏方が見られて感激。
昼飯は、思い切り お皿に取り32ドル。 -
(32)−12
それから 1時頃に 1階のロバート・リーマン・コレクションから見始める。
リーマンの元社長のコレクションらしいが 逸品揃い。 -
(32)−13
1階も広すぎて、きちんと見られない。エジプト・ギリシャ・ローマ文化等をざっと見て 2時過ぎに美術館を出る。
今まで世界各地の美術館を見て回ったが 、広いだけでなく、一番内容も充実している感じがした。
(写真は「武器・甲冑」の分類で展示されていた 日本のもの。時代が近世の為か、工芸性は世界に比して負けていないと思った。
甲冑の配置には 少し違和感。狭いのはやむを得ないとしても 等間隔ではない。) -
(32)−14
それから地下鉄で タイムズスクエア駅に行き、2時40分頃からTKTSの列に並ぶ。
既に 券を求める多くの客の列が出来ていた。(もう一方の側にも同じ列が出来ている。) -
(32)−15
広場の周りは 巨大な画面の広告塔で囲まれている。中国観光局の映像宣伝もある。
広告を見ながら待っていると 3時過ぎに列がゆっくり動き始める。途中の電光掲示板を見ると チケットは大体半額ぐらい。
3時半ごろ「キンキブーツ」のチケットを手に入れる。一人75ドル。(第一購入希望の「アラジン」はなかった。窓口は親切なやり取り。) -
(35)−16
ホテルに帰り、途中 近くのスーパーで 夕飯を買う。
ネットで「キンキブーツ」のあらすじを もう一度確認して 頭に入れる。
5時過ぎに眠り、5時45分に起きて、地下鉄で劇場へ。
(ホテルが 都心に近いと便利。) -
(35)ー17
さすが ブロードウエイは 午後6時を過ぎても 人通りも多く、華やか。 -
(35)−18
上演される劇場「Al Hirschfeld Theatre」は外れの すこし暗いところに在った。 -
(35)−19
席は 前方の左の端。そう大きな劇場でなかったので 問題なく見えた。
ストーリはともかく やはり歌とダンスは 上手い。音楽には日頃から疎い私にも分かった。 -
(35)−20
幕間に トイレのついでに 2階席を見てくると、満席。結構奥が深い劇場。黒人の観客は チラホラのレベル。女性用トイレの前には多くの待つ人の列。 -
(35)−21
10時前に終演し、満足して地下鉄の駅へ。
途中で お腹も空いたので「WASABI」の看板に引かれて、寄る。 -
(35)−22
「わさび」は明るい店で 遅い時間帯だが 多くの客が居る。簡単に寿司を食べて帰る。(9.74ドル)寿司飯が 北米に来てはじめて ちょっとまともな感じ。 -
(31)−1
10月23日(金)31日目
本日は まず マンハッタン島を船で巡る計画。
ホテルのフロントに「サークルライン」の時間を尋ねたら、ネットで調べてくれて 9時過ぎに ホテルを出かける。
「タイムズスクエア駅」で歩く方向を間違え、時間もなく そこからタクシーで船着き場に行く。
窓口で ニュヨ−クシティパスを見せ、追加10ドルを払い、マンハッタン全周コースを選択する。船の2階に上がると 後方の甲板の席はほぼ満席に近い。昨夜の劇場と同じで 乗客に黒人は少ない。皆無に近い。 -
(31)−2
10時過ぎに出航。
船の進行方向の右側に座ったので 人影が写り、写真が撮りずらい。
(後で 知ったが甲板の船べり、及び後部には 別枠の 写真が撮り易い席が設けられていた。多分特別料金だろうけれど。) -
(31)−3
私も 写真機のシャッターを押す時だけ 立ち上がって写真を撮る。 -
(31)−4
船はリバティ島に近付き 自由の女神を撮る。
この時は 私の席の方が写真を撮るのに有利な位置になる。 -
(31)−5
船はまた マンハッタン島へ戻り、ローアー地区の高層ビル街が見えてくる。 -
(31)−6
かなり奇抜なデザインのビルも見える。 -
(31)−7
それから ブルックリン橋の下をくぐり。 -
(31)−8
先日 バスで橋を渡ったマンハッタン橋を潜り抜け 北上して行く。 -
(31)ー9
そして 先日見学した国連本部ビルや クライスラービルも見えてくる。
秋だけれど 日差しが強く 船室に戻る人も見かける。 -
(31)−10
ルーズベルト島を超え、ドライボ・ブリッジが見える辺りで ユーターンして 船は戻り始める。 -
(13)−11
帰りは ほぼ同じコースを 船は航行する。
「クイーンズ ボロ・ブリッッジ」のところで 橋に沿ってロープウェイが運行されていて写す。
後で 調べたら マンハッタンとルーズベルト島を結ぶ通勤の足だそうです。当たり前ですが 観光用では無かった。
この辺りから 病院の看板の掛かる ホテルのような巨大な建物を見かける。病院ビジネスが 日本とは異なる業相で存在しているのかもしれないと思った。 -
(13)−12
もう一度 マンハッタン橋をくぐる。この辺りから 甲板に留まる人は少なくなってくる。
海岸線を見ていると、埋め立てで出来たような所もある。
マンハッタンは島の上に成立した都市。島の周辺海岸部の標高差は海上とそんなに無いのが分かる。湾になっているから 津波の危険性は少ないが 想定外の高潮などの潮位の変化には 耐えれるだろうが 一旦防潮堤を超えたら 面倒なことになりそう。ぼんやりそんなことを考えた。 -
(13)−13
そして ブルックリン橋を再びくぐり、 -
(13)−14
島の南端のフェリーターミナルに船が対岸から着岸する風景も見て、
(後ろに見えているのが ブルックリン橋。) -
(13)−15
明日 乗船予定の「バッテリー・パーク」の埠頭も見て、船は北進を続ける。 -
(13)−16
北進していた船は 「ジョージ・ワシントン橋」が遠望できるところで引き返す。
一応 ニュヨーク マンハッタン島の概観は ここ数日の旅で 私の頭に入ったのかなぁと思う。 -
(13)−17
船は乗船した「サークルライン」の乗り場まで戻る。2時間半の航海時間。
風も出て白人達も寒がっている様子。みんな最後はだらける。(写真を撮る人は少なくなってきた。) -
(13)−18
船を降りて、多くの乗客が市バスに乗ろうとしていた。私も追随して バスで42Stを西に向かい、グランド・セントラル駅で地下鉄に乗ろうと考えた。
バスは 15分近く待ってやっと來る。 -
(13)−19
一週間乗り放題の券を持っているので バスにも簡単に乗れた。ただ 道は渋滞していて なかなか進まない。バスレーンの区分のあるところからは一気に走り始めたが。 -
(13)−20
それから 地下鉄で 96丁目駅に行き、セントラルパーク沿いに 戻り「グッゲンハイム美術館」に行く。(昨日と同じ86丁目駅の方が 地下鉄駅としては美術館に近かったが。)
セントラルパーク公園の紅葉も大分進んできていた。 -
(13)−21
美術館はかなり 建物デザインの変わった建物。 -
(13)ー22
館内の一部に 20世紀のピカソなどの作品はあるが、多くは現代の抽象画に近い作品が展示され 私には分からない。螺旋スロープを降りながら 絵画を見学する.
足元が安定せず それも私には不快。写真撮影は不可だった。
(エレベーターを降りたところで 気付かずに私は写真を撮ったが この景色の写真も不可らしく 他の人が もっと下のスロープで撮っていて注意をされていた。)ランチを取るような所もなし。
ちょっと 私には合っていなくて 時間の無駄だった。 -
(13)−23
それから 昨日と同じ86丁目駅から地下鉄に乗り、ユニオンスクエアへ行く。
地下駅を登り 「ホールフーズ」の店を見掛けて 先に遅いランチを食べる。ユニオンスクエアの公園を見下しながら食べられた。
食後、ユニオンスクエア・グリーンマーケットの露店を見学。(公園の向こう側にテント張の店が並ぶ。)価格は安い。私はリンゴとパンを買った。
それから ホテルに帰る為 バスに乗ったが 間違えて西行きに乗ってしまい、途中で気付き、東行きに乗り換える。バスの中から17Stには安売りのスーパーも見かけた。 -
(13)−24
先日 分からず困ったので ホールフーズのレジ待ちの列の並び方と呼び出し方法について、写真に撮る。
分かれば実に簡単。まず 自分がどの色の列に並んでいるか確認。(矢印の地色で示された色)次に前の電光表示板に レジ番号が右から左に表示されて消えていく。現在標示されているのは黄色の地色に76番。黄色の列の先頭の人は76番レジに行けば レジ清算を出来る。各レジには行燈のような番号表示がされている。それだけの話。 -
(13)−35
6時前に ホテルに戻ると ホテルの前の道は家路に帰る車の列で 大渋滞中。
歩くよりも遅いスピードで車は進んでいる。金曜日の夕方がいつもこうなのかどうなのかは知らないが、20時過ぎに煙草を吸いに外に出た時 少しは流れ始めていた。
近くでイベントでもあるのか 多くの人が歩道に出ていた。
金曜の夜は ちょっと違った一面も見せるニューヨークだった。
(ホテルの周辺のビルの 上階は事務所ビルなのか 日本の雑居ビルのように 人の出入りが 狭い出入口で吸いこまれ、吐き出されていた。何を生業としている人達だろうと疑問を持った。) -
(32)−1
10月24日(土)32日目
本日は 「自由の女神」見学とエリス島の「Hard Hat Tour」に参加し、「9・11メモリアル」を見学する予定。
朝 8時20分にホテルを出て、地下鉄駅に行くが 列車運休中だとか。仕方が無いので タクシーで「バッテリーパーク」へ。
公園では「自由の女神」に扮した 案内の人が 船の乗り場を教えてくれる。 -
(32)−2
ツアーの予約券を持っていたが、とにかく9時発のクルーズ乗船の列に並べと言うことで 並び 船に乗る。土曜日の為か積み残し客も多く その後にも臨時の船が接岸しようとしていた。 -
(32)−3
まもなく 「自由の女神」像が見えてくる。
アメリカを象徴する雄姿。 -
(32)−4
アメリカにとって「自由」の概念は 歴史に裏打ちされた特別なものだろうと思う。
日本人にとっては 和をもって貴しとなす。の「和」かなと思った。 -
(32)−5
秋のリバティ島から マンハッタンを臨む。
ニューヨークの人々には 「自由の女神」はもっと特別のものなのかもしれない。
身近な「守護神」。 -
(32)−6
台座周辺を 散策し、カフェでお茶を飲んだ。世界各地からの観光客は 段々増えて来て行楽地の賑わいを呈する。 -
(32)−7
10時50分にリバティ島を離れ、エリス島に向かう。
(実は 7月に予約した時、女神像の冠ツアーに参加する積りで 間違えてエリス島のHard Hat Tourに申し込んでしまった。エリス島のことは何にも知らないのに。)
ウキィペディアによれば
19世紀後半から60年あまりのあいだ、ヨーロッパからの移民は必ずこの島からアメリカへ入国した。移民たちによって『希望の島』(Island of Hope)または『嘆きの島』(Island of Tears)と呼ばれてきた。約1200万人から1700万人にのぼる移民がエリス島を通過し、アメリカ人の5人に2人が、エリス島を通ってきた移民を祖先にもつと言われている -
(32)−8
南北戦争(1861年〜1865年)が終わり、西部開発時代(1865年〜1890年)も終わり、史上最高の繁栄を迎えたアメリカが「移民管理」の為に この島に「移民局」を設置したとか。
だから 単なる通過の儀式が行われただけの場所とも言えるが、そこで多くのドラマがあったのも事実だろう。現在は博物館として公開されている。
(写真は「移民局」現在は博物館の全景。) -
(32)−9
大きな建物の内部は 多くの移民を審査・受け入れた 当時のままの空間が残っていた。 -
(32)−10
当時の 入国管理の様子や、移民教育等が展示されている。日本語の案内イヤフォンを聞きながら巡る。
一等船室の切符保持者は ほぼフリーパス。
所持金の少ない者 結核などの患者等、独身単独女性等は 入国を保留・拒否されたようだ。
更にウキィペディアによれば
「一方、移民希望者の2%ほどは入国を認められず本国へ送り返され、家族が生き別れになることからエリス島は“嘆きの島(Island of Tears)”とも呼ばれた。」
「長期間エリス島に隔離された3000人以上の移民がエリス島で抑留中に死亡した。」 -
(32)−11
館内には 当時の模型等も展示され 多くのアメリカ人が じっくり見学をしていた。 -
(32)−12
建物内部の階段。
約1時間 博物館を見学し、12時20分 1階のツアー集合場所に行く。
(事前に参加者の概要記入の用紙を渡され、記入していた。) -
(32)−13
時間になり ツアーが開始される。約10名の参加者。
敷地の反対側に見える病院部分を中心としたツアーのようだ。
(ツアーの真面目そうな男性引率者だが 私は殆んど言っていることは分からない。それで 別段支障はなかった。) -
(32)−14
移民局が閉鎖されて約60年。無人の病棟。遠目には それほど痛んでいる様には見えないが。 -
(32)−15
中庭は 手入れが行き届かないのか 少し荒れた感じ。
2012年にニューヨークを襲ったハリケーンの影響もあるそうだ。 -
(32)−16
ヘルメット被り、病院の中に入る。各病棟を繋ぐ 長い通路。内装材が剥がれむき出しの 壁面や天井。床面。ちょっとギョッとする。 -
(32)−17
硝子は壊れ、廃墟のよう。 -
(32)−18
その中に 割れたガラスに張られた 子供の写真の残り。
笑っている風にも見えるのが生々しい。 -
(32)−19
暗い 部屋の壁の一角に残された 列を作る人物像。
写真はフラッシュを焚いて写した。実際は薄暗い中で 人物がかすかに見える。壁に溶け込んだように。 -
(32)−20
手術室や死体安置所も通り、厨房へ行く。
そこで 残されたダクトを利用して(船底に見立てた)船の逆さの絵が壁面にあった。(ちょっと 違和感があり、当時描かれたものでは ないだろうと思った。) -
(32)−21
階段に描かれた 人の列にはこちらに話しかけてくるような人物像もある。 -
(32)−22
同じく 外の風景と無彩色の影絵の動かない人物像。焼き付けれた残像の感じ。 -
(32)−23
朽ちた洗濯機や水栓の後ろに描かれた 手術着の医師たち。
亡霊の様。 -
(32)−24
日本に帰り、調べてみると
「フランス人アーティストJR氏によるインスタレーション作品が公開されている。
?インスタレーションでは、等身大サイズに引き延ばされた当時のモノクロ写真」
廃墟を利用した「ゴースト展」だそうだ。 -
(32)−25
病棟からは 「自由の女神」がくっきり見える。(当時も同じように見えたはず。)
此処まで来て 諦めざるを得なかった人、亡くなった人の思いが この病棟には まだ残っているのかもしれない。 -
(32)−26
反対側には 摩天楼も見える。殆んどの移民は ここから夢と希望を持って 勇躍して出航して行ったのであろう。
そして その子孫たちが 今アメリカでアメリカ人として生きている。 -
(32)−27
約2時間のツアーは終わり、また船で「バッテリーパーク」へ戻る。
頭上には カモメが二羽飛んでいた。
現在も「自由」と「豊かさ」を求めて アメリカに移民を夢見る人々は居るだろうけれど それの適う人は段々少なくなっていっているように思う。
たった 一週間ほどの滞在だけれど 私も ニューヨークの 矛盾、未完成の部分がかいま見えたような気がする。私が20代、30代ならば果敢に挑戦してみたいと思わせる 魔力がニューヨークには 確かに有った。それは今も「自由」が醸し出す土壌なのかもしれない。残念ながら私はもう それほど若くは無いが。 -
(32)−28
15時半頃 港近くの ウオール街の証券取引所を見て、それから 9・11メモリアル・センターに行く。
ウオール街はもっと大きなところで、取引所もどでかい所と思っていたが 小さな所と知り驚く。コンピュータ化した現在 益々 人の集う場所は別の場所に変わっているのかもしれない。 -
(32)−29
メモリアルセンターの池では 水が絶え間なく吸い込まれていて 悲しみの表現には相応しく、追悼の意を自然に抱く。 -
(32)−30
それから9・11博物館へ入場するため かなり長い列に並ぶ。
周囲を眺めれば 復興の新しいビルの建築が進んでいる。
すぐ横に「ワン・ワールド・トレードセンター」がかつての世界貿易センターよりも高く聳えている。でもなんか無機質な感じ。
死者の霊は 復興を喜んでもいるだろうが。 -
(32)-31
30分程並び 17時前に博物館の中に入る。館内は 当時の様子の再現がされていて、思い出し、アメリカ人の受けた悲しみの大きさも分かる。
広島の原爆資料館と似ていると思った。ただ 広島の慰霊碑の碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれているけれど ここでは 碑文の後半の部分が違っているように思われた。
写真は 博物館の地下の巨大な「倒壊した世界貿易センタービルの基礎空間」 -
(32)−32
もう一つの鎮魂の池の 死者の名前が刻まれた所に 小さい星条旗と花が飾られていた。
世界でもう二度と このような鎮魂の池を作らなくて済むようにと祈って 後にした。 -
(32)−33
地下鉄駅の「チェーンバーズSt駅」に行く途中 「ホールフーズ」の店があったので 立ち寄り、食事をする。周囲のテーブルで食べている人を見ると 土曜日の夕方だけれども 一人で食べている人が多い。孤独に見える人達。
それから 日本へのお土産を店内で ちょっと買って、地下鉄で帰る。
夜 子供達にメールをする。「一応 この旅行で計画したことは こなした。まとめはこれからだが。明日ニューヨークを発ちます。」と -
(33)−1
10月25日(日)33日目
起きたらニューヨークは別れの雨。静かな日曜の朝。9時半前にチェックアウト。タクシーでケネディ空港へ行く。ドライバーは真面目そうなバングラディッシュ出身の若い人。アメリカに来てあまり時間は立っていないそうだ。車内でバングラディッシュの音楽をずっと流していた。降りる時 頑張れよ、とチップを多めに渡す。喜んでいた。
出国手続きはスムーズ。
(写真は 雨のソーホー。) -
(33)ー2
ゲートには 予定より早く着く。
それで ラウンジにどっしりと腰を下し、日本の雑誌やネットの接続をして時間を潰す。(JAL便だが エアフランスのラウンジを利用している。)
食事の後片づけを 制服姿の黒人女性がしてくれた。
50年近く前、20歳の時 始めてアメリカに行った。レストランで椅子に座っている私に ウエイトレス姿の白人女性が 料理を出したり 片づけたりしてくれた。白人が私にサービスをしてくれることが ショックに近い驚きだった。代金を払っているのだから 当たり前だが。私にとってはあり得ない光景だった。
占領下で育ち 何となく 白人は街の警察の上に君臨する存在との潜在意識が自分の中に出来ていた。
その旅の経験以来 そんな意識は払拭され 対価を払えば それなりに白人も使えられることが普通に思えるようになった。 -
(33)−3
それともう一つ 50年前に気付いたのは チェーン店の玩具・雑貨・電気製品に並んでいる商品に日本製が多いこと。値段も手頃で日本のお土産にと手に取ったものに 「MADE IN JAPAN」と書かれたものが多くあった。ラスベガスでは1ドル400円でしか替えてくれなかった。日本は資源輸入国で 円に力が無いのは仕方が無いと 教えられていた。その通りだが どうもアメリカの棚に並んでいる商品を見ると 「MADE IN JAPAN」の方が安くて優れている。輸出入の流通コストも掛かっているはずだのに 日本の価格と比して安く感じる商品もある。何かがおかしいと疑問を持った。
現在の空港ターミナル免税品店街に見るものもない。格安感を感じない。120円を超える為替レートの所為もある。そんな経済のルールの疑問は今も解けていない。なぜ短期間に 80円以下になったり、120円以上になるのか?何かがおかしいと思い続けている。
時間になり ゲートの待合室に移動する。JL005便の待合室には多くの日本人がいた。年老いた人も 若い人も。 -
(33)−4
待合室のガラスの向こうに搭乗機のJL005便が見える。やっと帰れる思いと もう帰ってしまうのかとの思いは いつものように交錯する。 -
(33)−5
JL005便の飛行機の中は ほぼ満席。
帰りは プレミアムエコノミー席。二人席。
機内映画で 「カクテル」(1988年アメリカ映画 トム・クルーズ主演)を見る。映画の中で「パークアベニュー」などが出てきて 懐かしい。良き時代のアメリカの夢物語。
飛行機の中で 少し眠る。 -
10月26日(日)34日目
(34)−1
無事に 定刻16時35分 成田空港に着。
翌日 フェイスブックに掲載し、友人たちに取りあえずの報告をした。
昨夜 一カ月余の アメリカ・カナダの旅を終え、大過なく無事に日本に帰ってきました。70歳近い老人には異国の旅は難行・苦行の場でもありました。(途中 息子からのメール返信では 自分で勝手なことをやっていて それはないだろう。との冷めた論評が有りましたが。)
彼の国は「移民の国」あらためてそう思いました。
いつものように 帰国時は「愛国者」になり、日本の道路の狭さに驚嘆し、町の光の暗さに目を疑い、勝手な幻想を持っていた自分を恥じます。間違いなく この地で私達は生きてきました。
明日からまた ゆっくり 元の生活に戻ります -
10月26日(日)34日目
(34)−1
数日後 娘に会った時、私は次のように話した。
アメリカ人は 個々には 日本人と較べて普通以下と思えるが、ある規模の集団になると 日本人の集団を凌駕している。直接的には リーダーの問題のように見えるが 私は 集団意思決定の「プロセス」の問題だと思う。「移民」で混成された彼等には「プロセス」を鍛える歴史があった。
娘からは 半分は同意の返事が有った。
写真は 夕刻の気配の成田から 家路に帰る人々。
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この旅行記へのコメント (2)
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- wakupaku2さん 2016/02/26 00:56:06
- 素晴らしい旅行記ですね。
- 初めまして。
てるみくらぶのダナン旅行どうかな?と検索してアーサーさんの旅行記を発見。アメリカ編を見せて頂きました。長旅を計画されるってすごいです。
私は計画途中でくじけそうになり、行って疲れ果て、を繰り返しですが、また、こりずに詰込み旅行をしています。
たくさん旅行されてますね。
今後とも、旅行記を参考にさせて頂きます。
- アーサーさん からの返信 2016/02/27 18:21:53
- イラン・中東へは いつの日にか行ってみたい。
- 夢を持っていれば いつの日にか実現すると思っています。ゆっくり 焦らず 情報を集めてみます。
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