2015/09/23 - 2015/10/26
18位(同エリア117件中)
アーサーさん
ニューヨークからMs Eurodamに乗船し、10日間の航行でケベックに出て、レンタカーで1週間かけて秋の盛りをトロントに向かい、ナイアガラを見て 飛行機でワシントンに向かい 列車でフェラデルフィアを経由してニューヨークに再度着き ニューヨークを1週間堪能して帰国。
二人合わせて130歳を超える 老夫婦の34日間の旅行記。
既公開 A)出発までの準備編とニューヨーク到着・出航まで。
既公開 B)北米東部クルーズ編。
本編 C)カナダ東部レンタカーの旅編、(10月3日〜10月10日)
続いて D)アメリカ東部旅編
と四分割して作成しました。(作成する予定。)
写真は オタワに向かう道で。紅葉の波が 延々と水平に広がる。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
(12)−3
10月4日(日)12日目
朝 9時前にハーツの営業所に着いたので 先客は一組しかいない。 早速 昨日の男性係員の方がカウンターで対応してくれる。
まず 契約関係の作成。保険は事前申し込み通りの フルカバーで確認する。燃料補充の条件は少し損をするかもしれないが 満杯返却条件を外してもらう。 小さい字で細かく書かれ よく分からないが サインをする。
それから 外に出て 車を確認する。ニッサンのAltimaを選択してくれていた。
5年前 英国で ベンツのA型を借りたことがあった。その給油の時 運転席付近を必死になって探しても 給油口を開けるレバーがなくて冷や汗をかいた経験をした。(もともとレバーは無く、妻が外から手で簡単に開けられた。)
そんな経験もしていたので 担当の方に 細かく操作スイッチ類を確認した。そして最後にナビゲーションシステムのチェックをしようと 日本で作成してきたUSBを見せた。担当の方は USB利用のことは知らないらしく 怪訝な顔をして 機器の周りを探す。差込口を見つけ、USBを差し込んでくれる。さぁこれでいいだろうという顔をして立ち去ろうとする。
実際 お客が増えて来て 待っている人も多そう。普通の借り出し時の説明対応以上にしてくれたと思ったので お礼を言って わかれる。
写真は お世話になった ニッサン アルティマ 2015年車。
どっしりしていて 乗り心地は良かった。
(私は 普段から車のことにあまり関心が無い。Altimaの事も知らなかった。帰って調べると ブルーバードの後継車で北米を中心に販売されていて 日本国内ではあまり販売していないとか。) -
12)−4
日本からコピーしてきたハーツの「日本語操作説明書」を取出して見る。
まず 車のエンジンを掛け、ナビゲーションシステムを起動させる。
日本語バージョンにしようと 説明書記載の「INFo」ボタンを探すが 画面にはどこにもない。ウッ?仕方が無いので 英語のまま使うかと思う。次に説明書の「USB Flash Drive」を探すがこれも出てこない。ちょと焦って 色々と 触ってみるが 目的のものに行きつかない。日本で何度もシュミュレーションしてきた画面が出てこない。
英語の検索入力画面は分かったので 英国ドライブの時のように また面倒でも 入力し直すかと諦め掛かかる。それでも 触り回ってやっと分ってきた。
(写真の画面はメインメニューの初期画面) -
(12)ー5
日本語ナビ変更は 画面の外の 歯車の様な形状の「ツール」マークを押すと 「言語」の選択欄が現われ 後は日本語を選択すれば使える。分かれば簡単。
エンジンを切ると また英語に戻ってしまい 継続して日本語を使える方法は最後まで分からなかったが 取りあえず音声は日本語になった。 -
(12)ー6
行先登録を呼び出すのは
メインメニュー画面で 「Travel Guiide」画面を選択し、それから「My Favorites」画面に行き、更に -
(12)−7
「USB Flash Drive」を選択すれば 日本で作った 行先別のデーターが出て来る。 -
(12)−8
最後に よく分からない質問が出て来るが もう一度USBを指し直せば使えた。
見慣れた 私の作成データが 画面に出て来て ホッとした。
本日最初の運転目的地は「イースタン・タウンシップス」のマゴグエリアにある「サン・ブノワ・デュ・ラック修道院」走行距離約300キロ。紅葉が美しいはず。
此処は左ハンドルエリアと気を取り直して 出発した。 -
(12)−9
営業所を出て 目指す高速へのインターチェエンジの方向へ右折しようとした。 一方通行に気付き、左折する。ところがナビの反応が遅く 考え込んでしまう。アンサーが無くて 暫くは道なりに走る。(このケースが 日本のナビと較べて多かった。)
その時を含めて 地理の分からない外国の道路では ナビの案内に信頼を寄せ、案内の再開を待つ。私が間違った後の修正時などにも 焦らずに案内が復活するまで そのまま走らせた。
また 曲りを指示するタイミングが 日本と微妙に違う。慣れるのに時間が必要だった。
(市街地など 分岐・合流・曲がる時など 妻は画面に齧りつき 私にナビの指示を伝えてくれる。それでも 実際はタイミングが遅れて 間違うことがあった。)
市街地の走行から始まったが たまたま日曜日の朝で 交通量が少なくて助かった。
道路は広く 交通量も少ない ケベックの新市街。綺麗な郊外の住宅街が続く。 -
(12)ー10
カナダの交通標識は 事前に頭に入れて来ていた。
その中で どうもはっきり分からないうちの一つだった 赤信号が左右で 二つ点灯している信号に出くわす。(勿論普通は一つしかない。)
よく分からないが ともかく停止して 青になって進んだ。
運転者のマナーも想像以上に良くて 年寄りの不慣れの運転を許容してくれている。車線変更ラインもゆっくり取っていて 運転はしやすい。 -
(12)ー11
セントローレンス川を渡り 本格的な高速道路「20号」(モントリオール行)に入り 順調に走る。 油断していると120キロのスピードを簡単に超えてしまっている。
走っていて トイレに行きたくなり ちょっと困る。日本の様なサービスエリアが無いことは知っていたが どうするのだろうと迷う。一旦高速外の道に出て ファーストフードか 喫茶店かでも探すかと考えていた。(高速代も無料なので。)
すると 道路標示に深緑色の地色の案内看板が時々あり それかと気づく。
写真は 高速道路に付随した側道で ここにトイレなどがあった。 -
(12)−12
トイレと小さな売店の小屋があり、そこを利用させてもらう。 -
(12)−13
そのエリアには 小さな雑木林も付帯していて 自然の中で一休みできるようになっていた。子供や飼い犬も利用できて いい感じ。 -
(12)−14
20号からイースタン・タウンシップス方面行きの55号に分岐する時 側道へのタイミングを遅らせてしまい 道を間違える。対面通行の一応高速仕様らしき道で カーナビはユータンして下さいと言う。車は余り走っていない田舎道だが 80キロ位の速度で車は走っている。 どうしようかと迷ったが ナビは言い続けるので 思い切って ユータン実施。人生で初めて 高速道路でのユータン。緊張した。二度とやりたくない経験。
それから 55号でも パトカーが稀にスピ−ド違反を摘発していた。それなりに注意して走っていたが 突然後方でサイレンが鳴り バックミラーを見るとパトカーが赤色灯を回しながら迫ってくる。あっやられたと思い 咄嗟にスピードを落とす。するとパトカーは傍を通り抜けて行った。緊急出動があったみたい。驚いた。
写真は 55号沿いの 案内所とマックが有った所。結構 休めるところは随所にあり、案内所には 係りの人がいて 交通、観光案内サービスと充実していた。 -
(12)−15
この辺りでも よく左右点灯の信号を見かける。前の車と同じように 停車したが やっぱりよく分からない。(ケベック市を離れると段々少なくなってきたが。) -
(12)−16
やっと 1時頃に サン・ブノワ・デュ・ラック修道院に着いた。(実際は予定の2時間半ぐらいの走行で到着。)
日曜日なのでか 訪れる人が一杯で駐車スペースも満杯。遠く離れた路上に置きに行く。果物の収穫期なのか リンゴや野菜が仮設小屋で販売され 買い求める人も多し。 -
(12)−17
修道院の内部は モザイク模様の回廊がモダンだった。 -
(12)−18
ベネディクト派の現役の修道院で 簡素だが張りつめたものを感じる。
地下の大きなショップでは チーズ等の加工品が販売されていて 買い求める人が多い。私も日本へのお土産にチョコレートを買った。 -
(12)−19
修道院は宗教施設で 観光施設ではありませんよと言う具合に 広い庭園も半分ぐらいは入れない感じ。紅葉もまだのようだった。
(宗教施設から 遠いエリアは開放されていて 家族連れがピクニックをしていた。) -
(12)−19
木によっては 紅葉が始まり これが全ての木に広がれば 美しいだろうということは想像できた。 -
(12)−20
修道院の周辺は広い農村地帯。湖水も点在し、美しい環境。その中を少しドライブする。イギリスの湖水地域より素朴な感じ。
車の旅は 自由に気の向くままに車を走らせたいが 異国ではそうもいかない。
年齢的にも 夜間の走行は避けたくて 明るいうちに宿泊予定地に着きたい。 早々に出発する。 -
(12)ー21
もう一度 高速10号(55号は 途中でモントリオール行きの10号道路となっていた。)に戻り、モントリオールを目指す。10号は モントリオールに近ずくにつれ 走行車両も増えて行った。それ以上に道路が拡充・整備され 運転はし易い。
不安だった セントローレンス川周辺の高速道路のインターセクションの乗り移り連続も ナビの指示で余裕でこなす。市街に入り、気を緩めて 道を誤る。旧市街らしき所を余計に走るが 4時前に 無事目的のホテルに着く。(本日走行距離約440キロ。)
駐車はホテルの有料の地下駐車場を利用する。裏通りの もっと安い路上駐車の手もあったことを後で気づいたが チップを払って車の収納、出発用意をしてもらう。
写真は 宿泊した「ホテル10」の外観。 -
(12)−22
ホテルで一旦落ち着いた後
散策がてら コヨーテさんも行かれて、地球の歩き方にも掲載されていた「Schwartz's」を探して行く。通りはカルティエ・ラタンにも近いのか若い人の姿を見かける。教えて貰いながら歩き、お目当ての肉屋の前に着く。1926年創業でユダヤ移民が広めたスモークミートの老舗だとか。満席のテーブルが偶々空き、一個だけサンドウィッチを注文する。
はっきり言って 店は狭くて汚い。前の席では年老いた中国人夫婦と中年の息子が 仲良く お皿を分け合っていた。そういうシーンに相応しい店。
出てきたサンドウィッチに挟まれたスモークミートの量は多量。注文を二人で一個にしておいて正解。そして肉は美味い。でも 24ドル。(2400円)高過ぎ。日本からこのサンドイッチを食べに来るかと思ったら まぁ来ない。旅の愛嬌と思い店を出る。
それから 翌朝用に ベーグルの店も探したが 離れていそうなので諦め ホテルに戻る。 -
(12)−23
ホテルの部屋は広いが スタイリッシュすぎて 年寄りには落ち着かない。
ホテルの前で煙草を吸っている時 交差点の信号が赤になって 車道に出て小銭をせびる若い男性の姿を見掛ける。歩いてた夕刻も 物乞いの多いところだなぁと気づく。今までのカナダとは違っている。(人々は相変わらず親切だが。)都会に来たと言うことかと思う。
明日のことも考え 早く眠る。 -
(12)−24
念のため 日本で走行を計画し、その地図をコピーして持ってきていた。(春の旅行の時、GPSが上手く受信できない経験もしていたので。今回の旅でも 歩行観光用にスマフォに地図データーを落とし MAPMEを入れていたが 時々「現在位置」の表示に時間が掛かることもあった。)
現代だから簡単に地図情報を利用できて コピーもできる。
(写真は持参していた ケベック市のハーツ営業所から修道院までの走行計画) -
(12)−25
写真の概略走行計画図以外に 間違いやすいと思われたところは 拡大して 詳細を別にコピーしていた。
それから ホテルの駐車場などは「ストリートビュー」で確認して 入口などのポインとは 写真データーに取り込み 準備をしていた。結果的に カーナビが上手く機能して使うことは無かったが 年寄りの気休めにはなった。
それで 走行が終了する毎に 気分よく紙資料は捨てて行った。
(写真は本日後半の修道所からホテルまでの 走行概略計画図) -
(13)−1
10月5日(月)13日目
今日は 午前中徒歩でモントリオール市内を巡る予定。
まず 旧市街部に行く。出勤のビジネスマンに交じり歩く。
新市街は大きな街で 大きなビルが並ぶ。国際会議場の辺りを超えると 街は一気に昔の風情を漂わす。旧市街に入ったのが分かる。
旧市街にも 自転車の貸し出しステーションがあったので写す。今回の旅の至る所で この種の自転車のステーションがあった。(妻が自転車に慣れていなくて 観光には 残念ながら使えなかった。)実際 モントリオールは自転車がよく走っていた。 -
(13)−2
最初に モントリオール観光の目玉とか言われる ノートルダム大聖堂に行く。 -
(13)−3
19世紀建設で新しいが 祭壇も巨大。青色が現代風。 -
(13)−4
そして 巨大なパイプオルガン。
植民地で莫大な富の集積が有ったと言うことだろうか? -
(13)−5
祭壇に近づき 暫し見上げる。
朝も早いが 周囲に観光客も多い。 -
(13)−6
遠いカナダの地に移住して来て 本国への思いも強かったのだろうか?
優しそうでリアルなマリア像。 -
(13)−7
それから 歴史を感じさせる近くの「モントリオール市庁舎」に行く。(約100年前に修復されたとか。) -
(13)−8
内部を覗くと まだ現役みたいで市議会場は使用されていた。日本も見習わなければいけないと思った。(100年前建造で現在も使われている 議場は日本にどれだけ残っているのだろうと思い、) -
(13)−9
モントリオールは上海市と姉妹都市なのか 上海市の名前の入った トピアリー風の植栽物の造形が市庁舎の玄関に飾られていた。 -
(13)−10
市庁舎の前の木々はかなり色づいていた。秋めいた風景。 -
(13)−10
市庁舎から 坂を下がって港湾部に行く。
モントリオールにクルーズで来る計画もあったなぁと思い出し。 -
(13)−11
それから 18世紀に建てられた「ノートルダム・ド・ボンスクール教会」に行くが 月曜日で休み。隣のドーム屋根の目立つ「ボンスクール・マーケット」(19世紀建造)に入る。 -
(13)−12
マーケットの中は開店直後で まだ全てのテナントは営業を開始していない。人通りも少ない。陳列された商品にも購買意欲がわかない。 -
(13)−13
ホテルのチェックアウト時間が12時の為 そろそろホテルに向かって歩き始める。
途中 昨日車で通った高速道路の上を歩いた。
補助道路を除いても 片側4車線で広く、車の数も 日本の感覚では少ない。 -
(13)-⑭
ついでに中華街(チャイナタウン)に寄る。 -
(13)−15
店に入り 饅頭を注文して 外のテーブルで食べる。(商品表示が漢字で書かれている為 指さし注文が可能。)
行き交う人は殆んどが東洋人、店の看板を見ながら慎重に選ぶ姿が多い。
饅頭は400円払った割には美味しくなかった。皮の部分が大きすぎる。
孫文を祀る廟が近くにあった。 -
(13)−16
ホテルに帰る道 結構怪しげな店が並ぶ所があった。夜は敬遠したいゾーン。カナダも都会は「猥雑」なところを含むのも分かった。
写真は その内の一軒を道の反対側から写す。 -
(13)−17
11時半過ぎ ホテルをチェックアウトし、ホテルの前で給油をする。ガソリンはそれほど減ってはいなかったが 読んだブログでカナダはガソリンスタンドが少なくメーターが半分になったら給油した方が良いとアドバイスが有ったので参考にした。
ガソリンスタンドはセルフ方式で まず最初にクレジットカードを入れようとして カードが入らない。どこに入れたらよいのか分からず 前の男性客に尋ねた。親切な人で 後もいろいろ教えてくれて給油完了。(カードを入れるところは違うが後は日本と同じ。)無事に車を出発させる。
私の走った ケベックからトロントの間ではガソリンスタンドは結構あった。タンク量の三分の一を切ったら 給油するぐらいの感覚で充分だと思った。
写真は(後日)給油中の私。 -
(13)ー18
車で直ぐ近い「モン・ロワヤル公園」の展望台を目指す。10分程で広い駐車場に着き、あとは徒歩で展望台(標高約230メーター)に行く。
公園は ニューヨークのセントラル・パークを手掛けた造園建築家が設計したとかで 市民が多く訪れ ジョキングで丘を登る人の姿も見かける。健康的な都市のイメージ。 -
(13)−19
展望台からは 遠くにセントローレンス川の流れをバックにして モントリオール全域が見える。結構大きな街 カナダ第2の都市であることが分かる。
丘の上の方では紅葉も始まっている。 -
(13)−20
丘の公園のなかでは 花が咲いたように紅葉した木も散見された。 -
(13)−21
公園の道端では 多くのリスが餌を求めて活動している。私は珍しくて写真を撮ったりしたが カナダの人は平然としてあまり注意を持たない。
(それから カナダ、アメリカ、を旅して一杯リスに出会い 私も少し慣れてしまった。) -
(13)−21
それから 丘のふもとの「聖ジョセフ礼拝堂」に寄る。 -
(13)−22
礼拝堂は巨大で 内部のエスカレーターを何度も折り返して登って行く。それなりの参拝者の数。 -
(13)−23
1942年から1960年に建てられたものらしいが、ちょっと新興宗教風な感じがする。
威圧感のほうを感じる。 -
(13)−24
現代の エレベーターやエスカレーターも用意され 説明書の巡礼の地のイメージとは違っていた。
ステッキや松葉づえ等 奇跡が起きて不要になった展示物が多量に飾られていたが 昔日本のお寺の境内にも 有ったなぁと思いだした。
裏の 参詣者向けの くたびれた食堂で食べた暖かいトマトスープの方がピタッと来た。
キリスト教にも色々あるなぁというのが正直な感想。 -
(13)−25
それから モン・トランブラン方面に向かって出発。本日の宿は Auberge de La Tour du Lac。15号で北西に走り モン・トランブランの途中にある 湖水に面したホテル。走行予定100キロ余の予定。
左ハンドル運転は 二日目ぐらいで 何となく慣れる。(車線表示のない田舎道で ちょっと間違えそうになったが )
方向指示のウインカーはハンドルの左側に付いていて これは最後まで右側を動かして 予期せずワイパ−が作動して驚くことを繰り返す。(それほど実害は無いが。)
モントリオールの市街地から高速の15号に乗る時 高速で入口には番号が表示されているのに 間違えて並走してしまい入れない。しつこくナビの指示を待って ナビに従って走り やっと高速に乗れた。 -
(13)−26
高速に乗ってしまえば あとは緊張もなく楽な運転が続く。
欧米で自動運転のニーズが高く研究も進んでいるのが分かる気分。
山の方は 紅葉が進み黄色く色づいている様にも見えるが 曇り空でクリアーではない。 -
(13)−26
もともと 日本の各旅行社の カナダの紅葉が素晴らしいとの宣伝に乗せらた。では「行ってみようとか」の気になっていた。
調べてみたら 例年紅葉のピークシーズンは9月下旬みたい。私のカナダ旅行期間は 9月30日のシャロットタウン訪問から10月13日までのナイアガラ旅行迄。その期間ではどちらかと言うと 遅すぎる恐れを持っていた。ブログで カナダの東部を一定期間かけて 旅をしていれば どこかで遭遇できる可能性が強いとのコメントを読んだ。 それもそうだと思って 出発していた。
旅の途中から ネットでカナダの紅葉の進み具合をチェックしていた。恐れと逆にニュースが少なく明らかに 紅葉は遅れている様だった。
それで 標高のあるモン・トランブランの山間部での 紅葉との遭遇に期待を膨らませていた。
走行している今の所は 標高も上がり 紅葉はしていているようだが 曇天でぼやけている。 -
(13)−26
高速を降り、ホテルのある湖水エリアに入ると 車を止めて 景色でも楽しもうかとの気になってくる。 -
(13)−27
まぁ 立派な住宅の赤く色づいた木には堂々の感じはするが 背後の曇天は やはりいただけない。 -
(13)−28
ホテルの前の湖水にも 曇天は残念ながら 気持ちを暗くする。まぁそれが自然現象だと思い直してみるが。 -
(13)−29
到着したホテルは 個人経営らしきレストランの後ろのスペースに 宿泊部分を併設したようなこじんまりしたところ。(全室で10室?)
計画の途中で このホテルは モン・トランブランの湖水からは随分離れ 大手ホテルチェーンの価格よりも高いことを知る。ホームページを見たら、二泊の場合は夕食付のプランが有り、エクスペディアからのメールにも それと解釈できる一文が有り(With Dinner)ホテルに確認のメールを送った。夕食付の回答があり それで 選択していた。
私の部屋は二階で 階段を登らざるを得ず ちょっと荷物を上げるのが大変。 -
(13)−30
部屋の中に ドーンとジャクジーがあり 驚く。シャワー部分はドアの外に。
リゾートエリアのホテルの為か パブリックのサウナや水槽のような温水プールが 誰も使わないのに 温められているのが 窓の下に見えた。
(どうも 宿の主人の個人趣味で どんどん工作して増やしていったような気もしたが。) -
(13)−31
空調設備と別に 部屋の中に 暖炉が有り お手軽なセットで マッチで点火できる。 火があると気分も緩む。古来からの遺伝子の所為か贅沢な気分になる。 -
(13)−32
1人一泊二食付で 8000円を切っているので 食事は期待していなかった。 予約時間になり、レストランのテーブルに座る。一応、それぞれ選択が出来て 前菜・スープ・口直し・主菜・デザートと フルコースのメニュー。
出された料理の数々は 個人経営なので 手は掛かっていないが ここがフランス文化圏であることを改めて知る内容。
(写真は 私が選んだテリーヌの前菜) -
(13)ー33
主菜も肉料理で 量も充分。(田舎風だが 不味くは無い。)
ここはレストランで 店には宿泊客以外に 地元風の来店客も増えて來る。繁盛店。(地元の人同士はフランス語で話しあっている。)
お腹が一杯になり 部屋に帰り 満足して眠る。
明日はいよいよ モン・トランブランの山。 -
10月6日(火)14日目
(14)−1
朝食はコンチネンタルで部屋に用意していると書かれていた。
朝起きて 冷蔵庫の用意されたバスケットを取出し、コーヒーを入れて朝食をとる。フランスパンも美味しかった。
それから 出発しようと 持ち物のチェックしていてカード入れが無いことに気づき 慌てて探すがない。一騒動の後 ベッドの下の角の所で見つけて安心。
此処は 部屋が狭くは無いが 色々とあり、床に落ちたカード入れを 無意識に足で蹴り込んだみたい。クレジットカード紛失時の連絡先などの準備はしていたが使わなくて幸い。 -
(14)−2
ホテルの人にコインランドリーの場所を聞き まず洗濯に車で向かう。
湖畔のリゾートの街は静か。(夏シーズンはもっと訪れる人が増えるのかなと思った。) -
(14)−3
やってきた コインランドリーの店。
コインの両替え方法などを 居合わせた隣りの男性客に教えて貰い洗濯。 -
(14)−4
洗濯の待ち時間が出来たので 静かなリゾート地を散策。
寒さを感じていたので 手袋を買う為1ドルショップ(カナダドル100円)に入る。
冗談の気分で入ったが 日本の100円ショップとほぼ同じ。見慣れた商品も並び手袋もあった。
中国製、多分工場出荷原価は30円ぐらいだろうが 30円で出荷できる 中国の工場生産実力に参った。こんな辺鄙な街の店にまで 世界の工場の役割を果たしている。
たかが手袋とあなどるのは簡単だが 「量は質を変える。」可能性もある。正しく恐るべし中国と思った。 -
(14)−5
湖畔は やはり曇天で 風も冷たい。
先程 妻がコインランドリーの場所を尋ねに 近くの医療機関のような受付に行った時 対応してくれた若い女性が 妻の英語は理解できたようだが 場所の答えを英語で出来ない。対応可能な人のところまで案内してくれて3人目でやっと答えてくれたと話していた。想像以上にフランス文化が生活に残っている。これも考える材料かなぁと 湖畔をブラブラしながら思った。 -
(14)−6
洗濯も終わり、それから高速で43キロ先のモン・トランブランへ向かう。
紅葉はしているが冴えない。 -
(14)−7
駐車場に車を止め ゴンドラ乗り場に向かう。
たまたま 駐車場の無料の部分があり、そこに停めようとしていたカナダ人に尋ねたら 有料の表示が無いだろうと言われ 私もそうする。
街は 冬スポーツ用のリゾートの雰囲気。 -
(14)−8
切符を買い、ゴンドラへ。ウイークデイで それほど乗る観光客はいない。 -
(14)−9
登るにつれ
木は紅葉の赤みを増していく。
若い中国人らしきグループが歩いて登っているのが ゴンドラの中から見える。 -
(14)−10
ゴンドラが上がって行き 視界も広がって行く。 -
(14)−11
更に上がって行き 紅葉の色も増すが 曇天で 写真にも上手く撮れない。
私の写真の腕が悪いのか?コンパクトカメラの性能が悪いのか? -
(14)−12
それなりに(写真以上に)実際の風景は雄大で 一面紅葉して 凄いと思う。 -
(14)−13
山頂の駅に着く。
ゴンドラ到着駅付近は 針葉樹林帯に変わり 紅葉は 見られなくなる。
ここは シーズンになればスキー場。
降り立つと流石に寒い。標高875メーターで高くは無いが。
周辺には スキー用のリフトや 整備されたトレイルの案内看板、救護所などを見かけた。 -
(14)−14
山頂の食堂でランチをとる。(16ドル、高い。山の値段。)
食堂で 現地駐在員の方か 日本人家族の方を見かける。子供さんも小さくて大変そう。 -
(14)−15
山頂の見晴らし台から 写した写真。
食事をして 雲の切れ目を待ったが 状況は変わらず。諦めて下山する。 -
(14)−16
下山のゴンドラから。 -
(14)−17
全山紅葉の雰囲気は頭で理解した。多分 燃え立つ紅葉はもっと綺麗だろうとは思ったが。 -
(14)−18
近場の視線では 紅葉の美しさは分かるが。 -
(14)−19
ゴンドラを降り、時間もあったので無料のリフトに乗る。
思いがけず
防風の仕切りもないリフトなので 屋根の上を空中遊泳している感じ。風を顔に受け ピーターパンにでもなった気分。 -
(14)−20
下に見える 街の風景も 角度が異なる分 紅葉している感じがよく分かる。 -
(14)−21
ちょっと嬉しくて 帰りもリフトに乗った。 -
(14)−22
それから お土産屋さん等が並ぶ リゾート基地をブラブラして車に戻る。 -
(14)ー23
時間もあったので 宿への帰り道は高速道路使わずに 一般道路を紅葉を求めて走らせる。 -
(14)−24
山の道には 湖水も広がり、別荘地のような家も散見される。寒くなると大変だろうが 春から秋までは素晴らしい所と思った。
4時過ぎ 宿に向かって出発。 -
(14)−25
本日の夕食も昨日以上に美味しく 地場産物も豊かに提供され 満足する。
(翌朝の精算時 8%のサービス料を加算されたが 納得できた。)
明日はカナダの首都 オタワに向かう。走行予定距離230キロ。 -
10月7日(水)15日目
(15)−1
出発時 雨の振り出しそうな空模様。今日もダメかと落胆。
高速の15号に乗り、昨日のモン・トランブラン近くまで行き、323号で西南に向かう。
高速道路に走行する車は少ない。 -
(15)−2
323号に無事分岐して 山の田舎道を走る。片側1車線だけれど 制限スピ−ド90キロ。(住居エリアは勿論違うが。)
途中青空も見えてくる。 -
(15)−3
途中 公設のトイレ休憩所もあり 使用した。
(車の後ろの建物。)
日本と同じ 農産物の即売会の様な建物もあり、立ち寄ったがお休み。 -
(15)−4
また 村の公園の様な所もあり 一休み。
カナダには湖水が多い。
残念ながら このエリアの本格的な紅葉シーズンは未だみたい。 -
(15)−5
多分323号を走っているのであろうが 順調に車は走る。
空の青空は広がって行くのに紅葉は奔りの様子。
妻に言われて気づくが 日本の紅葉は丘陵山岳地帯で縦方向に見ることが多い。カナダの紅葉は 平原をずーと続くみたいに 水平に広がる。 -
(15)−6
もっと広い幹線の50号に合流し、オタワに向かう。
オタワに近ずくと走行車両も増えていく。 -
(15)−7
順調に走り 時間もあるので 計画はしていた「ガティノー公園」に行くことにする。オタワ市民の身近な公園で紅葉も綺麗らしいので。
それで幹線の50号を離れ 交通量の少ない5号に乗って 暫くして公園の入口に着く。
写真は入口の駐車場で。 -
(15)−8
駐車場の概略図をみても 途轍もなく広い。(361k?で東京23区の約半分とか。)
カーナビの入力にも自信が無かったので 概略図のMeech Lakeの奥の駐車場まで行くことにする。 -
(15)−9
ここの紅葉はまだ始まったばかりの様だった。 -
(15)−10
約15分後 目指した駐車場に着き、湖の畔を散策する。風が穏やかに吹き抜けて心地良い。
朝食の残りのパンなどを食べ ピクニック気分。
シャワー等の水浴の設備があり、夏場は泳ぎにも訪れるのだろうと思った。 -
(15)−11
首都オタワからから車で30分程の所に こんな自然一杯の公園があるのも贅沢な話と 羨ましかった。 -
(15)−12
帰り道 湖畔の高台に 別荘の様な家が有り 雰囲気を醸し出している。車を止めて写す。 -
(15)−13
オタワに着き 時間も早かったので ホテルに寄り チェックインを済まし、荷物は部屋に取り込む。それから またオタワ市の車での観光を続ける。
その際 ホテルの玄関の駐車スペースを 無料で一時的に使用できる「VALET」を始めて利用。ホテルのベルボーイに断って駐車する。チップはいるが便利。これが無いと 有料の地下公営駐車場まで車を置きに行き、車を取り出しにまた行かないといけない。(オタワのホテル名はマリオット。) -
(15)−14
最初に オタワ川沿いの「カナダ戦争博物館」へ見学に行く。随分大きな展示場で力を入れているのが分かる。国家の歴史が浅く 敢えて統一の意識熟成の為に 強調しているとかとさえ思う。 -
(15)−15
当然 第2次世界戦争も扱われていて 戦勝国カナダの活躍と勝利が描かれている。
一角に日本の残虐さの写真も 小さく掲示されていて 日本人の私は頭を下げざるを得ない。
(偶々かも知れないが 訪れた時 中国の観光客を乗せた大型バス6台が 駐車場に停車中。なぜ 戦争博物館にも?と疑問に思う。) -
(15)−16
始めて コイン駐車スタンドを使う。 硬貨を入れたら可能駐車時間が明示された。
後ろの原っぱでは 多量の大きな鳥が群れを作って歩いていた。 -
(15)−17
それから 食料を仕入れに街中の「バイワード・マーケット」に行き、広いショッピングセンターを散策する。途中 日本人の学生らしきグループに会い、安い店を教えて貰う。
写真は季節感のあるテナントの店先。
行き会った人に教えて貰い マーケット内の路上駐車は 発券機に硬貨を投入してカードを発行して 車の内側にカードを提示しておいた。 -
(15)−18
一旦 ホテルに帰り、地下駐車場に車を止め、それから 観光案内所に歩いて行く。クローズ時間の5時に間に合わず、案内所前の国会議事堂の写真だけ撮って、引き揚げる。オタワの中心オフィス街を散策して ゆっくりホテルに帰る。
夕刻の為か 寂しい街。首都の中心でもあるのに ホームレスらしき人を散見。
(ただ この地のホームレスの人は 何故か 切迫感を感じさせない。) -
(15)−19
ホテルの部屋は 多分クレードアップしてくれたのか 物凄くゆったりしている。
部屋で 買ってきたピザなどを食べて夕食とする。
そして 風呂に入っていて転倒する。バスタブ底部に緩い傾斜が左右にあり、いつもの滑り止もなく、石鹸液で滑り易くもなっていて 注意はしていた。体を方向転換をしようとしてバランスを崩す。掴まる所もなく 大きく転倒。転倒でバスカーテンの留め金が外れた。最後の一つの輪っかだけが残り、カーテンがクッション代わりとなって 大事には至らず。
海外旅行は危険と隣り合わせと言うことを思い知る。 -
10月8日(木)16日目
(16)−1
朝9時頃 国会議事堂の方に歩いていたら ヒットラー姿の中国の習近平国家主席を戯画化したプラカードを掲げた東洋系の男性が歩いていた。議事堂の中国人観光客が集まるところで また見かけた。(アメリカでも「法輪功」弾圧反対の人々を見かける。)
私が見かけるのだから 中国の観光客の人達は気付いているはず。どう感じているのだろうと思った。 -
(16)−2
観光案内所で 9時50分からの議事堂見学英語ツアーのチケットが取れて 議事堂に行く。 -
(16)−3
時間になり
空港並みのセキュリティチェックを受け 議事堂へ。 -
(16)−4
説明者の英語は殆んど分からず。ただ 説明者の身振りのジェスチャーが 休むこともなくリズミカルに続くのに 感心する。 -
(16)−5
国会図書館?資料室?圧倒される膨大さ。
美術、工芸品としては評価する気になるが 実用的にはどうかなぁと皮肉に思えた。 -
(16)−6
そして 階段のロビーの所に 英国王室の肖像画。
何をどう説明しているのか分からないが、違和感を持つ。
18世紀北米植民地戦争以来の 英・仏対立の中で 両文化が並立している姿を見てきたものには あれっという気がする。私は英語の見学ツアーだ。
が、もう一方のフランス語のツアーも ここで立ち止まって同じような説明を聞いているのだろうか?英国勝利の歴史事実として聞いているのだろうか?
独立国カナダの議会内の肖像画を。 -
(16)−7
一際大きいビクトリア女王の肖像画。
武力で勝っても フランス語を カトリックの宗教を フランスの生活文化を容認したイギリスの懐の深さにも 老獪に守るべき一線が有ったのだろうか?
台湾を 朝鮮を併合し 表向きは後進性を理由に 独自の文化をを尊重せず、日本文化を押しつけまくって失敗した遺伝子を持つ私には 英国の懐の深さも 守るべき一線もよく分からなかった。 -
(16)−8
更に イギリス王室の華麗な席だけが 今も残る現役の議場を見学し 約1時間のツアーは終わった。 -
(16)−9
そして議会センタータワーの「ピースタワー」をエレベーターで昇り オタワの街を眺望する。下はオタワ川。 -
(16)−10
昨日訪れたガティノー方向。 -
(16)−11
下に降りて、「リドー運河」の辺りを歩く。 -
(16)−12
運河の下から見上げると 船が一段一段とゆっくり降りて来ている。
(運河は1832年に作られたとか、現役で 高低差を乗り越えて船が行き来する。珍しくて見ていたが ゆっくりすぎて最後まで見られず。) -
(16)−14
オタワ川の川岸から 先ほどの国会議事堂タワーを写す。 -
(16)−15
それから ダウンタウン方向に戻り、昨日の「バイワード・マーケット」に近い喫茶店でランチを食べる。東洋人の店の人で こまやかで親切。 -
(16)−16
昨日のバイワード・マーケットを覗き、ホテルに帰る。
途中 橋の上からもう一度 「リド−運河」を見る。
3時前に 今度は車で郊外に出かける。
地下駐車場には21時間ぐらい 留めていた。18ドルを支払い。(日本と同じ)有人管理の為 問題なく出られる -
(16)−17
最初に「リドーホール」カナダ総督公邸に行く。
周辺も 高級住宅地のようで 広い敷地にゆったりの家が並ぶ。 -
(16)−18
門から 敷地内の公園を抜けて やっと旧総督公邸に着くが 本日は公開していないとかで 邸内に入れず。 -
(16)−19
とにかく広い。
私は門まで戻らず、近隣者用の通用口から道路に出た。
(路上駐車の許可が明示されたゾーンを利用して 路上駐車をしていた。正門の周辺は駐禁エリア。) -
(16)−20
次に ダウンタウンの方に戻り、「ローリエ・ハウス」を訪ねる。
カナダ第7代首相「ウィルフリッド・ローリエ」(在任期間は1896年 - 1911年の15年)の紹介ビデオをまず見せらる。それから別棟の 住宅を見学。(住宅内部の写真撮影は禁止)
大きくは無い住宅規模に 良質で知的な生活用品が残されている。死後100年を超えて こうして慕われていることに驚きを禁じ得ない。先ほどの時代は少し違うが 総督公邸の貴族趣味とは大分異なる。
「どんな犠牲を払っても市民の自由は守り抜くと言う責務を貫き通す」という名言も残したらしいが それを受け継ごうとする 現代のカナダ人も立派。
(駐車場は2台ぐらい留められるところが 敷地内裏側にあった。) -
(16)−21
それから ホテルに帰り、近くの「SUBWAY」でサンドウィッチを買う。
夜 カーテンを開ければ 部屋の外のビルは明りが灯っている。日本と違い無人のオフイスに光りだけが輝いている。(ニューヨークもそうだったが。)
昔なら防犯上の理由と言われたら 納得したが 現代の防犯システムの進歩を考えたら理由にならない。CO2削減の課題はどう考えるのだろう。
このホテルの近辺でも建て替え新設高層ビルの建設をよく見かける。街には空室が目立ち、スペースの余裕度は十分すぎる程に見えるが それでも資本投下を行っている。(ある面では中国のように 一方的な試算で。)広い国土に恵まれ 更に垂直にスペースを広げる理由が分からない。
寝る前に、アルゴンキン方面の天気予報を調べるが やはり小雨の予報。がっくり。 -
10月9日(金)17日目
(17)−1
やはり 朝起きたら雨だった。
本日の予定は 417号を走り、60号に入り、アルゴンキン公園を抜けて、35号に分岐して 宿のあるミンデン迄 約370キロの走行距離。
通勤の自動車の多い中を 西に走る。
(地下の駐車場を出る時 無人管理の時間帯なのか誰も居なくて カード決済のみ可能で 少し焦ったが何とかこなす。) -
(17)−2
60号に入り、車の量も少なくなってくる。
沿道の木々も色づいているのが分かる。
今回の計画の事前情報に寄れば 走行予定エリアで紅葉のピークを 一番早く迎えるのがアルゴンキン公園で 通年ならば9月中にピークを迎えるはず。 私の計画期間であれば 枯葉の散った後を旅するかと思っていた。ところが 今年は全体に紅葉が遅れ、アルゴンキン公園の紅葉が見頃を迎えそうだとの ネット情報が入ってきていて 最後の期待をしていた。ところが数日前からの天気予報情報によれば 小雨。 -
(17)−3
ガソリンを入れに脇道に入った辺りでも 雨に煙る紅葉は立派。ただ曇天は曇天。 -
(17)ー4
脇道で 本道に戻るタイミングが遅れ、田舎の地道のような所も走る。ナビを信じて 指示通り 訳の分からない所を走る。途中霧が出て 視界が数メートルに遮られる。霧が晴れたと思ったら また高度を登っているのか霧がぶり返す。そんなことを繰り返す。 -
(17)−5
湖沼地帯の名に相応しく 池や沼が連続する。
人の気配はしない。 -
(17)−6
日本でカーナビに何故か「アルゴンキン公園」が入力できずに 公園東門のかなり手前の60号沿いのピザ屋を入力していた。
突如の感じでそのピザ屋らしき店が視界に入ってくる。やっと自分の居場所が確認できる。
ホッとして ピザ屋に入りピザを注文して食べた。暖かくて 美味しかった。
店の人に公園への道を尋ねたら、「前の道を一直線で公園ゲート。」と答えられ 安心する。
それで 併設のスーパーに寄り 安かったので トロントでの朝食用にクラッカーやビスケットを買い 車に積み込む。 -
(17)−7
暫く走り 車の流れに沿って東門のゲートを通過。東門に観光案内所があることに気付かず、「アルゴンキン・ビジターセンター」を目指す。 -
(17)−8
車は公園内に入ったが 曇天の所為もあるが 通常のハイウエイ走行の感じ。 -
(17)−9
「アルゴンキン・ビジターセンター」の案内指示が見えて来て、分岐し、広い駐車場に車を留め、センターの建物に入る。観光バスも数台停まり 多くの観光客で賑わっていた。中国人の団体さんや 少人数だが日本人のツアーグループもいた。
建物の外の見晴らし台に出て 写真を写す。まぁ 紅葉もほぼピークの感じ。落葉も始まっている。 -
(17)−10
雨も止み 短い観光用のトレイルコースも歩いてみた。 -
(17)−11
ビジターセンターには 簡単なアルゴンキン紹介の博物館もあり 高低差を生かした上手い展示がされていた。熊の生態展示。 -
(17)−12
センターに食堂があり、眺望のよい席でランチを頂く。
晴れていれば 素晴らしい眺めだろうに と未練たらしく思う。 -
(17)−12
センターで貰ったガイド図を見て ここが広い公園であることは改めて分かった。公園内には宿泊施設も散在している。日本で計画して居る時 公園内に泊ろうかと思ったが 価格も高く 躊躇しているうちに 空き室が無くなってしまった。
それで せめてトレイルの駐車場まで行ってみようと ガイド図に紅葉マークの付いた3カ所に行ってみた。 -
(17)−13
行ってみると
60号を離れて 人も少ない。
ひっそりと紅葉する木立。 -
(17)−14
そして
静かな湖畔のところ。 -
(17)−15
紅葉も盛りのところも。
私は東門で入園許可証を得ていなかったので 長い停車はできず、トレッキングは諦めて 3時過ぎ西門を出る。
(西門は メインの入り口にあたるのか 案内施設が充実しているように見えた。) -
(17)−16
それから 今晩の宿「Heather Lodge」に向かう。
60号を走り、ハレンツビル(此処がアルゴンキン公園の観光拠点らしいことを 後で知った。)の手前を35号に分岐する。こちらも美しいい道で順調に走る。 -
(17)−17
ミンデンの警察署を越えて、ナビはここが指定した場所だと言う。周辺にはホテルらしきものは無い。宿泊予約確認書(Heather Lodge)を取出し、私のおぼろげな記憶のストリートビューを思い出してみるがここは違うとしか言えない。それで周辺を車で走り 探したが それらしいものは無い。
どうしようと焦った時 スバルの営業所があった。今はニッサンのレンタカー車に乗っているが、以前にはスバルの車にも乗っていたと 無茶苦茶な理由をつけて営業所に飛び込む。カナダ人の男性の方は親切に招き入れパソコンで「Heather Lodge」の場所を調べてくれる。そして ホテルの方向を教えてくれる。助かった。
(私は ホテルのレセプションでパスポートとクレジットカードがあれば、チェックインできることは分かっているが、念のため予約確認書も携帯している。今回も英文の予約確認書をスバルの人に示した。それで対応がスムーズに行ったと思う。) -
(17)−18
教えて貰った方向にかなり走り、ストリートビュで見た記憶のある風景の所に、「Heather Lodge」があった。
ホテルを見ると段々記憶が戻ってきた。ハーツのカーナビデーターに「Heather Lodge」のデータがなく、仕方が無いので グーグルの地図を確認して ミンデンの警察を入力しておいた。地図データーからの私の距離感が実際の距離と異なり今回の騒動となった。
ホテルは レストランも併設する モン・トランブラン近くのホテルと類似の様子。個人経営ではなさそうだが、大規模資本の所でもない感じ。 -
(17)−19
部屋のベランダから見ると やっと雲の間から日が射している。 -
(17)−20
部屋を出て 池に降りると ここも紅葉の盛り。
写真右側がレストラン部分。左側が宿泊部分。 -
(17)−21
池の周りは 野鳥や水鳥がいて 羽を休めている。
岸辺には ボート類も係留され 楽しめるようになっている。
また 雲が出てきたが、 -
(17)−22
レストランで ディナーを楽しむ。
金曜日の夜の為か 宿泊客以外の客も含めて 満席みたい。
明日は 晴れそう。 -
(17)−23
ちょっと量が多すぎるが(カントリー料理風?) 美味しく頂きデザートに至る。
本日17日目が終わり、今回の旅の半分が終わったとことを知る。
子供達にメール。無事を知らせ、難行苦行の毎日と書いたら、返事で勝手に遊んでいてと 冷たい応え。まぁそうだろうが。 -
10月10日(土)18日目
(18)−1
朝起きたら 晴れてはいたが 湖上には 朝霧が猛烈に立ち込める。
幻想的だが 紅葉にはもう一つ。
写真は 少し日が射してきた頃。 -
(18)−2
散歩の後 朝食を8時の食堂のオープンに合わせて行く。リゾート地の土曜日 8時から朝食をとる客は誰もいない。清々しさの中で美味しく頂く。
今日も量も凄い。メインの朝食は別のお皿。 -
(18)−3
晴れてきたので 池面に紅葉が写る。 -
(18)−4
9時に出発して 今日(最終レンタカー利用日)の最初の目的地「トロント動物園」を目指す。
高速35号から401号を使い 走行予定距離 約180キロ。
空は晴れたが 紅葉のピークは未だのエリアを走る -
(18)−5
11時過ぎ 途中相変わらず道を間違えたが ナビが修正してくれて無事に動物園の駐車場に着く。
今回「トロントシティパス」を購入して 動物園の入場券もついている。レンタカーも借りているので 動物園を選択して 行くことにした。
土曜日で 駐車場も一杯。 -
(18)−6
園内は家族連れが多い。白人以外に東洋人が目立って多い。
人工的に都市部に作られた動物園としては世界一の広さ(287ヘクタール・・・多摩動物園の4倍以上)のある動物園らしい。
中は幾つかのゾーンに分かれている。
時間もないので 取りあえず アフリカゾーンに向かう。
写真は園内のハロウインの飾りつけ。 -
(18)−7
確かに 広いスペースに 自然環境に近い所で 動物たちはいた。
写真はサイ。 -
(18)−8
ただ 紅葉の風景の中のキリンは 不思議な気がする。
動物の適応力も大きいのだろうが 寂しい風景。 -
(18)−9
動物の観察には新しい工夫もしていて 人気の行楽地であることは分かった。
歩き疲れ、休憩も兼ね 軽くランチをとる。 予定より早めに1時半ごろ動物園を出る。
(返却予定のハーツの営業所「Toronto - The Bay Store」は本日4時で営業終了と早い。)
次はトロントのダウンタウンのホテルへ。 -
(18)−10
さすがに カナダ一の人口の都市で 土曜日も重なり 広い高速道路が渋滞する。渋滞の為か 動物園からの ナビが指示する道も複雑で 合流・分岐を繰り返す。それで ナビの指示通り車を操作できないことも重なる。また パトカーが出動した交通規制にも合う。余計に時間が掛かる。
写真は 途中 トイレに寄った広いショッピングセンター。(此処に寄ったことでも タイムロス。) -
(18)−11
計画では 動物園まで33キロ所要時間25分を 60分で走ろうと思っていた。
(写真の元計画参照)
だから 1時半に動物園を出れば 2時半にホテルに入れる。 それから3時にホテルを出発して 10分走ればハーツに着き 余裕で返却できると思っていた。
結局 1時間遅れの 3時30分頃に Bond Place Hotelに着く。
チェックインする時間が無く レセプションに荷物だけを預かって貰い、ハーツに直ぐ出発。 -
(18)−12
ホテルから ハーツの営業所まで3キロ6分の予定。
駐車した車の進行方向が逆で 繁華街の「ヤング通り」を通ることになる。
渋滞で 車がまた動かない。
それでも ちょっと無理もして 営業終了時間の15分前には指定の場所に着くことができた。(住所 20 Bloor Street East)
ところが ハーツの見慣れた黄色い看板が見当たらない。
日本でストリートビュウで確認した時も ハーツの場所が分からなかった。ちょうどその住所らしき所に 建築中の建物があり 勝手にその建物が完工して使用されているのだろうと推測した。ところが 今もその建物は建築中。
妻に 近くの店に 「ハーツ」の場所を聞きに行って貰う。ところが 店の人は 知らないという答え。 -
(18)−13
どう 見渡しても ハーツの看板は無い。
ここは 東京でいえば銀座のような 繁華街の通り、いつまでも車を留めて置けない。あと 聞けるところは ハーツと 道路の向こう側に見える マリオットのベルマンぐらい。
私はマリオット側に車を寄せて来ようと 車を出す。妻はハーツに電話するも自動音声の答え。「マリオット」の言葉のヒントは貰うが。一方通行と渋滞の中 ナビの案内で回ってきたのは同じ場所。マリオット側に車を付けるのを諦め、妻に徒歩で マリオットのベルマンに尋ねに行って貰う。丁度営業終了5分前。信号まで行って 戻ってくるのが 道路の向こう側に見える。そして ホテルの清掃の人となにかを話し 地下に降りて行った。その時1分前。もうダメと私は諦めた。明日のレンタカー代の追加ぐらいの話しと慰め始めた。5分経って 車をこれ以上留めて置くのは危険と思った時 妻が現われ ジェスチュアーでマリオットの駐車場の看板を指さす。 -
(18)−14
ハーツの係りの人も親切で 地下駐車場に迎えにまで来てくれて応対してくれた。
私の会員資格ならば鍵をボックスに落とすだけでよく、ノーチェックらしいことも教えてくれた。
写真は そのマリオットホテルの駐車場。どこにもハーツの看板は無い。馬鹿みたいだが 記念に写真を撮った。
6泊7日 1560キロ余走行の私のレンタカーの旅は こうして無事に終わった。
そして ヤング通りを 歩いてホテルに帰った。とぼとぼと。「戦いすんで 日の暮れて」の気分。
車の旅は 行動の自由など 良いことは一杯ある。
でも いくら準備しても 準備出来ないことも起こる。
その時の対応力が 歳と共に 落ちているのを実感する。
段々 私のレンタカーの旅の条件を厳しくして行かなければ と思った。
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この旅行記へのコメント (2)
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- UNIT23Bさん 2016/01/12 13:59:21
- カナダ東部レンタカー
- レンタカーの旅も楽しく読ませていただきました。自分は4年半ほど前72歳の時ロンドンからエディンバラまで1週間レンタカーしましたが、ナビの使い勝手の問題もあり何度もロスト状態になってしまったこと、駐車場や交差点(ラウンドアバウト)でのトラブルなどなどいろいろ思い出して冷や汗を掻き直すような気分です。イギリスでのレンタカー旅行記もあるようなのでこれから読ましていただくのが楽しみです。
- アーサーさん からの返信 2016/01/12 18:01:28
- コメント有り難う御座います。
- UNIT23Bさん
ホーランド・アメリカライン 素晴らしいですね。バスタブが付いていてホッとします。インドネシア人のクルーも親切で 親近感が持てます。秋の地中海クルーズ 楽しみですね。
私は「コヨーテさん」のブログから ホーランド・アメリカラインのことを教えて貰いました。コヨーテさんのブログはhttp://coyote2009.blogspot.jp/です。コヨーテさんは 若い女性なので ちょっと行動パターンは私達とは違いますが、クルーズのことは良くご存知です。一度お暇な時に ブログを覗いてみると参考になるかもしれません。
私達は 残念ながらカジュアル船ですが 今年の春 (4月)に 昨年と同様にMSC社の東地中海コースクルーズを予約しました。(やはり お得感のある料金でしたので。)
UNIT23Bさんのコメント励みになります。また 東地中海のクルーズ旅行記を頑張って書いてみたいと思います。
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