2010/06/01 - 2010/06/16
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ノスタルジアさん
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- Q&A回答19件
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平成22年(2010年)6月1日から6月16日まで神戸~上海~シルクロード河西回廊
(西安~敦煌)~大同~青島~下関11,800キロを船と列車での一人旅をした。
本当は青蔵鉄道でラサへ行きたかったが、ラサで高山病が悪化した場合、
強制的にヘリコプターで成都の病院まで輸送される、と云う事が判り、
また、2008年5月12日四川大地震が、旅行直前には2010年4月14日に
青海地震が、発生したのでラサ行は断念した。
他にも昆明は干ばつによる乾燥の影響で感染病が蔓延し、桂林の漓江下りは
4月初めまでは干ばつの影響で、通常ルートの半分くらいに短縮されていたが、
大雨が振り、今は逆に洪水で漓江下りは中止となっていて、ウルムチは
2009年ウイグル騒乱による外務省の渡航自粛が出されていたので、結局、行先は
旅行記のタイトルとなった。
飛行機に乗らない、乗れない旅は何かと限定されるのである。
ご参考まで
激変前の80年代 大阪港~上海航路~上海~蘇州~上海~杭州西湖~上海~上海航路~神戸港 1/3~3/3
http://4travel.jp/travelogue/11030574
http://4travel.jp/travelogue/11032025
http://4travel.jp/travelogue/11032698
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
山西省観光ガイドマップ
6月10日(木)雲岡石窟
6月11日(金)懸空寺、北岳恒山他をタクシーで
6月12日(土)雲岡石窟 大同から列車で青島へ -
平成22年6月12日(土)大同市 雁北賓館ホテル
今日は午前中に雲岡石窟に行き午後は青島に向かう。一昨日は夕方で曇り空で良い写真が撮れなかったが、石窟は南向きにあるので快晴の今日はいい写真も期待出来ると思ったし、それに一昨日、参観時間を過ぎていたにもかかわらず入れてくれた二人の警備員にどうしてもお礼の一言を言いたかったのでる。 -
平成22年6月12日(土)大同市 雁北賓館ホテル
ツインルームで泊った時、ベッド2台を使っても良いのかどうかといつも思うのだが、どうなんだろう? ここは2泊したからいいと思うが・・・、中国のホテルはどこでもそうだが、チェックアウトはフロントから連絡を受けたメイドが部屋をチェックしてから何事も無ければ保証金が返金される。ベッドを2台使って2人分請求されたら太刀打ちできないので、ベッド1台の上には荷物も置かなかった。中国ではホテルに泊まるのにも気を遣う。 -
平成22年6月12日(土)大同市 雁北賓館ホテル ロビーで
ジャグジー風呂ではありません。
時刻表示が9時34分になっているが、8時49分の間違い、中国ではデジタルでもよくある事。
6月13日星期日(日曜日)の天気予報 最高気温28℃ 最低気温16℃ 降雨多轉云(にわか雨のち曇りがち)南風3級(3.4〜5.4m)〜4級(5.5m〜7.9m) -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 参観券130元1,800円
9時前にホテル前でタクシーに乗って雲岡石窟に向かったが土曜日なのか、時間帯なのかいきなり大渋滞、交差点では信号を守らない車が入り込んで大混乱、そのうち駆けつけたパトカーが交差点中央に停まり、降りて来た警察官が交通整理、信号は最新のLEDで赤、青関係なく警察官の身振り手振りによる交通整理、笑っちゃう風景、写真に撮っておくべきだった。それでも車がなかなか進まない、運ちゃんもイライラしだした。道路は片側三車線の右を走っていた。突然、前の車が右にある歩道に車線変更した。運ちゃんも続いた。日本の歩道と違って幅は車線幅と同じくらいある。3車線を4車線にしてしまったのである。途中、横断歩道もあって歩行者もいたがクラクションを鳴らしながら横断した。警官のいるのは広い交差点だけである。幹線道路から右折してようやく車線に戻った。驚くべき車優先の社会である。運ちゃんは飛ばしに飛ばして9時半に着いた。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 入場すると両サイドに勝手口みたいのがあった。
奥に見えるのは第6窟(釈迦仏洞)が見える。
以下の説明文については雲岡石窟研究院のウェブサイトから引用しました。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟
奥に見えるのは第5窟(大仏洞)。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第20窟白仏洞 露天大仏(釈迦牟尼の座像)
窟の前の壁と天井は早くから倒壊して、遼の時代に木造の庇を掛けたが、後の戦争で壊され、露天の像となった。主仏の高さは13.7メートルで、高い肉髻で、広い額で、長い目で、高い鼻で、八字の口髭がある。手は禅印を結んで、重々しい袈裟を右からかけて、衣服の紋様は盛り上がって、ガンダーラの造像の遺風がある。大仏が真っ直ぐに聳えている健碩の体、気勢の雄壮な表情、殊に鮮卑の遊牧民族の強大さを表現して、雲岡石窟の彫刻の代表作で、中国に於ける初期の仏教の彫刻芸術の前例のない傑作だ。大仏の両側は仏脇侍と脇侍菩薩があったが、西側はもの惜しく崩れた。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第20窟白仏洞 露天大仏(釈迦牟尼の座像)、第19窟宝生仏洞(弥勒佛像)
入場して何はともあれ雲岡石窟のシンボルである第20窟に行ったが、一昨日と違って土曜日のせいか参観客が多くて、しかも快晴による陽光のせいで被写体のコントラストと陰影がはっきりしすぎて写真が撮りづらかった。団体客が途切れるのを待って撮った。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第19窟(宝生仏洞)、第18窟(立三仏洞)、第17窟(弥勒三尊洞)西暦460-470年 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第19窟宝生仏洞 未来を司る弥勒佛像
紀元五世紀の中国と西洋文化の融合の歴史的高い石碑
雲岡石窟は我が国の三大石窟の中の一つで、山西省大同市街から西へ16キロメートル離れた武州山の南の麓に、十里河北岸に位置している。石窟は山に依り掛かって切り開いて、東西1キロメートル延々と続いて、現存している洞窟は254個で、主要な洞窟は45基で、造像は約51000体くらいで、中国の仏教芸術の頂天と称することができて、五世紀の世界の彫刻芸術の最高水準を代表する。1961年3月、国務院に公表された第一陣全国重要文化保護財になられた。2001年12月、国連教育科学文化機関に《世界文化遺産の名簿》に入れられた。2007年5月、国家第1陣5A級観光地になった。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第19窟宝生仏洞 未来を司る弥勒佛像
雲岡石窟は古称武州山大石窟寺で、北魏が都を平城(今山西の大同)に定めた時代に切り開かれて、今日まで1500年もあった。れき道元《水経注》はその盛況をこう述べる:“石を鑿ちて山を開き、岩に因りて構造す。真に容を巨荘にして、世に法所希うなり。山堂水殿、煙寺相望み、林淵錦鏡、目を新眺に縫ぬ”。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第19窟宝生仏洞 未来を司る弥勒佛像
雲岡石窟の開鑿は仏教の東方移動、中国と西洋との文化交流に密接な関連を持っている。インドの仏教はガンジス川流域で誕生して、紀元前1世紀頃、インダス川上流で新しい仏教の聖地を形成した。ガンダーラ(今パキスタン北部ペシャワール地区)を中心にして、古インドの芸術とギリシア、ローマの古典芸術を一体に解け合うガンダーラの仏教芸術が生まれた。後で、仏法は東へ伝えて、勢力は次第に強くなった。北魏太武帝の拓跋?は北涼(首都武威)を滅ぼして、沙門仏事は東へ平城に移した。その後西域(今新疆)平定して、直接我が国の歴史の上で中国と西洋の文化交流の第二次の高潮を引き起こした。雲岡石窟が北魏皇室の石窟寺として気運に乗じて生まれた。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第19窟宝生仏洞 釈迦如来像 西暦460-470年
雲岡石窟は我が国の多くの石窟寺と比較して、最も西から来たスタイルを備えて、所謂胡風と胡韻は最も濃厚で、後期に作る石窟はまた中華の仏教芸術の国産品に見直し、世俗化、民族化の新たな風潮に引率して、これは中華の芸術の宝庫の中でただ1つだけである。今のところの雲岡石窟の大観光地区は高い皇室の気勢、自然な生態の庭園と優雅な文化の環境で、国内外の観光客が続々とやって来て賞賛する聖地になっている。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第19窟(宝生仏洞) 西暦460-470年
主像は結跏趺坐で、高さ16.8メートルで、雲岡石窟の中で第二の大仏だ。仏像の耳髱は肩に届けて、顎は破損した。右手を挙げて、肘の下に支える一本の柱がある。衣服の紋様は簡潔に明快で、軽薄で体にぴったり合って、袈裟の裾には紋様を付けてある。南壁のラーゴラ因縁は雲岡石窟に於いて一番早い仏教のストーリの画像だ。窟外にそれぞれ一つずつ耳洞をつけて、内は倚坐仏像を配した。このような分窟は三世仏を安置する設計は、変化があっても、厳粛を失わなく、北朝の石窟の形と構造の初めての試みだ。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第19窟(宝生仏洞) 西暦460-470年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第19窟宝生仏洞 釈迦如来像 西暦460-470年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第18窟(立三仏洞)、第17窟(弥勒三尊洞)西暦460-470年 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第18窟(立三仏洞)第17窟(弥勒三尊洞)第16窟(立仏洞)第15窟(万仏洞) -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第18窟立三仏洞 西暦460-470年
第18、19、20窟は一組で、第19窟は中心の窟で、時間を切り開くのは一番早い。第18窟の設計は厳格で、配置は完備して、北壁の主な仏像の高さは15.5メートルで、高い肉髻で、頬の豊円で、鼻筋の真っ直ぐで、身に千仏袈裟を羽織って、両側には脇侍仏と脇侍菩薩と十大弟子の像を配した。左側の脇侍仏は頭の上に天蓋を差され、顔は真ん丸くて、体格は逞しい。右の脇侍菩薩は頭に花冠をつけて、美しくて優雅だ。上端に五体弟子を彫刻して、皆西域人の特徴があり、或いは瓶を持って静かに立ったり、或いは花を摘んで微笑んだり、或いは目を閉じて耳を傾けたり、或いはある程度悟ったり、或いは心から喜びが生んだりで、入神のわざ、人を感嘆させるものだ -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第18窟立三仏洞 西暦460-470年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第18窟立三仏洞 西暦460-470年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第18窟(立三仏洞) 西暦460-470年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第18窟(立三仏洞) 西暦460-470年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第17窟(弥勒三尊洞) 西暦460-470年
主像は菩薩装の交脚弥勒で、高さ15.6メートルで、頭に宝冠をつけられ、胸に蛇飾りと短い瓔珞を付けられ、腕にブレスレットを付けられ、斜めに衣を羽織って、ウェスト引き締めのお腹スッキリで、下にマキシをはいて、獅子座で、濃厚な外国の情緒がある。
西壁の立仏の顔は真ん丸くて、造型は古風で質朴で雄壮で美しい。東壁の仏陀は両肩を聳えて座って、服の線は滑らかだ。窟内の四方の壁には千仏が施された。彫像は清簡で、純真質素で、雲岡の初期の造像の特徴を反映した。西壁の仏像の光背の外縁にある供養天は片足が跪いて、両手はハスを捧げ持って、表情は落ち着いて、造型は優美だ。明り窓の東に太和13年(487)造像の龕があり、それは雲岡石窟の期間を分ける重要な標尺だ。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第17窟(弥勒三尊洞)
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第17窟(弥勒三尊洞)
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 15窟と16窟の間の窟
雲岡石窟研究院のウェブサイトには窟番号の表示無し -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第13窟(文殊菩薩洞)
ここで一昨日、世話になったあの二人の警備員に会った。憶えていてくれてこちらは「謝、謝」と身振りだけで気持ちを伝えたか、二人ともにこにこして握手をしてくれた。写真を一緒に、と言ったが固辞された。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第13窟(文殊菩薩洞)西暦471-494年
この窟はドーム式天井で、主像は交脚弥勒菩薩で、高さ13メートルで、頭は宝冠をつけて、頚部は鈴が付く首飾りと瓔珞をつけて、胸につけた蛇飾りの両首は玉を銜える。右腕の肘の下で、1人の金剛力士は四臂で力の限りを尽くして手のひらを支えて、気勢は山を抜くようだ。この像は後代によって彩色を施したので蓮に立つ両足だけが見られる。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第13窟(文殊菩薩洞)西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第13窟(文殊菩薩洞)第12窟(離垢地菩薩洞)第11窟(来迎仏洞)第10窟(毘盧舍那仏洞) -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第13窟(文殊菩薩洞)第12窟(離垢地菩薩洞)第11窟(来迎仏洞) -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第13窟(文殊菩薩洞)、第12窟(離垢地菩薩洞) -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟第 12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
この窟は俗称で“音楽窟”と言う。 前後室の窟で、前室の外壁の上方に窟の庇を作って、窟の入口は正面に列柱を並べる。北壁は前室の最上層に伎楽天は14体舞って、それぞれ吹指、齊鼓、排簫、琵琶、横笛、琴、五弦、篳篥、箜篌、腰太鼓、義口笛、法螺などの楽器を演奏する。家柄の上で一組のダンスする舞姫の群は動作がつながり良くて、気品が溢れて、現世の舞う姿の芸術的再現だ。窟頂にある逆な髪型の伎楽天は体格が逞しくて、北方少数民族の性格の特徴がある。この窟にある楽器の形と構造、演奏方法と楽団の組合せの形式、集中的に北魏の宮廷楽団の姿と社会の音楽の制度を体現していて、中国の古代の音楽を研究する貴重な資料だ。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞)西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞)西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
上の画像と似ているが違う。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞)西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞)西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞)西暦471-494年
上の画像と似ているが違う。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞)西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第12窟(離垢地菩薩洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第10窟(?盧舍那仏洞)、第9窟(阿?罠仏洞)西暦紀元471-494年 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第10窟(?盧舍那仏洞) 西暦471-494年
前室の北壁の明り窓と拱門の間に、須弥山の幾重にも連なった峰々、山の中腹に二匹の竜は交際して巻き付けて、山の間に駆ける動物と茂る林がある。外側、多首多腕の阿修羅は胡座ををかいて、手は月と日を持つ。東西の両壁に三間ずつ屋形龕を彫って、龕の内の仏像は顔が優しくて、菩薩の表情は落ち着いている。菩提樹の下で、半跏坐の菩薩は思い慕って、片手で顎を支えて、四締を思い吹ける。窟門の両側の金剛力士は頭に鳥の羽冠をつけて、金剛杵を手に持って、表情は温和で善良だ。後室の主像は弥勒菩薩で、両側は脇侍菩薩だ。南壁は釈迦が教えを施して、外道を降伏する因縁のストーリの龕だ。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第10窟(毘盧舍那仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第10窟(毘盧舍那仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第10窟(毘盧舍那仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第10窟(盧毘舍那仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第10窟(毘盧舍那仏洞)、第9窟(阿閦仏洞)西暦紀元471-494年 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第8窟(仏音の窟)、第7窟(西から来る第一仏洞) -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟
左から第8窟(仏音の窟)、第7窟(西から来る第一仏洞) -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第7窟(西から来る第一仏洞)
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞)
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 左から第6窟(釈迦仏洞)、第5窟(大仏洞)
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
この窟は中心塔柱がある洞穴で、名は支提窟、塔廟窟と言って、彫刻装飾は華麗で、“雲岡の第一偉観”と誉められて、世界芸術史の奇跡と誉められている。洞窟の内で中央に、高さ15メートルの四角形の塔柱は彫りつけてある。上層の四方にそれぞれ一仏陀二菩薩を刻んで、四角は象が九重の楼閣式の方塔を載せるのを刻んである。下層の四方は龕をつけて仏像が座る。窟内で四方の壁の上層に十一体の立仏が立って、華蓋が差されて、意気が奮い立つ。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
天井は格天井で、格の間にクジャク、ライオン、トラ、長尾の鳥などの動物を騎乗する多臂多首の天神が刻まれてある。洞窟の内で釈迦一生の本生譚図が30数枚残って、集中的に仏陀が誕生、成長、婚姻、出家するまでの一連の物語が現れている。これらのストーリの彫刻は構造が合理的で、手法が質朴で、ガンダーラの芸術が東へ伝わった新しい創造で、とても貴重だ。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
全ての窟内の撮影は禁止されているが、中国人たちはお構いなしにストロボを発行させながらバンバン撮っていた。彼らに紛れて撮っていたがさすがにストロボは使わなかった。
第6窟は世界芸術史の奇跡「雲岡の第一偉観」のせいかここだけ警備員がいて写真を撮っているのを見つけると怒鳴りつけていた。それで一応皆、撮るのを止めるのだが、しばらくするとまた撮り始めるのである。何しろ警備員は窟内を巡回すればいいのにそれが隅にある椅子に座って携帯メールに熱中するのである。それを見て撮り始めるとストロボが窟内のあちこちでが稲妻現象が発生する、警備員は携帯メールを止めて怒鳴りに出動する、これが繰り返されているのである。それにしてもストロボの発光は鑑賞の邪魔になるし仏像の眼にもいいはずがない、次回来た時には眼の保護の為サングラスをかけているだろう。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第6窟(釈迦仏洞) 西暦471-494年
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第5窟(大仏洞)西暦471-494年
第5、6窟は一組の双窟だ。洞窟前に四階の木造の楼閣があり、清朝の初め順治八年(1651)宣大総督の佟養量がリーダーして建造した。岩によって構えて、盛観を呈している。所謂雲中八景の一つ“石窟摩雲”だ。窟門の両側の壁の上に各一本の枝葉が茂る聖樹を彫って、その下に二仏が体を斜めに向かい合って座って、表情が落ち着いている。下層の金剛力士は頭が双翼の羽冠をつけて、甲冑を身につけて、威風堂々としている。窟内の本尊仏の高さは17メートルで、雲岡石窟の中で最も高くて大きい仏像だ。後世に彩色を施して、唐代の風格が見られる。両側の壁には各一体仏の立像があって、左の立仏は鼻が直で眉は曲がっていて、やや微笑んでいる。後壁に繞道が開けてある。 -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第5窟(大仏洞)と第4窟の間の窟
雲岡石窟研究院のウェブサイトには窟番号の表示無し -
平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第5窟(大仏洞)と第4窟の間の窟
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平成22年6月12日(土)雲岡石窟 第20窟白仏洞 露天大仏(釈迦牟尼の座像)
13時過ぎになると参観客もますます増え、陽も高くなり大仏も日なた、日影がはっきりしすぎていい写真が撮れなくなったので引き揚げる事にした。3時間半で十分鑑賞出来たので大いに満足する事が出来た。
タクシーに乗ってから運転手には雁北賓館ホテルへと言ったが、ホテルで預けていた荷物を受け取るだけだったので、その間タクシーを待たせてその後、大同駅まで行って貰うことにしてメモ用紙に「雁北賓館→大同站」と書いて見せた。不愛想な運転手は一瞥しただけだった。
ところがタクシーは大同駅に着いてしまった。紙を見せながら「雁北賓館→大同站」の雁北賓館だと指差したら物凄い剣幕で怒り出した。こっちは客だしそんなに怒ることでもないと思っていたが、ここで降りろという身振りをしたが無視して黙っていたら走り出した。ホテルまで10分程だったがその間ずーっと怒っていた。
ホテルに着いてちょっと待ってくれと言って45元払ったが乱暴な運転で走り去ってしまった。どうやら「雁北賓館→大同站」の→を取り消して変更だと勘違いしていたのだろう、それを自分の思い違いを指摘されて中国人の云う面子を潰されて激高したのだろう、客を客とも思わない態度に腹立たしい思いをしたが、ここは中国だからとすぐに気分を切り換えて荷物を受け取ると大同駅行きのバスに乗った。
それにしても中国人には色んな人間が多過ぎるので疲れる。
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この旅行記へのコメント (7)
-
- こまちゃんさん 2015/11/22 14:03:28
- 編集おつかれさまでした!
- 念願の晴天撮影、良かったですね!
コメントが詳しく載せられているので、ご苦労察しますが、これで多くの人が助かっていると思います。^^
ベッドですか?
次の方のためにも是非使って下さい。
きゃつら、綺麗なままだとそのまま再利用しますから、形を乱すだけでも良いので、使用痕跡を残すことをお薦めします。
気になる場合は、足置き用マット(ベッド上の長い敷物)を利用して、ベッドの上にスーツケースを置くと良いのでは?(車輪部分に宛がう)
でも、基本的には両方使おうが、ベッドの布団や枕だけを自分の寝床に使おうが、何ら問題有りません。
こま
- ノスタルジアさん からの返信 2015/11/22 14:14:08
- RE: 編集おつかれさまでした!
- > 気になる場合は、足置き用マット(ベッド上の長い敷物)を利用して、ベッドの上にスーツケースを置くと良いのでは?(車輪部分に宛がう)
ベッド上の長い敷物、あれって足置き用マットでしたか、いつも何かと思っていました。
- こまちゃんさん からの返信 2015/11/22 20:15:03
- RE: RE: 編集おつかれさまでした!
- あくまでも西洋人の習慣ですけどね。
あちらの人達は、靴のままでベッドに倒れ込み寛ぐので、
その時に足を乗せる部分として敷かれたマット(シート)です。
中国って、結構西の影響を受けているので、判って無くても
採用しているものが少なくありません。
何はともあれ、ホテルは広さが充分有るのは嬉しいですよね。
これだけは、へんてこな中国に於いて唯一助かる部分です。
こま
> > 気になる場合は、足置き用マット(ベッド上の長い敷物)を利用して、ベッドの上にスーツケースを置くと良いのでは?(車輪部分に宛がう)
>
> ベッド上の長い敷物、あれって足置き用マットでしたか、いつも何かと思っていました。
- ノスタルジアさん からの返信 2015/11/25 17:43:09
- RE: RE: RE: 編集おつかれさまでした!
- お蔭さまで編集出来る事が出来まして感謝しています。
> あくまでも西洋人の習慣ですけどね。
> あちらの人達は、靴のままでベッドに倒れ込み寛ぐので、
> その時に足を乗せる部分として敷かれたマット(シート)です。
>
> 中国って、結構西の影響を受けているので、判って無くても
> 採用しているものが少なくありません。
> 何はともあれ、ホテルは広さが充分有るのは嬉しいですよね。
> これだけは、へんてこな中国に於いて唯一助かる部分です。
>
> こま
>
>
> > > 気になる場合は、足置き用マット(ベッド上の長い敷物)を利用して、ベッドの上にスーツケースを置くと良いのでは?(車輪部分に宛がう)
> >
> > ベッド上の長い敷物、あれって足置き用マットでしたか、いつも何かと思っていました。
- ノスタルジアさん からの返信 2015/11/25 17:50:03
- RE: RE: RE: RE: 編集おつかれさまでした!
- 上の書き込み訂正します。
お蔭さまで編集出来まして感謝しています。有難うございました。
> > あくまでも西洋人の習慣ですけどね。
> > あちらの人達は、靴のままでベッドに倒れ込み寛ぐので、
> > その時に足を乗せる部分として敷かれたマット(シート)です。
> >
> > 中国って、結構西の影響を受けているので、判って無くても
> > 採用しているものが少なくありません。
> > 何はともあれ、ホテルは広さが充分有るのは嬉しいですよね。
> > これだけは、へんてこな中国に於いて唯一助かる部分です。
> >
> > こま
> >
> >
> > > > 気になる場合は、足置き用マット(ベッド上の長い敷物)を利用して、ベッドの上にスーツケースを置くと良いのでは?(車輪部分に宛がう)
> > >
> > > ベッド上の長い敷物、あれって足置き用マットでしたか、いつも何かと思っていました。
-
- BTSさん 2015/11/22 10:37:38
- 御礼
- ノスタルジアさまへ
こんにちは〜
お礼が遅くなり申し訳ございません。
この度は「フォロー」をいただきありがとうございます。
>ツインルームで泊った時、ベッド2台を使っても良いのかどうかといつも
>思うのだが
海外で宿泊するときに小生もノスタルジアさんと同じ疑問を持ちます。
小生の場合はツアーなので両方のベッドを使っても大丈夫とは思うのですが
後が怖いので使いません。
日本の場合でしたら遠慮なく使います。(笑)
>中国のホテルはどこでもそうだが、チェックアウトはフロントから連絡を
>受けたメイドが部屋をチェックしてから何事も無ければ保証金が返金される。
お国柄なのでしょうか?
日本で中国人が宿泊すると部屋にある備品(ドライヤーなど)を持ち帰る人
がいますので…分かるような気がします。
雲岡石窟は素晴らしいですね。
岩を削り洞窟を造り更にその中に大仏様を彫刻するところが…
完成させるために長い月日と相当な人が携わったことでしょう。
第13窟(文殊菩薩洞)や第12窟(離垢地菩薩洞)は細かい彫刻が可愛らしい
ですね。色付けがされていますが当時のままなのでしょうか?
>中国人には色んな人が多過ぎるので疲れる。
それも旅の思い出ではないでしょうか?
なにしろ人口世界一の国ですから、百人百様ですね〜
小生だったらキレまくります。(笑)
そろそろノスタルジアさんのお住まい周辺の山々は白くなり始めたのでは
ないでしょうか?
今後ともよろしくお願いいたします。
BTS
- ノスタルジアさん からの返信 2015/11/22 11:06:17
- RE: 御礼
- こんにちは、いつもいいねの投票有難うございます。
> ノスタルジアさまへ
>
> こんにちは〜
>
> お礼が遅くなり申し訳ございません。
> この度は「フォロー」をいただきありがとうございます。
フォローの意味がよく分からなかったのです。
>
> >ツインルームで泊った時、ベッド2台を使っても良いのかどうかといつも
> >思うのだが
>
> 海外で宿泊するときに小生もノスタルジアさんと同じ疑問を持ちます。
> 小生の場合はツアーなので両方のベッドを使っても大丈夫とは思うのですが
> 後が怖いので使いません。
それがいいですね。
> 日本の場合でしたら遠慮なく使います。(笑)
日本語通じるのでフロントに確認しますが。
>
> >中国のホテルはどこでもそうだが、チェックアウトはフロントから連絡を
> >受けたメイドが部屋をチェックしてから何事も無ければ保証金が返金される。
>
> お国柄なのでしょうか?
> 日本で中国人が宿泊すると部屋にある備品(ドライヤーなど)を持ち帰る人
> がいますので…分かるような気がします。
北海道のホテルでテレビを持ち帰った中国人がいるとか。
中国のホテルにはカップラーメンが置いてある事が多いのですが、最初、無料かな、と思ったのですが、中国では有り得ないと思ってテーブルあった約款にきっちりと料金が載っていました。
>
> 雲岡石窟は素晴らしいですね。
> 岩を削り洞窟を造り更にその中に大仏様を彫刻するところが…
> 完成させるために長い月日と相当な人が携わったことでしょう。
>
> 第13窟(文殊菩薩洞)や第12窟(離垢地菩薩洞)は細かい彫刻が可愛らしい
> ですね。色付けがされていますが当時のままなのでしょうか?
当時のままです。
>
> >中国人には色んな人が多過ぎるので疲れる。
>
> それも旅の思い出ではないでしょうか?
> なにしろ人口世界一の国ですから、百人百様ですね〜
> 小生だったらキレまくります。(笑)
キレても暖簾に腕押し、馬耳東風ですから、言っても無駄、と思って自分自身が切り換えるしかないと思っています。
>
> そろそろノスタルジアさんのお住まい周辺の山々は白くなり始めたのでは
> ないでしょうか?
山はすっかり白くなっています。
>
> 今後ともよろしくお願いいたします。
こちらこそよろしくお願いします。
ノスタルジア
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