2012/11/04 - 2012/11/09
1503位(同エリア4770件中)
kokiさん
塩野七生さんの「コンスタンチノープルの陥落」を読んだのは20年程前。
1453年、ビザンチン帝国がオスマントルコ帝国に滅ぼされた時の歴史小説です。
ヴェネチア人の医師やジェノバ人代官、修道僧や側近など、その当時を生きた人々の日記や記録を通して当時の様子をリアルに描きます。
そんな現場証人たちが見た光景を550年の時を越えて巡ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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まずはボスポラス海峡クルーズに参加。
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エミノニュの桟橋から出航します。
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船内の様子。
結構混んでます。 -
ドルマバフチェ宮殿を越えてボスポラス海峡を北上します。
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オルタキョイジャーミィとボスポラス大橋。
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皆さん、ボスポラス大橋を撮影しています。
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この辺りは高級住宅地です。
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そしてお目当てのものが見えてきました。
確かに海峡のいちばん幅が狭くなった場所に築かれています。 -
ルメリヒサーリ。
オスマントルコのマホメット2世がコンスタンチノープル攻略のためだけにわずか4ヶ月で築城。 -
ヴェネチア人医師は商船に乗ってこの城を横目に見ながら通過します。
確かにいつ大砲の弾が飛んでくるかと思うと気が気ではありません。 -
海峡クルーズはこのルメリヒサーリ辺りで折り返してエミノニュに戻ります。
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1時間半でクルーズ終了。
ヴェネチア人の想いを味わった船旅でした。 -
続いて新市街のガラタ塔へ。
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ガラタ塔。
この辺りは当時、ジェノバ人の居留区でした。 -
入口の壁に1453年の史実が刻まれています。
トルコの人たちにとっては大きな史実です。 -
展望階へ昇ります。
人がやっとすれ違えるくらいの幅。
結構スリリングです。 -
金角湾を臨む。
登場人物のジェノバ人居留区代官はここから戦況を見守ります。 -
手前がヨーロッパ。
ボスポラス海峡をはさんで奥がアジア。
この海がトルコ海軍で埋め尽くされました。 -
正面にブルーモスク。
左手にアヤソフィアが見えます。 -
真下を覗きます。
やっぱりスリリング。 -
夜景も見に行きました。
右手のモスクはスレイマニエジャーミィ。 -
続いて、トプカプ駅からテオドシウス城壁へ向かいます。
1453年の決戦の舞台です。
オスマントルコのスルタン、マホメット2世が戦況を見守ったのはこの辺りでしょうか。 -
この城壁をはさんでトルコ軍とビザンチン軍との間で攻防戦が繰り広げられました。
三重の城壁で当時、難攻不落と言われていました。 -
城壁断面図。
この左側にもう一重低い壁があり三重になっています。 -
トルコ軍の砲撃を受けて倒壊したままで残る城壁の一部。
実にリアルです。 -
難攻不落と言われた城壁もわずか2ヶ月で崩壊。
興隆期のオスマントルコと末期のビザンチンでは国の勢いが違い過ぎました。
今はトルコの国旗がはためいています。 -
そして、城壁は今も静かにイスタンブールの街を取り囲んでいます。
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城壁の内側では猫たちが平和に暮らしていました。
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コンスタンチノープルを陥落させたマホメット2世は馬でアヤソフィアに入場し、この光景を目の当たりにします。
この後、アヤソフィアはキリスト教の教会からモスクへと変えられました。
イスラム教の都市、イスタンブールの誕生です。
彼がここを破壊していたら、私たちはこの光景を見ることができなかったですね。 -
番外編。
地下宮殿に、コンスタンチノープルを陥落させたマホメット2世の功績をアニメーションで紹介するところがありました。
当たり前の話ですが、トルコにとっては英雄ですね。
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