2015/10/15 - 2015/10/21
478位(同エリア1030件中)
ペコちゃんさん
- ペコちゃんさんTOP
- 旅行記445冊
- クチコミ111件
- Q&A回答1件
- 726,932アクセス
- フォロワー24人
若狭湾を見ながら、福井から京都の北部に入りました。
日本を代表する観光地・京都ですが、北部にも見所が沢山あり、舞鶴 ⇒ 宮津(宿泊) ⇒ 天橋立 ⇒ 伊根 と旅は続きます。
『大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立』と百人一首(小式部内侍)にも詠われた日本三景・天橋立は、まさに絶景。
そして、一度行ってみたかった伊根の舟屋も記憶に残る日本の風景です。
なかなか行くことのない若狭・丹後に思い切って訪れて、良い思い出になりました。
写真は、天橋立ビューランドから見た美しい天橋立。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー
-
敦賀・若狭湾と回って舞鶴に着いたのは16時。
舞鶴で行きたかった所は「引揚記念公園」・・・朝鮮で警察署長をしていた義父が終戦後シベリアに抑留されて、昭和25年にこの舞鶴に引き揚げて来たからです。
この時の話は義母からよく聞かされていました。
抑留されている時は、一日に洗面器に一杯の水がもらえ、それを飲み水や顔を洗うのに使ったことや、タバコが配給され、タバコを吸わない義父は食物と交換して生き延びたそうで、義父が無事に帰国出来たのは、このことが大きかったと義母はよく話してくれていました。 -
第二次世界大戦が終結し、旧満州や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残され、この人達を速やかに日本へ帰国させるために “ 引き揚げ ” が開始されました。
呉など18港の引揚港が全国に次々と設置され、舞鶴は主に旧満州や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となりました。
舞鶴では、昭和20年に最初の引揚船『雲仙丸』が入港してから昭和33年の最終引揚船『白山丸』まで、13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れました。
「舞鶴引揚記念館」は昭和63年に開館し、再び繰り返してはならない “ 引き揚げ ” の史実を未来に伝え『平和の尊さ、平和への祈り』のメッセージを発信しています。 -
シベリアの地で使用した防寒着をはじめ、引揚證明書などの文書類など全国から約1万2千点の貴重な資料が寄贈され、館内では1000点を超える資料を常設展示しています。
これは『赤紙』と呼ばれた帝国陸海軍の召集令状。 -
これは『千人針』・・・日露戦争の頃から弾丸避けのお守りとして、1mほどの長さの白布に、赤い糸で千人の女性に一人一針ずつ縫って結び目をつくってもらい、兵士は出来上がった千人針を銃弾よけのお守りとして腹に巻いたり、帽子に縫いつけたりしました。
-
『岸壁の母』は、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親・端野いせ(1899~1981)がモデル・・・二葉百合子の歌謡曲で大ヒットし、映画にもなりました。
養子だった新二は軍人を志し、昭和19年満洲国に渡り、中国牡丹江で行方不明となりました。
終戦後、いせは東京に居住しなが、新二の復員を信じて昭和25年から6年間、ソ連からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立ちます。
昭和29年に厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書を発行・・・しかし、母の没後、新二は戦後も生存していたことが明らかになりました。 -
「異国の丘・岸壁の母の歌碑」。
異国の丘は、シベリア抑留中の吉田正が作曲し、抑留者の間で歌われた歌。
岸壁の母は、シベリアから引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親の気持ちを詠った歌。
ともに胸が熱くなる歌です。 -
復元された引揚桟橋を見に行きました。
-
小高い丘にある記念館から海に向かいます。
公園から見える「舞鶴クレインブリッジ」は、二羽の鶴をイメージして作られた735mの橋。
橋のところまで引揚船は帰港し、そこから小さい船で帰還兵を桟橋まで届けたそです。 -
無事、日本に引揚船で帰国した人々は、この港に船が入ってきた時、どのような気持ちだったのでしょうか・・・計り知れない喜びがあったのでしょうね。
桟橋にある「語り部の鐘」は一打、二打と鳴らし、三打目は ” 平和祈願・不戦の誓い ” の思いを込めて・・・ -
平湾に復元された「平引揚桟橋」・・・この場所で多くの涙が流れたんだなと、いろいろ考えさせられるものがありました。
引揚港となった舞鶴港は、昭和20年からの13年間に66万人以上の人々を迎え入れましたが、遺骨となって戻ってきた位牌も1万6千。
引揚船の中で死亡した人や、舞鶴に着いた後に死亡した人もおり、胸が痛みます。
でも、ここに来て良かったと思いました・・・私達が結婚する前に義父は亡くなっていたので、一度も会ったことのない夫の父上に少し近づけた様な気持ちでした。 -
暗くなる前に、今日宿泊の「宮津ロイヤルホテル」へ到着。
-
大きなホテルで、ロビーもゆったりしています。
-
大浴場・羽衣の湯。(温泉ではない)
-
露天風呂は、丹後由良の浜から汲み上げた「宮津の湯らゆら温泉」。
-
高台に建つホテルからは、天橋立の幻想的なトワイライトが楽しめました。
-
お楽しみの夕食。
お品書きの紙には「ぴんと」と書かれてあります。
宮津は、かつては北前船が来航する交易の要所で、祇園に匹敵するほどの数の芸者衆で賑わい、『宮津節』はこの花街で生まれたとされています。
♪ 二度と行くまい丹後の宮津 縞の財布がダンゼン空になる 丹後の宮津でピンと出した
逢えて嬉しや別れのつらさ 逢えて別れが無けりやよい 丹後の宮津でピンと出した ♪
” ぴん ” については諸説あり、ピンからキリ、三味線の糸のピンピンという音、サイコロの目のピンゾロ、すっからピン、ピンピンのお札などなど。 -
6日目の朝(5時48分)・・・部屋から見た東側の眺め。
-
朝食前にホテルの周辺を散策。
西側は朝靄に霞む天橋立。 -
ホテルの周りの木々は紅葉の真っ盛り。
-
コスモスも鮮やかに咲いています。
-
表から見た宮津ロイヤルホテル。
-
裏にはプール、その奥には結婚式用のチャペルもあります。
-
7時にバイキングの朝食。
-
中国からの団体さんも泊まっていました。
-
NHKの朝ドラを見てからホテルを出発し、8時40分に智恩寺の駐車場に到着。
808年に創建された臨済宗妙心寺派の「智恩寺」は、天橋立に隣接しているので、山号は天橋山(てんきょうざん)・・・本尊は文殊菩薩で、奈良県桜井市の安倍文殊院(安倍文殊)、山形県高畠町の 大聖寺(亀岡文殊)とともに日本三文殊といわれます。
立派な「山門(黄金閣)」は1767年に造られました。 -
「文殊堂」は1657年に改修され、現在の形になりました。
柱に結ばれた絵馬の他に、境内の木に結ばれているのが、扇子型の「すえひろ扇子おみくじ」。 -
「三人寄れば文殊の知恵」でおなじみの智恩寺は、智恵を授かる文殊さんとして有名で、受験生やその御家族がお参りに来ます。
すえひろ扇子おみくじは、智恵の神さまである文殊様を祀ったお寺のイメージにも合っているような気がしますし、見た目もきれいです。 -
頭が良くなるようにお参り・・・若いころ来ればよかったかな?
-
文殊堂の外陣を見ると、昭和17年に奉納された大きな「地獄の絵馬」があります。
極楽と地獄を描いた極彩色の絵馬で、絵の上部は極楽の世界ですが、下部には閻魔様や亡者の裁判の時に生前の行動を映し出す浄玻璃鏡・鬼たち・亡者の衣服をはぎ取る奪衣婆など、迫力のある筆致で描かれています。
現世での行いを戒める、説得力のある絵馬でした。 -
明治14年に建立された「鐘楼」・・・現在の梵鐘は昭和48年に再改鋳されました。
-
1501年に落成した「多宝塔」・・・それほど大きくはありませんが、とても美しい塔です
-
福山・鞆の浦でも見た「力石」・・・重さは大130kg・中100kg・小70kg。
祭りなどの余興に持ち上げた石を奉納したもので、この石に触わると智恵を授かると言われています。 -
境内にはお土産屋が立ち並び、地元の特産品なども売っています。
マツタケは、何と、壱萬円!・・・香だけ楽しみました。 -
智恩寺から天橋立につながる「」小天橋(廻旋橋)。
廻旋橋の下の水路は文珠水道(天橋立運河)と呼ばれ、阿蘇海と宮津湾を結んでいます。
昔は「九世戸の渡し」と呼ばれ、渡し舟がありましたが、大正12年にこの橋が架けられました。
長さ約36mの廻旋橋は、遊覧船や鉱石運搬船が通過する際に、橋げたを中心にクルリと90度回転して船を通すことから「廻旋橋」の名前で親しまれています。
当初は手動でしたが昭和35年に電動化・・・日曜日に行くと、11時から1時間おきに5回、この廻旋が見れます。 -
観光船乗り場のそばにある「智恵の輪灯篭」は、3回くぐると頭が良くなると言われています。
江戸時代には輪の中に明かりが灯され、闇を照らして文珠水道を行き来する船の標になっていました。 -
天橋立の案内図。
左側が内海になっている阿蘇海、右側は日本海へと繋がる宮津湾。 -
「日本三景碑」・・・『天橋立』は陸奥の『松島』・安芸の『宮島』とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつです。
江戸時代の初め、全国を行脚した儒学者・林春斎が「日本国事跡考」で “ 三処奇観 ” と記したのが「日本三景」の始まりです。
日本三景を雪月花に当てはめると、「雪」は天橋立、「月」は松島、「花」は紅葉を花に見立てて宮島。
因みに、大正4年に選定された日本新三景は、大沼(北海道)・ 三保の松原(静岡県)・耶馬渓(大分県)。 -
大天橋を渡って天橋立の松林へと進みます。
-
橋から阿蘇海の方を見ると、釣をしている人や漁師の小舟が浮かんでいます。
-
大天橋を渡り、ここから天橋立の散策スタート。
-
南の端から北の端まで、徒歩だと約片道1時間かかります。
左の土産屋でレンタルサイクルを借りて効率よく回ることにしました。(1時間:300円) -
天橋立は幅が20~170m、全長約3.6kmの砂嘴(さし)で出来た砂浜で、大小約8,000本もの松が茂っている珍しい地形です。
その形が、天に架かる橋のように見えることから『天橋立』の名が付きました。 -
今から約4000年前、丹後半島の東側の河川から流出した砂礫(されき)が海流により流され、野田川の流れからくる阿蘇海の海流とがぶつかって砂礫が海中に堆積したことにより、北側の府中から南側の文殊まで、ほぼ真っ直ぐな道のように出来たと言われます。
-
昭和5年に天橋立を訪れた与謝野夫婦の歌碑。
『小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波 寛』
『人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく 天の橋立 晶子』
因みに、与謝野寛の父親は、天橋立と福知山の間にある与謝野町の出身です。 -
1本の松が三叉になっている「智恵の松」・・・ ” 3人よれば文殊の智恵 ” を引用したネーミング。
-
蕪村の句碑。
蕪村は幼少期を与謝野町で過ごし、1754年から3年間、宮津で創作活動を行っています。
『はし立や 松は月日の こぼれ種』
蕪村は当地をこよなく愛し、当時の地名である与謝郡から与謝蕪村を名乗るようになりました。 -
「天橋立神社」・・・平安末期から鎌倉時代にかけて、文殊堂境内鎮守として祀られたものと言われています。
-
明治40年に大正天皇が皇太子時代に植えた「御手植の松」。
-
天橋立は、多数の日本百選に選ばれています。
《日本の名松百選、日本の名水百選、日本の道百選、日本の白砂青松百選、日本の渚百選、美しい日本の歴史的風土百選、日本の歴史公園百選、日本の地質百選》・・・凄いですね。 -
芭蕉の句碑・・・『一声の 江に横たふや ほととぎす』
1767年に智恩寺境内に建立されたもので、明治時代に入り現在地に移されました。
この句は1693年に墨田川の風情を詠んだもので、芭蕉が天橋立を訪れた記録はありませんが、宮津の俳諧関係者が天橋立とだぶらせて建立したと思われます。 -
1本の松から釣り合いのとれた2本が現れ、夫婦のように仲良く寄り添う「夫婦松」。
-
「羽衣の松」・・・以前訪れた三保の松原を思い出します。
-
平成16年の23号台風で被害を受けた「双龍の松」・・・この台風で247本の松が倒れました。
-
自転車のおかげで、30分で北側の端につきました。
右側の山には、傘松公園のケーブルカー・リフトが見えます。 -
腰までつかって阿蘇海で釣りをする人達。
-
宮津湾側は夏は海水浴場で賑わいます。
ボランティアの方などによる環境保全の取り組みが進められ、ゴミもほとんど見当たらず、とてもきれいな海岸でした。
夫は初めて、私は三度目の天橋立でしたが、松並木を歩いたのは初めて・・・天橋立は山の上から見るものと思っていましたが、夫の提案で自転車で走り、風の音や海の香りを感じた最高のひと時でした。 -
レンタサイクルを返して、智恩寺から続いているお土産屋さんの通りを進み・・・
-
ここまで来たら「股のぞき」をしないと後悔します・・・ということで「天橋立ビューランド」へ。
-
でも、850円のリフト・モノレール代は、チョッと高い!
-
ビューランドの展望台からの眺めは、天橋立が天に舞う龍のように見えることから「飛龍観」と呼ばれていますが、その龍のような姿が良くわかります。
-
で、早速「股のぞき」を体験。
股から頭を出して天橋立を見ると、松並木が空中に浮かんだような錯覚になり、これが天に架かる橋に見えます・・・これが、天橋立の名前の由来になったとか。 -
美しい曲線美・・・しかし、この美観を守るのはなかなか大変なようです。
河川から流出する土砂量の減少などにより、昭和20年代から砂浜の浸食が顕著となって、一時は存在が危ぶまれる状態になりました。
そのため、突堤・養浜・サンドバイパス・潜堤による浸食対策を実施し、景観維持に努めています。 -
更に、松食い虫の大量発生もありました。
過去、松食い虫の大量発生のため松の立ち枯れが頻発し、全滅の危機に瀕しましたが、徹底的に害虫の駆除が行われ、今はなんとか小康状態を保っているとのことです・・・目に見えない苦労があるのですね。
でも頑張ってこの姿を残して欲しいと思いました。 -
ビューランドからは、昨夜の宮津ロイヤルホテルが目の前に見えます。
-
この景観をいつまでも守り続けてもらいたいものです。
-
下りのリフトに乗ると、少しずつ変わる天橋立が楽しめました。
-
天橋立から30分ほどで伊根に到着。
-
綺麗な海に沢山の魚が泳いでいます。
-
「伊根湾めぐり遊覧船」は舟屋が立ち並ぶ伊根湾を約30分かけて周遊します。(680円)
湾を取り囲むようにして建つ舟屋を海上から眺めるのは、陸地からではなかなか味わえない舟屋の風景と趣があります・・・今回の旅行の楽しみの一つでした。 -
平日ですが、次々と観光バスの団体さんが押しかけてきます。
9時から1時間に2便の観光船ですが、今日は臨時便も出るほどの盛況です。 -
船が動き出すと、えびせんを求めて早速カモメが集まって来ます。
観光船が出ている所ではお馴染みの風景ですが、カモメも慣れたものです。 -
船スレスレの所を飛んで 上手にキャッチ・・・すごーい!!
-
カモメに交じって、トンビまでも・・・
-
伊根の舟屋が見えてきました。
手前は鯛や鰤の養殖場。 -
これは、亀崎の赤灯台。
-
船があり、洗濯物が干され、日々の生活がある鄙びた漁村の伊根。
-
伊根湾(周囲約5km)全域にわたり、海岸線に沿って約350軒の主屋・230軒の舟屋・150軒の土蔵が、へばりつくように建ち並ぶ集落です。
-
ズラリと並ぶ舟屋、これが見たかった!・・・1階が船のガレージ、2階が居間となった独特な建物です。
海辺ぎりぎりに建ち並んでいるので、海から眺めると、まるで海に浮かんでいるかの様に見えます。 -
そして、切り妻屋根が並ぶ舟屋の姿は、さながら将棋のコマを並べたようにも見えます。
-
切妻造りの舟屋の一階部分は海に接し、海に対して間口一杯に開いています。
日本海にありながら穏やかな湾で、波や潮の干満差の影響をあまり受けないことが舟屋の建築に繋がりました。 -
舟屋は、昔は船を海から引き上げ、雨風から守るための小屋でした。
明治・大正期までは茅葺きの小屋でしたが、その後、現在のような木造2階建てに建て替えられました。
伊根の漁師町としての歴史を感じます。 -
-
-
-
堤防の釣り師たち。
-
伊根湾めぐりも終わり、宮津に戻る途中の「シーサイドセンター」で昼食。
-
レストランから天橋立がよく見えます。
-
とっても美味しかった海鮮丼(1,550円)。
天橋立と伊根の舟屋を見て、お腹も満腹になったところで、次は福知山~京都に向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ペコちゃんさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
88