2015/10/15 - 2015/10/21
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ペコちゃんさん
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福山の観光と実家の法事を済ませて、次に向かったのは滋賀県・・・たまたま息子が彦根に単身赴任しているので、一度訪れようと思っていました。
近江八幡と彦根を案内してもらい、その後はレンタカーで夫婦二人旅《長浜・敦賀・美浜・舞鶴・京都》と回り、最終日には大津も観光しました。
滋賀県は京の都の隣ということもあり、名所や史跡が多くあります。
好天の中、秋の旅は続きました。
写真は、近江八幡の八幡堀を進む「水郷めぐり」の小舟。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
-
福山発8時59分の「のぞみ8号」に乗り、京都で新快速に乗り換えて11時3分に近江八幡に到着。
近江八幡は、秀吉の甥(秀吉の姉の子)にあたる豊臣秀次が1585年~1590年に築いた城下町で、近世は商業都市として発展しました・・・いわゆる近江商人の発祥の地です。
近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称・・・安土桃山時代に始まった楽市楽座の自由商業主義のもと、近江八幡の町から、天秤棒を肩に全国に活動を広げます。
北は北海道から南は遥か安南(ベトナム)やシャム(タイ)まで進出し、当時まだ発展途上であった江戸にもいち早く店を出しました。
近江商人は『買い手よし、売り手よし、世間よし』という『三方よし』の理念を商売の基本とし、自ら利益のみを追求することなく、社会事業にも大きく寄与しました。 -
近江八幡の中心を流れる八幡堀に近い場所にある「日牟禮(ひむれ)八幡宮」・・・伝承によれば、131年、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされ、691年に藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められたと云われています。
『天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲』
これは「楼門」。 -
楼門の左右には左大臣と右大臣。
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楼門を入った所にある「拝殿」で参拝。
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境内にある馬の像。
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本殿。
例年3月には「左義長まつり」、4月に「八幡まつり」が開催されます。 -
本殿のそばには立派な神楽殿があります。
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神社を出ると「八幡堀」に架かる「明治橋」があります。
安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を繋ぐために全長6kmの八幡堀を造りました。
琵琶湖を往来する船を城下内に寄港させることで、人・物・情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけた、と言われています。 -
昭和20年代頃までは綺麗な流れだった八幡堀も、その後、悪臭や害虫を発生させる厄介者となり、埋め立て計画が持ち上がりました。
しかし、市民の反対運動もあって堀の復元が計画され、昭和50年以降の改修工事を経て現在に至っているそうです。 -
八幡堀に新町通りがぶつかるこのあたりは「新町浜」と呼ばれ、荷物の上げ下ろしが盛んに行われた場所です。
現在は石段が復元され、時代劇のロケにもよく使われていています。 -
八幡堀は琵琶湖水運の要衝として設けられた堀で、湖上の船はこの運河を利用したそうで、堀沿いには白壁土蔵や旧家が建ち並んでいます。
かつての城下町時代は、この堀の北側(左手)が武家地、南側(右手)が町人地と分かれていたようです。 -
水郷巡りの小舟も行き交っていました。
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近江八幡の郊外にある北之庄沢の田んぼの下には質の良い粘土があり、農家の人はそれを瓦屋さんに売って、有名な八幡瓦が作られていました。
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八幡瓦の面白いオブジェ。
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八幡掘りから、舟板塀を張りめぐらせた近江商人屋敷の町並みを散策しました。
舟板塀は舟の廃材を再利用した塀です。 -
永原町は、八幡城を造った時に安土城下の永原町から住民を移住させて造られた街です。
多くの豪商を輩出した街で、江戸中期には灯心屋・質屋・畳大工・道具屋・麹屋・油屋など30軒以上がありました。 -
仲屋町(すわいちょう)は仲買商人の街でした。
道路標識も「あきんど道」になっています。 -
仲屋町にある「旧八幡郵便局」・・・ヴォーリズの設計によって大正10年に竣工して以来、昭和35年まで現役の郵便局でした。
個性的なデザインですが街並みに溶け込んでおり、旧市街中心部のランドマークになっています。 -
建物の管理はボランティアの人達によって運営され、ギャラリーやイベント会場などの多目的スペースとして活用されています。
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レトロな窓口がいいですね。
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2階は電話の交換室でしたが、現在はヴォーリズの写真などが展示されています。
米国人のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)は日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家・・・明治38年に八幡商業高等学校の英語教師として来日し、83歳の生涯を終えるまで近江八幡に留まり、キリスト教の伝道とその主義に基づく社会教育、医療、学校教育などの社会貢献活動を続けました。
これらの事業を経済的に支えるために、建築設計会社やメンソレータムの製薬会社などを興し、また日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けました。
昭和16年に日本に帰化して日本人と結婚し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗り、近江八幡を拠点に精力的に活動したことから「青い目の近江商人」と言われました。
また終戦直後、マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから「天皇を守ったアメリカ人」とも言われています。 -
明治40年に建てられた「アンドリュース記念館」・・・ヴォーリズが建築した第一号の建物で、日本初のYMCA(キリスト教青年会)会館として使われました。
そしてヴォーリズはYMCA活動を通し、牧師でなく信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に努めました。 -
近江兄弟社の独身寮として、昭和15年に建てられた「地塩寮」・・・寮名は「あなた方は地の塩である」という聖書の言葉に由来します。
ヴォーリズは建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(後の近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもあります。 -
明治40年にヴォーリズが建てた「近江八幡教会」は失火で全焼しましたが、昭和58年に現在の教会が再建されました。
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為心町(いしんちょう)の街並み。
船板塀は、質素倹約を家訓としてきた近江商人の心を表現しているのでしょう。 -
アンティーク雑貨・古美術品の専門店「中島多吉商店」は明治の創業で、店を構えて100年以上(5代目)になります。
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京へ続く京街道と新町通りが交わる所に郷土資料館があります。
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「近江八幡市立郷土資料館」は明治19年に八幡警察署として建設され、昭和28年の改築の設計をヴォーリズ建築事務所が行いました。
かつてはこの場所に、安南国(現在のベトナム)との貿易で活躍した安南屋西村太郎右衛門の屋敷があったそうです。 -
1階には、昔懐かしいシンガーミシンや扇風機などが展示されています。
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2階では、NHKの朝ドラ「あさが来た」の主人公のモデル・廣岡朝子と朝子の娘婿の妹・一柳満喜子の企画展を開催していました。
まだテレビでは、女実業家の朝子とヴォーリズの妻となった満喜子の出会いまで話が進んでいませんが、これからが楽しみです。 -
郷土資料館の奥にある「歴史民俗資料館」は、江戸時代末期の民家を修復し昭和54年に開館しました。
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近江八幡の商人が使用した道具類を展示したり、当時の生活ぶりをそのまま再現しています。
漆塗りのお琴のケースが立派ですね。 -
これは、戦後、どこの家にもあったハエとり瓶。
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「伴庄右衛門邸」・・・伴庄右衛門は江戸時代初期から活躍した八幡商人の一人で、主に畳表・蚊帳(かや)を商い豪商となりました。
今も残る旧伴家住宅は、7代目が文政10年(1827)より天保11年(1840)の十数年をかけて建築したものです。
以後も伴家は繁栄を誇りましたが、明治維新等の激動に耐えらえず明治20年に終焉しました。 -
建物は、明治になって当時の八幡町に譲渡してから小学校・役場・女学校として利用されました。
戦後は近江兄弟社図書館(のちに近江八幡市立図書館)として親しまれ、現在は市立資料館の一部となっています。 -
中に入ると「左義長(さぎちょう)まつり」に使われる 山車(だし)が飾られています。
山車は、その年の干支にちなんだもの(来年はサル)を、黒豆・小豆・胡麻・昆布・するめ・鰹節などの食材を使って、町内の人々の手作りで制作したものです。 -
今年の左義長まつりは3月14・15日でした。
左義長とは小正月に行われる火祭りの行事で、全国的に見られる習俗です。 -
「八幡押絵」は江戸時代、彦根藩の奥女中が手慰みに、金襴緞子長浜縮緬を材料にして作っていたもので、それが近江八幡の民家に伝わって今日まで続いています。
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下絵を線描きし、その上に綿の布きれを重ね張りして友禅柄などの彩色を施します。
細部にわたる押絵と上絵付・・・華やかな押し絵に目を奪われました。 -
学校に使っていた建物だけに、室内はかなり広く、2階にも近江八幡に関する展示物が並んでいます。
これは、何と、福山・鞆の浦で見聞した朝鮮通信使の人形。 -
朝鮮から江戸へ 朝鮮通信使が通った日朝友好の道・朝鮮人街道が琵琶湖岸にあります。
豊臣秀吉の朝鮮侵略以後、断絶した日朝関係の回復を願った徳川家康は、対馬藩を通じて朝鮮へ使者を送り、国交の回復に努めました。
そして1607年に正式に使節を迎え、以後1811年までの間、計12回の通信使が日本にやってきました。
通信使の一行はソウルを出発し、釜山より海路で対馬から瀬戸内海、淀川から京都へ到着。
その後は陸路で中山道・東海道を通過し江戸を目指すという約2000kmの行程で、その期間は往復で約1年もの歳月を費やしました。 -
「見越しの松」。
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昔懐かしい丸いポスト・・・もう見かけなくなりましたね。
奥に見える山が八幡山・・・今はロープウェーで山頂まで上がれます。
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「森五郎兵衞邸」・・・初代五郎兵衞は伴家に勤め、別家を許されて煙草や麻布を商いました。
やがて、呉服・太物など取扱商品を増やし、江戸日本橋や大坂本町にも出店するなど活躍しました。 -
近江八幡でコンニャクといえば「赤」・・・派手好きだった織田信長が赤く染めさせた、という説もあります。
この赤色を作り出しているのは三二酸化鉄という食品添加物で、食物繊維を豊富に含んでいるほか、カルシウムも豊富に含んでおり、だしで煮付けにしたり、味噌をのせて田楽などにして食べると美味しいそうな・・・息子のおススメもあり買ってみましたが、味はマアマアかな。 -
日牟禮八幡宮参道前の駐車場に戻り「クラブ ハリエ」へ。
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これも息子おススメのバウムクーヘンをお土産にゲット。
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パンやケーキなどを求める人で、店内は混雑しています。
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13時半に「初雪食堂」でやっと昼食。
昭和風の普通の食堂ですが、量が多くて値段も高くなく、地元の人にも愛されている店です。 -
ビックリしたのは、サザンの桑田さんが出演したドコモのCM(NTT docomo walk with you 2011 summer)撮影がこの店内であったとか。
色紙に写真も飾ってありました。 -
桑田さんは奥のテーブルに座ったそうです。
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昼食後は彦根に向かいますが、途中の安土に立ち寄り。
安土城で有名な蒲生郡安土町は、平成22年に近江八幡市と合併しました。
大正3年に開業したJR安土駅のロータリーには・・・ -
天正3年に「天下人」となった織田信長の像が天下を見据えています。
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織田信長によって、1579年(天正7年)に安土山に建造された「安土城」・・・地上6階・地下1階建てで、天主の高さが約32mあり、建造当時は城郭が琵琶湖に接していました。
それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されています。
1582年(天正10年)、家臣・明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の後、何らかの原因で焼失して廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみですが、この復元図を見ると、当時が偲ばれます。 -
標高192mの安土山の全てが安土城で、山頂にある天主跡まで、大手道の405段の石段を登ります。(往復約1時間)
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登り始めてすぐに「羽柴秀吉邸跡」があります。
対面には「前田利家邸跡」・・・守りを固める重要な位置です。 -
羽柴秀吉邸の復元図。
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築城の際に、大手道の石材として使われた石仏。
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大手道は、しばらくまっすぐに続いていますが、途中からグネグネと入り組んでいきます。
意外とハードな道のりでした。 -
お釈迦様の足跡を表現した仏足石も、先ほどの石仏と同様、大手道の石材として使われていました。
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安土城の二の丸址に織田信長の本廟があります。
1583年(天正11年)に羽柴秀吉によって建立され、信長の太刀や烏帽子、直垂(ひたたれ)などの遺品を埋葬して本廟としました。 -
最後の石段を登って、やっと天主閣址に到着。
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ここが天主閣址・・・通常のお城は天守と書きますが、安土城は天主。
そして信長は実際に天主に住み、高層住宅に住んだ最初の日本人(?)だとされてます。 -
山頂からは琵琶湖が望めます。
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下りは大手道と違うなだらかな道を歩いて行きます。
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天主閣の近くには、信長が寵愛した森蘭丸の邸址が石碑で残っています。
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琵琶湖の水辺ギリギリに建っている集落・・・増水した時は大丈夫でしょうか。
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信長によって城郭内に建立された「総見寺」は、臨済宗妙心寺派の寺院・・・三重塔と仁王門は築城当時の建築物で、安土山の中腹に残っています。
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1454年に建立された三重塔は、総見寺を創建した際に甲賀の長寿寺より移築したものです。
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総見寺の仁王門。
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1571年に建立された二王門は、入母屋造・本瓦葺きの楼門。
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仁王門の左右には仁王像。
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信長なくして日本の城は語れません。
何がそれほど革新的なのかというと、まず日本初の天主を建てたこと、つまり信長以前の城には天守がないのです。(例えば上杉謙信の春日山城や武田信玄の躑躅ヶ崎館など)
城をぐるっと高石垣で囲んだのも、信長が初めてです。
完成からわずか3年で本能寺の変があり、直後に焼失・・・信長の人生のように電光石火の如く姿を消した、幻の城でもあります。 -
安土から彦根に向かう途中、琵琶湖の波打ち際で一休み。
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遠くに見える「多景島」・・・多景島の名前の由来は、見る位置によって姿が異なるから、という理由によります。
多景島は無人島ですが、お寺や多数の石塔などがあり、観光客用の施設は整っています。 -
琵琶湖に注ぐ川の水門。
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東側を見ると、日本百名山の「伊吹山」(標高1,377m)が・・・一度登りたい「花の山」です。
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今日は日曜日なので、ヨットを楽しんでいる人達がいました。
この後は、彦根の街に向かいます。
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