2015/06/09 - 2015/06/11
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カメちゃんさん
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関東や伊豆方面へお出掛けする時、熱海駅で「降りて街へ出た」ことが一度もなかったのです。そんなわけで、大した理由もないけどチョットだけ「熱海」が気になっていたのです。
熱海と言えば、「貫一お宮」と温泉で世界的に?有名なところなのに、ひかり号の停車本数も少なくて、通過することが多いのですね。
最近は、体調もチョット落ち目で「副体調(副隊長?)」に降格となり、やや焦り気味に・・(^_^;)熱海も行けるうちに行っておかなくちゃ!と、当家のカミさんに相談したところ、二つ返事でご了解!(^^)!
東京のお友達にお話したら、「ウチも行くよ?」とのお言葉を戴いて、熱海行きが確定したのでありました(^^) ついでに、「お吉さん」と「金目鯛」で有名な下田も行ってみようと欲張って、2泊3日の大旅行?と相成ったわけです。
熱海と下田という伊豆の2大観光地に漸く行けることになり、東京の旦那様とは5年ぶりの再会も楽しみです。
それでは、出掛けますね。
写真は、楽しみにしていた、Kさんご夫妻とのディナーの様子です。
【※】地図をご覧の際は、先ず地図を拡大表示して下さい。そして、地図画面の左側にある「無題のレイヤ」の下の、「…他△△個」をクリックして一覧表示させ、その中から該当の施設名・地名をクリックして下さい。そうしますと、地図上の当該場所に半透明の白丸が表示されます。ご覧になったらブラウザの当該タブを閉じて下さい。
航空写真への切り替えは、地名等の一覧表示の下にある四角な航空写真枠をクリックして下さい(以前より使いにくくなりました)。
★★「熱海・下田の旅」の3編のアドレスを掲示します
それぞれのアドレスをクリックされて、ご覧下さい。
初めての熱海・下田の旅 <その1・熱海編>
https://4travel.jp/travelogue/11072541
初めての熱海・下田の旅 <その2・熱海&下田編(唐人お吉)>
https://4travel.jp/travelogue/11072777
初めての熱海・下田の旅 <その3(最終回)・下田編>
https://4travel.jp/travelogue/11075497
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
きょうは熱海へ行きます。
ですから、出発駅は名鉄線の駅ではなくて愛環(愛知環状鉄道)の梅坪駅なんですよ。
この駅には駐車場がないので、歩いて10分ほど南の名鉄梅坪駅前の駐車場に車を置いて、ここまで歩いてきました。
荷物がなければ丁度よいウォーキングになりますけど、荷物がありますとちょっと負担になるんですよ。愛環さんには屋根付きの駐車場をお願いしたいですね。 -
高架上を行く電車は名鉄(名古屋鉄道)豊田線の電車です。
豊田市駅と名古屋地下鉄・鶴舞線を直通で結んでいますよ。電車も名鉄と
名古屋地下鉄の両方の車両が走っています。写真の電車は名古屋地下鉄の車両です。
私たちが名古屋方面へ出掛けて行く時は、この電車を利用するのです。 -
私たちが乗る電車が来ました。
比較的新しい電車で、静かで乗り心地も良いですよ。 -
電車はトヨタの本社工場の近くを通ります。
8月になるとあの戦争のことが話題になるのですけど、あの戦争が終わる直前の1945年8月14日の午後、B29爆撃機が3機やってきて、トヨタの本社工場に模擬原爆を投下したという話があります。
最初は爆弾の中でも大きい1トン爆弾が投下されたと思っていたようです。豊田英二氏のその記事を読んだB29の搭乗員が、あれは4トン半の長崎型・「模擬原爆(バンプキン爆弾)」だったと明かしてくれたのです!!。この日はポツダム宣言を受諾した日だったのですが(降伏発表は15日)、もし、ポツダム宣言受諾日が順々に遅れていたら、本物の原爆が投下されていたかも知れなかったのです。
この頃までには、全国の主要都市や工場地帯が猛爆撃にさらされており、愛知県でも名古屋・豊橋・一宮・岡崎・半田・豊川などが激しい爆撃にさらされていました。ところが、アメリカは軍需工場化していたトヨタの大工場を知りながら爆撃には踏み切っていなかったため、工場は無傷に近い状態だったようです。この状態が原子爆弾の次の攻撃目標に選定される要因となったかも知れませんね。
★トヨタ自動車本社工場の場所は↓にて(薄紫色の工場の図形マークです)
https://www.google.com/maps/d/embed?mid=zbreB3bGAAsE.k_L1QhoQk-e8 -
以前と比べて、地図表示が分かりにくくなりました。
それで、写真をご覧戴く際のご説明の図を作成してみました。
図中の「NO.1」では、どちらかをクリックしますと、「NO.2」の表示に変わります。
「NO.2」では、まず「写真枠」をクリックして、航空写真画面にして下さい(この画面は地図画面です)。 そして、左の一覧から当該名をクリックして下さい。すると、「NO.3」の画面に変わります(この図では“地図”画面です)。
「NO.3」の画面では、選択したところを拡大してご覧下さい。 左上の、←印マークをクリックされますと「NO.2」の画面に戻ります。
地図を閉じる時は、タブの×印をクリックして閉じて下さい。
(※)旧Google mapでは、このような表示にならないことがあります。
−−−−−
以前に比べて、やりにくくなりました(-_-;)
まだ、だいぶ学習不足ですので、間を見て勉強してみます(^_^;)
当面は、このやり方でお願いしますm(_ _)mm(_ _)m -
トヨタの本社地区付近の、パンプキン爆弾落下地点です(資料により想定)。
B29爆撃機3機が斜めに並んで飛んでいたかも知れませんね。
パンプキン爆弾は、全国に49個投下されたそうです。3個以上投下された都市は、宇部・新居浜・神戸(4個)・四日市・豊田(当時は挙母町)・春日井(4個)・富山とのことですが、降伏決定が遅れていたらと思いますとゾッとしますね。
広島・長崎は人類史上最初の原爆被災地となりましたが、それ以上に原爆の災難が広がらなかったことは、まさに神のみぞ知る歴史の偶然だったのかも知れませんね。
戦争は本当にイヤですね。
写真ではトヨタ本社地区を示していますが、他の本社地区の事業所が含まれませんし、企業福祉関連施設は含まれていませんし、関連企業が使用している土地があるかも知れません。そのため、実際には図示したよりもかなり広いのです(2014年度決算書では、本社地区全体の土地面積は約248万平方mです。元町工場など、他の工場は含まれません)。
★パンプキン爆弾の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%AD%E3%83%B3%E7%88%86%E5%BC%BE -
岡崎城が見えてきましたので、当家のカミさんが急いで撮りました。なんとか間に合ったのがこの写真です。
岡崎城は徳川家康(1543年1月31日生まれ)の生地として、有名ですね。岡崎城は1452年(享徳元年)に仁木氏によって築城され、その76年後に松平氏が城主となったようです。現在のような立派な天守がつくられたのは1617年になってからとのことです。
それがね、明治6年の廃城令によって壊されてしまったというのですから、モッタイナイですね。写真の岡崎城は昭和34年に鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。
こういう史跡を鉄筋コンクリート造りで復活させたという日本の行政の感覚はちょっと寂しいですね。
木造の五重塔やお城・神社・仏閣などが、数百年から1000年以上も地震・台風・豪雪を耐え抜いてきたんですから、その技術と工夫に学び(歴史に学び)、最新技術を加味しながら木造で造ればよかったのにね〜(-_-;)
ヨーロッパでは幾多の戦争で破壊され尽くした史跡や旧市街を、伝統を守って以前のような材料を使い、昔と同じ姿で再建している例が多いですね。ヨーロッパの旧市街を歩きますと、市民の暮らしそのものが、近・現代の生活用具を上手に取り込みながらも伝統の中にあるんだ!!ということをひしひしと感じますね。
「歴史・文化を乗り換えてゆく日本。 歴史・文化を引き継ぎ、積み重ねていく欧米&イスラム世界」
なんてどこかに書いてあったのも、分からないわけではないですね。
★岡崎城の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&authuser=0&mid=zbreB3bGAAsE.kivcnllz3N_E -
岡崎市内の「六名」駅で、こんな表示を見つけました。
この駅の北500mのところに「新宮遺跡」がある!!
こんなところに?と言ってはイケナイのですが、42年前に発見された新しい遺跡なんです。
「新しい遺跡」なんて変な言い方ですけど(~o~)、発見が「新しい」ですよね〜(^O^)
42年前!!と言えば、私がカミさんと結婚した年であります(*^_^*) 町の公民館で古式ゆかしく式を挙げたモンです。
あの頃は、両家のお世話人さんがご挨拶をされて、あとはドンチャン騒ぎだったね。「新郎挨拶!!」なんてことは、なかった時代でした。←ちょっと寂しい(^^;)
田舎のことだし、参列して下さった方も高齢者が多かったですから、まだ民謡も歌われましたね(^^)
こっちの話は「新しい」なんてモンではなくて、今では古い話になりました(^_^;)
★新宮遺跡の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%AE%E9%81%BA%E8%B7%A1
★新宮遺跡の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/viewer?hl=ja&authuser=0&mid=zbreB3bGAAsE.kivcnllz3N_E -
岡崎駅から、快速電車で豊橋に向かいます。
本当は、乗り換え時間の余裕を見込んでこのあとの新快速で行く予定でしたけど、この快速に運良く間に合いましたので、これに乗ります。
岡崎から豊橋へ行くには、快速も新快速も所要時間はあんまり変わらないのですよ。
JR岡崎駅というのは、岡崎の市街地中心から3.5Kmほども南の方にあるんです。明治20年頃、現在の名鉄名古屋本線沿いに東海道線を建設するには、途中の山が気になったようです。それで、路線を南の蒲郡の方へ迂回してしまったことが、市街地から駅が遠くなった原因だったようです(蒲郡は得をしましたね)。
都心から離れているために、お客さんの獲得はだいぶ条件が悪いですよね。愛知県でほぼ同規模の人口のあるJRの豊橋駅や一宮駅に較べて、岡崎駅の乗降客数はだいぶ見劣りがします。
何事も時の運ですね。
当家の「カカア天下」も、時の運でありました(=_=)
★岡崎駅の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/viewer?hl=ja&authuser=0&mid=zbreB3bGAAsE.kiTE1Myjc-L8 -
遠くの丘の上に見覚えのある青緑色の建物が見えてきました。
あれは「蒲郡クラシックホテル」なんですよ。その名の通り、ちょっとクラシックなところが良いホテルなのであります。
今年の3月には、長江クルーズの一泊同窓会がこのホテルで開かれたんですよ。あれは、とっても楽しい集まりでした(^-^) お友達との昼食会もありましたよ〜(^^)
皆さんも、是非お泊まりに来て下さいね。
★↓は長江クルーズ同窓会の様子です。
http://4travel.jp/travelogue/10998046
★「蒲郡クラシックホテル」の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/viewer?hl=ja&authuser=0&mid=zbreB3bGAAsE.k_L1QhoQk-e8 -
ここは浜松駅です。
豊橋駅では、予定の1本前の新幹線電車に時間ギリギリで飛び乗り、バタバタしてしまいました。
あれから「絶対に乗らない」と決めていた「こだま号」に、またもや乗ってしまったのでした(-_-;) ホントにしょうがないねぇ(^_^;)
それというのも、熱海に止まる「ひかり号」が少ないのですよ。伊豆方面への玄関口となっている割には、ひかり号の停車本数が少ないと思います。お昼ちょっと前に着く「ひかり号」が欲しいんですよね。
そんなわけで不本意ながら、豊橋経由で「こだま号」に乗ってしまったのであります(T_T)
それで、さっそく停車したのが浜松駅。ここで、またもや5分停車(T_T) 掛川だけは1分停車だったけど、それ以外の駅では5〜6分の停車だったモンね(=_=)
だからね、「こだま号」なんて呼称はやめて、「新幹線普通」列車にしなさいと言ってるんですよ!! いやいや「各駅5分停車列車」と言う名前の方が、ピタッ!!とくるかもね(^O^) -
熱海での昼食時間の節約のために、車内販売のお姉さんが来たらお弁当でも買おうと思っていたけど、ちっとも来てくれません(-_-;) たまたま回ってきた車掌さんに聞いたら
「こだま号では車内販売をいたしておりません」
だって(=_=) なんてこっちゃ!!(>_<)
浜松停車の時に、電車を降りて急いでお弁当を買っている方がおられたのは、そのためだったんですね。
ンなら、掛川駅でお弁当を買おうと思っていたところ、ここだけは1分停車との車内放送が(=_=)
イヤミだね〜、ホントに(-_-;)
写真は掛川駅の新幹線下り線ホームの売店です。 -
間もなく静岡駅到着という時に、右手(南側)に教会のような建物が見えてきました。
ゴシック調の、どえりゃ〜立派な教会だがね(^^)
しかし、教会と言うよりも、どうも結婚式場くさいね(^O^)
それで、この写真を頼りに、Google map上で見当をつけて探してみましたら、「ロイヤル・セント.ヨーク」っていう結婚式場だったんです。
私たちは、地元の町の可愛くも古くさい公民館の、これまた小さな「大広間」で結婚式をやったというのに、ドエライ違いだね〜(-_-;)
どこで結婚式をやっても良いけど、問題は「亭主関白」を取れるか、「カカア天下」になるか?!という人生最大の難関が待っていることだね。
万一「カカア天下」になったら、お給料を全て巻き上げられる上に、お茶碗を洗って、お掃除をして、奥様の足腰マッサージまですることになるよ〜〜(-_-)←ホントだよ〜!!
ほら、そこのアンタ、笑ってちゃダメだよ!! オトコにとっては一生を左右する真面目な問題なんだからね。ホントだよ!!
「ロイヤル・セント.ヨーク」の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zbreB3bGAAsE.klG0-wIvQm5Q -
静岡駅停車。
ここは6分停車でした。
当家のカミさんは用意していた財布を握り締めて、電車が止まると同時にホームに飛び出していきました。アレコレ選ぶ時間もないので、売店のおばちゃんに
「お勧めのお弁当を教えて下さい」
とお話して、教えて下さったやつを迷わず買ってきてくれたのでした。
こういう時って、ホント緊張しますよね〜。
買ってきたのはこの二つです。
「鯛めし」は私のために・・。「幕の内弁当」はカミさん用です。
さあ、どんなお弁当か?開けてみますかね(^^) -
これが、私の「鯛めし」です。
ご飯の上をビッシリと覆っている鯛のそぼろがとっても美味しくて、ホントに良かったですよ!(^^)!
確かに、「お勧め」のお弁当でした。 静岡方面へお出掛けのさいには、こういうお弁当をお勧めしますよ(^^)
そうそう、当家のカミさんにも1/3ほど分けてあげました。 -
こっちは、カミさんのお弁当。
カミさんの感想では、これも良かったそうです。
外人さんたちに静かに支持されているのが、新幹線でのお弁当だとか。youtubeの映像でも見られますね。これからは、新幹線のお弁当全制覇!!というのも、楽しいかもね!(^^)! -
三島停車。停車時間は5分。
「こだま号」の停車時間の合計は、22分でありました(^O^)
一度は三島で降りて、沼津や伊豆長岡、修善寺、戸田、土肥方面を訪ねてみたいな〜と思います。また、駿河湾や西伊豆の海の幸を楽しむのも良いですね。一週間ほどの計画をとって、ゆっくり、丁寧に回ってみたいですね。
そうそう、この歳になって懐かしくなったのが、三島農兵節(みしまのうへいぶし)です(^^)
「♪♪富士の白雪ノーエ 富士の白雪ノーエ
富士のサイサイ 白雪朝日でとける
♪とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ
とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ
♪♪三島女郎衆はノーエ 三島女郎衆はノーエ
三島サイサイ 女郎衆は御化粧が長い・・♪♪」
私が15〜17歳のころ、町工場の忘年会で先輩たちの歌を聞いて覚え、一緒に歌ったものでした。ちょっと口ずさんでみますと、あの頃が無性に懐かしくなって、涙が出そうになります。
三島農兵節は今も歌われているのでしょうか?
★「三島農兵節 youtube」で検索されますと、この歌が聞けますよ。 -
ようやく熱海に到着!!
また熱海に来ることがあったら「こだま号」ではなくて、名古屋に出て「ひかり号」でくることにします。
それに、「こだま号」では車内販売のお姉さんもいないですしね。 -
熱海駅のバス乗り場から、山手の方を仰ぎ見た光景です。
そう言えば、これまでは熱海駅で乗り換えたことはあるのですけど、この駅で降りて街に出たのは今回が初めてでした。
駅の裏がこのような傾斜地だなんて、全然知りませんでした。でも、こういうところは眺めが良いんですね。
★あの時は熱海駅で乗り換えでした。
http://4travel.jp/travelogue/10288038 -
さて、これから伊豆山神社へ向かいます。
このバスと同じ「東海バス」に乗っているんですよ。そう、ここは東海地方なんだね。
伊豆山神社って、どんなところ??
さぁ、それは分かりませんねぇ。分からないから行くんですよ(^o^) たぶん、伊豆の山にあるお宮さんだと思いますよ。
「あれっ?“伊豆の山”って、どういうこと??ここは伊豆じゃなくて、熱海でしょ?」
だから〜、知らないって言ってるでしょ!!でも、確かに「伊豆」じゃなくて、熱海だよね〜(^O^) -
バスに乗って席に着く時に気がついたんですけど、伊豆山神社へ行くバス乗り場を探すことに気をとられて、キャリーバッグを持ってバスに乗ってしまったんですよ。
本当は駅のコインロッカーに預けるつもりだったのに、バスが心配で、バッグを引きずって真っ先にバス停を探したんですよ。それで、バッグを預けることはコロッと忘れていました。こんなところまでキャリーバッグを持ってきてしまって、ホントにアホみたいな私たちです。
それでも、こんな階段がなければ良かったんですけど、それがまぁ、長い階段があってビックリ!!(>_<)
このことは、深く深く反省したのでした。私は腰が弱いので、結局当家のカミさんの負担になってしまったんですよ(-_-;) これで当家のカミさんに益々頭が上がらなくなってしまいました(T_T) 本当に大失敗でした(T_T) -
カメラの望遠で上の方を見てみますと、階段の上にまた階段が・・(>_<)
カミさんには本当に申し訳なくて・・m(_ _)mm(_ _)m 長崎のグラバー園みたいにエスカレーターでも付けてくれればいいのにねぇ。
だいたいね、日本の神社仏閣というのは、街外れの山裾とか、山の中に造ることが多過ぎるんだよね。その点、平野部の街にある寺社は長い階段が無くていいね。
ほんと、ヨーロッパの教会みたいに、街の中にデーン!!と造ればいいのにねぇ。日本の寺社には街中に造る度胸とか自信がないのかねぇ??
皆さんもそう思いませんか??
キャリーバッグを預け忘れたせいで、神様・仏様まで八つ当たりしてしまって、申し訳ありませんm(_ _)mm(_ _)m -
石段を上っていく途中に、小さいお社がありました。
これは「祖霊社(それいしゃ)」だそうです。
先祖の御霊をまつるお社とのことで、伊豆大権現に仕えた氏人の祖霊をお祭りしているとのことです。また、祖霊社は伊豆山の人々の守護神として景仰されているそうで、毎年春と秋に祭りが行われているようです。
私はここの氏人じゃないけど、ちょっとだけお参りをさせて頂きました。
★祖霊のお話は↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E5%85%88%E5%B4%87%E6%8B%9D -
また小さいお社がありました。
こちらは「役の小角(えんのおずぬ)社」です。
「役の小角」なんて言わずに、堂々と「役の大角!!」を名乗ればいいじゃんね(^-^)。日本人はどうも遠慮がちなところがあるからね。
私なら「大角」にするね。細かいことに拘る人もそんなにいないんだし・・。 -
「役の小角」ってどんな人?と思って、中を覗かせて頂きました。
ずいぶん修行された方のようで、法衣をお召しになって、左手に巻物、右手に杖を持っておられます。
生まれは、現在の奈良県御所市茅原(和歌山線王手駅の北で吉祥草寺や茅原防災センターがあるところ)とのことです。17歳で呪法を学び、その後山岳修行を積んだりして、神仏調和を唱えたとか。とにかくエライ人になったんですね。それが、言葉で人々を惑わせていると讒言されて島流しに・・。
2年間(3年間?)昼間は真面目に働き、夜は飛行術を使って伊豆権現に来て修行を重ねたそうです。それから大赦されて帰ってきたものの、半年後には68年の寿命を迎えたようです。
没後1100年にして彼の神徳が讃えられ、時の光格天皇より「神変大菩薩」の神号を賜ったというのです。
また、足腰の弱いものの味方でもあり、祈願すれば神のご加護を受けられるとのことです。
立派な人だったんですね〜。
いつも感じ入るのですが、こういう人たちは常に大衆の味方であると言うことですね。
ナンマンダブツ・ナンマンダブツ・・合掌m(_ _)m -
またまた、小さなお社に出会いました。
こちらは「結明神社(むすぶ みょうじんしゃ)」です。
こちらは「支社」で、「本社」は東京ではなく、今私たちが登って目指している伊豆山神社のさらに上にあるというのです。かなりの健脚でないと行けないですね。
「結明神社」というのは、その名の通り「縁結び」の神様だそうです。源頼朝と北条政子との恋の舞台だったことから、縁結びの神社として人気があるという話です。御祭神は「結明神」とのことです。
この神様のお話はいろいろありますが、要は名の通りの縁結びの神様なんですよ。
縁結びも良いけど、新たに結ばれた夫婦の家庭が「カカア天下」にならないようにして欲しいですね。それに、当家のカミさんに「たまには亭主を可愛がるように」と、教え諭してもらいたいですよ!!←これ、マジメに考えて欲しいですよね〜〜。
そう「縁結び」のあとも「カカア天下」にならないように、5年おきくらいにキチンとフォローしてくれる神様であって欲しいですよ。
そうは言っても、トシのせいですかね?
1年365日一日も休まず「オトコは凛々しく」なんてやってるのも、ハッキリ言って疲れるようになりました(=_=) だからね、1年に1日か2日くらいは、「オトコは凛々しく」の看板を降ろさせて頂きたいです。問題は、当家のカミさんが許してくれるかどうかですけどね。
高齢者になられた亭主の皆さんも、たまには男のプライドを横に置いて、奥様に寄り添ってみらたら如何でしょうか(~o~)(^O^) 但し、チョットだけですよ(^o^)
ホント、そう思いませんか??
源頼朝・北条政子の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%94%BF%E5%AD%90
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D -
ようやく伊豆山神社に到着しました。
とにかく、長い長い石段を登って来たのですから大変した。
私たちは階段数の数えていたのでど、50段あたりでアタマが混沌としてしまって、分からなくなりましたよ。世の中には階段数をチャンと数えられた方も多くおられて、180段くらいあったとのことです。
当家のカミさんはあのキャリーバッグを抱えながらでしたから、さらに大変だったと思います。
それとね、ここに来て分かったのですが、タクシーですと神社のすぐ近くまで来てくれるんですね。バス停からの長い階段を登らずに済んだのですよ。
伊豆山神社に来るなら、タクシーですね。
★伊豆山神社の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zbreB3bGAAsE.kivcnllz3N_E -
それでは身体を清めましょう。
なんと!龍が二人一組で仕事をやってるよ!!
この二人の龍は「赤白二龍」と言って、伊豆山神社の祭神である「天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)」の随神とのことです。赤は「火」を表し、白は「水」を表すそうで、二人で伊豆山の地底にて和合し、温泉を生み出すと言うのです。
最近火山の噴火や地震が多いですから、赤白二龍さんは激しく和合しないで、静かに静かに和合して頂きたいと思いますね。
それもあって??温泉の守護神を務めておられるのです。ホントにご苦労様と申し上げたいですね。 私たちは、今夜早速にも熱海の温泉を利用させて頂きますので、よろしくお願いしますね。
★「天忍穂耳尊」の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%9B%E3%83%9F%E3%83%9F -
熱海に行くなら何処を見ようかとGoogle mapを覗いていましたら、この神社が目にとまりました。以前から知っていたわけではないのです。
熱海で先ず目指したのはこの神社でした。
ここは「熱海」で「伊豆」でもないのに、どうして「伊豆山神社」?って思いましたね。
「伊豆山」という山の中に建てられたから?と思ったけど、そんな山は熱海市にはなくて、秋田県にあったね(~o~)
ところが、伊豆山神社の住所を見ると「熱海市伊豆山上野地」となっているんですね。でも、伊豆山神社と言うようになったのは、明治になってから。地名が先か?神社名が先か?と思って調べると、神社のある小高い山を伊豆山と言っているようです(神社はその中腹にある)。明治時代になるまは、「伊豆大権現」とか「走湯大権現」(そうとうだいごんげん)とか「伊豆神社」などと呼ばれていて、どちらとも言えないような感じですね。
これで神社名のことは解決したのですが、もうチョット調べてみると、現在の熱海市あたりは早くから「伊豆国田方郡阿多美郷」と言われる時期もあったようで、伊豆国の中にあったこの神社も、明治になって「伊豆山神社」と名付けられても変ではないってことになるかもね。
まぁ、「熱海も伊豆の内」ということが分かって、納得でした(~o~) -
伊豆山神社の本殿です。
こんなところで源頼朝と北条政子がデートしていたなんて・・。
しかし、頼朝の愛情なんていい加減なもので、政子が妊娠中に他の女性をしつこく“寵愛”(浮気)していたという話があるようです。 政子も政子で、当家のカミさんのようにカカア天下を取って頼朝をバシッ!!と叱り飛ばせばいいものを、浮気された女の親族に何度も八つ当たりしたと言うのですから、ホントに気の毒だね〜。
頼朝のことはさておき・・
ここの祭神は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)とのことです(伊豆山神社HPより)。
祭神に関しては別の説もありますが、どの説も祭神が3人もおられるんですね。神様同士で「オレが真の祭神だ」と、喧嘩になりはしないかと心配になってきますね。神様でも序列がありますから、民主的に多数決でというワケにはいきませんね(~o~)
この神社の始まりはいつなの?っていうことになると、「それは分からん!!」というのですから、困ったモンですね。だいたいBC:5〜4世紀の頃らしいです。それから神仏融合時代も含めていろいろあって、明治時代を迎えて神仏分離、「伊豆山神社」へと社名変更され現在に至っているようです。神仏融合時代の伊豆山神社はどんな風だったのか?それを見られないのは残念ですね。
★伊豆山神社の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE -
チョット失敬して、本殿の奥の方を望遠で撮らせて頂きました。
中央に飾ってあるのは、三種の神器の中の一つである「鏡」のようですね。
もっとも、宝物としての三種の神器は、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は熱田神宮に、「八咫鏡(やたのかがみ)」は伊勢の神宮の皇大神宮に、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は皇居にあると言われています。
ちなみに、我が家には13種の神器があります。1.冷蔵庫 2.電子レンジ 3.温水器 4.エアコン 5.食器乾燥機 6.パソコン(2台) 6.テレビ 7.電気毛布 ほかであります。13番目の神器は、Wサイズのお布団ですね〜(*^_^*)
我が家の神器のことは、あっちに置いて・・(~o~)
この神社の起源は良く分かっていないようですけど(だいたい5〜4世紀頃)、最初は日金山又は本宮山(現在の伊豆山神社より北に300m余にある)に社が置かれ、さらに現在地に移ったようです。その後、仁徳天皇が勅願所として以来、天皇家の勅願所として栄えたようです。鎌倉幕府の時代を経て15世紀頃にはかなりの隆盛を見たようで、神社の所領地も現在の群馬県から富山県まで広く分布していたようです。
こうなってくると、否が応でも「権力」というものが意識されてきますね。実際、鎌倉幕府成立後にも約3,800人もの僧兵を持っていたというのですから、その権力は絶大なものですね。「力」がものを言う時代ですから、欧州も東洋も教会や寺院が広大な領地をもち、領民を支配し、武力を擁していたことは、あの時代の共通点だったかも知れませんね。
伊豆山神社は、全国に合計百数十もある「伊豆神社」「伊豆山神社」「走湯神社」等々・・の神社の「総本山」であるとのことですから、とってもエラ〜〜イお宮さんなんですね。
私たちは神様に向かって「二拝二拍手一拝」をして、「カカア天下の健全なる発展」を祈願したのでありました。そして、その願いを実現していただきたく、ご縁を願って“5円”のお賽銭を奮発したのでありました(^^) -
伊豆山神社のすぐ横には、「伊豆山郷土資料館」があるのですよ。
大きな立派な資料館ではなく、こぢんまりとした資料館です。150円払って見学しました。他に女性の二人連れがおられただけで、受付のおじさんより丁寧なご説明をお聞きしながら良い見学ができましたけど、撮影は禁止だったんです(^^)
折角丁寧な説明をして下さったのに、撮影していかなければ結局は忘れてしまいます。このことを申し上げたんですが、撮影はダメでしたね。ホントに残念でした。
実際、今これを書いている時点で、作品の名称とか作者、制作年等々をボンヤリとしか思い出せないのです。それも、「確か龍の彫り物があったなぁ」という程度のことを思い出すだけです。
撮影が禁止される理由にはいろいろあるようですが、館内に撮影マナーを大きく掲示したり説明して、撮影出来るようにして欲しいと思います。それができなければ、館内の展示物を写真におさめたパンフレットなどを用意して欲しいと思います。
遠路はるばる行ったのに、展示品を見て、聞いて、時が経過すれば「あそこへ行った」という印象だけが残って、あとは忘れてしまう・・。
そういう美術館・博物館・資料館のあり方は、チョット考えて欲しいです。 撮影禁止なら、せめて主な展示物をおさめたパンフレットを用意するとか、リンクできるネットサイトを紹介するとかして欲しいです(出来ればリンクフリーで〜)。そんなことを声を大にして言いたいですね。
ちなみに、どういうわけかヨーロッパの美術館や教会などでは、フラッシュをうっかり焚いてしまった人を注意しながら、撮影を許可しているところが多いですね。
★「伊豆山郷土資料館 (いずさんきょうどしりょうかん)」検索されますと、8点ほどの展示物の写真と説明が見られます。 -
「伊豆山郷土資料館」に向かって左奥には「白山神社」の遙拝所がありました。
鳥居をくぐって、遙拝所の右にある細い舗装道を登っていくと、白山神社に行けるようです。道なり500m余ほど登ったところにあるようで、登るにはおよそ1時間ほどかかるようです。
「白山神社」というのは、その名からして「加賀の白山」を連想してしまいます。そう、白山信仰は人々の間に広まっていますからね。
そこで、あの立て札を読んでみますと、「東国北条の祭主、伊豆権現に祈願したところ『悪行のなす所、救いに術なし、これ白山の神威を頼むべし』との神託があった。(すると)一夜のうちに(略)雪が降り積もり、(略)病にある者がこれをとってなめたところ、病苦はたちどころの平癒(以下略)」と書いてありました。なんか病が流行ったみたいですね。
これを見ますと、「雪が降る」のですから、これはやっぱり加賀の白山信仰の関係でしょうね。それで、もうチョット調べて見ますと、やはり加賀の白山と同じ神様の菊理媛神(くくりひめのかみ)だったのです。
白山神社の方を見ますと、1183年に源頼朝が神領を寄進し、1186年に義経が参拝しているんですね。やっぱり、繋がりがあるんですね。「龍学」というサイトの話では、昔、この近辺で病が流行った時、加賀白山に勧請したことがあるようです。ここの地元でも、同様のことがあっても当然であって、加賀白山信仰が持ち込まれたとしてもおかしくないですね。そう、頼朝も加賀白山へ行っていますからね。
それにしても、伊豆山神社の末社が本社の上の方にあるって、おもしろですね。
★白山神社の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zbreB3bGAAsE.kivcnllz3N_E -
白山神社の近くには「子恋の森公園」と言うのがあるようです。
「子恋の森公園」
この公園名だけど、なんとなく日本的な名付けだな〜と思いしたね。
これも最初は「ここひのもり」と言われていたようです。それが11世紀頃和歌を詠む時に、「ここひ」を「子恋い」に変えて詠んだと言う話があります。言葉の芸術??である詩や俳句の世界では、様々な言葉に別の文字や表し方を掛けることがあるといいますが・・。
私は「子恋い」は好きではないです。もちろん、子どもは大事にします!!(今では“孫”ですが(~o~) ) でも、子離れ出来ない親ではなく、やっぱりカミさんを大事にしたいですね(*^_^*) そうしますと、いつの日か忘れた頃にビールの出る日が巡ってくるんですよ!(^^)!
他には、熱海市のHPでは、「清少納言の枕草子に『杜はこごひ』とあり、古来より名高く、ほととぎすの名所であるこの森を詠んだ歌は数多く・・」と紹介されています。
「俳句詠み川柳かも気ままなり」のブログでは、「許々比之森(ここひのもり)」「古々比の森」、「古々井の森」などとも称されてきたことが紹介されていますね。これらの中から、より伝統的な名前を選んで欲しかったです。
「子恋」も遠い昔に詠まれたもので歴史を含意する言葉ですが、今風の言葉と区別が出来ません。例えば「許々比之森」であれば、昔はそう呼ばれていたことを直感できそうです。そうなれば、熱海の歴史が表現され、歴史への関心もわき、勉強にもなりますからね。 -
伊豆山神社本殿に向かって右側に、長〜い文の彫ってある碑がありました。これはその前半部分です。第七十一騎兵連隊のことを書いた碑のようです。
戦後40年が過ぎた昭和61年に造られた碑文にしては、文字も文体も文章の内容も過ぎ去りし時代のものに拘っており、あの時代の兵隊さんの苦悩を英雄的・感傷的に表現し、意図的に情緒化し、読み手の感情に訴えようとしているように感じ取られます。
その一部をご紹介しましょう。文面中央のやや後ろには、
「幾多の忠誠武勇の将兵が身を鴻毛の軽きに比し勇猛果敢に奮闘して遂に敵弾に斃れ或は病の冒す處となり、陣歿された戦友を憶う時、哀惜の情一入なるものがある。」
という記述があります。何と言う時代錯誤の、また無責任な文章でしょうか!!
あの時代に建てられた碑なら時代を感じられる碑文かと思いますが、戦後40年も経過して人命の重さと尊さと民主主義が、人々に広く理解されている時代に書かれた文章です。
「鴻毛の軽きに・・」
言葉の端々を捉えて言うのではありませんが、↑でも触れましたように、人の命の大切さ尊さが叫ばれている現代に於いて、このような言葉が戦没者の慰霊文の中で使われていることにショックを受けました。
人命を、まさに「鴻毛の軽きに」に扱ったからこそ、海外で戦没した兵士の6割以上(150万人以上)を飢えや病で命を落とさせ、さらに「玉砕」を十数回も繰り返したんです。玉砕というのは、降伏すれば大多数が助かったはずの命を、降伏せずに部隊を全滅させて「皆殺し」にしたのと同じです。
あの当時の軍部・国民を覆った「お国のために」「鴻毛の軽きに」という考え方こそが、餓死・病死・玉砕・突撃という悲惨きわまる地獄を呼び込んだ大きな要因だったのではないでしょうか。このことを真剣に追求して欲しいと思うのです。
戦争の原因を他国に求めたとしても、その戦争で日本の戦没兵士の6割以上も餓死・病死させ、十数回も「玉砕」させてきたのは、何よりも日本軍の精神論偏重の戦略と「作戦指導」の結果であり、それを許した「国民性」にあるのです。
「陣歿された戦友を憶う時、哀惜の情一入なるもの」
「哀惜の情一入なるもの」があるならば、何よりも「鴻毛の軽きに」などという考え方から脱却し、一人一人の命の尊さを訴えるべきです。さらに、命を落とした兵士や遺族を地獄の苦しみに追い込んだ国と軍部の責任及び、国と軍部を煽った国民自身の感情の誤りを明らかにする努力をすべきだと思います。
亡くなられた兵士への最大の慰霊は、兵士(ひいては国民)の命を「鴻毛の軽きに」に扱って戦場に送り込んできたことを率直に認め、その過ちを再び犯さないことを霊前に誓い、約束することだと思うのです!!
★第71騎兵連隊の駐留地と作戦地の地図は↓にて(左の一覧を地名をクリックして下さい)
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zbreB3bGAAsE.kcEA3usJmd1w&usp=sharing
★騎兵連隊のことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5%E9%80%A3%E9%9A%8A -
こちらは後半部分です。
戦後のことが書いてあります。これまた、昔の「あの時代の感覚」で書かれています。
「祖国日本は戦後荒廃の焦土より奮起して国力の充足に努め、今や世界有数の経済文化大国として再興を遂げるに到った。これ偏に万世に太平を開かんと宣言せられた大御心に副い奉る国民の不屈の努力に外ならい。然して猶忘れてならぬことは三百万余柱を数える英霊のご加護である。」
「三百万余柱を数える英霊」に関して言えば、あの時代用語である「英霊」が気になります。
あの時代に於いては、英霊という言葉が人々を戦地に赴かせる魔術のような力を持っていたのではないでしょうか。
「お国に命を捧げ」る教育をし、戦地では「鴻毛の軽き」に扱われ、死ねば「英霊」として靖国に葬られる・・。「英霊」や「靖国」に触れることは、戦没者の霊を冒涜するが如きに見られ、誰もが触れにくい「魔力」を持っているのです。
しかしながら、その「英霊」がどのように扱われたのか?「英霊」となった兵士の内 、6割以上が餓死・病死であったことは上で述べた通りです。また、そのご遺骨はどれほど帰国されたのかと言えば、いまだに戦死された方の47%のご遺骨(110万柱以上)が、海外で放置されているのです。
アメリカの遺骨収集事業は年に55億円を投じて国と軍とで組織的且つ、大々的にやってきたと言われているのです。日本では年に3億円前後の予算で民間に頼って細々とやってきたのです。「英霊・英霊・・」と言いながら、戦死された方々のことを心底から案じているとは言えないのです。
日本の悪いところは、精神論をぶち上げて人の気持ちを鼓舞するものの(現在の企業でもそうです)、人々の議論を喚起せず、組織的・財政的・技術的保証も曖昧にし、問題と責任の所在を曖昧にしたまま、結果として人の命と暮らしを軽視していることではないでしょうか??
話は変わって、天皇が「人間宣言」をされたのは、昭和21年の元旦。天皇は“人間”になられたのです。それから40年も過ぎたにも関わらず、「これ偏に万世に太平を開かんと宣言せられた大御心に副い奉る国民の・・」などと、天皇を“神”としたあの時代のままの文言で全文を書いてしまうのは、表現の自由があるとは言え、あまりに時代錯誤的且つ、意図的に感じられてしまうのです。
いま求められるのは、あの時代から学び、国民の一人一人が“正”か“邪”かを争う断片的な言葉の応酬をするのではなく、問題そのものを見つめての丁寧な議論が出来、認識を深めあえる資質を身につけることだと思います。
戦争は「政治の失敗の産物」と言われます。そうした失敗を再び許さない知識と行動力を人々が身につけ、それに支えられた確かな政治と社会をつくることだと思います。そのために、何をすべきか? 先ずは、他人や他国のせいにせず、自らの歴史から学びたいですね。
大切なことは、個人であれ、集団であれ、国家であれ、「人を愛する」ことです!!!
「人を愛する」こと。これをトコトン追い求めてこそ、新たな道が開けてくると思うのです。
またまた、熱くなってしまいました。 -
私が読み取れた限りでの、碑文の全体を以下に書きだしておきますね。
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我が騎兵第七十一連隊は、当時我が国の生命線といわれた北辺防備の緊迫に伴って新設された機甲騎兵部隊であった。
昭和十四年十月、千葉県習志野の騎兵第十五並びに十六連隊より選抜された精強なる将兵を根幹とし、第一師団からの一部要員を加え習志野実籾廠舎で編成された。初代連隊長は陸軍騎兵大佐立古睦吉、連隊は本部と四個中隊の一般機甲騎兵及び機関銃、連隊砲、自動車の各部隊から成っていた。
昭和十五年二月宮中に於いて畏くも天皇陛下より勅語を賜い、軍旗一旒を親授せられ三月十日三笠宮殿下の御見送りを賜り勇躍万里波濤を越え北支蒙彊地区の要衝包頭に進み、駐蒙軍騎兵集団第一旅団の隷下に入る。爾後第二次五原作戦を始めとし、大黄河南岸オルドスの砂漠に、或いは陰山の山獄に寧日なき作戦を重ね同地域の治安と警備に任じ、能く酷寒を凌ぎ、萬丈の黄塵に屈することなく、大いに軍の威武宣揚した。
然して此の間、幾多の忠誠武勇の将兵が身を鴻毛の軽きに比し勇猛果敢に奮闘して遂に敵弾に斃れ或は病の冒す處となり、陣歿された戦友を憶う時、哀惜の情一入なるものがある。
十七年六月機甲軍の創設に伴い、戦車第一師団機動歩兵第一連隊編成の基幹部隊として九月満州一面坡、石頭に移駐し第二八六部隊と呼稱対ソ決戦に備えたが師団は二十年三月本土防衛の命をうけ栃木県方面に展開第三六軍の中核となる。八月終戦の大詔を拝し遂に涙を呑んで干戈を収む。
爾後、祖国日本は戦後荒廃の焦土より奮起して国力の充足に努め、今や世界有数の経済文化
大国として再興を遂げるに到った。これ偏に万世に太平を開かんと宣言せられた大御心に副い奉る国民の不屈の努力に外ならい。然して猶忘れてならぬことは三百万余柱を数える英霊のご加護である。
昭和四十五年十月同釜共死を誓った嘗ての将兵が靖国靖国神社に相会し、合同慰霊祭を齋行したのを契機として、騎七一会を結成、五十年十一月戦友会旗を作製。伊豆山神社に入魂式を行い、併せて崇敬者を以て戦友講を結び第1回の講社祭を催し、以来毎年戦友の家族を含め戦友会と相俟ち今日に到っている。此の間に初代会長はじめ多くの戦友が幽明境を異にされたことは寂寞の念を禁じ得ない。
此の記念碑は連隊の懐古として亡き戦友への鎮魂の思いを籠め、万世太平を祈念し、天皇陛下御在位六十年奉祝の歓びをも表すべく、茲に六十年六月戦友会並びに講友の発起に依り建立を計画、戦友各位の協賛を得、凡そ一ヶ年を経て伊豆山神社の好意のもと、伊豆の海を一望する景勝の神域に之を建てる。時に昭和六十一年九月七日 願わくは子孫相傳以て此こが祖国発展の礎とならんことを。
△栄(△は読み取り不能文字です)
水野静石謹書
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三百万余柱を数える戦没者のことを考えるなら、三百万余の命を奪ってしまったあの戦争の根源をこそ、しっかりと問い直して欲しいですね。明治・大正のころから日米戦争を予見し且つ、日本が負けることまで見通していたいた人々もいたのです。
東日本大震災でも、原発でも、膨大な累積国債が抱える危機でも、注意を喚起する声はあったし、あるのですから、今も同じ問いかけが求められているのです。
明治になって急速に近代化した日本とは言え、馴れ合いと曖昧さが残り、抽象的な感情と精神論と権威に弱く、社会参加に不慣れな日本人の体質までは、今もって変わっていません。戦後40年経ても、このような碑文が書かれていることこそ、まさにその典型的な証かと思います。
この意味では歴史学者や社会学者の誠実な研究と積極的な発言が求められているような気がします。 -
私はこれまで狛犬を撮ったことはなかったと思います。
なぜか、今回は撮りました(~o~)
狛犬さんは、部落のお宮さんなどで子どもの時から見ていたのに、あまりに当たり前すぎて関心が薄れていたんですね。
こちらは阿形(あぎょう)の狛犬さん。
口を開けているのは怒って吠えているのではなく、福を呼び込む為という話があるんですね。
もう一方は口を閉じているんですけど、それは福を逃さないためだとか。
他の説では、口を開いているのは「あ」と言っているのであり、口を閉じている方は「あ、そう」という意味の「ん」と答えているというのです。これだと「阿吽(あうん)の呼吸」っていうのにぴったりですね。
これは、当家のカミさんと私の関係と同じです。カミさんが「あ〜!!」といって命令をすると、私が「うん(=_=)」と言って従うのです。「カカア天下」の家庭では、これが一般的な形ですよね? 皆さんのご家庭ではいかがですか??
まだ他にも説があって、「阿」「吽」は万物(宇宙)の始まりと終わりを示すというのです。また、悟りの為に頑張る菩薩の心と、悟りに達した涅槃を表しているというのです。
狛犬さんには、人々の様々な願いが込められているのですね。そう言えば、仁王様も門の左右に阿形と吽形で頑張っておられます。本当にご苦労様ですm(_ _)m
それとね、「狛猫」さんもおられるんですよ(^^) 猫ちゃんが大好きな私には、とっても嬉しい話です。結構可愛い狛猫さんもおられますから、是非「狛猫」で検索されてみて下さいね。
★狛犬の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%9B%E7%8A%AC -
写真がボケボケで済みませんけど・・m(_ _)m
神社を退出してバス停まで降りてきましたら、道ばたに道祖神様がおられました。
道祖神様も、これまでの旅ではお見かけすることもあまりなかったのですけど、私の旅行記で取り上げるのは初めてかと思います。
時間がなくて詳しくは拝見しなかったのですが、お母さんと子どもたちという形でしょうか。こういうお姿を見ますと、何かと問題の多い今の世に、何かを教えて下さっているような気がします。ほんと、ほっこりした、優しいお姿です。
隣の説明板によれば、こちらの道祖神様は天明5年(1785年)の昔から、悪い病気や災難がこの部落に入らないようにと、部落の入り口で頑張っておられるのです。手に持っているのは、酒の器の「へいし」だそうです。
命と暮らしの安全を祈る人々の素朴な心は、いつの時代にも共通するものがありますね。
道祖神様にも色々なお姿があるようです。私が気に入ったのは双体道祖神様です。夫婦(又はペアで)並んで立っている姿が何とも微笑ましくて・・(^-^)
★道祖神の詳しいことは、↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%A5%9E
★道祖神の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zbreB3bGAAsE.kivcnllz3N_E -
写真がちょっと暗いですが・・。
「ただ今ホテルに到着しました」とお話しても、納得して頂けるような映像ですけど、それがホテルじゃないんですよ(~o~) ここは、長いエスカレーターが続く「MOA美術館」なんですよ。
「MOA(エムオーエー)美術館」って、どういうところ?とお尋ね下さっても、私は全然知らないのです。まぁ、知らないから見に来たんですけどね。
ところで、日本の美術館なのに、どうして「MOA」なんてローマ字をその名に冠しているの?? 最近、日本に於ける欧米文化への関心のあり方に疑問を感じるうになって、ローマ字表示、カタカナ表示・表現等に関心を持つようになったんですよ。
Wikipediaによれば、「『MOA』とはMokichi Okada International Associationの頭文字である。」のことです。なぜ「岡田茂吉国際協会美術館」「岡田茂吉国際美術館」とか名乗れないのか? 「MOA美術館」のホームページを見れば、もともとの創立者である岡田茂吉は「日本の優れた伝統文化を世界の人々に紹介したい」という願望を持っていたのですから、この美術館名を日本語で付けて世界に紹介して欲しかったですね。
実際、外国からの観光客は、「日本の文化」を見に来るんですからね。日本の伝統的文化(建築・美術・宗教等々)が集中している京都が、世界観光都市ランキングで2年連続第一位を獲得しているのは、その証拠ですね。また「外国人が選ぶ日本の観光スポットランキング30」では、その殆どが日本の伝統建築と文化のあるところですね。
そう思いますので、日本語で堂々と「岡田茂吉国際美術館」と名付けて、日本文化の良いところを内外に広めて欲しいですね。要は、日本文化を内外に紹介し訴えていく力と積極性なんですよね。
★「MOA美術館」の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/MOA%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8 「MOA美術館」
★「MOA美術館」の場所は↓にて
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zbreB3bGAAsE.kivcnllz3N_E -
7つのエスカレーターを乗り継いで到着したところには、このような立派な能楽堂がありました。
「能」というものは日本の大事な伝統芸能であるのに、このような能楽堂や劇場などに出掛けてこの目で見たことは一度もありません。
「能楽」というものは歴史も長く、奥の深い芸なんですね。能楽の元を辿れば、1260年以上も前の「伎楽(ぎがく=呉楽)」時代から受け継がれているのですね。恥ずかしながら、そんな大事な伝統芸能をテレビでちょっと見ただけなんですよ。
伝統な芸能でこの目で見たものと言えば、地域で頑張っておられる三味線の演奏だけです。3年半ほど前に、新舞踊の「翔之流・史鶴会」さんの舞踊を、撮影を兼ねて拝見したしたことだけです。
★↓は「翔之流・史鶴会」さんの舞踊
http://4travel.jp/travelogue/10652474
★↓は武田神社の能楽殿「甲陽武能殿」です。
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=29915718
★能楽の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E6%A5%BD -
能楽堂の入り口前に張ってあった、ビラです。
10月24日に「演能会」が開かれるようです。
名古屋にも豊田市にも能楽堂がありますので、是非出掛けてみたいと思います。歌舞伎なんかも見たいです。これからは、日本の史跡・文化・料理を楽しむ旅をしたいです。 -
海の見える方へ移動してきましたら、壁側にこのような壺がありました。
こういう珍しいものを見ましたら、先ずは記念写真ですね(~o~)
さて、この壺ですけど、なんと舶来品ですよ!!
横に設置してある説明板によりますと、なんとまぁ(^^)イタリアからなんですよ。これは陶器で、お酒を入れるものとのこと。「クラテル」と言われるものです。アプリア式陶器ということですので、たぶんイタリア南部のアドリア海側の北中部あたりで、つくられたと思います。
造られたのは紀元前320年頃ということです。こういう壺が造られるようになったのはギリシャとかで、ギリシャ人は宴席で葡萄酒を水で割って飲む習慣があり、その際に使われたと陶器製の大型容器がこの「クラテル」という容器です。
容器の真ん中に馬が描いてあるところには、ギリシャ神話のヘルメスとベルセフォネ(ベルセポネーとも)の様子が描いてあるそうです。
しかし、葡萄酒を水で割ってしまっては味が落ちちゃうじゃんねぇ(~o~) 私はアルコールに弱いながらも、ストレートで呑むのが好きです。ですから、水で割ってしまうと折角の味が薄れちゃうので、モッタイナイと思いますよ。
皆さんは、お酒をどんな風にして召し上がりになりますか??
★↓は古代イタリア・アプリア地方(現在のイタリア・プッリャ州)です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%AA%E3%83%A3%E5%B7%9E -
こちらには髭のある如来様?菩薩様?がおられました。
ということは、この方は男性ですね。
私はお髭のある菩薩像を見たことがないのです。はじめに拝見した時には、どこのおじさんかと思ってしまいました。何方かな〜と思っていたら隣に説明板があり、「坐像菩薩」と表示されていました。
この菩薩様は、紀元3世紀ごろのインドの貴人の姿をして造られたとのことです。
仏教もキリスト教も当初は偶像崇拝を禁止していたのに、今では仏像や聖人像を拝んでいますね。初期の仏教では「宝輪」を信仰していたようですが、パキスタン北部で具体的な信仰対象を求めるようになり、それがギリシャ美術とオリエント美術の融合から生まれたヘレニズム美術の影響されて、仏像や菩薩像の制作に繋がったといわれているようです。
そのため、この時代の仏像はギリシャ・ローマの彫刻似ていると言われます。でも、インド以西の人々も彫りの深いお顔をしていますから、お顔だけ見ればこんな感じかも知れませんね。
仏像の出現の理由には、このように地中海文明の影響が指摘されますが、お供えの対象として釈迦像を求めたという話もありますし、繰り返す戦争や略奪・貧困にあえぐ人々が釈迦の再来(釈迦像)に救いを求めたという話もありますね。
要は、釈迦の死後500年ほどして、人々は釈迦や菩薩の姿を求めるようになったということですね。現代の私たちも、お釈迦様や菩薩様にお参りしますと、何となく心が落ち着きますからね。
実は、当家にも女性の観音様がおられまして、マッサージをしながら「美味しいモンを食べさせてね〜〜」と、お願いをしておるのであります。
★仏像と宝輪の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%83%8F -
こちらは「五尊仏立像(ごそんぶつりゅうぞう)」です。これは6世紀の中国・北斉時代に造られてもののようです。英語では「BUDDHA AND ATTENDANTS」と書いてありますから、「仏陀とその付き人」となるんでしょうか?
この説明は次の画像でご覧ていただくとして、「五尊仏」って、何方と何方??と思うのですけど、それが書いてないです」(T_T) 「五尊仏」って書いてあれば、そこは知りたいですよね。う〜ん、ちょっとガッカリです。
例えば、「白波五人男」と言えば、日本駄衛門、弁天小僧菊之輔、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸の五人って、ネットですぐ分かります。
中国6世紀頃の「五尊仏」をご存じの方がおられましたら、教えて下さいね。
まぁ、日本の「五尊」でよければWikipediaで見られます。釈迦如来、十一面観音、阿弥陀如来.地蔵菩薩、文殊菩薩っていうのがあるようです。 また「文殊菩薩五尊」というのもあって。1.文殊菩薩 2.優填王 3.善財童子 4.大聖老人 5.仏陀波利三蔵という五人組があるようです。
聖徳太子像も、元来は五尊形式だったとか。この人たちは、五人のお友達グループってことでしょうか(^^)
五尊仏の他に三尊仏っていうのもあるんですね。 -
ちょっとボケていますけど、↑の「五尊仏立像」の説明です。拡大してご覧下さいね。
この像がつくられた6世紀とえば、あの「三国志」の時代から300年ほど過ぎた頃ですね。 -
きょうの展示場では、「又兵衛 山中常盤物語絵巻」が展示してありました。
ところが、写真撮影が出来ないいんですよ(>_<)
これを描いた岩佐又兵衛勝以(1578〜1650)は独特の人物表現と画法で一世を風靡したと言われていた人のようです。この絵巻物は義経伝説の御伽草子系の物語のようですけど、とっても長くて区切りもなく文章も書いてありますから、絵巻物のストーリーを予め勉強してこないと、なかなか理解できないですね。
絵のサイズは、幅34cm、長さはほぼ12mのものが繋がって、あわせて150mにもなるそうです。ホント、私なんかは「絵」を「見るだけ」で精一杯でした(^^;)。
これらの絵は、江戸時代に描かれた正真正銘の「日本の絵」です。
躍動的な戦闘場面から、人々が集まっている場面ほか、人々の動きと表情が時の経過を追って巧みに描かれているのには圧倒されました。ヨーロッパの写実的なものとは違った、(写実では表現できない)まさに「絵」なればこその躍動や感情、一人一人の視線までの表現力をまざまざと見せつけられた思いがしましたよ。
このような絵巻物は外国にもあるようですが、あまり発展しなかったようです。日本の絵巻物には映画の場面を思い出すような流動感があるとのことです。絵巻物の起源は中国にあるという話がありますけど、絵と文ともに日本のような「流れ」が感じられないとのことです。日本的な絵とひらがな文化と高い識字率とが相俟って可能となる日本文化の一つの特徴かも知れませんね。
残念だったことは、この絵巻物が撮影禁止だったことです。料金まで払わされて撮影禁止なんてね(-_-;) だったら、この絵巻物を絵と共に説明してくれる安価なパンフレットをつくって欲しいですね。
★絵巻物の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B5%E5%B7%BB%E7%89%A9
★「山中常盤物語絵巻」で検索されますと、たくさんの絵巻場面がご覧になれます。 -
美術館を出る前に、当家のカミさんが
「おとうさん、そこに立って」
だって。
こんなオレなんか撮らなくても良いのに・・と思いながらも、いつも妥協してしまう私です(-_-)
それじゃあ、五尊仏様の御威徳をお借りして記念写真でも・・(^^)
「MOA美術館」を出てから、「池田満寿夫・佐藤陽子創作の家」も見ようと思っていたのですけど、時間も気になってホテルへ行くことにしました。
「池田満寿夫・佐藤陽子創作の家」へは、良いものを見に行くと言うよりも、卑猥とも言える池田満寿夫の姿勢と多数の作品にひとこと言いたかったからです。
美術とか表現の自由を語れば、何でもありなのか?? クールベのように女性の下腹部を描いて、それが堂々とパリのオルセー美術館に展示されることも当たり前?? それは私には理解できません。 絵画や彫刻、漫画や小説でも、有名な人が創ったり書いたりすれば、それだけで価値がある!??(>_<)(*_*) そして売買される・・(>_<)(>_<)
池田満寿夫の絵も、一般人が描いたら即座に軽蔑されるでしょう。池田満寿夫だから認められる(-_-;) ヒトラーのような「強制排除」なんて考えませんが、いかなる作品も最低のマナーと品位だけは守って欲しいなと思います。池田満寿夫のことは、また機会があったら見に行って、それを見た上で私の気持ちを思う存分に述べてみたいと思います。
「カメちゃん、大英博物館でも春画展を開く時代だよ!! そんな堅いことを言ってたら、時代に遅れるぜ(^O^)」
春画を待つまでもなく、ヨーロッパでもヌード画をカーテンの陰に隠してこっそり見ていたとか。性への関心は、生き物として当然のこと。卑猥な絵を誰かが描いて、それを隠れてこっそり楽しむのは仕方ないとしても、多数の鑑賞に晒すようなものではないと思いますよ。
卑猥とも言える絵や彫刻は、愛され、尊ばれ、大切にされるべき人々の命と人格を、結局のところ世俗的な色情と感情の世界に貶めることに繋がります。ゴッホのように、人々の姿を真剣に描いて欲しいですね。 -
さて、ホテルで東京の友人と合流しました。
初めての出会いは、5年前に22万トンの「アリュール・オブ・ザ・シーズ号」でカリブ海クルーズを楽しんでいた時でした。あのときは、本当に嬉しい出会いでした(^-^)
今回、旦那様との再会が叶ったのは、そのとき以来のことですからとても楽しみにしていました(^^)。
★↓は22万トン巨大客船での思い出です。
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=21227862
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=21179075 -
今夜のお料理ですよ〜(^^)
料理名は、「熱海旬菜会席 海月の舞」です。
お品書きだけでは、何が出てくるのか分かりませんね。
出てきた順に、並べてみますね。
右上は「浅利木の芽和へ白だつ梅酢掛け 鴨葱巻き」って言うやつです。
下の左が、「刺身大皿盛り」です。
下の右は、「鰆(さわら)と山独活雲丹ソース掛け」ですよ。
分かりましたか?
「刺身大皿盛り」だけは、言葉と見た感じが一致しましたが、ほかは何がなにやら・・でしたね(~o~) -
楽しいお話と美味しい料理で、今夜は最高に楽しい夜になりました。
「旅での出会い」って、本当に有り難いですね(^-^) -
さて、次の料理です。
左上は「蟹爪花衣」って言うやつです。
右上のやつは、「和牛しゃぶしゃぶ」ですよ。
左下のは、「ご飯 上椀 香の物」です。
最後が「紫陽花餅 笹の露」ですよ。
ま、こんな調子でありました。
お味の方は、「美味しかった」でした(^-^) -
きょうのお部屋のベッドは、ツインでした。
困ったモンだね。
世の中には、冷え性などのために、カミさん(奥様)と一緒でないと眠れない人もいるんだということを、声を大にして言いたいですね。私も根っからの冷え性なモンですから、カミさんに身体をしっかり寄せないと眠れないんですよ。
でも、オトコは凛々しく!(^^)! を、忘れない!!(^_^)v←亭主は大変だね〜(^_^;)
皆さんは如何ですか?
ベッドやお布団は、やっぱり「Wサイズ」が基本だよね? -
お部屋をチェック中の当家のカミさんですが、大きな鏡のせいで「自分撮り」になってしまいました(^O^)
きょうは「熱海初体験」の日になりました。
冒頭でもお話しましたように、熱海と言えば「貫一お宮の像」と温泉しかイメージになかったのですが、タクシーの運転手さんのお蔭で良い体験ができました。
そして、きょうは伊豆山神社と、行ってもいない池田満寿夫の件で、チョット熱が入ってしまいました(^o^)
両者に共通しているのは、兵隊さんの気持ちや人の暮らしにトコトン寄り添う姿勢が感じ取れないことです。命の大切さとか、一人一人を宝物を磨くような想いで大切にするという姿勢が感じられないんですね。一人一人の命を大切にすることこそ、現代社会の最も大切な原則だと思うのです。
念願の温泉も入りました。久々の温泉って思いました。
そう、最近は温泉のないお宿ばっかりでしたからね。 温泉に入る!!というだけで、「温泉気分」に浸れますし、海を見ながらの露天風呂も良い気分に浸れました(^o^)。
この温泉気分というのが「旅気分」をさらに高めてくれるんですからね。
ベッドはツインでちょっと寂しいけど、我慢して寝ます(=_=)(-_-;)
それでは、お休みなさいm(_ _)m
……☆※☆※☆※☆※☆………
<その2>に続きます。
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この旅行記へのコメント (4)
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- 白い華さん 2015/11/23 20:01:02
- 素敵な 「伊豆旅行」・・・で、 良かったデスネ。
- 今晩は。
「伊豆 熱海 & 下田」の 二泊三日旅行。
22万トンの 世界最大級!クルーズ船で、ご一緒した・・・東京のご友人・夫妻との 再会!を 熱海で 成し遂げた。とは、とても、盛り上がったこと。でしょうね。
「世界各地・・・の クルーズ旅行」を 通じて、 日本旅!で 再会を 楽しめる。って 改めて、「素晴しい〜! 交友関係」で お幸せ!だなぁ〜と、 羨ましく、拝見しました。
そうそう、 「こだま号」には、カメちゃん・・・。 前回は、ガッカリ!状態でしたよね〜。
でも、「熱海駅」だと、しょうがないンでしょうね。 いろんな駅で、「追い越し!の 待機時間」が 有りましょう。が、
私は、ほとんど・・・「列車。新幹線での 旅!って 皆無」なので、そんな・・・待ち時間すら、楽しそう。って 思ったりします。 (笑)
私も、昨日は、「夫婦で、朝・・・「小田原へ 行く!」と 主人が 言います。ので、急遽、小田原へ・・・。と 行ってきました。
前夜、夫婦で ネットで 何処へ行こうか ?」も、 もう、8年間も、リタイヤー人生です。ので、「関東近郊!の ドライブ目的地」は ほんと・・・行き尽くしてしまっててね〜。 「その 行き先・・・が 決まらず、 眠った(ワケ)でした」。
でも、 小田原は、「ある・・・と 思って、訪れた! 大磯。と、違いまして、 明治から 昭和初期の 旧・邸宅・・・の 別荘地帯が あったりして、「とても、見応え!が あり、楽しかったデスヨ」。
ただ、カメちゃんより、我が家!の 旦那様が、「足が 上がらない」と 云うか, 神社の 長〜〜い!階段は、 「見ただけ!で、 結局、上部・・・本殿には、自動車で 大接近し、 お参り!と なりました」。
ーーー 私も、 同感!です。
海外は、「町の ど真ん中!の 広場」に、 大聖堂が ある。のに。。。 (笑)
明日は、「夫婦で、 夜・・・歌舞伎座に、歌舞伎・観劇」に 参ります。
銀座の 「クリスマス・イルミネーション」を 見て、 都会・・・を 感じてこよう。と 思っています。
続き!も、 また・・・お邪魔させてもらいますね。 それでは また
- カメちゃんさん からの返信 2015/11/23 22:47:45
- RE: お友達との旅は楽しいです!(^^)!
- 白い華さん こんばんは
東京のお友達がご一緒して下さった伊豆旅行、とても充実した旅になりました(^^)
カミさんとの2人旅もあれば、お友達との旅も楽しませていただりして、本当に有り難いと思っています。
コメントにも書きましたように、熱海っていつも通り過ぎてばかりでしたから、熱海見物の念願が漸く叶いました(^o^)
そこで分かったのは、サンフランシスコじゃないけど「坂の町」だったんですね。伊豆山神社も山の中、腰痛が酷くなる直前の旅でしたから良かったものの、今の私ではとてもじゃないけどあの階段は上れません(-_-;)
熱海は伊豆山神社にMOA美術館、それに貫一お宮の像、そして温泉と見所豊富で良いところですね。いろいろ書いてしまいましたけど、それはそれで面白かったと思っています(^_^)
また、若しもう一度行くことが出来るなら(無理だと思いますけど)、温泉町に相応しい話題として、芸者さんの踊りの練習を見させて頂けるところを訪ねたいと思っているんですけどね。←ホント、是非にと思うんですよ(^-^)
(京都では、河床料理屋さんで舞妓さんが同席して下さるお店があるみたいですけど、冥土への土産話の為にも、行ってみたいものです(*^_^*) )
白い華さんご夫妻には小田原にお出掛けでしたか。
私も小田原を訪ねてみたいのですけど、ここも箱根への通過点になってばかりでなんです。
でも今の私には、小田原は遠いところへ行ってしまった感じがします(-_-;)
そうそう、今年の「いい夫婦の日」の旅は、腰痛のためお休みです(T_T) この頃は調子の良い日にチョットお出掛けしたりしています(遠出の際には、病院で事前に注射をしてもらっています(^^;))。
来年の「いい夫婦の日」はどうなるのでしょうかね(-_-;)
きょうは白い華さんとお話できて、嬉しかったです!(^^)!
ありがとうございました。これからもよろしくお願いしますね。
カメちゃん
-
- マチャさん 2015/11/10 00:48:52
- 新婚旅行再びですね♪
- カメちゃん、こんばんは。
いつもカメちゃんの旅行記で色んなことを知ります。
トヨタ地区のパンプキン爆弾投下のお話、怖いですね。
そして投下地点のお写真の中に我が家があります(O_O)
今でもこの辺りに戦争が始まったのかと勘違いしそうな飛行機が時々飛んでます。
何も落とさないで欲しいです。
さて、今回は愛環での移動ですね。
うちの孫は愛環の運転手になりたいそうです。
いつかカメちゃんを運んでくれますよ。
カメちゃんは移動の車窓からも旅を楽しんでらっしゃる。
どこかの誰かさんはいつも寝ちゃってます(笑)
伊豆はダイビングで行っただけ、熱海には行ったことありません。。。
うちのパパさんはヨットのレースに参加するためにしょっちゅうカメちゃんと同じルートで熱海に行ってますけど。。。
昔は新婚旅行は熱海って言ってたらしいので(うちの両親は熱海です)やっぱり熱海は夫婦揃って行くところですよね。
そして私も思いました。
なんでホテルはツインなん?
カメちゃんが風邪引いちゃうでしょ!
マチャ
- カメちゃんさん からの返信 2015/11/10 23:38:34
- RE: 新婚旅行再びですね♪←嬉しいお話です!!(*^_^*)
- マチャさん こんばんは
お返事が遅くなって申し訳ありませんm(_ _)m
> うちの孫は愛環の運転手になりたいそうです。
嬉しいお話ですね〜(^-^)
お話のように、私もその電車に乗れる日が来る・・(^_^)v←ステキな夢です!!
長生きしなくっちゃ!!(^^)
> トヨタ地区のパンプキン爆弾投下のお話、怖いですね。
これって、案外知られていない話のようですが、これって、本当にビックリするような話ですよね。
私も知った時には、驚きました。
> 伊豆はダイビングで行っただけ、熱海には行ったことありません。。。
あら〜〜(^^)
マチャさんも熱海はお出掛けになっておられないんですか?
あのあたりの海底には、海底火山群の起伏が豊かなようにも想像しますけど、潜ってみられたら面白いかもね??
> なんでホテルはツインなん?
問題はコレですね。
ホテルの作り方が間違っている!!(^o^) 設計者が、ホテルの基本を知らないのかもね〜??
亭主関白でも、カカア天下でも、寝るときゃ一緒!!こういう基本知識を徹底したいですね。
なんなら、私が教えてもいいんだけどね(~o~)!(^^)!
> カメちゃんが風邪引いちゃうでしょ!
お話の通りです!!
風邪を引いたら、治療費をホテルに請求したいですね〜〜。
> 新婚旅行再びですね♪
これからは、こういう感覚で旅を楽しみたいですね(^_^)v
嬉しいコメントをありがとうございました!(^^)!(^_^)v
久々のマチャさんとのお話、嬉しかったです!!
カメちゃん
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