2015/09/20 - 2015/09/21
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ミズ旅撮る人さん
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2015年シルバーウィークを利用して、紀伊半島のSLを訪ねました。
第一弾は、和歌山県の湯浅・有田川・和歌山・岩出・橋本の5輌です。
有田川町では、かつて走っていた有田鉄道の金屋口駅に造られた「有田川鉄道公園」を訪れました。
ここにはD51が静態保存されている他、キハが動態保存されています。
岩出市では、民間企業の敷地内にあるD51を見学させていただきました。
和歌山市のC57は、和歌山城のお向かいにあるので、和歌山城と共に見学しました。
湯浅町は醤油で有名な町で、紀伊水道を目の前に見る公園でD51を見て来ました。
和歌山城・和歌山電鐵ニタマ駅長・高野山については、それぞれ別にしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
紀勢本線湯浅(ゆあさ)駅から西へ県道175号線を走ると、大きな水門が現れ、その後ろに、白く弧を描いて「なぎ大橋」が見えて来ます。
広川が海に流れ込む河口に目的の公園はあります。 -
「なぎ公園」は、漁港の船だまりと海の岸壁に挟まれた突堤の根元にあります。
なぜか、コンクリート製のプロペラ機と共に、D51が保存されていました。 -
海側にはコンクリートブロックの塀と、屋根があるにも拘らず、D51はボロボロでした。
D51737。1943年、日本車輌製造。1976年廃車。 -
「保存」されていると言うよりは、「廃棄」されたと言った方がいいような状態です。
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ここまで、酷い状態のSLは初めて見ました。
これならいっそ、スクラップにしてくれとSLも言っているのではないでしょうか。 -
運転席内部の屋根が緑色なので、一旦は保存のために塗装をしたのでしょう。
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タンク車の後ろに「昭和51年12月 関西交通機械(株)整備」とあります。
この後は、野ざらしで放置されたのでしょう。
あまりに哀れで、見るに耐えませんでした。 -
なぎ公園の裏手には岸壁があり、その上に登ると紀伊水道が見えます。
-
左の山の上は、ずうっとその先まで数十基の風車が並んでいます。風の通り道なんですね。
右端は、鷹島と思われます。
海水浴シーズンが終わったばかりの海は、とても綺麗で気持ちよかったです。 -
湯浅町を離れる際、町の北側を走っていると、「角長 醤油発祥地」という看板が見えました。
醤油の老舗「角長」です。湯浅というとユアサ醤油が頭に浮かびますが、他にも老舗があるようです。
時間が無くて寄れませんでしたが、見学が出来る湯浅醤油の蔵は、国道42号線沿いにあります。角長 専門店
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国道42号線森崎交差点には、こんな奥行きの薄い「湯浅醤油・金山時味噌」の販売店がありました。
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次に向かったのは、有田川町。
天気のいい日だったので、有田川の流れも、とても綺麗です。 -
JR紀勢本線藤並駅から金屋口駅までの5.6kmを走っていた有田鉄道の線路を利用して「ポッポみち」というサイクリングロードが出来ました。
有田鉄道は、1915(大正2)年に、木材や有田みかんの搬出を目的として設立されました。
みかんの輸送がトラックに代わり、貨物営業が廃止され、利用者の激減から運行本数が減りました。
沿線の高校への通学に利用されるだけとなったため、学校の休みの日には鉄道も運休するような事態となり、一日2往復の「私鉄で最も運行本数の少ない路線」として名を馳せるようになりました。
こうした状況下でついに2002年末に廃線となったのです。
既に沿線住民からの反対の声もなくなっていました。 -
「ポッポみち」。
かつてはここを有田みかんを満載した貨物列車が湯浅港まで走っていました。
JR藤並駅にはレンタサイクルがあるので、ここまでサイクリングを楽しむことが出来ます。 -
「有田川鉄道公園」入口です。D51がいるところが、「ポッポみち」に繋がるかつての線路です。
線路はD51の後ろにずっと続き、キハが動く時に使用されています。
それにしても、山も川も穏やかで、いい所ですね。
こういう場所だからこそ、全国に名を知られる有田みかんが出来るのですね。 -
「鉄道公園」と「ポッポみち」の標識です。
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ピカピカのD51が「みかん号」のヘッドマークを付けて展示されています。
その後ろに「鉄道交流館」まで線路が続きます。 -
D511085。いや〜、新品みたいにピッカピカです。嬉しいですね〜〜
1944(昭和19)年4月日本車輌製造。東京・青森・釧路・札幌管内で活躍、1976(昭和51)年3月廃車。
翌年JR藤並駅東口へ。
2010年(平成22)年2月有田川鉄道公園へ。走行距離212万km。
経歴から見ると、和歌山を走ったことはないんですね。 -
「有田川町鉄道保存会」の方が、ボランティアで整備をされているそうで、所有者はJR西日本ですが、管理は有田川町が行っています。
惜しむらくは、このD51は「籠の鳥」で、柵越しに見るだけです。 -
D51の後方の線路を辿って、鉄道交流館に行って見ましょう。
この図ではD51の場所がわかりにくいですが、「現在地」よりも下にSLのマークが表示されています。とても細長い敷地なのです。 -
右側に線路を見ながら歩くと、黄色い「鉄道交流館」の建物が見えて来ました。
交流館の前にはキハの姿も見えます。有田川町鉄道交流館 美術館・博物館
-
キハの前には、かつて使用されたヘッドマークが並んでいます。
右端のヘッドマークに「ありだ」とあります。
「有田」は「ありだ」と濁るんですね。ずっと「ありた」だと思っていました。 -
キハ58003は、動態保存車輌です。
毎月第2・4日曜日に10分間の乗車体験が出来ます。
鉄道交流館〜SL横〜旧有田鉄道金屋口駅ホーム〜鉄道交流館を走ります。
小学生以上100円です。発車時刻11時・13時・14時・15時です。
それ以外の時は、車内見学が自由に出来ます。 -
キハの車内です。天井にずらっと並んだ扇風機。
実はこの車輌は、富士急行から譲渡されたもので、国鉄籍はないのですが、扇風機にはJNRのマークがあります。
この座席の間を歩いて行くと、真中辺りに何か貼ってあります。 -
「ALWAYS 三丁目の夕日’64」の2011年4月4日のロケ現場の写真です。
「シートナンバー51番に女優の小雪さん、49番に俳優の吉岡秀隆さんが座り、向かいあって会話されたことなどが撮影されました。」 -
シートナンバーを示すプレートも残っていました。
-
吉岡秀隆さんのサイン色紙も飾られています。
他に、小雪さん、監督の山崎貴さんのものもありました。 -
先頭からの車窓です。線路はこの先、旧金屋口駅まで続きます。
左の車庫には、車掌車「ヨ6114」、木造貨車「ト1」、「DB107」がいます。
公園整備以前にいた貨車「ワ12」は、2013年に真岡の「SLキューロク館」にもらわれて行きました。今年初めに訪れた際に会っています。
旅行記「真岡鐡道のSLたち」にて紹介しています。 -
先程は、この窓から外を見ました。
52歳のお歳の割には肌の色艶も良く、お元気そうでなによりです。 -
キハの隣には、ミニSLが走っています。
その動力はというと、左端でおじいさんが一生懸命に漕いでいる自転車なのです。
3台あって、1台でもSLを動かすことは出来ますが、参加者が多いほど楽に動かせます。
手前の1台は、シャボン玉まで飛ばします。 -
さて、今度は和歌山市の岡公園にあるSLを訪ねます。
岡公園は和歌山城のすぐ前にあります。SLは岡公園の駐車場の一角にあります。
和歌山城は「徳川御三家紀州殿の居城、和歌山城は八代将軍徳川吉宗の故郷」にて紹介しています。岡公園 公園・植物園
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左が駐車場、右が岡公園。その狭間の檻の中に、草茫々の状態で保存されていました。
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「くまの」のヘッドマークを付けたC57119です。
1939(昭和14)年11月12日三菱重工製。東京・鹿児島・大阪・和歌山と転籍し、1972(昭和47)年3月14日廃車。翌年から岡公園に保存。
走行距離2,564,698.8km。 -
地元の保存会が整備しているので状態はいいようなのですが、がっちり囲われていて、取り付く島もありません。
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反対側の檻の間から、頑張って撮影します。
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運転席の脇に階段があるので、開放されることもあるのでしょう。
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すぐそばに「モ321」も保存されています。
この車輌は、南海和歌山軌道線で使われていました。
その掲示板の文言がいかにも関西風なので、一部を転記します。
「チンチン電車が都会の象徴でした。電車が街路の主でした。和歌山県では、和歌山市だけに明治42年1月から路面をわがもの顔にゴーチンチンと電車が走っていたのです。62年3ヶ月の間、子供にも年寄りにも親しまれてチンチンゴーと走っていたのです。
それが交通マヒのやり玉の第一番にあげられて東京や大阪やあっちこっちの都市で廃止になり、和歌山でも昭和46年3月31日の夜をなごりに惜しまれながら廃止になったのです。世の中はこうして移り変わるのです。どんどん移り変わるのです。
和歌山市にはもう電車は走っておりません。走っていた電車はみんな魚の巣になって南の海の底に沈められました。そのうちの2台だけが走っていたままの姿でここと海南市とに保存されて(後略)」 -
和歌山市内から途中、和歌山電鐵の貴志駅に行ってニタマ駅長に会って、夕暮れ迫る頃、「根来SL公園」に来ました。
ここは、岩出市根来にある民間企業の敷地の中にあります。
シルバーウィークなので、開いているかどうかが心配でしたが、工場は稼働していたようで、許可を得て中に入りました。 -
少し高台にあるので、夕日を真横から浴びて「紀文号」というヘッドマークを付けたD51は輝いて見えます。
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見事な夕焼けと青空と雲の作り出す状景。
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敷地のすぐ裏手には京奈和自動車道が走っています。
奈良から和歌山まで後もう少しで繋がります。 -
イチオシ
周りに余計な物が無く、高台にあることもあって、太陽の光の贈り物を存分に受けて、このD51はなんと美しいのでしょう。
このD51には「D51930保存会」があって、日頃から整備に余念がないので、こんなにもいい状態で会うことが出来ました。 -
生のSLの足です。観賞用の塗装など一切していない、現役そのものの傷だらけの油まみれの車軸です。
刻印がなんてはっきり、堂々としているのでしょう。 -
あまりに格好いいので、もう一枚。
こんなSLが近くにあったら、即、保存会に参加するのになあ。
でも、よくよく見ると、外からでは手の届かない部分には錆が発生しています。
やはり、分解掃除をしないと現役状態を維持することは出来ないのでしょう。 -
運転席に上ることも出来ます。
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期待通り、素晴らしい運転席です。
1972年に廃車になってから、2002年までは海南市のみなと公園で保存されていました。
それからここに来て十余年。
よくここまで復活できたものですね。海南市でも大事にされていたんですね。 -
運転席の窓枠は綺麗に修繕されていました。椅子もちゃんとあります。
多くの椅子は、クッション部分がなくなり、台座の中に石が詰め込まれていたりします。
なぜ、子供はSLの運転席に石を積みたがるのでしょう???
ほぼ、間違いなくどのSLでも、お釜の中にたくさんの石が放り込まれています。 -
昭和47年5月。紀勢本線の湯浅〜紀伊由良間を走っている姿です。
和歌山県で活躍していた車体なんですね。
走行距離1,404,453.2km。 -
D51の炭水車の横には年表が貼られています。
1943(昭和18)年11月30日川崎車輌製造。東海道本線・北陸本線・中央本線・紀勢本線で活躍。1972(昭和47)年11月6日廃車。
2003(平成15)年5月16〜17日、海南市から岩出町に搬送。
旧国鉄OB会員による修復作業。以後、保存会となる。
同年9月13日、根来SL公園としてオープン。 -
赤井工作所。ここの敷地の門を入ったらすぐ右にSLはあります。
勝手に入って撮影するのは失礼ですから、この建物の中にいた従業員の方に声を掛けたところ、快くご許可いただきました。
どうもありがとうございました。 -
翌日、和歌山県最後のSLを見に行きました。
橋本市運動公園です。入口から坂を上っていく車道脇にあります。お向かいは体育館です。
折りしも今年は和歌山国体の年。国体をPRする幟(のぼり)に囲まれていました。 -
体育館らしい屋根が付いている割には、保存状態があまり良くないSLです。
道路がL字型に曲がる角にあって、誰が見るでもないような場所で、ただ置いてあるという感じ。 -
C57110。1939年三菱重工製。1973年廃車。
説明板も何もないので、詳細は不明です。
砂埃で白っぽくなり、苔まで生えた気の毒な車体。 -
見てはいけないものを見てしまったような写真です。
階段は付いていますが、現在は立ち入り禁止のようです。 -
すっかり錆び付いて、二度と動かない車輪。
-
道路と反対側には斜面があるので、柵の上からの撮影が一部出来ます。
朽ちたとはいえ、走る貴婦人と称されるC57。
和歌山市の岡公園のC57のように妙な形の煙突もなく、すっきりといい形をしています。
さあ、次からは奈良県です。
今回の旅行の計画を立てた時、驚いたのは、SLのある場所がほぼ紀伊半島を一直線に横断していることです。
おかげで、あまり遠回りせずに進むことが出来ました。
では、奈良でお会いしましょう。
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