2015/05/31 - 2015/06/08
2514位(同エリア6975件中)
ポポポさん
花の都フィレンツェを後にしていよいよ永遠の都ローマに到着しました。
昼食の後、サンピエトロ寺院とヴァチカン博物館を観光、その後ローマ歴史地区(コロッセオ、トレビの泉、スペイン広場)を見て回りました。
夕食はツアーに組み込まれていたカンツォーネディナーを楽しんでローマ郊外のホテルに宿泊しました。
翌日は一路南に向かって下り、2000年前の姿を今に留めるポンペイ遺跡を観光しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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バスでローマ市内に入り、このレストランで昼食を取りました。
メインはピザ・カプリチョーザでした。
味はまあ、普通でした。 -
そしていよいよ今回一番期待していたヴァチカン博物館の見学です。
ここは昔のバチカン博物館への入り口で入り口上部の像の左がミケランジェロ、右がラファエロです。
ツアーの団体予約でしたから少し並んだ程度ですぐに入れましたが、当日チケットを求める観光客は城壁沿いに長蛇の列を作っていました。
中に入るとすぐにセキュリティチェックを受けます。1階は人混みで一杯で身動きできないくらいに混んでいました。
ガイドさんからチケットをもらい、螺旋階段を上って2階に上がりました。エジプト美術館やピオ・クレメンティーノ美術館には入らず2階に上がって回廊を進みました。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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タペストリーのギャラリーを過ぎると、ここ地図のギャラリーです。
この回廊の天井がとても美しいです。
天井に書かれた絵は金箔で縁取りされていて眩いばかりです。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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左右の地図はフレスコ画で描かれているそうです。
この先はラファエロの間に続いていますので、そちらから先に見学するのかと思っていましたらギャラリーを抜けた途端に左の脇通路に入りました。
システィーナ礼拝堂へと続く通路でした。この時初めて分かりました。このツアーはシスティーナ礼拝堂しか見ないんだと。なんいうことでしょう。ここまで来てラファエロの間にも、外の美術館にも入らないんです。なんと勿体無い、残念なことでしょう。
ここに入れば外の建物は見なくてもこの美術館だけは見たいと思うのは私だけ、いや私と妻だけでしょうか。
ここから自由行動にしてほしいくらいでしたが、仕方がありませんでした。
礼拝堂の中は写真撮影禁止です。私語も禁止でした。ここもとにかく混んでいましたが、方々に係員がいて写真を撮った不届き者を見つけると飛んで行って(本当にこんな様子でした。動きが早い。)注意していました。
撮った写真は強制的に消去させられるそうです。なお、ここではガイドが案内をすることも禁止されています。したがって事前にガイドさんが中庭で絵の説明をしていました。
周囲に椅子があるのですが座るスペースはありません。頭を上げ続けて天井を見上げるので、首が疲れます。
さぞかしミケランジェロは礼拝堂の天井画を描くのに苦労した事でしょうね。
さて、システィーナ礼拝堂を最後に博物館の観光を終えて抜け道からサンピエトロ寺院に入りました。
正式な博物館の出口から出てしまうと、サンピエトロ寺院に入るのに長い行列に並んでまたセキュリチイ検査を受けないといけません。
そのため、セキュリティ監査を受けなくてすむように博物館の見学の途中で抜け道が設けてあるんです。
この時はガイドさんについて行くだけでしたが、後で調べるとそうなっている事が分かりました。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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サンピエトロ広場と広場に立っているオベリスクです。今、システィーナ礼拝堂を出て、隣にあるサンピエトロ寺院の回廊の中を歩いているところです。
サン ピエトロ広場 広場・公園
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回廊とシスティーナ礼拝堂、サンピエトロ広場です。
サン ピエトロ広場 広場・公園
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サンピエトロ広場を囲む回廊と柱廊の上には聖人の像が建てられています。これはベルニーニの弟子の作品だと言われています。
サン ピエトロ広場 広場・公園
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イチオシ
聖堂内に入ってすぐ右手に有名なミケランジェロ作の「ピエタ」があります。
「ピエタ」とは死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリアの彫刻や絵の事を指します。ミケランジェロ25歳の時の作品で、彼が唯一署名を入れた作品です。
彼の署名は写真では分かりにくいですが神々しく、そして若々しくて美しい作品です。ラ ピエタ モニュメント・記念碑
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少し離れた所から撮影すると大理石本来の白い色に写っていました。
ラ ピエタ モニュメント・記念碑
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聖堂にある天使像です。何故写真に撮ったのか覚えていません。確かにガイドさんが何か説明されたのですが、思いだせません。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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大聖堂のクーポラです。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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クーポラの下にはベルニーニ作のブロンズの大天蓋(バルダッキーノ)があります。
クーポラの明かり取りの窓からは光が光線のように差し込んできました。
34年前にここを訪れた時は、グレオリア聖歌が歌われてミサが始まったため、これより先に行く事ができませんでした。
今回はミサはありませんでしたが何か催し物があるようでペテロの像から先には進めませんでした。
前回は主祭壇の先まで行けましたが、今回はそこすら近寄れませんでした。
今回は近くに行きたいと思っていましたのに残念でした。
なお、この写真の大天蓋はレプリカだと思います。置かれている場所が違いましたから。サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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同じ場所を横から撮りましたが、縦の方が迫力がありますね。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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聖堂内のクレメンティーナ礼拝堂です。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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ラファエロの「キリストの変容」(模写)です。本物はバチカン博物館のラファエロの間にありますので、いつかきっと本物を見に行きたいと思いました。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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教皇の像です。内部には教皇の像はいくつもあるのでどなたのかは忘れましたが、ガイドさんが説明された教皇の像ですので有名な教皇なのでしょう。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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クーポラの天窓から光が差し込んでいるのが良く分かります。前回訪問した時は天窓からいくつも光の帯が差し込んでいるなか、グレゴリオ聖歌を聖歌隊が歌い始めたのです。それはそれは荘厳な雰囲気に聖堂内が包まれミサが始まりました。
とても厳粛な雰囲気の中に聖堂内にいた人たちが包まれ、一瞬にして静かになったのを今でもはっきりと覚えています。
そう、ここはカトリックの大本山サンピエトロ寺院。信者さんにとっては特別な、そしてとても神聖な場所なのです。
それなのに聖堂内は観光客の叫び声で「ワイワイ、ガヤガヤ」です。その犯人は近隣のC国とK国の観光客。とにかく煩い。喚きちらしています。もっと静かに出来ないのでしょうか。K国とC国のツアー客の多さと傍若無人な振る舞いには驚かされます。サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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イチオシ
クーポラと天窓を入れてもう一枚。天窓から入ってくる光の帯が輝いて見えます。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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正面に光り輝いているのが聖ペテロの司教座です。34年前に訪れた時はこの近くまで行くことができ、主祭壇も間近で見ることができました。主祭壇の下にペテロの遺体が安置されていて、これを上から見ようとした時に聖歌が始まり、係員から下がるようにと追い払われたのでした。
今回は柵が置かれていて主祭壇には近づけませんでした。それに観光客でごった返していました。
もう主祭壇には近寄ることができなんでしょうね。今回はしっかりと主祭壇を見たかったんですけど。サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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聖堂内の宗教画です。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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バチカン政庁への侵入口を守るスイス傭兵です。
鋭い槍を持って警護しています。
バチカン国民以外が入ろうとすると、槍で刺されるとか。おお〜怖い。
よくこんな話を聞かされていました。サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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中世の時代、スイスの傭兵部隊は欧州一精強と謳われ各国がスイスの傭兵部隊を雇用しました。
1505年当時のローマ教皇ユリウス2世はローマにある教皇領を守らせるためにスイス傭兵200人を雇い、ローマに連れてきました。
その時から現在に至るまでバチカンを警護し続けているんです。
その条件は、カトリックのスイス人であること。身長は174?以上。年齢は19歳から30歳まで。兵士は独身であること。スポーツの能力にたけ、品位が良好であることだそうです。
流石に近寄りがたい印象でした。サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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大聖堂右側の回廊とっ列柱です。柱は全部で284本あります。その上の聖人像はベルニーニの弟子たちが制作したそうです。
日曜日やミサがある時、教皇様は回廊奥の茶色い建物の一番上、右から2番目の窓から姿を現わされて信者さんに祝福を与えられるそうです。サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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大聖堂正面ファザードです。
サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
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ベルニーニが設計した回廊の柱は一列に4本あるのですが、ベルニーニポイントと呼ばれる円の上に立つと、4本の柱が重なって一本に見え外の景色が見えるように仕掛けが施されています。
そのベルニーニポイントから撮った柱の写真です。全て一本ずつの柱にしか見えません。 -
大聖堂とオベリスクのあるサンピエトロ広場です。オベリスクは当然エジプトにあったもので、ローマ時代に属州となったエジプトから略奪してきたものです。
ここに限らずローマ市内の広場や歴史的建造物の前にはいたるところにエジプトから略奪してきたオベリスクがありますが、いくつかはローマで作成したものもあるそうです。サン ピエトロ広場 広場・公園
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逆光ぎみだったのでデイシンクロで補正しました。
この後はコロッセオに向かいます。サン ピエトロ広場 広場・公園
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コロッセオ広場に着きました。向こうに見えるのは考古学博物館とサン・フランチェスコ・ロマーナ教会の塔です。その奥にフォロ・ロマーノがあります。
市立博物館とフォロ ロマーノ 博物館・美術館・ギャラリー
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左に見えるのがコンスタンティヌスの凱旋門です。
ローマオリンピックのマラソン競技で、エチオピアのアベベ選手が裸足でアッピア街道をひた走り、この凱旋門をトップで駆け抜けて優勝した、その場所です。当時のニュース映画やテレビで何度もその雄姿を見ましたので、今でもその場面はよく覚えています。
それなのに凱旋門は横からの写真だけ(泣)。コロッセオに至っては全然写真に撮っていませんでした。コロッセオは修復の工事中でしたしね。
それに、ここはほとんど一眼レフのカメラで撮影していました。
写真が無くてすみません。コンスタンティヌスの凱旋門 建造物
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コロッセオの外観を観光して、ツアーでお決まりの雑貨店での買い物を終えてトレヴィの泉に行きました。
ここは全面改装工事中でした。中央のネプチューンの像が見えるだけで後はすべて工事用のシートに覆われ、足場が組んでありました。もちろん噴水の水もありません。で、ここは写真無し。すぐ近くのジェラート店でジェラートを購入(ピスタチオとマンゴーのミックスにしました。2.5ユーロです。)してローマの休日のオードリーのように食べながら通りを歩いて行くと、いつの間にかスペイン広場に到着です。このジェラートの組み合わせは美味しかったですよ。
で、ここスペイン階段も工事中です。
今年はイタリア中、どこもかしこも有名な観光地が修復中でした。今、ミラノ万博が開催されているので世界中から多くの観光客がイタリアに来ているはずです。
日本なら1年前には修復を完了させているはずですが、イタリアでは自分たちの都合で全て進めるのです。お客様は関係ないんです。観光客は勝手にやって来るんだから我々の都合に合わせるべきだというのが、彼らの考え方です。スペイン広場 広場・公園
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あれ?同じ所から2枚撮っていました。階段を行き交う人が違うだけですが、なんで同じ所からもう一枚撮ったんでしょう。自分でも分かりません。
スペイン広場 広場・公園
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市内の観光を終えて今宵の夕食はカンツォーネディナーです。
サンタンジェロ城に近い「PAPAREX」というレストランでした。店の入り口で強制的にローマ兵士に扮した男性を一緒に写真を撮られて後で6ユーロ徴収されました。
カンツォーネの歌手もローマ時代の衣装です。歌手は男性がおじいちゃん。女性は豊満な体格の人でした。2人のデュエットや掛け合いとソロで7曲程度歌ってくれたと思いますが、男性は声がかすれていました。
これをオプシュナルツアーで利用すれば1人13000円です。無茶苦茶高いと思います。
阪急交通社はボッタクリです。 -
レストランの入り口です。
料理はパスタ・ピザのほか野菜や肉料理で特別美味しいとも、まずいとも思いませんでした。まあ普通です。日本のレストランの方が美味しいですよ。 -
ローマ市内の観光を終えてローマ市内のはずれのアルデティーナホテルが今日の宿泊先です。
このあたりは旧市内からかなり外れた所で工場が多い新興住宅地で、ホテルの周りには家が少なかったです。プールがあり一応リゾートホテルなので4つ星ホテルです。
ウナギの寝床みたいに縦に細長いホテルでした。アルデアティーナ パーク ホテル ホテル
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ここは早朝のホテルの前の様子です。周囲は住宅がポツンポツンと建っているような状況でローマ旧市内からはかなり離れています。
ツアー参加で宿泊しましたが、足が無いと不便な場所です。
今日は南に下ってポンペイ遺跡に行きます。ここは初めて訪れる所です。子供のころ「ポンペイ最後の日」という映画で見て妙に印象に残っている遺跡ですので期待に胸が膨らみます。 -
ポンペイに着きました。新市街の町はいたるところで家の壁に落書きがしてありました。
通りの両側の街並みは汚れてすすけ、人通りは少なく、道を走る車は汚く傷ついたままはしっています。
まるでカンボジアか南米のとある町かのように生活水準の低い町の印象です。
まず遺跡の隣にあるレストランで昼食をとりました。キベリウスポンペイレストランです。昼食に出たカルボナーラは美味しかったですよ。キベリウス ポンペイ レストラン 地元の料理
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食事を終えて遺跡入場します。遺跡の前の道の両側には多くの店が軒を並べています。
主に土産物店とレストランです。これは店の前に建っていたレモンの木。実がとても大きいんです。作りものではありませんでした。
この近辺にはこのようなジャンボレモンの木がいくつもあるそうです。この店ではジャンボレモンを使ったジュースを売っていました。 -
遺跡の入り口のここには剣闘士の訓練場がありました。
この広場の右側に剣闘士の詰め所(兵舎)があります。
剣闘士はローマ属州の奴隷で、自分の命を賭けて戦います。5回勝利すると勇者としてローマの市民権を与えられ、奴隷から解放されます。そして勇者として祝福され、女性からは無茶苦茶もてたそうです。ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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剣闘士の訓練場の両横に設けられた剣闘士の詰め所と柱列です。左側は完全な形で残っています。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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こちらは右側の剣闘士の詰め所跡です。詰め所は沢山残っており、多くの剣闘士が闘技場で戦ったことを物語っています。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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同じく剣闘士の詰め所ですが、このあたりは壁と屋根が傷んでいます。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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広場の右にも柱列が並んでいますがこちらは屋根がありません。たぶん、噴火の時火山弾の直撃を受けて破壊されたのでしょう。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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剣闘士の広場を抜けると大劇場に出ました。
劇場のすぐ後ろが剣闘士の広場です。大劇場 史跡・遺跡
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この大劇場は5000人集客できたそうです。劇場としてはかなりの規模です。
上にあがると青空劇場と舞台がはっきりとわかります。
舞台光背の壁は傷んでいましたが、劇場そのものは紀元前3〜2世紀前のもので、現在にその姿をはっきりと残しています。大劇場 史跡・遺跡
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イチオシ
劇場全体と剣闘士の広場が見渡せます。
大劇場 史跡・遺跡
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ポンペイの大通りで石畳の道です。
この道は雨が降るとぬかるむので道の端には道より一段高くして歩道が設けてありました。また道路の交差点にはこれも一段高く石で横断歩道が造られていました。
驚くことに現代とほぼ同じ設備が施されていたんです。ローマの建築・土木技術は本当にすごいなと感じました。
なお、大通りから入り込むやや細い道には、石畳の道に荷車の轍の後がはっきり残っている場所がありました。S アッポンディオ通り 散歩・街歩き
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道を歩きながら、家や設備を覗きながらフォロ(公共広場)にやってきました。
これは写真でよく目にするジュピター神殿です。
フォロの北側にあります。ジュピター神殿 建造物
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フォロです。左がジュピター神殿、右の建物が市場です。この市場の壁にはポンペイの赤色といわれる色を使用した絵が描かれていました。
真ん中はジャルマニコの凱旋門です。
凱旋門の奥にはベスビオ火山が見えます。フォーラムアットポンペイ 文化・芸術・歴史
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こちらはフォロに面したアポロ神殿です。イオニア式の円柱で囲まれていますが、中央は崩れていました。その残骸がその場所に置かれています。ここは48本の円柱で囲まれた神殿でギリシアの影響を受けて建てられてそうです。
アポロ神殿 寺院・教会
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イチオシ
フォロの柱廊とジャルマニコの凱旋門です。
フォーラムアットポンペイ 文化・芸術・歴史
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フォロ(公共広場)の近くにある公共浴場です。そのためこの浴場はフォロの浴場と呼ばれています。
ここは最初の部屋、男性用の脱衣場です。
壁は2重構造で熱が逃げないように工夫されていました。壁には朱の色が残っています。
穴に手をいれると手の先にもう一つ壁がある事がわかります。この部屋は壁が2重構造になっているんです。フォロの浴場 史跡・遺跡
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こちらは脱衣場の入り口方向です。
フォロの浴場 史跡・遺跡
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フォロの浴場です。ここは水風呂です。脱衣場と同じ部屋にあります。
外にサウナ、待機室、運動をする部屋も残されていました。
水風呂は普通熱湯の浴場と同じ部屋にあると思われていますが、ローマの公衆浴場は運動する部屋も付属していましたから、運動をした後に水風呂を利用する人が多かったんでしょうね。フォロの浴場 史跡・遺跡
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ここは微温室。壁の朱色が鮮やかに残っています。水風呂と熱湯の中間にある部屋で、ここは休憩室です。
フォロの浴場 史跡・遺跡
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この部屋は壁の色と天井の装飾が素敵でした。
フォロの浴場 史跡・遺跡
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一旦大通りに戻りました。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
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フォロの穀物倉庫です。ジュピター神殿の脇にある場所で、現在は今なお発掘が続いているポンペイ遺跡で発掘された品々を保管する場所になっています。
このブースは壺や陶器が多かったです。ホッレア 史跡・遺跡
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ここには像や石柱の一部がありました。
ホッレア 史跡・遺跡
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熱波と火山灰に覆われて亡くなった瞬間の姿を留めた石膏の人体像もありましたが、悲惨で痛々しいので写真には撮りませんでした。
ホッレア 史跡・遺跡
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出口に向かいます。ここは出口付近の住宅の跡地です。
この向かい側にヴィーナスの神殿がありました。 -
ヴィーナスの神殿です。この神殿は激しく破壊されており、立っている柱は写真の一本のみです。後は全て倒れてしまっていて、その柱も砕けていました。
床とおぼしきスペースにころがっている状況で、ガイドさんの指摘がなければ普通の廃墟と思い通り過ごしてしまいそうな所でした。ヴィーナスの神殿 観光名所
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同じくヴィーナスの神殿です。手前はまた別の建物のようですがこの辺りは激しく破壊されていて区別がつきにくい状況です。
想像するにこのあたりは火山弾の直撃をいくつも受けたのではないでしょうか。
今まで見てきた建物のなかでは激しく破壊されている場所でした。
ここでポンペイ遺跡の観光を終了しましたが、遺跡の3分の1を見たにすぎません。約1時間半の行程でした。
円形競技場も有名な富豪の屋敷も秘儀荘も、私が見たいと思っていた場所には行きませんでした。
悲しいかな、これが時間の制約を受けるツアー旅行の実情です。
皆さん、ここは是非個人で訪問されて一日掛けてゆっくり見学されていただきたい場所だと思います。ここは、2000年以上も前の町や人々に姿が現在に蘇えった場所なんですから。
私も海外旅行に慣れたならば是非個人で訪れたい場所だなと思いました。ヴィーナスの神殿 観光名所
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