2015/06/21 - 2015/06/21
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frau.himmelさん
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6月21日、ミュンヘン2日目、日曜日。
今日の最大の予定は、美術館へ行くこと。
ミュンヘンでは日曜日は美術館の料金が1ユーロになるのです。
この際ですから、アルテピナコテークとノイエピナコテークをはしごしたいところですが、二人とも齢ですから、そんな体力はありません。
もう一人の船頭さんの要望でノイエピナコテークに行くことにしました。
その前に、朝の気持ちのいい時間に英国庭園を散策しましょう、と私。
夫は「おーいいねー。でもあそこは本当は夜のほうがいいんだよ。ビヤガーデンがあるから。」と飲兵衛らしい返事。
一応了解を得たということでまず英国庭園に向かいます。
実は、大っぴらに夫には言えませんが、ここにも私の興味をひくものがあるのです。
あんまりナチス・ナチスって言わないほうがいいよ、って私を牽制している夫ですからその場まで内緒です。
ところがその後の街散策の途中に、新しく出来た博物館を見つけました。
その名前も「NS-Dokumentationszentrum Muenchen:ナチスの記録センターミュンヘン」
まさにそのものずばり。
これは本当に偶然でした。これは見ないわけには・・・。
一緒に旅行記にまとめようと思ったのですが、結局今回も、
①街歩き編、②ノイエピナコテーク編、③NS-記録センターミュンヘン編の3篇になってしまいました。
-
ミュンヘン中央駅南口停留所より、18番に乗って英国庭園に向かいます。
-
夫が撮った路線図・時刻表によると、9つ目の停留所。
約16分かかります。 -
いつもは通らない路線です。
私は車窓からの見慣れない街並みが珍しく撮影に余念がありません。
ここは聖ルーカス教会。 -
マキシミリアン2世の像が見えます。
ルートヴィッヒ2世のお父さん? -
この停留所で降ります。
ナショナル博物館/haus d. Kunst -
英国庭園の地図。
ここは広大な公園で、南と北に別れているそうです。
この地図は南側のみ。 -
緑がいっぱいの公園の中に足を踏み入れます。
ここはイーザル川の支流です。
あら、手に手にサーフボードを持って並んでいる人・・・。
あー、思い出しました!。
いつかNHKの番組「世界ふれあい街歩き」でイーザル川のサーフィンをやっていましたね。
ここのことだったのね。 -
しばらく見ていくことに。
おっ、あの子うまいうまい!
子供ですよね? -
この子も随分続いています。
波ではなく急流に乗ったサーファーたち。
うまく流れに乗ればずっと続けられます。
バランスを崩して落っこちれば交代です。 -
失敗すれば次の人がさっと飛び込んで続けます。
ミュンヘン市のど真ん中のサーフィン場。
水は冷たいけどみんな冬でもやっているそうです。 -
この水はイーザル川から地下を通ってここに流れ込んでいるそうです。
この川の名前は何と「アイスバッハ」。
氷の川と言うそうです。 -
見物客も大勢、散歩途中のワンちゃんも立ち止まってみています。
-
おっと、失礼!
お着替え中でしたか?
なお、誰でもここでサーフィンが出来るわけではありません。 -
熟練者に限るとか。
もちろんアルコールや薬物はダメ。
そのほかにも禁止事項の立て看板。
遊泳禁止・飛び込み禁止とか。
命に関わることですものね。 -
あ〜〜、面白かった。
キリがないので散歩を続けます。 -
イーザル川の支流、アイスバッハ。
水量が豊かです。
橋を渡ります。 -
こんなところにも愛の錠前。
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別の橋。
川面に柳が枝垂れていい感じ。 -
グループでサイクリングをしている人々。
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河畔で遊ぶ水鳥たち。
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ここは日本庭園の石庭のようです。
-
私達の足音に驚いて、1匹のリスが苔むした石の陰にさっと隠れました。
(○印) -
この石庭の川向こう、中洲には風流な日本家屋が建っています。
これは1972年のミュンヘンオリンピック開催を記念して、日本から贈られたものだそう。 -
この日本家屋は日本式茶室「閑松庵」。
裏千家より贈られたのだそうです。
ここを訪ねてきたご夫婦、あら残念、閉まっているわと言う風にしばらく佇んでいました。
嬉しいですね、日本のものに興味を持ってくれる現地の人って。 -
1972年のミュンヘンオリンピックといえば、まだ私達の記憶に新しい、「ミュンヘンオリンピックの悲劇」が思いだされます。
パレスチナの政治テロ組織「黒い九月」が、イスラエルの選手らを人質にとって立て籠もった事件です。
結局人質9名全員含め総勢17人が死亡する惨事となりました。
神聖なはずのオリンピック会場で起きたこの事件、その頃の政治的時代背景もあるでしょうが、
次回東京オリンピックでは絶対そういうことがあってはならないと思いました。
そういうことを考えながら日本庭園を後にしました。 -
日本庭園のすぐ近くに「それ」はありました。
ナチスの時代に建てられた「芸術の家=ハウス・デア・クンスト」。
列柱が並んでいるだけの無機質な建物。 -
いかにもヒトラーが好みそうなギリシャ建築風・古典主義の建物です。
画家崩れのヒトラーは、ミュンヘンを芸術の中心都市にしたかったようです。
この芸術の家はコンペで選ばれ、4年近い歳月を費やして造られました。 -
私が見たかったのは天井の裏。
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ドイツでは公には禁止されているナチスの紋章・ハーケンクロイツのマークがここには残っているのです。
-
そしてヒトラーが好む松明型照明。
似たようなものを、ベルリンのオリンピックスタジアムでも見ました。 -
正面にまわると、建物の上部に「HAUS DER KUNT」の文字が。
1937年7月18日にはここで「大ドイツ芸術展」が、ナチスの威信をかけて大々的に開催されました。 -
私はここで「退廃芸術展」も開催されたと思い込んでいました。
中に入れば、それらの足跡のようなものがあるような気がして、確かめてみたのですが、現在は現代美術展が開催されているようでした。
私の勘違いでした。 -
次に100番のバスに乗ってノイエピナコテークへ行き、美術鑑賞をしました。
長くなるので別項で取りまとめて投稿します。 -
ピナコテークの停留所から路面電車にたった1駅乗って、カロリーネンプラッツに向かいます。
歩いても大したことはないのですが、美術館で歩き疲れて少しでも足を休めたい。
こんなことも1日券(ターゲスカルテ)を持っているからできること。 -
カロリーネンプラッツ。
オベリスクの前に電車は停まります。 -
カロリーネンラッツのオベリスク
-
台座の文字。
-
それは本当に偶然だったのです。
草花が咲いている野外にテレビが埋め込まれており・・・。
何気なく見ていると・・・、ヒトラー!? -
次から次へと映像が映し出されます。
ここには掲載できないような大量虐殺やホロコーストの映像も・・。
これは一体なに!? -
ここは5月にできたばかりの新しい博物館。
その名も「ナチスのドキュメンタリーセンター・ミュンヘン」。
これもまた長くなってしまいましたので、別編にまとめました。 -
ナチスの記録センターを出て、再び街歩きです。
この古い建物、ここも第三帝国時代、ナチス関連の建物でした。 -
現在は州立グラフィック収集館となっていますが、70年前までナチスの党本部が置かれていました。
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この建物の入り口の天井も、ハーケンクロイツの模様です。
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入り口バルコニー上の3階部分の壁には、鷲の紋章が掲げてありましたが、今は外されています。
○印の部分。 -
この建物も、正面の彫像からして立派なものです。
政府関係でしょうか。
この通りは、カタリ−ナ・フォン・ボラ通りといいます。
マルティン・ルターの妻の名前を冠した通りです。 -
ここもギリシャ神殿様式の立派な建築です。
ケーニヒ広場の周りには、古代ギリシャ・ローマ時代の芸術を愛したルートヴィヒ1世が造った博物館・美術館がいくつもあります。
その中の一つ? -
Basilika St.Bonifaz.
やはり、ルートヴィヒ1世の名前が見えます。 -
-
ケーニヒプラッツ駅から中央駅まで一駅地下鉄に乗り、いったんホテルに戻って少し休んでから食事に出かけます。
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ホテルで一休みして、再び地下鉄でマリエン広場へ。
-
今更ですが、今日のチケットです。
Gruppen-Tageskarte Innenraum。
5人まで使えて11.7ユーロ。
これで1日中、ミュンヘン市内の地下鉄、路面電車、バスなどを乗り回しました。 -
マリエンプラッツ駅。
もうすっかり出来上がっている民族衣装の3人のおじさまたち。
「グリュス・ゴット!」って声かけたら、笑顔でこちらを向いてくれました。 -
新市庁舎と、向こうには葱坊主の頭だけのぞかせているマリエン教会。
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聖霊教会。
この先はヴィクトアーリエンマルクト。
今夜はここでビールを飲みながら食事をします。
テレビでよく放映されていて、いつかはあの仲間に入りたいナーと思っていましたが、なかなか機会がなく・・・。 -
右側にはお肉屋さんが並んでいます。
ミュンヘン名物白ソーセージ(ヴァイスヴルスト)は、これらのお肉屋さんで午前中だけ食べることができます。
2年前にはY子さんと、新鮮な白ソーセージを食べたくて、ここまで朝ごはんを食べにきたのでした。
ドイツ語ペラペラのY子さんのお陰で助かりました。 -
英国庭園でビールを飲んだことがある夫が、「あそこは楽しかったよー♪」って言っていましたけど、
私は絶対こちらのほうが楽しいと思います。
それにあちらは広すぎて疲れるし・・・。
おぉ〜もう結構大勢の人が来ていますね。 -
セルフサービスの席は、ビールや食事のブースに並び、各自で購入して、席に座って飲むようになっているようです。
この長いすが並んでいる場所がそうですね。 -
気をつけなければならないのは、この札が立っているところは「セルフサービス席ではありませんよ」って印。
ここにビールや食事を持ち込んでも、ボーイさんに追い出されます。 -
私達はセルフサービスではない席に座りました。
メニューの中から飲み物と食事を選んで、ボーイさんに注文します。 -
夫はデュンケル(黒ビール4.5ユーロ)、私はいつものワインは止めて喉が渇いているのでラードラー(4.3ユーロ)を。
-
もちろん白ソーセージを。
食べ始めてから気が付いて写真を撮りました。
ソーセージの皮を剥いて、甘い辛子をつけていただきます。
プレッツェルが付いています。5.5ユーロ -
もう一つはカリーヴルストを。
こちらはゼンメル付き。6.4ユーロ。
今日の夕食はこれだけです。
しめて20ユーロちょっと。シニアの食事は安上がりです。 -
-
ヴィクトアーリエンマルクトを後にします。
-
右の胸だけピカピカに光っているジュリエットの像の傍には、今日はおばあちゃんが疲れきった表情で一人座っているだけ。
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旧市庁舎の横では、みんなの笑いを取りながら、朗々とクラッシックを歌っているパフォーマー。
-
時間は7時半過ぎ。
まだまだ多くの人で賑わっているマリエンプラッツを抜けて、ホテルに帰ります。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- アンマンさん 2015/10/25 22:57:01
- 英国庭園 憧れます。
- あ、
イーザル川のサーフィン 覚えてます!!!
ミュンヘンだったですか・・・(サーフィンがインパクト大で)
ほかは・・・???です。
激流ですよね・・・
アンも夏は川遊びに連れて行きますが
こんな激流は大雨の後ぐらいです(危険)
frau.himmelさんのブログは専門的ですね!!!
コメントを寄せられてる方も同じで・・・凄いです。
アンマンはただ単にドイツを旅しただけで
専門的なことは何も勉強してません
地球の歩き方が専門でした。
ドイツといえばビール、ソーセージ、ナチス(ヒトラー)
↓
シンドラーのリスト(映画)ぐらいの知識しかありません。
だから
掘り下げてドイツを紹介されてるので
たいへん勉強になります(すぐ忘れますが・・・)
ありがとうございます。
- frau.himmelさん からの返信 2015/10/26 23:43:09
- RE: 英国庭園 憧れます。
- アンマンさん、こんばんは。
テレビで、イーザル川のサーフィン、アンマンさんもご覧になりましたか?
私もあれを見ていなかったら、さっと通りすぎたかも知れませんが、あれが〜〜と思って、しばらく見ていました。
面白いですね。
アンちゃんも川に連れていくのですか?喜ぶでしょうね。
> frau.himmelさんのブログは専門的ですね!!!
> コメントを寄せられてる方も同じで・・・凄いです。
いえ、本当に一夜漬けの付け焼刃です。すぐ底が割れるのです。
コメントをくださる方は、歴史にお詳しくて、いろいろ勉強させていただいています。
旅をするのに、何か目的があったほうがと思い、出かける前にはいろいろ調べていきます。
それが現実に目の前に現れると、やっぱり感動します。
旅の目的は何であってもいいと思うのです。
アンマンさんがお好きな名物料理だとか、絵だとか音楽だとか。
でも、旅って、旅をしているだけでも楽しいですね。
こちらは急に寒くなりました。
お風邪などひかれませんように。
himmel
-
- ベームさん 2015/10/25 18:20:39
- まだまだ勉強不足。
- himmelさん、
今晩は。
私はミュンヘンは何べんも歩いていておおよその事は知っているつもりでした。まだ残っているナチの遺産、新しいナチの記録、カタリーナ・フォン・ボラ通り、イーザル川のサーフィン、ジュリエット像などなど私の知らないことばかり、ミュンヘンはもう飽きたなんて思っていた自分が恥ずかしくなりました。
それにしてもhimmelさんのナチの遺産へのこだわりには脱帽です。私なんか怖いもの見たくないために意識的に避けていて、まあ卑怯だと言われればそうかもしれません。
カトリックの牙城ミュンヘンにルターの妻の名を冠した通りがあるなんて驚きですね。でも私のみた限りではどの美術館にもクラーナハの絵はあってもルターの絵を見たことはありません。himmelさんご存知ですか。
ヴィクトアーリエン・マルクトの白ソーセージとブレッツェルとビール、私も何年か前セルフのテーブルで食べました。もっとも辛子は付けないで食べましたが。何もつけないでも味があって美味しかったです。
アウクスブルクのフッゲライも2回行っているのに、himmelさんの旅行記を見て見落としているところがあるのが分かりました。どうも私の旅行は駆け足過ぎて上っ面ばかり、深みに欠けていていけません。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2015/10/26 23:24:17
- RE: まだまだ勉強不足。
- ベームさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
いえね、ミュンヘンはちょっと寄り道だったのです。
実はこの後、またオーストリアのインスブルックに向かうのです。
ウィーンから直接行けばいいものを・・・、ですよね〜?
実は理由がありまして・・・・。
カタリーナ・フォン・ボラ通り、私も偶然見つけました。
その近くには目立ちませんでしたが、
【EVANGELISCH-LUTHERISCHE KIRCHE IN BAYERN】の建物もありましたので、まんざら名前だけの通りではなさそうです。
> カトリックの牙城ミュンヘンにルターの妻の名を冠した通りがあるなんて驚きですね。でも私のみた限りではどの美術館にもクラーナハの絵はあってもルターの絵を見たことはありません。
そうですね。そういえば、ルターの絵はありませんでしたね。
もっとも今回はノイエの方でしたから、クラーナハの絵はありませんでしたが。アルテでも見かけませんでしたね。
> それにしてもhimmelさんのナチの遺産へのこだわりには脱帽です。私なんか怖いもの見たくないために意識的に避けてい・・・
これも、ドイツ旅行を始めたころからです。
旅をするのなら何か目的があった方がと思い、ドイツの歴史といってもいろんな国に分かれていたわけですし、それらを全部勉強するのは大変難しいですね。
手っ取り早くまだ記憶に新しい近・現代歴史なら何とかなるだろうと飛びついたのが、運の尽き・・。
ベームさんこそ、本当に歴史にお詳しいですね。
30年戦争とか、聖書以前の歴史とか。
怖いもの見たくないというのは、夫にもあるようです。
それで私を牽制しているのだと思います(笑)。
そういえば、ポーランドに行った時もアウシュヴィッツ行きには大変消極的でしたね−。
白ソーセージ、美味しいですよね。
連日の、肉肉料理に飽きたお腹にも優しいし・・。
なかなかベームさんのロマンティック街道には訪問できません。
ミュンヘンが続いていますので、そろそろそちら方面の素朴な街が恋しくなるころです。
himmel
-
- jijidarumaさん 2015/10/25 01:37:19
- ハーケンクロイツ」(右まんじ)
- himmelさん
こんばんは。
「芸術の家=ハウス・デア・クンスト」のナチスの紋章・ハーケンクロイツは分かりやすいですが、州立グラフィック収集館のハーケンクロイツの文様は今一つ、はっきりしませんね。
(右まんじ)はドイツの考古学者、シュリーマンがトロイの遺跡の中で卍を発見し、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なしたと云う故実から、ドイツの民族主義運動のシンボルとなり、ナチスが主唱したアーリア人優越論のシンボルとされたそうですね。
以前訪れたケルンの大聖堂近くのローマ・ゲルマン博物館の遺跡で卍のマークを見た記憶がありますが。
私が学生時代(昭和30年代半ばから40年代初め)やっていた少林寺拳法(1947年創始)では、学生服に着けた胸記章・襟記章や稽古着(道着)の右胸に「卍」(左まんじ)を付けていました。
時代を経て、空手と同じように世界に進出すると、何やら卍マークがナチスのハーケンクロイツと同じだとの指摘があり、これとの混同を避けるため、2005年から新しいシンボルマーク・双円(ソーエン)と呼ばれるものに変更しています。
かつては洋の東西を問わず幸運のシンボルとして用いられていたと云う「卍」が、ナチスの為に第二次大戦後、西洋における公的な場で使用禁止となったとは・・・妙な思いが残ります。
XXXXX
?州立グラフィック収集館のバルコニー上の3階部分の壁には、鷲の紋章が有ったそうですが、外してしまったのは鷲の紋章にナチスを表現するものがあったのでしょうか?
?ジュリエットの像は私の記憶になく、以前からあったものでしょうか?
ここに立つ由来があるのでしょうか?
以上この章を拝見しながら、疑問が生じて上記のように書いてみました。??について、もしご存知でしたらお教えください。
jijidaruma
- frau.himmelさん からの返信 2015/10/25 14:01:35
- RE: ハーケンクロイツ」(右まんじ)
- jijidarumaさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
私も昔はハーケンクロイツって日本のお寺のマークじゃない?って思っていたのですが、ナチスのマークは逆さだったのですね。
トロイの遺跡のころから使われていたんですか?それをアーリア人の優越のシンボルに・・。
勉強させていただきました。ありがとうございました。
さて、質問・・、ijidarumaさんから、質問って言われると緊張します。
? 鷲の紋章がどうして取り外されたか?
確かにドイツの紋章は今でも「鷲」ですものね。
それをどうして外してしまったか?
さきほど、ナチス記録センターの博物館の旅行記を投稿しましたが、その中に鷲の紋章が見える写真を2枚載せました。
・ミュンヘン会談の総統官邸の鷲は明らかに鷲がハーケンクロイツを掴んでいます。
・もう一つ、米軍に占領された総統官邸の鷲、これにはハーケンクロイツは写っていませんが、拡大してみると、上から隠してあるように見えます。
顕示欲が強かったヒトラーのこと、普通の鷲を正面に掲げるわけありませんね。
?ジュリエット像の由来。
これは昨年の旅行記に掲載する都合があり、前に調べておりました。
ドイツ語名ではユリア像、ロメオとジュリエットのジュリエットなのですが、ミュンヘンがイタリアのヴェローナ市と姉妹都市だということで、1974年に贈られたものだそうです。
40年以上前からあったのですね。私も昨年初めて見ました。
それから、ハウス・デア・クンストのハーケンクロイツは明らかに逆さ卍そのものでしたが、総統官邸とグラフィック収集館の卍はおっしゃるように、どちらかと言うとラーメンの丼の模様のようでした。
ナチ時代に造られた時からそうだったのか、あるいは公共の場では使っていけないので、そのようにデフォルメされたのか、私にはわかりません。
ベルリンのオリンピックスタジアムのナチス時代の鐘も逆さ卍の一部が潰されて展示されていました。
何やかや難しい問題もあるようですね。
またいろいろと教えてください。
himmel
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