2015/06/21 - 2015/06/21
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frau.himmelさん
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1ユーロの至福の美術館めぐりはまだ続きます。
なんて安上がりな夫婦なのでしょう。
昼食も入れて優に3時間は楽しませていただきましたもの。
さてノイエピナコテークの続きです。
前編では、フランスの印象派と後期印象派以降の絵画を見ましたが、続編は印象派以前の作品を見て歩きました。
今回はドイツ絵画が主なので馴染みのない画家の名前も多いですが、ドイツ絵画も素晴らしい。
本当に絵を見るのって楽しいですね。
そしてこうやって撮ってきた写真を眺めながら、それについて調べるのもまた楽しい。
これも1ユーロのうちなのです。
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まずは、19世紀前半にドイツやオーストリアで生まれた、ビーダーマイヤー絵画から見ていきます。
ビーダーマイヤーとは、ごく普通の身近なものに目を向けようという市民文化の風潮です。
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1793-1865)
「犬を連れた息子のフェルディナント」1836 -
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1793-1865)
「祭りの前準備」1860 -
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1793-1865)
「期待」1860 -
モーリッツ・フォン・シュヴィント(1804-1871)
「シンデレラ物語」1854
大きな可愛い絵が目に入りました。
4枚の大きな絵とその間の中段の八角形のフレームにはシンデレラ物語が、その上の長方形には天使とプシケ(女神)が、そして下の円形には「白雪姫」の物語の絵がそれぞれ描かれています。
シュヴィントは文学作品の挿絵画家として有名になり、後に童話や物語に題材を得た作品を描きました。 -
シンデレラや白雪姫のどの場面か、遥か昔に読んだ物語を思い出しながら見ていきます。
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フリードリヒ・フォン・アーメルリンク(1803-1887)
「麦藁帽子の少女」1835ごろ -
フリードリヒ・フォン・シャドウ(1788-1862)
「ファニー・エバース」1826/27 -
ハンス・フォン・マレース?
名前は聞いたことがありませんが、マレースの部屋と言うのが特別に一室設けてありました。
暗〜い感じの、裸体画が多い独特な雰囲気の部屋です。
なんか気になる部屋、ちょっと見ていきましょう。
ハンス・フォン・マレース(1837-1887)
「自画像」1883 -
ハンス・フォン・マレース(1837-1887)
「ヘスペリデス」
マレースはギリシャ神話や聖書物語、伝説などを、人体と組み合わせて表現することが多い画家です。
ヘスペリデス(宵の明星の娘たち)は、黄金のリンゴの世話をしているニンフのこと。 -
ハンス・フォン・マレース
「Die Werbung」1885 -
ハンス・フォン・マレース
「黄金期」1880 -
ハンス・フォン・マレース
「アドルフ・フォン・ヒルデブラント」1868。
ヒルデブラントはドイツの彫刻家で、貧しいマレースの生活を助けました。 -
目に映る世界をありのままに表現した印象派に対し、目に見えない世界を描こうとしたのが象徴派。
アーノルト・ベックリン(1827-1901)
「波間のたわむれ」1883。
まるで神話の世界のような絵です。
ベックリンがイタリアでの海遊びの印象を思い出して描いたもので、トリトンのモデルは友人だそうです。 -
アーノルト・ベックリン
「海辺の別荘」1863 -
ハンス・トーマ(1839-1924)
「オルテの思い出」1887 -
ハンス・トーマ(1839-1924)
「タウナスの風景」1890 -
アンゼルム・フォイアーバハ(1829-1880)
「メディア」1870。
女魔術師のメディアの悲劇の物語。 -
フランス後期ロマン主義
ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)フランスの歴史画家。
「火刑台上のオリンドとソフロニア」1836。
長編叙事詩「解放されたエルサレム」の場面。
火刑を宣告されたキリスト教徒の若い恋人達、そこへ勇敢な慈悲深い女騎士が二人を救い出す・・という物語。(省略し過ぎ・・・笑) -
ウジェーヌ・ドラクロワ
「オフィーリアの死」1848。
シェイクスピアの「ハムレット」より。 -
オノレ・ドーミエ(1808-1879)フランスロマン派の画家。
「ドン・キホーテ」1868ごろ
ドーミエはさまざまな文学的主題を取り扱った作品を多く描いた。
中でもセルバンテスのドンキホーテは数点描いている。 -
カール・ヴェルネ(1758-1836)フランス
「狩猟からの帰還」1828 -
フランス写実主義
カミーユ・コロー(1796-1875)
「マントの橋と粉ひき場」1860ごろ。
コローはたびたびマントを訪れ、晩年の代表作を何点も描いた。 -
カミーユ・コロー
「ガルダ湖の風景」1868 -
シャルル・フランソワ・ドービニー(1817-1878)
「オプトヴォスの岩」1854。 -
コンスタンツ・トロワイヨン(1810-1865)
風景画習作 1860 -
グスタフ・クールベ(1819-1877)
「政治家エミール・オリヴィエ」1860
モデルのエミールオリヴィエはフランス第?帝政期の首相 -
オーギュスト・リーデル(1799-1883)
「ユーディット」1840 -
オーギュスト・リーデル(1799-1883)
「アルヴィートから来た母娘」1848 -
フランソワ・ヨセフ・Naver(1787-1869)
「フォンディーの縫い子達」1845 -
ドイツ後期ロマン主義と写実主義
ヨハン・ヴィルヘルム・シルマー(1807-1863)
「荒れ模様の夕刻」1860ごろ -
カール・シュピッツヴェーク(1808-1885)
「貧乏詩人」1839
ユーモアのある絵でとても気に入ったのですが、写真の写りが悪かったので、カタログをコピーしました。
これもあんまりぱっとしないですね。 -
エドゥアルト・シュライヒ父(1812-1874)
「Das Isarbett bei Muenchen mit Aussicht auf die bayerischen Alpen」1858 -
オスヴァルト・アーヒェンバハ「
イタリアの公園」1860ごろ -
アドルフ・フォン・メンツェル
「ベルリンの宮殿のバルコニーからの眺め」1863 -
アドルフ・フォン・メンツェル
「ホフガーシュタインの行列祈祷式」1880。
カトリックの祭礼の様子。
今までの歴史画にはなかった人々の風俗画を取り込んだ作品。
手前には、行列には興味がなく、そっぽを向いている男性も描かれています。 -
ヴィルヘルム・フォン・カウルバハ(1804-1874)
「マキシミリアン2世」1854
ルートヴィヒ2世の父親 -
ヴィルヘルム・フォン・カウルバハ(1804-1874)
「ティトゥス帝によるエルサレムの破壊」1846。
紀元前70年、ローマ皇帝ティトゥスによるエルサレム侵攻の絵。
ユダヤ人をローマ兵が鎮圧している図で、反ユダヤ主義がはっきり表れている。
この絵の上部には偉大な預言者たちと7人の天使。
前景中央には剣を自らに突きつけて自殺しようとしているユダヤの高僧。
右手には破壊から逃れたキリスト教徒が天使に守られている図。
ルートヴィッヒ一世よりカウルバハに特別注文された作品で、ノイエピナコテークの核とされています。
パンフレットよりコピーしました。 -
レオ・フォン・クレンツェ(1784-1864)
「ピサのカンポザント」1858
ドイツ新古典主義の画家・建築家。
バイエルン王ルートヴィッヒ一世の宮廷建築家としてケーニヒス広場の多数の新古典主義の建築物を設計しました。
アルテ・ピナコテークも彼の設計。 -
カール・テオドール・フォン・ピロティー1826-1886)
「ヴァレンシュタインの遺骸のかたわらのセニ」1855。
シラーの戯曲「ヴァレンシュタイン」より。 -
カール・テオドール・フォン・ピロティー
「ローマの将軍ゲルマニクスの凱旋パレードに引き立てられるトゥスネルダ」1873 -
カール・テオドール・フォン・ピロティー
「アレキサンダー大王の死」1885 -
アルトゥール・ゲオルク・フォン・ランベルク(1819-1875)
「皇帝フリードリヒ2世のパレルモの宮廷」1865 -
フランツ・フォン・レンバッハ(1836-1904)
「ロシアの王女」1861。
モデルはストロガノフ伯爵夫人マリア・ニコラエヴナ。 -
フランツ・フォン・レンバッハ
「イグナツ・フォン・デリンガー」1874
イグナツ・フォン・デリンガーはドイツの神学者 -
フランツ・フォン・デフレガー
最後の召集兵」1872
フランスの占領に対して立ち上がったチロル独立戦争の最後の兵たち -
アルベルト・フォン・ケラー(1844-1920)
「ショパン」1873 -
ハンス・マカート(1840-1884)
「鷹匠」1880ごろ -
ヴィルヘルム・ライブルとその仲間
ウィルヘルム・ライブル(1844-1900)
「ミーナ・ゲドン」1869 -
ヴィルヘルム・ライブル「リナ・キルヒドルファー」1871
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ヴィルヘルム・ライブル「農家の小部屋」1890
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ルドルフ・ヒルト・デュ・フレーヌ(1846-1916)
「カーフ・シェーフ」1874.
カーフ・シェフは画家。 -
カール・シェーフ81846-1903)
「アスパラガスのある静物」1885 -
カール・シェーフ(1846-1903)
「りんご、ワイングラスと錫の水差しのある風景」1876ごろ -
ヴィルヘルム・トリュプナー(1851-1917)
「墓の中のキリスト」1874 -
アドルフ・ヘルツェル(1853-1934)
「聖書を読む」1890ごろ -
トーマス・オースティン・ブラウン(1857-1924)
「マドモアゼル プルームルージュ」1896 -
疲れました。
まだ見残したところもありますが、お昼もとっくに過ぎているので昼食をとることに。
ノイエピナコテークの野外レストランでいただきます。
前もここで食べましたねー。 -
ホテルでしっかり朝食を摂っていますから、そんなにお腹は空きません。
私はコーヒーとケーキ。
写真には撮りませんでしたが、夫はビールと、メニューを見て「Hering nach Hausfrauart」というニシン酢漬け料理を注文しました。
なんでもテレビドイツ語講座で、夫が大ファンであるドイツ料理研究科の門倉タニアさんが紹介していたものだとか。
これならさっぱりしていて、ドイツ料理に疲れたお腹にもやさしそうです。
夫はこれ以降もお腹があまり空いていない時は、何度かこれを注文していました。 -
レストランの池の周りでは、まるで、今しがた絵の中から抜け出してきたような、かわいい子供たちが遊んでいます。
-
さあて、疲れも取れたので、ノイエピナコテークのレストランを後にして次に移動します。
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この旅行記へのコメント (6)
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- jijidarumaさん 2015/11/07 15:07:14
- 「ティトゥス帝によるエルサレムの破壊」1846年の作品から:
- himmelさん、
こんにちは。
また、コメントすることをお許しください。
「ティトゥス帝によるエルサレムの破壊」1846年の作品ですが、当時のユダヤ属州総督フロルスがエルサレムのインフラ整備のための資金として神殿の宝物を持ち出したことにあったといわれている。
これをきっかけにエルサレムで過激派による暴動が起こった。ユダヤ人の反乱鎮圧にティトゥス親子が派遣され、鎮圧・反乱(所謂ユダヤ戦争と称する:紀元66〜74年)を平定して、ティトゥスはローマへと凱旋した。
この時、つくられたのがフォロ・ロマーノに今も残るティトゥスの凱旋門である。皇帝在位が2年と非常に短いにもかかわらず、ティトゥスの評価は非常に高い。
(Wiki抜粋)
以前にゲーテの町をテーマに旅行記を書きました。そこでは、ローマ皇帝Titusティトゥスについて、ちょっぴり書いています。:
モーツァルトの死の年に作られたオペラ“Die Milde des Titus(La clemenza di Tito)『皇帝ティートの慈悲』”は2幕もので、1791年9月6日にプラハで初演された。
ゲーテの町バート・ラウヒシュタットのGoethe-Theaterゲーテ・テアターと呼ばれる劇場が建てられ、1802年6月26日、ゲーテの臨席の下で保養地劇場の落成式が行われ、そこで上演された。
実在したローマ皇帝Titusティトゥス(在位:紀元79〜81年)を題材にしたもので、古代ローマの町ポンペイが大噴火で埋まった時の皇帝であり、災害復旧に寝る間も惜しんで尽力したが、激務のために早死にしてしまった。
その事で大変慈悲深い皇帝として知られている。
オペラの筋ではローマ皇帝ティトゥスが自分を裏切り、殺害しようと企てた全員の罪を寛大な慈悲の力で許すという話である。
ユダヤにとっての皇帝ティトゥス、ローマ人にとっての皇帝ティトゥス、ドイツ人(バイエルン人!)にとっての皇帝ティトゥス・・・様々ですね。
jijidaruma
- frau.himmelさん からの返信 2015/11/08 13:28:39
- RE: 「ティトゥス帝によるエルサレムの破壊」1846年の作品から:
- jijidarumaさん、
何編もの興味深いコメントありがとうございます。
コメントをいただいて、改めて勉強させていただくという感じで、より深い知識をいただいています。
皇帝ティトゥスのことも、さきほど旅行記を拝見させていただいて、より詳しく知ることができました。
「ティトゥス帝によるエルサレムの破壊」、そういう背景があったのですね。
あの美術館を造ったルートヴィヒ1世がお抱え画家のカウルバハに描かせたもの、
さすがに敬虔なクリスチャンらしい、ユダヤ教の反乱を鎮圧するティトゥス皇帝というドンピシャリな場面を題材に選んだものだと思っていました。
歴史画って1枚の絵の中にいろんな場面が凝縮されており、歴史を知りながら鑑賞するとより楽しい名画鑑賞になるでしょうね。
そんな深い知識などない私は、専ら写真を撮ってきて、帰国してからその背景を調べています。でもこれもまた楽しい。
コメントをいただいてさらに深く調べるのも楽しい。
1ユーロでこんなにも楽しめるなんて、やっぱり私は安上がりにできているんですね(笑)。
ありがとうございました。
himmel
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- アンマンさん 2015/11/03 19:44:07
- 太っ腹ですね!!!
- 1ユーロとは嬉しい限りですねぇ^^
アンマンもミュンヘンは日曜日にいたんですが、、、
もっと早くに知りたかった・・です(残念)
昔は美術館巡りをよくしてましたが
最近は行ったことがありません
絵画など見るのは大好きです💛
(パリのルーブル美術館をじっくり見たい・・と
思ってますけど・・・・・)
frau.himmelのブログで久しぶりに目の保養をさせて
頂きました。
- frau.himmelさん からの返信 2015/11/05 20:40:19
- RE: 太っ腹ですね!!!
- アンマンさん、こんばんは。
アンマンさんも今回の旅、ミュンヘンは日曜日でしたか?
それは残念でしたね。
1ユーロ、たったの1ユーロで世界の名画がズラーーーリ!
絵画がお好きでしたら、こたえられませんね。
アンマンさん、美術館巡りをよくなさるのですね。
ヨーロッパの美術館でいいのは、写真をバチバチ撮れること。
いくら有名な画家の絵が並んでいても、ボケが入ってきた私の頭では覚えられない。
その点、写真を見て、何度も鑑賞できますから、嬉しい限りです。
アンマンさん、これから何度もヨーロッパにいらっしゃる機会があると思いますが、ルーブルでもオルセーでも、ドレスデン、ベルリン、ヨーロッパにはいろんなところに有名な絵画館がありますから、ぜひご覧になってください。
ありがとうございました。
himmel
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- Bonheurさん 2015/11/03 16:36:30
- こんにちは
- こんにちは!
私も2年前にミュンヘンを再訪して、日曜日にアルテ・ノイエ両方回りました(アルテは駆け足。でも1ユーロなので得した気分でした)。ノイエでは大好きなセガンティーニやピサロの絵を眺めて満足しました。
ところで、himmelさんは、冬にドイツ・オーストリアを訪れるとしたら、どのようなご旅行をなさいますか。
11年の年末にドレスデン・ライプツィヒ・ベルリン、ベルギーに行ったのですが、緑は少なくても夏より回りやすく、年末に行こうかどうしようか少し迷っています。クリスマスマーケットは割とどこも同じような感じであることと、箱モノは開館時間が短いという点がネックですが。。。
ザクセン地方に行くのも面白いかもしれないですね。
- frau.himmelさん からの返信 2015/11/05 20:29:15
- RE: こんばんは。
- Bonheurさん、こんばんは。
お久しぶりです。
出かけていたもので、返信が遅くなってごめんなさい。
Bonheurさんも1ユーロのアルテとノイエにいらっしゃったのですね♪
でも若いですね〜、アルテとノイエのハシゴ!
最高の贅沢でしたねー。
私にはとっても無理、足が痛くなり翌日は動けません(泣)。
Bonheurさん、いろんなところに行ってらっしゃいますね。
旅行記を出していらっしゃらないのが残念。
私と旅の興味が重なるところがありますので、お出しになったら面白いでしょうね。ぜひ拝見させてください。
ところで冬の旅・・・ですか?
実は私は冬は苦手です。
早く日が暮れちゃうし、朝は日の出が遅いし、列車の旅でも車窓に映るのは自分の疲れた顔だけ・・・。
と言いつつも、数年前まで7年間続けてクリスマスマーケットのツアーに乗っかって冬のヨーロッパに行きました。
方向音痴で暗くなるとホテルを探すのも迷っちゃうし、かじかんだ手で重い荷物を引っ張って歩くのも億劫。ツアーならそれが解消できるものですから。
今はもっぱら日が長い春から初夏にかけて行っています。
でももし冬に行くとしたら、ウィーンやベルリン、ドレスデンに連泊して、明るいうちは近くを観光して、夜にはコンサートやテアター、それにグルメなど楽しむかな。
ザクセン地方、いいですね。
バートシャンダウ、パウツェン、ゲルリッツ、それからSLに乗ってモーリッツブルク城なんかもいいですね。
今年の冬にいらっしゃるご予定なのですか?
それでしたら、そろそろ計画を固めなければいけませんね。
計画づくり、楽しみながら頑張ってください。
himmel
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