2015/09/29 - 2015/10/09
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usakorabichanさん
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芸術の秋! バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴きに「音楽の都」ウィーンに行ってきました。
バルトークは1881年ハンガリーに生まれ。ドイツ-オーストリア音楽をレパートリーとするピアニストでしたが、民俗音楽を研究し東ヨーロッパからアルジェリアまで広範囲に採集し、民俗音楽的要素を取り入れた現代音楽の大作曲家です。ナチ嫌いだったバルトークは1940年米国に亡命し1945年ニューヨークで没しました。遺体は「ナチスドイツや共産主義ソ連の名前が残っているうちは、祖国ハンガリーに埋葬しない」との遺言に基づきニューヨークに埋葬されましたが、その後1988年ハンガリーに移送され<国葬>により埋葬されました。
「管弦楽のための協奏曲」は、ナチを嫌いハンガリーからアメリカに亡命したバルトークが白血病で体調がすぐれないなか、また戦争で印税収入が滞り困窮した生活の中で、1943年米国で最初に作曲した代表作です。
<ウィーンで音楽を堪能>
○10月1日 ウィーン王宮オーケストラ
ヨハン-シュトラウス:「こうもり」、「美しき青きドナウ」、等
○10月2日 ドイツ騎士団修道会「サラ・テレーナ」
モーツアルト:セレナーデ「アイネ-クライネ-ナハトムジーク」等
◎10月3日&10月4日 楽友協会「黄金の間」
バルトーク:管弦楽のための協奏曲 等
<2日間、ウィーン交響楽団の同じプログラムを鑑賞>
○10月5日 国立オペラ劇場
オペラ「蝶々夫人」
○10月6日 国立オペラ劇場
バレエ「ドンキホーテ」
○10月7日 シェーンブルン宮殿「オランジェリー」
フィガロの結婚、ワルツ美しき青きドナウ等
☆旅行のメインイベント:楽友協会とオペラ座です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ウィーン国立オペラハウスはルネッサンス様式の大劇場で客席数は2324席です。1869年5月25日に完成し、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の上演でこけら落が行われました。
第2次世界大戦の爆撃後、1955年再建されカール・ベームの指揮でベートーヴェンの『フィデリオ』により再開した。
15:30からガイドツアーに参加し、19時からオペラやバレエを鑑賞。
プログラム:1日目オペラ「蝶々夫人」、2日目バレエ「ドンキホーテ」。 -
ガイドツアーでは、カメラもフラッシュもOKとの事。フラッシュがOKとは大丈夫かなと思い、ノーフラッシュで撮影。
開演の1時間前に入館開始、45分前に入場開始でした。
入場するとこの緞帳が下りていました。 -
10月5日 オペラ 蝶々夫人
パルケット(平土間)の8列15番中央通路沿い 181ユーロ
10月6日 バレエ ドンキホーテ
パルケット(平土間)の7列10番中央通路5人目 116ユーロ
どちらも前の方の中央寄りの見やすい席でした。 -
ロージェ(ボックス席)が重なり、豪華なオペラハウスを実感。
-
右側に少し見えるのがミッテルロージェで舞台が見やすく、音も最高だそうです。しかし見るには少し遠いね。
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双頭ではないですが、ミッテルロージェの上に鷲が有りました。
豪華絢爛なホールでした。 -
舞台がこの緞帳に代わると日本語で「写真撮影、録音録画をお控えください。携帯電話の電源をお切りください」とのお知らせが入りました。
1日目<オペラ:蝶々夫人>
プッチーニ1902年初演の作品。イタリアでの初演は大失敗。その原因は文化の異なる日本に対し違和感を覚えた様です。3ヶ月後の改訂版では大成功を収めたとの事。 -
<オペラ:蝶々夫人>
没落藩士の令嬢の「蝶々さん」とアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛悲劇。
蝶々役のソプラノ歌手は舞台に上がり続け、かつ、歌のパートが長いため「ソプラノ殺し」の作品と言われています。
写真は天井の照明です。 -
「蝶々夫人」は長崎の港を見下ろす丘の上の家で、ピンカートンとの甘い新婚生活を送るが、間もなくピンカートンは米国に帰国。二人の間にできた子供が3歳になった時、ピンカートンは妻ケートを連れて来日。妻ケートは子供の教育や子供の将来を考えると、子供を米国に連れて帰り、育てたいと蝶々夫人を説得します。蝶々夫人は子供をピンカートン夫妻に託し、自分は父の形見の短刀で自害します。
蝶々夫人が子供の将来を考えて、子供を妻ケートに託し、自害する場面は、非常に感動的でした。
終演後退場する際、目頭を押さえながらの老婦人もいました。欧米人も感情は一緒です。 -
オーケストラボックスは110名は入るとの事。
幕間に、オーケストラボックスの指揮者の楽譜を覗いてみました。 -
二日目のバレエ<ドンキホーテ>のパンフレットです。
<ドンキホーテ>
騎士道物語を読みふけるドンキホーテは、物語の中のドルシネア姫を求めて旅に出ました。スペインの市場では、床屋の息子バジルと宿屋の娘キトリが恋仲。ドンキホーテはキトリを騎士物語のドルシネア姫と思いこんでしまいます。
一方、キトリは父親の反対にあい二人は駆け落ちをしました。すると、ドンキホーテが二人を追いかけて行きました。 -
舞台が酒場に戻ると、結婚を許さないキトリの父親に対し、キトリは狂言自殺をします。その演技に騙されたキトリの父親は結婚を許します。そして遂に、バジルとキトリは結婚し、そしてドンキホーテはドルシネア姫を探して、再び旅に出ます。
第2幕2場のドンキホーテの夢の中の踊り、第3幕2場の婚礼の踊りで、バジルとキトリのグラン-パ-ド-ドゥ(Grand Pas de Deux)は、技術レベルが高く、演技が大きく、ポーズを決めた時の美しさは最高でした。
パンフレットの写真を転載しましたが、キトリ役のオルガ・エジーナは大変に綺麗なバレリーナでした。
二日間のウィーン国立オペラハウスは大満足でした。 -
ウィーン国立オペラハウスのガイドツアー(15:30)に参加。
写真は日本語の上手なガイド<フーバー>さんです。日本人ツアーは14名。
まず、写真、フラッシュOKの説明が有りました。
舞台は毎日、午前は数日先のリハーサル、午後は大道具が舞台作り、夜は本番。
舞台は50mX25m 奈落は12mだそうです。
音楽はウィーンフィルの150名が2班に分かれて演奏しているとの事。 -
舞台は蝶々夫人第2幕の舞台を作っていました。
ここで最後に蝶々夫人が自害しました。 -
各所を廻ってから、ミッテルロージェのボックス席の後ろから舞台を見ました。
第1幕、蝶々夫人がキリスト教に改宗し、ピンカートンと甘い生活を送る場面です。
この舞台は1幕の完成形です。これを撮影して良いとは!
楽友協会と撮影禁止とは大きな差が有ります。 -
マーラーホール
幕間に利用するラウンジです。フランツ・ヨーゼフI世のイニシャルを配したタペストリーは見事なラグラン織りでした。 -
マーラーホールのマーラーの絵です。
マーラーのこのフォルムは色々な所で利用されていますね。 -
大理石のホール
大理石でできた壁画です。素晴らしい。 -
シュヴィント・ホール
幕間のラウンジの様子です。
この壁の上部に14名のオペラ作曲家の彫像と壁画が画かれています。 -
ベートーベンの彫像です。
-
壁際には、指揮者の彫像が有りました。
カラヤンです。 -
ティーサロン
皇帝が幕間を過ごすティーサロンです。入室禁止で廊下からみました。 -
ティーサロンの天井です。
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中央階段を上り左右に分かれて、階段を上り切った所です。
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中央階段の左にあるバレエの額です。
このホールはオペラとバレエのホールだと表現しているとの事。 -
中央階段の右にあるオペラの額です。
ガイドのフーバーさんの説明では、ウィーンオペラ座の入場収入は必要経費の半分、赤字の半分がスポンサー契約のトヨタレクサスが補助し、残りを国が補助しているとの事でした。 -
楽友協会
1812年、音楽が宮廷から貴族層そして一般市民に展開されてゆく中で組織され、楽友協会ホールは1870年に完成。ギリシャ=ルネッサンス様式。設計はデンマーク生まれの建築家テオフィール・ハンセン。彼はアテネで研究を続け、古代ギリシャからインスピレーションを得て、「ギリシャ風ルネサンス様式」の唱導者となった。竣工式の文書には「音響芸術の研鑚者と巨匠たちに捧げられたこの建物は、今後とも常に音響芸術の殿堂である。それ自体が芸術作品であるこの建物は、音楽の故郷として街と帝国を飾り続ける」と記されたとの事。
楽友協会のオープニングを報じた新聞は「期待が如何に大きかろうとも、ひとたび足を踏み入れれば誰でも、目を奪うホールの美しさ、絢爛豪華な細部の装飾に圧倒される。」と報道したとの事。 -
「黄金の間」は1941年から毎年1月1日に「ウィーンフィルのニューイヤーコンサート」が開かれるホールで、NHKの衛星生中継でお馴染みのホールです。
正面破風のオルフェウス。黄金の間の壁に並ぶカリアティードと天井画のアポロとミューズなどギリシャ風ルネサンス様式」の素晴らしい装飾が施されていました。 -
「黄金の間」は女性像がバルコン席の扉上部とオルガンの上部を優雅に飾っていました。側壁のカリアティー ド(女人柱)と見事に調和しており、これはフランツ・メルニ ツキーの制作した彫像が、豪華絢爛な大ホールに、フェミニンなアクセントを添えていました。
このホールで、磨き抜かれた音楽が美しい音色で響き渡りました。 -
10月3日4日は楽友協会で<バルトークの管弦楽の協奏曲>を2日連続で楽しんできました。プログラムは
◎バルトーク「管弦楽のための協奏曲」
○バルトーク「管弦楽のための2つの映像」
○べートーベン「ピアノ協奏曲第1番」
<バルトーク>
ハンガリー生まれのバルトークはナチに抵抗して、1940年米国に移住しました。彼の難解な音楽は米国では受け入れられず、また白血病に冒されていたので「管弦楽のための協奏曲」を完成した時は、痩せ衰え体重は40Kg程度だったとの事。そして最後に「まだ表現すべきものがたくさんあるのに、この世を去らなければならないのが残念だ」と言い残してこの世を去ったとの事です。
「管弦楽のための協奏曲」は、ハンガリーからアメリカに亡命したバルトークが白血病で体調がすぐれない中、また、戦争で印税収入が滞り困窮した生活の中で、1943年米国で最初に作曲した代表作。
1楽章は、陰鬱と言える程の重厚な中で、張りつめた緊張感が最高でした。
2楽章は、明るい雰囲気の中で管楽器が対になって戯れる姿が楽しかった。
3楽章は、やり場のない悲しみの淵の音は、反骨精神で貫いたバルトークの人生そのものかも。
4楽章は、清々しい楽しい雰囲気で軽快にリラックスさせてくれました。
5楽章は、力強い緊張と優しさに満ちた管と弦と打楽器の響きが素晴らしかった。 -
○バルトーク「管弦楽のための2つの映像」
1曲 花ざかり 2曲 村の踊り
マジャール系民謡の特徴を分析しドビッシーの影響を受けた曲で、ダイナミックな演奏でした。
○ベートーベン「ピアノ協奏曲第1番」
ピアノ協奏曲第1番は第2番よりも後に作られたものです。ベートーベンがウィーンで本格的な活動を始めた27歳の時の名曲。ベートーベン自身がピアノ協奏曲第1番を「大協奏曲」と名付けました。
ピアノ協奏曲5番の様な知名度はないが、少しモーツアルトの影響を受けた感じですが、聞いていて親近感を与え、楽しくパワーが湧く演奏でした。 -
バルトーク「管弦楽のための協奏曲」
フルートが活躍する曲ですが、ウィーン交響楽団のフルート奏者が素晴らしい演奏でした。
フルート奏者:シルビア・カレドゥー(Silvia Careddu) イタリアのサルデーニャ島の出身。
背はさほど高くない上、スリムな体ですがパワーにあふれた演奏で「管弦楽のための協奏曲」を吹いてました。
入場すると開演の15分前まで練習し、本番に備えていました。そして熱演し曲が終わると、全力を使い果たしたのか、なかなか立ち上がる事ができない程の全力で吹いてました。
二日間連続で、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」をききました。何度聞いても良いですね。 充実した至福の二日間でした。この旅行の目的は120%達成出来ました。
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