2010/06/01 - 2010/06/16
62位(同エリア489件中)
ノスタルジアさん
- ノスタルジアさんTOP
- 旅行記137冊
- クチコミ1件
- Q&A回答19件
- 183,121アクセス
- フォロワー112人
平成22年(2010年)6月1日から6月16日まで神戸~上海~シルクロード河西回廊
(西安~敦煌)~大同~青島~下関11,800キロを船と列車での一人旅をした。
本当は青蔵鉄道でラサへ行きたかったが、ラサで高山病が悪化した場合、
強制的にヘリコプターで成都の病院まで輸送される、と云う事が判り、
また、2008年5月12日四川大地震が、旅行直前には2010年4月14日に
青海地震が、発生したのでラサ行は断念した。
他にも昆明は干ばつによる乾燥の影響で感染病が蔓延し、桂林の漓江下りは
4月初めまでは干ばつの影響で、通常ルートの半分くらいに短縮されていたが、
大雨が振り、今は逆に洪水で漓江下りは中止となっていて、ウルムチは
2009年ウイグル騒乱による外務省の渡航自粛が出されていたので、結局、行先は
旅行記のタイトルとなった。
飛行機に乗らない、乗れない旅は何かと限定されるのである。
ご参考まで
激変前の80年代 大阪港~上海航路~上海~蘇州~上海~杭州西湖~上海~上海航路~神戸港 1/3~3/3
http://4travel.jp/travelogue/11030574
http://4travel.jp/travelogue/11032025
http://4travel.jp/travelogue/11032698
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
敦煌とその周辺地図
6月1日(火)〜3日(木)神戸から船で上海
6月3日(木)〜4日(金)上海から列車で西安
6月4日(金)兵馬俑博物館、大慈恩寺 大雁塔 西安観光
6月5日(土)〜6日(日)西安観光 西安から列車で敦煌
6月6日(日)敦煌 莫高窟、鳴沙山観光
6月7日(月)ヤルダン地質公園、陽関、玉門関他タクシーで360キロ
6月8日(火)敦煌から列車で嘉峪関
6月9日(水)〜10日(木)嘉峪関から列車で大同
6月10日(木)雲崗石窟
6月11日(金)懸空寺、恒山他をタクシーで
6月12日(土)〜13日(日)雲崗石窟 大同から列車で青島
6月13日(日)青島観光
6月14日(月)〜16日(水)青島から船で下関 -
平成22年6月7日 ヤルダン国家地質公園から漢長城に向かう途中の風景
-
平成22年6月7日 玉門関、漢長城、河倉城の共通入場券40元555円
この内、河倉城がカットされた。運転手に言わずにいると立ち寄らない場合もあるので注意が必要。この時も漢長城の次に河倉城と思っていたら陽関に着いてしまった。 -
平成22年6月7日 漢長城
「紀元前121年」酒泉郡が設けられた後に、漢武帝は令居(今の永登)の以西の亭、障、塞を建てはじめた。
いわゆる「塞」は長城であり、「亭」と「障」は烽火台であり、大きいのは障と呼ばれ、小さいのは亭と呼ばれる。候官(官職)と候長(官職)から兵士を率いて守備し、彼らは開墾することと辺境を守ることの二重の任務を負った。
西は玉門関の西方から疎勒河の南岸に沿って延々と築かれた漢代の長城。2千年にわたって風触されたため現在残された部分は少なく、玉門関付近で最も保存状態の良い長城を見ることができる。砂と葦や紅柳、胡柳を層にして固め、間に烽火台が造られた。 -
平成22年6月7日 漢長城烽火(のろし)台
秦の時代に築城が始まった万里の長城よりも少し後、漢代に築城された長城跡。
万里の長城の西端は敦煌の東にある嘉峪関と言われており、この漢長城はちょうどその西方へ向けての延長線上に位置する。
この漢の長城も万里の長城と同様、西域の脅威であった「匈奴」の侵略から領土を守る為だった。
延長は150kmと云われているが、残念ながら風化が進み現在は恐竜の背鰭のようにとぎれとぎれで残っている。
壁の構造は、芦と土とを重ね合わせながら突き固めた物です。外壁がほとんどなくなっているのでその様子がよく分かる。
城壁に続くように烽火台が残っており、更にその側には、烽火用に準備されたと思われる芦の束が化石のようになって今も残っている。
周囲は部分的に柵で囲われているものの、銘板が立っている以外は何の手入れもしてない。 -
平成22年6月7日 漢長城
管理棟らしき建物があったが誰もいなかったし、他に観光客もいなかった。 -
平成22年6月7日 漢長城
-
平成22年6月7日 漢長城
土と砂礫と葦を混ぜて、何層にも突き固められた長城。 -
平成22年6月7日 漢長城
-
平成22年6月7日 漢長城 烽火台
ここで烽火をあげると遠く長安の都まで一日で鉄器来襲を伝えることが出来たという。 -
平成22年6月7日 漢長城 烽火台
-
平成22年6月7日 漢長城
-
平成22年6月7日 玉門関
玉門関は敦煌の西100kmの所に、ゴビ灘の中のに建っている漢代の関所跡である。シルクロードの重要な堅固な関所の1つとして、漢と唐2度に渡り建立された。一辺が25m高さが10mほどの真四角な造りで、西側と北側に入り口があり、昔西域からの侵略を防ぐ重要な軍事拠点である。昔2万を超える兵士が駐屯していた。「玉門関」の名前は、新疆ウイグル自治区のホータンで産出された「玉石」がここを通って中国に入ってきたことに由来である。 -
平成22年6月7日 玉門関
元来は漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、唐代に再建された際は安西の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南ルートでは陽関を通過していた。宋代になって西域交通が衰え、衰退した。
玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する
地で、唐代の詩人王之渙は「羌笛何須怨楊柳、春風不度玉門関」(羌笛何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを、春風渡らず玉門関)と詠んでいる。
2014年にはシルクロード:長安-天山回廊の交易路網の構成資産としてユネスコの世界遺産リスト登録物件に含まれた。 -
平成22年6月7日 玉門関
万里の長城の西端,漢代玉門関の遺跡見つかる。
このほどシルクロード沿線にある万里の長城の西端、漢代の玉門関の遺跡が見つかった。著名な敦煌学者で西北師範大学教授の李併成氏が嘉峪関とシルクロードの歴史文化学術シンポジウムで発表したもの。李教授は、最古の玉門関は現在の場所よりも東にあったと指摘した。
玉門関は漢の武帝期(在位紀元前141年―紀元前87年)に長城が増設された際、現在の甘粛省敦煌市の西北に置かれた関所。名称は西域からの輸入品の玉に由来し、多くの詩にも詠まれているが、その所在地は長い間学界で論争の的となっていた。
李教授は「史記」、「釈迦方志」などの文献の研究で玉門関は当初、敦煌に置かれたのではなく、史料にある「故玉門関」の遺跡が存在すると結論づけた。方角、距離などの計算から、嘉峪関市の西北約1キロにある石関峡は文献中の記述にある「酒泉郡から1日の距離にあり、険しい渓谷と豊かな渓流が要害をなす」という地理条件に合致すると考えた。李教授は武帝の元鼎6年(紀元前111年)あるいはその少し後に置かれた玉門関は敦煌よりも東寄りで、今の嘉峪関市の石関峡にあったと指摘した。
李教授は「昨年7月、私は歴史学者と最古の玉門関を探索する調査に参加し、石関峡とその周辺で古い城跡、のろし台などの遺跡を見つけた。これらは石、版築、雑草などでつくる典型的な漢代の建設方式で、ここが漢代の玉門関の跡である証拠だ。専門家の多くもこの考えに同意している」と説明した。
戦略の変化で玉門関の場所も動いた。「太初3年(紀元前102年)に李広利将軍が初めて大宛(フェルガナ)を討伐すると、玉門関は酒泉郡から西の敦煌郡西北に移された」と李教授は指摘する。
後漢中期、瓜州から西の伊吾(現在の新疆ウイグル自治区ハミ地区)に通じる道ができると、敦煌を回る必要がなくなり、唐(7世紀ごろ)まで瓜州晋昌県疏勒河岸の双塔堡に玉門関が移された。
李教授は次のように説明した。政治、軍事的な必要性と交通ルートの変化で、五代から宋の初め(10世紀ごろ)、玉門関は瓜州の双塔堡から200キロほど東に移され、初めに関所が置かれた石関峡に戻った。
蘭州大学歴史文化学院院長の王希隆教授は「李教授が豊富な史料と実地調査で玉門関が時期によって動いたことを明らかにしたことは、玉門関研究で重大な発見だ」と話した。
2014/07/25
中華人民共和国駐日本国大使館 -
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
ここも他に観光客はいなく写真撮影には好都合だった。 -
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
玉門関からは360度の大平原が見渡せる、これなら押し寄せる西域からの侵略軍をただちに見つける事が出来そうだ。 -
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関の内部
-
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
-
平成22年6月7日 玉門関
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- こまちゃんさん 2015/10/05 01:44:53
- 玉門関参観
- ここは元々中に入れまして、登ったりも出来ていました(2005年まで)。
その時、「何で保存しないの」と憤りを感じていましたら、2006年に出掛けた時には入れなくなっていました。
その後数回出掛けても同じく入れませんでしたが、2013年久々に出掛けた時、板張りの参観道を引き込んで、壁にはガラスを立て掛けて、中に人が入れるようになっていました。
徐々に良識感が出て来ているみたいで、何故かとっても安堵しました。
その時の様子→http://4travel.jp/travelogue/10946103
こま
- ノスタルジアさん からの返信 2015/10/05 09:14:51
- RE: 玉門関参観
- おはようございます。
すぐ状況が変わりますね。前行ったから、といって2012年の時は行ってないのですが、行けば良かったですね。
今、スパイ行為事件で日本人2人が拘束されていますが、真相はどうでしょうかね?
> ここは元々中に入れまして、登ったりも出来ていました(2005年まで)。
> その時、「何で保存しないの」と憤りを感じていましたら、2006年に出掛けた時には入れなくなっていました。
> その後数回出掛けても同じく入れませんでしたが、2013年久々に出掛けた時、板張りの参観道を引き込んで、壁にはガラスを立て掛けて、中に人が入れるようになっていました。
> 徐々に良識感が出て来ているみたいで、何故かとっても安堵しました。
> その時の様子→http://4travel.jp/travelogue/10946103
>
> こま
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ノスタルジアさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
30