2015/09/13 - 2015/09/13
282位(同エリア624件中)
滝山氏照さん
東京メトロ南北線本駒込駅より約2分の交通利便性高い高林寺(こうりんじ、東京都文京区丘)は慶長元年(1596)神田山北側の金峰山神社跡地に創建したのが始まりで、明暦2年(1657)の大火(明暦の大火)の後当地へ移転、それまでは寺の境内から泉が湧き出て三代将軍家光公(1604~1651)にこの水をお茶用の水として献上したことからこの地が「御茶の水」という地名が付されたとの伝承があります。
また当寺には緒方洪庵(おがた・こうあん、(1810~1863)の墓があり、高林寺入口には次の説明が記されています。
「 緒方洪庵
洪庵は、江戸時代末期の蘭学者、医学者、教育者。文化7年~文久3年(1810~63)現在の岡山県に生まれ、名は章、後に洪庵と改めた。
大坂、江戸、長崎で蘭学、医学を学び、天保9年(1838)、大坂に”適々齋塾”(適塾)を開き、診療と研究のかたわら、三千人におよぶ門弟の教育に当たった。この塾から大村益次郎、橋本佐内、福沢諭吉などが輩出した。
洪庵は、幕府の奥医師として江戸に招かれ、翌年、文久3年(1863)病没した。 文京区教育委員会 」
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天昌山・光源寺(こうげんじ、東京都文京区向丘)は本尊が阿弥陀如来で天正17年(1589)信濃国小諸藩主仙石久秀の開基で神田四軒町にて創建し慶安元年(1648)当地へ移転、正式には「天昌山 松翁院 光源寺」と呼称する浄土宗の寺院です。
当持院で特筆すべきは十一面観音像で、初代の像は江戸時代前期において豪商といわれた丸屋吉兵衛の発願により建立されたもので、かつて吉兵衛が大和国に在する長谷寺参詣した際木造の十一面観音像を拝礼し心を動かされたことが背景にあります。
その後安政地震や関東大震災では観音堂は被害を被ったが、観音像は無傷で破壊を免れたものの昭和20年の東京大空襲では観音像は堂宇とともに焼け落ちました。
そして平成5年(1993)に48年ぶりに二代目の大観音像が再建され今日に至っています。
「本郷区史」には下記のように記述されています。
『 光源寺
駒込蓬莱町に在り深川本誓寺末、天昌山松翁院と号す、天正17年四軒寺町に起立、慶長元年現地に移る。開基は仙石権兵衛秀久で法名円覚院、松翁院は秀久の孫越前守政俊であるが、共に本寺に墓所はない。境内観音堂に丈六の観音像あり、駒込の大観音として世に知らる。貞享の頃江戸の町人丸吉兵衛の建立する所(江戸砂子)で、吉兵衛は元大坂町に住して丸屋宋閑と云ひ(文政寺書上)本姓は橋本氏であった(明治18年書上)。朝倉無声氏武江年表の註には吉兵衛は鰹節問屋で当時の歌に「沖に見ゆるは丸屋の船よ」と云はれし者であるといふ。』
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桂芳山・瑞泰寺(ずいたいじ、東京都文京区向丘)は本尊が阿弥陀如来で正式には「桂芳山 護念院 瑞泰寺」と号する浄土宗の寺院で、元々は神田明神(現神田神社)下に位置しており、慶安元年(1648)に現在地に移転しています。
当寺は天正17年(1589)に桂芳和尚によって開山、創建当初は「桂芳しい院」と呼ばれ、後に丹後田辺藩主京極高三が父高知の菩提を弔うため、当寺を菩提寺と定め本堂などを整備して現在に至っています。
当該寺のホームページには下記の通り紹介されています。
『 瑞 泰 寺 の 歴 史
瑞泰寺は食おうとの浄土宗総本山知恩院の末寺として、江戸神田明神下に創建された。当初この寺は開祖(初代住職)光蓮社勝誉上人桂芳和尚の法号に因んで「桂芳院」と号していたといわれる。なお、桂芳和尚はまれにみる丈夫な方で百三十余歳の天寿を全うされたと伝えられている。
第二世は、真蓮社体誉上人天茂和尚と云い、後に願行寺の住職となられた方である。
第三世大誉上人(天和8年(1636年)12月16日寂)の時、丹後国城主京極院修理大夫高三君が前城主丹後守高知公の冥福を祈るため、新たに仏殿(すなわち本殿)・僧坊・山門等を造改築し、高知公の法号「瑞泰院」を取って、改めて瑞泰院と名づけ、京極家の菩提寺と定めた。この因縁により当寺の正式名称を「桂芳院 護念院 瑞安泰寺」というのである。
慶安元年(1648年)第四世教誉上人厳茂和尚の時、寺域が幕府御用地となって召し上げられ、その代替地として駒込の地(すなわち現地)を与えられ、同年のうちに移転した。
こと寺が神田明神下に開かれたより、390余年の長い年月がたってい
る。』
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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高林寺・入口
区立駒本小学校の入口でもあります。傍らに緒方洪庵の説明板が付いています。 -
高林寺・寺門
右に山号である「金峰山」、左に寺号である「高林寺」がそれぞれ刻された石柱が門を形成しています。 -
高林寺・本堂
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高林寺・扁額
山号の「金峯山」が書されています。 -
緒方洪庵墓所・案内図
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緒方洪庵美所
案内板には「江戸末期の蘭学者・医者」と紹介されています。 -
緒方洪庵墓石
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緒方洪庵夫人の墓石
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追蕡之碑
明治42年に洪庵に対して従四位が追贈されたことを記念して建てられています。 -
緒方洪庵経歴紹介
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岡麓(おか・ふもと)の墓所
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光源寺石門
今度は高林寺にほど近い天昌山・光源寺にやってきました。 -
光源寺・本堂
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光源寺・境内
近隣の寺院の中では最も広い境内を有し、近くに住む親子が芝生の中で遊んでいます。 -
駒込大観音
光源寺と同一の敷地に駒込大観音が在ります。 -
旧町名案内板
かつては「駒込蓬莱町」であったと記されています。同案内板には多数の寺院が記されています。 -
駒込大観音(全景)
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駒込大観音(近景)
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駒込大観音敷地
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初代大観音の礎石
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瑞泰寺
光源寺に続き桂芳山・護念院瑞泰寺(ずいたいじ)を散歩します。 -
瑞泰寺石門
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瑞泰寺本堂
当寺は京都知恩院の末寺として江戸神田明神下で創建、天和8年(1636)丹後田辺藩主京極高三(きょうごく・たかみつ、1607~1636)が父京極高知(きょうごく・たかとも、1572~1622)の冥福を祈るため新たに本堂・僧坊・山門等を改築して京極家の菩提寺とします。慶安元年(1648)寺域が幕府御用地となって召上げられ、その代替地として当地に移転して現在に至ります。 -
本堂近景
山号である桂芳山が掲示されています。初代住職である桂芳和尚の法号に因んで命名されています。 -
瑞泰寺境内
本堂から石門方向を捉えます。 -
石門扉
門には京極氏の家紋(四つ目結)が寺紋として付されています。
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