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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />折角上って来たクイリナーレの丘ですが、再び坂を下りてバルベリーニ宮、バルベリーニ広場を通り過ぎ、まっすぐそのままシスティーナ通りに入ります。<br /><br />あらあら、行く手はまた、上り坂で〜す。<br />

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その26 ローマ ポポロ広場への道

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2015/05/11 - 2015/05/11

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2

57

junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

折角上って来たクイリナーレの丘ですが、再び坂を下りてバルベリーニ宮、バルベリーニ広場を通り過ぎ、まっすぐそのままシスティーナ通りに入ります。

あらあら、行く手はまた、上り坂で〜す。

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • サン・カルリーノ・アッレ・クワトロ・フォンターネのあるクイリナーレの丘からバルベリーニ広場への道はご覧の通り結構な坂道です。<br /><br />右手にバルベリーニ宮の瀟洒な門柱が並んでいます。

    サン・カルリーノ・アッレ・クワトロ・フォンターネのあるクイリナーレの丘からバルベリーニ広場への道はご覧の通り結構な坂道です。

    右手にバルベリーニ宮の瀟洒な門柱が並んでいます。

  • 門柱を支える髭もじゃのカリアテッドの正体は、天空を背負うギリシャ神アトラスでした。<br />彫刻は、建築家フランチェスコ・アズーリによる19世紀の作品。

    門柱を支える髭もじゃのカリアテッドの正体は、天空を背負うギリシャ神アトラスでした。
    彫刻は、建築家フランチェスコ・アズーリによる19世紀の作品。

  • バルベリーニ広場から先は、また上り坂になります。このシスティーナ通り、道沿いに季節の寄せ植えの鉢が吊り下げられていて、行きかう人の目を楽しませてくれます。

    バルベリーニ広場から先は、また上り坂になります。このシスティーナ通り、道沿いに季節の寄せ植えの鉢が吊り下げられていて、行きかう人の目を楽しませてくれます。

  • こんな細い道なのに、交通量はあるし、駐車車両が一杯で、歩道はすれ違うのもままならないほど狭いしで、歩くには常に注意が必要です。

    こんな細い道なのに、交通量はあるし、駐車車両が一杯で、歩道はすれ違うのもままならないほど狭いしで、歩くには常に注意が必要です。

  • 10分ほどでスペイン階段の上の広場に到着。嫌な予感がすると思ったら、やはり・・・「ローマの休日」でお馴染みのトリニタ・ディ・モンティ教会は修復中でした!

    10分ほどでスペイン階段の上の広場に到着。嫌な予感がすると思ったら、やはり・・・「ローマの休日」でお馴染みのトリニタ・ディ・モンティ教会は修復中でした!

  • 今回のたびで私が目にするローマのオベリスク5本目は、トリニタ・ディ・モンティ広場のサルスティアーノのオベリスクObelisco Sallustianoです。<br /><br />ローマにある13本の古代オベリスクの一つで、高さ13.91m、土台部分を入れると30.45mあります。

    今回のたびで私が目にするローマのオベリスク5本目は、トリニタ・ディ・モンティ広場のサルスティアーノのオベリスクObelisco Sallustianoです。

    ローマにある13本の古代オベリスクの一つで、高さ13.91m、土台部分を入れると30.45mあります。

  • ローマで作られたオベリスクで、彫られているヒエログリフは、ファラオ セティ1世とラムセス2世について書かれているポポロ広場のフラミニオのオベリスクを模倣したものだそうです。<br /><br />オベリスクは、ピンチョの丘にあった古代ローマの歴史家サルスティウス邸の庭を飾っていたもので、1932年に見つかった花崗岩の台座の上に乗っています。<br /><br />1738年、クレメンス12世により寄贈され、私が見た2番目のオベリスクのあるサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場に運ばれましたが、立つことがないまま放置され、なんとそれから51年後の1789年になって、教皇ピウス6世により、トリニタ・ディ・モンティ教会前に運ばれてきました。建立したのは建築家のジョヴァンニ・アンティノリ。名前は元々の所有者サルスティウスの名前から付けられています。

    ローマで作られたオベリスクで、彫られているヒエログリフは、ファラオ セティ1世とラムセス2世について書かれているポポロ広場のフラミニオのオベリスクを模倣したものだそうです。

    オベリスクは、ピンチョの丘にあった古代ローマの歴史家サルスティウス邸の庭を飾っていたもので、1932年に見つかった花崗岩の台座の上に乗っています。

    1738年、クレメンス12世により寄贈され、私が見た2番目のオベリスクのあるサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場に運ばれましたが、立つことがないまま放置され、なんとそれから51年後の1789年になって、教皇ピウス6世により、トリニタ・ディ・モンティ教会前に運ばれてきました。建立したのは建築家のジョヴァンニ・アンティノリ。名前は元々の所有者サルスティウスの名前から付けられています。

  • 元来た方を振り返ります。向かって左が、私が上って来たシスティーナ通り。右がグレゴリー通り。このグレゴリー通りを少し行くと、「怪物の家」という奇怪な名の館(ヘルツィアーナ図書館?)があったらしいのですが、うっかり見逃してしまいました。

    元来た方を振り返ります。向かって左が、私が上って来たシスティーナ通り。右がグレゴリー通り。このグレゴリー通りを少し行くと、「怪物の家」という奇怪な名の館(ヘルツィアーナ図書館?)があったらしいのですが、うっかり見逃してしまいました。

  • トリニタ・ディ・モンティ教会が2014年の段階で修復中なのは知っていましたが、もう終了していると勝手に期待していたのですが、甘かった・・・

    トリニタ・ディ・モンティ教会が2014年の段階で修復中なのは知っていましたが、もう終了していると勝手に期待していたのですが、甘かった・・・

  • 確かに修復が必要そうなボロボロの階段ですねえ。教会の中にも入れないようです。残念でした! それにしてもな〜に? この広告! フランスの香りを振りまいているわけ??

    確かに修復が必要そうなボロボロの階段ですねえ。教会の中にも入れないようです。残念でした! それにしてもな〜に? この広告! フランスの香りを振りまいているわけ??

  • で、スペイン広場を見ようと高みの見物。噴水近くに沢山人が集まっていますね。噴水も工事中と言う噂だったけれど、こちらは無事修復が終わったみたいです。でも、あそこまで行って、スペイン階段を見上げたら、写真撮りたくなるでしょ。ガックリ来るのが目に見えているので、下りては行きませんでした。<br /><br />

    で、スペイン広場を見ようと高みの見物。噴水近くに沢山人が集まっていますね。噴水も工事中と言う噂だったけれど、こちらは無事修復が終わったみたいです。でも、あそこまで行って、スペイン階段を見上げたら、写真撮りたくなるでしょ。ガックリ来るのが目に見えているので、下りては行きませんでした。

  • 本当は、あの人で溢れているコンドッティ通りの先に、町一番と言うジェラート屋さんCiampiniがあると聞いていたので、寄る気ムンムンだったのですが、お預けです。

    本当は、あの人で溢れているコンドッティ通りの先に、町一番と言うジェラート屋さんCiampiniがあると聞いていたので、寄る気ムンムンだったのですが、お預けです。

  • スペイン階段の終点です。ここまで皆上ってこないのかなぁ。自撮り棒売りの兄ちゃんたちも手持無沙汰の様ですよ。

    スペイン階段の終点です。ここまで皆上ってこないのかなぁ。自撮り棒売りの兄ちゃんたちも手持無沙汰の様ですよ。

  • トリニタ・ディ・モンティ広場から道は標高を保ったままポポロ広場方面に伸びているので、その道を辿っていくことにしましょう。<br /><br /><br />高い場所から見下ろすローマの町は高層ビルがなく、一番高いのが教会のドームのようです。5階建てビルの高さと同じくらいだから、高さはせいぜい20mあるかないかですねえ。

    トリニタ・ディ・モンティ広場から道は標高を保ったままポポロ広場方面に伸びているので、その道を辿っていくことにしましょう。


    高い場所から見下ろすローマの町は高層ビルがなく、一番高いのが教会のドームのようです。5階建てビルの高さと同じくらいだから、高さはせいぜい20mあるかないかですねえ。

  • 右手に見えてきた建物はヴィッラ・メディチVilla Medici。トスカーナ大公国時代の第3代フェルディナンド1世・デ・メディチが1576年にローマにおけるメディチ家の拠点として建てたものです。

    右手に見えてきた建物はヴィッラ・メディチVilla Medici。トスカーナ大公国時代の第3代フェルディナンド1世・デ・メディチが1576年にローマにおけるメディチ家の拠点として建てたものです。

  • ナポレオンの占領下の1803年、在ローマフレンチ・アカデミー(フランス学士院)がここを本拠地として移ってきて以来、フランス政府機関となっています。<br /><br />フランスの若い芸術家に奨学金を与えてローマに留学させる「ローマ賞」という制度があったそうですが、なんと創建は1663年ルイ14世の時代と言うから驚きです。「ローマ賞」は1968年に廃止されましたが、現在でも美術のみならず、音楽、建築、芸術関連等様々な分野の留学生がここで学んでいます。<br /><br />2003年には200周年を記念した催しや展覧会などが行われたそうです。月曜日を除く毎日、予約制で1時間の言語別ガイド付きツアーが実施されています。

    ナポレオンの占領下の1803年、在ローマフレンチ・アカデミー(フランス学士院)がここを本拠地として移ってきて以来、フランス政府機関となっています。

    フランスの若い芸術家に奨学金を与えてローマに留学させる「ローマ賞」という制度があったそうですが、なんと創建は1663年ルイ14世の時代と言うから驚きです。「ローマ賞」は1968年に廃止されましたが、現在でも美術のみならず、音楽、建築、芸術関連等様々な分野の留学生がここで学んでいます。

    2003年には200周年を記念した催しや展覧会などが行われたそうです。月曜日を除く毎日、予約制で1時間の言語別ガイド付きツアーが実施されています。

  • ヴィッラ・メディチ前にあった噴水。オットリーノ・レスピーギが1916年に作曲した交響詩「ローマの噴水」の中で、「黄昏のメディチ荘の噴水」として登場するのはこの噴水のことかな? まだ黄昏時ではないですが1枚。<br /><br />典型的なローマの古代噴水の形状(八角形)をしています。

    ヴィッラ・メディチ前にあった噴水。オットリーノ・レスピーギが1916年に作曲した交響詩「ローマの噴水」の中で、「黄昏のメディチ荘の噴水」として登場するのはこの噴水のことかな? まだ黄昏時ではないですが1枚。

    典型的なローマの古代噴水の形状(八角形)をしています。

  • 緑の中に見え隠れするクーポラを愛でながらの楽しい散歩が続きます。

    緑の中に見え隠れするクーポラを愛でながらの楽しい散歩が続きます。

  • 遠くにサン・ピエトロ寺院のひときわ大きなドームも見え始めました。左側はコルソ大通り沿いに建つサンティ・ アンブロージョ・ エ・ カルロ・ アル・ コルソ聖堂。先ほど訪問したサン・カルリーノ同様、カルロ・ボッロメオともう一人アンブロージョ、ミラノの生んだ二大司教に捧げられた教会です。とても美しい八角形のクーポラは、ピエトロ・ダ・コルトーナの作。

    遠くにサン・ピエトロ寺院のひときわ大きなドームも見え始めました。左側はコルソ大通り沿いに建つサンティ・ アンブロージョ・ エ・ カルロ・ アル・ コルソ聖堂。先ほど訪問したサン・カルリーノ同様、カルロ・ボッロメオともう一人アンブロージョ、ミラノの生んだ二大司教に捧げられた教会です。とても美しい八角形のクーポラは、ピエトロ・ダ・コルトーナの作。

  • やがて、右手に広大なボルゲーゼ公園へと上る道が現れたので、上っていくと、視界はさらに開けます。<br /><br />下の広場に立つモニュメントはカイローリ兄弟の像。1667年、愛国者エンリコとジョバンニ・カイローリは、仲間と共にローマの解放のために、教皇が差し向けたスイスとドイツの軍隊と戦い、命を落としました。<br /><br />1883年にこの彫刻を作ったのは、当時21歳だった彫刻家エルコーレ・ロサ。彼は後にミラノのドゥオモ広場にある、ヴィットリオ・エマニュエーレ2世像を手掛けています。

    やがて、右手に広大なボルゲーゼ公園へと上る道が現れたので、上っていくと、視界はさらに開けます。

    下の広場に立つモニュメントはカイローリ兄弟の像。1667年、愛国者エンリコとジョバンニ・カイローリは、仲間と共にローマの解放のために、教皇が差し向けたスイスとドイツの軍隊と戦い、命を落としました。

    1883年にこの彫刻を作ったのは、当時21歳だった彫刻家エルコーレ・ロサ。彼は後にミラノのドゥオモ広場にある、ヴィットリオ・エマニュエーレ2世像を手掛けています。

  • 右側の尖塔は、Chiesa Anglicana つまり英国国教会。その左側に見える2本の鐘楼を持つのが、サンタ・タナシオChiesa di Sant&#39;Atanasio 。その奥に先ほどからずっと見えているのが巨大なサンティ・ アンブロージョ・ エ・ カルロ・ アル・ コルソ聖堂です。<br /><br />良いですねえ。明るい茶色と灰色の町のコントラスト。

    右側の尖塔は、Chiesa Anglicana つまり英国国教会。その左側に見える2本の鐘楼を持つのが、サンタ・タナシオChiesa di Sant'Atanasio 。その奥に先ほどからずっと見えているのが巨大なサンティ・ アンブロージョ・ エ・ カルロ・ アル・ コルソ聖堂です。

    良いですねえ。明るい茶色と灰色の町のコントラスト。

  • 緑濃いボルゲーゼ公園 というよりはピンチョの丘に突入です。左側にはフェンスでぐるっと囲まれた屋敷があります。その前の道には一定間隔で、土台+胸像が立っています。

    緑濃いボルゲーゼ公園 というよりはピンチョの丘に突入です。左側にはフェンスでぐるっと囲まれた屋敷があります。その前の道には一定間隔で、土台+胸像が立っています。

  • どうやら、ヴァラディエValadierというホテル兼バー・レストランのようです。<br />その昔はポポロ広場にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の修道僧が使っていた建物をネオクラシック様式で再建。第二次大戦終結後には、一時連合軍側の拠点としても使われていました。ヴァラディエはポポロ広場をネオクラシック様式で作り変えた建築家の名前です。<br /><br />2004年に、ホテル・レストランとしてリニューアル・オープンしました。日本式の2階には、ネオクラシック様式を真似たインテリアで飾られた「帝国の間」があって、古き良き時代を偲ぶことが出来るそうですよ。<br />

    どうやら、ヴァラディエValadierというホテル兼バー・レストランのようです。
    その昔はポポロ広場にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の修道僧が使っていた建物をネオクラシック様式で再建。第二次大戦終結後には、一時連合軍側の拠点としても使われていました。ヴァラディエはポポロ広場をネオクラシック様式で作り変えた建築家の名前です。

    2004年に、ホテル・レストランとしてリニューアル・オープンしました。日本式の2階には、ネオクラシック様式を真似たインテリアで飾られた「帝国の間」があって、古き良き時代を偲ぶことが出来るそうですよ。

  • 公園のやや奥まった場所に、今回のたびで私が目にするローマのオベリスク6本目発見です! ピンチョのオベリスク!<br /><br />ピンチョのオベリスクはローマに13ある古代オベリスクの一つです。ローマ製のオベリスクで、ハドリアヌス帝がティヴォリで、彼の「愛人」アンティノウスの墓のために作ったとされています。前に書いたかもしれませんが、ギリシャの美少年アンティノウスは、ハドリアヌスに同行したエジプトのナイルで事故死(溺死)しています。<br /><br />ハドリアヌスは、ローマで完成させるために、この石をエジプトから運んできたそうです。そして、アンティノウスを神格化し、彼を祀る神殿をいくつも作りました。ハドリアヌスの死後も、「アンティノウス教」は、キリスト教が普及するまで、特にローマ帝国の東側、現在のギリシャ方面で大きな支持を得ていたそうです。

    公園のやや奥まった場所に、今回のたびで私が目にするローマのオベリスク6本目発見です! ピンチョのオベリスク!

    ピンチョのオベリスクはローマに13ある古代オベリスクの一つです。ローマ製のオベリスクで、ハドリアヌス帝がティヴォリで、彼の「愛人」アンティノウスの墓のために作ったとされています。前に書いたかもしれませんが、ギリシャの美少年アンティノウスは、ハドリアヌスに同行したエジプトのナイルで事故死(溺死)しています。

    ハドリアヌスは、ローマで完成させるために、この石をエジプトから運んできたそうです。そして、アンティノウスを神格化し、彼を祀る神殿をいくつも作りました。ハドリアヌスの死後も、「アンティノウス教」は、キリスト教が普及するまで、特にローマ帝国の東側、現在のギリシャ方面で大きな支持を得ていたそうです。

  • オベリスクはその後、 ヘリオガバルス帝がローマに運び、ヴァリアヌス広場(サーカス)を飾っていました。<br /><br />16世紀に発見された後は、バルベリーニ宮殿、ヴァチカン宮殿と何度かその所在地を変えましたが、1822年、教皇ピウス7世により、ようやく安住の地をここに得ました。<br /><br />高さは9.24m。土台とてっぺんについている★を入れると17.26mになります。<br /><br />

    オベリスクはその後、 ヘリオガバルス帝がローマに運び、ヴァリアヌス広場(サーカス)を飾っていました。

    16世紀に発見された後は、バルベリーニ宮殿、ヴァチカン宮殿と何度かその所在地を変えましたが、1822年、教皇ピウス7世により、ようやく安住の地をここに得ました。

    高さは9.24m。土台とてっぺんについている★を入れると17.26mになります。

  • ローマで彫られたヒエログリフなので、当然他のオベリスクの模倣かと思ったらどっこい、違うんですねえ。<br /><br />オベリスクの4面には、アンティノウスの悲劇的な死の状況、彼がギリシャの神オシリスと同化したこと、アンティポリスと言う新しい町が彼が亡くなった場所に築かれ、礼拝と生贄を捧げる寺院を創設したこと、アンティノウス-オシリスへの賛辞そして、ハドリアヌスが皇帝自身の将来の救いのためにこのオベリスクを建てたこと などが詳細に刻まれているそうです。<br /><br />公私混同も甚だしいけれど、やることのスケールの大きさが半端じゃあないですね。

    ローマで彫られたヒエログリフなので、当然他のオベリスクの模倣かと思ったらどっこい、違うんですねえ。

    オベリスクの4面には、アンティノウスの悲劇的な死の状況、彼がギリシャの神オシリスと同化したこと、アンティポリスと言う新しい町が彼が亡くなった場所に築かれ、礼拝と生贄を捧げる寺院を創設したこと、アンティノウス-オシリスへの賛辞そして、ハドリアヌスが皇帝自身の将来の救いのためにこのオベリスクを建てたこと などが詳細に刻まれているそうです。

    公私混同も甚だしいけれど、やることのスケールの大きさが半端じゃあないですね。

  • 土台部分には、ピウス7世の碑文が刻まれていました。

    土台部分には、ピウス7世の碑文が刻まれていました。

  • 今、ピンチョの丘に立っているこのオベリスクを見たら、ハドリアヌスはなんと言うでしょうか? 想像するだけでも面白いですね。

    今、ピンチョの丘に立っているこのオベリスクを見たら、ハドリアヌスはなんと言うでしょうか? 想像するだけでも面白いですね。

  • 今回、この手の超ミニカー、何度も目にしました。メルセデス・ベンツの「スマート」にも似ているけれど、当方車のことはちんぷんかんぷん。でも可愛いし、狭い道の多いローマにはもってこいの乗り物だと思っています。

    今回、この手の超ミニカー、何度も目にしました。メルセデス・ベンツの「スマート」にも似ているけれど、当方車のことはちんぷんかんぷん。でも可愛いし、狭い道の多いローマにはもってこいの乗り物だと思っています。

  • オベリスクから、ピンチョの丘のメインとなる展望台へ向かいます。ローマのストーン・パインが目立ちますね。勝手に石松と呼んでいますが、ローマの風景にこれほど似合う木も珍しいです。

    オベリスクから、ピンチョの丘のメインとなる展望台へ向かいます。ローマのストーン・パインが目立ちますね。勝手に石松と呼んでいますが、ローマの風景にこれほど似合う木も珍しいです。

  • 展望台の下に、ポポロ広場が開けていました。遠くには、威風堂々サン・ピエトロ。前回14年前に訪れたけれど、やはり行きたいなあ・・・

    展望台の下に、ポポロ広場が開けていました。遠くには、威風堂々サン・ピエトロ。前回14年前に訪れたけれど、やはり行きたいなあ・・・

  • そして、広場の中央に立つのは、今回のたびで目にするローマの7本目のオベリスクがそびえていました。今日はオベリスク日和なのでしょうか? 嬉しい・・・でも、また工事中だ!

    そして、広場の中央に立つのは、今回のたびで目にするローマの7本目のオベリスクがそびえていました。今日はオベリスク日和なのでしょうか? 嬉しい・・・でも、また工事中だ!

  • ローマのポポロ=市民広場全景です。元々はポプラ(ラテン語のポプルス)が生えていたからと言う説や広場の北東にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会から名を取ったという説があります。<br /><br />中央にはオベリスクの噴水(今は工事中みたいです)、そして広場の東西の端には、ネプチューンの噴水とローマの神々とピンチョの麓の噴水を見ることが出来ます。

    ローマのポポロ=市民広場全景です。元々はポプラ(ラテン語のポプルス)が生えていたからと言う説や広場の北東にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会から名を取ったという説があります。

    中央にはオベリスクの噴水(今は工事中みたいです)、そして広場の東西の端には、ネプチューンの噴水とローマの神々とピンチョの麓の噴水を見ることが出来ます。

  • こちらが、東端にあるローマの神々とピンチョの麓の噴水。後ろ姿で失礼!<br /><br /><br />噴水のデザインは、チェッカリーニによるものです。

    こちらが、東端にあるローマの神々とピンチョの麓の噴水。後ろ姿で失礼!


    噴水のデザインは、チェッカリーニによるものです。

  • 広場はアウレリアヌス城壁の北口ポポロ門(かつてのフラミニア門)のすぐ内側にあって、リミニ方面への出発点であり、ローマを訪れる人が最初に見るローマの風景でもありました。<br /><br />何世紀もの間、1826年に最後の処刑が行われるまで、広場は公開処刑場となっていました。最期の処刑が行われる少し前の1811年〜1822年にかけて、広場はジュゼッペ・ヴァラディエにより現在の姿になりました。彼は1572年に作られたジャコモ・デッラ・ポルタ作の小さな噴水を取り除き、あまり重要でない建物を解体、二つの壁で囲まれた半円形の用地を合体させて、かつての窮屈な台形の広場を一新させました。

    広場はアウレリアヌス城壁の北口ポポロ門(かつてのフラミニア門)のすぐ内側にあって、リミニ方面への出発点であり、ローマを訪れる人が最初に見るローマの風景でもありました。

    何世紀もの間、1826年に最後の処刑が行われるまで、広場は公開処刑場となっていました。最期の処刑が行われる少し前の1811年〜1822年にかけて、広場はジュゼッペ・ヴァラディエにより現在の姿になりました。彼は1572年に作られたジャコモ・デッラ・ポルタ作の小さな噴水を取り除き、あまり重要でない建物を解体、二つの壁で囲まれた半円形の用地を合体させて、かつての窮屈な台形の広場を一新させました。

  • ポポロ広場を見下ろす、この広場も作ったのはヴァラディエ。名前を「ナポレオンの広場」と言うそうです。

    ポポロ広場を見下ろす、この広場も作ったのはヴァラディエ。名前を「ナポレオンの広場」と言うそうです。

  • ピンチョの丘から、真っ直ぐにポポロ広場へと通じる階段を下りずに、わざと寄り道。アウレリアヌス城壁を眺めたり、こんな池?をのぞき込んだりしながら、ゆっくりと丘を下りて行きました。

    ピンチョの丘から、真っ直ぐにポポロ広場へと通じる階段を下りずに、わざと寄り道。アウレリアヌス城壁を眺めたり、こんな池?をのぞき込んだりしながら、ゆっくりと丘を下りて行きました。

  • 丘の斜面にあった紋章を持つライオン像。またの名をシエラ・レオネのライオンと言うそうです。

    丘の斜面にあった紋章を持つライオン像。またの名をシエラ・レオネのライオンと言うそうです。

  • 山道を下りると、そこはガブリエレ・ダンヌンツィオ通り。ポポロ広場へと続く道の最後のつづら折りとなります。

    山道を下りると、そこはガブリエレ・ダンヌンツィオ通り。ポポロ広場へと続く道の最後のつづら折りとなります。

  • この曲がり角の奥が小さな広場となっていて、ここにもライオンの頭のついた古めかしい噴水がありました。<br /><br />こちらもヴァラディエの設計によるもの。中央の部分はなんと古代ローマ時代からのテルマエ(ローマ風呂)なのだそう。2〜3世紀頃のもので、赤御影石製。アウレリアヌス城壁のサン・ロレンツォ門外にあるブドウ畑で発見され、あちこちを転々とした後、ヴァラディエによりこちらに設置されたそうです。

    この曲がり角の奥が小さな広場となっていて、ここにもライオンの頭のついた古めかしい噴水がありました。

    こちらもヴァラディエの設計によるもの。中央の部分はなんと古代ローマ時代からのテルマエ(ローマ風呂)なのだそう。2〜3世紀頃のもので、赤御影石製。アウレリアヌス城壁のサン・ロレンツォ門外にあるブドウ畑で発見され、あちこちを転々とした後、ヴァラディエによりこちらに設置されたそうです。

  • 広場の奥から下を覗くと、あらら ムーロ・トルト通りがすぐ下を通っていました。

    広場の奥から下を覗くと、あらら ムーロ・トルト通りがすぐ下を通っていました。

  • 通りの先には、ポポロ門…と思ったら違いますねえ。ジョージ・ワシントン通りにある、古代の神殿のような造りの門のようです。これは何のために作ったんだろうか・・・<br /><br />調べてみたら、ヴィッラ・ボルゲーゼ(現在はボルゲーゼ公園)への入り口のモニュメントであることがわかりました。個人の別荘の入り口とはとても思えない豪華さです。

    通りの先には、ポポロ門…と思ったら違いますねえ。ジョージ・ワシントン通りにある、古代の神殿のような造りの門のようです。これは何のために作ったんだろうか・・・

    調べてみたら、ヴィッラ・ボルゲーゼ(現在はボルゲーゼ公園)への入り口のモニュメントであることがわかりました。個人の別荘の入り口とはとても思えない豪華さです。

  • 屋根の上にはボルゲーゼ家の紋章でもある鷲がひいふうみい・・・数えきれないわ。沢山、止まっていました。望遠で覗くと、鷲たち結構珍妙な顔立ちです・・・

    屋根の上にはボルゲーゼ家の紋章でもある鷲がひいふうみい・・・数えきれないわ。沢山、止まっていました。望遠で覗くと、鷲たち結構珍妙な顔立ちです・・・

  • ようやくポポロ広場に下りてきましたよ。有名な双子の教会 サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会が出迎えてくれました。

    ようやくポポロ広場に下りてきましたよ。有名な双子の教会 サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会が出迎えてくれました。

  • そして、今回のたびで7本目のオベリスクとご対面。フラミニオのオベリスク。やはり古代13オベリスクの一つです。このオベリスクについては、過去に何度か触れていますが、エジプトのヘリオポリスにある太陽の神殿にあったものをアウグストゥスがローマに運び、現在サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場にあるローマ最大の高さを誇るオベリスクと一緒に、チルコ・マッシモのスピーナに立っていたものです。オリジナルは紀元前1250年頃作られたものなので、なんと3200年以上前の石の芸術品です!!<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/11040068<br />

    そして、今回のたびで7本目のオベリスクとご対面。フラミニオのオベリスク。やはり古代13オベリスクの一つです。このオベリスクについては、過去に何度か触れていますが、エジプトのヘリオポリスにある太陽の神殿にあったものをアウグストゥスがローマに運び、現在サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場にあるローマ最大の高さを誇るオベリスクと一緒に、チルコ・マッシモのスピーナに立っていたものです。オリジナルは紀元前1250年頃作られたものなので、なんと3200年以上前の石の芸術品です!!

    http://4travel.jp/travelogue/11040068

  • 1589年、教皇シクストゥス5世により、現在の地に立てられました。高さ24m。台座の部分を入れると36.5mは、ローマで3番目の高さとなります。先ほどトリニタ・ディ・モンティ広場で見た5番目のオベリスクは、こちらのオベリスクに刻まれたヒエログリフを模倣して彫ったことが学者らの調査で判明しています。<br /><br />工事中の柵の中には、オベリスクの周りにライオンたちが寝そべっているのが見えます。これがオベリスクの噴水。前述したように、ヴァラディエの設計、チェッカリーニの彫刻です。

    1589年、教皇シクストゥス5世により、現在の地に立てられました。高さ24m。台座の部分を入れると36.5mは、ローマで3番目の高さとなります。先ほどトリニタ・ディ・モンティ広場で見た5番目のオベリスクは、こちらのオベリスクに刻まれたヒエログリフを模倣して彫ったことが学者らの調査で判明しています。

    工事中の柵の中には、オベリスクの周りにライオンたちが寝そべっているのが見えます。これがオベリスクの噴水。前述したように、ヴァラディエの設計、チェッカリーニの彫刻です。

  • こちらは、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の壁に張り付くようにあった石棺型の水飲み場? それとも噴水かな?<br /><br />この噴水も、ポポロ広場整備の一環として、ヴァラディエが設計したものだそうです。トンドの中に、トーガを着たカップルが描かれています。石棺型の噴水は広場にもう一つあるそうですが、気が付きませんでした。3世紀頃作られた棺ですって。

    こちらは、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の壁に張り付くようにあった石棺型の水飲み場? それとも噴水かな?

    この噴水も、ポポロ広場整備の一環として、ヴァラディエが設計したものだそうです。トンドの中に、トーガを着たカップルが描かれています。石棺型の噴水は広場にもう一つあるそうですが、気が付きませんでした。3世紀頃作られた棺ですって。

  • 次の訪問地であるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会は、想定通りこの時間昼休み中でした。一番右の扉にムセオ(美術館)と書かれているので入ってみました。

    次の訪問地であるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会は、想定通りこの時間昼休み中でした。一番右の扉にムセオ(美術館)と書かれているので入ってみました。

  • 中では、レオナルド・ダ・ヴィンチ展が開催されていました。思いがけないレオナルドとの出会いですが、教会自体が美術館のようだと聞いているので、先にこちらに入りたくないなあ・・・と言うわけで、入場するのはやめて昼食を食べに行くことにしました。

    中では、レオナルド・ダ・ヴィンチ展が開催されていました。思いがけないレオナルドとの出会いですが、教会自体が美術館のようだと聞いているので、先にこちらに入りたくないなあ・・・と言うわけで、入場するのはやめて昼食を食べに行くことにしました。

  • こちらが1665年に完成したポポロ門。市内側つまり広場に面した側はベルニーニの設計です。門の一番上の目立つ紋章 6つの連なる山の頂(私は最初、たけのこ山かと思いました)に瞬く☆はシエナの名門キージ家のもの。そう言えば、2枚前のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の写真をよく見ると、教会屋根の頂に、やはり同じ「山々」が見えますね。<br /><br />ベルニーニが制作した時には一つだったアーチは、交通量の増加に伴い、1887年に左右に一つずつのアーチが追加されました。

    こちらが1665年に完成したポポロ門。市内側つまり広場に面した側はベルニーニの設計です。門の一番上の目立つ紋章 6つの連なる山の頂(私は最初、たけのこ山かと思いました)に瞬く☆はシエナの名門キージ家のもの。そう言えば、2枚前のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の写真をよく見ると、教会屋根の頂に、やはり同じ「山々」が見えますね。

    ベルニーニが制作した時には一つだったアーチは、交通量の増加に伴い、1887年に左右に一つずつのアーチが追加されました。

  • サンタ・マリア・デル・ポポロ教会と門を挟んで向かい合うこちらの建物には「カセルマ・ジャコモ・アックア」と書かれています。こちらは、ジャコモ・アックアというイタリアの英雄、教皇警察とカラビニエリで活躍した軍人の名前を冠した兵舎だそうです。<br /><br />こちらの建物 向かいの教会と対称的に建てられていますよ。

    サンタ・マリア・デル・ポポロ教会と門を挟んで向かい合うこちらの建物には「カセルマ・ジャコモ・アックア」と書かれています。こちらは、ジャコモ・アックアというイタリアの英雄、教皇警察とカラビニエリで活躍した軍人の名前を冠した兵舎だそうです。

    こちらの建物 向かいの教会と対称的に建てられていますよ。

  • ほらね! 特に横に張り出した広場に面した部分は、後で建てられたものでしょうが、双子の建物のようです。広場の反対側には、やはり対の建物 双子の教会があります。ヴァラディエは、そこまで意識して広場を設計したんですね。

    ほらね! 特に横に張り出した広場に面した部分は、後で建てられたものでしょうが、双子の建物のようです。広場の反対側には、やはり対の建物 双子の教会があります。ヴァラディエは、そこまで意識して広場を設計したんですね。

  • それでは、ポポロ門をくぐって、ローマ旧市街から外に出ることにしましょう。

    それでは、ポポロ門をくぐって、ローマ旧市街から外に出ることにしましょう。

  • こちらが市外側のポポロ門。竣工は市内側より100年早く、交通量の増大によりこの門の重要性が日増しに高くなってきた1562年から65年にかけて、ピウス4世の命によりミケランジェロが再建しました。彼はティトゥスの凱旋門にヒントを得て、門を設計したと言われています。<br /><br />カピトリーニ美術館から遠景を眺めただけだから、あまり良く覚えていないですが、シングルアーチの門でしたね。

    こちらが市外側のポポロ門。竣工は市内側より100年早く、交通量の増大によりこの門の重要性が日増しに高くなってきた1562年から65年にかけて、ピウス4世の命によりミケランジェロが再建しました。彼はティトゥスの凱旋門にヒントを得て、門を設計したと言われています。

    カピトリーニ美術館から遠景を眺めただけだから、あまり良く覚えていないですが、シングルアーチの門でしたね。

  • ファサード中央の4組の柱はかつてサン・ピエトロで使われていたもの。中央にある二つのヤギの角で支えられている教皇ピウス4世のメディチ家紋章が目立っていますね。門の上には胸壁があしらわれています。左右のピエトロとパオロの彫像は1638年にフランチェスコ・モキが作成したもの。<br /><br />彫像はモキがサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂のために作ったものですが、聖堂側に受け取りを拒否され、支払いなしで作者に戻ってきた物をそのまま使ったとか。ありえない話ですねえ。

    ファサード中央の4組の柱はかつてサン・ピエトロで使われていたもの。中央にある二つのヤギの角で支えられている教皇ピウス4世のメディチ家紋章が目立っていますね。門の上には胸壁があしらわれています。左右のピエトロとパオロの彫像は1638年にフランチェスコ・モキが作成したもの。

    彫像はモキがサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂のために作ったものですが、聖堂側に受け取りを拒否され、支払いなしで作者に戻ってきた物をそのまま使ったとか。ありえない話ですねえ。

  • で、昼食を済まして、まだ夕方の教会の開門時間に間があることに気付いたので、やってきてしまいましたよ。遠くに見える兵隊さんの制服でピンときますよね。<br /><br />スイス傭兵部隊の、こちらは通常勤務用の制服です。

    で、昼食を済まして、まだ夕方の教会の開門時間に間があることに気付いたので、やってきてしまいましたよ。遠くに見える兵隊さんの制服でピンときますよね。

    スイス傭兵部隊の、こちらは通常勤務用の制服です。

  • そう、地下鉄でたった2駅でヴァチカンです。サン・ピエトロ広場と今回のたびで8本目のローマのオベリスクにご対面です!<br /><br />長くなりましたので、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その27 ローマ サン・ピエトロで。

    そう、地下鉄でたった2駅でヴァチカンです。サン・ピエトロ広場と今回のたびで8本目のローマのオベリスクにご対面です!

    長くなりましたので、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その27 ローマ サン・ピエトロで。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • belleduneさん 2015/09/17 09:34:18
    CIAO ROMA...
    junemayさん、いつも詳しい説明を読みながら、拝見しています。この旅行記で見かけた「car2go」
    ですが、ダイムラーの子会社・smart for 2 がカーシェアリングしているものでした。メンバーになっていれば、どこでも乗れて、乗り捨てできるという便利なもので、1分単位で料金が発生するので、安いそうですよ。smart for2に乗ってみたいと思っていたので、旅行で使ってみたいですね。
    またお邪魔します。

    junemay

    junemayさん からの返信 2015/09/18 09:46:36
    RE: CIAO ROMA...
    belleduneさん おはようございます。
    訪問並びに投票頂き、ありがとうございました。

    そうですか。smartでいいんですね。貴重な情報をありがとうございます。カーシェアリングの車だとは知りませんでした。イタリアでも「カーシェアリング」は英語のまま使っていましたので、存在自体は知っていたのですが、利用する機会はありませんでした。郊外の交通がやや不便な場所に行くにはもってこいですね。これからも色々とお教えいただければと思います。よろしくお願いいたします。

    junemay


    > junemayさん、いつも詳しい説明を読みながら、拝見しています。この旅行記で見かけた「car2go」
    > ですが、ダイムラーの子会社・smart for 2 がカーシェアリングしているものでした。メンバーになっていれば、どこでも乗れて、乗り捨てできるという便利なもので、1分単位で料金が発生するので、安いそうですよ。smart for2に乗ってみたいと思っていたので、旅行で使ってみたいですね。
    > またお邪魔します。

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