2015/08/25 - 2015/09/03
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kiro184さん
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ドイツおよびデンマークへの旅行である。
多数の日本人旅行者が渡航し、これらの国の鉄道に興味を持っている方もたくさん居ることと思うので、私の解説は省略する。
今回の旅行では航空券のみは早い段階で手配していたが、現地での予定は忙しさにかまけているせいで全て確定したのは出発3週間前だった。そのため夜行列車の乗車券手配が間に合わずそれに乗車出来なかったことが残念であった。
またドイツの国土を実際よりも小さいというイメージを持っており10日弱あればドイツもデンマークもおおむね回れるだろうと考えていたが、ドイツだけで日本の8割の面積を持ち、そんなことは到底無理だという事に後で気づいた。
【主な行程】
1日目 新千歳空港→成田空港→フランクフルト・マイン空港→フランクフルト・アム・マイン(フランクフルト泊)
2日目 フランクフルト→ネルトリンゲン→ニュルンベルク(ニュルンベルク泊)
3日目 ニュルンベルク→ベルリン→ケムニッツ(ケムニッツ泊)
4日目 ケムニッツ→ザクセン鉄道博物館→ライプツィヒ→ヴェニゲローデ(ヴェニゲローデ泊)
5日目 ヴェニゲローデ→ブロッケン→ヴェニゲローデ→ハンブルク(ハンブルク泊)
6日目 ハンブルク→ロストック→バード・ドーべラン→キュールングスボルンWest→バード・ドーべラン→ハンブルク(ハンブルク泊)
7日目 ハンブルク→(ドイツ出国・デンマーク入国)→Hoeje・Taastrup→オールボー(オールボー泊)
8日目 オールボー→ヴィボー→オーフス→オーデンセ→コペンハーゲン(コペンハーゲン泊)
9日目 コペンハーゲン→コペンハーゲン・カストロップ空港→パリ・シャルルドゴール空港→(機内泊)
10日目 →羽田空港→旭川空港
以上の行程が出来上がった。私のいつもの旅行通り観光要素はほとんど無く、乗ってばかりの旅である。日程の都合からドイツ西部と南部、ライン川等の有名どころは全くの手付かずとなってしまった。
※主な鉄道名や列車名の略称
DB:ドイツ鉄道
DSB:デンマーク国鉄
EC:ユーロシティ(国際特急列車)
ICE:インターシティエクスプレス(日本では新幹線に相当)
IC:インターシティ(特急に相当)
RE:レギオナルエクスプレス(快速に相当。長距離のものはIREと呼ぶこともある)
RB:レギオナルバーン(普通列車に相当)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
◆0日目
1日目が始まる前の話である。新千歳空港午前8時発の便で成田空港へ向かうのだが、当日朝に自宅を出たのでは間に合わないので、千歳市街で泊まればいいと考えていた。
新千歳空港へ朝一番に到着する列車は6:48着、列車が少しでも遅れれば搭乗が危ういのでもう少し余裕が欲しいところである。そうなると千歳市街に泊まったのではタクシーで空港へ向かうしかない。別の方法として前泊せずに当日自宅から自動車で向かう方法があるが、これだと自宅を午前2時台に出なくてはならないことに加え、帰りは新千歳空港着ではないので車の回収が出来ない。
色々考えた結果、宿泊費は高いが空港ビル直結のホテルに泊まることにした。したがって、0日目は新千歳空港へ移動するだけである。
乗車したのは2016年3月のダイヤ改正で消滅すると言われている旭川方面から直通の快速エアポートだ。全区間通しで乗車したが、岩見沢以遠から新札幌以降まで(つまり札幌を通り抜ける)乗客は1両に5人程度。この程度の直通需要しか無いならば直通取り止めはやむを得ないところだ。旭川方面からはかつての室蘭ライラックや苫小牧行き特急ホワイトアローなどで連綿と続いて来た千歳空港連絡ではあるが、消滅となれば不便であり寂しいところではある。
新千歳空港到着後は、真っすぐホテルにチェックインしてこの日は終了。 -
◆1日目
この日から「海外旅行」が始まる。新千歳空港を8時丁度に出発し、まずは成田空港へ向かう。当たり前と言えば当たり前だが、半数近くの乗客は国際線に乗り継ぐようだ。
成田空港では2時間弱の乗り換え待ちでドイツ行きの航空機に搭乗した。 -
ほぼ定刻の16:30(現地時間)にフランクフルト・マイン空港のターミナル2に到着した。入国審査を済ませてからは鉄道駅のあるターミナル1へ移動する。ターミナル間の移動には「スカイライン」と呼ばれる新交通システムに乗車する。無人運転のこの列車がドイツ初乗り鉄になった。
ATMでクレジットカードのキャッシング機能を使いユーロを仕入れ、空港から出たのは17:15頃だった。この時期のドイツは、サマータイム実施中のため日本とは7時間の時差がある。日本時間に直すと深夜0:15だ。機内で無理矢理飯を食わされて無理矢理寝かされたので疲れたがまだ眠くはない。 -
空港駅にDBの窓口があったため、ジャーマンレイルパスのバリデーションをしてもらう。今回は1等の5日用連続タイプを旅行2日目から使用を開始する。窓口で「明日から使う」と言い、スタンプと日付を入れてもらう。
なおジャーマンレイルパスは「使用当日にバリデーションする」との紹介が多く、前日以前にバリデーション出来たことが所定の対応であったのかは分からない。しかし旅行中にスタンプと使用開始日の日付が1日違う事を聞いて来た車掌は居なかった。これから使用を予定している方は各自での確認をお願いしたい。
空港駅からは市内行きの列車に乗り、15分程でフランクフルト中央駅に到着した。 -
フランクフルト中央駅は頭端式ホームと大きな屋根を持つ広い駅で、様々な列車が停まっている。ヨーロッパらしいターミナル駅だ。
鉄道模型も趣味の私としては、模型や写真でしか見たことが無かった車両たちの本物がゴロゴロ停まっていることに軽く感動した(当たり前の話ではあるが)。
この日は駅構内で写真を撮ってから駅至近のホテルにチェックインした。スーパーを探して近くを歩きまわったが日本で言うドラッグストアーのような店しか無く、駅構内の売店で食料を調達する。ちなみに私が歩いた中央駅南側の地区は、ガイドブックでは治安が良くない地域と紹介されている。まだ明るい時間だったので危険な感じはしなかったが、飲み屋街のような雰囲気で酒やドラッグに溺れているような感じの人もちらほら見受けられた。 -
◆2日目
この日から本格的な乗り鉄の始まりである。フランクフルト中央駅6:50発のICE5でマンハイムへ向かう。
マンハイムでICE511に乗り換える。最初に乗車したICE5はスイスのチューリッヒへ向かうが、次に乗るICE511はケルン方面からやって来てミュンヘンへ向かう。マンハイムで十字に交わる形となり相互に乗り換えが出来るのだ。4分しか接続時間が無く不安だったが、かなりの人数が相互に乗り換えていた。
マンハイムからシュツットガルトまでは新幹線のような高速線を走行する。 -
乗り換えたICEをシュツットガルトで下車する。14分の待ち合わせでREに乗り換える。機関車は新型のBR146で客車は平屋タイプのもの、客車の端に運転台が付いている。
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1等車用のレイルパスを持っているので1等席に乗車する。ドイツではREやRBも含めてほとんどの列車で1等席が用意されている。乗車した車両は伝統的な6人1室のコンパートメント風だが、コンパートメントなら壁がある部分(座席の背中部分)に仕切りが無い変な構造だ。
他所様の旅行記で「1等車は空いている」という情報通り、自分以外は誰も乗って来ない。 -
次はAalenで乗り換える。4両編成の電車のRBだが、これにも申し訳程度の1等席がある。
Aalenから40分程度乗車して、ネルトリンゲンに到着した。 -
ネルトリンゲンにやって来たのは、駅裏にあるバイエルン鉄道博物館を見学するためだ。駅横の歩道橋を渡って博物館へ向かう。
手前のたくさん停まっている貨車は現役の車両(しかし休車になっているのか荷台に草が生えている車両もある)、中央の空いている線路が本線、本線の向こう側が博物館の収蔵車両たちだ。 -
10:30頃にバイエルン鉄道博物館に到着した。10時から開いているはずだが人の気配が無い。声を掛けながら恐る恐る管理棟に入って行くと、奥に窓口がありおじさんが座っていた。入場料の6ユーロを払う。
私がこの日最初の客だったらしく、おじさんは車庫の扉を開けに行った。
構内には車庫に収まった蒸気機関車を始め、電気機関車やディーゼルカーなどたくさんの車両が保存されている。構内の外れ(先程渡った歩道橋付近)には車体に落書きされガラスも破れ放題の車両もたくさんあった。レストア待ちなのか部品取りなのかもしれないが、中には到底復活させることは出来そうもないボロッボロの車両もあった。全てを紹介するとキリが無いので割愛。 -
鉄道博物館を出てからは、線路のガード下をくぐり街の方へ向かう。当初より予定していた聖ゲオルク教会を見るためだ。フランクフルトの観光地を全てすっ飛ばして最初の観光がここというのは普通の方には理解し難いことだろう。しかし私の旅はこういう旅なので、今後もこのような展開になることをご理解頂きたい。
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1つ前の画像に写っている塔(愛称:ダニエル)に登ることが出来る。高さ約90mだが階段しか無く、しかも狭く1段1段が高いため登り応え十分(違う表現もあると思うが)だ。
塔に登るとネルトリンゲンの街を一望出来る。隕石落下のクレーターに出来た街であるが残念ながらその様子は良く分からなかった。しかし聖ゲオルク教会を中心に旧市街をぐるりと囲む城壁は良く観察出来る。 -
ダニエルを降りてからは街中のファストフード店で昼食を取り、駅へ戻って来た。
この区間は電化されているが何と腕木式信号機が現役だった。非電化区間ならまだ理解出来るが、架線から容易に高圧の電気を得られる電化区間なら色灯式信号機への置き換えに何の障害も無い。どのような理由で残っているのであろうか。 -
ネルトリンゲンからは13:14発のRBでドナウヴェルトへ向かう。先程ネルトリンゲンまで乗った車両と同じ車両だった。1等席は片側の先頭車に12名分設けられているが、2等席との違いは座席幅ががわずかに大きいこと、座席間隔がわずかに広いこと、ヘッドレストが大きいことぐらいだ。
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ドナウヴェルトからは13分の待ち合わせでニュルンベルク行きのRBに乗り換える。BR111形電気機関車が2階建て客車を牽いている。1等席があるはずだが、わずかな停車時間では確認出来なかったことと2等席がガラガラなので2等席に乗車する。
途中のPleinfeidではICに追い越される。Roth手前では右手から線路が合流してくるが、後で調べたところHilpoltsteinという所まで行く支線のようだ。Roth駅には支線用と思われる2両編成の気動車が停車している。RothからはSバーンの路線が並行し、こちらのRBはICや貨物も走る別の線路を走行する(そのため、Sバーンが停車する駅には停車しない)。 -
ニュルンベルクに定刻の15:20に到着する。駅近くの宿泊先に荷物を置いてからDB博物館を見学する。
DB博物館はニュルンベルク市街地にあり、実物車両の展示はやや少ないものの資料や模型(1番ゲージぐらいの巨大なもの、HOゲージの巨大レイアウトもあり)が豊富に展示されており見応え充分だった。急ぎ足だが40分程掛けて見学した。 -
ニュルンベルクの駅舎。駅前には路面電車とバスのターミナルがあり、にぎやかな雰囲気だ。
なぜこんな早い時間に宿泊地に着いたかというと、DB博物館が17時に閉館するためでもあるが時差ボケに対策の意味合いもある。日本と時差の大きい国へは昨年ノルウェーへ旅行しているが、そこで分かったことが「時差ボケは2〜4日目が一番つらい」ということである。
日本より7時間遅くなるドイツだが現地時間で普通に寝起きすると、日本時間に直すと朝5時6時まで夜更かししてから寝る生活が連日続くことになる。同じ睡眠7時間でも0時から7時まで寝るのと6時から13時まで寝るのとでは睡眠の質が変わってくる(昼まで寝ていられるほど若くも無い)。そこで現地時間だと早めの時間に就寝するようにしたのだ。
ノルウェー旅行以前は時差ボケは初日だけつらいものだと思っていたが、1晩ぐらい徹夜したり2〜3時間しか寝なくても人間は何でもないものなのだ。しかしそれが連日続くと昼間に猛烈に眠くなり、大枚はたいて乗り鉄しに来ているのに車内で寝てばかりということになる。
海外旅行慣れしている先達の方々には常識であろうが、自分自身の備忘録も兼ねて書き記しておきたい。 -
◆3日目
先述の時差ボケ解消のためにも朝4時に起床、ニュルンベルク7:02発のICE1612に乗車する。電車タイプのICEだ。これで一気にベルリンへ向かう。
9:10にSaalefeld(Saale)着。構内にはたくさんの貨車と機関車が停まっている。 -
先頭の1等車に乗車したが、電車タイプの車両なので運転席越しに前面展望が楽しめる。自分は後部の客室に乗車したが、撮影のため最前部に行ってみた(ドイツ人らしい鉄道ファンが熱心に前を見ており、邪魔になるかと思いあまり長居は出来なかったが)。
運転室はガラスで仕切られているが、運転士の操作によってスリガラスや遮光ガラスに変化する。運転席が丸見えだが、コーヒーが置いてあったり車掌が時折来てお喋りするなど日本人とは考え方が違うんだなと感じる。運転士も人間であるため、喉が渇いたり眠くなったりするのだ。それで気分転換出来たり集中力を持続出来るなら飲み物もお喋りも大いに結構というのが私の意見だが、日本人なら良く思わない方もいるだろう。 -
途中のライプツィヒには10:40頃に到着する。10分程停車し、ここで進行方向が変わる。
11:50頃から第三軌条方式の線路が並行する。ベルリンの地下鉄だと思われる。ベルリン中央駅には定刻の12:07に到着した。
ベルリン中央駅は最下層にDBの列車が発着するが、ショッピングモールやSバーンの路線も入り乱れて何層にも重なっているすごい構造だ。案内表示が少なく分かりにくい。 -
ベルリンでは、まずドイツ技術博物館へ向かう。ベルリン中央駅から地下鉄「U55」線に乗りBrandenburger Torで乗り換え、「S2」線に1駅間乗りPotsdamer Platzで再度乗り換え、「U2」線のGleis-dreieckで下車した。
U55線はHauptbahnhof(ベルリン中央駅)とBrandenburgerの間を往復する短い路線で、2両編成の地下鉄が行ったり来たりしている。古い車両ではないだろうが、どことなく東欧っぽい車両だ。 -
ドイツ技術博物館は広い敷地内に多数の車両が保存されている。鉄道以外にも、航空や印刷、映画技術などの展示も行われている。
あまりにも多くの車両が保存されているため詳細は割愛。 -
再び地下鉄に乗り、先程とは逆のルートを辿りベルリン中央駅へ戻る。
U2線は2両編成の地下鉄電車が3組連結されて走っている。手前の白いTシャツを着たお兄さんはここで交代する運転士。 -
ベルリン中央駅へ戻って来た。
実はドイツ技術博物館を見学している途中から体調が悪くなり、軽い頭痛とめまいを感じていた。最初は軽い脱水症状だと思っていたがついには体中の関節が痛くなってきた。博物館を出てから水を飲んだが一向に良くならないので、どうやら風邪をひいたようだ。
この後時間があれば見に行こうと思っていたブランデンブルク門やベルリンの壁はパスし、中央駅前の広場にしばらく座っていた。幸い天気は良くあまり暑くはない。 -
ベルリン中央駅15:48に発車するICE1615は1等車が満席で何人か立っていた。どうしたものかと思っていたが、次に停まった駅で3割程が下車したため座ることが出来た。
複線区間を走り、ICやRB、貨物列車とすれ違う。途中で複線区間ながら走行中に貨物列車を追い抜く。上下別線ではなく単線並列方式の線路なのだろう。ライプツィヒには定刻の17:00に到着した。
ライプツィヒ駅のホームにはSLや古い気動車、電気機関車が留置されていた。たまたまここで展示されていたのか、動態保存の車両なのだろうか。 -
ライプツィヒ17:26発のケムニッツ行きREに乗る。2両編成の気動車が2組連結された4両編成だ。
この車両も運転台側の一角に1等席が設けられている。今までほとんどのREやRBで1等席の客は自分だけであったが、この時は他にビジネスマン風の人が2人とおばちゃん1人が乗っていた。ライプツィヒとケムニッツを結ぶ優等列車は無くこのREしか走っていないため、ビジネス需要も多いのだろうか。 -
1等車の室内。2等車とは座席間の肘掛がある点しか違わず、座席そのものは全く同じだった。
ライプツィヒを発車してからは、途中の小さな駅をどんどん通過していく。ライプツィヒ近郊のローカル輸送は、別会社の各駅停車列車に任せているようである。途中でこの地域の旅客輸送会社のものと思われる気動車と行き違いをした。 -
ケムニッツには定刻より3分程遅れた18:27頃に到着した。この駅も各地にあるように立派なものだった。
-
ケムニッツ駅コンコースにあった鉄道模型。HOゲージで畳1枚程の大きさのレイアウトが作られている。1ユーロ入れると中の車両が走る。
このような鉄道模型レイアウトはドイツやデンマークのある程度の大きさの有人駅には必ず設置されていた。あまり説明するとくどくなるので端折るが、日本とは鉄道模型に対する考え方が違うのだろう。
この日はケムニッツに宿泊した。先述の体調不良の影響から現地時間21時頃には就寝した。 -
◆4日目
早く寝すぎたため午前2時頃に一度起きる。そのままうだうだしていたが結局4時半頃から起きていた。
この日はケムニッツ郊外にあるザクセン鉄道博物館を見学する。ケムニッツ8:13発の列車で1駅隣のChemnitz・Hilbersdorf駅へ向かう。列車番号はCB80013で、この地域を走るローカル輸送会社の列車だ。ドイツ各地で見かける単行気動車でこの車両には1等席は無かった。この列車はジャーマンレイルパスで乗車出来る。 -
Chemnitz・Hilbersdorf駅に着いてからは、駅横のガード下を通り博物館へ向かう。大きな道路沿いに保存車両が。訪問した8月28日から30日までは、今年の機関庫祭り(博物館祭り)が行われている。
これに合わせて旅行そのものを企画した訳では無く、調べていると偶然日程が重なった。
前日(3日目・8月27日)でニュルンベルクからベルリンへ行き戻る形でケムニッツに行くより、ニュルンベルクから直接ケムニッツへ行った方が合理的だろうと思った方も居るかもしれない。これは機関庫祭りの日程に合わせたためこうなったのだ。そして機関庫祭りの前日(8月27日)は準備のため博物館そのものが閉館しているかもしれないと読んだためだ。 -
9時に開場したので入場料を払ってから見学する。転車台を囲みたくさんのSLが停まっている。これも含めて6〜7両程度のSLに火が入れられており、転車台で回転してから構内を走ったりしている。
転車台はこれ以外にもう1つあり、そちらは主にディーゼル機関車が留置されていた。 -
水色のディーゼル機関車は動態保存(というより車両の移動等で実用的に使われている)で、これから無動力の電気機関車に連結し入換しようとしているところ。
これ以外にもあちこちで車両が走りまわり、非常に密度が濃い。 -
しばらくすると、構内を往復するSLに明らかに見物客と思われる人が添乗しているのが見えた。行ってみると、SLの運転台に乗って構内を往復しているそうだ。入場料とは別に3ユーロかかるが、チケットを買って乗り込む。
機関車は貨物用で5軸の動輪を持つのBR52 8079-7。博物館の外れには本線が走っており、そこに沿うような形の引上線を往復する。動いているSLの運転台に乗ることなど日本でもしたことが無いので良い体験になった。
その他にも留置されている車両等をじっくり観察し、11時頃に博物館を後にする。 -
Chemnitz-Hilbesdorf駅に戻って来た。立派な駅舎があるが現在は使われていないようでガラスは割れ放題でカーテンが外になびいており、壁は落書きだらけだ。
ドイツに来て思ったことの1つが「落書きがとても多い」ということだった。人の手が届くであろうところにはほぼ100%落書きがされている。大都市や不良の溜まり場になりそうなところならまだ理解できるが、ド田舎の橋梁やコンクリート壁などにももれなく落書きされている。
それらは何年前何十年前に描かれた落書きかは不明だが、わざわざスプレー缶を用意して深夜に山奥まで出掛け、場合によっては藪を漕いでまで落書きしに行くとは本当にご苦労さんなことだと思う(変な言い方だが)。 -
RBに1駅間乗車し、ケムニッツに戻って来た。1時間程待ってライプツィヒへ向かうREに乗車する。昨日と同じディーゼルカーで、具合が悪いこともありずっと寝ていた。
ライプツィヒでも1時間程の待ち時間があり、駅舎に併設された巨大なショッピングモールを歩いて時間を潰した。
次に乗るICは、BR101電気機関車に牽引されて14:26に到着した。ここで進行方向が変わるため客車の運転台が先頭になり、14:40の定刻に出発した。 -
ドイツに来て初めて乗るICである。1等車は6人1室のコンパートメントタイプだ。相部屋にはなるが乗車率は3割程度だろうか。
-
ICをHalle(Saale)で下車する。次に乗るのはライプツィヒ〜ケムニッツ間でも乗ったタイプの気動車REだ。運転台の横には「Harz-Express」と書かれているので、この路線限定で使用されているタイプのようだ。
この時気付いたが、1等室の部分には幕板(窓上のスペース)に黄色い帯が入れられている。乗車の際に1等車を探す目安になるだろう。
2等席は旅行者やバックパッカー、自転車を持ち込む人でほぼ満席だが、1等席は例のごとく自分しか乗っていない。 -
途中のAscheslebenには16:38に停車した。構内には線路が剥がされた使われていない機関庫があった。
ヴェニゲローデには定刻の17:19に到着した。
ヴェニゲローデはブロッケン山の観光基地になる町だが、古い街並みが良く残る典型的なドイツの田舎町といった感じだ。日本から見ると全てが絵になると言っても過言ではなく、街並みの写真を撮りすぎてしまった。
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