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2007年4月15日、アメリカ大陸横断第8日目は、ルイジアナ州レイクチャールズを出発して、ミシシッピー河のほとりの「オークアレイプランテーション」を見て、ニューオリンズまでの410kmです。<br /><br />レイクチャールズを出発すると、まず水田地帯が広がっていました。アメリカでは日本と同じ「水田」でコメが栽培されていました。私はその時まで、アメリカのコメ作りは、機械を使った大農式で「陸稲」の栽培と勝手に想像していましたが、ミシシッピ川の水を利用して「水田」で栽培されているのを見て驚きました。さらに調べてアメリカのコメ生産量が、日本の生産量を上回っていること(後述)を知り、さらに驚きました。<br />この日と、前日にアメリカの水田地帯を見ることが出来たことは、農林経済学を学んだ私にとって大きな収穫でした。<br /><br />水田地帯を過ぎると、「バイユー」(Bayou)と呼ばれる広大な湿地帯が広がっていました。その上に上下2本の長い橋がかかっており、この上を走りました。バイユーという言葉は、当初ルイジアナ州のフランス人によって使われ、チョクトー語で「小さな小川」を意味するbayukに由来していると考えられています。<br /><br />ミシシッピー川を渡る時、「バトンルージュ」の町が見えました。この町は1699年フランス人によって最初の植民が行われた時代に造られた町です。1803年ルイジアナ買収によってアメリカ領となってから発展し、ルイジアナ州の州都になりました。<br />「バトンルージュ」はフランス語で「赤い杖」を意味し、昔インディアンが狩場の境界に杉の木を赤く染めて標識としたのにちなむといわれています。<br /><br />そして「オークアレー・プランテーション」に着きました。<br />1700年代の初頭、入植者たちが小さな家を建て、ミシシッピー川に向かって等間隔に28本の樫の木を植えたのがオーク・アレー(ナラの並木路)の始まりです。現在の建物(表紙写真)は裕福なサトウキビのプランテーション経営者によって1939に建てられたものです。「古き良き南部」を彷彿とさせる建物で、これまで沢山の映画のロケに使われたようです。映画「風とともに去りぬ」の世界です。<br />https://www.youtube.com/watch?v=HcgO_7DLc3Y<br /><br />『風と共に去りぬ』(英語: Gone With the Wind)は、マーガレット・ミッチェルの長編時代小説を映画化。題名は南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味しています。

アメリカ大陸横断バスの旅(14) 水田地帯~バイユー(湿地帯)~バトンルージュ~オークアレー・プランテーション(ルイジアナ州)

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2007/04/08 - 2007/05/23

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元カニ族

元カニ族さん

2007年4月15日、アメリカ大陸横断第8日目は、ルイジアナ州レイクチャールズを出発して、ミシシッピー河のほとりの「オークアレイプランテーション」を見て、ニューオリンズまでの410kmです。

レイクチャールズを出発すると、まず水田地帯が広がっていました。アメリカでは日本と同じ「水田」でコメが栽培されていました。私はその時まで、アメリカのコメ作りは、機械を使った大農式で「陸稲」の栽培と勝手に想像していましたが、ミシシッピ川の水を利用して「水田」で栽培されているのを見て驚きました。さらに調べてアメリカのコメ生産量が、日本の生産量を上回っていること(後述)を知り、さらに驚きました。
この日と、前日にアメリカの水田地帯を見ることが出来たことは、農林経済学を学んだ私にとって大きな収穫でした。

水田地帯を過ぎると、「バイユー」(Bayou)と呼ばれる広大な湿地帯が広がっていました。その上に上下2本の長い橋がかかっており、この上を走りました。バイユーという言葉は、当初ルイジアナ州のフランス人によって使われ、チョクトー語で「小さな小川」を意味するbayukに由来していると考えられています。

ミシシッピー川を渡る時、「バトンルージュ」の町が見えました。この町は1699年フランス人によって最初の植民が行われた時代に造られた町です。1803年ルイジアナ買収によってアメリカ領となってから発展し、ルイジアナ州の州都になりました。
「バトンルージュ」はフランス語で「赤い杖」を意味し、昔インディアンが狩場の境界に杉の木を赤く染めて標識としたのにちなむといわれています。

そして「オークアレー・プランテーション」に着きました。
1700年代の初頭、入植者たちが小さな家を建て、ミシシッピー川に向かって等間隔に28本の樫の木を植えたのがオーク・アレー(ナラの並木路)の始まりです。現在の建物(表紙写真)は裕福なサトウキビのプランテーション経営者によって1939に建てられたものです。「古き良き南部」を彷彿とさせる建物で、これまで沢山の映画のロケに使われたようです。映画「風とともに去りぬ」の世界です。
https://www.youtube.com/watch?v=HcgO_7DLc3Y

『風と共に去りぬ』(英語: Gone With the Wind)は、マーガレット・ミッチェルの長編時代小説を映画化。題名は南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味しています。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社
  • レイクチャールズを出発し、国道10号線を走ると、水田地帯が広がっていました。

    レイクチャールズを出発し、国道10号線を走ると、水田地帯が広がっていました。

  • 広々とした水田でした。

    広々とした水田でした。

  • 日本と同じような水田の風景です。

    日本と同じような水田の風景です。

  • USAライス連合会のHPから、アメリカのコメ生産について調べてみます。<br /><br />アメリカでは、地図の6州が主なコメの産地です。同6州及び周辺の地域ですべてのアメリカ米が生産されています。<br /><br />アメリカにおけるコメの耕作面積は110万ヘクタール以上、1生産者当たりの耕作面積は平均160ヘクタールになります。コメ栽培に必要となる灌漑施設などの固定費をまかなうために、トウモロコシや大豆、小麦よりも生産者当たりの耕作面積は大きくなっています。アメリカのすべてのコメは管理された灌漑施設で生産され、それが安定した高い生産量を保つ要因になっています。

    USAライス連合会のHPから、アメリカのコメ生産について調べてみます。

    アメリカでは、地図の6州が主なコメの産地です。同6州及び周辺の地域ですべてのアメリカ米が生産されています。

    アメリカにおけるコメの耕作面積は110万ヘクタール以上、1生産者当たりの耕作面積は平均160ヘクタールになります。コメ栽培に必要となる灌漑施設などの固定費をまかなうために、トウモロコシや大豆、小麦よりも生産者当たりの耕作面積は大きくなっています。アメリカのすべてのコメは管理された灌漑施設で生産され、それが安定した高い生産量を保つ要因になっています。

  • アメリカのコメの州別の生産量と合計生産量です。<br />最も生産量が多いのがアーカンソー州で、次いでカリホルニア州です。<br />今目の前に見ているルイジアナ州は第3位です。<br /><br />アメリカのコメの生産量は2014年、約1,000万トンです。日本の生産量が860万トンですから、日本よりも多くのコメを生産しています。

    アメリカのコメの州別の生産量と合計生産量です。
    最も生産量が多いのがアーカンソー州で、次いでカリホルニア州です。
    今目の前に見ているルイジアナ州は第3位です。

    アメリカのコメの生産量は2014年、約1,000万トンです。日本の生産量が860万トンですから、日本よりも多くのコメを生産しています。

  • アメリカのコメの輸出相手国別輸出量です。<br />日本向けは、第2位で2013/2014年で36万トンになっています。コメが有り余っている日本に、もっとコメを買えと、今進行中のTPP交渉でも、大きな問題となっています。

    アメリカのコメの輸出相手国別輸出量です。
    日本向けは、第2位で2013/2014年で36万トンになっています。コメが有り余っている日本に、もっとコメを買えと、今進行中のTPP交渉でも、大きな問題となっています。

  • 日本と同じように、水田で作られているアメリカのコメは、味も悪くないようです。<br />目の前の水田の広がりを見ていると、この時は4月で、水が張られているだけですが、その大規模栽培の様子がうかがえます。

    日本と同じように、水田で作られているアメリカのコメは、味も悪くないようです。
    目の前の水田の広がりを見ていると、この時は4月で、水が張られているだけですが、その大規模栽培の様子がうかがえます。

  • 水田地帯を過ぎると、やがて、「バイユー」と呼ばれる広大な湿地帯が広がります。その上に上下2本の長い橋がかかっており、この上を走ります。やがて、「ベイユー」と呼ばれる広大な湿地帯が広がります。その上に上下2本の長い橋がかかっており、この上を走りました。

    水田地帯を過ぎると、やがて、「バイユー」と呼ばれる広大な湿地帯が広がります。その上に上下2本の長い橋がかかっており、この上を走ります。やがて、「ベイユー」と呼ばれる広大な湿地帯が広がります。その上に上下2本の長い橋がかかっており、この上を走りました。

  • 写真は対抗車線の橋で、その背後には湿地帯に生えるマングローブの林が続いていました。

    写真は対抗車線の橋で、その背後には湿地帯に生えるマングローブの林が続いていました。

  • 大きな、沼地が広がっているところでは、マングローブが水面より頭を出していました。

    大きな、沼地が広がっているところでは、マングローブが水面より頭を出していました。

  • これらの景色は、満潮時と干潮時で、すっかり様相が変わっていることと思います。この時は「満潮」だったろう思います。

    これらの景色は、満潮時と干潮時で、すっかり様相が変わっていることと思います。この時は「満潮」だったろう思います。

  • 橋脚の下のマングローブです。

    橋脚の下のマングローブです。

  • 上り線と下り線の間に「連絡橋」のようなものが見られました。

    上り線と下り線の間に「連絡橋」のようなものが見られました。

  • バイユーの橋を渡り始めて、約30分が過ぎて、「バトンルージュ」の町が見えてきました。

    バイユーの橋を渡り始めて、約30分が過ぎて、「バトンルージュ」の町が見えてきました。

  • ミシシッピー川を渡りました。

    ミシシッピー川を渡りました。

  • ミシシッピー川に架かる橋の上から見た「バトンルージュ」の町です。<br />この町は1699年フランス人によって最初の植民が行われた時代に造られた町です。1803年ルイジアナ買収によってアメリカ領となってから発展し、ルイジアナ州の州都になりました。<br />バトンルージュはフランス語で「赤い杖」を意味し、昔インディアンが狩場の境界に杉の木を赤く染めて標識としたのに因むとのことです。

    ミシシッピー川に架かる橋の上から見た「バトンルージュ」の町です。
    この町は1699年フランス人によって最初の植民が行われた時代に造られた町です。1803年ルイジアナ買収によってアメリカ領となってから発展し、ルイジアナ州の州都になりました。
    バトンルージュはフランス語で「赤い杖」を意味し、昔インディアンが狩場の境界に杉の木を赤く染めて標識としたのに因むとのことです。

  • 「バトンルージュ」にも石油化学の工場が見られました。

    「バトンルージュ」にも石油化学の工場が見られました。

  • 写真は、今渡ってきたミシシッピー川にかかる橋です。

    写真は、今渡ってきたミシシッピー川にかかる橋です。

  • ミシシッピー川沿いを走り、オークアレイプランテーションに着きました。

    ミシシッピー川沿いを走り、オークアレイプランテーションに着きました。

    オークアレイ 建造物

    1700年代の初頭、入植者たちが小さな家を建て、ミシシッピー川に向かって等間隔に28本の樫の木を植えたのがオーク・アレー(ナラの並木路)の始まりです。 by 元カニ族さん
  • 広い緑の庭が広がっていました。

    広い緑の庭が広がっていました。

  • メインの館に向かいました。

    メインの館に向かいました。

  • 芝生の上に、古い農機具が展示されていました。

    芝生の上に、古い農機具が展示されていました。

  • ようやく館に着きました。

    ようやく館に着きました。

  • 1700年代の初頭、入植者たちが小さな家を建て、ミシシッピー川に向かって等間隔に28本の樫の木を植えたのがオーク・アレー(ナラの並木路)の始まりです。<br />現在の建物は裕福なサトウキビのプランテーション経営者によって1939に建てられたもです。

    1700年代の初頭、入植者たちが小さな家を建て、ミシシッピー川に向かって等間隔に28本の樫の木を植えたのがオーク・アレー(ナラの並木路)の始まりです。
    現在の建物は裕福なサトウキビのプランテーション経営者によって1939に建てられたもです。

  • 当時の衣装を身に着けたガイドさんが1階のダイニングルームから2階のベッドルームまで詳しく説明してくれました。

    当時の衣装を身に着けたガイドさんが1階のダイニングルームから2階のベッドルームまで詳しく説明してくれました。

  • 館内は撮影禁止なので、ガイドブックの写真を掲載します。

    館内は撮影禁止なので、ガイドブックの写真を掲載します。

  • 下は2階のベランダから館の背後を見下ろしたところで、ナラの並木がミシシッピー川まで伸びています。これが最初に作られたオーク・アレー(ナラの並木路)でしょう。

    下は2階のベランダから館の背後を見下ろしたところで、ナラの並木がミシシッピー川まで伸びています。これが最初に作られたオーク・アレー(ナラの並木路)でしょう。

  • 館を出て周囲を散策しました。

    館を出て周囲を散策しました。

  • 写真は「管理棟」です。

    写真は「管理棟」です。

  • サトウキビ畑が広がっていました。

    サトウキビ畑が広がっていました。

  • オークアレー・プランテーションは「古き良き南部」を彷彿とさせる建物で、これまで沢山の映画のロケに使われたようです。映画「風とともに去りぬ」の世界です。<br />そして、この後、この日の目的地ニューオリンズに向かいました。

    オークアレー・プランテーションは「古き良き南部」を彷彿とさせる建物で、これまで沢山の映画のロケに使われたようです。映画「風とともに去りぬ」の世界です。
    そして、この後、この日の目的地ニューオリンズに向かいました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • PHOPHOCHANGさん 2015/08/02 00:24:36
    景色の変化が
    凄いですよね、1つの国の中なのに。

    自分はオークアレイのプランテーションハウスは知りませんでしたが、もう少し北部のミシシッピ州に入ったナッチェスで何棟か見学した事が有ります。

    米は目から鱗でした。ジャンバラヤは南部の料理でしたね。カリフォルニア米以外はパラパラで、当時の義母に手巻き寿司を作ってご馳走しようとして失敗した事が有ります。
    が、南部の、特にクレオール料理は大好きでした。召し上がられましたか?
    フランスが入植した所は他の欧米諸国とは一味違うのが面白いです。

    次はニューオリンズだから、フレンチクォーターでジャズかな?

    元カニ族

    元カニ族さん からの返信 2015/08/02 22:55:56
    RE: 景色の変化が

    PHOPHOCHANGさん

    この地域の広大な「田園風景」と、どこまでも続く「バイユー」には感激しました。

    旅行の日程表を見返してみると、確かに昼食は「クレオール料理」になっています。しかし食べ物にまったく疎い私は、どんなものを食べたか、まったく記憶に残っていません。

    コメの生産量をもう少し詳しく見てみると、長粒米、中粒米、短粒米に分け統計がとられています。日本の米に似ているのは、中・短粒米と思われますので、これはカリホルニア州で多く生産されています。カリホルニアのコメは美味しくて「カリホルニアコシヒカリ」もあるとか聞いています。

    「風と共に去りぬ」に関連して、アトランタあたりで「南北戦争」について書く予定です。

    次はニューオリンズで、フレンチクォーターでジャズなど書きます。

    元カニ族

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