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小浜にはなんと24年ぶりだ.本当に小浜は素晴らしい仏像が多い.そして名刹が小さな村にある.1504明通寺.本堂と三重塔は国宝,西日できれいに撮影できなかったのが惜しい.本堂の均整のとれた曲線は素晴らしい.薬師如来像 深沙大将立像 降三世明王立像も最高.<br />神宮寺はお水送りの寺だ.そのためか本堂の前のスペースが印象的.ここも素晴らしい薬師如来があるが,格子のむこうでよく見えないのが残念.<br />最後に萬徳寺 庭園と紅葉が有名な寺だ.ここの阿弥陀如来も最高.お優しい顔立ちに威厳がある.住職さんがゆっくりと見せてくれた.仏像は近くで拝み,堪能できるのが最高.しかしセキュリティもしっかりしなければならない御時勢が悲しい.対馬のようなことにならなければいいが..<br />まず今日はこの3つのお寺を参観した.最高だった!

2015.7京都・名古屋・小浜出張旅行4-明通寺,神宮寺,萬徳寺 すばらしい仏像

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2015/07/20 - 2015/07/20

223位(同エリア395件中)

suomita2

suomita2さん

小浜にはなんと24年ぶりだ.本当に小浜は素晴らしい仏像が多い.そして名刹が小さな村にある.1504明通寺.本堂と三重塔は国宝,西日できれいに撮影できなかったのが惜しい.本堂の均整のとれた曲線は素晴らしい.薬師如来像 深沙大将立像 降三世明王立像も最高.
神宮寺はお水送りの寺だ.そのためか本堂の前のスペースが印象的.ここも素晴らしい薬師如来があるが,格子のむこうでよく見えないのが残念.
最後に萬徳寺 庭園と紅葉が有名な寺だ.ここの阿弥陀如来も最高.お優しい顔立ちに威厳がある.住職さんがゆっくりと見せてくれた.仏像は近くで拝み,堪能できるのが最高.しかしセキュリティもしっかりしなければならない御時勢が悲しい.対馬のようなことにならなければいいが..
まず今日はこの3つのお寺を参観した.最高だった!

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 1441熊川宿を出発 国道303号線を小浜に向かう,国道27号線に

    1441熊川宿を出発 国道303号線を小浜に向かう,国道27号線に

  • 1448上中駅前

    1448上中駅前

  • 東市場交差点を左折 県道23号線を 明通寺へ.

    東市場交差点を左折 県道23号線を 明通寺へ.

  • 1504明通寺駐車場 うっそうとした森の中にある

    1504明通寺駐車場 うっそうとした森の中にある

    明通寺本堂 寺・神社・教会

  • 松永川という

    松永川という

  • 神社もある 神仏習合

    神社もある 神仏習合

  • 真言宗御室派 棡山 明通寺<br />延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麿公、ある夜、霊夢を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元(806)年このところに堂塔を創建し、居士また棡の木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置したと伝う。<br /> 爾来壱千二百年、つねに天下万民の祈願所として、法燈たえることなし。<br />現存の堂塔は、中興頼禅法印の再建にかかり、地方にありながら中央のものにも劣らぬ優秀な密教建築である。<br />http://www.cho.ne.jp/~myotsuji/annai.html

    真言宗御室派 棡山 明通寺
    延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麿公、ある夜、霊夢を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元(806)年このところに堂塔を創建し、居士また棡の木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置したと伝う。
     爾来壱千二百年、つねに天下万民の祈願所として、法燈たえることなし。
    現存の堂塔は、中興頼禅法印の再建にかかり、地方にありながら中央のものにも劣らぬ優秀な密教建築である。
    http://www.cho.ne.jp/~myotsuji/annai.html

  • 山門<br />明和九(1772)年再建 江戸時代中期 瓦葺<br />明通寺の玄関口である三間一戸の二重門(楼門)、阿吽二躯の仁王像(金剛力士像)が安置してある。 

    山門
    明和九(1772)年再建 江戸時代中期 瓦葺
    明通寺の玄関口である三間一戸の二重門(楼門)、阿吽二躯の仁王像(金剛力士像)が安置してある。 

  • 市の文化財とのこと

    市の文化財とのこと

  • 入り口 右に受け付け

    入り口 右に受け付け

  • 本堂へと上る

    本堂へと上る

  • 見えてきた

    見えてきた

  • ここは素晴らしい仏像がある

    ここは素晴らしい仏像がある

  • 三重塔(国宝)<br /> 文永七(1270)年再建 昭和三十二年解体修理<br /> 鎌倉時代中期 三間山荘 桧皮葺 総高22.26m<br />現在の本堂・三重塔は、鎌倉中期に、中興頼禅法印により再建された。杉木立の中にそびえる堂塔は七百数十年の間風雪に耐え渋い灰色に変色し、その歴史を感じさせられる。

    三重塔(国宝)
     文永七(1270)年再建 昭和三十二年解体修理
     鎌倉時代中期 三間山荘 桧皮葺 総高22.26m
    現在の本堂・三重塔は、鎌倉中期に、中興頼禅法印により再建された。杉木立の中にそびえる堂塔は七百数十年の間風雪に耐え渋い灰色に変色し、その歴史を感じさせられる。

  • イチオシ

  • 本堂(国宝建造物)<br /> 正嘉二(1258)年再建 大正十二年解体修理<br /> 鎌倉時代中期単層入母屋造 桧皮葺<br />飾りや装飾が少なく簡素ではあるが、柱や梁などの骨組みはがっしりと力強く、檜皮葺の屋根は美しい曲線を創り、均整のとれた姿は荘重で力感に溢れている。<br /><br />この中には素晴らしい仏像 薬師如来像 深沙大将立像 降三世明王立像がある!ほんとうにすばらしい!一つの曼荼羅世界だ!

    イチオシ

    本堂(国宝建造物)
     正嘉二(1258)年再建 大正十二年解体修理
     鎌倉時代中期単層入母屋造 桧皮葺
    飾りや装飾が少なく簡素ではあるが、柱や梁などの骨組みはがっしりと力強く、檜皮葺の屋根は美しい曲線を創り、均整のとれた姿は荘重で力感に溢れている。

    この中には素晴らしい仏像 薬師如来像 深沙大将立像 降三世明王立像がある!ほんとうにすばらしい!一つの曼荼羅世界だ!

  • 三重塔に

    三重塔に

  • 三重塔から見た本堂 本当に均整のとれた曲線を持つ素晴らしい建物

    イチオシ

    三重塔から見た本堂 本当に均整のとれた曲線を持つ素晴らしい建物

  • 客殿

    客殿

  • かやの木<br />樹齢500年<br />松永谷の歴史を見守る、樹齢500年に及ぶ巨木。

    かやの木
    樹齢500年
    松永谷の歴史を見守る、樹齢500年に及ぶ巨木。

  • 1532出発 県道23号線を下る 広域農道 若狭西街道に左折

    1532出発 県道23号線を下る 広域農道 若狭西街道に左折

  • トンネルを越える

    トンネルを越える

  • 1542 神宮寺 元正天皇の勅願により奈良時代は和銅7年(714年)、若狭国一の宮(若狭彦神社)の神願寺として泰澄大師の弟子沙門滑元による開創されたと伝わる。 鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改めた。室町時代に朝倉義景の寄進により再建された本堂(重要文化財)は現存する。七堂伽藍二十五坊を有していた時代もあったが、豊臣秀吉の時代に寺領没収に遭い、さらに明治時代初頭の廃仏毀釈により衰退した。wikipedia<br />

    1542 神宮寺 元正天皇の勅願により奈良時代は和銅7年(714年)、若狭国一の宮(若狭彦神社)の神願寺として泰澄大師の弟子沙門滑元による開創されたと伝わる。 鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改めた。室町時代に朝倉義景の寄進により再建された本堂(重要文化財)は現存する。七堂伽藍二十五坊を有していた時代もあったが、豊臣秀吉の時代に寺領没収に遭い、さらに明治時代初頭の廃仏毀釈により衰退した。wikipedia

  • 神宮寺 寺・神社・教会

  • 本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建しました。大きさは間口14.34m、奥行き16.60mです。建築様式は、和様を主体にしたなかに、木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表しています。http://www1.city.obama.fukui.jp/category/page.asp?Page=84

    イチオシ

    本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建しました。大きさは間口14.34m、奥行き16.60mです。建築様式は、和様を主体にしたなかに、木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表しています。http://www1.city.obama.fukui.jp/category/page.asp?Page=84

  • 3月12日に奈良東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先がけて、毎年3月2日に行われる小浜市神宮寺の「お水送り」は、奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事です。<br />奈良のお水取りが終わると春が来る。関西の人々は、毎年この春の兆しを待ちわびます。この奈良東大寺二月堂のお水取り(修ニ会の「お香水」汲み)は全国にも有名な春を告げる行事ですが、その「お香水」は、若狭鵜の瀬から10日間かけて奈良東大寺二月堂「若狭井」に届くといわれています。<br /><br />ここはお水送りの寺だ!

    3月12日に奈良東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先がけて、毎年3月2日に行われる小浜市神宮寺の「お水送り」は、奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事です。
    奈良のお水取りが終わると春が来る。関西の人々は、毎年この春の兆しを待ちわびます。この奈良東大寺二月堂のお水取り(修ニ会の「お香水」汲み)は全国にも有名な春を告げる行事ですが、その「お香水」は、若狭鵜の瀬から10日間かけて奈良東大寺二月堂「若狭井」に届くといわれています。

    ここはお水送りの寺だ!

  • 重文 残念ながらここの薬師如来を始めとした仏像群は格子のむこうで良く見えなかった.しかし藤原末期の柔和なお顔を垣間見ることができた.十二神将像が印象的だった.

    重文 残念ながらここの薬師如来を始めとした仏像群は格子のむこうで良く見えなかった.しかし藤原末期の柔和なお顔を垣間見ることができた.十二神将像が印象的だった.

  • 遠敷川の上流に「鵜の瀬」はあるがここにも水は湧き出ている 閼伽井

    遠敷川の上流に「鵜の瀬」はあるがここにも水は湧き出ている 閼伽井

  • ここから鵜の瀬に水をおくり,そこから東大寺二月堂へとむかう

    ここから鵜の瀬に水をおくり,そこから東大寺二月堂へとむかう

  • 小さなわらぶきの家もある

    小さなわらぶきの家もある

  • 本堂への入り口は小さな門

    本堂への入り口は小さな門

  • 1600 車で300m以上離れた仁王門に向かう

    1600 車で300m以上離れた仁王門に向かう

  • 仁王門  鎌倉時代末期再建。間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mの単層屋根、切妻造、二軒和様杮葺八脚門。至徳2年(1385年)造立の木造金剛力士像を一対を安置。重文

    仁王門  鎌倉時代末期再建。間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mの単層屋根、切妻造、二軒和様杮葺八脚門。至徳2年(1385年)造立の木造金剛力士像を一対を安置。重文

  • ここから本堂への参道

    ここから本堂への参道

  • 県道35号線

    県道35号線

  • 小さな道に左折

    小さな道に左折

  • 1610延宝山萬徳寺駐車場 そこからの入り口はこんな感じ

    1610延宝山萬徳寺駐車場 そこからの入り口はこんな感じ

  • 小さな山門

    小さな山門

    萬徳寺庭園 寺・神社・教会

  • 入り口

    入り口

  • 庫裏にあげてもらう.

    イチオシ

    庫裏にあげてもらう.

  • 当山の前身は極楽寺といい、文永2年(1265年)の若狭惣田数帳に存在が記されている古刹である。室町時代は応安年間(1368年-1374年)に、安芸国円明寺の覚応法印が、極楽寺を天台宗から真言宗に改宗し、寺号も正照院と改めた。戦国時代には若狭国を領した武田氏が当山を祈願所と定め、さらに天文13年(1544年)に領主武田信豊により若狭国唯一の駆込寺として公許されるなど隆盛したが、元亀年間に兵火を受けて衰退した。 その後、安土桃山時代は慶長7年(1602年)に寺号は萬徳寺と改められ、江戸時代は延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命により音無川の岸から現在の山麓に寺地を移された。Wikipedia

    当山の前身は極楽寺といい、文永2年(1265年)の若狭惣田数帳に存在が記されている古刹である。室町時代は応安年間(1368年-1374年)に、安芸国円明寺の覚応法印が、極楽寺を天台宗から真言宗に改宗し、寺号も正照院と改めた。戦国時代には若狭国を領した武田氏が当山を祈願所と定め、さらに天文13年(1544年)に領主武田信豊により若狭国唯一の駆込寺として公許されるなど隆盛したが、元亀年間に兵火を受けて衰退した。 その後、安土桃山時代は慶長7年(1602年)に寺号は萬徳寺と改められ、江戸時代は延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命により音無川の岸から現在の山麓に寺地を移された。Wikipedia

  • 庭を眺める 国の特別名勝<br />延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命により築造された面積約1500平方メートルの蓬莱式枯山水庭園である。山麓の斜面地を利用して斜面中段中央に高さ3mの真言密教における本尊石を配し、天然記念物である大山モミジを借景としている。書院と庭園の間は白砂の広場で仕切られている。

    庭を眺める 国の特別名勝
    延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命により築造された面積約1500平方メートルの蓬莱式枯山水庭園である。山麓の斜面地を利用して斜面中段中央に高さ3mの真言密教における本尊石を配し、天然記念物である大山モミジを借景としている。書院と庭園の間は白砂の広場で仕切られている。

  • 左に本尊石

    イチオシ

    左に本尊石

  • 庫裏 かやぶきの書院つくり

    庫裏 かやぶきの書院つくり

  • 裏の阿弥陀堂へ

    裏の阿弥陀堂へ

  • 本堂の写真を撮り忘れた<br />http://www.wakasa-obama.jp/TouristAttract/TouristAttractDetail.php?4<br />http://blog.goo.ne.jp/2014kurumatabi/e/97d493467ecf0116e7b14de489e54cee<br />に本堂の写真がある.

    本堂の写真を撮り忘れた
    http://www.wakasa-obama.jp/TouristAttract/TouristAttractDetail.php?4
    http://blog.goo.ne.jp/2014kurumatabi/e/97d493467ecf0116e7b14de489e54cee
    に本堂の写真がある.

  • 中の阿弥陀如来坐像 平安後期 素晴らしい優しいお顔 本当は写真で紹介したいくらい素晴らしい

    中の阿弥陀如来坐像 平安後期 素晴らしい優しいお顔 本当は写真で紹介したいくらい素晴らしい

  • 阿弥陀堂から庫裏をみる.

    イチオシ

    阿弥陀堂から庫裏をみる.

  • 1632 本日はこの3つのお寺の拝観で終わりにしよう.あす残りの5つ(実際は4つしか行けなかった)行くことにする,

    1632 本日はこの3つのお寺の拝観で終わりにしよう.あす残りの5つ(実際は4つしか行けなかった)行くことにする,

  • このパンフの表紙に主要な仏像が載っているので見てほしい

    このパンフの表紙に主要な仏像が載っているので見てほしい

  • 明通寺 拝観料400円

    明通寺 拝観料400円

  • 仏像が載っていたパンフより抜粋

    仏像が載っていたパンフより抜粋

  • 神宮寺 拝観料400円

    神宮寺 拝観料400円

  • お水送りのパンフ

    お水送りのパンフ

  • 萬徳寺のパンフ 入場料400円

    萬徳寺のパンフ 入場料400円

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