2015/07/11 - 2015/07/18
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サンフランさん
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京都の祇園祭には出張の帰りに断片的に見たことがありますが、今年はすべてを見たいと京都にやってきました。
台風11号が倉敷辺りを通過中で、大雨の祇園祭でした。
後祭りは快晴の夏模様で、山鉾巡行が十分に楽しめました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
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7月11日
四条烏丸にやってきました。祇園祭の準備が進んでいます。
山建てが始まっています。まずは長刀鋒 -
この鋒はまだ組み始めのようです。もちろん釘はつかわない。 縄のみで縛り上げる。
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烏丸通りを越えて四条通りの反対側には函谷(かんこ)鋒
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山や鋒は町会所と呼ばれる建物の前で組み立てられている。組みあがると鋒たてが行われる鋒に渡る橋が付けられる。町会所には、鋒や山を保管する蔵があり、御神体を安置する社殿・仏堂もあるらしい。
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太い荒縄で締め上げている。
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四条通りから入ったところにある菊水鋒も骨組みの基礎がようやくできたところ?
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函谷鋒の四条通りの斜め前には月鋒
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鋒や山が立てられる町内には、岩戸山町、太子山町、月鋒町など鋒や山の名前を町名にしているところが多い。これは室町時代からの町名と考えられる! 京都文庫「祇園祭」では、「京都は高級織物の産地であり、特に下京の山鉾町が経済の中心であったために競い合った結果」とされている。
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菊水鋒はポールの準備が進んでいます。
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京都駅に飾られた、鋒・山の配置模型!
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7月13日
長刀鋒は完全に組みあがっていた。
函谷鋒も提燈が下がって完全に出来上がっていた。 -
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鶏鋒
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白楽天山
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岩戸山はまだのようですが、今日は手仕舞いのようです。
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懸装品が飾られています。
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船鋒
船鋒の船の周りの水引は金地雲竜の圧肉刺繍とされている。 -
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放下鋒
明治中期の鋒とあります。いまは生稚児ではない人形をおくそうです。 -
月鋒のちょうちんに明かりが! 夕暮れになりました。鋒の参観は有料で可能です。
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こちらの菊水鋒にも明かりが!
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こちらの菊水鋒にも明かりが! 提灯は月桂冠です。
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函谷鋒にもちょうちん! 提灯は月桂冠です。
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7月16日
宵山
四条通り、長刀鋒では酒が振舞われています。もちろん有料です。 -
四条通りの函谷鋒では、早々とお囃子が始まった。 -
台風の影響で雨、まだ時間が早いのか人手は少ない。
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露店が並びどこにでもあるような祭りの風景
雨のせいか?
昨年より後祭りが復活して、前後に分かれて祭りの規模が縮小したかにも見える。 -
京都らしい鮎の塩焼きのブース
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売られている粽(ちまき)は門前に飾られる。
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岩戸山も完成しています。
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木賊(とくさ)山
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芦刈山
謡曲「芦刈」を題材にした山だそうで、天文6年のご神体とかそのお衣装があるそうですが、雨のためか着けられていません。山の中には雨のためか掛け物はつけていない骨組みだけのも多い。ご神体もまだのようだ。 -
放下鋒にも見学者が、でも傘でいっぱいです。
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菊水鋒でもお囃子が始まっていた。
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菊水鋒の水引(掛け物)には雨よけのビニールがかけられている。
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5時近くになり人通りも増えてきた。降り止まない雨模様で、
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長刀鋒を見てきょうはこれまで、....
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7月17日
四条通り待つこと30分、午前9時を少し過ぎて巡行が始まった。
先頭は長刀鋒 -
山鉾の巡行はいつ始まったのであろうか? 京都文庫「祇園祭」には、「作山の巡行は南北朝時代の14世紀の中世に祭りが町衆の祭りとして発展した頃」とある。「応仁・文明の乱の前には7日の祭礼には31基が、14日の祭礼には27基が出るようになっていた。その後の大乱により下京は荒廃して、山鉾巡行は途絶えた。明応九年(1500年)にようやく再興された。そのときから順番をくじで決めるようになった。但し、長刀鋒と後祭りの橋弁慶山は先規により一番」
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お稚児さんがしめ縄をここで切る。残念ながらローケーションが悪かった。
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しめ縄は切れた。先回りして四条烏丸の交差点に
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辻回しに備えて竹が敷かれる。
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長刀鋒は無事に河原町通りへ
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交差点の四方に辻回しを見る人でいっぱい! 聞こえるのはフランス語!
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河原町交差点を見事に回りました。
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いくつか山が続いた後、次の大きな鋒の函谷鋒がつづく
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函谷鋒の前掛けは、16世紀のベルギー製タペストリーとされている。
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「40年前に見た山鉾巡行では、四条河原町の交差点で巡行は駅の方向へ曲がった」と記憶しているのあるが、近くの京都人に聞いたら「そんなことはあらへん」とのこと。
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こちらも三条通りへ河原町通りを上がる。再び函谷鋒です。
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山が続きます。油小路通りの油天神山です。「紅梅の枝と朱塗りの鳥居が特徴、見送りは梅原龍三郎の綴り織」とパンフレットにありますが、どうやらあめのため仕様が異なるようです。
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つぎは四条傘鋒です。
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占出山が続きます。よく見ると、山の上には何もない。傘も閉じられたままで、...
三条河原町から御池通りに移動します。 -
長刀鋒は 御池通りを京都市役所の先まで進んでいた。もう引き手はずぶぬれだ!
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御池烏丸を通過
雨はさらに激しくなる。軒下を借りて新町通りで待つことに -
長刀鋒が新町通りを進みます。このとおりは狭いとおりで、通すのがやっとです。音頭とりの方々が目前に見えます。
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軒先を借りたお宅の住民からむかしの話を聞く。解決されていない疑問、「40年前に見た山鉾巡行では、四条河原町の交差点で巡行は駅の方向へ曲がった」 これは間違いのない記憶であった。その方の話では、その頃は松原通りを行ったそうだ。もう一つの疑問は市電のあったころには架線をどうしたのであろうか? 「架線を取り外した」
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長刀鋒は無事通過
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山が続きます。
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菊水鋒の生稚児が見えました。
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菊水通過
屋根方は曲芸状態! -
蟷螂山
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月鋒です。
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四条傘鋒
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郭巨山が続く
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大子山
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菊水鋒が進んできました。
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狭い道いっぱいで、屋根方の腕の見せ所?
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山が続きます。
あられ天神山
あられ天神山の松は真松ではなく若松とされている。 -
白楽天山
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鶏鋒
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昼もすぎました。雨がやみそうもないので、この辺で切りあげることに
函谷鋒はすでに定置にご帰還です。
後祭りに続く -
7月16日
後祭りの宵山をみに、四条烏丸へ
前祭りの鋒・山は四条通りからすべて片付けられています。 -
後祭りの鋒・山は四条通りの北側にほとんど配置されています。後祭りは昨年から復活したもので、鋒・山も復活したものがあるようです。大船鋒は、長らく休み山であった。後祭りの再開に合わせて再建されたようです!
大船鋒だけが四条通りの南側新町通りにあります。 -
名前の通り大きな船型の鋒です。
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新町通りを北に向かって歩くと、いくつか山が並んでいます。まずは南観音山
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前掛け、腰掛はペルシャの段通
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その北にあるのが、北観音山
後祭りの主だった山がここに並んでいる。 -
みごとな町屋のなかに立てられている。
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町屋の内部が拝見できるようになっていました。
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粽が備えられています。後で知ったことですが、食べるのではなく、軒につるして厄除けに祀るのだそうです。食べるものではない!?
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北観音山の水引きとか前掛けもみごとです。
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次は八幡山
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1本東によった通りの室町通りには、役行者(えんのぎょうじゃ)山
ご神体はまだ居られないようです。 -
室町通り、その南にある黒主山は桜がテーマのようです。
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ご神体はまだ、控えておられます。
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室町通りを鯉山のほうへ
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前掛けにおおきな「鯉」の一字
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鯉山の展示を拝見します。
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左甚五郎作の大きな鯉がご本尊のようです。なぜかヨーロッパのタペストリーが多く飾られています。
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「鯉山に飾られているタペストリ(壁掛)の一端から発見された「B.B」のイニシアルから製造場所を示すもので、それはブラバン・ブリュッセルを表すものでした。ベルギー王室美術館の調査により作者はニケイズ・アエルツで、1575-1620年に製作された5枚の一枚で、紀元前のギキシャ詩人ホメロスによりかかれた「イーリアス」(トロイ戦争の物語)の場面を描いたものと判った。200年前に伊達政宗の命を受けてヨーロッパに渡った慶長使節がローマ法王に接見した際に送られた5枚の一枚であると考えられている。鯉山には1790年ごろ[奥州の天寧寺から売り込まれた。] との言い伝えが残されている。 タペストリは山組みの大きさに合わせて9枚に切り分けられている。生地が厚かったため大工のみで押し切ったと伝えられている」(鯉山パンフレット)
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船弁慶山
蛸薬師通りの烏丸近くです。 -
こちらがご神体? と思ったのですが、巡行では違っていました。
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クラシックなマエダコーヒ本店もあります。
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7月17日
巡行のスタートは、御池通りの京都市役所の前です。 -
10時前に着きましたが、既に先頭は出発していました。
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船弁慶山が市役所前を通過中
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辻回しで河原町通りに入ります。先頭の山は橋弁慶山
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弁慶と牛若丸!
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北観音山が、御池−河原町の交差点で辻回しに入ります。
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河原町通りに入ってきました。
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河原町通りを三条へ向かいます。
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山が続きます。役行者(えんのぎょうじゃ)山、八幡山
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八幡山のご神体は、鳥居と神社です。
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つづいて鈴鹿山
「鈴鹿山で道行く人を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現の伝説を題材にしている」(祇園祭、宵山重厚ガイド、パンフレット) -
前掛けにはラクダ!
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南観音山が辻回しで河原町通りに
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南観音山を見て、見ながら四条河原町へ移動します。
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南観音山は三条で小休止
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四条河原町でまつことしばし、北観音山が辻回しにやってきました。
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四条通りを烏丸へ移動します。大丸前を橋弁慶山が通過中
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つづいて北観音山
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四条烏丸に北観音山
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烏丸通りを渡ります。
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続いて、しばらくして南も
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八幡山も
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黒主山
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淨妙山
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大船鋒がラストです。
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大船鋒を追って、新町通りへ
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新町通りへの辻回しには手間取っています。
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ようやく回りました。
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ホームにご帰還へ最後の巡行です。
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これで今年の山鉾巡行はすべて終わりです。
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鋒・山の用語説明(パンフレットより)
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あとは、還幸祭
夕方5時前に四条通りにやってきました。既に八坂神社の神輿が一基出て、三若が新京極の入り口辺りを練っています。先頭は三若の中御座神輿、6角神輿です。 -
還幸祭は7月17日の神幸祭での御渡しで、お旅所に奉安されていたお神輿が八坂神社へお帰りなる神事です。17日は大雨で神幸祭での御渡しはさすがに見れませんでした。
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京都の掛け声は、Witto / whitto (ウィットー)
東京のように、「せいや」や「わしょい」ではない! -
お旅所の中には後2基が控えています。
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動く気配がありません。京都のお祭りは静かなものです。争いもない!
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頂には青稲が付けられる。
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ひたすら待つのは見物客!
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ようやく2基、3基目に動きが!
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四若が2基目を練り始めました。こちらは四角の東御座神輿です。
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みこしの先端には金具がついている。神輿を揺らしてこの金具を鳴らすと、雰囲気は最高潮になります。
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3基目もようやくお旅所を出ました。最後のみこしは八角の西御座神輿です。
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四若の2基目は、ようやく四条通りを四条烏丸へ
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八坂神社に帰られるのは夜遅い!
それでは、私の祇園祭りもこれで終わりです。お神酒をいただきに、....
いや、この暑さではビール?
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