2014/03/08 - 2014/03/08
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pioさん
4トラコミュの大人の遠足では、東大寺2月堂のお水取りを体験しようという計画だ。
大人の遠足メンバーとの初顔合わせは夕刻。
前日に奈良へ前乗りした私は、初日に興福寺と東大寺を巡り、、2日目の本日、大人の遠足当日なのだが、早朝から待ち合わせ時間の夕方まで、西の京の唐招提寺、薬師寺、新大宮の西大寺を巡った。
唐招提寺は、建物も仏像も素晴らしかったのは言うまでもないが、鑑真和尚の創る空気感なのか、とても穏やかで清らかな心持ちとなり、これが世間で言う「パワーをもらう」なのか?
いや、そんな程度のものでは言い表せない、もっと崇高なものに抱かれたような・・・何か特別なものを感じた。
唐招提寺を出て、10分弱歩いて薬師寺へ。
唐招提寺から歩いていくと、薬師寺境内に入る方向は、正面の南門からではなく、玄奘三蔵伽藍[げんじょうさんぞうがらん]から巡ることとなる。
玄奘三蔵伽藍を出て、北門から薬師寺伽藍に入ると幸運にも、8日は薬師寺縁日との事で、大講堂での大般若経転読法要と山田法胤管長法話の時に巡り合わせた。
私自身特に無神論者という訳でもないが、特に仏門に帰依した者でもなく、美術、歴史、仏像への興味が私自身を寺を巡らせる軸なのであるが、こうして仏像の元で聞く初めての法話は、とても興味深いものであった。
しかしながら、歴史ある建造物の修復は大賛成なのだが、こう新しく建造し直したものは、何とも味気のないものだ。まぁ、倒壊の危険が合ったのだそうだから、致し方が無いにしても。。
建物が新しく、仏像達の居心地はどんなものなのだろう。
これから、また数百年の後には、朱がはげて、味わい深いもののなるのだろうが・・・
そして、少し煮え切らない想いを抱いたまま西大寺を巡り、大人の遠足のメンバーとのミーティングポイントである2日目の宿へと向かった。
写真は薬師寺金堂
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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唐招提寺から薬師寺までは、歩いて10分足らず。
農道をノンビリ歩いていると、心も身体も軽くなってる事に気がついた。
唐招提寺は余程、私に合っていたのだろう。
平城京奈良から桜井までの古道、山の辺の道も歩けちゃう気になった。
そんな事を考えている内に、ほらもう薬師寺。 -
梅の小路が甘い香り。
薬師寺 寺・神社・教会
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あら、近すぎた。
薬師寺 寺・神社・教会
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現在位置を確認。
まずは、玄奘三蔵院伽藍に向かいましょう。 -
元々薬師寺境内だから、広いわぁ。
地蔵院、本坊を右手にやり過ごし、広大な境内は少し違和感。薬師寺 寺・神社・教会
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真新しいなぁ・・・
平成3年に建ったとの事だけど、10年以上経っているとは思えません。
私には、あまり魅力を感じませんが。。薬師寺 寺・神社・教会
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余りにも新しい建造物を目の前に、夏目雅子の美しすぎる三蔵法師が浮かんできた。
拝観料800円也。薬師寺 寺・神社・教会
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玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602〜664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰られた経典の翻訳に専念、その数1335巻に及びます。玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識[ゆがゆいしき]」の教えでした。その教えの流れを継承している宗派が法相宗[ほっそうしゅう]です。現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たります。昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられました。薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。
って、お骨を勝手に持って来て、勝手に分けちゃったのぉ?!
平山郁夫先生のシルクロードシリーズに通じる壁画がぼんやりかつ、鮮やかで、私はあまり好きとは言えません。
このお堂に、玄奘三蔵をお祀りし、周りを古い仏像が囲んでいました。薬師寺 寺・神社・教会
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薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)
現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。
大講堂
北受付から、薬師寺の古い区域に入りました。
色鮮やかなのは、建立当時を忍ばせるのだろうけども・・・
私は朱が禿げて、生木が向き出しに成った寺の方が好きだな・・・薬師寺 寺・神社・教会
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昭和51年に金堂、同56年に西塔が落慶し、以後中門・回廊の再建工事と平行して大講堂の復元設計に着手。基本設計は西岡常一棟梁で金堂以来一貫した裳階付の薬師寺独自の様式です。大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物です。大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためです。特に薬師寺では平安時代に入ると南京三会[なんきょうさんえ]の一つ最勝会[さいしょうえ]の道場となって、勅使[ちょくし]を迎えた法会が毎年盛大に営まれました。最勝会では持統天皇が持統6年(692)に天武天皇の菩提を弔うために奉安した高さ3丈(8,9m)、広さ2丈1尺8寸(6,5m)の阿弥陀浄土を写した大繍仏像が正面に祀られました。金堂の本尊薬師如来像が持統天皇の病気平癒の願いを込め天武天皇が発願されたのはよく知られるところで、いわば薬師寺白鳳伽藍は、天武・持統二代の天皇の夫婦愛が、それぞれ金堂と大講堂にこめられているのです。大講堂は現在の建築基準法に合わせ現代の技法を取り入れながら伝統工法による復元建築で、最大級の建物です。薬師寺白鳳伽藍の雄大さを象徴しています。
薬師寺 寺・神社・教会
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偶然にも、8日は薬師寺縁日との事で、大講堂での大般若経転読法要と山田法胤管長法話の時に巡り合わせた。管長を中心に、数名の僧侶の読経の後、普段聞く機会のない法話も興味深いものだなと、20分ほどだろうか、まるで当たり前のように、違和感なく耳にスルスルと入ってきた。
法話が終わり、気がつくと、大講堂は、信者さん達でいっぱいになっていた。
弥勒三尊像
大講堂に安置されている弥勒三尊は、近世の早い頃から西院弥勒堂の仏様でした。向かって右は法苑林菩薩[ほうおんりんぼさつ](左脇侍)で、左は大妙相菩薩[だいみょうそうぼさつ](右脇侍)です。ところが江戸時代になって講堂を再建するために、もとの講堂本尊の阿弥陀繍帳にちなんで阿弥陀三尊と名称を変えてお迎えし、さらに明治以降は、本薬師寺旧仏とのからみから薬師三尊と名称を変えてお祀りしてきました。しかし、平成15年(2003)に大講堂が復興されるに当たって、法相宗の薬師寺にふさわしく、もとの西院弥勒堂のご本尊の由緒を継いで頂くとともに、本来の正しい尊名にお戻り頂くことになりました。だそうです。薬師寺 寺・神社・教会
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仏足石
インドの鹿野苑[ろくやおん](お釈迦さまが初めて法を説かれた所)の仏足石をもとに、天平勝宝5年(753)に刻まれたことがわかる日本最古の仏足石です。
偏平足で可愛い♪と思ってしまう罰当たりな私。薬師寺 寺・神社・教会
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釈迦十大弟子
2500年程前インドでお釈迦さまやその多くのお弟子さまが、日々厳しい修行をされていました。中でも優れた十人が釈迦十大弟子です。苦行の末に羅漢となられたその心や人格、精神性等を具象の像とし、お姿は原初形態で制作し奉納されました。平成の世に十大弟子の存在や魂が甦ったのです。仏足石を中心にお釈迦さまと語らうが如くに安置されたこの像を拝む時、十人の様々な生き方が時空をこえて良き先達[せんだつ]として私たちに示そうとされる、そんな慈悲心が伝わるように思われます。平成14年(2002)に彫刻家中村晋也師よりご奉納頂きました。
幾度となく、地震や台風、戦火等で、倒壊破損、立て直し、を繰り返してきた薬師寺ではありますが、こうも真新しいと、どうしても私の中で消化できない・・・
彫刻自体は、とても素晴らしいものなのですが、新しいものを増やして行く事(現状三蔵院しかり)と、新しく綺麗に建て替えるこの流れに、どうも胃袋から違和感を訴えている。うー。スッキリしない。 -
西塔は昭和56年(1981)に復興されました。東塔と比較すると、まずその鮮やかな色に目を奪われますが、またそれは奈良を表わす色使いでもあると言えます。塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に使われている色を「丹[に]」色と呼び、万葉集の一節に
あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり
と歌われている事からも当時の平城京の華やかさを表現する意味もあったのではないかと思われます。「青丹良し」とは奈良の枕ことばを意味するのです。色はもちろん連子窓の有無や屋根の反り、基檀の高さ等、東塔との違いが多く見られまが、(例えば、東塔の連子窓は、度重なる修復時に白壁に変えられています。)まさにその違いこそが1300年という歴史の流れを表しているのです。薬師寺 寺・神社・教会
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でも、やっぱり、好きじゃない。
薬師寺 寺・神社・教会
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薬師寺 寺・神社・教会
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薬師寺 寺・神社・教会
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薬師寺 寺・神社・教会
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金堂 薬師三尊像
金堂内の白大理石須弥檀[しゅみだん]上に、中央に薬師瑠璃光如来、向かって右に日光菩薩[にっこうぼさつ]、向かって左に月光菩薩[がっこうぼさつ]がお祀りされています。
長和4年(1015)に撰述された薬師寺縁起で「瑪瑙[めのう]を以て鬘石となし、瑠璃[るり]を以て地となし之を敷く、黄金を以て縄となし、道を堺し蘇芳[すおう]を以て高欄[こうらん]をつくり紫檀[したん]を以て内陣天井障子となす」とあります。
息を飲みます。美しいです。
中学生の時にお会いしたままのお姿に、やっと薬師寺に来たのだと実感しました。薬師寺 寺・神社・教会
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薬師如来台座 【国宝】 白鳳時代
薬師寺 寺・神社・教会
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嗚呼・・・・・・・・・
薬師寺のシンボルとも言えた、東塔です。
知ってはいましたが、修復中です。西塔の如くキンキラになってしまうのでしょうか・・・薬師寺 寺・神社・教会
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東院堂は、養老年間(717〜724)に吉備内親王[きびないしんのう]が元明天皇[げんめいてんのう]の冥福を祈り、建立されました。奈良時代は現在地の東側に建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失しました。現在の建物は正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、弘安8年(1285)に南向きで再建されましたが、享保18年(1733)に西向きに変えられました。高い基檀の上に建つのは、水害・湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例です。堂内には、白鳳仏を代表する国宝 聖観世音菩薩が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護しています。
薬師寺 寺・神社・教会
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薬師寺の中で、私が唯一、ほっと安いだ東院道
薬師寺 寺・神社・教会
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床も軋んで、あまりお手入れされていないのかな・・・
薬師寺の中で、一番長く居た場所でした。薬師寺 寺・神社・教会
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聖観世音菩薩像 【国宝】 白鳳時代
あまりの美しさに、見入ってしまいました。薬師寺 寺・神社・教会
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薬師寺 寺・神社・教会
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中門は昭和59年(1984)に西塔に引き続き復興されました。その年、10月8日の落慶法要の時にはお扉だけを開きました。そして、その後昭和天皇さまが奈良で開催された「わかくさ国体」の開会式(10月10日)にお出ましになられ、その翌日に初通りを願える事が出来ました。また、平成3年(1991)には二天王像も復元されました。 回廊は、藤原京薬師寺では単廊であったとされていますが、平城京薬師寺では複廊と呼ばれる2重構造になっているのが特徴です。現在すでに第三期までが復興工事を完了しています。
薬師寺 寺・神社・教会
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中門の二天王像
薬師寺 寺・神社・教会
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中門の二天王像
薬師寺 寺・神社・教会
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薬師寺南門
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南門左に、この方向からの入口が有ります。1回出ても、チケットを見せたら入れて貰えました。
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休ケ岡八幡宮
南大門を出た南に薬師寺を守護する休ケ岡八幡宮があります。寛平年間(889〜898)に大分県宇佐から現在地に勧請[かんじょう]されました。現在の社殿は慶長8年(1603)の建物です。社殿は全体に西面し、本殿・脇殿とも小高い石積みの壇上に建っています。社殿の西、前庭の西側にある座小屋は修復が多いものの、社殿とほぼ同じ時期の建物で、中世に始まった宮座が受け継がれている貴重な歴史文化遺産とされています。休ケ岡八幡宮 寺・神社・教会
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薬師寺をでると、すぐ近くに薬師寺駅があります。
駅までの短い距離の間に、土産物屋が数件有り、そこで暖を取り、野菜ラーメンを食す。
ストーブの傍に座りなさい。と声を掛けて貰えたのも嬉しかった。西ノ京駅 駅
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西ノ京駅 駅
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近鉄橿原線の西の京駅から、大和西大寺駅は1本です。
西大寺とは、いったいどんなお寺なのでしょう。楽しみです。西ノ京駅 駅
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