2014/03/08 - 2014/03/08
1968位(同エリア6011件中)
pioさん
大人の遠足初参戦 集合は夕刻
午前中は、西の京近辺の唐招提寺・薬師寺・西大寺を周る予定。時間が許すなら、秋篠寺まで足を伸ばしたい。
世界遺産の王道コースだ。
奈良駅前よりバスで唐招提寺前まで行く。
朝始発の8時時台のバスに乗るのだが、バスを待つのは私と年格好の近いご婦人が1人。いかにも奈良の人では無いのがわかる。まだまだ3月の朝は寒い。白い息を吐きながらお互いを意識し、どちらともなく朝の挨拶を交わした。
彼女は九州の大学の教員で、奈良へ1日前乗りして、唐招提寺・薬師寺そして彼女は平城京跡を散策し、午後の学会のため、京都に向かうのだそうだ。
彼女と共通している点は、『時間に急かされるのは不本意』心ゆくまで見て、次への行程を急がず、行けなかったら行けないで良い。
そんな会話をしながら、15・6分程で唐招提寺前に到着。JR奈良駅から意外と近い。
唐招提寺の門で600円の拝観料を払い、「じゃぁ、お互いに良い旅を」と言って別れた。
- 旅行の満足度
- 5.0
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朝のシャワーを浴び、唐招提寺行きのバスの時刻を確認。
10番乗り場から、8時50分と、意外とゆっくりめの始発だ。スマイルホテル奈良 宿・ホテル
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一般的なビジネスホテルの朝食。
スマイルホテル奈良 宿・ホテル
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JR奈良駅から15・6分と、意外と近かった。運賃260円也。
平成10年(1998)金堂を含む唐招提寺の伽藍建築が世界文化遺産となりました。
唐招提寺は、天平宝字3年(759年)に鑑真和上が新田部親王旧宅の平城右京五条二坊の律宗の道場を開いたことに始まる。鑑真が天平宝字7年(763年)に76歳で入寂したのち、弟子の法載・義静・如法・豊安らが意志を継ぎ、平安時代の弘仁元年(810年)までに南大門・中門・東塔・金堂・講堂・鐘楼・経楼・食堂・羂索堂・三面僧房・温湯室・政所屋・炊殿・西井殿・甲倉などが揃った。 -
唐招提寺南大門。
左手にチケット売り場があります。
昭和35年(1960)に天平様式で再建されたもので、五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。
「唐招提寺」の四字を双鉤体(そうこうたい)に刻んだ扁額は、 孝謙天皇の直筆で、当寺創建の時に下賜されたと伝えられるのですが、
現在掲げられている扁額は複製で、実物は新宝蔵に収蔵してありました。唐招提寺 寺・神社・教会
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南大門をくぐると、金堂が見えます。
唐招提寺と言えば、この優美な金堂を思い描きます。唐招提寺 寺・神社・教会
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1998年より2年間に及ぶ建物調査が実施され、2000年から2009年までかけて
平成の大修理が行われました。唐招提寺 寺・神社・教会
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8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。
外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。唐招提寺 寺・神社・教会
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あ。見とれていたら、もう観光の方が・・・
どんだけ見とれていたのでしょう。。唐招提寺 寺・神社・教会
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*仏像の撮影禁止でしたので、唐招提寺さんのHPより拝借いたしました。
盧遮那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)
国宝 奈良時代(8世紀)
脱活乾漆 漆箔
金堂の本尊で高さは、3メートルを超え、光背の高さは、5.15mにもおよぶ巨像です。奈良時代に盛んに用いられた脱活乾漆造でその造形は雄大さとやわらかさを併せ持ち、唐代の仏像に通じる唐招提寺のご本尊にふさわしい仏像です。
また、背後の光背の化仏の数は、864体ありますが、本来は1000体であったといわれています。
唐招提寺 寺・神社・教会
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薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
国宝 平安時代(9世紀)
木心乾漆 漆箔
本尊、盧舎那仏坐像の向かって右側に安置される立像で、高さ3.36mです。
本尊、千手観音像にやや遅れる平安時代初期に完成したと考えられます。伏目がちな表情などから全体的に重厚な印象がある仏像です。
昭和47年の修理の際に左手掌から3枚の古銭が見つかり、その年代からも平安初期の完成であることが明らかになっています。
唐招提寺 寺・神社・教会
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千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)
国宝 奈良時代(8世紀)
木心乾漆 漆箔
本尊、盧舎那仏坐像の向かって左側に安置される高さ5.36mの立像。
大脇手42本、小脇手911本、合わせて953本の腕は、バランスよく配され不自然さを感じさせません。また、本来は1000本あったと考えられています。
全体的にのびやかな印象と、すずし気な目鼻立ちが印象的です。唐招提寺 寺・神社・教会
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*金堂の四天王像
国宝 奈良時代(8世紀)
木造・乾漆併用 彩色
四天王は仏教世界を護る護法神です。
本来は金堂の須弥壇の四隅に安置され、梵天・帝釈天立像と同時期、同一工房の作と考えられています。
四像とも丸みを帯びた顔は、やや平板な目鼻立ちながら重厚な表情で、体つきは全体に力強い印象を与えます。
持国天立像
国宝 奈良時代(8世紀)
木造・乾漆併用 彩色
金堂の須弥壇の東南に位置する四天王の一つ で高さ1.85m。
甲冑で身を固め口をへの字に曲げて剣を構える姿は、まさしく武装神といった趣をかもし出しています。唐招提寺 寺・神社・教会
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増長天立像
国宝 奈良時代(8世紀)
木造・乾漆併用 彩色
金堂の須弥壇の西南に位置する四天王の一つで高さ1.87m。
口を大きく開いた表情に、振り上げた右手には鈷(こ)を持つ姿は、まさしく魔物を威嚇する迫力があります。唐招提寺 寺・神社・教会
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広目天立像
国宝 奈良時代(8世紀)
木造・乾漆併用 彩色
金堂の須御壇の西北に位置する四天王の一つで高さ1.86m。
甲冑を身にまとい、右手に筆、左手に経文を持っています。表情は口を固く結び、静かな厳しさを感じさせます。唐招提寺 寺・神社・教会
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多聞天立像
国宝 奈良時代(8世紀)
木造・乾漆併用 彩色
金堂の須御壇の東北に位置する四天王の一つで高さ1.88m。
右手に宝塔、左手に戟(げき)を持ち、引き締まった表情でたたずむその姿には、広目天像と同様に静かな厳しさを感じます。唐招提寺 寺・神社・教会
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梵天・帝釈天立像
国宝 奈良時代(8世紀)
木造・乾漆併用 彩色
本来は、金堂本尊・盧舎那仏坐像の左右に安置されていたもので向かって右に梵天、左が帝釈天です。古代インドの護法神で、一対で造像されることが多い仏像です。
両像とも鎧の上に裳(も)をまとい、沓(くつ)を履き、梵天は、さらに袈裟をつけた姿となっています。
大らかな作りの表情は、柔和な印象をたたえています。唐招提寺 寺・神社・教会
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と。いう訳で、休憩所裏で一服。一息入れて・・・
一旦、境内を確認します。 -
講堂へ向かいます。
国宝 奈良時代(8世紀後半)
入母屋造・本瓦葺
平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、開放的な空間となっています。
外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。
天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。
内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されています。唐招提寺 寺・神社・教会
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弥勒如来坐像
重要文化財 鎌倉時代
木造
講堂の本尊で、高さ2.84m。
構造は、寄木造りで、目鼻立ちも大きくはっきりとした力強い表情で、この点からも鎌倉時代の典型的な仏像といえます。 -
持国天立像
重要文化財 奈良時代(8世紀)
木造
増長天と比較して、体躯の動きは多少ぎこちないが、細かく彫刻された衣紋の精巧さ、緻密さは同時代の木造像としてはあまり類例がありません -
増長天立像
重要文化財 奈良時代(8世紀)
木造
創建当時にさかのぼると考えられる木彫像。
そのずんぐりとした力強い体型は、唐代の仏像を手本としていたもので、鑑真和上とともに来日した唐人の作といわれています -
戒壇へ向かいます。
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戒壇
石段のみ鎌倉時代
金堂の西側にある戒壇は、僧となるための授戒が行われる場所です。創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。
現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1980)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。 -
戒壇入口の門には、三つ葉葵の彫刻が。
慶長元年(1596年)の大地震で多くの堂宇が倒壊したが、徳川綱吉と母桂昌院の庇護により復興しているとのことですから、浅からぬ関係が想像できます。 -
戒壇から鐘楼への径。
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鼓楼
国宝 鎌倉時代 仁治元年(1240)
楼造・入母屋造・本瓦葺
金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
外観は、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられています。 堂内の厨子には、仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。
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礼堂(らいどう)と東室
重要文化財 鎌倉時代
木造 入母屋造・本瓦葺
鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。
講堂を挟んだ西側にも同様の建物があり、僧房として使われていました。
礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像(重文)・日供舎利塔を安置しています。 -
宝蔵
国宝 奈良時代(8世紀)
校倉・寄棟造・本瓦葺
経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵です。
唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きいその堂々たる姿は、校倉の典型といえます。 -
経蔵と宝蔵
国宝 奈良時代(8世紀)
校倉・寄棟造・本瓦葺
礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、小さいほうが経蔵です。
唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。 -
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何でしょう・・・・あの棒は。。
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宝扇の竹の柄が数百?数千?干してるのでしょうか・・・
宝扇は、蚊でも殺生せず、追い払って命の尊さを考える事から始まったようですが、毎年5月19日に行われる鼓楼での「うちわまき」があるのだそうです。
「うちわまき」は奈良時代から続いている行事で、5月19日の梵網会の際に行われ、2時頃から講堂で梵網会が行われ堂前で舞楽奉納があり、4時頃からまかれるという。
この「うちわ」は現在は、雷難・火難・豊作・病気・安産・産児の健康など様々な願いを叶えてくれるらしいです。 -
新宝蔵に入りましょう。
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唐招提寺が伝える 多くの文化財を管理・収蔵するために昭和45年(1970)に建てられた鉄筋コンクリートの収蔵展示施設です。
金堂に安置されていた木造大日如来坐像(重文)のほか、旧講堂木彫群と呼ばれる、奈良時代末期に制作された多数の木彫像が収められています。
開館期間:3月1日〜6月30日、9月1日〜11月30日、12月31日〜1月3日
(※8月10日頃に数日間の臨時開館があります。)
開館時間:9:00〜16:00 -
素敵な石畳。
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新宝蔵で心をタップリ満たして、境内をなを 奥へ奥へ。
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境内の中で他に無い土塀の中は、また別の領域
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開山御廟の入口です。
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静寂の唐招提寺伽藍の中でも、一層静寂に包まれたところでした。
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開山御廟
境内の北東の奥まった静かな場所に位置する鑑真和上の墓所。
同時期の高僧の中では唯一、1250年の永きに亘って、参拝する人が途絶えません。現在は御廟前に和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。 -
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苔も美しい。
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日常は、御影堂へは入れません。
鑑真大和上坐像及び東山魁夷御影堂障壁画特別開扉が有って、(例年は5日から7日の3日間です。) 9:00〜16:00 場 所:開山御影堂
拝観料: 特別拝観料 大人500円 中高生300円 小学生200円
(上記以外に通常の拝観料が必要:大人600円 中高生400円 小学生200円)
開祖・鑑真大和上を偲び、国宝鑑真和上坐像を収めた御影堂の厨子の扉が特別に開かれ、そのお姿を拝観することができます。
また、それに合わせ東山魁夷画伯奉納の障壁画と襖絵も特別公開されます。 -
ガイドブックによれば・・・
境内の北側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりとした瀟洒な建物。元は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和38年(1964)移築復元したものです。
現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められています。
見たかったなー。 -
諦めて、本坊へ向かいます。
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本棒へ向かう途中に、開山堂があります。
開山堂は、境内の中央北に少し、高くなったところにありまして、
そこから金堂や鼓楼を見下ろすと、こんな感じです。 -
開山堂と鑑真大和上御身代わり像
開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を安置するため現在の位置へ移築されました。国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として参拝されていましたが、この度、御堂の老朽化をうけて改修工事を行い、鑑真大和上円寂から1250年になる平成25年(2013)、大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、再び開山堂として落慶致しました。 -
御身代わり像(御影像)は、年間数日しか開扉しない国宝の和上像に代わって、毎日参拝していただく目的で製作したものです。この像は奈良時代の脱活乾漆技法(特に国宝和上像)を忠実に踏襲した模造で、平成12年から始まった金堂の盧舎那仏修理時に得られた知見も生かされております。彩色は、国宝の和上坐像が江戸時代末期の火災で被った形跡を排除して、両頬や上衣、袈裟に残る当初の部分を再現し、正倉院に伝来する伎楽面と同様、密陀僧油を表面に塗布しました。これも今回の模造過程で国宝坐像を調査して判明した新知見です。 この平成御影像も国宝和上像と同じく、大和上の遺徳を永く伝えていく拠所となります。
と、ごちゃごちゃ言ってますが、つまり、レプリカです。
レプリカと言いつつ写真NGなので、堂の写真だけですけど。 -
土塀に沿ってドンドンいきますと・・・
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本坊
本坊も当然ながら、立ち入る事は出来ません。 -
本坊の中庭では、職員さん達が、せっせと夏に咲く蓮の壺を準備していました。
3月はまだまだ寒いですからね。屋外での水仕事は大変そう・・・
奈良のイベント「ロータスロード」の下準備ですかね。 -
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夏には、この壺も蓮が満開に。
丁度、この旅行記を書いている、このたった今、蓮の花が美しいはずです。
ロータスロードのHP↓
http://narashikanko.or.jp/lotus/tousyoudaiji.html
唐招提寺は、素晴らしいお寺でした。
派手な演出がなく静寂が、修行の場である本来の目的を大切に繋いでいるお寺だと、とても良く解ります。
お願いしていた御朱印帳を受け取り、薬師寺へ移動です。 -
金堂に再び礼をして、唐招提寺を後にしました。
薬師寺編に続きます。
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