2011/01/18 - 2011/01/23
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αρκαδια(アルカディア)さん
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あと1ヶ月ちょっとで発射されるH2Bロケット5号機(こうのとり)、超人気イベントのチケット争奪戦に勝利して、種子島行きを決めた方、おめでとうございます。
おっと、種子島への海路は、まだこれからが予約争奪戦でしたね。
今回5号機は、羽田〜鹿児島〜種子島〜鹿児島〜羽田の航空券、種子島滞在の宿泊予約、それに滞在中のレンタカーも確保したのですが、思うところあって全ての予約をキャンセルし、別のところからロケット打ち上げを見学することになりました。
振り返れば初めて種子島のロケット打ち上げを見たのは2011年1月のH2Bロケット2号機。
あの時は、今ほど予約体制を整えていなかったので、非常に難儀しました。
とりあえず、αρκαδιαの「初めてのロケット見学」を旅日記にしてみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- JALグループ
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-
「2011年の1月の20日15時29分に種子島よりロケットが打ち上げられる」ということを知ったのは、前年11月末のことだった。
とりあえず、JALのホームページで鹿児島と種子島を結ぶ飛行機の空席を調べてみると、約2ヶ月先の飛行機の席は、発売になってまだ間もないハズなのに既に満席だった。
なるほど、種子島のロケット打ち上げは人気イベントだとは聞いていたが、2009年に右往左往した皆既日食に準ずるくらい、予約合戦が熾烈なのだろうか…。
念のため空席待ちを入れて1ヶ月ちょっと待ってみたのだが、やはり飛行機の予約は取れず、年が明けた頃に諦めてキャンセル待ちを取り消した。
それから1週間程経ったある日、
そういえば、種子島へのルートは鹿児島から高速船という手も有ったなぁ…ということを思い出した。
どうせ満席だろうと思いながら、高速船の予約ページを開いて空席を調べてみたところ、意外なことに全ての便に空席があった。
打ち上げを見た後、最終の船までに西之表港に戻ることが出来れば、日帰りのロケット見学も可能ではないか…と思い、種子島→鹿児島の高速船の時間を調べた。
種子島を発着する高速船は、鹿児島商船の「トッピー」と、コスモラインの「ロケット」がある。
両方の船の時間を確認したところ、16時45分が最終便だった。
ロケットは15時29分に発射されるので、撮影機材を片付ける時間や、乗船手続きのことも考えると、
高速船が発着する島北部の西之表まで約40kmを50分ほどで移動しなくてはならない。
種子島の道路事情は良く分からないが、一般的に考えて無理のあるスケジュールだ。
鹿児島ではなく、屋久島に行く方法はどうかと思ったが、こちらは16時40分が最終だった。
つまり、南種子町で15時29分の打ち上げを見て、この日の内に高速船で種子島を離れるのは、ほぼ不可能ということが分かった。
やはり、高速船を使うにしても種子島で1泊することは必須条件のようだ。
ダメだろうと思いつつも、レンタカーの空き状況をネットで調べた。
これは、皆既日食の時に考えた、車中泊プランだ。
とりあえず車の中で一晩我慢すれば、翌日の船で帰ることができる…。
そういう算段なのだが、レンタカーは見事なほどに満車だった。
それはそうだろう。レンタカーのキャパシティというものは、飛行機や船といった島へのアクセス手段の席数に比べて格段に少ないものだ。
種子島といってもさすがに冬に野宿は無理だろう。朝の気温は5℃くらいになるらしい。
西之表市にあるファミレス『Joyfull』は24時間営業らしい。
皆既日食の時も24時間営業のファミレスで夜明かしすることを考えたのだが、いい歳をしてファミレスに8時間も10時間も居座るのもどうかと思うし、また、店の規模の割に夜明かし組が多かった場合、やはり野宿になってしまう危険性も排除できない。
そんな事を思い悩んでいるうちに、1/20に種子島西之表港近くのホテルに1室だけ空室が出た。
今後どんなルートを選ぶと、このホテルが活用できるのかは判らなかったが、とりあえず何かの頼みの綱になりそうなこのホテルを、大急ぎで予約した。
とにかく、ロケット打ち上げ後の1/20に西之表に宿泊できるということは、野宿なんかしなくても、翌日の船で帰ることができるということだ。
なんだか、「皆既日食物語」の再来になってきたぞ。
いまこの時点ではっきりしたのは、19日の朝一番の高速船で種子島に入り、なんらかの交通手段で南種子町へ行き、ロケットの打ち上げを見て、また、なんらかの交通手段で西之表に帰り、1泊した後で翌日の高速船で鹿児島港へ帰ることができる…ということだ。
西之表と南種子を結ぶ交通手段は、レンタカーが既にダメなのが判っているので、あとはバスかタクシーしかないだろう。
タクシーは片道11,000円、往復で22,000円にもなってしまうので、バスを一番に考えたのだが、またもや問題があった。
ロケットの打ち上げを見てからでは、南種子を出て西之表へ行くバスの最終便には間に合わないのだ。
南種子Aコープ前バス停を16:10に出るバスが、西之表行きの最終便なのだが、ロケットが見えるという場所(宇宙ヶ丘公園)はバス停から徒歩で2.6kmある。
打ち上げから多分5分間くらいは空を見上げているだろう。
それから10分で機材を片付けて、2.6kmの道程を25分ほどで歩くのは無理だろう。
タクシーを呼んで、「すみませんが、西之表行きのバスを追い掛けて、追い越して、次のバス停で降ろしてください」というのもなんだか…。
運転手さんにしてみれば、「お客はバスに追いつけと言っているけど、バスに追いつけない方が売り上げに繋がる…」という葛藤に当然悩まされるだろう。
やはりタクシーを使うなら、南種子から西之表まで一気に帰るべきか…と思った時に、もう一つのバスの存在に気が付いた。
それは空港連絡バス。
飛行機の発着に合わせて、空港と町を結んでいるバスだ。
最終便は18:05なので、この飛行機に間に合うように南種子からバスが運行されているはずだ。
そして、期待通りそのバスはあった。
16:45に南種子を出て17:30頃に空港に着くようだ。
そして、18:05に出発する飛行機は、17:40に到着する便の折り返し便なので、この到着客を町(西之表)へ運ぶバスも、運行されていた。
こちらは、18:00に空港を出発し、18:25に西之表に着く。
つまり、南種子から飛行機最終便への連絡バスに乗り、今度は種子島空港で飛行機からの連絡バスに乗り換えることで西之表まで帰ることができる。
ただ、いくぶん時間に余裕ができたといっても、若干の不安は残る。
ロケット打ち上げを見て機材を片付けて、宇宙ヶ丘公園からバス停までを45分程で歩くと、バスが出るまで15分程の余裕ができることになる。
しかし、バスが混んでいないか…、それが問題だ。
同じ事を考えている人が大勢居たら、バスに乗り切れないこともある。
その瞬間、2,000円ほどと予定していたバス代が、タクシー代11,000円へと一気に跳ね上がってしまう。それに、タクシーだってそんな簡単に手配できるか判らない。
他の手段は無いものだろうか…。
レンタサイクルでは遠すぎるし、レンタバイクという手もあるが、やはり、二輪車(原付)で撮影機材を運ぶのは難しいだろう。
こうなると、予めタクシーを手配しておくのが無難だろうか…という結論に落ち着く。
他にかかる費用は何だろうか?
鹿児島〜種子島の高速船が往復10,600円、鹿児島空港〜鹿児島市内のバスが往復2,400円、市内と港のタクシーが往復2,000円くらいだろうか。それに種子島でのタクシーが22,000円となると、鹿児島空港からの交通費だけで37,000円もかかる。
宇宙センターと西之表が南北に遠く離れているのがネックになった。
他に種子島へのアクセス手段は無かっただろうか?
そういえば昨年に企画倒れした「口永良部島への旅」の下調べの時に、屋久島と口永良部島を結ぶフェリーが種子島まで行っていることを知った。
そのことを思い出し、このフェリーの時刻を調べた。
屋久島町が運行している「フェリー太陽」という船で、偶数日と奇数日で時刻が異なる。
偶数日は、14:05に種子島に着き、14:45に出発する。
打ち上げは20日なので、予めタクシーを手配しておけばロケット発射に何とか間に合う。
また、島間港から宇宙ヶ丘公園までは10kmちょっとなので、タクシー代もだいぶ安く済む。
しかし、船はロケット打ち上げの前に島間港を出てしまうので、やはり打ち上げを見た後で、ホテルのある西之表に移動する問題は付きまとう。
せめて、南種子にホテルが取れたなら、翌日、奇数日ダイヤで10:45に島間港を出る船で屋久島へ行けば良いのだが、無いものねだりをしても仕方がない。
ここで、「ん? 待てよ?」と思った。
「フェリー太陽」というくらいだから、車を載せることが出来る筈だ。
屋久島旅行をメインにして、その中で1泊だけレンタカーごと種子島へ行くというオプショナルツアーを組むことも出来る。
料金を調べると、4m未満車の片道料金が6,360円、けっこう安い。
屋久島からなら、13,000円程で種子島を往復できる。2日分のレンタカーが11,000円前後だから、24,000円の交通費でロケットを見に行くことが出来そうだ。
早速、屋久島町の船舶課にフェリーの空き状況を訊いてみようと、電話を手にして番号を押し始めたのだが、「あっ!」と思って指が止まった。
そう言えば、さっき計算した種子島でタクシーを使った場合の交通費は、鹿児島空港発着だった。
いま、24,000円で済むと思った交通費は、屋久島発着だ。
鹿児島空港から屋久島への交通費を加算しなくてはならない。
鹿児島港から高速船が往復11,600円、鹿児島空港から鹿児島港の往復交通費2,400円を加えると14,000円にもなってしまい、結局は合計38,000円と逆に高くなってしまう。そして、鹿児島空港から屋久島までの飛行機往復は25,200円なので、さらに11,000円以上高くなる。
そもそも、屋久島というワンステップを入れること自体に問題があった。
その時に、もう1つの案を思い付いた。
「フェリーといえば、鹿児島から種子島に行く船も有るはずなので、鹿児島空港でレンタカーを借りて、そのままフェリーで種子島に持って行ってしまったらどうか?」
鹿児島と種子島を結ぶフェリーは、全部で4つの会社が運航しているようで、4m未満車+運転者1名の往復運賃が25,000円、19日の夜に鹿児島空港からレンタカーを9,800円で48時間借り、鹿児島港までの高速代やガソリン代を加えても、タクシーを使うのと費用自体に大差は無い。
それより、種子島での自由度が格段に高まるのと、空港〜市内〜港〜船〜ホテルと大荷物を持って移動する困難からも開放されることが非常に嬉しい。
よし、このプランに決めた。
鹿児島と種子島を結ぶ4つのフェリーの内、時間的にもっとも都合の良いコスモラインの「プリンセスわかさ」を選んだ。
この船は、8:40に鹿児島を出て、種子島に12:10に着く。帰りは種子島を14:00に出て鹿児島に17:30に着くので、帰りの日はなんとか鹿児島から羽田への最終便にも間に合う。
ただし、行きは鹿児島に前泊しなくてはならない。
19日にも種子島にホテルの空きが出たので、レンタカーが有るなら撮影場所の下見もできると思い、種子島には1日早く入ることにした。
ついでに鹿児島観光もしてしまおうと、18日の夜に鹿児島空港に行くのではなく、朝一番の飛行機で鹿児島入りすることを決めた。
最初に、一番厳しそうなフェリーの空きを訊いてみた。
残り4台程とかなり混んでいたのだが、なんとかフェリーの予約は間に合った。
種子島の宿もOK、羽田〜鹿児島の飛行機もOK、種子島往復のフェリーもOK、鹿児島空港のレンタカーもOK、鹿児島の宿泊は調べる必要も無いだろう。これで、予約の問題は全部クリアできた。
こうして、18日に鹿児島に入り観光した後で1泊し、19日の朝のフェリーで種子島に移動、現地で下見をしてから1泊し、翌日はロケット打ち上げを見て、それからもう1泊して、21日にフェリーで種子島を離れ、そのまま鹿児島空港から羽田に帰るプランを組んだ。
予算としては、
羽田〜鹿児島:マイルを使ってタダ。
レンタカー(96時間以内):16,800円
鹿児島宿泊:5,000円
種子島宿泊:9,975円×2泊
フェリー:25,000円
これに、食事代やガソリン代だ。 -
1月18日、出発の朝、羽田を8:05に出る鹿児島行きのJALに乗った。
搭乗口で「クラスJはご予約のお客様で満席になりました」という、クラスJキャンセル待ち客向けのアナウンスがあったので、飛行機はほどほど混んでいるのかと思ったのだが、普通席は恐ろしいほど空いていて、たぶん、3割程度の搭乗率だった。
これならば、ちょっと椅子が広めのクラスJに隙間なく座るより、普通席で隣の席も荷物置き場に使って広々と座った方が良いだろう。
羽田を飛び立って暫くすると、お決まりの富士山が右手に見えてきた。
時刻は8:35、まだ太陽が20度以下と低い高度なので、富士山の北西側に影富士が見えている。
もう少し早い時間の方が、面白かっただろうと思いながら、数枚写真を撮った。
南アルプスを越えると、雲が多くなって来たために、眠ることにした。
飛行機が鹿児島空港に着くと、レンタカーの手続きを済ませた。
配車された車はマツダのデミオ。
荷物も積んで、さぁ出発しようとすると、「あ、ちょっと待ってください!」と営業所係員が言った。
タイヤに釘のような物が刺さっていた。
「車を取り替えます」と言う。
代わりにセダンが来たら4m以上車になってフェリーの代金が上がるので困る、先に言うべきだろうか。それから、車種が変わるのなら、トルク感の無いヴィッツはあんまり好きじゃないな、出来ればフィットかコルトが良いなぁ…なんて思っていたら、駐車場からホンダマークの付いた車が出てきたので、
「良かった、フィットだ!」と思ったのだが、なんかちょっと格好良い気がする。
洗車機の中へ入って行くフィットの後ろ姿を目で追った。
後部左側にFitのエンブレム、そして、右側にも何か字が書いてあった。
コレはもしや…と思って待っていると、「フィット・ハイブリッド」が配車された。
2クラス上の車を、同じ料金で4日間も借りてしまった。
レンタカーの営業所を出発すると、さっそく霧島への山道を駆け上がり、一番上の“えびの高原”を目指したのだが、途中からチェーン規制が出てしまい、一番上までは行けなかった。
霧島の山道を走りながら思ったのだが、このフィット・ハイブリッドは素晴らしい。
ハイブリッドシステムは、トヨタのプリウスに比べるといくぶん簡易的に思えるのだが、減速時にモーターで発電してバッテリーに貯め、加速時にその電気でモーターを回してパワーアシストしてくれるだけで十分だと個人的には思う。
プリウスは非常に複雑な制御がされていて、場面によってはエンジンを止めてモーターだけで走ったりもするのだが、フィット・ハイブリッドは走行中常にエンジンが動いていたような気がする。
下り坂でブレーキを踏む、エンジンブレーキを使う、赤信号で止まる、これらの操作は運動エネルギーや位置エネルギーを熱に換えて捨てていることに他ならない。
変換効率100%ではないので、それなりにロスはあるのだが、今まで積極的に捨てていたエネルギーを電気エネルギーに換えて、また使えると思うと、ブレーキを踏むのが楽しくなる。
“えびの高原”まで上がれない代わりに、霧島温泉で日帰り湯にでも入ろうかとも思ったのだが、ここでちょっと迷った。
辺りは硫黄泉の温泉らしい良い臭いがしていて、入りたい気分は盛り上がるのだが…、今回、撮影機材が多かったので、そのぶん、着替えを減らしてきてしまった。
だから、下着は毎日換えるとしても、その他は同じ服を2〜3日着るつもりだった。
そういう事情だから、初日に早速、服が硫黄臭くなってしまうと困るのだ。
日帰り湯の駐車場で10分ほど考え込んだのだが、
「そうだ!今夜の鹿児島のホテルには確か温泉大浴場があったはずだ!」自分を納得させて山を降り、鹿児島空港でヒコーキ撮影をした。 -
ここに来るのはいつ以来だろうか…。以前は入り難かった滑走路南端に道が整備され、かなり飛行機に近いところまで行けるようになっていた。
フェンスぎりぎりまで行くと、ちょうどB737が離陸するところだったのだが、飛行機が離陸滑走を始めると直ぐに滑走路の方から強烈な風が吹き付けた、ジェットエンジンの噴射による風なのだろう。
これはもしかすると…、
「B777ではもっと凄いことになるのでは?」と思い、1時間半程その場でANAのB777を待った。
カメラ(EOS)を置いて、代わりにビデオカメラを構えた。
滑走路中心線上に停止したB777のエンジンから一瞬黒煙が吐き出され、エンジンパワーが上がったことが判る。数秒遅れて飛行機のほうから強烈な風が吹いてきた。
日本の空港でこの突風は、最強クラスではないだろうか?
ぜひ次は、(娘でも良いから)長い髪の女性を連れて来て、ここで突風撮影をしてみたい! -
それと、もう一つ気になったものがある。
この山はなんだろうか?
鹿児島で煙を吐く山といえば桜島が有名だが、空港から桜島の方を向いて、背中側に白煙を吐く山があった。
この山が、後に「空振」という名を世に広める爆発的噴火をした新燃岳なのだが、この時はもちろん新燃岳という名称は、頭の中に全くなかった。 -
鹿児島市内に下りて、ホテルで風呂に入ると、最終日のための下見に出かけた。
最終日は船の到着が17:30、車を17:45に降ろせたとして、19:45の飛行機に乗るためには1時間ほどで鹿児島空港に行かなくてはならない。
しかし、通勤時間帯と重なるために、港から高速道路まで市内を越える道がけっこう混むのだ。
特に国道3号線が右折する交差点がネックになることが予想される。
ここを回避するルートを探しに行った。
何パターンか試走しながら、カーナビに目印となるポイントを記憶させた。
それから今度は種子島の下準備だが、家でファイルにコピーしてきた地形図をコンビニへ行ってA3用紙にプリントアウトした。
そういえば、桜島がうっすら雪化粧していた。
九州の一番南にある火の山で雪が見られて、ちょっと得した気分だった。しかし、その気候ってロケット発射にはあまり良くないということを、この時はまだ知らなかった。
夕飯はドルフィンポートにある『新穂花』の奄美鶏飯を食べたかったのだが、ホテルから4km程離れているので車で行かなくてはならない。しかしなんだか、種子島入りの下準備を色々と済ませたら、夕飯を食べながら軽く飲みた気分になってしまったので、ホテルに戻ってレストランで済ませた。
一応メニューに鶏飯があったのでご飯代りにオーダーしたのだが、やっぱり、鶏飯は鶏飯専門店以外で食べるものではない…と反省した。
それにしても、今まで何回反省したのだろう。
メニューに「鶏飯」と見ると、ついオーダーしてしまう自分の性が怖い -
19日の朝、目覚まし2個をかけて6時に起きた。
フェリー出港は8:40、通常の乗船手続きは7:40頃だけど、この日は混んでいるのでいつもより早目、7:10頃には港に来て欲しいと予約の時に言われた。
ホテルをチェックアウトして、途中、コンビニで朝食を買ってから、港で乗船手続きを済ませた。
指定された待機場所には、大きなパラボラアンテナを載せたTV局の中継車が2台、テレビクルーを乗せたワゴン車が数台先に停まっていた。
イベント気分が盛り上がるところだが、種子島地方の明日の天候は曇り時々雨、ロケットは予定通りに飛ぶのだろうか、それが非常に心配だ。というのも、ロケットはあれほど強力なエンジンを積んで、あんなに派手に上昇するくせに、実は熱気球並みに悪天候に弱いという。
強風があってはダメ、雨も雪もダメ、雷雲もダメ。
考えてみれば、かつては飛行機だって晴天でなければ危なくて飛べない時代があった。
ロケットは乗り物(輸送手段)として未成熟、つまり、まだ子供なのだろうか?
それともこういう乗り物は、既に人類の技術の限界に近いところまで来てしまっているのだろうか?
そんなことを考えながら車の中で待っていると、乗船案内があり、係員の誘導に従って車をフェリーの中に車を進めた。 -
良かった…、このフェリーは頭から入って良いようだ。
時々、小さめのフェリーでは、バックで入れてしかも中で少し曲がることを要求される。
自分の車でも結構大変なのに、レンタカーではもっと苦労する。
船員が積み降ろしをやってくれる船もあるが、自分でやるのだと聞くと、目の前が少し暗くなる。
しかしこの船の場合は、頭から入れて、中で落ち着いて切り返しをするという、私にとっては理想的な搭載方法だ。
ちなみに、大きなカーフェリーでは、車両甲板の出入り口が2つあるので、出発地で入り口から前進のまま積み込んで、目的に着くと前進のまま出口から車を降ろす。
これだと、1回もバックすることが無いので、私のような車庫入れ下手くそドライバーでも、容易にフェリーへの車の積み降ろしをすることが出来る。 -
車を積み終えると、コンビニの袋とカメラ、それから、パソコンを持って客室に上がった。
なにしろ、まだ8時前。種子島到着まで4時間半以上ある。
私は、船内最全部のプロムナードデッキのテーブルと椅子に荷物を置いた。
本来ならココは、乗客が交互に前方の景色を見て楽しむ場所なのだろうが、あまり人の出入りも無かったので、そのまま目的地まで陣取ることにした。
朝食のおにぎりとパンを食べ終え、カメラを持って船内を一回りした。
考えてみれば、パソコンはテーブルに広げたまま、財布が入ったカバンも椅子の上に置いたままだった。
どうも島旅に出た途端に、貴重品の管理がルーズになる。
カメラを持ってふらふらしていると、出港10分前のアナウンスが入った。
「本船はあと10分で出港します、船内に居るお見送りの方は、お早めに下船してください。」
あぁ、見送りの為に船に乗って良いのか?
鉄道では確か「入場券では列車の車内に入ってはいけない」という、誰も気にしたことがない規定が有ったと記憶しているが、船の場合はどういうルールなのだろうか…と思った。
そして、5分前のアナウンスが入り、間もなくタラップが外され、フェリーは出港した。
しかし、船に乗った時から、前方の海に停まっている物が気になっていた。
太い煙突状の突起を持った黒いクジラの背中のようなもの。後方から白煙を吹いている。
望遠レンズで覗いてみたかったが、車に置いてきてしまい、手元には標準レンズしか無い。
だけど、形からして、あれは潜水艦だろう。何をしているのだろうか?
もう少しすると、船が近くを通りそうなので、その時にもう一度よく観察してみることにした。
数分後、フェリーはその黒い物体の右側を通過した。
やはり潜水艦だった。
船員らしき人が、数人甲板上に立っていて、後方からは相変わらず白煙が出ている。
これは、故障か何かトラブルだろうか? それとも、潜水艦というのはそういう物なのだろうか?
結論が見つからないまま、潜水艦はフェリーの後方に過ぎ去ってしまった。
ところで、日本の潜水艦というのは、太平洋戦争当時から今まで、基本的な仕組みが変わっていないって知っていただろうか?
日本の潜水艦の基本的な動力は、他の船舶と全く同じように、ディーゼルエンジンらしい。
だから、ディーゼルエンジンで走りながら潜航することは出来ない。
空気が無ければ、エンジンが動かないからだ。
それじゃ、どうやって潜航するのかというと、電気式、つまり、モーター駆動らしい。
航行する時は水面に出てディーゼルエンジンで走り、同時に発電機を回して電力をバッテリーに蓄え、作戦行動(潜航)する時は、エンジンを止めて貯まった電気でモーターを回し、水面下に潜るらしい。
つまり、70年も昔から潜水艦は一種のハイブリッドだったということだ。
これに対して原子力潜水艦は、動力に空気を必要としない為、本当にずっと潜っていられる。
なんでも話によると、乗組員が飲む水は逆浸透膜を通して海水から取り入れることができるし、生きる為に必要な空気だって、特殊な膜で海水から取り込めるとか、水を電気分解して作るとか…、そんなことを聞いたことが有る。
原子炉の燃料は非常に長持ちらしく、食料さえたっぷり積めば1年でも2年でも潜航可能だそうだが、実際には6ヶ月に1回は浮上して、軍港に入港するらしい。
これは、あまりに長いこと潜航を続けていると、外の景色を見られずに乗組員の気が狂うからだそうだ。
艦の潜航能力よりも、それを操る人間の精神の方が耐えられない…というのは、
これも一種の『行き過ぎたハイテク技術』だと思った。 -
目的地まではまだまだ3時間はかかる。
私は船のテーブルでパソコンに向かい、今回の旅日記を書くことにした。
昨日から今日までのことを簡単に書き終え、窓の外を見る。
相変わらず空は灰色の雲に覆われている。今日の種子島の天気予報は「曇り時々晴れ」、明日は、「曇り」だったが、南種子町の3時間毎予報を見ると、今日も明日もずっと「弱雨マーク」が続いていた。
悲観的なことを考えれば、今までのパターンからして、今回の天候では延期の可能性が大だ。
灰色の低い空にちょっと憂鬱な気分のまま、フェリーは種子島西之表港に接岸した。 -
自動車やコンテナが満載されたフェリーの車輌甲板で下船準備をして待つ。
すると間もなく、低い機械音と共にフェリーの巨大な扉が開き、車輌甲板に光が差し込んできた。
船員の誘導に従って、一台ずつ車両が動き始める。目の前に停まっていた装甲車のようなTV中継車も、1台、2台と動き始め船を下りて行った。
種子島を走りだすと、私の前がKYTと書かれたTV中継車、私の後ろが鹿児島読売テレビと書かれたワゴン車だったので、最初の交差点で後続のワゴン車を先に行かせた。
そして、TV局の中継車、TVクルーを乗せたワゴン車という隊列の後尾に付いて、私は国道58号線を南下した。
TV局は宇宙センターに行くのだろう。
関係者・報道陣用の特別観覧席(報道席)が用意されているはずだ。すごく羨ましい。 -
私は、ロケット打ち上げ見学スポットの一つである、宇宙ヶ丘公園に向かった。
打ち上げ場所からの距離は7kmちょっとあるという。
ロケットの足元が少し森に隠れているが、よく見えそうだ。
他に2人、カメラを持った男が居たが、挨拶だけして言葉は交わさなかった。
次に、宇宙センターへ向かった。
白い砂浜、断層模様がくっきり見える岩山、夏の太陽を浴びると沖縄のように海が青いらしい。
種子島宇宙センターは、「世界一美しいロケット発射場」と言われている。
他の国の宇宙センターは一つも行ったことが無いのだが、見た限り確かにそうかも知れない。
また、その事実を、殆どの都会人はらないだろう。
これだけ、宇宙開発における日本の地位や重要性が高まった今、「ロケット発射場」という控え目な言い方ではなく、「宇宙港」と言いきって『世界一美しい宇宙港』として、もっとその存在感を世に広めても良いのではないかと思った。
それにしても、島中のレンタカーが出払っているだけあって、この日は今まで見た中で一番、(私を含め)観光客が多かった。
私は、レンタカーにビデオカメラを取り付けて、撮影しながら宇宙センター内を適当に走り回った。
資料館のところに駐車場があるので、その先は立ち入り禁止区域だと勘違いして奥まで行かない人が多いが、実は結構いろんな場所を車で自由に走り回れる。
立ち入り禁止の場所には立て札、フェンス、守衛所、何れかが有るので、それを見たら引き返せばよい。
最初の発射台跡には行けるし、エンジンの燃焼テスト場の直ぐ近くも行ける。もちろん、テスト時は遥か彼方から立ち入り禁止だろうけれど。 -
また、中には入れないが、プレス用の展望所には外階段から上がることが出来る。
この展望所は、自然の岩山をくり抜いてコンクリートの建物を嵌め込んだような形になっていて、ちょっとSF映画のように格好良いので、行った人はぜひ見て欲しい。
宇宙センターを出ると、次のロケット見物スポットへ向かった。
ここは自治体が推奨する公式の場所ではなく、どちらかというとマニアが見つけた「秘密のスポット」的な場所だ。「平山の断崖」などと名付けられている。
家で作ってきた、この名も無き場所への案内図通りに車を走らせた。
目印は平山郵便局。カーナビを操作する際に、郵便局は比較的目印に良い。
長年同じ場所意あるから、少々古いカーナビでも迷わずに行ける。
そして、「郵便局から東へ360m、次は東北東へ910m、南へ入る路地へ…」というように、目印無き道を走った。
しかし、ネットで見た情報によると、この「平山の断崖」は私有地らしくて、最近立入禁止にされてしまったらしい。まぁ、私有地なら仕方がない。
取りあえず見ておこうと、車を路地に乗り入れた。
砂利道を700mほど走った時に前から1台の車が来た。
レンタカーかと思ったのだが、年配の男性2人が乗った地元の車のようだった。
道が狭く擦れ違えないので、相手に少しバックしてもらい、私は左手の道が膨らんだ場所に車を入れた。
どうも…と右手を上げて挨拶すると、相手の車の窓が開いた。
「延期になったよー! 知っているかい?」
『えっえぇ〜〜〜〜!』
恐れた事態に、絶句した。
かなり激しく気が動転したが、とりあえずこの道沿いの下見は続けることにした。 -
車を発進させ数百メートル走ると、海のほうへ入る道の入口を軽ワゴン車で遮断し、私有地に付き立入禁止という張り紙が出ていた。
う〜むやはり「平山の断崖」に入れないという話は本当だったのか…。
遮断されていない方の道をもう少し行くと、かつて旅館があったらしい。
いまは廃業しているということだが、「恵美の湯」と呼ばれるロケット鑑賞スポットだそうだ。
主は気さくな人らしいが、そうなると、種子島に通い続けるロケットマニアが友達になり、当日はこの場所を埋め尽くしている可能性が高い。
きっと、一見さんが入って行ける雰囲気では無さそうだし、手土産も持ってこなかった。
そう思い、「恵美の湯」の手前で車の向きを換え、表通りへと戻った。
ここで、宇宙センターにもう一度行き、宇宙科学技術館の案内所でロケット打ち上げ延期について確認をしてみた。
悪天候の為に打ち上げは延期で、20日の予定から22日以降になったということは判ったのだが、代替の打ち上げ日時は未だ決まっていないという事だった。
とりあえずは、せっかく地図を準備してきたのだから、見学スポット巡りを続けることにした。
次なるスポットは、名も無き山中の道だ。
ここは、地形図で見る限り、標高100mほどの山頂近くを道が通り、この場所からロケット打ち上げ場所へは遮蔽物が無いことになっている。勿論、地形図からは立ち木までは判らないので、実際に行ってみて見えるかどうかは不明だが。
家で作ってきた案内図をもとに、車を走らせた。
そして見えてきたのは、なんだか見覚えのあるプレハブの監視小屋だった。
ロケットを見に来たのは初めてだが、種子島に来たのはこれで3回目。
前に来たときも、その前に来たときも、この監視小屋が気になっていた。
しかしその時のそれは、宇宙センターへ行く途中の道の傍らに建っている小さなプレハブ小屋に過ぎなかったので、たいして気にも留めなかった。
しかし今回は違う。
私が行こうとしている道の入口を見張っているのだ。
近くに車を止め、監視小屋に歩み寄った。
しかし、小屋は無人だった。 -
小屋には、「上里林道入口警戒所」と小さく書いてあった。
とりあえず、立入禁止とは書いていないが、道を遮るように小さな土嚢がいくつも置かれ、赤外線式なのか音波式なのか判らないが、侵入者センサーも設置されていた。
そして、監視カメラもこちらを向いている。
嫌というほど、「近付くな!」オーラが出ていた。
インターホンでも付いていれば、この監視システムの主に直接聞きたかったのだが、それらしいものは見当たらなかった。
カメラに向かって手を振ってみたのだが、何も反応が無かった。
これについては、警察で聞いてみることにした。
確か宇宙センターへ向かう道の途中に、駐在所が有ったはずだ。
そして、その駐在所に行ってみると、今は使われていないのか、無人だった。
明日、時間が有れば、警察署にでも問い合わせてみることにした。
次は、もう一つの山中の見学スポットだ。
こちらは、道路地図にも載っている道沿いなので、林道などではなく普通の舗装路だろう。
左右を木々に囲まれた坂道を上がると、視界が少し開けて、森と森の間に発射台が見えた。
地形図どおりだ。
ただ、宇宙センターが見えるのは、車2台分くらいの僅かなスペース。
誰かが先に車を停めてしまったら、もうココでは撮れないし、そもそも、道幅が狭い上に側溝がある為、ここに路上駐車するのは迷惑かも知れない。
そう思って、もう少し車を進めると、砂利採石場のような所から、発射台が見えた。
しかし、ダンプが出入りして危ないので、当然、ロケット打ち上げ時も立ち入り禁止だろう。
道路から盛土越しに撮ろうかと思ったのだが、土埃が凄まじく、カメラのズームレンズの中に入りそうなので、ここは止めておこうと思った。
また少し走ると、一気に視界が開けた場所に駐車場があり、さらには宇宙センターに向かってコンクリートで階段状の観覧席が作られていた。
なんと、ガイドには載っていなかったが、ここにも見学スポットが作られていたのか。 -
こうして、当初の予定通りロケット見学場所を色々と下見をしたのだが、延期となってしまった今は、ただ空しいだけである。
ここで、滞在を延期できないものか…と考え、種子島の宿泊を探してみた。
すると、僅かではあったが21日にも22日にも空室は有った。
次に、帰りのフェリーを変更できないものかと思い、船会社に電話をしたところ、こちらも後日の空きがまだ十分に有った。
これで、レンタカーを延長して使えるのなら、そのまま何日か、種子島に居残ることができる。
22日の土曜日に地域のことで大事な予定があったのだが、これは兄にお願いしてしまおうと思った。
そして、レンタカーの店舗に電話をかけ、私がいま借りている車に、その後の予約が入っているかどうかを問い合わせた。
すると、非常に残念な答えが返ってきた。
私が返却する2時間後に、次の人が借りる予定が入っているそうだ。
レンタカーの予約は、本当は21日の夕方返却で良かったのだが、料金が同じだからという理由で、貧乏根性を出して22日の朝までレンタルしていた。
配車されたときは珍しい車種に大喜びだったが、こうなると台数の少ない車を配車されたことが完全に裏目にでた。
たぶん、最初に予約したのと同じクラスだったら、延長可能だったのだろう。
滞在延長の夢も砕け、私は西之表市まで40kmほどを走り、ホテルにチェックインした。
ホテル内は弱々しい電波だが、なんとか無線LANが使えるようで、部屋でPCを開き、今後の方策を考えることにした。
まず、はっきりと判っていることは、レンタカーを22日の朝までに鹿児島空港に返さなければならないということだ。
そのためには、予定通り21日午後のフェリーに乗らなくてはならない。
いっそのこと、キャンセル料はかかってしまうが種子島2泊のうち後半1泊をキャンセルして、20日の内に鹿児島へ帰ってしまうおうか。
そうすれば、21日は予約していた鹿児島⇒羽田の最終便ではなく、朝でも昼でも前便に変更して帰ることが出来る。
種子島宿泊のキャンセル料を払って、鹿児島で宿を取り直しても、種子島の宿泊代が割高な為に、差額約3000円が浮く。それに、21日朝の飛行機で羽田に帰ることになれば、レンタカー1日分の差額4000円も浮く計算だ。
敗走するなら早い方が良いだろうと思い、2泊目のキャンセルをフロントにお願いした。
それから部屋で、つながりの悪いインターネットを使い、21日と22日の飛行機、船、レンタカー、ホテルなどの空き状況を調べ、もしも鹿児島に帰った後でロケットの打ち上げが判った時、再び種子島に戻って来られる可能性は有るのか無いのか…、それを調べた。
しかし、検索している間にも刻々と空き状況が変わっていく。
その中で私は一つの賭けに出た。
もしも、ロケットの打ち上げが、丸2日遅れの1月22日午後になったら、鹿児島から朝一番の飛行機で種子島に来て、レンタカーさえあればロケットの打ち上げを見に行くことが出来る。
飛行機の予約は、何を考えてそうしたのか、実は自分でも良くわからないのだが、この旅行に出発した1月18日に、もちろん延期の報を聞く前に、22日に空路再び種子島に渡り、24日の鹿児島へと帰る席を予約していた。飛行機の予約は、予約した日を含めて3日間有効だから、20日の24時までこの予約は生きている。
そして、これがいきなり役に立つかも知れない時が来た。
レンタカーさえ有れば…なのだが。
そして、いつも使っているオリックス・ジャパレンの予約サイトを見た。しかし、満車。
次にニッポンレンタカーの予約サイトを見たのだが、こちらも満車。
次に見たバジェットレンタカーには空きがあったのだが、「種子島はカーナビ未装着です」という但し書きが有った。どうも、種子島の道は覚え切れていないし、それに、時間配分もしなければならないので、“ナビ無し”は少々厳しいものがあった。
そして次に見た日産レンタカーの予約サイトで、希望通りの空車を見つけた。
22日の朝から24日の朝まで…と予約しかけて、いや待てよ?
もしも21日に種子島宿泊が取れたならば、21日の朝にレンタカーを鹿児島空港で返して、バスとタクシーで鹿児島港に行き、高速船で種子島に渡ることが出来る。
そうなると打ち上げが22日午後ではなく早朝になった場合でも、発射に間に合う。
21日の渡航も考慮に入れて、レンタカー予約を21日夕方から23日夕方とした。
とりあえず、こう予約をしておけば、後で短くすることは出来るだろう。
「再渡航に賭ける」ことにした以上、鹿児島から羽田の飛行機を変更しなくてはならない。
この日は19日なので、帰りの飛行機を23日に変更する最終期日だ。
JALの特典航空券は空席があれば4日先以降の日程になら変更ができる。だから、一旦23日に変更してしまうと、22日以前には戻せなくなる。
こうして、鹿児島⇒羽田の航空券を、21日から23日に変更した。
さぁ、もう元には戻れない。
次に、22日の種子島宿泊を押さえた。何が起こるか判らないので、23日の宿泊も予約した。
これは、キャンセル料が前日(21日)からしかかからないホテルを選択した。
ISSに向けたロケット(補給船)の打ち上げは、概ね48時間前に最終の軌道計算をして、正確な発射時刻を決定するとJAXAが言っていた。
だから、20日の23:50頃まで待って、打ち上げの発表が無ければ、22日の打ち上げは無いと見て、22日の種子島の宿泊をキャンセルすれば良い。
それでも、宿をキャンセルしてしまってから、23日の未明とか早朝に打ち上げられることになったらどうするって話になるが、その場合は車で夜更かしでも構わない。
そもそも、未明の打ち上げなら、ホテルに泊まる意味が無い。
これで22日と23日の種子島の宿泊が取れ、21日夕方から23日夕方のレンタカーも確保できた。
21日は何処に泊まろうか、何をして過ごそうか、身の振り方を決めかねているが、とりあえず、打ち上げが22日か23日になった場合には、これで対応できる。
あとは、今日の内に出来る限りの事をやっておこう。
鹿児島〜種子島を結ぶ飛行機は、打ち上げ延期が決まった途端に22日以降の便が軒並み満席になった。
私は旅程の自由度を高めるために、手当たり次第に飛行機のキャンセル待ちを入れてみた。
これが、キャンセル料を発生させずに出来る精一杯のことだろう。
それから、翌日(20日)の夜は高速インターネットが必須となった。
最初は、霧島温泉にでも入ろうかと思ったのだが、ネットが無いと、この大量の予約操作を携帯電話でしなくてはならない。そこで、「部屋でインターネットが使える」を条件にホテルを検索して、鹿児島市内に20日の宿泊を決めた。
他に問題点はないだろうか?
そういえば、着替えを持ってきていない。
荷物は「+1日分」しか用意していないので、元々の予定より1日分しか服の予備が無い。
21日夜の着替えで在庫が全て終わってしまう。
全ての荷物をひっくり返して、衣類をもう一度数えてみた。
すると、なぜかパンツだけは、下着泥棒並みにたくさん持っていた。
これは、いつ日帰り湯を見つけても良いように、手荷物のリュックにタオルとパンツを入れて、いつも持ち歩いていたからだ。
寒いので、セーター等の服は、殆ど取り替えなくて良いだろう。
困ったのは靴下だ。
ためしに、お風呂に入った後で、さっきまで履いていた靴下を、もう一度履いてみた。
べつに臭くはないが、なんか気持ち悪い…。
せっかく身を清めたのに、なんだかそれが無になるような淋しい気分だ。
そういうわけで、鹿児島に戻ったら靴下だけは買うことにした。
これで、この日(19日)の内に出来ることは全てやった…と思う。
翌朝(20日)目が覚めると、さっそくネットで飛行機のキャンセル待ち結果を調べた。
しかし、新たに取れた予約は無かった。
いまのところ打ち上げ日は22日と読んでいるのだが、その前日である21日はどういうわけか全便に空席があったので、この日の朝一便だけとりあえず追加の予約を入れておいた。
21日が全便空席というのは、きっと種子島の宿が取れないから、この日から島に行こうって人が居ないのだろう。特に朝一番の鹿児島⇒種子島の便は空席が多かった。
実はこの朝一番の「鹿児島⇒種子島」の飛行機、東京や大阪からの乗り継ぎが出来ない早朝便であるため、普通運賃12,600円のところ、特便1という割引運賃が6,000円という激安なのだ。
高速船が5,800円だから、飛行機と思えないほど安い。
とりあえず直ぐに何かに活用できるものではないけれど、今後何かに使えるかも知れないので、購入期限である今夜までキープしておくことにした。
それにしても、ロケットの打ち上げはいつになるのだろうか?
今日1日待って、代替日が発表されなかった場合は、JALの特典航空券は棄てて、スカイマークのチケットを買って、21日に羽田へ帰るつもりだ。
チェックアウトをして、キャンセル料などの清算を済ませ、とりあえずは宇宙センターに向けて車を走らせた。もしかしたら、何か少しでも早い情報があるかも知れない。
車を走らせて20分ほど、進んだ時に携帯電話が鳴った。
先ほどチェックアウトしたホテルからだった。
「つかぬ事をお聞きしますが、ロビーに大きなスーツケースをお忘れになっていないでしょうか?」
が〜ん…っと、やってしまった。
最近忘れ物が多いが、とうとうあんなに大きな荷物を忘れてきてしまった。
ボケが始まったか? いや、きっと打ち上げ延期によるショックと、代替日程がまだ発表されないストレスによるちょっとしたミスだ…と自分に言い聞かせた。
そしてミスは続く。
どうせ午後に西之表港からフェリーに乗るのだから、「後で取りに伺います」と言えば良かったのに、完全に気が動転して「いま直ぐに取りに行きます」と言ってしまった。
あぁ…、これで40分のタイムロスだ。
忘れた荷物を受け取って、宇宙センターに向けて車を走らせながら、途中でロケット見学スポットになりそうな場所をもう一度探して歩いた。
ところが、宇宙センターは上手いこと、森や岬に隠れて、方角的にはそこに在るはずなのに、どうにも見えそうで見えない。前もって地形図で見つけた所以外に、新たな見学スポットを見つけられないまま、宇宙センターが近付いてきた。
こうなるとやはり、あの監視された道が気になって仕方がない。
書いてはいないけど、本当に立入禁止なのだろうか?
もう一度あの道の入口に行き、監視カメラの前に立ってみた。
しかし、何も話しかけてはくれない。これはもう、警察で聞くしかないと思い、宇宙センターへは行かずに、最も近い町である南種子町を目指した。
南種子町に行ったのだが、どうにも警察が見つからない。
カーナビの周辺検索で、公共機関→警察署を検索しても「近くにありません」の返答だ。
代わりに聞けそうな場所を求め、南種子町役場に行ってみた。
さて、町役場の何処へ問い合わせれば良いのだろうか?
とりあえず「総務課」を訪ね、持ってきた地図を出して、あの謎の林道について質問した。
すると応対してくれた人も、あの道の奥がどうなっているのか見たことが無いと言うのだが、どうも、あの林道の先はJAXAの敷地まで続いているらしいということと、それからロケット発射時の「射点から3km以内立入禁止」規制の、規制区域内に道の一部が掛かっていることなどを理由に、監視がされているようだ…ということが判った。
いずれにしても、「近付かない方が無難」という結論のようだ。
鹿児島行きのフェリーの時間が近付いてきたので、南種子町を後にした。 -
種子島を南北に移動するとき、少なくとも西之表市と中種子町の間は、ナビが指示する国道58号線より、内陸の空港経由ルートを選んだ方が早い。トラックが比較的少ないのと、国道よりもセンターラインの黄色線が少ないため、農耕車両などの追い越しがしやすい。
途中でサトウキビの収穫作業などを見つけて止まっては写真を撮っていたら、西之表市に着いたのは乗船手続き締め切り直前の13:00になってしまった。
また、西之表に着くまで、携帯でJAXAのHPを開き、信号で止まるたびにページ更新をかけ、新しい打ち上げ情報が出ないかどうかをチェックした。
しかし、13:00時点まで、新しい情報は何も無かった。
これは、打ち上げが22日にあったとしても、午後になる可能性が高いし、もしかしたら23日以降になるかも知れない事を示唆していた。 -
乗船手続きの後、「13:30から車両の積み込み開始です。20分ごろまでに待機場所へ車を入れてください。」と言われたので、空いた時間を使ってフェリーターナルでうどんを食べた。
13:20になったので、レンタカーを航送車待機場所に入れると、早くもフェリーへの車両積み込みが始まっていたので、車両甲板入り口に向かって車を走らせると、携帯電話が鳴った。
最初の3桁が099なので鹿児島であることは間違いが無いのだが、今度はいったい何処からだろう?
また何か、忘れ物でもしたのだろうか?
通話ボタンを押した。
「日産レンタカー西之表支店です」と相手が言う。
うん、確かに明日予約をしているなぁ。
「明日のご予約ですが、西之表17:00からと承っているのですが、船でしょうか? 船でしたら何便でしょうか?」
げっ! テキトーに予約をしてしまったから、その辺のことは全く未定だった。
そもそも、21日の種子島の宿泊も確保していないので、当然のことながら船の予約もしていない。
それに、22日の午前にはロケット打ち上げが無い可能性が高いわけだから、わざわざ宿泊費もレンタカーも割高な種子島に早入りするよりは、ギリギリまで鹿児島側に居た方がお得なのではないかという考えが頭を過ぎった。(この間2〜3秒)
私は、咄嗟に、
『あっ!どうもすみません。私も電話をしようと思っていたところで…』
『最初、夕方の船で種子島への移動をしようと思っていたのですが、21日の種子島の宿泊が取れそうにないので、22日の朝に種子島に渡ろうと思うのです。それで、申し訳ないのですが、21日夕方から23日夕方だった予約を、可能であれば、22日朝から24日朝、いや、25日朝までにして、空港発着にして頂けたらと思うのですが…』
返答は、あっさりOKだった。
とりあえずこれで、22日朝一の飛行機で種子島空港に渡り、25日の朝まで滞在する可能性が残せた。
乗船すると、さっそくJAXAのHPを携帯でチェックした。
すると、ちょうど私がレンタカー屋さんと話していた時に、22日の打ち上げ決定が報道されていたではないか!
打ち上げ時刻は14時37分57秒だそうだ。
素晴らしい! 22日は朝9時15分に種子島に着いて、予約してあるレンタカーで種子島南部へ移動、そしてロケットが打ち上げられる。
微塵の無駄も無いプランだ。
しかし、打ち上げ日時が判ると、欲が出てくるもので、
早朝から場所取りをしたい…、そんな思いが頭を持ち上げた。
また、徹夜組みも続出するという、ロケットマニアの前日模様を見てみたい。
確か、今朝の時点では種子島の民宿に1室だけ空きが有ったような…、そう思い、楽天トラベルのサイトを携帯で開いてみた。
しかし、その空室は既に無くなっていた。残念。
念のため、YAHOOトラベルのサイトも開いてみた。
すると、種子島南部に僅かだが空室が表示された。
大和温泉ホテル。しかし、素泊まりで1泊10,500円は高い。
いや、それでも、ロケット打ち上げ前夜に対する興味が頭の中で大きく膨らんできた。
明日の朝一番の飛行機は取れている。
高いけれど21日の種子島の宿も(今のところ)有る。
これで、レンタカーが21日朝から有れば、明日の朝一番で種子島に渡ってしまおうか!
そう思って、先ほどの日産レンタカーに電話をした。
しかし、返事は残念なものだった。
私が当初21日夕方から借りる予定で22日朝からに変更した車は、21日の日中は日帰りのお客さんに使われることになっているということだった。
21日夕方からなら、予約を元に戻すだけなのでOKだと言うのだが、暗くなってから種子島に入るのに、10,500円の素泊まりはちょっと…と思った。
そして予約の通り、22日の朝に種子島空港出発でお願いしますと言って電話を切った。
それから30分くらい経った時、トイレに行って戻って来ると、船の席で携帯電話が鳴っていた。
急いで取ったが、切れてしまった。
着信履歴を見ると、先ほどの日産レンタカーからだったので、直ぐに折り返した。すると…、
「先ほどの21日の朝から(利用が)可能かという件についてですが、空港発着のレンタカーには空きがありました。ご利用可能です。」と言う。
だいぶ時間が経ってしまったので、まだ宿泊の空きがあるかどうか調べてみないと…という、こちらの事情を正直に話したところ、結果が分かるまで21日朝からのレンタカーをキープしておいてくれると言う。なんて親切な…。
私は電話を切って、急いで先ほどの素泊まり10,500円のホテルをチェックした。
良かった、まだ空いていた。
慣れない携帯電話での予約作業。
メールアドレスの登録やら、確認サイトへのアクセスやら、色々とややこしい。
煩雑な操作に四苦八苦しながらも何とか予約は間に合った。
そして、急いでレンタカー屋さんに電話をし、21日朝からの予約を確定した。
帰りの飛行機はまだ決まっていなかったので、そのまま25日朝までキープしてもらい、翌朝、種子島に着いた時点で返却日時を決めさせてもらうことにした。
こうして、種子島リベンジが決まり、種子島ロケット見学ツアー、Part2が始まった。 -
そして20日の夜は、鹿児島港の北埠頭に近いホテルに泊まった。
ドルフィンポートまでは700mほどなので、今日こそは『新穂花』で鶏飯を食べようと思って上着を着てホテルを出たのだが、ホテルの玄関から1歩外に出ただけで寒さに挫折し、結局この日もホテル内のレストランで済ませることになった。
21日の朝は目覚まし時計を5:30に2個セットした。
何しろ、これで寝坊したら全てが水の泡だ。
緊張感からか、目覚ましが鳴る30分前に自然に目が覚めたので、そのまま起きた。
せっかく、少し早く出られるのだからと、高速代を数百円浮かせるために予定より45分早い5:45にチェックアウトすることにした。
するとホテルのフロントで、「契約駐車場は6:00から開きますので…」と言われる。
え〜、せっかく早く出たのにぃ…残念、そう思いつつ駐車場出入口を覗いてみると、既にシャッターが開いていた。もう、出庫できるようだ。
それから、夜明け前の街を走り、一般道で鹿児島空港へ向った。
のんびり走って来たつもりなのに、空港に着くと6:40。種子島行きの飛行機は8:35なのであと2時間近くある。とりあえず、大きな荷物を先に預けてしまおうと思ったら、チェックインカウンターは開くのは6:50からだと言われ、しばし待機。
そして、カウンターが開くと同時に荷物を預けたのだが、レンタカー屋さんが開くまであと40分ある。
暇つぶしに空港の周囲を車で1周してみた。
すると西の方向の桜島から、噴煙が上がっているのが見えた。
こうして暇つぶしをしているうちに、レンタカーの店舗が開く時間になった為、空港前のENEOSで給油をして、営業所に車を返した。
4日間借りていた車を、3日間で返した為に、1日分のお金が戻って来た。 -
種子島行きの飛行機は、定刻通りに出発し、定刻通りに種子島に着いた。
レンタカーの返却日時を2日後と決め、車を受け取ると早速、種子島南部を目指した。
最初に宇宙センターに寄って、ロケットが組立棟から発射台へ移動する時刻を聞いた。
23:00から30分かけて、第二射点へ移動するらしい。
それを聞いてから、19〜20日に下見した見学スポットをもう一度順番に回った。
全般的に、下見中のマニア達は社交性が低い。
挨拶しても、挨拶を返してくれるだけで、あまり話題には乗ってくれない。
まぁ、限られた撮影場所を取り合うライバルだから、同じ場所に同じ目的の人がやって来るのは、あまり気分の良い話じゃないのかも知れない。
それでも、最高の見学(&撮影)スポット「恵美の湯」で、打ち上げ27時間も前から野宿を決め込むと豪語したオジサンは社交的だった。なにしろ、一番良い場所に27時間も前から陣取り、そこから動かないつもり…なのだから、ライバルはもう居ない。きっと焦る必要も無いのだろう。
また、この場所は細い道の袋小路なので、ロケット打ち上げの相当前から、車が完全に動かない状態になり、当分は出る事が出来なくなるという。
私は、この場所へ行くならば、表通りに車を置いて、機材を担いで砂利道を2km歩くつもりだが、おそらく当日は、ここには行かない気がする。 -
というのも、既に民宿の名前が入った椅子なんかも並べられていて、場所取り合戦が熾烈すぎる。
そこで私は、23時からのロケット移動を見に行きながら、レジャーシートを1枚持って、もう少し遠い場所の鑑賞スポットをキープすることにした。
とりあえず、ビニール袋をたくさん持って行き、どこかで砂袋を作って重石にしよう。
ここで、一旦ホテルに行くことにした。時刻は15:30だ。
今夜泊まる大和温泉ホテルには、温泉大浴場がある。
温泉といっても源泉は26.6℃なので沸かしている。
温泉大浴場は宿泊棟とは別棟にあって、広さはというと、ちょっとした銭湯くらいだ。
また、石鹸やシャンプーといったアメニティは大浴場に何も置いていないので、持って行くか受付横の売店で買うことになる。
まだ日没前だからなのか、大浴場は空いていた。
きっと皆はまだ、ロケット見学場所を求めて下見に走りまわっているのだろう。
大きな湯船で手足を伸ばしてよく温まり、それから部屋で1時間半ほど今回の旅日記の続きを書いた。
このホテルは素泊まりで予約している為、夕飯は車で外に出ることになる。
18:00頃にホテルを出て、またまた宇宙センターを経由してから、中種子町に向かった。
ガソリンを補給したスタンドの隣に見つけた、「寿司・和食」という看板が出た店に入った。
この店に入って驚いた。なんと、種子島にも回転寿司がある。
しかもここは、一人鍋や一品料理が出る居酒屋風の店の中を、寿司がくるくる回っている。
これだと、回転寿司にしてはお客の回転が非常に悪そうだが、鍋や一品料理を食べながら、ご飯が欲しくなったら寿司に手を伸ばすことができるので、お客としては有りがたい。
車で来てしまったのでお酒は飲めず、モツ鍋をつつきながら寿司を数皿食べて、早々にホテルに帰った。
ロケットの移動開始まで少し時間が有るので、ひと寝入りしようかとも思ったのだが、連日の疲れでこのまま深く寝込んで、起きられない危険性も感じたので、あと1時間半ほど旅日記を書きながら起きていることにした。
夜9時半、ホテルを出て宇宙センターへ向かってみた。
交差点を一つ越えるたびに、1台。また1台と車が増え、しかも皆、けっこうなスピードで先を急いでいる。ロケットの移動を撮るために急いでいるのだろうか。
おそらく皆の目的地は、宇宙センター内にある「ロケットの丘展望所」だろう。
約1.7kmの距離から射点(打ち上げ場所)を見ることが出来る。
今日はさぞ混んでいるだろうと思いながら、その場に行って驚いた。
普段は1〜2台の車が、秩序無くポツリポツリと停まっているその駐車場は、フェリーの車両積み込みのような完璧な秩序で、きっちり車が詰め込まれていた。
奥に停まっている車が出られるのは、いつのことだろうと思えるような二重三重の駐車だ。
少なくとも、これ以上車が停められる見込みは無いので、私は素通りした。 -
私は、射点から2.6kmほど離れた広田遺跡という場所を目指した。
広田遺跡は射点から3km以内に位置するので、当日は勿論入れないのだが、機体移動撮影に関してもあまりメジャーな撮影スポットではないだろうと当たりをつけていた。
というのも、道路沿いの広田遺跡駐車場から宇宙センター方向を見ると、ちょうど岬の陰に隠れて射点が見えないため、よく知っている人でなければ、砂浜を数百メートル歩いて写真を撮りに行こうとは思わないだろう…、そう考えたのだ。
要するに、「誰も撮っていないアングルから撮りたい」という天邪鬼根性だ。
駐車場で2台の三脚にカメラを取り付け、機材を担ぐと砂浜を歩いた。
空は曇っていたのだが、宇宙センターが空を照らす明かりで、目が慣れてくると懐中電灯無しでも歩くことが出来た。
それにしても誰も居ない…。
私の車しか停まっていなかったのだから、浜に私しか居ないのは当然だが、本当に寂しい場所をとぼとぼと、射点が見えてくるまで数百メートル歩いた。
いま万が一、海のどこかで海底地震が起き、津波警報が出されていたとしても、きっと私だけ知らずに呑まれて流されてしまうのだろう。
時刻は22:45、ロケットの移動開始まであと15分ほどだ。
きっと暗すぎて、マトモに撮れないだろうとは思ったが、22:59にビデオカメラをスタートした。
そして23:00、デジタル一眼の500mmレンズを覗いた。
しかし、20秒ほど待っても何も変化が無い。さらに20秒ほど待ったのだがやはり変化が見えない。そしてもう20秒…。う〜〜〜ん?
さっきと少しだけ何かが変わっているような気がした。
ロケット組立棟の一部が、僅かに前にせり出しているような、いないような…。
もう少し待つと、そのせり出した物に、ロケットが並んで付いていることが分かった。 -
宇宙科学技術館で模型を見た、先端部が膨らんだ円筒形のH−?B型ロケット。
固体燃料ブースターも下のほうに付いているのが分かる。
ビデオのほうは真っ暗でダメだったが、その場で200枚ほど写真を撮った。 -
30分かけたロケットの移動が終わり、次に宇宙センター内の旧中型ロケット射点へ向かった。
ここは、H−?Bロケットの足元が少し隠れてしまうのだが、それでも我々一般人が一番近くに行ける撮影スポットだ。ここで、また、数十枚写真を撮った。
静止している物を何十枚も何百枚も撮るのは、なにぶん初めての被写体のために、どのくらいの絞りで撮れば良いのか分からない為、とりあえず色んな設定値で撮りまくって、後で整理しようという考えだ。
朝の5時になると、この場所も立入禁止になる。
私は発射台に立つロケットの見納めをして、今度は撮影場所の確保に出かけた。
最初に向かったのは、射点に一番近い山中のスポット。しかし、そこには既に2台の三脚が並び、1台のレンタカーが停まっていた。
残念、先を越されてしまったか…と思い、一度は通り過ぎたのだが、考えてみればまだ一人しか来ていないのだから、あの場所を確保するなら今がチャンスだ。
通り過ぎた先の少し広い場所で、車をUターンさせ、その場所に戻った。
「こんばんは〜! 私も三脚立てさせて頂いてよろしいですか?」と話しかけてみた。
良かった、気さくな人だ♪
私を煙たがることなく、話をしてくれた。
ロケットマニアという人達と出会うのは今回の旅行が初めてなので、もしも、鉄道マニアみたいに寡黙な人だったらどうしようかと思ったのだが、大丈夫だった。
彼は、西之表にホテルを取っているので、これからまた往復3時間も移動するのは面倒なため、このままこの場で陣取ると言う。
彼の隣に自分の三脚を立てさせてもらい、そのまま見張りもお願いするような格好になってしまい申し訳ないのだが、私は一旦ホテルに戻って、横になり寝ることにした。
打ち上げ当日は、ロケット撮影の先輩に、色々と話を聞かせて貰えるかも知れない。
私は買いすぎてしまったお菓子と飲み物を半分差し入れた。
そのお礼にと、ロケットマニアの同人誌を貰った。
打ち上げが終わってから、ありがたく読ませていただくことにした。
ホテルに戻る途中念のため、前述のコンクリートで作られた階段状の観覧席にレジャーシートを敷き、砂袋で重石をして、場所取りをした。
これで、夜中の2時だった。5時間ほど寝たら、再スタートだ。
しかし、こうしてみると、ロケット打ち上げ前夜というのは、あまりホテルは必要が無いのかも知れない。ホテルを取って一番良かった事は、カメラや携帯電話の電池を充電できたことだった。 -
朝9時過ぎにホテルを出て、最初にコンビニで朝食のおにぎりを、それと、昨日から陣取っているマニアさんにも、差し入れのおにぎりを買った。
南種子の宇宙ヶ丘公園、それから、謎の林道入口を経由して、撮影スポットに向かった。
打ち上げ5時間前の時点で、宇宙ヶ丘公園にはほとんど人が居なかった。
また、昨日まで無人だった林道入口には、2人の警備員が立っていた。
警備員にココは何なのかを聞いてみると、「奥がどうなっているのかは自分も入ったことが無いので分からないけど、とにかく、ここに人が入り込まないように警備の指示を受けている。」とのことだった。
まぁ、立入禁止なら仕方が無い。
昨夜の撮影スポットに行くと、あれから、もう一組が三脚を立てに来たという。
マニアさんに差し入れを渡すと、私は再びそこを離れ、種子島南部のロケット打ち上げ直前風景を撮りに、昼ごろまで種子島南部をもう一回りすることにした。
一般道の封鎖箇所は、広田遺跡の手前にある、広田橋付近らしい。
そこに行くと、道路が封鎖され、「通行止」という看板が立ち、警察と警備員がUターンの誘導をしていた。私は検問所の手前で車を停めて徒歩で近付きながら何枚か写真を撮り、次は最もロケットに近いと言われる見学スポット「恵美の湯」に行ってみた。
未舗装の道を、泥水跳ね上げながら2km進んだ。この道の途中にも、道の奥にも、ロケットが見える場所には必ず人が陣取っていた。
これで発射3時間半前、あと20台もこの道に車が入り込めば、Uターン場所も、擦れ違い場所も全て車で埋まってしまうだろう。そうなると、私も三脚を向こうに残したまま、この細道から出られなくなってしまうので、早々に退散することにした。
撮影場所に戻る途中、もっともメジャーな見学スポットである長谷展望公園にも寄ってみた。
駐車場は8割がた埋まり、公園広場には屋台が準備されている途中だった。
親子連れ、家族連れには、もっとも人気がある見学場所らしい。
昨夜レジャーシートで場所取りをした階段状の展望所を撤収し、三脚を立てた撮影地点に戻った。
あとは残り2時間半をそこで待つことにした。
このとき車は、私以外に4台ほどが停まり、機材の準備を終えた人達は、車内で休憩を取っているようだった。そして時間が経つにつれ、1台、また1台と車が停まり、周囲が慌しい雰囲気になってきた。
打ち上げ1時間前、私も機材をセットした。
デジタル一眼の500mmレンズは、手ぶれ補正をカット、ライブビューを使ってピントの厳密合わせをした。ISOはとりあえずオートモードにしておいて、絞りとシャッター速度は、こちらもとりあえずだが、シャッター優先モード1/500にセットした。
これで、1時間の内に時々試し撮りをしながら、設定値を考えていくつもりだ。
フルハイビジョンビデオカメラは、ロケット全体が入るくらいにズームインして、設定値は全てオートモードにしておいた。 -
周囲も少しざわついて来た。
JAXAの無線をモニタしているマニアさんが、JAXAに代わってカウントダウンをしてくれる。
私も、持ってきた電波時計で打ち上げまでの残り時間を自分なりにカウントダウンする。
なんといってもロケットの良いところは、飛行機よりも、そして電車よりも、時間に正確なところだ。秒単位まで正確で、「14時37分57秒に打ち上げ」と言ったら、たった1秒の狂いも無く、その時間に打ち上げられる。
特に飛行機では、この秒単位の正確さは有り得ないことだ。
打ち上げ30分前、また一段と人口密度が高くなってきた。
ただこれでも、大型三脚と小さな踏み台があれば、畑の垣根をクリアして撮影が出来るくらいの場所は空いている。
その時ミスに気付いた。
しまった! デジ一眼を右、ビデオカメラを左の三脚にセットしてしまった。
ビデオのモニタは左側面にあるので、デジ一眼を操作しながらではビデオが何を撮っているのか自分では確認できない。
載せ替えるか…、いや、ビデオは軽いからと思って軽量三脚に載せている。
軽量三脚にデジ一眼の望遠レンズを載せると重さで扱い難くなる。
どうするか…?
三脚そのものを左右替えるか?
といっても、自分の左右には他の撮影者の三脚が脚を交差するように立っている。
今動かすと、他の人の三脚に当たるかも知れない。
何といっても、左右に居るのはロケット撮影に関しては大先輩だ。
これで私が三脚をぶつけて、他の人のセッティングを壊したら、どんな怒られ方をするか分からない。
仕方がない、このまま行こう。
打ち上げ15分前、予備電池などを車から持ってきて、カメラの前にスタンバイした。
これから発射までは、この場を動かない。
打ち上げ10分前、…あれ?
そう言えば、ISO、シャッター速度、絞りを決めていなかった。
とりあえず、フルオートで試し撮りをしてみる。
Tv(シャッター速度) : 1/500
Av(絞り) : 9.0
ISO : 200
と出た。 -
今度は、いまのTv、Av、ISO値を、M(マニュアル)モードで固定して数枚撮ってみた。
どうやらこれで大丈夫そうだ。
いや、待てよ?
ロケットが火を吹くと、明るさが相当変わるのでは?
何といっても酸素−水素バーナーだ。
相当な熱だから、光もハンパではないはずだ。
「あれー? 絞り幾つぅ〜?」
声に出して言ってみた。(お願い誰か教えて!)
(当時は無知で、あのロケットの猛烈な炎はメインエンジンだと思っていた。しかし本当は、固体ロケットブースタがから吹きだしている火だった。メインエンジンの酸素−水素バーナーは、信じられないくらい程のチョコッとした青白い火を出している)
右隣の東京から日帰りで来たという豪奢なお兄さんが間髪入れず教えてくれた。
「ISO=100で、1/500、8.0ですよ。」
「バーナー炎は相当明るいです。」
「昼でも夜でも、ISO=100、1/500、8.0!」
と念を押してくれた。
いま試した設定値と比較すると、ちょうど1ステップ暗い計算だ。これを信じよう。
私はISOを200に、M(マニュアル)モードの設定値をTv:1/640、Av:11.0にしてから、ダイヤルを1つ隣の絞り優先モードへと回し、Av:8.0とした。
これなら、概ね1/500以上のシャッター速度になるだろう。
打ち上げ時刻と同時に「絞り優先モード」で撮り、大きな炎が見えて来たらダイヤルをM(マニュアル)モードに回すことで、現状より1ステップ低い明るさで撮れるだろうという作戦だ。
これと同時に、ビデオカメラを望遠から広角に引かなくてはならない。
そんな忙しいこと、出来るのだろうか?
打ち上げ5分前、ビデオ録画をスタートした。これから打ち上げまで回しっぱなしにする。 -
打ち上げ10秒前、デジカメのシャッターボタンに指をかけた。緊張が高まる。
3、2、1、エンジンが点火され、ロケットの足元から大きな白煙が吹き上がった。
ロケットがゆっくり上昇し始めると、足元から巨大な炎が姿を現した。
私は、デジ一眼のモードダイヤルをM(マニュアル)モードへ回した。
500mm望遠レンズを通して見ていたのだが、その迫力に圧倒された。
とにかく、その炎のデカさと、異常なほどの力強さ、それが「えぇ? まだ続くの?」と言いたくなるくらい延々と続く。
戦闘機のアフターバーナーだって、「火まで出して…、ちょっとやり過ぎじゃないの?」と言いたくなる私だが、ロケットエンジンはそれの比ではなく、私は言葉を失った。
とにかく、迫力があり過ぎる!
そして、左手を伸ばして、ビデオカメラのズームスイッチを引いた。 -
音もまた力強い。
ドキドキ感を伴いながら腹に響くズ太い音。
これは、「太鼓の達人」?
いや、「雷の達人」か?
切れ間無く続く雷鳴のような空気の縦振動を、これでもかと地上に押し付けながら、ロケットはぐんぐん上昇していった。
私は発射台に合わせてマニュアルにセットしていた500mmレンズのAFスイッチをONにし、巨大な白雲を引きながら上昇する機体を連写しながら追った。
また、ビデオは、上昇開始したら画角をワイドにする予定だったのだが、焦って左手で操作した為に、逆にズームにしてしまった。
お陰で、誰も撮っていないであろう、「ロケットが発射した後に白煙に包まれる発射台」をじっくりと撮ってしまったことを、後で知った。
飛行機撮影だと、お目当ての機体が離陸して空の彼方に去って行くと、もう何もすることは無い。
しかしロケット撮影においては、特にこれほどまでに晴天だと、たとえ肉眼で見えないほどロケットが遠ざかったにしても、まだやらなければならない事がある。
ロケットが白い雲を引いて上昇し、小さな点になって行く。
しかし、マニア達は必死に望遠レンズで後を追う。
固体ロケットの分離を追っている。
「見えるか?」「どうだ?見えるか?」という、声が聞こえる。
「見えている!まだ見えている!」という、誰かの別の声。
そしてまた別の人が、
「うわぁー!見失ったー!」と、悲鳴を上げる。
私のカメラのAFも、コントラストの小さい空に対象物を見失い、フォーカシングの迷走が始まった。
平成22年10月27日に発表された『H−?Bロケット2号機による宇宙ステーション補給機2号機の打上げ計画概要』によると、固体ロケットブースタ分離時の距離は、第1ペアが66kmで、続く第2ペアが70kmとある。…けっこう遠い。
このときロケットは未だほぼ真上に上がっているので、ロケットを真後ろから見ていることになる。
その大きさは、第一コアの太さ5.2mに、太さ2.5mのロケットブースタ左右2本分を加え、ロケットの見かけ上の大きさは、せいぜい10m少々といったところだろうか。
ロケットブースタ分離時の距離が約68kmであるとすると、この10mというロケットの大きさは、視直系ベースで0.00843度という小ささになる。
APS−Cのデジ一眼(EOS 50Dなど)に500mmレンズを着けたときの横画角が2.56度なので、0.00843度というのは横画角の1/303でしかない。
EOS 50Dは、横の画素数が4752pixなので、その1/303というのは、15〜16ピクセル分しかない。
現実には、ロケットの本体を見ているのではなく、エンジンから吐き出されるバーナー炎を見ているのでもう少し大きいはずだが、それでも、ファインダーを覗いたら、もうそこに有るのか無いのか判らないような小ささだ。 -
見学現場に話を戻す。
「あぁ!分離!分離した!」と、隣に居た日帰りお兄さんの声。
『まずい! 見失ったー!』と、焦りまくる私。
焦りを経て、絶望感に包まれたその時、ピントが有った事を示す赤い四角が、奇跡的にファインダーの中に点滅した。
もうファインダーの中では対象物が認識できない青空に向けてシャッターボタンを押した。
「見えているー!分離!分離!」と誰かの声。
「えぇー?どこー?見えない!分離どこー?」と他の誰かの声。
この、興奮、悲鳴、絶叫…、まさに皆既日食の時と同じだ。
そして、誰の目からも見えないほどロケットが遠くに飛び去ると、そこは沈黙に包まれた。
打ち上げが終わると、私はしばし放心状態になった。
撮ったことが無い被写体という緊張感、失敗すれば後は無いという1回きりの緊張感、また、ロケットの打ち上げ自体も失敗することが有るという緊迫感。
これらの緊張感に加え、4日前に鹿児島入りしたときからの下見や準備による疲労感がどっとやってきて、本当に脱力してしまった。 -
ロケット打ち上げというものが、ここまで大掛かりなイベントだとは、今回種子島に来るまで正しく想像できていなかった。
観て撮るだけの私でも、こんなに疲れるとは…。
考えてみれば、この補給機とISS(国際宇宙ステーション)のランデブ高度は、概ね350km。
直線距離でいうと、横浜駅から京都駅くらいだろうか?
ここに、約6トンの補給物資を届けるらしい。
新横浜〜京都なら、どうだろうか…、新幹線は座席があるので6トンの補給物資を積み込むというのはどうも上手くイメージできないが、しかし、体重60kgの人間ならちょうど100人なので、新幹線1両に余裕で乗せられる重量だ。
また、鉄道の貨車ならば1両分、大型トラックなら1台分に入りきる荷物の量だ。
しかし、上に350km離れたISSの場合、同じ重量のものを、全長56.6m、最大重量531t(内、燃料が458t)の巨大な装置(ロケット)で運ぶことになる。
ちなみに、大型トラックの場合、新横浜から京都までの燃料は200kg(0.2t)程らしい。
これほどまでに要する燃料が違うとは…。
ただ、本当は単純比較も出来ない。
ISSは地上から見れば秒速7.7km/s の猛スピードで動いているために、京都駅で荷物を渡すのとは、少し事情が異なる。
京都に着いたら相手の速度に合わせてこちらも秒速7.7km/s(時速27,000km/h)まで加速しないと、荷物が渡せないことになる。
まぁいずれにしても、横方向に運ぶのと縦方向に運ぶのでは、これ程までに大変さが違う。 -
『宇宙は遠い』
子供のからずっと、私が思っていることだ。
夢の無い子供時代だったなぁと笑われるかも知れないが、宇宙というものは、ずっと遠い世界の話であり、全くの他人事のように思っていた。
「大金持ちになったら宇宙へ行ってみたいか?」と問われても、
「う〜ん…、特には…」という感じだった。
ただそれでも、昔よりは興味を持つきっかけになった事がある。
JAXAの星出宇宙飛行士と、私の妻は、お母さん同士が従姉妹だということを、妻の母から聞いた。
まぁそれでも、妻から見た星出宇宙飛行士は「又従兄妹(またいとこ)」、つまり曾祖父母が同じという6親等の血族、法的には辛うじて親戚という“親戚の淵”、イメージとしては大気圏の中でも成層圏のもっと向こう側の世界だ。
う〜ん、やはり、宇宙は遠い…(涙)
ちなみに私から見ると、6親等の姻族に当たるので親族ではない。(民法では3親等以内の姻族が親族だったかな?)
だけど、こんな事をきっかけに宇宙というものが、遠い世界の話、全くの他人事から、ほんの少しだけ関心事に近付いてきた気がした。
そういうこともあって、あの打ち上げ延期の後、帰宅せずに鹿児島から種子島に戻った。
そして、そのお陰であんなに豪快で感動的なロケット打ち上げを青空の下で見ることが出来た。
なんだか、これからもっとのめり込んで行きそうな…、そんな予感がする。
また、撮影の場所取りなどは気にせずに、ただ「打ち上げを見る」という目的に限れば、種子島への交通手段と現地での足の確保というハードルはあるが、比較的容易に見ることが出来る。
種子島までは屋久島から入るという手もあるし、先着順で乗れるフェリーという方法もある。
打ち上げが昼間なら路線バスも使えるし、前もってタクシーを確保するという手もある。
次は家族や友人も誘って、種子島に来てみるのもいいなと思った。
そんな2011年1月の、「種子島ロケット紀行」だった。
(完)
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種子島(鹿児島) の旅行記
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