2010/07/23 - 2010/07/31
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αρκαδια(アルカディア)さん
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2010年7月28日
「パパ、Yuiちゃん来てるよ♪」
海から上がってホテルに入った私に、中学3年の娘が嬉しそうな顔で言った。
初めて渡嘉敷島を訪れたのは4年前、2005年9月の家族旅行で、それから同年の10月、翌2006年の5月、それから7月と、家族旅行は4回連続で渡嘉敷になった。
渡嘉敷のビーチには、私たち家族がそれまでに行った沖縄のビーチには、何処にも無かった驚きがたくさんあった。
クラゲネットが無いために遊泳範囲は非常に広く、また沖合への遊泳制限も比較的緩い。だから、無数の熱帯魚が集まる珊瑚礁まで、ホテル前の砂浜からビーチエントリーで泳いで行ける。さらに、ビーチには数頭のウミガメが棲んでいて、海水浴客の間を縫いながら悠々と海藻を食んでいる。
こんな現実離れした海が有ったのだろうか…、と思うほど鮮烈な衝撃だった。
一度行ってからその後は、他の海への旅行計画を立てられなくなってしまった。
そして3回目の渡嘉敷で、娘に出逢いがあった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- JALグループ
-
夕方、娘は海からあがって着替えをしてから、砂浜に流れ込む小川で川底の石をひっくり返して小魚を探していた。すると、近くで同じ遊びをしていた島の女の子達が、「こっちにたくさん居るよ!」と声をかけてくれた。どんな会話をしたのか知らないけれど、そのまま仲間に入れもらえたようで、1時間ちょっと島の子たちに遊んでもらった。
-
私もちょっとだけ島の子たちに質問をしてみた。
「東京の海って知ってる?」と訊くと、
『はーい!知ってるー!』と手を挙げて、
『黒い!』、『黒ーい!』、『黒いんだよー!』と口々に“黒い”という言葉が返ってきた。
ははは、よくご存じで。学校で習ったのかな?
しかし、ディズニーランドがあるのは羨ましいと言っていた。
女の子たちは、小学6年生、娘と同じ5年生、4年生で、それから彼女たちの小さな弟くんが2人居た。 -
帰り際、「ありがとう、また明日遊んでね!」と言おうとしたら、一人のお友達の家で、皆でお風呂に入って行こうよと言ってくれた。
“出逢って1時間で一緒にお風呂”って、子供は打ち解けるのが早くて羨ましい!
そして、誘ってもらえた事はとてもありがたい気持ちなんだけど、いきなりこの展開ってお家の人に悪くないかなぁと思い、遠慮させるべきか親としてちょっと迷った。
だけど、島の子たちの「行こう♪」「行こう♪」コールに背中を押され、お言葉に甘えて娘を託し、親は下の男の子(一応男子禁制だろう?)を連れてホテルの部屋に戻った。
次の日は、朝から夕方まで娘は彼女達に遊んでもらった。
島の子達に混ざって遊ぶ横浜の娘、2泊3日の楽しくも短い日々は、あっという間に過ぎ、出逢ってから3日目の朝、私達親子は第1便のフェリーで島を離れる。
娘は同じ5年生の女の子と住所を書いた紙を交換し、「必ず手紙書くね!」と約束して渡嘉敷島を後にした。
我が家にとって渡嘉敷島は、「また来られる龍宮城」のようだった。 -
次の渡嘉敷は2ヶ月半後の7月下旬だった
前もって手紙を出しておいたので、島に着くと早速お友達がホテルに呼びに来てくれた。
それから2泊3日の短い島の日々はあっという間に過ぎ、「また、手紙書くね!」と約束して渡嘉敷島を離れた。
それから数ヶ月経ったある日、連絡先を交換し合った同い年のお友達から、「那覇に引っ越しました」と手紙が来た。
一度返事を書いて、「そっか、今度は那覇に遊びに行こう」と思っていたのに、娘はそのお友達からもらった手紙を失くしてしまった。電子メールなら送った履歴が残るけれど、手紙では連絡先を何処かにメモしていなければ、それで終わりだということを今さらながら痛感した。
それから4年間、渡嘉敷島に行くことは無かった。 -
2010年の夏、妹家族が「沖縄に行きたい!」と言ったのを機に、珊瑚礁とウミガメの海「渡嘉敷島」へ2家族で行くことを決めた。
あの時6年生だった子は、中学を卒業しているのできっと島には居ないだろう(渡嘉敷島には小学校と中学校までしか無い)。
同い年の子は那覇に引っ越してしまった。可能性があるのはあの時4年生だった1つ下の女の子Yuiちゃんだけだが、今も島に居るのだろうか?
7月の下旬、沖縄8泊9日の家族旅行に出た。前半の4泊は我が家だけで沖縄本島北部を巡り、ちょうど真ん中の5日目の昼、羽田からやって来る妹家族と合流して渡嘉敷島に渡り後半4泊5日の旅行をする。本島から午後の高速船に乗って渡嘉敷島に渡ると、昼間は珊瑚礁の海で遊んだ。
そして、夕方になると娘と一緒に浜辺で島の子を探した。
勿論、あのとき小学4年先生だったYuiちゃんに再会できたら…という願いからだ。
確か島の人(子)は、朝か夕方に海に出ると言っていた。日の高い真昼は出ないらしい。
4年前に遊んだ場所で日没まで居たけれど、彼女に会うことは無かった。
翌日の朝も浜辺で探したのだが、やはり会うことは無かった。
何とか再会できる方法はないだろうかと考えながらホテルの廊下を歩いている時に、リネン室でお昼の休憩をしている客室係の人達に目が止まった。
「そうだ、島の人なら知っているかも知れない!」
そう思って、携帯に入っていた子供達の集合写真をノートパソコンに移すと、画面いっぱいに写真を開き、私は一人リネン室のドアをノックした。
「こんにちは。おじゃまします。内地から来た観光客です。渡嘉志久(ここの集落)の方ですか?」
部屋に居た6人の方々に、4年前に娘が遊んでもらった事など経緯を話してパソコンの画面に居る一人の子(Yuiちゃん)が今も島に居ないかを訊いてみた。
一人、年配の男性が運良く彼女のことを知っていて、今も島に居ることは判ったのだが、電話番号までは知らないと言う。そして…
「ホテルのフロントで訊いてみなさい」と軽く言われた。
『そんなぁ…、地域住民の個人情報なんて、ホテルのフロントが勝手に教えてくれるの…?』と思ったのだが、顔には出さずお礼を言い、リネン室を出た。
そして、レストランで昼食をとっていた娘に言った。
『Yuiちゃん、今も島に居るって。だけど、電話番号までは分からないから、ホテルのフロントで訊いてみなさいって言われたよ。』、『フロントに行って訊いてみる?』と娘に振ってみた。
しかし、「えぇーいいよぉ、恥ずかしいし、無理!」と娘は拒む。
それはある意味もっともな話だ。
だって、都会の小中学校では、学校から配られた緊急連絡網に、「自分の“前の人”と“次の人”の電話番号」しか載っていない。なぜ他のクラスメートの電話番号が載っていないのかというと、「それは個人情報だから」公開できないそうだ。
目隠しで行う伝言ゲームのようなものが「緊急」の連絡網という常識の中に生きていたら、島に来てホテルのフロントで地域住民の電話番号を訊ねるなんてことは、不審行動以外の何ものでもない。誰だって躊躇してしまう。
結局、私も娘もその時はフロントには聞きに行けなかった。
そして昼食後、少し受験勉強をしたいと言う娘を一人ホテルの部屋に残し、他の皆は午後の海へ遊びに行った。 -
そして2時間半ほど海で泳いでホテルに戻ると、
「パパ、Yuiちゃん来てるよ♪」と娘が嬉しそうに言った。
娘の後ろから、4年ぶりに会った女の子が、「お久しぶりですー」(テヘヘ)と笑った。
どうして、彼女を探していることが伝わったのかを訊いてみた。すると、
「お掃除の(=客室係の)人に私の写真見せたでしょ? ちょうどお姉ちゃんが今、高校夏休みだから那覇から戻ってホテルのレストランでアルバイトしているんです。それでさっきお昼の仕事が終わって家に帰って来て、内地から来た人が私を探しているって聞いたから、もしかしたらシオリちゃん(=娘)かな…、と思ってホテルに探しに来たんです。」と話してくれた。
なんと、さっきお昼のレストランで沖縄そばを運んできてくれた女性は、「探し人」の実のお姉さんだった。
4年間も音信不通だったのに、探しに来てくれたことに本当に感謝した。
それと同時に、都会の個人情報保護気運を理由に、人間関係の大事な岐路を先送りにしてしまった自分を恥じた。
徹底したプライバシー保護を強力に推し進めるのが、現代社会とくに都会の風潮だけれど、最近ではそれがもたらす安全以上に、不安感や淋しさが都会人の心を蝕んでいる気がする。
「誰も居なくてプライバシーが完全に守られている」のと、「多少はプライバシーに覗き窓が開いていても周囲に必ず誰か人が居る」のと、どっちが良いのだろう…。
もしかしたら、島や田舎に残る「世の中がこんな風になってしまう前の暮らし」を都会人が学ぶことが、これからの日本人をもう少し幸せにするヒントになるのではないか…と、今回の再会を通して私は反省しながら考えた。
(終)
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