2015/05/29 - 2015/05/30
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akikoさん
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ロヴィニのあと訪れた街スプリット。
アドリア海に面したクロアチア屈指のリゾート地で、明るい太陽の光をうけながら港のプロムナード歩きが楽しそうな街。
スプリットのもう一つ別の顔、それは、古代ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がのちに異民族に追われた人々が住み着き、そのまま旧市街になったという珍しい起源を持つ顔。
明るいリゾート地と歴史を感じられる街という2つの顔を持つスプリットに1泊し、街歩きを楽しみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
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ロヴィニからザグレブを経由してクロアチア航空を利用しスプリットへ。
予定では22:00発22:45着のはずが、30分の遅れでスプリット空港に到着。クロアチア航空のバスで市内バスターミナルまで乗車し、24時前に旧市街の港近くに到着。宿の人が迎えに来てくれる予定でしたが、遅れるメールを入れていたものの、こんなに遅くなって本当に来てもらえるのか気が気ではありませんでした。
バスターミナルでこわごわバスを降りると・・・
宿の人が私のネームカードを手に笑顔で待ってくれていました。本当にありがたかったです!歩いて7,8分、ディオクレティアヌス宮殿の中にある宿に着きました。 -
深夜にもかかわらず、まだ宮殿内外に結構人がいます。とてもきれいだったので、宿の人に少し外に出ても大丈夫か聞くと「大丈夫ですよ」との答え。
もう寝る時間なのですが、スプリットでの宿泊はこの夜のみ、せっかく宮殿内に泊まっているからと思い、ほんの少しだけ出てみることにしました。
アドリア海沿岸最大の街スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの余生を過ごした宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源を持つ町です。
これはスプリットのランドマークの大聖堂の鐘楼。夜空にすくっと立っています。 -
大聖堂前の広場は「ペリスティル広場」と呼ばれ宮殿全体の中心となっています。
コリント式列柱が建ち並び、上部がアーチで繋がれている。下には階段があり、そこで座って談笑する人たちがいます。 -
ここではメインストリートが十字に交差し、十字路の先それぞれに金・銀・銅・鉄の4つの城門があるそうです。
奥に見える門は、宮殿の東側にある「銀の門」です。 -
宮殿内には多くのショップもあります。
夜でも照明がついていて、ウインドーショッピングができるようになっています。 -
古めかしい石造りの通りが東西南北を貫いています。
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まだ土地感がつかめていないので、もうこれくらいにして宿に戻ろうと思っていました。
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すると、また違う広場があり・・・
眼前に広がっている夜景は素敵でした! -
よく見ると、まだレストランでお食事をしている人たちがいました。
そういえば、この日はFriday night!こんな夜景の綺麗なところでこの時間までゆっくり食事なんて、いいですね〜♪ -
たった10分余りの外出でしたが、翌日が楽しみになりました。
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宿はロヴィニ同様ホテルではありませんでした。宮殿内にある6室ほどのコンドミニアム・タイプの宿。(私はたいていBooking.comでホテルを予約するのですが、ここもこのサイトで予約してありました。ホテルの決め方は、口コミ評価の高い順で並び替え、次に料金・ロケーションを見て決めます。主婦ですので、できるだけいい場所で安いところを探します(笑))
Banica Apart&Rooms: http://split-apartments-rooms.com -
部屋にはバルコニーがついていて、バルコニーに出ると鐘楼が明るく輝いて見えました。
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朝になりました。
朝食は頼めば、用意してもらえるのですが、せっかくバルコニーつきなので、テイクアウトのものを買って食べようと思いお散歩がてら外に出ました。
宿を出ると、すぐペリスティル広場があります。 -
港近くにに出て、海を見ていると、大きな客船らしき船が入ってくるところでした。
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あれっ、どこへ行くの〜〜
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まだ早朝のため観光客はいなくて、とても静かなプロムナードです。
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気持ちが良くて歩いていると、ヨットハーバーまで来ていました。
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宮殿内に戻ります。
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ここは、昨晩遅くまで食事を楽しんでいる人たちがいたレストランみたい。
さすがに早朝はひっそりしています。 -
結局、魚市場の近くのベーカリーでロールサンドと飲み物を買って宿に戻ってきました。
簡単な朝食ですが、きれいな景色を見ながら食べました♪ -
バルコニーから見える景色。
古いままの建物と改築された建物が隣り合わせに建っています。
下を見ると、洗濯物が干されていて、この宮殿内に今もなお一般の人が住んでいることがわかります。
実際およそ600人の人が宮殿内に住んでいるそうです。世界遺産の遺跡と日常生活がアンバランスで面白い。 -
朝食後に、8時からオープンだと聞き、まずは人の少ない間に大聖堂を見学することに・・・
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大聖堂は、もともとディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられました。キリスト教を迫害した皇帝の墓ですが、皮肉にものちにキリスト教の教会として使われるようになったのだそうです。
ペリスティルに面している大聖堂の入口だと思った場所は、見学の出口になっていまいた。 -
玄関前には、美しい装飾が見られます。これらは、ディオクレティアヌス帝の頃にはなかったもので、のちにキリスト教徒が付け加えたものなのだそうです。
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スフィンクス像もありました。これは皇帝がエジプトに遠征した際に持ち帰ったもので、これは建設当初からずっとここにあり、様々な成り行きを見守ってきたのだそうです。
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玄関を右に回ると、大聖堂の側面に出ます。
ここを進んで行くと・・・ -
聖堂の後部が見え、この反対側に見学の入口があります。
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聖堂内部は、ディオクレティアヌスの肖像やゆかりの品などはありません。
彼はキリスト教を弾圧した最後のローマ皇帝だったため、のちに住み始めたキリスト教徒に皇帝の石棺も含め全て破壊され、キリスト教の聖堂に改造されたからだそうです。
内部にあるのは、ディオクレティアヌスによって迫害され殉教しスプリットの守護聖人になった聖アナスタシウスの祭壇や聖ドムニウスの祭壇、木彫のレリーフが見応えがある聖歌隊席など、必見の素晴らしいものばかりでした。 -
大聖堂内部を見学したあと、高さ60mある鐘楼に上ることにします。
頭上に神父らしき人が持つ杖を小さな人が掴んでいる様子や当時の人の様子が彫られています。ロマネスク様式なのか可愛らしい感じがします。 -
途中、開口部から外の景色が望めます。
ここからは、銀の門(東門)が見えています。
壁面が黒ずみが歴史を物語っていますね。 -
上まで上ってきました。
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西には、プロムナードが続く海岸方面や・・・
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これは北のディナル・アルプスの山方面。
真ん中くらいのところに、城壁が左右に伸びているのが見えます。
城壁で囲まれた宮殿の敷地は、東西180m、南北215mだそうで、城壁は厚さ2m、高さ20mもあるそうです。 -
これは、港の埠頭あたり
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こちらは南東方面で、昨晩空港バスが着いた長距離バスターミナルがある港あたりです。
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下にぽっかりと穴があいた建物が見えますが、あれが皇帝私邸の玄関口だったところのようです。穴は光採りのためのものだったそう。
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今では崩れかかった窓やアーチだけが残っている壁面。
かつてはここに海が綺麗に見える長い廊下が続き、オープンアーチのついた窓がずっと並んでいたという。 -
鐘楼の景色を楽しみ、広場に戻りました。
まだ朝早いため、あまり観光客の姿はありませんが、ここが、かつて街の中心部で人が一番集まった場所だったのですね〜そう思うと不思議な感じがします。 -
ペリスティル広場に面したこの白い建物は、「ルクソール」というカフェ。店の外の階段にもクッションが置いてあって、そこでも飲み物を飲みながら景色を楽しめるらしい。
手前のバツのようなつっかえ棒のある通路を入っていくと有名な「洗礼室」があると書かれているので、行くことに・・・ -
入ってきた来た通りは「Pusti me da prodjem」通り。世界で最も狭い通りのひとつと言われているこの通りの名は「通らせてくれ」という意味なんだそうです。
人ひとりが通るのがやっとの狭い通りのため、かつて、よくどちらが先に通るかで口論が起きたのだそう。それにちなんで名付けられたとか。面白い〜。 -
この建物が「洗礼室」。当初皇帝が自らの父と称したユピテル神(ジュピター)を祀る神殿として建てたそうですが、後にキリスト教が広まると大聖堂の「洗礼室」として使われるようになったのだそうです。
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石造りの庇をアップしてみると、このように細かい彫刻が施されています。
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入り口を入ってすぐの正面には、「聖ヨハネ像」が据えられて、像の前には十字架の形をした洗礼盤が置かれています。この洗礼盤には、十字架を持ったクロアチア王が彫られています。
また、天井に施された精緻な彫刻も見どころらしい。
正直、ここは、びっくりするほどのことはありませんでした。 -
ペリスティル広場に戻ってきました。次に、奥に見える皇帝の私邸の玄関口から中に入って行こうと思います。
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ペリスティルから数段階段を上ると、天井がぽっかりと開いた円形の空間があります。ここが皇帝の住居の玄関だったそうです。穴が開いた天井は、当時、美しいモザイクで覆われ、壁にあるくぼみには彫像などが飾られていたそうです。
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ここでは、ドーム形でよく音が反響するため、ここで男性合唱団が歌を披露していました。とってもいい声でした〜 ついでにCDも売っていました。
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次に訪れたのが、敷地内でローマ時代の様子が一番残っている「地下宮殿」と呼ばれる地下スペース。
南側の地下に位置していて、通路にはお土産屋さんがたくさん並んでいます。 -
アクセサリーやお土産物のショップ
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ここから、地下空間を見学できます。
この空間は、もと皇帝住居の下層階にあたり、住居を支える土台にになっていたようです。
この空間について面白い話を聞きました。
この地下宮殿は、世界でも最も保存状態の良いローマ遺跡のひとつだと言われているのだとか。なんとその理由が"ゴミ"にあったのだそう!! -
ここは、中世には倉庫やワインやオリーブオイルを作るための作業場として使用されていたのだそうですが、人口が増えるにつれゴミも増えるようになり、ゴミの処分に頭を悩ませた住人たちは、地下スペースを徐々にゴミ集積場所として利用するようになったのだそう。
そして、だんだん人が近寄らないようになりゴミ溜めとなったこの場所に人が入ることはなく、遺跡が破壊されることもなかった。ゴミでいっぱいになった地下は人々には忘れ去られ時が流れて、近年になって発見されたのだそう。ゴミがあったせいで、保存状態が当時のまま残されたのだそうです。 -
地下の回廊に資料が展示されています。これは当時の宮殿の様子をイメージした復元図だそう。
海に面した宮殿は、城壁で囲まれていて、海から帆船を横づけできるようになっていて中に入る入口があり・・・宮殿内北側には、兵舎と使用人達の住まいがあり、南側には、皇帝の住まいがあったようです。
この当時、周りに一般住居はなく、宮殿が廃墟になってから、異教徒に侵略されたサローナの住民がスプリットに逃げてきてこの宮殿内に住みついたのだそう。そして宮殿内の建物は徐々に姿を変えていったのだそう。 -
このスペースには、ローマ時代の木の柱が保存されています。
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ここでワインを作っていたようです。
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特に見るべきものはなく、太い壁と柱で仕切られた部屋がいくつもあるだけです。
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見学を終えて、「青銅の門」から外に出ました。
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朝ひっそりしていたプロムナードも人が増えてきました。
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通りに置かれている白いベンチにお年寄りが座って、仲間の人と時間を過ごしている姿が多く見られました。
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海べりにヤシの木が並び、リゾート地の雰囲気を醸し出しています。
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プロムナードの端まで歩いてきました。
ここは「リパブリック広場」で、ガイドブックによると、「ネオ・ルネッサンスの建築物がコの字形に三方を囲む形で建てられています。」とありました。建物の色合いが美しく、両サイドの建物はアーチを多用して優美な感じです。
下の階はレストラン、カフェ、映画館などがあるようです。 -
お花がきれいなカフェがありました。
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向こうには港方面が見えます♪
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パステルカラーの色の組み合わせがきれいだな♪
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このリパブリック広場の右奥を抜けるとすぐにマルモントヴァ通りです。
奥に、何やら面白い飾りが見えています。 -
魚市場のそばにあるアールヌーヴォーの建物です。壁面に頬に手を当て叫んでいるような彫像がたくさん飾り付けられています。
作品の意図はわからないけれど、調べてみたら地元建築家カミロ・トンチッチの作品でした。とても目を引く面白い彫像です! -
マルモントヴァ通りにある魚市場です。
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新鮮な魚介類が量り売りされていました。
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魚市場からまた宮殿跡の方に戻ります。
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途中、キュートな色合いの素敵なカフェがありました。
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ここは、宮殿の城壁の手前に、旧市街のほぼ真ん中にある「ナロドニ広場」です。
ヴェネチア支配時代には市庁舎が置かれていた場所で、政治の中心だったそうです。 -
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うしろのクリーム色の建物が旧市庁舎です。
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「ナロドニ広場」の奥に西の城門「鉄の門」があります。その脇に鐘楼&時計塔があります。
時計の文字盤のデザインがシンプルだけど、いいな・・・ -
西の城門「鉄の門」あたり
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ところ変わって、今度はメインの城門「金の門」にやってきました。
この「金の門」は、かつて一面金の装飾が施されていたそうです。
上段の窪みには、ディオクレティアヌス、共同皇帝のマクシミアヌスと鷲が、下段の窪みには、二人の継承者のガレリウスとコンスタンティウスの彫像が置かれていたそうです。 -
正門だった「金の門」。今では、一見コンクリートむき出しのように見える地味な門になっています。
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反対側から外を見たところです。
外の中央部を見ると、黒い立像が見えます。 -
その立像とは、巨大な銅像「グルグールの像」です。
左手に聖書を持ち、右手は人差し指を立てて高くかかげています。
彼は、ラテン語のみで行われていたミサにクロアチア語を導入し、スラブ言語の保護に貢献したとされるクロアチアの英雄のひとりだそう。 -
グルグール・ニンスキ像の左足の親指に触れると幸運が訪れると言われているそうで、親指は金ピカになっています。
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「金の門」から中に入り、少し行くと細い路地があり、その途中このような階段がありました。老夫婦が階段を上がって行かれたので、私も行ってみました。
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そこには、小さな小さな教会があったのです!
なんと幅1.64m×長さ10mの多分、世界一小さな教会"The church of St.Martin"でした。もともと宮殿の兵舎の廊下だったところを9世紀にドメニク司祭がスプリット最初のキリスト教会に改造したのが始まりだとか・・・ -
石造りの十字架を冠したアーチ門に惹きつけられました。
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小さな教会を出て、通りを歩いていると・・・
いい香りがしてきます。 -
ラベンダーの香りでした。
クロアチアでは、フヴァル島をはじめとするダルマチア地方やイストラ地方でラベンダー栽培が盛んだそうで、ラベンダー・グッズが定番のお土産になっているそうです。
右上のラベンダー人形が可愛くて思わず1つ購入し、あわせてポプリとエッセンシャルオイルも買いました。 -
お土産を買って、通りを行くと、またペリスティル広場に戻ってきました。
カフェ・ルクソール前には階段に腰を下ろしている人たちがいました。 -
この写真は人が少なくなってから撮ったのでマシですが、日中になると観光客が半端なく多いです。
やはりクロアチアは人気のある国で、スプリットやシベニク、トロギール、ドブロヴニクなどは、できれば早朝に観光を始めるのが得策ですね。 -
この日は、午前中にスプリットを観光し、午後にシベニクとトロギールを観光しトロギールで1泊することにしていました。
午前中かなり頑張ってスプリットの街を見て歩き・・・このあとシベニク行きのバスに乗るためバスターミナルに向かいました。 -
「銀の門」を出て・・・
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またスーツケースを港の荷物預かり所に預けて、身軽になり12時発シベニク行きのバスに乗り込みました。
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これは、翌日スプリットに戻ってきた時のものです。
この日は、まだ訪れていなかった「マルヤンの丘」に行くことに・・・ -
初夏の陽光をあびたプロムナードです。
このプロムナードは「リヴァ」と呼ばれているそうですが、スプリットを代表する景色となっています。 -
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サングランス姿の男の子二人がハトにエサをやっていました。可愛い〜
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プロムナードの端からさらに西の小高い山のほうに歩いていきます。
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大聖堂の鐘楼が見えています。
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途中、港のきれいな景色が続きます。
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イチオシ
ヨットハーバーのところまで来ました。
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鐘楼方面をアップしてみました。
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右下に案内板があり↑MARJANと書かれています。
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案内板にしたがって、上まで上ってきました。
左上に展望台があるようです。 -
「マルヤンの丘」は、スプリット旧市街の西側に広がる小高い丘の上にあり、このように街から海を一望することができます。
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展望台横には、カフェがあり、飲み物を楽しみながら景色を眺めることができます。
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このように景色が広がります。
私は2列目の席でカフェオレ風飲み物を飲みながら、ゆっくり時間を過ごしました♪ -
木々の向こうにはスプリットの街が・・・
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もう少し右の方を見ると、大きなクルーズ船が何隻も停泊しているのが見えます。
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イチオシ
この景色はずっと見ていても飽きない景色でした。
スプリットの見どころはほぼ見たので、次の訪問地ドゥブロヴニク行きのバスに乗る時間までここで過ごしていました。
スプリットは、なかなか面白い街でした。訪れる際は、ぜひ1泊して朝晩の景色を楽しんでくださいね。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ももであさん 2015/06/28 20:31:23
- 歴史は繰り返す
- >ロヴィニのあと訪れた街スプリット
これって、結構因縁ですよね。
キリスト教大迫害でエウフェミアを処刑した人物こそが
ディオクレティアヌス帝
異教徒に追われたキリスト教徒を救ったシェルターが、
彼らを迫害した人物の宮殿と言うのは実に皮肉ですね。
でもローマ皇帝としては極めて優秀だったディオ君。
人気絶頂期の時に、自らの意志で突然皇帝を引退してます。
「私、ディオクレティアヌスは、ローマ皇帝を卒業します」
当時ローマ皇帝と言えば、神に近い存在。
自ら引退した皇帝は、史上初。唯一彼のみ。
実はそれを真似したのが(ももであ説)、元AKB48の前田敦子
「私、前田敦子は、AKBを卒業します。」
そしてそれを真似したのが、キンタロー。(史実)
あまりにも突然の引退だったものだから、側近はディオ君に
何度も皇帝復帰をお願いします。
ディオくん:「一度キャベツ作りの楽しさを覚えると、皇帝
なんてやってられんよ〜♪」 とあっさり断ったとか。
暴君、邪悪の権化と恐れられたディオ君
歴代ローマ皇帝の中でも、ぼくは一番好きです♪
- akikoさん からの返信 2015/06/28 22:42:33
- RE: 歴史は繰り返す
- ももであさん
書込みありがとうございますー☆
>ロヴィニのあと訪れた街スプリット
> これって、結構因縁ですよね。
> キリスト教大迫害でエウフェミアを処刑した人物こそが
> ディオクレティアヌス帝
ホントですね!私、お恥ずかしいことに、ロヴィニとスプリットを関連付けて考えてみませんでしたが、確かに言われてみれば、因縁がありますね!
> 異教徒に追われたキリスト教徒を救ったシェルターが、
> 彼らを迫害した人物の宮殿と言うのは実に皮肉ですね。
ももであさん、その通りです。
その結果、皇帝の霊廟として建てられた聖堂が、跡形もなく姿を変えてキリスト教の素晴らしい大聖堂に 生まれ変わったわけですね〜
> でもローマ皇帝としては極めて優秀だったディオ君。
> 人気絶頂期の時に、自らの意志で突然皇帝を引退してます。
> 「私、ディオクレティアヌスは、ローマ皇帝を卒業します」
> 当時ローマ皇帝と言えば、神に近い存在。
> 自ら引退した皇帝は、史上初。唯一彼のみ。
> あまりにも突然の引退だったものだから、側近はディオ君に
> 何度も皇帝復帰をお願いします。
> ディオくん:「一度キャベツ作りの楽しさを覚えると、皇帝
> なんてやってられんよ〜♪」 とあっさり断ったとか。
これは、ももであさん流の一種のジョークかと思ったのですが、実際の話なんですね!
引退したディオクレティアヌスに復位を依頼した時、彼は「わしが菜園に植えたキャベツの世話にどれほど心をくだいているか、それがわかれば、そんな頼み事はできないはずだよ」と答えたのだそうですね。権力を一旦握ると、なかなか離さないのが世の常。最初に決めた20年を勤め上げるとあっさり退位。在位中は自分の言うことをきかせるためにどんなことでも、例えば、キリスト教徒をひどく迫害などしたくせに、引退となったらしがみつかないところが立派ですね。
> 暴君、邪悪の権化と恐れられたディオ君
> 歴代ローマ皇帝の中でも、ぼくは一番好きです♪
ももであさんの示唆に富む言葉、単純な私、結構頭使います・・・(笑)
それにしても、ディオクレティアヌスと元AKB48の前田敦子さんと辞め方において同列に考えたくだりは、面白くて、うなづける説です!なるほど〜〜〜
また、頭老化進行中^^;)かもしれない私に喝をいれてくださいね〜
akiko
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