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往時には櫓49、櫓門18、城門29を備えていた熊本城を攻略してみました。<br />西南戦争では、西郷隆盛率いる薩摩軍に、籠城を貫き、撃退した名城。<br />10年ぶり位の攻略でしたが、本丸御殿、飯田丸五階櫓、西大手門、南大手門など新しい建物が、昔ながらの構造で再建されてきており、期待十分。<br />攻城してびっくり! 西郷隆盛にさえ落とせなかった熊本城が、すっかり「くまモン」によって、攻略されていました。くまモン恐るべし!<br />全部で写真90枚にのぼる旅行記になりますが、名前が付けられていて、現存・復元されている建物、石垣などなどについては、ほとんど触れたつもりです!

熊本城完全クリア

14いいね!

2015/05/11 - 2015/05/12

748位(同エリア1931件中)

0

89

駿河大納言

駿河大納言さん

往時には櫓49、櫓門18、城門29を備えていた熊本城を攻略してみました。
西南戦争では、西郷隆盛率いる薩摩軍に、籠城を貫き、撃退した名城。
10年ぶり位の攻略でしたが、本丸御殿、飯田丸五階櫓、西大手門、南大手門など新しい建物が、昔ながらの構造で再建されてきており、期待十分。
攻城してびっくり! 西郷隆盛にさえ落とせなかった熊本城が、すっかり「くまモン」によって、攻略されていました。くまモン恐るべし!
全部で写真90枚にのぼる旅行記になりますが、名前が付けられていて、現存・復元されている建物、石垣などなどについては、ほとんど触れたつもりです!

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.5
グルメ
4.0
同行者
一人旅
交通手段
ANAグループ
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • まずは、市役所14階からの熊本城の眺め。<br />天守の手前が、再建された本丸御殿。<br />手前が、重要文化財の櫓群。<br />当然市役所14階までは、無料!<br />

    まずは、市役所14階からの熊本城の眺め。
    天守の手前が、再建された本丸御殿。
    手前が、重要文化財の櫓群。
    当然市役所14階までは、無料!

    熊本城 名所・史跡

  • 行幸橋手前に鎮座している加藤清正。

    行幸橋手前に鎮座している加藤清正。

    加藤清正公像 名所・史跡

  • 行幸橋から見た長塀。<br />以前は、狭間があいていたらしいが、いつのまにかなくなってしまったらしい。<br />白漆喰と黒の下見板のコントラストが美しい。<br />手前の川は、坪井川。

    行幸橋から見た長塀。
    以前は、狭間があいていたらしいが、いつのまにかなくなってしまったらしい。
    白漆喰と黒の下見板のコントラストが美しい。
    手前の川は、坪井川。

    熊本城 名所・史跡

  • 長塀は、この馬具櫓で終わる。<br />2009年に鉄筋で復元。平櫓なので、昔のままに復元すれば良いのに。。。

    長塀は、この馬具櫓で終わる。
    2009年に鉄筋で復元。平櫓なので、昔のままに復元すれば良いのに。。。

  • 熊本城唯一の水堀である備前堀。。。されど、西出丸の外側にもあるように思える。ただ、空堀に水が溜まっただけかもしれないが。。。<br />その後ろに当時の工法で復元された飯田丸五階櫓。<br />この位置からも、石垣が2段になっていることが分かる。

    熊本城唯一の水堀である備前堀。。。されど、西出丸の外側にもあるように思える。ただ、空堀に水が溜まっただけかもしれないが。。。
    その後ろに当時の工法で復元された飯田丸五階櫓。
    この位置からも、石垣が2段になっていることが分かる。

  • 竹の丸へと続く最初の枡形。

    竹の丸へと続く最初の枡形。

  • 現在の熊本城の4つの入り口の一つ櫨方門の後ろから見たところ。<br />もともとは、加藤神社の鳥居のところにあったものを移築した長屋門。

    現在の熊本城の4つの入り口の一つ櫨方門の後ろから見たところ。
    もともとは、加藤神社の鳥居のところにあったものを移築した長屋門。

  • 竹の丸から見た飯田丸五階櫓。<br />櫓再建のため、積み替えられているとはいえ、美しい高石垣。<br />

    竹の丸から見た飯田丸五階櫓。
    櫓再建のため、積み替えられているとはいえ、美しい高石垣。

  • 竹の丸と飯田丸の高低差は25m。2段の石垣で守る。<br />下段の石垣の上には、東西に長い要人櫓が建っていたということ。

    竹の丸と飯田丸の高低差は25m。2段の石垣で守る。
    下段の石垣の上には、東西に長い要人櫓が建っていたということ。

  • 竹之丸にある井戸。<br />城内に約120か所あったという井戸の一つ。<br />屋根は、ちゃんと古写真をもとに再建。こういうところまで気を付けて復元していることが大好き!

    竹之丸にある井戸。
    城内に約120か所あったという井戸の一つ。
    屋根は、ちゃんと古写真をもとに再建。こういうところまで気を付けて復元していることが大好き!

  • 竹の丸から見た天守。幾重にも重なる石垣。<br />熊本城の最も有名な写真位置の一つ。<br />往時、右手の石垣の上には、竹の丸五階櫓が建っていた。<br />この枡形に入っていきたい。。。という誘惑を我慢して、真っ直ぐに進む。

    竹の丸から見た天守。幾重にも重なる石垣。
    熊本城の最も有名な写真位置の一つ。
    往時、右手の石垣の上には、竹の丸五階櫓が建っていた。
    この枡形に入っていきたい。。。という誘惑を我慢して、真っ直ぐに進む。

  • 竹の丸にある「肥後名花園」で、私を待つように残っていてくれた肥後芍薬のつぼみ。この花以外は、ほとんどすでに散っていました。<br />肥後芍薬は、肥後菊、肥後椿、肥後山茶花、肥後花菖蒲、肥後朝顔とともに、「肥後六花」と呼ばれる。

    竹の丸にある「肥後名花園」で、私を待つように残っていてくれた肥後芍薬のつぼみ。この花以外は、ほとんどすでに散っていました。
    肥後芍薬は、肥後菊、肥後椿、肥後山茶花、肥後花菖蒲、肥後朝顔とともに、「肥後六花」と呼ばれる。

  • 竹の丸から見た東竹の丸の石垣。

    竹の丸から見た東竹の丸の石垣。

  • 突き当りの右手は、須戸口門跡で、今は入り口になっている。<br />そこに立つ平御櫓。こことは別に、「平櫓」という名前の平櫓もあり、なぜ、こっちは、「御」が付いているのかは不明。<br />残念なことに、鉄筋での復元。

    突き当りの右手は、須戸口門跡で、今は入り口になっている。
    そこに立つ平御櫓。こことは別に、「平櫓」という名前の平櫓もあり、なぜ、こっちは、「御」が付いているのかは不明。
    残念なことに、鉄筋での復元。

  • 左手の枡形を通っていくと、高石垣の上に、現存する櫓群(重要文化財)。<br />左が四間櫓、右が源之進櫓。<br />清正流の石垣とのマッチングが素晴らしい!

    左手の枡形を通っていくと、高石垣の上に、現存する櫓群(重要文化財)。
    左が四間櫓、右が源之進櫓。
    清正流の石垣とのマッチングが素晴らしい!

  • 右から、四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓。<br />いずれも、江戸末期の創建。

    右から、四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓。
    いずれも、江戸末期の創建。

  • 熊本城は、このように石垣をいろいろ組み合わせているのが面白い。

    熊本城は、このように石垣をいろいろ組み合わせているのが面白い。

  • 突き当りに、美しい高石垣の上に、すらっと建つ東十八間櫓の側面が見えてくる。<br />熊本城築城期の慶長年間のものだからびっくり!<br />熊本城で、2番目に好きな建物!<br />

    突き当りに、美しい高石垣の上に、すらっと建つ東十八間櫓の側面が見えてくる。
    熊本城築城期の慶長年間のものだからびっくり!
    熊本城で、2番目に好きな建物!

  • 市役所14階から見る東十八間櫓。石垣の高さがよく分かる。

    市役所14階から見る東十八間櫓。石垣の高さがよく分かる。

  • 横井小楠と維新群像の背後に見える東十八間櫓。

    横井小楠と維新群像の背後に見える東十八間櫓。

  • 東竹の丸に続く枡形。<br />往時には、ここに東櫓門が建っていた。<br />

    東竹の丸に続く枡形。
    往時には、ここに東櫓門が建っていた。

  • 枡形を上った右手にある重要文化財の現存櫓群。<br />左から、五間櫓、北十八間櫓、この右が東十八間櫓。

    枡形を上った右手にある重要文化財の現存櫓群。
    左から、五間櫓、北十八間櫓、この右が東十八間櫓。

  • 前の写真を外からみたところ。<br />右が五間櫓、左が北十八間櫓。<br />石垣の高さと曲線の美しさ抜群!<br />

    前の写真を外からみたところ。
    右が五間櫓、左が北十八間櫓。
    石垣の高さと曲線の美しさ抜群!

  • 同じく、北十八間櫓(右)と東十八間櫓(左)。<br />北十八間櫓はL字をしているのがよく分かる。

    同じく、北十八間櫓(右)と東十八間櫓(左)。
    北十八間櫓はL字をしているのがよく分かる。

  • 熊本城に現存する中では珍しい櫓門形式の不開門(あかずのもん)。<br />城の鬼門(北東)に位置し、死者や不浄な物の搬出だけに使われた。

    熊本城に現存する中では珍しい櫓門形式の不開門(あかずのもん)。
    城の鬼門(北東)に位置し、死者や不浄な物の搬出だけに使われた。

  • 東竹の丸の北の端にあるのが、平櫓。<br />「平櫓」という名前の平櫓。若干可哀想。

    東竹の丸の北の端にあるのが、平櫓。
    「平櫓」という名前の平櫓。若干可哀想。

  • 不開門方向から、東竹の丸中心部に戻る。<br />5棟の現存櫓群が見えてくる。

    不開門方向から、東竹の丸中心部に戻る。
    5棟の現存櫓群が見えてくる。

  • 一番手前が、源之進櫓。源之進さんが管理していたので、この名前らしい。<br />慶長期の創建。

    一番手前が、源之進櫓。源之進さんが管理していたので、この名前らしい。
    慶長期の創建。

  • 石垣の端に建つ田子櫓。

    石垣の端に建つ田子櫓。

  • 東竹の丸の南西から飯田丸方面を見たところ。<br />竹の丸から飯田丸に攻め入ろうとすると、四方から攻撃ができたことがよくわかる。<br />さらに、左側の石垣の上には、竹之丸五階櫓が建っていた。

    東竹の丸の南西から飯田丸方面を見たところ。
    竹の丸から飯田丸に攻め入ろうとすると、四方から攻撃ができたことがよくわかる。
    さらに、左側の石垣の上には、竹之丸五階櫓が建っていた。

  • これも有名な「二様の石垣」が見えてくる。<br />清正時代が、手前の比較的なだらかな石垣(穴太積み)。<br />細川時代が、後ろの比較的急な石垣(算木積み)。<br />登りにくく、石垣の上を広く取れるという意味で、後者の方が優れている。長辺と短辺を互い違いに積むという算木積みが開発されて、可能に。

    これも有名な「二様の石垣」が見えてくる。
    清正時代が、手前の比較的なだらかな石垣(穴太積み)。
    細川時代が、後ろの比較的急な石垣(算木積み)。
    登りにくく、石垣の上を広く取れるという意味で、後者の方が優れている。長辺と短辺を互い違いに積むという算木積みが開発されて、可能に。

  • ここから、天守のほうに進まずに、左にUターンして、梅園になっているところが、飯田丸で、そこを抜けたところに飯田丸五階櫓が再建された。<br />三層五階で、高さ約14.3m。

    ここから、天守のほうに進まずに、左にUターンして、梅園になっているところが、飯田丸で、そこを抜けたところに飯田丸五階櫓が再建された。
    三層五階で、高さ約14.3m。

  • 内部の木組み。

    内部の木組み。

  • 狭間と石落とし。柱には、手斧の跡。<br />壁は黒い漆喰。

    狭間と石落とし。柱には、手斧の跡。
    壁は黒い漆喰。

  • 備前堀に向けた屋根。<br />瓦の仕掛けがよく分かる。

    備前堀に向けた屋根。
    瓦の仕掛けがよく分かる。

  • 天守の手前に、数寄屋丸二階御広間が見える。<br />2階と行っても、こちらから見ると、1階。<br />

    天守の手前に、数寄屋丸二階御広間が見える。
    2階と行っても、こちらから見ると、1階。

  • 数寄屋丸二階御広間を左手に見ながら、二様の石垣のところまで戻り、天守方向を見る。<br />天守手前の建物は、再建された本丸御殿の一部。正面は、数寄屋(茶室)。

    数寄屋丸二階御広間を左手に見ながら、二様の石垣のところまで戻り、天守方向を見る。
    天守手前の建物は、再建された本丸御殿の一部。正面は、数寄屋(茶室)。

  • その先の階段。<br />真ん中にあるスロープは、大きな物を引き上げる時に利用された。<br />後ろに見えるのが、数寄屋丸二階御広間。<br />この階段の途中から左(写真では右)に曲がると数寄屋丸。

    その先の階段。
    真ん中にあるスロープは、大きな物を引き上げる時に利用された。
    後ろに見えるのが、数寄屋丸二階御広間。
    この階段の途中から左(写真では右)に曲がると数寄屋丸。

  • その途中にある熊本城唯一の切込みハギで積まれた部分。<br />「地図石」と呼ばれるが、どうみても地図とは思えない。諸説だと、日本地図とか、熊本城の平面図とか、城下町の図とか。。。しかし、いずれも、そうは見えない。<br />99個の石(私が数えたわけではありませんが)からできているので、「城の長寿を願った」という説もあるものの、なぜ99個だと、長寿なのかが分からない。。。

    その途中にある熊本城唯一の切込みハギで積まれた部分。
    「地図石」と呼ばれるが、どうみても地図とは思えない。諸説だと、日本地図とか、熊本城の平面図とか、城下町の図とか。。。しかし、いずれも、そうは見えない。
    99個の石(私が数えたわけではありませんが)からできているので、「城の長寿を願った」という説もあるものの、なぜ99個だと、長寿なのかが分からない。。。

  • 数寄屋丸二階御広間。1989年木造で復元。<br />こちらから見ると、確かに2階建て。

    数寄屋丸二階御広間。1989年木造で復元。
    こちらから見ると、確かに2階建て。

    熊本城 名所・史跡

  • 数寄屋丸二階御広間の1階に入ったところ。<br />奥の暗い方が、石垣の裏。<br />

    数寄屋丸二階御広間の1階に入ったところ。
    奥の暗い方が、石垣の裏。

  • 数寄屋丸二階御広間の2階。<br />かつて、羽生・郷田の将棋名人戦(67期)が行われたこともある。<br />ここの畳は、京間と呼ばれる小さなものだった。

    数寄屋丸二階御広間の2階。
    かつて、羽生・郷田の将棋名人戦(67期)が行われたこともある。
    ここの畳は、京間と呼ばれる小さなものだった。

  • 数寄屋丸二階御広間を出た所(数寄屋丸五階櫓がかつてあった所)から南の方を見たところ。<br />遠くに飯田丸五階櫓が見える。<br />手前は、西櫓御門で、今、工事中。

    数寄屋丸二階御広間を出た所(数寄屋丸五階櫓がかつてあった所)から南の方を見たところ。
    遠くに飯田丸五階櫓が見える。
    手前は、西櫓御門で、今、工事中。

  • 数寄屋丸二階御広間を石垣上から見たところ。多くの狭間と突き上げ戸が南面を防御していた。

    数寄屋丸二階御広間を石垣上から見たところ。多くの狭間と突き上げ戸が南面を防御していた。

  • 数寄屋丸にある井戸の中を覗いたところ。

    数寄屋丸にある井戸の中を覗いたところ。

  • 数寄屋丸を出た所からは、大天守・小天守が見える。

    数寄屋丸を出た所からは、大天守・小天守が見える。

    熊本城 名所・史跡

  • 天守を守っている森本儀太夫。若い!<br />「熊本城おもてなし武将隊」10人の中の一人。<br />肥後の国を盛り上げるために、400年の時を超え、蘇ってきたということ。加藤清正、その家来の森本儀太夫、飯田覚兵衛あたりはともかく、黒田官兵衛、細川忠興、島津義弘なんかも蘇ってしまったのは、いかがなものか。。。ちなみに、私の好きな立花宗茂も蘇ってきている。

    天守を守っている森本儀太夫。若い!
    「熊本城おもてなし武将隊」10人の中の一人。
    肥後の国を盛り上げるために、400年の時を超え、蘇ってきたということ。加藤清正、その家来の森本儀太夫、飯田覚兵衛あたりはともかく、黒田官兵衛、細川忠興、島津義弘なんかも蘇ってしまったのは、いかがなものか。。。ちなみに、私の好きな立花宗茂も蘇ってきている。

  • 闇り御門の上にある、唐破風。本丸御殿へ通じる闇り通路の入り口。

    闇り御門の上にある、唐破風。本丸御殿へ通じる闇り通路の入り口。

    熊本城 名所・史跡

  • 闇り通路。

    闇り通路。

  • 闇り通路の途中にある本丸御殿への式台。<br />要は、本丸御殿への正式な入り口なのですが、今は、使われていない。

    闇り通路の途中にある本丸御殿への式台。
    要は、本丸御殿への正式な入り口なのですが、今は、使われていない。

  • 式台を横から見たところ。<br />石垣の隙間には、漆喰(目地漆喰)が施されている。石と石との間に足をかけにくいので、敵に登られにくいというメリットがあり、雨水にも強いらしい。これ以外に、きっと「美しさ」があるに違いない。他の城では見たことがない。

    式台を横から見たところ。
    石垣の隙間には、漆喰(目地漆喰)が施されている。石と石との間に足をかけにくいので、敵に登られにくいというメリットがあり、雨水にも強いらしい。これ以外に、きっと「美しさ」があるに違いない。他の城では見たことがない。

  • 闇り通路を進んだところに十字路を右(南)に行くと、小さな広場に出る。ここは、月見櫓、小広間西三階櫓が建っていた。

    闇り通路を進んだところに十字路を右(南)に行くと、小さな広場に出る。ここは、月見櫓、小広間西三階櫓が建っていた。

  • そこから見た本丸御殿の中の囲炉裏の間など料理を作ったりする部分(大台所)を見たところ。

    そこから見た本丸御殿の中の囲炉裏の間など料理を作ったりする部分(大台所)を見たところ。

  • もとに戻って、闇り通路を抜けたところから、振り返ってみたところ。<br />本丸御殿全貌。<br />左側が、前の写真の部分。正面は、大銀杏。左が昭君の間、大広間など。

    もとに戻って、闇り通路を抜けたところから、振り返ってみたところ。
    本丸御殿全貌。
    左側が、前の写真の部分。正面は、大銀杏。左が昭君の間、大広間など。

  • ここからが、本丸御殿内部。<br />囲炉裏の間から見た土間の一部。

    ここからが、本丸御殿内部。
    囲炉裏の間から見た土間の一部。

  • 囲炉裏の間の囲炉裏。

    囲炉裏の間の囲炉裏。

  • 囲炉裏の間の木組み。

    囲炉裏の間の木組み。

  • 式台の間。闇り通路の式台から上がってくると、ここに出るはず。

    式台の間。闇り通路の式台から上がってくると、ここに出るはず。

  • 鶴の間からいろいろな部屋(まとめて、大広間)を見たところ。<br />本当は、襖絵が描かれていたが、予算の都合上、今は、真っ白。

    鶴の間からいろいろな部屋(まとめて、大広間)を見たところ。
    本当は、襖絵が描かれていたが、予算の都合上、今は、真っ白。

  • その外側の廊下。

    その外側の廊下。

  • 2番目に重要な若松之間から。最も重要な昭君之間を見たところ。

    2番目に重要な若松之間から。最も重要な昭君之間を見たところ。

    熊本城 名所・史跡

  • 昭君之間と言われる所以の王昭君。

    昭君之間と言われる所以の王昭君。

  • 昭君之間の格天井。<br />さまざまな花が描かれている。

    昭君之間の格天井。
    さまざまな花が描かれている。

  • 本丸御殿内の数寄屋。<br />織部流で再現。<br />

    本丸御殿内の数寄屋。
    織部流で再現。

  • 本丸御殿と一緒に木造で再建された長局櫓。ただし、南側半分だけの復元。

    本丸御殿と一緒に木造で再建された長局櫓。ただし、南側半分だけの復元。

  • 本丸御殿を出て、本丸側から見た、大天守と小天守。<br />大天守・小天守は鉄筋コンクリートで、昭和35年に再現。<br />内部は、パス!!!

    本丸御殿を出て、本丸側から見た、大天守と小天守。
    大天守・小天守は鉄筋コンクリートで、昭和35年に再現。
    内部は、パス!!!

  • 再び、闇り通路を抜け、平左衛門丸へ。<br />その途中にある「五郎の首懸石」。<br />1.6トンらしい。

    再び、闇り通路を抜け、平左衛門丸へ。
    その途中にある「五郎の首懸石」。
    1.6トンらしい。

  • 平左衛門丸にあるのが、私が熊本城で一番好きな宇土櫓。現存の五階櫓で、重要文化財。<br />以前は、宇土城天守を移築したものという言い伝えもあったが、調査の結果否定。「三の天守」と呼ばれていたこともあるらしい。<br />屋根のむくり(丸くなっている)と最上階の廻縁と高欄など、渋さの中に華やかなものがある。<br />右側にある続櫓の石垣が左へ行くほど高くなっているのがわかり、バランスを保っている。

    平左衛門丸にあるのが、私が熊本城で一番好きな宇土櫓。現存の五階櫓で、重要文化財。
    以前は、宇土城天守を移築したものという言い伝えもあったが、調査の結果否定。「三の天守」と呼ばれていたこともあるらしい。
    屋根のむくり(丸くなっている)と最上階の廻縁と高欄など、渋さの中に華やかなものがある。
    右側にある続櫓の石垣が左へ行くほど高くなっているのがわかり、バランスを保っている。

  • 今回、一番落胆したのがこれ!<br />宇土櫓に、耐震性などを増すために、金属で補強が。。。可哀想な宇土櫓。<br />こんなことをするのなら、姫路城のように大規模な修理をして、国宝を目指すべきと信じる。

    今回、一番落胆したのがこれ!
    宇土櫓に、耐震性などを増すために、金属で補強が。。。可哀想な宇土櫓。
    こんなことをするのなら、姫路城のように大規模な修理をして、国宝を目指すべきと信じる。

  • 宇土櫓最上階から見た西出丸。<br />右の櫓門が西大手門、左が南大手門。

    宇土櫓最上階から見た西出丸。
    右の櫓門が西大手門、左が南大手門。

  • いかにも「現存」を象徴する急な階段。

    いかにも「現存」を象徴する急な階段。

  • 外側から見た、宇土櫓。

    外側から見た、宇土櫓。

  • 熊本城で最も好きな角度からの1枚。<br />石垣の凄さがよく分かる。

    イチオシ

    熊本城で最も好きな角度からの1枚。
    石垣の凄さがよく分かる。

  • 熊本城最大の南大手門。この右を抜けたところが奉行丸で、その南西の角には、未申櫓が再建されている(後で、出てきます)。

    熊本城最大の南大手門。この右を抜けたところが奉行丸で、その南西の角には、未申櫓が再建されている(後で、出てきます)。

  • 櫓門としては、珍しい角度。<br />奉行丸から南大手門を見たところ。

    櫓門としては、珍しい角度。
    奉行丸から南大手門を見たところ。

  • 二の丸広場方向から見た西大手門(正面)と元太鼓櫓(木造復元、平櫓)(右奥)。<br />手前は、水掘か、空堀に水が溜まったものかが不明な堀。

    二の丸広場方向から見た西大手門(正面)と元太鼓櫓(木造復元、平櫓)(右奥)。
    手前は、水掘か、空堀に水が溜まったものかが不明な堀。

  • 二の丸広場から見た、宇土櫓、小天守、大天守(左から)。<br />ここの長塀には、2004年に復元されたもので、多くの狭間や石落しが並ぶ。<br />この石垣(長さ165m)は、明治時代に一度撤去されたが昭和になって積み直されたもの。

    イチオシ

    二の丸広場から見た、宇土櫓、小天守、大天守(左から)。
    ここの長塀には、2004年に復元されたもので、多くの狭間や石落しが並ぶ。
    この石垣(長さ165m)は、明治時代に一度撤去されたが昭和になって積み直されたもの。

  • 西出丸の北西に、2003年に木造復元された戌亥櫓(二層三階)。<br />遠くに、宇土櫓が見える。

    西出丸の北西に、2003年に木造復元された戌亥櫓(二層三階)。
    遠くに、宇土櫓が見える。

  • ずっと南下し、奉行丸の未申櫓。2003年木造復元された二層三階の櫓。

    ずっと南下し、奉行丸の未申櫓。2003年木造復元された二層三階の櫓。

  • この未申櫓は、城彩苑からも遠望できる。

    この未申櫓は、城彩苑からも遠望できる。

  • とりあえず、この城彩苑の中の山見茶屋で、馬刺しとビールを補給。ビールは「火の国ビール阿蘇」。<br />

    とりあえず、この城彩苑の中の山見茶屋で、馬刺しとビールを補給。ビールは「火の国ビール阿蘇」。

  • 二の丸広場の西の端、県立美術館の南側の住江門の石垣。<br />こんなところにも大きな枡形。

    二の丸広場の西の端、県立美術館の南側の住江門の石垣。
    こんなところにも大きな枡形。

  • 城の北側に通じる二の丸櫓門跡。<br />非常に大きな枡形を構成している。<br />ここから先は初めて来ました。<br />

    城の北側に通じる二の丸櫓門跡。
    非常に大きな枡形を構成している。
    ここから先は初めて来ました。

  • 二の丸櫓門跡の東につながる百間石垣。<br />飯田覚兵衛が指揮して積んだといわれる。<br />長さ約184m、高さ約9mの立派な石垣!<br />

    二の丸櫓門跡の東につながる百間石垣。
    飯田覚兵衛が指揮して積んだといわれる。
    長さ約184m、高さ約9mの立派な石垣!

  • 前の写真から百間歩いて、反対側から見た百間石垣。<br />

    前の写真から百間歩いて、反対側から見た百間石垣。

  • もう少し行ったところに現存している監物櫓(重文、平櫓)。<br />ここら辺は、熊本城の中であまり注目されていない部分なので、手入れが甘いのが、残念であり、心配。

    もう少し行ったところに現存している監物櫓(重文、平櫓)。
    ここら辺は、熊本城の中であまり注目されていない部分なので、手入れが甘いのが、残念であり、心配。

  • もう少し引いた場所から写したもので、手前に、橋が見える。この監物櫓の下、あるいは、百間石垣の外側(北側、三の丸)には、片側2車線の道路が走っている。

    もう少し引いた場所から写したもので、手前に、橋が見える。この監物櫓の下、あるいは、百間石垣の外側(北側、三の丸)には、片側2車線の道路が走っている。

  • ここにも、立派な石垣が積まれている。<br />びっくり!!!!<br />

    ここにも、立派な石垣が積まれている。
    びっくり!!!!

  • 最後の1枚は、北側から見た大天守と小天守。<br />小天守は、大天守の右(西)に建っているのがよく分かる。<br />この理由が、単なる外観のバランスだけのもののか、もっと戦略的な意味があるのかは分からない。<br />1つのお城の写真だけ(しかも、大天守・小天守の内部の写真はない)で、90枚もの写真をアップしたのは初めてです。<br />名前が付いていて、何らかの建物があるものは、一応、全部言及したつもりです。<br />最後まで見てくださった方々、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。

    最後の1枚は、北側から見た大天守と小天守。
    小天守は、大天守の右(西)に建っているのがよく分かる。
    この理由が、単なる外観のバランスだけのもののか、もっと戦略的な意味があるのかは分からない。
    1つのお城の写真だけ(しかも、大天守・小天守の内部の写真はない)で、90枚もの写真をアップしたのは初めてです。
    名前が付いていて、何らかの建物があるものは、一応、全部言及したつもりです。
    最後まで見てくださった方々、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。

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