2015/05/01 - 2015/05/05
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nao520さん
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敦煌3日目は西線と呼ばれる敦煌から西の砂漠に点在する遺跡に行ってみます。敦煌市→陽関→昼食→ヤルダン→漢長城→玉門関→河蒼城→敦煌市
検討の結果、1日車を貸し切りにしました。
バスツアーは1人100-150元と安いのですが、気に入ったところに好きなだけいたいというわがままな欲求を満足させるにはチャーターしかないと判断しました。この際ですからガイドも雇いました。敦煌には日本語ガイドもいますがゴールデンウィークで日本からの旅行者も多く、出払っていたので中国語ガイドさんです。
この西線は距離も遠いため良い車の方が絶対いいと友人からは言われており、確かに体験してみてわかったのですが、5月の初旬でしたが砂漠に散らばるこの遺跡群あたりは十分暑くて、もし真夏に行ったとすればきちんとした暑さ対策をしないとこれは大変だなと感じました。それでも砂漠ですから遮るものが無いのが厳しいところです。うーん、この暑さを体験すると夏は避けたいと思ってしまいます。
それを考えると、体力に自信ない場合、小型バスよりは車を貸し切りにして自分のペースで西線を回るのはよい選択かもしれません。きつくなったらスキップするとか小休止すればいいわけです。クーラーもよく効いているわけですから。8時にホテルを出てゆっくりめのペースで周り7時過ぎにホテルに戻る、走行距離は400キロ強と結構あります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
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8時にホテルを出発です
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貨物線が砂漠に引かれていて貨物列車が砂漠の中をはしってきます
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80km西に約1時間半砂漠を走ると陽関
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河西回廊ではお馴染みのシルクロードのパイオニア張騫、随分と見慣れたので一目でわかりました。
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これは烏孫国に嫁入りした解憂公主です。烏遜国は今の新疆の伊梨のあたりからキルギスのあたりの国です。
中国では解憂公主は有名で彼女を主人公にしたドラマとかも作られています。漢の時代対匈奴戦略として周辺国である烏孫国との関係を構築するため求めに応じ、漢王朝は当時お家取りつぶしの憂き目にあった楚王の娘を嫁がせます。慣れない匈奴式の風習、婚姻などを乗り越え国母と言われるまでなりました。この辺りの筋書きがドラマ向きの波乱万丈な展開で最後は70歳で長安に戻り2年後に亡くなります。また、漢が初めて烏遜国という周辺国との連合軍形式で匈奴を破ったのも彼女がいたおかげであると言われています。
この連合があったからこそ漢は安定した河西回廊の経営を行いシルクロードは発展していくわけです。
伊梨に行ってみたくなってきました。 -
午前中でしたがこの時間は空いていました。城攻めの道具で遊び放題。
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関所を復原しています
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ここで出境の証明書を発行してくれます。何十元かは忘れましたが私は買いませんでした。居合わせたツアー客はほぼ皆購入していました。
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この棘のある草をラクダは好んで食べるそうです。なるほど、ガイドはよく知っています。
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これは、誰でしょうと問われましたが、わかりませんでした。
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イチオシ
近づいてみると、「勧君更尽一杯酒、西出陽関無故人」 の王維でした。
ここに、巨大な像を作るとは。。
でも、今まで中国でいろいろな無駄な像を見てきましたがこれは正直悪くなかった。 -
陽関道と書いてあります。敦煌は西から三つの道が集まる場所です。
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確かに広漠として、故人無からんというのはわかります。
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烽火台が遠くに見えます。
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烽火台まではバスで行きます。歩いていけないことはないですが暑いですよ。
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イチオシ
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見晴台がありここは写真スポットです
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見晴らし台から烽火台を。角度が違うと形が違って見えます
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南西の方角は何もありません
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砂漠に咲く赤い花です
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陽関を終了した時点で早めの昼食を。次の目的地ヤルダンまでは1時間かかります。向こうは砂漠地帯なので食べるところもあまりないということなので陽関の付近の農家園で食事することにしました。
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昼食後、ヤルダンに向かう道路際に漢時代の防壁跡があるので降りてみました。これはガイドでなくドライバーが教えてくれました。「これ、長城だよって」
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道沿いにずーと続いていましたが、言われなければこれが遺跡とはわかりません。盛り土が延々と続いているとしか見えませんが、2000年前のものです。
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ドライバーは長城と呼んでいました。確かに延々と続いています。
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確かに遺跡です
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外は暑いのでガイドには外にでなくていいからと言ってたのですが、あまり降りることもないこの場所は本人も興味あるようでした。
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車中でガイドに砂漠は何色に見えるかと言われ、緑か黒と答えました。
そう、この一帯が黒ゴビです。砂の表層に黒い砂礫が残り砂漠全体が黒く見えるそうです。これは、人が踏み入るとその砂礫が壊れてしまうため、現地側は保護地区としているそうです。 -
黒いです
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ヤルダン地質風景区到着。風景区内はバスで5個のスポーットを見て回ります。1時間半程度炎天下の中を見学します。ヤルダンはここだけでなく、新疆などにもあるのですがこのヤルダンが最も規模的に大きく有名なものだそうです。
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第一スポット
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第一スポットで始まったばかりなのですが、既にすごく暑い。
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第二スポット
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バス同乗の中国人はもう暑いのでバス降りて写真とってすぐバスに戻るという人もいます。この人は頑張って歩いて自撮りしてます。
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このように何も遮るものがないので
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ガイドも自撮りしてます
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孔雀
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魔鬼城と呼ばれていますが、2000年前ここを通った人が感じた通りなのではないでしょうか。察するに、昼間は暑すぎるため通るのは夜になります。月明かりだけでこんな奇妙な造形がある地帯を初めて通る旅人はとても不安だったと思います。
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少しだけ影になる部分がありそこが唯一の日陰
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地質風景区内の一本道
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艦隊と呼ばれる最後のスポット。もう暑くてバスから出ない中国人客もいました。現在このヤルダンの南地区を開発中でこの夏からは公開できると聞きました。写真を見ると面白い造形は南区に多くありそうです。楽しみです。
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1時間半の見学後黒ゴビの道を途中まで戻り玉門関へ向かいます
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その途中小一時間走ったところに漢長城があります
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2,000年前、人類が作ったものはそうそう多くは残っていないでしょう。
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烽火台部分も少し残っています。
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面白いものを見つけました。積んである藁の跡です。これも、2000年前のものらしいです。
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イチオシ
次は玉門関
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穴は大きくないです。
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付近には水辺があります
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玉門関はこの部分しか見るものはないため早く終わります。
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イチオシ
玉門関から15分程度の位置にある甘粛省作成の「河西入廊」のビデオで見て行ってみたかった河倉城跡、復原されずにそのまま残っている食料庫の跡で需要な遺跡です。漢の時代この城ができた頃から西域経営の一環として屯田政策を積極的に進めます
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入ろうと思えば入れてしまいます
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誰もいなかったので鎖を越えて立ち入りたい衝動にかられました。
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この近くには池があります
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せっかくなので一周してみます。城の裏側
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食料庫なので通気孔があります
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城の裏側です
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前面に戻ってきます
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暑い
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イチオシ
立派な城が残っていて満足しました。小1時間ぐらいあれこれと見てました。私が見た中で修復されていないものとしては今までで一番立派なものでした。多分、全く修復していないのではないでしょうか。
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長い西線の1日もここで終わりです。6時を回っていますが空はまだまだ明るく、約1時間かけて敦煌の街にもどります。
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砂漠の砂礫、本日唯一のお土産です
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